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他の性感染症について

このコラムは厚生労働省の研究班が実施していた「日本の性の娯楽施設・産業に係る人々への支援に関する学際的研究」の運営するサイトsexba.jp(現在は閲覧できません)にて「セイフティ・セックス講座」として谷口恭が2008年から2010年にかけて執筆していたものです。

お役立ちコラム目次

日本人はフェラチオ好き (公開:2008年10月-11月)
以前、地元の研究者や保健師らと共に、タイのある地方都市の置屋を訪問しセックスワーカーにインタビューしていたときの話。地方から出稼ぎに来ているという19歳のセックスワーカーは(タイでは地方から地方にセックスワーカーとして出稼ぎにでることが多い)、私が日本人...

本当に怖いB型肝炎 (公開:2008年11月-12月)
最近はHIVに対する関心が高まってきたようで、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院にも毎日のように「HIV感染が心配で・・・」というような方が来院されます。

増え続ける梅毒 (公開:2009年1月-2月)
梅毒というと「過去の病気」というイメージがないでしょうか。 過去には世界中で大流行し、感染から10年以上の月日を経て精神症状や脳神経症状も発症することのある大変恐ろしい病気でしたが、抗生物質の普及により、今では完全に治る病気になっています。

性器ヘルペスに悩まないで! (公開:2009年2月-4月)
【症例 Aさん(29歳女性)】
3日前から外陰部にピリピリとした痛みがあります。何かにかぶれたのかなと思って放っておくと、昨日はすごく身体がだるくなり微熱もあるような気がしました...

淋病の治療が変わります! (公開:2009年4月-5月)
淋病(りんびょう)というのは、ありふれた病気ではあるのですが、ときに治療に困ることがあります。 しかし、新薬の登場で比較的簡単に治る感染症となることが期待できるかもしれません。

悩ましき尖圭コンジローマ (公開:2009年5月-8月)
この病気ってほんとに精神的にしんどくなりますね・・・
こんなに時間がかかる病気とは知りませんでした・・・
あたしはいつになったら再発の不安から解放されるのでしょうか・・・
これら3つの声は、いずれも尖圭(せんけい)コンジローマに罹患した患者さんのものです。

いわゆる"雑菌"の病気 (公開:2009年9月)
少し前に次のような患者さん(以下Aさん)が来られました。「先生、あたし、おりものの臭いが気になったんで、また先生にみてもらおうと思ったんですけど、最近忙しくて時間がなかったんで、自宅で検査ができるキットっていうもので検査したんです...

カンジダをきたす3つの要因 (公開:2009年10月-11月)
性感染症について書物やインターネットを使って調べると、必ず「カンジダ」という文字がでてきます。けれども、「カンジダ」が実際に性感染症である場合というのは、私の印象で言えばごくわずかです。

毛じらみは自分でみつけましょう! (公開:2009年11月-12月)
陰毛のあたりが痒いんです。毛じらみが心配です...。 このような悩みをお持ちでクリニックを受診される方がおられます。

子宮頚ガンとHPVワクチン (公開:2009年12月-2010年2月)
それは私がある医療機関で研修を受けていた頃の話・・・。 30代後半の女性(仮にRさんとしておきます)は、子宮頚ガンの末期で、痛みをとったり精神的なケアをしたりする以外には治療がないような状態でした。幸い、ご主人やお姉さんはケアに熱心で、Rさんの精神状態は...

臭いが気になればトリコモナスかも・・・ (公開:2010年3月-)
おりもの(帯下)の臭いが気になって・・・、という訴えでクリニックを受診する人は少なくありません。そんな人のなかで、トリコモナスに感染している人がときどきいます。今回は、そのトリコモナスについてお話したいのですが、まずは「おりものの臭い」について考えていきましょう。

危険なアナルセックス~赤痢アメーバ編~ (公開:2010年3月-4月)
アナルセックスというのは、やり方にもよるのですが、腟交渉や口腔性交に比べると性感染症のリスクが上がることが多いと言えます。HIVもC型肝炎ウイルス(HCV)も、コンドームなしのアナルセックスをおこなうとリスクが上がりますし、淋菌やクラミジアが肛門感染すると...

危険なアナルセックス~A型肝炎編~ (公開:2010年4月-5月)
今回お話するのはA型肝炎ウイルスです。A型肝炎ウイルス(以下HAV)も、アメーバ赤痢と同様、便→口という感染ルートをとります。つまり、相手の肛門を愛撫して病原体が口の中に入ることによって感染、あるいは相手の肛門を指で触り、その指についた病原体が相手の...

少しずつ注目され始めたHTLV-1 (公開:2010年5月-7月)
HTLV-1というウイルスをご存知でしょうか。このウイルスを持っているのは日本人に多く、母子感染以外にも性感染や血液感染があり、治療法が確立しておらず、ときに致死的な状態になる大変重要な感染症であるのですが、医療従事者以外には意外に知られていないように...

C型肝炎の検査を受けましょう (公開:2010年7月-9月)
C型肝炎ウイルス(以下HCV)に感染している日本人は少なくて100万人、多ければ200万人以上にもなると言われています。感染経路で最も多いのが、輸血や血液製剤であろうことは間違いないと思われます。

クラミジアは抗体でなく抗原検査を (公開:2010年9月-10月)
クラミジアという感染症は、性感染症のなかで男女とも最も多いのではないかと思われます。実際、私が医師として性感染症の疑いのある患者さんの検査をおこない、最も見つかることが多いのがクラミジアです。

エピローグ~そして私が一番言いたかったこと~ (公開:2010年11月)
 早いものでこの連載も2年を超えることとなりました。私は、主にタイのエイズ患者さんやエイズ孤児を支援しているNPO法人GINA(ジーナ)の主催者であり、また医師としては、大阪市北区にある太融寺町谷口医院というクリニックの院長をしている他...



(1)タイと日本のフェラチオ事情

 以前、地元の研究者や保健師らと共に、タイのある地方都市の置屋を訪問しセックスワーカーにインタビューしていたときの話・・・。


 地方から出稼ぎに来ているという19歳のセックスワーカーは(タイでは地方から地方にセックスワーカーとして出稼ぎにでることが多い)、私が日本人だとわかるとニッコリと笑みを浮かべてこう言いました。


「日本人はほんとにフェラチオが好きね。それもほとんどの日本人はコンドームをしたがらないわよ・・・」


 何と答えていいか分からずに呆然とするしかなかった私に、彼女は、私が彼女のタイ語を理解していないと思ったのか、はにかみながらも口をあけてフェラチオをするポーズをとりました。そんな思い切ったポーズをとった後、やはり恥ずかしかったのでしょう。真っ赤になった顔を両手で覆い、恥ずかしさを紛らわすために笑い出しました。


 私が二の句を告げずにいたのは、彼女のタイ語が分からなかったのではなく、このような外国人がほとんどいない地方都市に日本人が買春のためにやって来ているということにまず驚いたのです。その次に、初対面の女性にこんなことを言われてどう答えていいのか分からなかったのです。おそらく、彼女がすぐに恥ずかしく感じたのも、私が彼女の「客」ではなく「普通の日本人」だということを思い出したからでしょう。


 彼女と彼女の同僚のセックスワーカーは、口をそろえて日本人はフェラチオ好きだと言います。彼女らによると、フェラチオには国民性があるらしく、中東人はオーラルセックスを(フェラチオだけでなくクンニリングスも)まったくしないそうです。西洋人は人によると言います。タイ人やマレーシア人の場合は、日本のアダルトビデオが好きな男はフェラチオを求めてくるそうです。


 しかし、フェラチオのときにコンドームをしたがらないのは彼女らによると日本人だけだと言います。


 私が、日本のセックスワーカーの多くはコンドームなしのフェラチオをさせられている、という話をしたところ、彼女らは真剣な顔をして、「それは危険すぎるわ。日本人の女の子がかわいそう・・・」と言いました。私からすれば、両親を助けるために1回の価格がわずか900円ほどで(その半分が彼女らの手取り)、売春を半ば強要されている彼女らが日本人のセックスワーカーに同情しているその様子に、不思議な感覚を抱きました。


 以前、私が主宰するNPO法人GINA(ジーナ) が、バンコク、パタヤ、プーケットで活動するフリー(個人営業)のセックスワーカーに調査をしたことがあるのですが、そのなかで200人のセックスワーカーに「フェラチオでHIVに感染するか」という質問をしました。


 その結果、全体の85%のセックスワーカーが「する」と答えています。これはもちろん正解で、非常に稀ではありますが、フェラチオでもHIVに感染することはあります。タイでは、フェラチオを含めたオーラルセックスの感染が少なくないと言われていますし、日本にもフェラチオでHIVに感染したセックスワーカーの事例があります。(これについては拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』 でもとりあげています)


 つまり、タイのセックスワーカーの多くは、「コンドームなしのフェラチオは危険」ということが分かっていて、仕事上フェラチオをせざるを得ないときには当然のこととしてコンドームを用いるのです。


 しかし、日本人男性の顧客が「フェラチオはコンドームなしが当然」と考えており、さらに日本人のセックスワーカーも、(おそらく不本意に)コンドームなしのフェラチオを強制されているというわけです。

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(2)危険なフェラチオ

さて、愛し合うカップルが、あらかじめお互いに性感染症に罹患していないことを確認した上でコンドームなしのフェラチオをおこなうことにはまったく問題がないと思われますが、相手が何か感染症を持っているかもしれないとき、あるいは不特定多数を相手とするセックスワークをおこなっている女性(男性も)がコンドームなしのフェラチオをおこなえば危険が伴います。


 日本でもフェラチオでのHIV感染は非常に稀ながらもありますし、他の性感染症も感染しうることはよく知られています。おそらく代表的なのが淋病とクラミジアでしょう。しかし、これらは「治る病気」ですし、普通は重症化しません。淋病やクラミジアが子宮けい部(子宮の入り口)に感染した場合、早期に治療を開始しなければ、ときにおなかの奥の方にまで菌が侵入し、腹痛がおこり、場合によっては入院や手術ということもありえます。しかしながら、のどの感染であれば、命にかかわるような状態になることは、普通はありません。


 フェラチオでの感染で最も危惧すべきなのはおそらく「B型肝炎」でしょう。B型肝炎ウイルスはHIVなどとは異なり、感染力が極めて強いのが特徴です。実際に(日本の)セックスワーカーのなかにも、客からフェラチオでB型肝炎に感染し入院したという女性は、ものすごく多いというわけではありませんが珍しくはありません。


 そして、B型肝炎ウイルスはときに「死に至る病」となります。急性肝炎をおこせば、かなりの確率で入院しなければなりませんし、もしも急性肝炎が劇症肝炎と呼ばれる状態に移行すれば、致死率はかなりのものとなります。急性肝炎の状態から回復して元気になったとしても、何割かはウイルスが消えずに体内に残ることになります。そしてこうなればかなり長期にわたって(あるいは生涯)、強い薬を飲まなくてはなりません。そして、今度は「フェラチオを含む性的接触で他人にB型肝炎ウイルスをうつしてしまうかもしれない」という状態になります。(したがってB型肝炎はなんとしても防がなければならない感染症ですが、ワクチンを打っておけば感染することはありません。これについては機会を改めてお話したいと思います)


 淋病、クラミジア、B型肝炎ウイルス以外にも、梅毒やヘルペスなども、コンドームなしのフェラチオで感染することがあります。


 さて、フェラチオで性感染症のリスクがあることが分かったとしても、セックスワーカーのなかには、「それは分かるけど現実はコンドームなんてできないし・・・」と考えている人もいるでしょう。


 理想論を言っているだけでは仕方がないので、コンドームなしのフェラチオをせざるを得ないときの対処について考えていきましょう。


 まず、男性(顧客)には、接客の前にトイレに行ってもらうのがいいでしょう。淋菌やクラミジアは尿道に棲息していますから、排尿をすればかなりの菌が尿と一緒にでていきます。その次に考えるべきことは、できるだけ喉の奥にペニスを入れないことです。よく言われるように、射精の前に分泌される透明の分泌液(カウパー腺液)にも病原体は含まれています。


 そして、射精はできれば口腔外にさせるべきですが、それが無理でも、できる限り舌や歯を使って、精液が喉にいくのを防ぐようにしなければなりません。そしてその後は「うがい」です。


 実は「うがい」については多くの人がある誤解をしています。次回はそのあたりについて考えていくことにしましょう。

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(3)うがいにイソジンは使わない!

前回は、コンドームなしのフェラチオは、いくつかの性感染症のリスクがあり、「上手なフェラチオ」をしなければならないという話をしました。ここで言う「上手なフェラチオ」とは、セックスワークでいえば、"顧客にとっての"上手なフェラチオではなく、"自らの安全を守るための"上手なフェラチオです。


 前回もコンドームなしのフェラチオをするときの注意点をいくつか述べましたが、今回は「うがい」についてお話したいと思います。


「うがい」について、最も大きな誤解は「イソジンを使ったうがい」です。


 イソジン(ポピヨードガーグル)は、結論から言えば、「使わない方がいい!」のです。


 これを意外に思う人がいるかもしれません。実際、医療の現場でも数年前までは「うがいにはイソジンを使いましょう」などと言っていたからです。(今でもイソジンでうがいをすすめている医療機関があるかもしれません)


 ここで下のグラフ をご覧ください。





 これはある研究チームがおこなった「風邪とうがいとの関係」を示したグラフです。縦軸は風邪にかかった人の割合で、横軸は日数です。


 これをみると、ヨード(イソジン)でうがいをした人と、まったくうがいをしていない人は同じような割合で風邪をひいており、水でうがいをしている人が風邪をひきにくいという結果となっています。


 これは一見、奇妙な結果に思えます。なぜなら水には殺菌力がなく、イソジンには強力な殺菌作用があることは明らかだからです。では、なぜ強力な殺菌作用を有するイソジンを使えば、病原体に感染するのでしょうか。


 イソジンはたしかに強力な殺菌作用をもっています。実際、手術の現場では今でもイソジンの強力な殺菌力に期待して、メスをいれる皮膚にたっぷりと塗布します。しかし、その殺菌力が強すぎるがために、のどの正常な粘膜をも傷つける可能性があるのです。もともと人間ののどの粘膜にはある程度の自然防御力があります。そこにイソジンでうがいをおこなえば、その自然防御力を弱めてしまうことが考えられるのです。


 実際、いつもイソジンでうがいをしているという人ののどを綿棒でこすって顕微鏡で観察してみると、軽い咽頭炎をおこしていることがよくあります。咽頭炎というのは分かりにくいと思いますが、分かりやすく言えば、「のどがあれている状態」となっているわけです。このようなのどに病原体が付着すれば簡単に住み着いてしまう可能性が高くなるというわけです。


 実は、イソジンは手術を除けば最近では医療現場ではほとんど使われなくなってきています。外来にはイソジンをいっさいおかない、という医療機関も増えてきています。では、そういう医療機関では傷に対してどのような処置をしているかというと、「水で洗っている」のです。水は滅菌水や生理食塩水を使う必要はありません。水道水で充分!なのです。心配しなくても日本の水道水は厳しい試験に合格しており、水道水を使ったがために病原体に感染するということはありません。


 うがいも同じです。イソジンではなく水で何度もうがいをするのが最も効果的なのです。


 最後にもうひとつ! のどの性感染症は自覚症状が出にくいのが特徴です。もしもあなたが複数のパートナーと交際していたり、セックスワークに従事していたりするのであれば、 定期的な検査を受けることが必要です。ほとんどの病気がそうであるように、のども含めて性感染症の場合も早期発見が何よりも大切なことなのです。

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その1

最近はHIVに対する関心が高まってきたようで、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院にも毎日のように、「HIV感染が心配で・・・」というような方が来院されます。


 たしかに、HIVに対し関心をもち、検査や予防をおこなうことは大切なことなのですが、我々医療従事者からすると、「ちょっと待って! B型肝炎対策はちゃんとできているの?」と尋ねたいことがしばしばあります。


 前々回のコラムで、「フェラチオでB型肝炎ウイルスに感染することは珍しくないんですよ」ということをお話しましたが、実はB型肝炎ウイルスはディープキスで感染することもあります。これは、B型肝炎ウイルスは唾液にも含まれていることがあるからです。


 B型肝炎はときに「死にいたる病」となります。感染後数週間で劇症化をきたし、命にかかわる状態になることもあります。劇症化まで進めば、命はとりとめられたとしても、後遺症を残し、例えば腎不全となり人工透析を生涯強いられるようなこともあります。


 また、急性肝炎の状態を抜け出して回復したとしても、B型肝炎ウイルスのgenotype A型と呼ばれるタイプでは、何割かはウイルスが体内に残り慢性化すると言われています。こうなれば性交渉などで他人にうつしてしまう可能性もでてきます。さらに、慢性化すれば、強い薬をかなり長期に渡り服用しなければならない場合もあります。あまり知られていませんが、B型肝炎に使う薬の一部は逆転写酵素阻害剤といって、HIVの治療に使われることもあるものです。慢性化して肝臓の悪化が進行すれば、肝硬変や肝臓ガンになることもあります。


 性感染症の予防ということで言えば、コンドームが最も有名ですが、これは主にHIVに主眼を置いたものです。「safer sex」といって、コンドームを使いましょうと叫ばれることが多いのは事実で、これはこれで大切なことではあるのですが、欧米人の「コンドームを用いれば重要な性感染症に罹患しない」という考え方をそのまま日本人に適応するには少し問題があります。


 なぜなら、欧米人のほとんどは、幼少時に(遅くとも性交渉を開始するまでの年齢に)B型肝炎の予防接種(ワクチン)をしているからです。ディープキスでも感染しうる性感染症ですからできるだけ早期に予防接種をしておく必要があるのです。


 B型肝炎ウイルスの予防接種は世界的には"常識"で、実際、先進国であればほとんどの国で国民全員を対象とした予防接種がおこなわれています。


 例えば、お隣の韓国では、B型肝炎ウイルスの保有者(キャリア)が全国民の7~10%にも昇り、以前は「肝炎王国」とまで呼ばれていましたが、現在は国家政策として国民全員にワクチンを接種しています。(参考までに、韓国は少なくとも予防医学に関しては日本よりもはるかに進んでおり、2007年には麻疹(はしか)撲滅国としてWHO(世界保健機構)から正式に認められています。ちょうどその頃、麻疹がアウトブレイクした日本とは対照的です。)


 先に進む前に、非常に大切なことなので韓国のB型肝炎事情についてもう少しだけ・・・


 韓国でB型肝炎ウイルスの予防接種がおこなわれるようになったのは90年代半ばからで、対象は幼少児です。ですから、成人のなかにはB型肝炎ウイルスの保有者がかなりいると考えられます。日本のおじさんが韓国のsex workerからB型肝炎ウイルスに感染して数週間後に入院ということがときどきあるのですが、これは当分の間続くと考えられます。


 B型肝炎ウイルス保有者が多いのは韓国だけではありません。中国やタイでも5~10%くらいはウイルス陽性であると言われています。だからこそ、海外駐在をおこなう人たちは、会社の負担でB型肝炎ウイルスの予防接種を海外赴任の前にしているのです。


 ちなみに私は産業医という仕事もしていますが、海外赴任の前には必ずB型肝炎ウイルスの予防接種をするよう、赴任者にも会社にも助言しています。予防接種の対象者は、海外赴任者全員で、性別・年齢に関係なく、また未婚・既婚にも関係なく、です。日本人は男女とも、海外(特にアジア)に行くとハメを外してしまうことが多いのです・・・。

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その2

 さて、では日本ではどれくらいの人がB型肝炎ウイルスを保有しているかというと、だいたい国民の1%程度、総数で120万人から150万人くらいであろうと言われています。HIV陽性者が累積でおよそ1万5千人ですから、単純計算で約100倍です。


 また、感染力の強さもHIVとは桁違い!です。性感染での比較データというのは(私の知る限りでは)ないのですが、医療従事者の針刺し事故のデータでは、HIV陽性者の針刺し事故を起こした場合約0.3%が感染するのに対し、B型肝炎ウイルスでは約30%が感染すると言われています。B型肝炎ウイルスはHIVよりも100倍も感染力が強いということになります。(参考までにC型肝炎ウイルスは約3%と言われています。ちょうど一桁ずつ違うところが興味深いですね)


 ここで誤解のないように言っておくと、現在では日本も含めて医療従事者の全員がB型肝炎ウイルスの予防接種をしています。ですから、医療従事者が患者さんからB型肝炎ウイルスがうつるということは現在ではまずありません。また、医療従事者以外でB型肝炎ウイルスの予防接種をしている職種は、前回お話した海外駐在員の他、葬儀屋やフライトアテンダント(全員ではありませんが)などです。(本来真っ先に接種すべきsex workerのワクチン接種率は残念ながら高くはありません・・・)


 これらの数字だけを見ても、HIVよりもB型肝炎ウイルスの対策をしっかりしなければならないことがお分かりいただけると思います。B型肝炎ウイルスはHIVに比べて、日本では感染者が約100倍で、感染力もおよそ100倍です。(ただし、B型肝炎ウイルスの保有者は高齢者にも多く、HIVは圧倒的に若年者に多いですから、完全に単純比較することには少し問題があります)


 B型肝炎ウイルスは、HIVと同様、母子感染があります。ワクチン接種にはなぜか消極的な日本でも母子感染対策はしっかりとおこなっています。妊婦検診の際にB型肝炎ウイルスを持っているかどうかを調べて、妊婦さんがウイルスを持っている場合、新生児には免疫グロブリンとワクチンを接種して母子感染を防ぐことができます。


 この母子感染対策は80年代の半ばくらいから徹底されるようになりましたから、だいたい現在25歳未満の人であれば、お母さんからウイルスをもらっているということはほとんどないということになります。


 ところが、です。実際には若年者の間にもB型肝炎ウイルスを持っている人がいます。性感染という場合もあるでしょうが、それ以上に考えなければならないのが、幼少時の感染です。


 昨年(2007年)に、大阪府立急性期・総合医療センターと名古屋市立大の研究チームが発表した報告によりますと、B型肝炎ウイルスの遺伝子解析をおこなった結果、日本人のB型肝炎ウイルス保有者の約10%が父子感染であることが判りました。これは、父親と子供が性交渉しているという意味ではもちろんありません。おそらく、傷の手当とか食べ物の口移しとかいったことで感染していることが予想されます。


 したがって、現在では、「家族にひとりでもB型肝炎ウイルスの保有者がいれば残りの家族は全員予防接種をするべき」と考えられています。


 もちろん、傷の手当で感染の可能性があるのは父親と子供の関係だけではありません。記憶に新しいところで言えば、2008年6月におきた秋葉原の連続通り魔事件で、犠牲者のひとりがB型肝炎ウイルスを持っていることが判りました。このため、救護に関与した全員がB型肝炎ウイルスの検査をすることになったのです。


 また、2008年5月におきた中国四川省の大地震では、中国政府が被災者に対しB型肝炎ウイルスのワクチン接種を開始したと報道されています。これは、被災地ではレイプが横行しやすいという問題もありますが、それ以上に怪我の手当てをしたりされたりする機会が増えるからです。(欧米諸国のように国民全員が幼少時にワクチン接種をしていればこのような心配はないわけです)


 次回は、実際にB型肝炎ウイルスにかからないためにはどうすればいいかについて考えていきたいと思います。

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その3

 B型肝炎感染対策について具体的に考えていきましょう。


 まずはあなたが現在B型肝炎ウイルスを保有していないかどうか調べることから始めなければなりません。HIVや梅毒と同様、自治体によっては保健所などで、無料で調べることができる地域があります。もしも保健所などで無料検査ができなければ医療機関を受診すれば調べることができます。(ただし医療機関では有料となりますし、通常健康保険は使えません)


 性的なパートナーがいれば、カップルで検査をするのがいいでしょう。もしもあなたが(あるいは相手が)B型肝炎ウイルスをもっていればどうすればいいでしょうか。

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 B型肝炎ウイルスをもっている(あるいはもっている可能性がある)場合は、医療機関で精密検査を受けることになります。通常ここからは健康保険が使えます。そして、治療が必要な状態かどうかを調べて必要であれば治療を開始することになります。


 もしもあなたのパートナーがウイルスを持っていればどのようにすればいいでしょうか。もちろん別れる必要はありません。愛が感染症なんかに負けるはずがないのです!


 その場合、予防接種をすればいいのです。予防接種をして抗体を形成すれば生涯B型肝炎ウイルスに罹患することはないのです。


 ふたりともB型肝炎ウイルスを持っていない場合や、ひとりで検査をしてかかっていないことが判った場合も予防接種をすることが薦められます。


 太融寺町谷口医院にもB型肝炎ウイルスの予防接種を受けに来る方がおられます。ここで興味深いデータをご紹介しましょう。B型肝炎ウイルスの予防接種は、おこなう前に、「現在かかっていないこと」と「抗体がないこと」を確認しなければなりません。抗体がすでにあれば、B型肝炎にはかかりませんから、当然ワクチン接種は必要ありません。ですから、ワクチン接種をする前には必ず抗体検査をおこなうのですが、太融寺町谷口医院のデータでは、ワクチン希望者の6.4%がすでに抗体を持っていました。


 これは、「性感染などによって知らないうちにB型肝炎ウイルスに感染して、知らない間に抗体が形成されていた」ことを示しています。実際、これら6.4%の患者さんに尋ねてみると、何割かの人は、「そういえば数年前に原因不明の倦怠感におそわれて診断がつかなかった・・・」と答えます。こういう人たちは、感染した事実はあるものの、病状がでなかったか、でたとしても一過性のものであり、結果として抗体が形成されたわけですから大変幸運だったということになります。言わば、無料で(しんどい思いはされたでしょうが)天然のワクチンを手に入れたようなものだからです。


 B型肝炎ウイルスにかかっておらず、抗体もなければ、ワクチン接種を開始することになります。ワクチン接種の回数は2~3回で、およその基準としては25歳くらいまでの若年者であれば2回、それ以上の年齢であれば3回接種することになります。B型肝炎ウイルスのワクチンは、若ければ若いほど、そして男性よりも女性の方が早く抗体ができやすいという特徴があります。


 ワクチンというのは病原体によって様々で、例えばインフルエンザであれば毎年接種する必要があります。一方、麻疹(はしか)や風疹は一度抗体が形成されれば生涯もつと言われています。B型肝炎ウイルスは、麻疹などと同様、一度抗体形成が確認されればその後の追加接種は不要です。(以前は、抗体形成から数年後に再検査をおこない抗体が消えていれば追加接種が必要と考えられていましたが、最近の考え方では、たとえ検査で抗体が消えていても追加接種は不要とされています)


 最後にB型肝炎ウイルスの特徴についてまとめておきましょう。


? 感染力はきわめて強く、コンドームを用いても防げないことがある。

? 感染すると短期間で命にかかわる状態になることもあり(劇症化)、また慢性化すると長期で薬を飲まなければならないこともある。

? B型肝炎が進行すると、肝硬変や肝臓ガンになることもある。

? 予防接種(ワクチン)が最善の予防策で、一度抗体が形成されると感染しない。

? 知らない間にかかって知らない間に治って抗体が自然にできていることもある。



 性感染症の予防にコンドームを・・・。これはこれで大切なことですが、その前に考えなければならないことがあるということがお分かりいただけたでしょうか。

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その1

 梅毒というと「過去の病気」というイメージがないでしょうか。

 過去には世界中で大流行し、感染から10年以上の月日を経て精神症状や脳神経症状も発症することのある大変恐ろしい病気でしたが、抗生物質の普及により、今では完全に治る病気になっています。

 今回は、その梅毒が再び増加している、それもここ数年でこの日本で増えている、ということをお話したいのですが、その前に世界史にも登場するこの梅毒という病についておさらいをしておきましょう。

 梅毒が世界で大流行したきっかけはコロンブスであろうと言われています。15世紀後半にコロンブスの探検隊員らが新大陸の女性と交わった結果、梅毒に感染し、それをヨーロッパ大陸に持ち帰った、とされており、この説は様々な観点からほぼ間違いないであろうと考えられています。

 コロンブスが持ち帰ってから、梅毒はまたたく間にヨーロッパ全域に蔓延しました。1493年にスペインで大流行し、1495年のフランスーイタリア戦争ではフランス軍に感染し、その後全ヨーロッパにあっという間に広がりました。さらに、1498年のバスコ=ダ=ガマのインド航路発見により、東南アジアや中国へも広がりました。1512年には大阪(大坂)でも確認されています。わずか20年程度で世界中に広がったということになります。

 梅毒という病気が興味深い理由のひとつは、国(地域)によって呼び方が違うということです。例えば、イギリス人は「フランス病」、フランス人は「ナポリ病」(もしくは「イタリア病」)、イタリア人とオランダ人は「スペイン病」、ポルトガル人は「カスチリア病」、ロシア人は「ポーランド病」、ポーランド人は「ロシア病」と呼びました。日本では「琉球病」と呼び、琉球では「南蛮病」と呼んだと言われています。なぜ、このように地域の名前が付けられているかというと、当時の人々は「この恐ろしい伝染病は敵国から伝わってきたに違いない」と考えた(そう思いたかった)からでしょう。

 日本では江戸時代に梅毒が大流行しています。大流行というのは文字通りの「大流行」で、例えば、杉田玄白は、年間の診療患者1,000人のうち、700~800人は梅毒にかかっていた、と回想録で述べています。また、町人の人骨の11.5%に骨梅毒が認められたという報告もあります。江戸時代の武士が梅毒に罹患し鼻がもげおちて・・・、という話は古典落語の中にもあります。

 当時は抗生物質がなかったわけですから、梅毒に感染すると10年以上の月日を経たあと、精神症状を発症したり、手足が動かなくなったりして、やがて死に至りました。抗生物質がなければ、梅毒とは「死に至る病」なのです。

 その梅毒が今、日本で増え続けています。

 2008年9月に国立感染症研究所から発表された「病原微生物検出情報」によりますと、2003年まで年間報告数が減少していた梅毒が、2004年に増加に転じ、2006年、2007年はそれぞれ前年から約100例増加しています。

 新規感染の総数がどれくらいかというと、2004年から2007年の4年間で報告された合計数は2,452人となっています。

 2,452人というこの数字を見てどのように感じるでしょうか。HIVの新規感染はエイズ発症者も含めて年間およそ1,500人程度です。一方、梅毒は4年で2,452人(2007年だけだと737人)ですから、「なんだ、梅毒が増えているっていってもHIVに比べると随分少ないんだな」と感じるかもしれません。

 しかし、それは大間違いなのです。

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その2

 前回は、梅毒の新規感染者が4年で2,452人、2007年だけだと737人で、増えているといってもたいしたことがないように見える、しかしそれは誤りですよ、という話をしました。今回は、まずこのトリックを説明していきます。

 そもそもなぜ梅毒の新規感染者が1の単位まで詳しく発表されるかというと、梅毒には全医療機関に届出義務があるからです。届出義務というのは、「その感染症の診断がつけば7日以内に管轄の保健所に届け出なければならない」というものです。もう少し、詳しく言うと、届出義務には「定点届出」と「全数届出」があります。「定点届出」というのはあらかじめ指定された医療機関のみに課せられた届出義務で、「全数届出」というのは全ての医療機関に義務付けられた届出義務です。そして、梅毒は「全数届出」ということになっています。ですから、梅毒を発見したすべての医療機関は7日以内に保健所に届出をしなければなりません。

 ところが、です。実際には梅毒を発見しても届出をおこなっていない医療機関があるのです。なぜ診断しても届出をしていないのかというと、ひとつには、梅毒が全数届出義務であることを知らない医師がいます。あるいは知っていたとしても、届出の手続きが複雑なため忙しい診療時間のなかで届出をついつい怠ってしまう、という点を指摘する関係者もいます。届出義務があるのに届出をしなければ、罰則義務(50万円以下の罰金)があるのですが、実際にこの罰則が適用されたという話は聞いたことがありません。

 一方、同じく全数届出義務のあるHIVについては、おそらくほとんどの医療機関がきちんと届出をしていると思われます。これは、医師側に「HIVは重要な感染症だけれども、治癒しうる梅毒はそれほど重要でない」という意識があるからかもしれません。後で詳しく述べますが、梅毒の治療は時間がかかることもありますが、原則として「治る病気」です。

 梅毒の届出がなされない理由は他にもあります。それは、医師が「梅毒の診断をつけられないことがある」というものです。梅毒は、医療従事者の間でも「過去の病気」と思われていることは否定できません。医師として10年以上のキャリアがあっても「梅毒を一例も見たことがない」という医師もいます。しかし、私が思うに、これは「見たことがない」のではなく、「見つけられなかった」可能性があります。

 実際、梅毒の診断はときにむつかしいことがあります。典型的な性器のできものや皮膚症状が出現すれば分かりやすいのですが、梅毒はときに様々な皮膚症状を呈します。また、その皮膚症状は痛みも痒みもないために、患者側が医療機関を受診せずに、そのうちに皮膚症状は消えていた、などということもよくあります。医学の教科書には、たしかに「梅毒はあらゆる皮膚疾患の鑑別に加えるべきである」と書かれていますが、実際の臨床の現場では、すべての皮膚疾患の患者さんに対して梅毒感染を疑うということはありません。

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では、「新しい彼氏(彼女)ができたから・・・」とか「結婚することになったので・・・」、あるいは「妊娠を考えているから・・・」という理由で梅毒の検査を希望する人がいます。そういう人たちの検査をして、「梅毒がみつかる」、ということがときどきあります。

 「梅毒がみつかる」というのは、正確に言うと2種類あって、1つは「現在感染していて他人に感染させる可能性がある」というケースでこの場合は直ちに治療を開始します。もうひとつは、「過去に感染していたけれども現在は治っていて他人に感染させることもない」というケースです。

 後者の場合、もちろん治療は不要で届出義務はありませんが、患者さんはびっくりします。「過去に感染していたなんて間違いじゃないですか。そんな覚えはありません」と言われるわけですが、こういうことはしばしばあります。

 なぜそんなことが起こるかというと、梅毒は感染しても必ずしも発症するわけではなく、自然に治ることもあるからです。また、梅毒の治療以外の目的で抗生物質を内服したり点滴したりすることがあり(例えば細菌性の腸炎や扁桃炎など)、その結果体内の梅毒の病原体が死滅した、という可能性もあります。

 患者さんによく聞いてみると、「そういえば、数年前に皮膚に発疹ができたけれど抗生物質を飲んでよくなった」と答える人がいます。こういうケースは、断定はできないものの、梅毒の診断はつかなかったけれども結果として梅毒が治癒した、という可能性が考えられます。そして、こういう場合は当然のことながら届出はなされていないのです。

 では、梅毒の感染者は実際にはどれくらいいるのか・・・。この点については次回お話したいと思います。

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その3

 前回は、梅毒の実際の感染者は報告数よりもはるかに多いんですよ、という話をしました。では、実際のところ、どれくらいの人が梅毒に感染しているのかを考えていきましょう。

 まず、梅毒の感染者がHIVよりも少ないなどということはありえません。HIVと異なり、梅毒は感染力が強く、オーラルセックス(フェラチオやクンニリングス)でも感染します。外陰部やペニスの根元に病変があることもありますから、コンドームをしていても完全に防ぐことはできません。また手や足に病変ができることもあり、この場合も痛みや痒みがないために患者さんが気にしていないことが多く、こういう人の手足に接触しても感染する可能性もあります。

 日本では、HIV感染は男性同性愛者に多いという特徴がありますが、梅毒は必ずしもそうではありません。おそらく全体の統計で言えば、梅毒も男性同性愛者が最多だとは思いますが、女性の感染者も、女性から感染した男性の感染者も珍しくはありません。実際、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でも、女性や男性の異性愛者から梅毒がみつかることは珍しくありません。

 私の印象でいえば、梅毒の感染者は少なく見積もってもHIV感染者の2倍にはなると思います。つまり、最低でも年間3千人程度は梅毒に新規で感染していると考えるべきだと私は思っています。さらに、感染して数年間が経過しているけれども自身の感染に気づいていない、という人を加えると数万人に上るのではないかと思われます。

 さて、増えている梅毒のなかで、大変気になることがあります。それは、母子感染による先天梅毒が増えているということです。先天梅毒の小児患者報告数は、1999年以降、2006年の10例が最多でしたが、2008年は8月27日の時点ですでに7例の報告があり、国立感染症研究所は「増加が懸念される」と述べています。

 先天梅毒が増えているというのは極めて奇異なことです。なぜなら妊婦さんは通常妊婦検診で梅毒の検査をおこなうからです。もしも妊婦さんに梅毒感染が見つかれば母子感染を防ぐような治療をおこないますから先天梅毒はありえません。にもかかわらず先天梅毒が発生し、しかも増加しているのは、おそらく「妊婦検診の後で感染している」ことが考えられます。また、梅毒の検査は、感染してから4週間程度経過しないとわかりませんから、このことが原因かもしれません。もしも今後も母子感染が増加するなら、妊婦検診の梅毒検査は、妊娠前期と後期の2回おこないましょう、ということになるかもしれません。

 梅毒は、以前は「死に至る病」でありましたし、母子感染で先天梅毒が発症すると奇形となることもあります。しかしながら、現在は有効な抗生物質がありますから、ちょっと乱暴な言い方をすれば「かかっても怖くない!」病気です。以前、ゲイの性感染症予防に携わっている人から次のような言葉を聞いたことがあります。

 「HIVやB型・C型肝炎はなんとしても防がなければならない感染症。だけど、梅毒は命をかけて予防しなければならない感染症ではないと考えています。だって完全に治るんですから・・・」

 この言葉は私にとって印象深いものでした。すべての性感染症を必要以上に恐れていればセックスができなくなるかもしれません。やはり正しい知識をもって正しい予防をおこなうことが大切なのです。

 梅毒の治療はいたって簡単です。抗生物質を飲むだけです。日本では、1ヶ月程度抗生物質を内服するのが標準的な治療です。参考までに、海外では注射を使って数日間で治します。私はなぜ日本の治療が世界の標準的な治療と異なっているのかを不思議に思っています。ただし、時間はかかるものの1ヶ月間の抗生物質の内服でまず治りますし、もし1ヶ月で治っていなければ抗生物質を変更すれば通常は治ります。抗生物質が効かずに梅毒が何年も治らない・・・、などということはありません。

 最後に梅毒をまとめておきましょう。

    1、以前は「死に至る病」であり世界中で恐れられていたが、現在は「治る病気」である。
    2、ただし感染力は強く、コンドームを使っても防ぎきれない。
    3、症状は皮膚症状が中心だが痛み・痒みがなく気づかれないことも多い。したがって、気になることがあれば検査を受けるべき。新しい彼氏(彼女)ができたときや結婚前、妊娠前には検査を受けるべき。
    4、妊婦さんは特に感染に注意が必要。
    5、治療は抗生物質を1ヶ月程度内服する。

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●性器ヘルペスに悩まないで!

    その1 2008年2月28日
    その2 2008年3月15日
    その3 2008年3月30日
    その4 2009年4月15日
その1

 今回はまず、以前に私が診察した症例をご紹介しましょう。(ただし、実際の患者さんとは年齢・職業などを含めてアレンジを加えています。似たような人があなたの周りにいたとしてもそれは偶然にすぎないということをお断りしておきます)

    ******************
 【症例 Aさん(29歳女性)】

 3日前から外陰部にピリピリとした痛みがあります。何かにかぶれたのかなと思って放っておくと、昨日はすごく身体がだるくなり微熱もあるような気がしました。またの付け根が腫れてきているようで、今日になりその痛みが強くなってきました。外陰部の痛みも強くなり鏡を使って観察してみると赤くただれています。歩くのも苦痛になってきたためこれ以上放っておけないと思って受診することにしました。

    ******************

 百聞は一見にしかず、です。このような症例は見ればそれだけで診断がつくことがあります。私は外陰部の皮疹をみた瞬間にそれが性器ヘルペスであることを確診しました。またの付け根の腫れ(両側鼠径部リンパ節腫脹)や発熱も性器ヘルペスの初発ではよくあることです。

    ******************

私 「あなたの病気は性器ヘルペスに間違いありません。何か思い当たることはありますか」

Aさん 「性器ヘルペスって・・・。わたしは彼氏としかセックスをしていませんし、彼氏がそんな性病をもっているなんて聞いたことがありません。それにコンドームは必ずしているんですよ!」

私 「分かりました。どのように感染したかはおいおい考えることにして、先にヘルペスウイルスを退治して、同時に痛みも取りましょう。薬を5日間飲んでください。飲み終わる頃にまた来てください。それから、彼氏にこれまでにヘルペスにかかったことがないかもう一度聞いておいてください。ヘルペスは性器以外にもできますからそのあたりも聞いておいてくださいね」

 一週間後・・・。

私 「症状はどうですか」

Aさん 「はい。薬を飲んだ翌日から症状がおさまってきて、今ではほとんどありません。あの薬、よく効くんですね。先生、わたしの病気は本当に性器ヘルペスなんですか。彼氏は性器ヘルペスになんかなったことがないって言ってましたよ。ただ・・・」

私 「ただ・・・、何ですか」

Aさん 「ときどき口の周りにヘルペスができるとは言ってました。けど先生、ここ1年間くらいはそれもなかったと彼は言っているんです。わたしの性器ヘルペスは彼の口からうつったんですか」

私 「その可能性は高いと思いますが、そう断定できるわけでもありません。彼氏以外との性交渉はないとおっしゃいましたね。では、その彼とお付き合いされる前に別の男性と交際されたことはないですか」

Aさん 「学生の頃に一度だけあります。けどその男性からも性器ヘルペスなんて聞いたことはありませんし、3年ほど付き合いましたけど口の周りのブツブツなんて見たことがありません」

   **************

 さて、Aさんの性器ヘルペスはいったいどのように感染したのでしょうか。Aさんは大手印刷会社に勤務するOLで、以前から風邪や湿疹などで私のところに何度か通院されています。私との間には、ある程度の信頼関係もあり、私に嘘を言っているようには到底思えません。 

 おそらくAさんは現在お付き合いをされている「彼氏」から感染しているものと思われます。では、なぜ性器ヘルペスを発症したことがなく、口唇ヘルペスは発症したことはあるもののAさんと性交渉をおこなうときには症状はなかったその「彼氏」から感染したのでしょうか。

 Aさんの話では、「彼氏」との性交渉にはいわゆる"クンニリングス(cunnilingus)"はあったそうです。おそらくこの行為で「彼氏」の口元に存在していたヘルペスウイルスがAさんの性器に感染したのでしょう。

 では、「彼氏」には口唇ヘルペスの症状がなかったのにもかかわらずヘルペスウイルスがAさんに感染したのはなぜなのでしょうか。

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その2

 性器ヘルペスを発症したことがなく、口唇ヘルペスを起こしたことはあるものの、Aさんとの性交渉のときにはまったく症状がなかった「彼氏」からAさんに性器ヘルペスが感染したのはなぜなのか・・・。それに対する解説を始める前に、Aさんの性器ヘルペスが「彼氏」から感染したのは100%間違いがないのか、について検討しておきましょう。

 結論から言えば、100%の確証をもってAさんの性器ヘルペスは「彼氏」から感染したとは断定できません。

 なぜなら、性器ヘルペスは「初感染」と「初発」は必ずしも一致しないからです。むつかしい言葉がでてきましたので解説を加えておきましょう。

 「初感染」とはヘルペスウイルスが体内に"初めて感染"することで、「初発」とは性器ヘルペスや口唇ヘルペスといった症状が"初めて発症"することです。多くの場合、初感染から数日から1、2週以内に水泡や発赤、痛みといった症状を発症します。しかし、そうでない場合もあるのです。

 例えば、脳梗塞で寝たきりの状態となり療養型の施設に10年以上入所している80歳の女性がいるとしましょう。その女性がある日突然性器ヘルペスを初めて発症することがあります。初めて発症するわけですからこれは「初発」です。ところが脳梗塞で寝たきりですから、数週間以内の性交渉などあるはずがありません。この女性は、若い頃に性交渉でヘルペスウイルスに感染しており、何十年の月日を経て80歳になってから初めて発症(初発)したわけです。

 こういうことはよくあるわけではありませんが、ときおり起こりえます。ということはAさんも現在の「彼氏」からではなく、学生時代に交際していた元カレ(ex-boyfriend)から感染していた可能性も完全には否定できないということになります。

 とはいえ、状況から考えてやはりAさんは現在の「彼氏」から感染している可能性が強いでしょう。それに、誰から感染したかといういわば"犯人探し"はヘルペスに関して言えばあまりおこなっても意味がありません。それよりも、これからAさんはどういったことに気をつけるべきかに注意を向けることの方が大切です。

 しかしその前に、性器ヘルペスを発症したことがなく、性交渉のときには口唇ヘルペスも発症していなかった「彼氏」からAさんにヘルペスウイルスがどのように感染したのかについてお話しておきましょう。

 ヘルペスウイルスの最大の特徴は「一度感染したら一生消えない」ということです。ヘルペスウイルスは非常に感染力が強く、他人との接触を通して皮膚や粘膜から感染します。そして一度感染すると二度と体内から消えることはありません。症状がなくなったとしても、ウイルス自体は身体の奥の神経節に潜んでいます。

 口唇ヘルペスでも性器ヘルペスでもあるいは他の部位のヘルペスでも、神経節からウイルスが体表にやってきたときに「再発」が起こります。しかし、神経節からウイルスが体表にやってくれば必ず「再発」が起こるわけではありません。

 神経をたどってウイルスが体表(口唇や性器)にやってきても何の症状もおこさずにまた神経節に帰っていくこともあるのです。症状が出ないわけですから、宿主(ヘルペスに感染した人)からすれば、まさかウイルスが体表にやってきたとは思わないわけです。遠いところからやってきたんだから"挨拶"くらいしていけよ、と思いますが、ヘルペスウイルスはときに"挨拶"なしに身体の奥に帰っていきます。

 "挨拶"がないということは「再発」がないということで、宿主からすればいいことのようにも思えますが、実際はその逆です。"挨拶"がないために「他人に感染させる」というやっかいな問題が起こるのです。

 Aさんの例に戻って考えると、口唇ヘルペスを起こしたことのある彼氏の身体の奥(神経節)からヘルペスウイルスが体表(口の周り)にやってきたのだけれど"挨拶"がなかったものだから彼氏はウイルスの訪問に気づいていなかった、そして彼氏も気づかないままヘルペスウイルスがAさんの外陰部に感染した、というストーリーが考えられるというわけです。

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その3

 Aさんの性器ヘルペスは、数日間の治療で完全になくなりました。しかし、Aさんの彼氏がそうであったように、Aさんの身体からヘルペスウイルスが完全に消えるということはありません。症状がおさまった後もAさんの身体の奥(神経節)に潜んでいるのです。

 ということは、Aさんも今後再発に気をつけなければなりませんし、ヘルペスウイルスが"挨拶"なしに体表にやってくることもあり、その場合はAさんも気づかないうちに他人に感染させてしまう可能性があります。

 Aさんは彼氏の口からヘルペスウイルスをもらって性器ヘルペスを発症しましたが、もしもAさんが彼氏以外の男性(女性でもいいですが)と性交渉をすれば、オーラルセックスで口唇ヘルペスを発症させてしまうこともあり得ます。もちろん腟交渉で男性のペニス(陰茎)や陰嚢に性器ヘルペスを発症させることもあり得ます。そして、この場合は、「コンドームをしていても」、です。

 性器ヘルペスは、皮膚と皮膚(粘膜)との接触によって感染しますから、コンドームはあまり意味がありません。コンドームは非常に大切な「性感染症から身を守るツール」ではありますが、性器ヘルペスに関して言えば、「ほとんど」とは言いませんが、あまり役に立つものではないのです。

 Aさんのようにクンニリングスで男性の口唇から女性の外陰部に感染するということもありますし、フェラチオで女性の口唇から男性のペニスに感染、という場合も珍しくありません。またコンドームを装着しての腟交渉で、女性の外陰部から男性の陰嚢やペニスの根元に性器ヘルペスがうつることもよくあります。コンドームに覆われていない部分が女性の外陰部に接触するからです。その逆に、男性の陰嚢やペニスの根元付近にやってきていたヘルペスウイルスが女性の外陰部に感染することもあります。

 では、Aさんはこれからどういったことに注意をすればいいのでしょうか。

 まずはAさんがヘルペスの再発を起こさないように注意することが大切です。再発しなくてもウイルスが体表にやってくることもあるんだから意味がないんじゃないの? と思われるかもしれませんが、やはり他人に感染させやすいのは再発を繰りかえしている人です。再発するということは、それだけ多くのウイルスが勢いよく体表にやってきているということですから、他人に感染させる可能性が高くなるのです。

 どのようなときに再発しやすいか、については、圧倒的に多いのが疲れていたり睡眠不足があったりするときです。アルコールの飲みすぎでも再発しやすくなると言われています。他の性感染症をおこしたときにも再発しやすくなります。口唇ヘルペスで言えば、紫外線も要注意です。ゴールデンウイーク前後の紫外線の量が増えるときや、スキー場での日焼けがきっかけで口唇ヘルペスが再発した、というのはよくあることです。

 体調管理や紫外線対策以外で最も気をつけなければならないのは「再発すればすぐに治療をする」ということです。この点は非常に大切です。性器ヘルペスは初発時には発熱や倦怠感などが出ることがありますが、再発の場合は、見た目にも少し赤くなる程度のことが多く、痛みやかゆみもたいしたことがありません。患者さんのなかには「少し痛がゆい程度でその症状をとるための薬もほしいと思わない」と言う人もいます。それに、この状態で何もせずに放っておいたとしても、数日のうちにそういった症状は消えていきます。

 しかし、症状がたいしたことがなく放っておいても消えるからといって、再発を繰り返すようになれば、それだけ他人に感染させる可能性が強くなっていると考えるべきです。再発の場合、軽症であれば塗り薬だけですぐに治りますし、気になるようであれば飲み薬を併用すればいいのです。

 体調に気をつけて、再発すればすぐに治療をおこなう、ということをしていてもそれでも再発を繰り返すようなら「再発抑制療法」をおこなうという方法もあります。これは、おおむね1年間飲み薬を1日1錠飲み続ける方法で、これをおこなうと飲み薬をやめてからも再発する可能性はグンと低くなります。ただし、可能性がゼロにはならず、大半の人が再発抑制療法をおこなうと再発しなくなるのは事実ですが、それでも再び再発をおこすという場合もないわけではありません。

 性器ヘルペスは再発が大変悩ましいことではありますが、なかには「初発から20年以上たったけど一度も再発していないし、他人にうつしたこともない」という人も実は大勢います。また、「初発以来、数年間の間は年に何度か再発していたけれども、ここ10年くらいは一度も再発していない」という人も珍しくありません。

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その4

 さて、性器ヘルペスに罹患すれば、ウイルスは一生消えることはなく、再発のおそれは常にあり、さらに症状が出ていなくても他人に感染させる可能性があります。その上、コンドームもあまり役に立ちません。患者さんのなかには、「じゃああたしは一生誰ともセックスできないの・・・」と考えてしまう人がいます。

 しかし、そうではありません。性器ヘルペスは誰もが感染する可能性のある感染症ですし、Aさんのように口唇ヘルペスにかかったことのある交際相手からうつることもよくあることです。

 性器ヘルペスにかかってしまったら、そのときは「これからは体調管理に気をつけよう。ヘルペスが再発すれば心身の調子がよくないっていう合図なのね」、というくらいに思うのがいいと私は考えています。

 そもそもヘルペスウイルスを保有している日本人は決して少なくなく、文献にもよりますがだいたい日本人の40~70%くらいはヘルペスウイルスを持っていると言われています。つまり、国民の2人に1人はこのウイルスを持っているのです。そして、性交渉などを介して他人にうつす可能性は決して低くないのです。

 参考までに、一昔前にはヘルペスウイルスを1型と2型に分けて考えることがありました。口唇ヘルペスは1型、性器ヘルペスは2型、というものです。現在でも遺伝子レベルの検査をおこなえば1型か2型かの鑑別はできますが、現実的にはあまり意味がありません。Aさんのようにオーラルセックスで口唇から性器に感染ということが珍しくないからです。もちろん、性器から口唇にうつることもよくあります。

 話を戻しましょう。1型もしくは2型のヘルペスウイルスを保有している日本人はおよそ2人に1人であって、(自慢する類のものでもありませんが)ヘルペスウイルスを持っていることはなんら恥ずかしいことではないのです。

 もしもあなたがヘルペスウイルスを持っていて、新しい彼氏(彼女)ができたとしましょう。そのときには、こう言えばいいのです。

 「あたしはヘルペスにかかったことがあるの。ヘルペスは症状が出ていないときにもセックスでうつることがあるから、あなたにもうつしてしまうかもしれないの。ヘルペスの再発は身体の不調だけじゃなくって精神的にしんどいときにも起こりやすいから、あたしに心配をかけないでね・・・」

 最後にひとつ、ヘルペスの注意点を述べておきます。これまで、ヘルペスウイルスは多くの人が持っていてささいなことで感染しうること、再発を繰り返すこともあるけれども症状は軽症であること、などをお話してきました。「なんだ、ヘルペスって全然怖くないんだな・・・」と思われたかもしれませんが、絶対に感染させてはいけないケースがあります。

 それは生まれてくる赤ちゃんに感染させる母子感染です。妊婦さんが出産時に性器ヘルペスを発症させていれば原則として経腟分娩はできません。この場合帝王切開での出産となります。ヘルペスウイルスは大人に感染してもたいした症状はでませんが、新生児に感染した場合は、ときに命にかかわる状態となりかねません。ヘルペスウイルスが髄膜や脳にまで広がることがあるのです。

 また、生まれてくる赤ちゃんだけではなく、乳幼児のヘルペス感染は放っておくと、ときに重症化することがありますから、乳幼児の身体のどこかに水泡や発赤ができれば早い段階で医療機関を受診すべきです。私の経験で言えば、ヘルペス性の口内炎でなかなか熱が下がらずに入院となった赤ちゃんを診察したことがあります。この例では、親御さんが単なる口内炎と考えて受診が遅れていました。

 最後に性器ヘルペスをまとめておきましょう。

1,性器ヘルペスは、口唇など性器以外の部位から感染することも多い。

2.性器ヘルペスの予防にコンドームはあまり役に立たない。

3.ヘルペスウイルスに感染すると一生ウイルスは体内から消えない。

4.いったんヘルペスウイルスに感染すると再発の可能性はいつもある。

5.ヘルペスウイルスに感染すると、再発していないときにも他人にうつすことがある。

6.身体や精神の不調があると性器ヘルペスを再発しやすい。

7.再発を防ぐことに気をつけると他人に感染させる可能性を低減できる。

8.再発防止には、体調管理と共に「再発すればすぐに治療」を守ることが大切。

9.ヘルペスウイルスを持っているからといってセックスできないわけでは決してない。

10.新生児や乳児への感染には注意が必要。

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●淋病の治療が変わります!

    その1 2009年4月30日
    その2 2009年5月15日
その1

 淋病(りんびょう)というのは、ありふれた病気ではあるのですが、ときに治療に困ることがあります。

 しかし、新薬の登場で比較的簡単に治る感染症となることが期待できるかもしれません。今回はその新しい淋病の治療についてお話したいと思いますが、その前に、ときに厄介なこの病気についておさらいをしておきます。

 まず、淋病というのは、そのほとんどが性感染症です。性的接触によって、男性から女性、女性から男性、あるいは男性から男性、女性から女性にも感染します。"性的接触"というものにはいろいろあり、腟交渉(腟性交)、肛門性交、オーラルセックス(フェラチオ(fellatio)及びクンニリングス(cunnilingus))などを通して感染することが多いのですが、ディープキスでうつることもあります。

 感染力は比較的強く、また症状が比較的出にくいことから、「何らかの症状があるから検査をする」ではなく、「リスクのある行為があったから検査をする」のが賢明です。以前は、男性の淋病(淋菌性尿道炎)と言えば、尿道口から膿(うみ)がでてきて排尿時には痛みが出ることが多かったのですが、最近ではまったく症状のない淋菌性尿道炎もまあまああります。

 男性の淋菌性尿道炎は、腟交渉ではなく、オーラルセックス(フェラチオ)で感染していることが圧倒的に多いと言えます。ときどき、腟交渉では感染するけどオーラルセックスでは感染しない、と思っている人がいますがこれは大間違いです。また、女性の淋菌性尿道炎はない、と思っている人がいますがこれも間違いです。女性の尿道炎や膀胱炎が治りにくかったり、症状が強かったりする場合、性的接触があれば淋病を疑う必要があります。

 女性の淋菌性子宮頚管炎は、8割から9割くらいはまったくの無症状です。よほど重症化するとおりものが緑っぽくなったりイヤな臭いがしたりすることもありますが、それほど多いわけではありません。ですから、不特定多数(もしくは特定多数)の性的パートナーがいるような人は、知らない間に何人もの男性に淋菌をうつしているかもしれません。

 男女とも、のど(咽頭)に感染するとほとんどが無症状です。かなり重症化して初めて症状がでますが、普通の咽頭炎とは異なり熱が出たり痛みがでたりすることはほとんどなく、「声が出にくくなる」という人がときどきいる程度です。また、男女とも肛門に感染するとほぼ全員が無症状です。

 結局のところ、どこに感染しても無症状の場合がまあまああるわけで、性的接触があり淋菌感染の可能性があると考えるなら、可能性のある部位すべてを検査しなければならないというわけです。

 ただ、淋病の検査というのは比較的簡単にできます。検査方法にもよりますが、例えば顕微鏡を使った検査であれば数分で結果が分かります。淋菌は特徴的なかたちをしているために特殊な染色をして顕微鏡で観察すればその場で発見できるのです。(実際の顕微鏡の写真を2枚ほど下にお示しいたします)

 しかも、現在の保険システムでは、1箇所だけ(例えば子宮頸部だけ)検査をしようが、3箇所(例えば、子宮頸部+咽頭+肛門)の検査をしようが料金は同じです。ですから、診察時には感染している可能性のある部位をすべて医師に伝えることが必要です。(*1)


写真1 30代女性(セックスワーカー)の淋菌性咽頭炎。写真に広く分布しているのが好中球と呼ばれる白血球で、淋菌は写真左上の方に、その好中球に貪食されている(食べられている)像が見られます。淋菌は真ん丸い形をしておりペアで存在しています(「双球菌」と言います)。この患者さんはまったくの無症状でした。


写真2 20代女性の淋菌性子宮頚管炎です。写真の左側に2箇所ほど淋菌が密集した部分があります。この女性は咽頭にも淋菌が見つかり、さらにパートナーの男性も淋菌性尿道炎を起こしていました。


注1:淋病の検査は、上に述べたように顕微鏡で直接淋菌を確認する方法の他にも、いくつかの検査法があります。検査法によって結果がでるまでにどれくらいの時間がかかるかが変わってきますので、詳しくは各医療機関にお問い合わせください。

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その2

 さて、淋菌感染が判れば治療を開始することになるわけですが、これまで淋病の治療には少々苦労することがありました。

 というのは、飲み薬の抗生物質では治らないことがまあまああるからです。点滴をすれば比較的短期間で治るのですが、すぐに点滴をおこなえば保険診療が認められないことがあるのです。飲み薬の抗生物質を飲んで治らなかったときに初めて点滴をしてもいいと考えられているというわけです。

 しかし、実際には淋病は飲み薬では治らないことが多く、日本性感染症学会のガイドラインには、「内服薬は無効例が多いので点滴もしくは注射が(初めから)必要である」という旨が記されています。にもかかわらず、淋病の診断がついたからといってすぐに点滴をおこなえば「過剰診療」とみなされ、保険診療が認められなくなってしまうことがあるのです。(淋病に限らず、ガイドラインどおりに検査や治療をおこなうと保険診療が認められないケースというのはよくあります・・・)

 ただし、飲み薬のみでも、男性の淋菌性尿道炎であれば(私の経験で言えば)9割以上の確率で治ります。(ただ、理由は分かりませんが、外国人から感染した場合や同性愛者の場合は治りにくいような印象があります) 一方、女性の淋菌性子宮頚管炎は飲み薬だけでは治らないケースがけっこう多いように思われます。また、男女問わず咽頭や肛門感染の場合は、飲み薬だけでは治らないことがしばしばあります。

 飲み薬で治らなければ点滴というかたちになるわけですが、いくら症状がない(もしくは軽度)といっても、このような病気は一刻も早く治してしまいたいものです。

 さて、今回のメインのお話は、「その淋病に画期的な飲み薬が誕生した!」というものです。ファイザー製薬から2009年4月6日に発売された「ジスロマックSR」という薬は、1回飲むだけで淋病が治ることが期待できます。「ジスロマック」は、これまでも錠剤タイプのものはあったのですが、これは淋病には適応がありませんでした。(「適応がない」というのは淋病に対して保険を使って処方できないという意味です。また、たとえ(保険外で)淋病に錠剤タイプのジスロマックを使ったとしても治らないことの方が多いと思われます)

 新しい「ジスロマックSR」はドライシロップが瓶に入っていて、そこに水をいれて飲みます。これまでの錠剤型のジスロマックに比べると、有効成分の量が倍で、実際の効果は倍以上であるとも言われています。また錠剤型のジスロマックはクラミジア感染症に対しては保険適応がありますが、治らないケースも最近はまあまあ増えてきており、淋病だけでなくクラミジアに対してもジスロマックSRの登場が待ち望まれていました。

 実際には、淋菌とクラミジアの両方に感染している患者さんは大勢います。そういったケースでは、これまでは淋病とクラミジアの治療を別々にしなければならなかったのですが、これからはジスロマックSRで両方同時に治せるというわけです。

 ただし、理論は理論であって現実とは異なるかもしれません。淋病やクラミジアを含めて性感染症というのは、元々自覚症状に乏しいケースがほとんどですから、治ったかどうか(菌が消えたかどうか)の確認を必ずしなければなりません。ジスロマックSRに期待しすぎて、「飲んだから治っているだろう」と考えるのは禁物です。

 よくあるのが、(特に男性で)症状がとれたから治っているだろうと早合点するケースです。「症状がとれた」と「菌が消滅した」とは同じではありません。実際には治っていないのに患者さんは治っていると思い込み"大切な人"にうつしてしまった、ということは本当によくあります。

 ジスロマックSRはたしかに画期的な新薬ではありますが、期待しすぎにも要注意というわけです。

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その1

 この病気ってほんとに精神的にしんどくなりますね・・・

 こんなに時間がかかる病気とは知りませんでした・・・

 あたしはいつになったら再発の不安から解放されるのでしょうか・・・

 これら3つの声は、いずれも尖圭(せんけい)コンジローマに罹患した患者さんのものです。一言で「性感染症」と言っても実にいろいろなものがあり、数回塗り薬を塗ればそれで終わるものから、生涯にわたりお付き合いしなければならないものまで様々です。

 今回お話する尖圭コンジローマという病気は、生涯にわたり付き合わなければならない、ということはありませんが、数週間から、長ければ数ヶ月にわたり治療(それも場合によっては痛みの伴う治療)をおこなわなければならないことがあり、さらに治ったとしても、しばらくの間は「再発するかもしれない」という状況が続く感染症です。

 患者さんの立場に立てば、冒頭で紹介したようなホンネが出てくるのは当然のことでしょう。

 では、このやっかいな尖圭コンジローマという病気についてご紹介していきましょう。

 尖圭コンジローマとは、一言で言えば「性器にできるイボ」です。通常は痛みも痒みもありません。治療についてお話する前にまずは病名について説明いたします。

 「尖圭コンジローマ」という病名は、一部の出版物やウェブサイトには「コンジローマ」ではなく「コンジローム」と書かれているものがあります。病名にこだわる必要はないのですが、最近では「コンジローマ」で統一される方向にあります。参考までに、この「~ーマ」というのは「腫瘍」という意味で、皮膚ガンで最もやっかいな悪性黒色腫は「マリグナント・メラノーマ」と言いますし、インスリンを過剰に分泌する膵臓にできる腫瘍のことは「インスリノーマ」と言います。

 尖圭コンジローマも「~ーマ」という病名が付いているわけですから、「腫瘍」ということになります。ときどき、「腫瘍です」というと「えっ、ガンってことですか」と言われる患者さんがいますが、腫瘍のすべてがガンではありません。悪性腫瘍はガンという言い方ができますが、尖圭コンジローマは悪性腫瘍ではなく良性腫瘍です。

 「良性腫瘍」という言葉も馴染みがないかもしれませんので少し説明を加えておきます。「悪性腫瘍」に対して「良性腫瘍」という言い方をするのですが、「悪性腫瘍」というのは放っておくとどんどん進展していき身体のあちこちに転移をし、やがて死に至ります。ですから、原則として「悪性腫瘍」に罹患すれば、手術や放射線療法、化学療法などを駆使して治療をおこなわなければなりません。もしも悪性腫瘍に罹患しているのに治療をしないという選択肢を選ぶとすれば、それは死を受け入れたことを意味します。

 それに対して良性腫瘍というのは、急激に広がるわけではなく必ずしも治療しなければならないというわけではありません。実際、何らかの良性腫瘍がみつかり、医療機関を受診して「これは良性腫瘍ですから経過観察は必要ですが必ずしも取らなければならないわけではありません」と言われた経験のある人は少なくないでしょう。よくあるのが、皮膚の良性腫瘍(軟線維腫や後天性色素細胞母斑(ホクロのこと))、また人間ドックでよく見つかるのが肝臓の血管腫です。

 しかし、尖圭コンジローマも良性腫瘍だから治療せずに経過観察だけでいいのかというと、そういうわけではありません。尖圭コンジローマは良性腫瘍ではありますが、診断されると原則として治療しなければなりません。(ただし、尖圭コンジローマの一部は、放置しておくと自然治癒する場合もあります)

 なぜ治療しなければならないかというと、自然治癒はそれほど多くの症例で期待できるわけではありませんし、イボそのものがごく小さなものであったとしても他人に感染させる可能性があるからです。感染させるのは、もちろん「性交渉を通して」です。性的接触以外で感染することはほとんどないと考えていいでしょう。

 名前について、もうひとつだけ注意点があります。尖圭コンジローマと似たような病気の名前に「扁平コンジローマ」というものがあります。扁平コンジローマと尖圭コンジローマはまったく異なる病気で、扁平コンジローマは梅毒に罹患したときに発症するものです。後で詳しく述べますが、扁平コンジローマと尖圭コンジローマは治療法がまったく異なりますから診断には充分な注意が必要です。

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その2

 感染経路について説明いたします。尖圭コンジローマが感染するのは、通常は外性器と外性器の接触です。クラミジアや淋病といった尿道炎や子宮頚管炎はオーラルセックス(フェラチオやクンニリングス)で簡単に感染しますし、B型肝炎や梅毒、あるいはHIVなどもオーラルセックスでうつることがあります。しかし、尖圭コンジローマはほとんどが外性器と外性器の接触です。

 "接触"というのは、なにもペニスを腟や肛門に挿入したときだけという意味ではありません。風俗店でいうところのいわゆる「スマタ」でも充分に感染します。尖圭コンジローマは基本的には性感染症のひとつですが、正確に言うと(粘膜も含めた)皮膚と皮膚との接触によります。ですからなにも「挿入」がないとうつらないというわけではありません。

 また、皮膚と皮膚との接触ですから、コンドームを使用していたとしても完全に感染を防ぐことはできません。なぜなら、コンドームに覆われないペニスの根元にはできることがあるからです。実際、男性のペニスの根元付近の尖圭コンジローマが女性の外陰部に感染することはよくありますし、もちろんその逆に女性の外陰部からペニスの根元にうつることもあります。つまり、尖圭コンジローマはコンドームで完全に防ぐことのできない性感染症なのです。

 尖圭コンジローマが起こる部位は、男性であれば陰茎が圧倒的に多く、陰嚢にできることはあまりありません。ただし、肛門は要注意です。男性の肛門の尖圭コンジローマは多くは男性同性愛者(のなかでも女役、いわゆる「ウケ」または「ネコ」、英語で言えば「bottom」)ですが、異性愛者が女性からうつる場合もあります。これは、おそらくは尖圭コンジローマの原因ウイルスであるHPV(子宮頚ガンをきたすHPVとは違うタイプのものです)が腟分泌液などに含まれていて、それが男性の肛門にまでたどりついて肛門に発生したものと思われます。また、男性の場合、尿道の中にもできることがあり、後述するようにこの場合はかなりやっかいです。

 女性の場合は、外陰部と腟の入口付近が圧倒的に多いのですが、やはり肛門にできることもあります。これはやはり精液などにHPVが含まれていて女性の肛門まで流れ着いたのでしょう。もちろん、肛門性交(アナルセックス)をすれば肛門にできることがあります。

 女性で要注意なのは、腟の中や子宮腟部(子宮の入口で腟の奥に位置した部位)にできたときです。通常、尖圭コンジローマは痛みも痒みもありませんから、腟内や子宮腟部にできたときは自身では分かりません。医師が腟の奥まで診察して初めて感染の有無が分かるのです。このため性的パートナーが尖圭コンジローマに罹患すると、自覚症状がまったくなくても、数ヶ月間は医療機関を受診して腟内に尖圭コンジローマができていないかどうかを確認しなければなりません。

 先ほど、尖圭コンジローマは外性器と外性器の接触が原因と述べましたが、まれに、オーラルセックスでも感染することがあります。フェラチオで男性器から女性の唇に感染することがあるのです。ただし、この場合、通常は尖圭コンジローマとは呼ばず、「口唇の尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)」と呼ぶのが普通です。「疣贅」というのは「イボ」のことで、尖圭コンジローマは「性器にできるイボ」と定義されることが多いために、口唇に感染したとしても尖圭コンジローマとは呼ばれないのです。

 外性器にできた尖圭コンジローマであれば、後で詳しく述べるように治療に時間はかかってやっかいではありますが、普通は他人からは見えないところに現れます。しかし、唇にできた場合は、感染した理由は他人からは分かりませんが、目立つところにできるわけですから、完全に治癒するまでは大変やっかいだと言えます。ですから、尖圭コンジローマの可能性が少しでもある相手に対してフェラチオなどをおこなえば後で大変苦労することになります。

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その3

 前回少しお話しましたように、尖圭コンジローマの病原体はHPVと呼ばれるウイルスです。HPVというのはヒトパピローマウイルス(human papilloma virus)のことで、100種類以上の亜型(サブタイプ)があることが分かっています。一部のHPVは子宮頚ガンの原因ウイルスであることはよく知られています。例えば、子宮頚ガンをきたす代表的なHPVは、HPVの16型と18型で、尖圭コンジローマをきたすHPVの代表は6型と11型です。ただし、どちらの原因にもなりうるHPVの型もあります。

 子宮頚ガンについては、いずれこのウェブサイトでも述べようと思いますが、すでにワクチンが開発されています。日本ではまだ認可されていませんが、世界100カ国以上で実用化されており、ワクチンでほぼ100%防ぐことができると言われています。子宮頚ガンのワクチンは複数の製薬会社で開発されており、一部は尖圭コンジローマをも防ぐことができる可能性があると言われています。(注:尖圭コンジローマを防ぐことのできるワクチン「ガーダシル」は2011年8月から日本でも使用できるようになりました)

 潜伏期間についてお話しましょう。性感染症というのは、ほとんどが自覚症状が出にくいものですから、危険な行為があってからどれくらいで発生するのかという点については注意しておく必要があります。この「どれくらいたてば検査できるか」については感染症ごとに違っており、例えば、クラミジアなら1~3週間程度、淋病なら2,3日から1週間程度、HIVなら2か月程度、といったように病原体ごとにだいたい決まっています。

 ところが、尖圭コンジローマの場合は、早ければ1週間程度で出現しますが、長ければ数ヶ月以上と言われています。私が診察した症例では、(患者さんの話していることが正しければ)、感染して数年たって初めて症状が出現したとしか考えられないケースもあります。

 このように、感染して(感染の機会があって)数年後に発症、となると、一度でもリスクのある性的接触があればその後何年も発症しないかどうか不安に思わなくてはならないということになってしまいます。(ただしこのように、感染数年後に、というのはごく稀な場合と考えて差し支えないと思われます)

 尖圭コンジローマに罹患していないかどうかはどのように調べるのかについてお話いたします。

 通常は、視診だけで診断します。要するに"見ればわかる"というわけです。ただし、本当にすべての尖圭コンジローマが"見ればわかる"のかと問われれば、なかには診断に悩む症例があるのも事実です。というのは、いつもいつも典型的なイボの状態を呈するとは限らないからです。

 尖圭コンジローマのイボは、「トサカ状」とか「カリフラワー状」と呼ばれることがあります。ホクロのような丸くて表面が平滑なできものではなく、表面がザラザラで、左右非対称で、イボの一部が出っ張っていることもありますし、複数あるときは形も大きさも様々なイボになります。一言で言えば「不均一なキタナい感じのするイボ」です。また、あまりに大きかったり数が多かったりすれば、独特の悪臭があります。少しの刺激で出血することもあります。

 このような典型例であれば、医師であれば見た瞬間にそれが尖圭コンジローマであることを確信できます。問題は、典型例でない場合です。陰茎や外陰部にイボがあるけども、典型的な尖圭コンジローマとは断定できない・・・。このような場合には安易に尖圭コンジローマと決め付けてはいけません。

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その4

 前にお話しましたように、尖圭コンジローマと似たような病気に扁平コンジローマというものがあり、この原因は梅毒です。梅毒については、以前このコラムでお話しましたように抗生物質で治ります。もしも、実際には扁平コンジローマであるのに、誤診して尖圭コンジローマと考え、尖圭コンジローマに対する治療をおこなってしまえば、治らないどころか、医療者が患者さんから梅毒に感染するリスクもでてきます。ですから、尖圭コンジローマと扁平コンジローマは絶対に誤診してはいけないのです。

 では誤診を避けるためにどうするのか。我々医療者は、扁平コンジローマの可能性が否定できないと考えた場合は、まずは梅毒の簡易検査をおこないます。医療機関にもよりますが、梅毒の検査は簡単な血液検査で30分から1時間程度でその場で分かります。ですから、扁平コンジローマを少しでも疑えば、まずは血液検査で梅毒感染の有無を調べるのです。

 扁平コンジローマ以外にも、尖圭コンジローマに似たイボがあります。患者さんが「尖圭コンジローマができたかもしれないんです・・・」と言って来院されたときに、単なる毛穴の隆起(ふくらみ)をイボと考えていたり、女性の場合であれば腟や外陰部のヒダの一部を指していたりすることがよくあります。これらはもちろん治療する必要がありません。

 ときどき、毛穴に細菌感染が生じ、炎症がおこっている場合があります。これは毛のう炎と呼ばれるもので、分かりやすく言えば「ニキビの親戚」みたいな状態です。この場合、赤みや痛みが強ければ抗生物質の塗り薬や飲み薬を処方することがあります。尖圭コンジローマには通常、痛みや痒みはありませんから、痛みや激しい痒みがあれば、それだけで尖圭コンジローマである可能性はほとんどありません。(ただし勢いよく尖圭コンジローマが増えるときに軽い痒みを感じることはあります)

 フォアダイスと呼ばれる状態があります。これは、脂腺(アブラがたまっている袋のようなもので誰にでもあります)が大きくなって腫瘍のように見える状態で、もちろん異常ではありません。陰茎や大陰唇・小陰唇にできて、大きなものであれば直径2~3mm程度になることもありますから、尖圭コンジローマかな?っと思われても無理もないかもしれません。これは、通常は医師が診察すれば分かります。

 男性の場合、このフォアダイスが冠状溝(亀頭のすぐ手前側の溝の部分)にできることがあり、これが大きいと尖圭コンジローマではないか・・・、と考える人がいます。しかし、冠状溝のフォアダイスは、日本人男性のおよそ半数が持っているとも言われており、何も気にする必要はありません。美容的な目的で切除を考える人もいるようですが、病気でもないものに対して手術をすることにはあまり賛成できません。(保険が利かず高額になりますし、手術にはそれなりのリスクも伴います)

 尖圭コンジローマと鑑別すべきものに、尖圭コンジローマ以外の腫瘍があります。多くは他人に感染させることのない良性腫瘍で、経過観察のみでかまいません。経過観察というのは、「大きくなっていかないかに注意を払う必要があるけれども直ちに治療する必要はない」、という意味です。同じ良性腫瘍の尖圭コンジローマに対してはすぐに治療をしなければならない最大の理由は「他人に感染させることを防ぐため」です。

 次回は、尖圭コンジローマではないけれども尖圭コンジローマに似ている良性腫瘍及び悪性腫瘍についてお話していきます。

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その5

 前回お話しましたように、尖圭コンジローマに似ている腫瘍の多くは良性腫瘍なのですが、なかには悪性腫瘍、もしくは悪性腫瘍に移行する可能性のある腫瘍もあります。

 臨床的にときどき遭遇するのが、ボーエン様丘疹症(bowenoid papulosis)と呼ばれるものです。これは、子宮頚ガンや尖圭コンジローマの原因ウイルスとして有名なHPVが原因であることが分かっています。ただし、尖圭コンジローマの原因のHPVとは違うタイプのものであることが多いようです。(しかし、ボーエン様丘疹症の原因HPVは16型であることがあり、これは子宮頚ガンの原因になることもあります。これ以上の説明は専門的になりすぎますのでやめておきます)

 ボーエン様丘疹症は、ゴマ粒くらいの大きさのイボがたくさんできて密集している(集簇化する)ことが多いのが特徴です。典型例の尖圭コンジローマのように表面がキタナイ感じはせずに、平滑な表面をしており同じくらいの大きさのイボがきれいに整列しているような印象があります。

 ボーエン様丘疹症は、放置しておくと悪性化する可能性があります。したがって、疑えば生検(腫瘍の一部を切り取って病理学的検査をおこなうこと)をおこなうこともありますし、確定診断をつけずに治療をおこなうこともあります。これは、尖圭コンジローマのときと同じような治療で治ることも多いからです。ただし、治療をしても改善しないような場合は、早めに外科的にすべてを切除することを検討すべきです。

 ボーエン様丘疹症ほどではありませんが、外陰ガンや陰茎ガン、肛門ガンなども症状出現初期には、尖圭コンジローマと見分けがつきにくいことがあります。ガンの場合であってもごく初期の小さな段階であれば、尖圭コンジローマと同様の治療で治癒することも期待できますが、ボーエン様丘疹症と同様、(尖圭コンジローマと同様の)治療を試みてもまったく改善しない場合は、早めにガンと考えて切除を検討するべきです。

 尖圭コンジローマと見分けがつきにくい腫瘍のなかに、悪性腫瘍、もしくは悪性化する可能性のある腫瘍がある、という話をしましたが、では、尖圭コンジローマは絶対に悪性化しないのか、という問題があります。これについては、「ほとんどない」というのが答えになります。「原則として悪性化しない」と書かれているものもありますが、放置しておくとゴルフボール大、あるいはそれ以上の大きさになることもあり、こうなると悪性化する可能性がでてきます。尖圭コンジローマが小さい段階であれば、悪性化することはまずありませんから、他のすべての病気と同様、早い段階で治療を受けるのが懸命です。

 ここまでを簡単にまとめておきます。

 まず、尖圭コンジローマを否定できない性器のイボがあれば医療機関を受診しましょう。イボがまったくなくても、女性の場合は腟の中や子宮の入り口など自分自身では見ることのできない部位にできることもありますから、性的パートナーに尖圭コンジローマがある(あった)場合や、複数のパートナーがいる方やセックスワークをしている女性は定期的に診察を受けた方がいいかもしれません。

 医療機関では、治療をする必要がないのが明らかな場合(たんなる毛穴の隆起やヒダ、フォアダイスなど)は、その旨を説明し、その時点で診察終了となります。扁平コンジローマの可能性があるときは梅毒の検査(血液検査)をおこないます。このとき梅毒陽性であれば扁平コンジローマと考えて梅毒の治療を開始します。

 尖圭コンジローマを視診で確定した場合や尖圭コンジローマを否定できないと考えた場合(ボーエン様丘疹症やその他良性腫瘍で尖圭コンジローマを完全に否定できないとき)には、尖圭コンジローマの治療をおこなうことになります。また、場合によっては尖圭コンジローマかどうかを正確に診断するために、生検(イボの一部を切り取って病理学的検査をおこなう)をすることもあります。

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その6

 尖圭コンジローマの治療にはいろいろあります。最も一般的なのは液体窒素の塗布です。これはマイナス196度の液体窒素を、綿棒などを使って尖圭コンジローマに塗布するというものです。手足や身体にできるイボ(正式には「尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)」と呼びます)におこなう治療と同じものです。

 なぜ、液体窒素を塗布するとイボが消失するかについてきちんと説明しようと思えばかなり複雑な機序になるのですが、簡単に言えば、マイナス196度の冷凍刺激でウイルス(HPV)を含んだ細胞を死滅させる、ということになります。窒素がウイルスそのものをやっつけるわけではありません。

 液体窒素療法の利点は、まず保険適用があり値段が安いこと、多少の痛みは伴うことがありますが麻酔を要するほどではないこと、きつく塗布しすぎると痛みが残ったり赤く腫れたりすることがないわけではありませんがこれらの副作用(副反応)はそれほど重症でないこと、ほとんどどの部位にでもおこなうことができること、などが挙げられます。(後述するように、尖圭コンジローマの特効薬として注目を集めているベセルナクリーム(一般名はImiquimod)は粘膜病変には使用できません)

 液体窒素療法は、男性であれば、陰茎、陰嚢、肛門周囲、尿道の先端など、どこにでも使うことができますが、綿棒が届かないほどの尿道の奥には用いることができません。女性の場合は、外陰部、会陰部(肛門と腟の間の部分)、肛門周囲、腟の入り口付近などには問題なく使えますが、腟の奥や子宮腟部(子宮の入り口付近)では、おこなうのが少し困難になる場合があります。小さい病変であれば、クスコ(腟を広げる器械)を挿入し視野を確保した状態で液体窒素を塗布できますが、あまりに大きければ初めから入院を前提として外科的切除を検討することになります。

 液体窒素療法は何回くらいおこなえば治癒するかについては、大きさや数、できた部位にもより一概には言えません。小さければ、一度の液体窒素療法だけで、他の治療を併用することなく治ります。大きければ、週に一度程度おこなうとして、1ヶ月から3ヶ月くらいかかることもあります。あるいはそれ以上かかることもありますが、効果に乏しい場合は他の治療との併用、あるいは外科的治療を考えます。

 2007年末に登場したベセルナクリームという塗り薬は尖圭コンジローマの特効薬として注目されています。後述しますが、尖圭コンジローマの外用薬は、これまでないことはなかったのですが、いずれも保険適用がなく、またそれなりに副作用を覚悟しなければならないものがほとんどでした。

 しかし、ベセルナクリームは日本でも保険適用で使える薬として認可され、実際に高い臨床効果を上げています。私自身もこれまで多くの患者さん(100人以上)に処方しており、高い効果を実感しています。ただ、この薬は使用方法にそれなりの注意が必要です。

 まず、毎日使うことはできません。週に3回のペースで塗布します。通常は寝る前に塗布して起床時に洗い流します。これは面倒かもしれませんが、きちんと洗い流さないと皮膚が痛くなったり赤く腫れあがったり、もっと重症化するとただれてくることもありますから、しっかりと洗い流す作業は忘れてはいけません。ときどき、尖圭コンジローマを早く治したいという気持ちから、わざと洗い流さないようにする人がいますがこれは危険です。

 週に3回のペース、数時間後に洗い流す、というルールを守っていたとしても、赤みや痛みといった副作用が出ることがあります。こうなれば使用を継続するわけにはいかず、ベセルナクリームは以後使えない、ということになります。ただ、実際には、洗い流すまでの時間を短くする、塗布する量を少なくする、などして、しばらく休薬した後にあらためて使うこともあります。多少の副作用を覚悟してでも使用を再開したいと患者さんの方が考えるくらいですから、この薬の効果はかなり高いと言えるでしょう。

 ベセルナクリームは粘膜病変に使えないという欠点があります。男性であれば尿道には使用できません。女性の場合は、使える部位が外陰部(だいたい大陰唇の外側くらいと考えればいいでしょう)や会陰部、肛門周囲には使えますが、腟の入り口や腟内には使用することができません。

 液体窒素療法もベセルナクリームも、保険適用があって、なおかつそれなりに高い効果が期待できますから、これらを併用することもあります。(ただし症例によっては併用は保険が認められないことがあります)

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その7

 ベセルナクリームが登場してからは、他の塗り薬が使われるケースはあまりないと思われますが、他の外用薬についても簡単に紹介しておきます。

 抗ガン剤の塗り薬が使用されることがときどきあります。抗ガン剤は、効くときには劇的に効くこともあって、以前は難治性の尖圭コンジローマに試してみることがありました。ただし、保険適用がないためそれなりに高額な治療になることと、副作用のリスクからそれほど積極的に推奨されていたわけではありません。よくある副作用にただれや痛みがあります。ガンに対して使うくらいの薬ですから、こういった副作用は充分ありうるのです。

 他の塗り薬としてはポドフィリン溶液、トリクロロ酢酸溶液、ジクロロ酢酸溶液といったいわゆる「腐食剤」があげられます。私の経験としては、ポドフィリン溶液をタイのエイズホスピスでボランティア医師をしていたときによく使いました。当時、その施設にはベセルナクリームも液体窒素も抗ガン剤もなかったからです。ポドフィリン溶液は上手くいけば劇的に治ることもあるのですが、塗布しすぎると皮膚がただれてきてやけどをしたような状態になってしまうため"さじ加減"が非常にむつかしいのが難点です。日本でも使われることがあるかもしれませんが保険適用はありません。

 尖圭コンジローマが、初診の時点で、極端に大きかったり、尿道の奥深くにあったり(男性)、あるいは腟の奥や子宮腟部に巨大なものがあって、初めから外科的治療が望ましいと考えられる場合は、入院を前提として病院を紹介するようにしています。(クリニックによっては外来でおこなっているところもあるようです)

 外科的治療には、電気焼灼をしたりレーザー切除をしたり、あるいはメスで切り取ることもありますが、いずれも麻酔をすることが前提となります。ごく小さい範囲であれば局所麻酔だけでも可能な場合もありますが、多くの場合は腰椎麻酔が必要となります。静脈麻酔を併用することもあります。ただし、全身麻酔まで必要となることはあまり多くありません。

 外科的治療の最大のメリットは、「とりあえずは一度の治療で治る」、ということです。液体窒素療法やベセルナクリームでは一度で治ることはあまりなく、多くは週に一度か2週に一度程度受診してもらうことになります。ですから、一気に治してしまいたい、という場合には外科的治療が最適といえるかもしれません。

 「とりあえずは一度の治療で治る」というのは、治るのは治るのですが、再発の可能性はあります。もっとも、ある程度の時間をかけて液体窒素療法やベセルナクリームで治した場合でも、再発の可能性はあります。外科的治療をおこなった場合、症例にもよりますが、傷跡が残ることがあり、再発して再び外科的治療をしてまた傷跡が残って・・・、となってしまうと見た目に悪くなってしまうことがあります。一方、液体窒素療法やベセルナクリームの場合は、普通は「跡形もなく治る」わけで、この点においては、外科的治療は少し分が悪いかもしれません。

 尖圭コンジローマの最もやっかいな点は「再発」であると言えます。何度もクリニックに通って液体窒素療法の治療を受け、あるいは自宅でベセルナクリームを塗布して洗い流して、やっと治ったと思っても、再発の可能性があるのです。これは、外科的治療をおこなった場合でも同様です。特に入院をした場合は、入院の保証人を立てなければならないのが普通ですから、あまり人に知られたくない病気を両親などに話すことになるわけで、そこまでたいへんな思いをしたのに再発・・・となると、精神的にしんどく感じる人もいます。

 どれくらいの割合で再発するかについては、私の経験で言えば、だいたい3割くらいの人は再発します。再発するとすれば1から2ヶ月くらいの間に起こることが多いのですが、なかには半年ほどたってから再発するという場合もあります。症例によっては、数年後に再発という場合もあるようです。(ただし新たに感染したという可能性もあるかもしれません)

 男性は再発したかどうかは自分で分かりますが、女性の場合はたいへんです。腟内は自分で診察することができませんから、何の症状もなくても治癒してから数ヶ月の間は医療機関を受診しなければならないのです。

 ただし、再発したとしても、また同じ治療を繰り返し、再発すればすぐに治してまた再発すればすぐに治して・・・、ということを続けていればそのうち再発しなくなります。尖圭コンジローマの再発に何年も苦しんでいる、という患者さんを私はみたことがありません。

 ですから、精神的にしんどくなるかもしれませんが、「時間がかかることはあるけれども治る病気なんだ」ということをしっかりと認識して、あまり悲観的にならないようにすることが大切です。

 最後に尖圭コンジローマについてまとめておきましょう。

    HPVというウイルスによる感染症で皮膚と皮膚の接触で感染しうる。
    コンドームで完全に防ぐことができない。
    疑えばまずは医療機関を受診することが大切。放っておけば(稀ではあるが)ガン化する可能性も。また見た目は尖圭コンジローマと同じような腫瘍で悪性のものもある。
    治療は液体窒素療法とベセルナクリームが中心。また外科的治療もある。
    もっともやっかいなのは再発が多いということ。治癒しても数ヶ月の間は注意深い観察が必要。
    再発は多いが必ず治る病気である。治療はときに長引くし精神的にしんどくなることもあるが諦めないこと!!

参考:(医)太融寺町谷口医院のウェブサイト はやりの病気第97回(2011年9月)「新しいHPVワクチンと尖圭コンジローマ」

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●いわゆる"雑菌"の病気

    その1 2009年9月15日
    その2 2008年9月30日
その1

 少し前に次のような患者さん(以下Aさん)が来られました。

 「先生、あたし、おりものの臭いが気になったんで、また先生にみてもらおうと思ったんですけど、最近忙しくて時間がなかったんで、自宅で検査ができるキットっていうもので検査したんです。自分で綿棒を腟の中に入れて検査するんですけど、それで、クラミジアも淋病もカンジダもトリコモナスもかかってないっていう結果になったんですけど、おりものの臭いは普通じゃないんですよ。あたしは絶対何かの病気にかかってると思うんです・・・」

 ときどきこのようなことを言われて受診する人がいます。私自身はよく知らないのですが、インターネットで検査キットを取り寄せて、自分で検査をしてそれを郵送すると数日後にネット上で結果がわかるようなシステムがあるそうなのです。

 これは、たしかに忙しくて病院に行く時間がない人には便利なツールかもしれません。けれども、この患者さんのように、検査結果に疑問を抱いて結局クリニックを受診する患者さんがときどきいます。

 それで、Aさんは性感染症にかかっていなかったのでしょうか・・・。

 診察した結果は、かかっているともかかっていないとも言えない状態でした。かかっているともいないとも言えない状態とはどういうことか・・・。説明をしていきます。

 しかし、その前に、この自分で検査をするキットの信憑性について検討してみましょう。

 冒頭の患者さんとは別の患者さん(以下Bさん)が来られたときの話です。Bさん(女性)には複数のパートナーがいて、定期的に性感染症の検査をしています。Bさんは知り合いにすすめられた「自宅で検査するキット」を購入してみたそうなのです。

 Bさんによると、綿棒のようなものが2本入っていて、1本は腟の奥に入れておりものを取り、もう1本は咽頭をぬぐうそうです。

 Bさんがこれを見てどうしたか・・・

 とりあえず、自分自身で1本の綿棒を腟の奥におそるおそる入れてみたそうです。しかし、奥まで挿入するのが怖くなって途中でやめたと言います。けれど、それでも綿棒の先におりものが付着していることを確認してとりあえずOKとしました。

 次に、もう1本の綿棒で喉をぬぐおうと試みたのですが・・・。鏡で喉の位置を確認したのはいいのですが、自分の喉に綿棒を当てることが怖くてどうしてもできなかったそうです。結局、Bさんはこのキットを使うことを諦めてしまいました。

 結局Bさんは高価な検査キットを買ったものの利用することができなかったことになります。私がこの話を聞いて、「問題」と思ったことは2つあります。

 1つは、クラミジアや淋菌による子宮頚管炎というのは、正確にはおりものの検査では分かりません。ある程度重症化して、クラミジアや淋菌が増殖し、おりものに混ざるようになれば検出可能ですが、感染初期、もしくは感染してから時間がたっていても菌の量が少なければ、おりものの中には菌が見つからない可能性があります。

 通常、子宮頚管炎というのは文字通り子宮頚管に細菌がいないかどうかを調べます。自分で綿棒を腟の奥に挿入すると自動的に子宮頚管に到達すればいいのですが、実際にはそんなことは不可能です。これは他人にしてもらっても不可能です。

 なぜなら、通常子宮頚管というのは、外(腟の入口の方向)を向いておらず、腟の上や下の方に曲がっていることが多いからです。医師が診察するときには、まずは子宮頸部を露出することから始めます。腟鏡(クスコ)と呼ばれる金属製(もしくはプラスティック製)の医療器具を使って、ある程度腟を広げて子宮頸部と子宮頚管を目で確認します。そして、ゆっくりと綿棒を子宮頚管に挿入していきます。この作業は腟鏡を使わなければ絶対にできません。

 Bさんがおこなった自己採取では、もしもクラミジアや淋菌がある程度増殖していて、おりものに混じっていれば検出できる可能性がありますが、菌量が少ないときは見逃してしまいます。つまり、本当はかかっているのにかかっていないという結果が出ることになります。

 2つめの「問題」は喉の検査です。Bさんは自分の喉を綿棒でぬぐうことが怖くてできなかったそうですが、これは、もしもできたとしても正確ではない可能性があります。

 通常、人にもよりますが、喉を綿棒でこすると、オエッと吐き気が起こります。ですから、我々医師が患者さんの喉を綿棒でこするときは、吐き気が起こらないようにごく短時間でこの作業をおこないます。

 しかし、咽頭及び扁桃というのはけっこう面積が広くて、すべての部位をぬぐうことは実際にはできません。そこで我々医師はどうしているかというと、まずは咽頭全体を眺めて最も感染していそうな場所、要するに最も赤いところ、最もあれているところなどを確認します。そして患者さんにリラックスするよう言い、精一杯大きな口を開けてもらい、狙った部位数箇所を素早く綿棒でぬぐいます。

 この作業は医師であっても慣れるまでに相当な訓練が必要です。クラミジアや淋菌による咽頭炎というのは、絶対に他人にうつしたくないと患者さんは考えていますから、見逃すようなことはあってはならないわけです。ですから、簡単そうに見えるかもしれませんが、この作業をおこなうときには実は医師の方もけっこう緊張しているものなのです。

 要するに、クラミジアや淋病の検査をおこなうときは、充分に注意して感染している可能性のある部分を狙って採取しなければ、検査結果が正確とは言えないわけです。

 次回はAさんのケースについて解説していきます。

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その2

 前回は、自宅でおこなう検査キットは使用が大変むつかしく、せっかく検査しても正確さにかける可能性がある、というお話をしました。

 今回は、前回紹介しましたAさんの実際の結果についてお話します。

 Aさんは、自宅でおこなう検査キットで、クラミジア、淋病、カンジダ、トリコモナスのすべてが陰性だったのにもかかわらず、おりものの臭いがおかしい、と言って来院されました。

 ではAさんの検査結果が、前回お話したような理由、要するに検査の信憑性が低いために間違っていたのかというと、そういうわけではありませんでした。私が診察した結果も、検査キットと同様、これら4つの感染症にはかかっていませんでした。

 では、Aさんは感染症にかかっていなかったのでしょうか。答えは"否"です。

 私の診察結果は、「細菌性腟炎及び非特異性子宮頚管炎」というものです。言葉がむつかしいように感じますが、一般的には「腟内や子宮の入口に雑菌が多いですよ」と言われるものです。

 そもそも、子宮頚管や腟内で"悪さ"をする細菌というのはクラミジアと淋菌だけではありません。ちょっと例をあげてみると、大腸菌、レンサ球菌、ブドウ球菌、・・・、とたくさんあり、なかには悪臭を放つ細菌もいます。

 では、これらひとつひとつの検査をクラミジアや淋菌のように検査をしなければならないのかと言えば、そういうわけではありません。なぜ、クラミジアや淋菌がやっかいなのかというと、この2つの菌は比較的子宮頚管で増殖しやすく、放っておけば子宮から卵管、さらに腹腔内にまで広がることがあるからです。有名な(有名ではないかもしれませんが)Fitz-Hugh-Curtis症候群という病気は、クラミジアが肝臓にまで波及した結果起こる病気です。ですから、なんとしてもクラミジアや淋病は早期に発見しなければならないのです。

 それに対して、これら2つ以外の菌は、通常はそれほど重症化せずに、菌の量が増えたとしても、性交痛やおりものの異常(量が多い、臭いがおかしい)が起こるだけという場合が多いのです。そして、こういったクラミジアと淋菌以外の細菌を便宜上"雑菌"と呼んでいるわけです。

 では、これら"雑菌"は放っておいていいかと言うと、あまり量が増えすぎるとよくありません。性交痛もおりものの悪臭も、患者さん自身だけでなくそのパートナーも困るのは明らかでしょう。

 性感染症の検査を受けると、「雑菌が多いですね」と言われる以外にも「炎症が強いようです」と言われることがありますが、これもだいたいは同じ意味です。要するに"雑菌"が増えることによって膣壁や子宮に炎症が起こるわけです。「炎症」という言葉はむつかしいかもしれませんが、風邪をひいたときに喉が痛くなる様子を想像すれば分かりやすいと思います。つまり、風邪のときの喉の腫れと同じような状態が子宮や膣壁でおこっているというわけです。

 "雑菌"の治療はどうするのでしょうか。クラミジアや淋菌とは異なり、"雑菌"の場合は、たいていは標準的な抗生物質の腟錠もしくは飲み薬を使えばすぐに治ります。ただし、治っているかどうかの確認検査は念のためにしておいた方がいいでしょう。一方、クラミジアと淋菌に対しては効果のある抗生物質が決まっていて、それらとは別の系統の抗生物質を使えば治らないことが多いのです。

 医師が腟内や子宮頚管の細菌の検査をおこなうときは、クラミジアと淋菌に加え、"雑菌"の量と炎症の程度をみていることになります。もちろん、細菌以外の病原体であるトリコモナスやカンジダも必ず確認しています。

 ただし、この"雑菌"というのは少しでも見つかればすぐに治療というわけではありません。腟の中が無菌という人はいません。どんな人にもいくらかの細菌はいます。

 この腟内に生息する細菌の中には、いくらいても構わない、というか、むしろ存在するのが好ましい細菌もいます。一番有名なのは乳酸桿菌(デーデルライン桿菌)で、これは「善玉菌」と呼ばれることもあります。この善玉菌が多ければ悪い細菌("雑菌")が腟内に入ってくるのを防いでくれます。

 よく、「腟内は洗わない方がいいよ」と言われることがありますが、これは腟内を洗浄することによって、人間にとって味方である善玉菌も洗い流すことになるからです。

 しかし、「腟内は洗わない方がいい」というのはその人の環境にもよります。性交渉の相手が特定のひとりだけであり、なおかつ不潔なセックスをしていなければ、確かに洗浄しない方がいいでしょう。一方、もしも複数のパートナーがいたり、セックスワークをしていたりすれば、善玉菌の活躍だけでは悪玉菌("雑菌")の進入を防ぐことはできないと考えるべきです。こういった場合は、善玉菌に頼らずに適度に洗浄する方がいいでしょう。

 さて、話をAさんに戻しましょう。

 私が診察した結果、Aさんは"雑菌"による腟炎と頸管炎をおこしていました。菌の量はかなり多くて、炎症の程度もかなり強かったので、私は5日分の抗生物質の飲み薬と腟錠を処方し、1週間後に来院するように言いました。

 1週間後、Aさんは「すっかり臭いがなくって元の状態になりました」と言って診察にやってきました。腟内と子宮頚管を綿棒でぬぐいそれを顕微鏡でみてみると、あれほど多量にあった細菌像が大きく減少し、炎症の程度も大きく改善していました。これで「治癒」です。

 最後に"雑菌"は性感染症か性感染症でないかについてお話しましょう。

 これはどちらの場合もあります。性交渉がなくても寝不足や疲労、精神的ストレスなどがある場合は、身体の抵抗力がおちて、腟内の"雑菌"が増えることがあります。(抵抗力が落ちると"雑菌"ではなくカンジダが増えることもあります)

 したがって、"雑菌"による腟炎や頸管炎は性感染症でない場合も多々あります。しかし、Aさんが性感染症を疑っていたように、実際には性行為によって、男性のペニスや指、あるいは唾液に付いている細菌が腟内に入り込んだ結果であることも多いわけです。

 性行為があろうがなかろうが、性感染症であろうがなかろうが、おりものの異常や性交痛があれば、医療機関を受診するのが最も得策です。

"雑菌"の量の多さや炎症の程度、そして治療が必要かどうかは、「自宅でできる検査キット」ではまったく分からないのです。

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●カンジダをきたす3つの要因

    その1 2009年10月15日
    その2 2009年10月30日
    その3 2009年11月13日
その1

 性感染症について書物やインターネットを使って調べると、必ず「カンジダ」という文字がでてきます。けれども、「カンジダ」が実際に性感染症である場合というのは、私の印象で言えばごくわずかです。性感染症ではなく、他の原因でカンジダが発症していることが、特に女性の場合は大半であろうと感じています。実際に処女の女性がカンジダで医療機関を受診することも珍しくはありません。

 今回は、カンジダという感染症は、実際のところ、どのように発症しているかについてお話したいと思います。

 しかしその前に、「カンジダ」とは何者でどのような症状をもたらすのかについて確認しておきたいと思います。

 カンジダは生物学的には真菌に属します。真菌というのはひらたく言えば「カビ」のことです。つまり、カンジダはカビの一種だというわけです。

 よく言われるように、カンジダに罹患すると、女性の場合、おりもの(帯下)に異常がでます。「酒かす様」、「チーズ状」などと表現されることがありますが、これらはある程度重症化した場合です。初期であれば、「なんとなくおりものが多い」「おりものの性質がいつもと違うような気がする」くらいであることが多いと言えるでしょう。また、診察するとそれなりに重症であるのにもかかわらず、患者さんは「無症状」のこともあります。

 おりものの異常よりも痒み(かゆみ)が先に現れる場合もあります。この場合も、初期は「なんとなく痒い」程度であって、ある程度病状が進行しないとはっきりとした痒みは出ません。また、「痒み」ではなく「痛み」あるいは「痛がゆい」と言う人もいます。

 おりものの異常、痒み(痛み)のどちらが強くでるかは、カンジダが主にどこを主として発症するかによります。外陰部がメインなら痒みや痛みから始まりますし、腟内に発症すれば、まずはおりものの異常から始まることが多いと言えるでしょう。外陰部と腟内のどちらが多いかを比べると、やはり腟内で先に発症するケースの方が多いと言えます。カンジダはカビの一種ですから、よりジメっとした腟内の環境の方を好むのです。腟内で発症したカンジダが広がって外陰部にまでやってきて、それで痒みがでてくる、というのがよくあるパターンです。

 他の性感染症、例えば淋病やクラミジアといった感染症に比べると、カンジダは重症化することは普通ありませんし、飲み薬を使わなくても大半は腟錠と塗り薬で治ります。ときどき、どうしても腟錠を使えないという人がいて、そのような人には飲み薬を使うこともあります。ただし、飲み薬は全身に作用しますから胃がむかつくといった副作用が起こることもありますし、また一般にカビの飲み薬は値段が高いですから、できるだけ腟錠と塗り薬だけでの治療を考えます。また、軽症であれば何もしなくても自然に治ることもあります。

 ところで、「カンジダが治る」とはどういうことでしょうか。

 カンジダが治るというのは、腟と外陰部に存在するカンジダ菌が全滅することじゃないの・・・。このように考える人もいるでしょうが、これは正しくありません。なぜなら、カンジダという菌(真菌)は、いわゆる「常在菌」だからです。

 「常在菌」というのは、どんな人も少しは持っている菌(真菌)のことです。一般に、細菌や真菌というのはすべてが"悪"というわけではありません。例えば、腸内に存在している常在菌は100種類以上、数で表すと100兆個以上にもなると言われています。これらは「善玉菌」と呼ばれ、悪い菌が繁殖できないように幅を利かせているばかりか、消化吸収の手助けもしてくれます。つまり、人間にとっても腸内の善玉菌は必要な細菌であり人と細菌が助け合って「共存」していると言えるわけです。

 前回のコラムで紹介しました腟内の乳酸桿菌(デーデルライン桿菌)も腟内に居座ることにより悪い菌の侵入を防いでくれています。ですからこの菌も「善玉菌」と呼ばれるわけです。

 一方、カンジダの場合は人間と助け合っているわけではないかもしれませんが「共存」はしています。カンジダと聞くと、外陰部もしくは腟のカンジダ症が最も有名ですが、実はカンジダは体表ならどこにでもいる可能性があります。入院中でお風呂に入れない患者さんの体にカビが生えることがときどきあり、そのカビの正体は水虫で有名な白癬菌であることが多いのですが、カンジダ性の皮膚炎もあります。また、爪の真菌症と言えば、爪の水虫(爪白癬)が最も有名ですが、カンジダが爪で増殖することもあります。

 カンジダは口角や口の中に感染することもあります。特にステロイドを内服していたり、喘息などで吸入していたりすれば口の中にカンジダが出現することは珍しくありません。

 さて、以上を踏まえると「カンジダが治る」ということは、外陰部や腟内のカンジダ菌が全滅することではないということがお分かりいただけると思います。つまり、外陰部や腟内に少しくらいカンジダ菌が生息していたとしても、それだけで直ちに痒みやおりものの異常が出現するわけではありませんし、ほんの少しでも存在すれば必ず治療しなければならないというわけではありません。

 前回のコラムで"雑菌"による腟炎や子宮頚管炎は、"雑菌"が存在するかどうかではなく量と炎症の程度で決まる、というお話をしましたが、カンジダもこの場合と似ています。要するに程度の問題であるというわけです。

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その2

 カンジダがどのように発症するかについてみていきましょう。

 まず、カンジダの発症の原因として最も多いのが、「免疫力の低下」です。これは「抵抗力の低下」と言われることもあり、要するに体が弱っていることを意味します。人間は健康であれば少々病原体が侵入してきても自らの免疫力でその病原体をやっつけることができます。しかし、何らかの理由でその免疫力が損なわれれば、普通であればやっつけることのできる病原体に、逆にやられてしまうことがあるのです。

 カンジダの場合、常在菌であり一定量以上は仲間を増やすことがないのですが、これは人間には免疫力があるからです。つまり、カンジダが仲間を一定量以上に増やしかけると人間の免疫力がそれにストップをかけるというわけです。

 ところがその免疫力(抵抗力)が損なわれると、カンジダとしては敵(人間)が弱ったことに気づいて仲間を増やしていくわけです。これが病気としての「カンジダ症」ということになります。

 前回も述べましたが、カンジダは腟や外陰部が最も有名ですが、皮膚(体表)や口角、口腔内、陰茎、肛門粘膜など様々なところに感染します。エイズなどで免疫力が極端に下がった場合は、食道や肺、さらに血流に乗って全身に感染することもあります。

 では、どういうときに免疫力が低下するのでしょうか。

 よくあるのが寝不足、過労、疲労などです。実際、このような状態が続いたときにカンジダが発症した経験のある人は少なくないでしょう。私が診ている患者さんのなかには、残業が続いたとき、出張が続いたとき、試験前に徹夜をしたとき、などにきまってカンジダを発症する、という人もいます。

 また、精神的なストレスも要注意です。精神的ストレスは思いのほかやっかいですが、これは身に覚えのある人も少なくないでしょう。ストレスが蓄積されると風邪をひく、というのがその典型ですが、カンジダにもなりやすくなるというわけです。

 このことを逆から見てみると、「カンジダを発症するということは身体もしくは精神上のトラブルがあるかもしれない」と言えるかもしれません。以前、性器ヘルペスの連載のときに、「性器ヘルペスの再発は健康状態のバロメーターになる」という話をしましたが、カンジダも同じように考えることができます。つまり、カンジダが発症した場合、身体及び精神上に何か問題を抱えていないかどうか見直すべき、と考えられるというわけです。

 カンジダが発症する2つめの理由は「抗生物質の内服」です。腟の中にはデーデルライン桿菌などの善玉菌が存在しているのが普通ですし、危険な性交渉の結果、淋菌やクラミジアに感染することもあります。また、以前紹介しましたように、いわゆる"雑菌"がたくさん生息していることもあります。

 淋菌やクラミジア感染、さらに好ましくない"雑菌"がいたときには抗生物質を使います。軽度の"雑菌"による腟炎や子宮頚管炎であれば、抗生物質入りの腟錠を用います。ある程度重症化していれば飲み薬を使うこともあります。また、淋菌やクラミジアの場合は、腟錠では治りませんから、初めから飲み薬を使います。あまりにも重症であれば点滴をおこなうこともあります。

 抗生物質は細菌をやっつける薬ですが、ターゲットにした菌だけをやっつけるわけではありません。例えば、クラミジア感染が発覚し、クラミジアをやっつけることのできる抗生物質を飲んだとしましょう。すると、その抗生物質はクラミジアだけでなく体内に生息する他の細菌も殺すことになります。

 よく抗生物質を飲むと下痢をするのは、その抗生物質によって腸内の善玉菌まで死滅するからです。腸内の消化吸収には善玉菌の存在が不可欠であり、善玉菌が少なくなると下痢をしてしまうのです。ですから、どんな抗生物質(内服の場合)であれ、副作用としての下痢は起こることがあるのです。

 抗生物質は腟内の細菌もやっつけます。クラミジアを治すことを目的に抗生物質を飲んだときクラミジアだけでなく、他の好ましくない"雑菌"もやっつけてくれます。これだけを考えると悪くないのですが、同時に善玉菌も死滅します。腟内の細菌がいいものも悪いものも死滅した結果何が起こるか・・・。カンジダが増殖するのです。

 いいものも悪いものも含めて細菌が腟内を占領していると、カンジダは増殖したくてもできません。細菌が占領している"縄張り"に勝手に入っていけないようなものです。しかし、人間が抗生物質を飲むと、腟内の細菌が次々と死んでいくわけです。するとこれまで"縄張り"を守っていた細菌が一気に減少し、そのスキをみてカンジダが"縄張り"に侵入し徐々に仲間を増やしていくというわけです。

 ここでひとつ注意点を述べておきます。抗生物質を飲むのは、何も淋病やクラミジアといった性感染症のときだけではありません。細菌性の腸炎や咽頭炎でも抗生物質が必要になることはよくあります。細菌性腸炎や咽頭炎は放っておくと(無治療でいると)、高熱がでたり症状が悪化したりすることがありますから、我々医師は細菌感染を確診した場合(あるいは強く疑った場合)は、その感染症に適している抗生物質を処方します。その結果、カンジダが発症することがよくあるのです。

 ですから、我々医師は抗生物質の処方は最低限にすることにつとめます。よく、「単なる風邪に抗生物質を使ってはいけない」と言われます。これは<単なる風邪>は細菌感染ではなくウイルス感染であることがほとんどですから抗生物質が効かないというのが主たる理由ですが、カンジダや下痢などの副作用を招くことを危惧するというのも理由のひとつです。

 少し話がそれますが、私がカンジダの原因になっているのではないかとよく感じる抗生物質の使用は、ニキビに対しての使用です。ニキビはアクネ菌や表皮ブドウ球菌による感染症であることが多いので、ニキビに抗生物質を使用するのは有効な治療ではあるのですが、患者さんのなかには1ヶ月以上も連続して抗生物質を飲んでいる人がいます。これではいつカンジダが発症してもおかしくありません。

 抗生物質の使用は最小限にすることはもちろんですが、少しの服用でカンジダがでやすい人には、あらかじめ抗生物質と一緒にカンジダの腟錠を処方することもあります。

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その3

 カンジダをきたす理由として、前回「免疫力の低下」と「抗生物質の使用」についてお話しました。今回は、3つめの理由として「性感染症としてのカンジダ」についてお話します。

 性感染症としてのカンジダを考えるときは、男性→女性、女性→男性を分けて考えた方が分かりやすいでしょう。(男性→男性、女性→女性についても、個別には説明しませんが理屈が分かればどのように感染するかは理解できると思います)

 まず、男性→女性の感染というのはあまり多くはないと思われます。男性のカンジダは「カンジダ性亀頭炎」と言って、ペニスの先端から真ん中くらい(いわゆる"カリ"のあたりに最も多い)にカンジダが生息しているのが普通です。通常この部分はコンドームに覆われますから、コンドームをしての腟交渉であれば普通は感染しません。

 「でも、フェラチオや(セックスワークをしている人の)スマタではうつるんじゃないの?」と疑問を感じる人もいるでしょう。

 しかし、通常男性のカンジダというのは初期であっても何らかの症状が出現しているのが普通です。ペニスに発赤があったり(部分的に赤いこともあれば全体が均一に赤くなっていることもあります)、痒みがあったり、あるいはカスのようなものが付着していたりすればカンジダの可能性があります。このような症状があれば、普通は気になりますから性交渉を控えることが多いと思われます。

 けれどもなかには、ペニスがそのような状態であったとしても性交渉をおこなう男性がいるかもしれません。その場合、(可能であれば)女性の方が、性交渉をもつ前にペニスを確認するのがいいでしょう。セックスというのは暗がりでおこなわれることが多いでしょうから、光をあててまじまじと観察することはできないかもしれませんが、それでも何もしないよりはましです。

 口のなかにもカンジダはうつるの?、と聞かれることがあります。通常、免疫力が正常であれば、口腔内のカンジダというのはあまり多くはありません。ただし、ときどきあるのが喘息などの治療でステロイドの吸入薬を使用している場合です。この場合は口腔内の免疫力が落ちていて、少しの侵入でカンジダが異常増殖することがあります。

 ステロイドを使用していないときにもカンジダが口の中や口角に感染することはあり得ますが、もしも気になるなら医療機関を受診すればすぐに診断がつきます。口角がただれていたり、口のなかに白いものがでてきたり、舌が白っぽくなってきたと感じれば、診察を受けるようにすればいいのです。ときどき、カンジダは喉の奥にできていることがありますが、これはエイズなどで極端に免疫力が低下している場合であり、少し疲れている、程度では、咽頭(あるいは食道)にまで広がることは普通ありません。

 次に女性→男性のカンジダ感染を考えてみましょう。男性→女性に比べると、女性→男性のカンジダ感染は起こりやすいと言えます。なぜなら、腟交渉にコンドームを用いたとしても外陰部に存在しているカンジダがペニスの根元に付着することがあり得るからです。そして、性交渉の後、ペニスの根元のカンジダが仲間を増やし、生息しやすい亀頭部の付近にまでやってきて住み着くのです。

 ただし、ここまで来るのには時間がかかりますから、たとえ外陰部に多量のカンジダが生息している女性と性交渉をもったとしても、性交渉の後すぐにペニス全体を洗えば、カンジダ感染が成立することはそれほど多くないと思われます。

 男性でカンジダを発症するのは、(仮性)包茎の人に多いという特徴があります。これは、包皮が亀頭を覆うことによってジメっとした環境ができあがるからです。カンジダはこのような湿潤した場所が大好きなのです。女性の腟にカンジダができやすいのも、あのようなジメっとした環境だからです。

 風俗店に行ってからペニスが痒くなった、と言って医療機関を受診する男性がいます。私が顕微鏡を見て、「これはカンジダですよ」と言うと、「腟交渉はしていないし、フェラチオはコンドームがなかったけど、そんなことでうつるんですか」と質問されることがあります。このようなケースで最も多いのがいわゆる<スマタ>での感染です。おそらく<スマタ>という行為で、ペニスの先端が女性の外陰部に接触した結果、カンジダの性感染が成立したのでしょう。いずれ、詳しく取り上げたいと思いますが、この<スマタ>という行為は、充分注意しないと、女性にとっても男性にとっても大変リスクのある行為となります。

 最後にカンジダの診断について述べておきます。他のほとんどの性感染症と同様、カンジダの診断も数分でつきます。なぜならカンジダは顕微鏡で観察できるからです。(よくある性感染症のなかで、顕微鏡で観察できないのはクラミジアです。ただしクラミジアも専門のキットを用いれば1時間程度で結果がでます)

 下に顕微鏡で観察された実際のカンジダを示しておきます。(左の方に糸クズのようなものが密集してみえるのがカンジダです)



 では、カンジダについてまとめておきましょう。

    1、カンジダが発症する原因が性交渉であることは多くない。
    2、多い理由は、「免疫力の低下」と「抗生物質の使用」である。
    3、カンジダの症状として多いのが、かゆみ、痛み、おりものの異常などであるが、初期であれば無症状のことも多い。
    4、カンジダは常在菌であり、少しでも生息していれば必ず治療しなければいけないというわけではない。
    5、カンジダの診断は簡単で数分で結果がでる。
    6、治療は塗り薬と腟錠が中心で飲み薬が必要になることはそれほど多くない。

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●毛じらみは自分でみつけましょう!

    その1 2009年11月30日
    その2 2009年12月15日
その1

 陰毛のあたりが痒いんです。毛じらみが心配です...。

 このような悩みをお持ちでクリニックを受診される方がおられます。太融寺町谷口医院の患者さんで言うと月に2~5人くらいがやって来られます。

 診察して毛じらみが見つかると、私はそれを顕微鏡で確認し、モニタにうつしだして患者さんに見てもらうようにしています。毛じらみの成虫が見つからなくても、陰毛に産み付けられた卵が見つかることもあり、患者さんに卵を見てもらうこともあります。

 治療はいたって簡単で、使用上の注意どおりにスミスリンシャンプーと呼ばれる専用のシャンプーを使ってもらえばほとんどは治ります。

 このように、毛じらみは診断もその場ですぐについて、治療も簡単、なのですが、ときになかなか確定診断にいたらないことがあり、少し苦労することもあります。今回は、その毛じらみについて診断のポイント及び治療のコツをお話したいと思います。

 毛じらみにやっかいなことがあるとすれば、それは「診断がつくまでに時間がかかる」ということです。たった今、「診断もその場ですぐについて・・・」と述べましたから、時間がかかる、と言われれば、いったいどっちなの?と思われるでしょうが、診断がつくまでに少し日にちがかかるのです。長ければ感染して2~3か月が過ぎてからようやく痒みが出現し診断にいたるケースもあります。「診断もその場ですぐについて...」というのは、毛じらみの成虫もしくは卵がみつかった場合です。

 いわゆる「潜伏期間」という言葉でもいいかと思いますが、性的接触で毛じらみが感染しても最初は1~数匹程度が陰毛から陰毛にうつるだけですから、この程度ではなかなか症状も出ませんし、診察室で毛じらみの成虫や卵を見つけるのはなかなか困難なのです。

 1週間から長ければ2~3か月程度経過して、毛じらみが仲間を次々に増やすようになって、痒みが増し、ようやく診断にいたるというわけです。ですから、危険な性交渉があって、その翌日から陰毛付近が痒い、という場合は、毛じらみよりもむしろ、湿疹ができていたり、性交渉の際に用いたローションで陰毛付近の皮膚がかぶれていたり、ということの方がずっと多いのです。

 「危険な性交渉」は、ときに後ろめたい思いがあったりしますから、その気持ちが痒みを感じやすくなっているということもあります。

 さて、毛じらみが初期には診察室で診断がつきにくい理由のひとつは、「毛じらみは夜間に活動する」からです。昼間は陰毛の根元付近でじっとしているため、注意深く陰毛の1本1本を確認するようにしてもなかなか見つけることができないことがあるのです。一方、夜間には、毛じらみはノソノソと動き出して皮膚を吸血したり陰毛に卵を産み付けたりしますから、夜間の方が痒みが増します。そのため、毛じらみの初期症状は「夜間に増悪する痒み」であることが多いと言えます。ただし、疥癬(かいせん)や他の痒みを伴う病気の場合にも、痒みは昼間よりも夜間に強くなりますから、これだけで毛じらみを強く疑うというところまではいきません。

 このように「陰毛付近の痒み」があるから毛じらみかなと思って...、という理由で受診されることが多いのですが、別の訴えで受診されることもあります。それは、「パンツにシミがついている」というものです。

 白もしくは薄い色のパンツをはいていなければなかなか分かりにくいのですが、パンツに点々としたシミのようなものがついていて、それが気になり受診され、その原因が毛じらみだったということがときどきあります。

 この"シミ"は実際にはシミではなく血液です。毛じらみが皮膚を吸血するため、皮膚から少量の出血が起こり、それがパンツに付着するのです。患者さんによってはシミではなく血液であることまで見破っている人もいますが、パンツに付いた血液から毛じらみを疑っている人は多くなく、たいがいは「血尿が出た」と言われます。

 それだけ出血があれば痒みは相当なものだろう、と思われますが、意外にも毛じらみは患者さんによっては痒みをほとんど訴えないことがあります。毛じらみの痒みは、教科書的には「かきむしりたいほどの強い痒み」なのですが、実際には、肉眼で毛じらみの成虫がウヨウヨしているような状態でも「痒みはほとんどありません」という人もときどきいますから不思議です。

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その2

 毛じらみは、成虫が1~2mm程度ですから肉眼でも充分に分かります。ですから、少しでも陰毛付近に痒みを感じれば、自分で探してみるのが最適です。夜間に活動するわけですから、夜に痒みを感じればライトをあてて自分の陰毛付近を観察してみればいいのです。陰毛もしくは陰毛付近の皮膚でウロウロしている成虫が見つかれば診断確定です。体の大きさに比べれば短い手足を器用に動かして動き回っているので(けっこうカワイイです)、初めてでも見れば分かります。

 ときどき、日中に診察室で発見できなかったけれど、その晩に自分で観察すれば成虫がみつかった、ということがあります。ですから、毛じらみの診断は、診察室よりもむしろ夜間に自分で探す方が手っ取り早いことが多いのです。

 卵を見つけるのは慣れていないと少しむつかしいかもしれませんが(こんなことに慣れたくはないでしょうが)、陰毛にゴマ粒ほどの大きさの白い楕円形のものが付着していれば可能性があります。

 では、毛じらみの治療についてお話しましょう。

 毛じらみの治療はいたって簡単で、スミスリンシャンプーと呼ばれるシラミ駆逐用のシャンプーを用いて陰毛を洗います。このシャンプーは医療機関でなくても普通の薬局で処方せんなしで購入できます。風呂にそのシャンプーを持って入り、陰毛をシャワーで塗らしてからそのシャンプーをつけ泡立てます。そのまま数分間放置してその後シャワーで洗い流します。

 この作業で毛じらみの成虫は死滅します。しかし卵は死なないので、卵が孵化する頃(2~3日後)に再度同じ作業をおこないます。これを何度か繰り返せばほぼ治癒します。

 ときどき患者さんから受ける質問に「このシャンプーで毛じらみは完全に治りますか」というものがありますが、このシャンプーで治らない毛じらみ(スミスリンシャンプー耐性の毛じらみ)は私の知る限り聞いたことがありません。これは、毛じらみの親戚の感染症であるアタマジラミが、スミスリンシャンプーが効かなくて苦労することがあるのとは対照的です。

 しかし、もしも毛じらみに対してスミスリンシャンプーを使ったのにもかかわらず治らなければどうすればいいのでしょうか。このような場合は、陰毛を剃ってしまうことをおすすめします。実は、毛じらみに感染した場合、スミスリンシャンプーを使わなくても毛を剃るだけで完全に治ることも多いのです。剃った上でシャンプーを使えばさらに効果的となるわけですが、諸事情から陰毛を剃ることに抵抗がある人もいるかもしれませんね。

 少し話がそれますが、アタマジラミは髪と髪が接触することによって他人に感染します。ほとんどはスミスリンシャンプーで治るのですが、ときに治らないことがあり、この場合は大変苦労します。アタマジラミは幼稚園や小学生の低学年の女の子に多いという特徴があります。子供どうしの遊びで髪と髪がふれあうことによって感染することが多いのですが、女の子は男の子に比べて髪が長いので女の子の方が感染しやすいのです。

 女の子がアタマジラミに感染してシャンプーで治らなかったとき、まさか「髪を剃ってください」とも言えません。アタマジラミ専用の梳き櫛(すきぐし)があって、これで丁寧に髪をすくという方法を取るのですが、治癒するまでにけっこう時間がかかる場合が多いのが難点です。海外では電動式シラミ取り櫛というものがあり、日本でも個人輸入などで購入可能らしいのですが、私は患者さんに試してもらった経験がありません。

 さて、毛じらみを予防するにはどうすればいいでしょうか。

 残念ながら、毛じらみに対してコンドームはまったくと言っていいほど無効です。陰毛と陰毛が接触することによって感染するわけですから無効なのは当たり前です。性交渉をおこなう前に「先に毛を剃って!」とお願いするわけにもいかないでしょうから、予防するのは実質不可能でしょう。

 決しておすすめしているわけではありませんが、毛じらみはかかっても大事に至ることはありませんから感染のリスクを背負って性交渉をする、という選択肢を取る人もいるかもしれません。ただし、「大事に至ることはない」というのはそれほど重症化せず命に別状はない、という意味であり、どこかでもらってきた毛じらみを大切な人にうつしてしまって...、という可能性はあります。

 さて、毛じらみについてまとめておきましょう。

    1、毛じらみは陰毛と陰毛が接触することによって感染する。
    2、症状は夜間に増悪する痒みだが、ときに痒みをほとんど感じないこともある。
    3、確定診断は、動き回っている成虫、もしくは陰毛に付着している卵を見つけること。顕微鏡を使えばよりはっきりするが、肉眼でも充分に見つけることが可能。
    4、治療はスミスリンシャンプーを用いる。早く治したければ剃毛を併用する。
    5、有効な予防法はない。

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その1

 それは私がある医療機関で研修を受けていた頃の話・・・。

 30代後半の女性(仮にRさんとしておきます)は、子宮頚ガンの末期で、痛みをとったり精神的なケアをしたりする以外には治療がないような状態でした。幸い、ご主人やお姉さんはケアに熱心で、Rさんの精神状態は我々医療従事者がみる限り安定しているように感じられました。

 あるとき、Rさんのお姉さんが私に言いました。「先生、妹の病気は性病なんかじゃないですよね。ある人に妹のことを話すと、遠まわしな言い方なんですが、その病気は性病じゃないの、ってことを言われたんです。妹は夫しか知らないんですよ。それに妹の夫はとても誠実な人なんです・・・」

 このRさんのお姉さんの言葉は、子宮頚ガンという病気がいかに世間で誤解されているかを表しています。そして、最近この"誤解"が急速に広がっているのではないかと私は感じています。

 子宮頚ガンは、たしかにほとんどがHPV(ヒトパピローマウイルス)というウイルスが原因になっています。性交渉を通してHPVが子宮頸部(子宮の入口の部分)に感染し、数年の月日を経て子宮頸部の細胞がガン化していきます。これだけを取り上げると、「HPVは性交渉を通して感染するんだから、その結果として起こる子宮頚ガンもやっぱり性病になるんじゃないの・・・」、と思われる人もいるでしょう。

 しかし、そう単純な話ではありません。

 HPV感染がガンを意味するわけではないということについてお話していきたいのですが、その前にHPVについて少し補足をしておきます。HPVには様々なものがあり現在100種類以上のHPVがあることがわかっています。これらには番号が割り当てられています。以前紹介しました尖圭コンジローマの原因のHPVは6と11が多いことがわかっています。子宮頚ガンの原因となりうるHPVは、HPVのなかでもハイリスク型と呼ばれるタイプのもので16と18が有名です。

 実は、HPVのハイリスク型は多くの女性が一度は感染します。あるデータによりますと、ひとりの女性が生涯を通して一度はHPVのハイリスク型に感染する確率は8割以上だそうです。しかし、もちろん世の中の8割の女性が子宮頚ガンになるわけではありません。

 詳しく説明しましょう。まず、HPVが性交渉を通して子宮頸部に感染するのは事実です。そして、データにもよりますが、20歳前後の女性では7~8割がHPVのハイリスク型を有していると言われています。しかし、原因は解明されていませんが、子宮頸部に感染したHPVは自然に消退し、30歳前後になるとHPV陽性者はおよそ半分程度にまで減少すると言われています。

 では、その半分が全員子宮頚ガンになるのかと言えば、もちろんそんなことはありません。たしかに、日本では子宮頚ガンは女性のガンでは乳ガンに次いで2番目に多いガンで、年間およそ1万人が発ガンし、2,500人から3,500人が死亡していると言われています。しかし、HPVを有していればそれだけでガンになるわけではないのです。

 つまり、子宮頚ガンが発症するには、HPV感染+「別の要因」が必要となるというわけです。この「別の要因」についてははっきりとしたことが分かっていません。喫煙や飲酒が指摘されており、喫煙については疫学的にかなり確証を得られていますが、では「HPV+喫煙」だけで子宮頚ガンの原因が説明できるかと言われればそういうわけではありません。

 書物によっては、子宮頚ガンになりやすいのは、「多産」「初交年齢が若い」「複数のセックスパートナー」などと記載されていますが、では「これら3つの要件+HPV感染」があれば必ず子宮頚ガンになるのかと言えばそういうわけでもありません。

 その逆に、Rさんのように「生涯ひとりの男性しか知らない」という女性にも子宮頚ガンは起こるのです。

 つまり、HPVと子宮頚ガンの関係は、「子宮頚ガンの原因にHPVがあるのは事実だが、HPV感染は多くの女性が経験するものであって、特に危険な性交渉のある女性だけがHPVに感染するわけでも子宮頚ガンになるわけでもない」と考えるべきなのです。

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その2

 ここ半年くらいの間、HPV感染の有無を調べてほしいと言って私の元を受診する男女が増えています。これは、おそらく日本でもHPVワクチンが認可されて、2009年12月から一般の医療機関でワクチン接種が可能になり、マスコミがそれを報道する機会が増えたからではないかと思われます。

 HPV感染の有無を調べてほしいという依頼が増えているのは、世間にHPVという病原体が認知されるようになってきたという意味では歓迎すべきことなのですが、どれだけ正確に理解されているかを疑問に感じることがしばしばあります。

 というのも前回述べましたように、<HPV感染→子宮頚ガン>と単純に理解している人が少なくないからです。過剰に気にしている人のなかには、「自分がHPVに感染しておらず、婚約者が感染していたとすれば婚約解消を考える」という女性までいて大変驚かされたことがあります。この女性は、夫がHPVを持っていれば夫婦生活を通していずれ自分はガンになる、と考えていたのです。

 私は、HPV感染の有無を調べてほしいと言われても、まずはその必要性はそれほど高くないことを説明します。 

 まず、前回述べたようにHPV感染がガン発症に直結するわけではありません。次に、もしもHPVを死滅させることのできる薬があれば、HPVの有無を調べることに意味がありますが、そのような薬は存在しないのです。HPVの検査をして仮に「HPV陽性」という結果が出たとしても、どうすることもできないのです。せいぜい、「年に一度のガン検診を忘れないように」と助言することができるくらいです。

 それからもうひとつ。HPVの有無を調べる検査は保険適用がありませんから、調べるのに高額な費用がかかります。価格は医療機関によっても異なりますが、だいたい2万円前後(ハイリスク型の有無まで調べれば5万円前後)はします。ということは、高い費用をかけてHPVの検査をして、陽性だったとしても治療法はなく、年に一度のガン検診を(これまでどおり)おこなうしかすることがないのです。HPVが陰性と判ったときにどうすべきか、というと、やはり年に一度のガン検診をすることになります。

 HPVの検査をして陰性だったときは、ガン検診を毎年ではなく2~3年に一度にする、という考え方もありますが、子宮頚ガンの検診はほとんど痛みがなくおこなえる簡単な検査(クラミジアや淋病の検査と同じような検査)ですから、私個人の考えを言えば、HPVが陰性であったとしても年に一度はガン検診をおこなうべきだと思います。

 HPVの有無を調べる検査に意味があるとすれば、それは「陰性であればワクチンを接種する」という前提で検査をするときです。しかし、この考えもそれほど有用なわけではないと私は考えています。というのも、例えば麻疹(はしか)ウイルスの場合は、いったん感染して治癒すると通常は終生免疫ができて生涯を通して再感染することはありません。一方、HPVの場合はこのようなタイプの感染症ではありません。HPV感染は一度感染して治癒したとしても、数年後に再感染することがあると考えられているのです。

 ということは、HPV陽性であったとしても、いずれいったん治って新たに感染する可能性があるわけです。ならば、HPV陽性の人もワクチン接種をすべきである、ということになります。HPVワクチンの対象者については後述しますが、HPVの有無に関わらずワクチンがすすめられるのだとすれば、高いお金を払っておこなうHPVの検査の有用性が乏しくなります。

 実際、2009年12月に発売になった「サーバリックス」というワクチンの製造元のグラクソスミスクライン社では、10歳以上の女性であればHPVの有無に関わらずワクチン接種をすすめています。

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その3

 では、どのような人がワクチン接種をすべきか、という点について考えていきましょう。

 まず、性交渉の経験がない女性に対しては極めて有効です。HPVワクチンは発売されてからそれほど時間がたっておらず長期的なデータはありませんが、最近の研究では、ワクチン接種後6年以上が経過しても、子宮頸ガン発生に対する良好な予防効果が持続することが確認されています。(『Lancet』2009年12月12日)

 このため、小学校高学年から中学生くらいの女子全員にワクチンを接種すべきだという考えが成り立ちます。実際、HPVワクチン接種を世界で最も早く開始したオーストラリアでは、2007年4月から、12歳から26歳までの女性なら誰でも公費で(無料で!)接種できることになっています。米国でも州によってはワクチンの公費での接種がおこなわれているようです。

 予防医学に積極的な欧米諸国とは異なり、ワクチン途上国と呼ばれている日本では公費負担の接種など到底現実的でないだろうとみるむきが多かったのですが、日本でも新潟県魚沼市が2010年度予算案に約800万円を計上し、希望する10代前半の女性全員に無料ワクチン接種をおこなうことを発表しました。

 なお、2009年12月に発売となった子宮頚癌のワクチン「サーバリックス」の接種の仕方は、6ヶ月をかけて3回(2回目は1回目の1ヵ月後、3回目は2回目の5ヵ月後)の接種、費用は(自費診療ですから)医療機関にもよりますが、だいたい5~7万円くらいになると思われます。

 では、10代後半以上の性交渉の経験がある女性に対してはどのように考えればいいのでしょうか。

 サーバリックスの製造元であるグラクソスミスクライン社によりますと、サーバリックス接種の対象者の年齢制限はとくに設けておらず、何歳になっても接種可能で効果が期待できるとしています。これは、先に述べたように、すでに感染してしまったHPVにはワクチンは無効であるものの、HPVは生涯に何度も感染することがあると考えられており、これから感染するかもしれないHPVに対してワクチン接種が有効と考えられるからだそうです。

 このあたりの理論をおさえるのは少々むつかしいように思われます。一般的には、病原体に感染すればワクチン接種をするよりもいったん罹患した方が強い抗体が形成され、それ以降の感染を防ぐ免疫力が大きいと言えます。例えば、麻疹(はしか)は、ワクチン接種をするよりもいったん感染して治癒した方が強い免疫力がつきます。

 しかし、HPVの場合は、いったん感染して自然治癒しても新たに感染する可能性がある一方で、ワクチンを接種すれば自然治癒したときよりも強い免疫力がつく、と説明されているのです。

 ここで重要なことは、ワクチン接種をすれば絶対に子宮頚ガンにならないわけではない、ということです。その理由のひとつは、サーバリックスはたしかにハイリスク型の16と18には高い有効性があるのですが、HPVのハイリスク型は16と18以外にもあるからです。また、麻疹ワクチンのようにいったん抗体ができれば生涯罹患しないというわけではなく、免疫効果は数年から十数年後にはなくなる可能性があります。

 グラクソスミスクライン社によりますと、サーバリックスの力で、だいたい7割程度の子宮頚ガンの発症を防げるそうです。ということは、ワクチン接種を規定どおりにおこなったとしても、やはり定期的な子宮頚ガンの検査は必要になるということになります。ワクチンを接種した人に対してどの程度の頻度で子宮頚ガンの検査をすべきか、ということについては議論の分かれるところですが、私個人としてはワクチン接種をしたとしても、遅くとも20歳を過ぎており性交渉の経験があれば、年に一度の検査をすべきではないかと考えています。

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その4

 前回述べましたように、HPVのワクチンは万能ではないわけですが(少なくともポリオや麻疹(はしか)、あるいはB型肝炎のワクチンほどは頼りになるワクチンではありません)、それでもこのHPVのワクチンは、医学の歴史に残るほどのすぐれたワクチンです。

 子宮頚ガンを発症する女性は、世界で年間約50万人、死亡者は約27万人もいます。日本でも年間約1万人が発症し約3千人が死亡していると言われています。仮に、性交を開始する前の女性全員にワクチン接種をしたとすると、ワクチンの有効率が7割だったとして、世界で年間35万人、日本で7千人のガン発症を予防することができる計算になります。死亡者数も激減することは間違いありません。

 特に、発展途上国では絶大な効果を発揮するはずです。というのも、医療施設の整っていない途上国では、子宮頚ガンの検査を受けることが容易ではありません。他の先進国に比べて日本人女性の子宮頚ガンの検診率が低いことはよく指摘されますが、それでも2割程度の人は定期的に検査を受けていると言われています。これが途上国に行くと、定期的な検診を受けている女性などごく小数に限られています。

 もしも、途上国を含めた世界中でワクチン接種が実施されたとすれば、何百万人という女性の命を救うことができるのです。婦人科領域の悪性腫瘍では子宮頚ガンがダントツのトップです。もしもワクチンを全ての女性に接種するとすれば、20年後の婦人科医の仕事を2~3割は減らすことができるのではないかと私は考えています。要するに、このワクチンは、公衆衛生学的にみたときに、あるいは医療者側からみたときには、大変すぐれた医学史に残るワクチンと言えるわけです。

 しかしながら、個人からみたときにはそう手放しで喜んでいられるわけではありません。ここが注意すべき点です。全体でみたときにガンの発症を7割減らすことができるということは、個人には当てはまりません。なぜなら、「7割引きのガンを発症」、などということはあり得ないからです。個人でみたときには、ガンになるかならないか、要するにワクチンの効果は0%か100%か、このどちらかだけです。

 したがって、医学史に残るほどのすぐれたワクチンができたからもう安心、というのは全体的、公衆衛生学的にみたときには正しいのですが、個人レベルでみたときには、「すぐれたワクチンができたけども定期的なガン検診は必要」となるわけです。

 さて、子宮頚ガンの治療についてお話しましょう。最も重要なのは「子宮頚ガンは早期発見ができれば100%助かるガン」ということです。

 ワクチンを接種していてもしていなかったとしても、子宮頚ガンの検査を年に一度していれば確実に早期発見ができます。検査を受けたことがある人はご存知だと思いますが、子宮頚ガンの検査結果は、クラスⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの5段階で評価されます。これらを分かりやすい言葉で言えば、クラスⅤは明らかなガン、クラスⅣは早期のガン、クラスⅢはガンがちょっとだけあやしいですよ、という意味です。クラスⅢはⅢaとⅢbに分けられて、Ⅲbの方がよりあやしい、ということになります。クラスⅠとクラスⅡはガンの疑いがない、ということになります。

 例えば、去年の検査ではクラスⅡだったのに今年はクラスⅤで子宮を全部取らないといけなくなった、などということは通常はありません。なぜなら、ガンは子宮頚ガンに限らず一般的にゆっくりと進行するからです。毎年検査を受けているのに、いきなり子宮全摘と言われた、などということは通常はあり得ないのです。

 毎年検査を受けていれば、ガン細胞が生じていたとしても、少しガンがあやしくなったという意味のクラスⅢ(aもしくはb)となるのが普通です。この段階であれば、「少し気になりますから次の検査は1年後ではなく3ヵ月後にしましょう」となるか、もしくは、通常のガン検診(綿棒で子宮頸部をぬぐうだけの痛くない検査)よりも一歩踏み込んだ「生検」という検査をおこないます(これは少し痛みと出血が伴います)。

 この時点で、ガンの初期がみつかったとしても子宮をすべて取るなんてことはありません。「円錐切除術」といって、子宮の入口をほんの少しだけ切除する手術をおこないます。あるいは、レーザー治療や光線力学療法といった外科手術ではない治療方法も施設によってはおこなわれています。

 円錐切除をおこなっても、他の治療法で治したとしても、妊娠・出産、あるいは性交渉は問題なくおこなえます。(円錐切除の体積が大きければ流産のリスクになるということはあり得ますが、早期発見できていれば切除する体積もごくわずかで済むはずですからそのリスクも軽減するはずです)

 要するに、年に一度のガン検診を受けていれば、ガンになったとしても命が助かるだけでなく、妊娠・出産、性行為も問題なくおこなえるといえるわけです。

 最後に、男性に対するHPVワクチン接種について考えてみましょう。

 ハイリスク型の16と18に対して有効なサーバリックスは男性に対する適用がありません。製造元が男性への接種を認めていないのです。しかし、もうひとつのHPVワクチンにメルク社のガーダシルというものがあり、こちらは男性への適用を米国FDAが承認しています。

 ガーダシルはHPVの16と18以外にも6と11に対しても有効です。6と11と言えば、以前お話した尖圭コンジローマの原因となるHPVのなかで最多のものです。尖圭コンジローマは男女とも場合によっては大変やっかいな感染症ですから、ワクチンで防げるのであれば積極的に接種を検討したいところです。現在、ガーダシルの日本での発売は2010年夏以降になる予定で、男性への適用があるかどうかは未定ですが、米国で承認された以上は日本での接種も可能となることが期待できそうです。

 では、今回のまとめに入りましょう。

    1、HPVには100種類以上のタイプがあり、子宮頚ガンをきたすタイプ(ハイリスク型)のなかで多いのが16と18である。
    2、その16と18に効果のあるワクチン(サーバリックス)は2009年12月に日本で発売となった。
    3、サーバリックスの有用性は6年以上であるとの研究があるが生涯有効かどうかは未知。
    4、サーバリックスの接種の仕方は6か月をかけて3回。費用は5~7万円くらい。
    5、HPVワクチンを接種したからといって100%子宮頚ガンの発症を防げるわけではなく効果は7割程度。この主な理由は16と18以外にも子宮頚ガンの原因となるHPVのタイプが存在するというものである。
    6、HPVのハイリスク型には多数の女性が感染する。しかし実際にガンになるのはごくわずか。
    7、子宮頚ガンはHPVが原因だが、子宮頚ガンに罹患した女性全員が"危険な性交渉"をしていたわけでは決してない。
    8、HPVのワクチンを接種したとしても、定期的なガン検診は必要。定期的なガン検診をおこない早期発見ができれば子宮頚ガンはほぼ100%治癒し、妊娠・出産・性交渉もおこなえる。
    9、もうひとつのHPVワクチンであるガーダシルは日本では未発売だが(注1)、16と18以外に6と11にも有効で、尖圭コンジローマの予防効果が期待できる。

    注1 ガーダシルは2011年8月から日本でも使用できるようになりました。

    参考:(医)太融寺町谷口医院のウェブサイト はやりの病気第97回(2011年9月)「新しいHPVワクチンと尖圭コンジローマ」

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●臭いが気になればトリコモナスかも・・・

    その1 2010年3月15日
    その2 2010年3月30日
その1

 おりもの(帯下)の臭いが気になって・・・、という訴えでクリニックを受診する人は少なくありません。そんな人のなかで、トリコモナスに感染している人がときどきいます。今回は、そのトリコモナスについてお話したいのですが、まずは「おりものの臭い」について考えていきましょう。

 臭いというものは主観的なもので、患者さんが気にしている場合でも、実際には正常範囲の臭いという場合も少なくありません。逆に、他覚的にみて(医師が診て)、明らかな悪臭がある場合でも、患者さんは「特に気になりません」と言われることもありますから不思議です。

 おりものの臭いは、何も病気がない人でもまったくの無臭ということはありませんし、体調や生理周期によって変化するのが普通です。また、年齢によっても変化しますから、以前と比べて「おりものの臭いが変わった」といって受診する人のなかにも、まったく問題のない場合もあります。正常なおりものの臭いは、少し酸っぱいような香りがします。これは、正常な腟内の状態は酸性であるためだと思われます。

 おりものの正体は、子宮や膣の粘膜が新陳代謝ではがれたものや分泌物などが合わさったものと考えていいと思います。ときどき、「おりものがでてきて・・・」というだけで受診される人がいますが、まったくおりもののない人というのもあまりおらず、ほとんどの人は自分で確認できるくらいのおりものがあります。

 おりものは、膣の粘膜を湿った状態にする役割をしています。これは、老廃物を外に出すために有用ですし、外部から侵入する雑菌や病原菌の浸入を防ぐ役割も果たしていますから、ある程度は必要なものなのです。また、酸性であるのは外部から侵入した雑菌の増殖を防ぐのに効果があります。

 おりものの量については、個人差が非常に大きいと言えます。ほとんど出ない人もいれば、多いときは1日に何度もおりものシートを交換しなければならないという人もいます。量が多ければそれだけで異常というわけでは決してありません。一方、「量」に対し、「臭い」の異常は、なにか病気になっている可能性があると言えます。

 当たり前のことですが、おりものというのはなかなか他人のものとは比べることができません。ですから、どのような臭いが正常なのか異常なのか、なかなか見分けがつきにくいかもしれません。ひとつ、おすすめしたいのは、日頃からときどき自分のおりものをチェックして臭いに変化がないかどうか(イヤな臭いに変化していないかどうか)を確認するという方法です。

 おりものが以前に比べておかしな臭いがする・・・。このように感じるなら医療機関を受診すべきかもしれません。臭いに異常をきたす(悪臭がする)感染症というのは、いろいろあって、クラミジアや淋病も重症化すればおりものの臭いが悪臭となりますし、以前お伝えした「雑菌」による腟炎や子宮頚管炎でも悪臭が伴うことがあります。腟の奥に尖圭コンジローマができてそれが悪臭の原因だった、ということもありますし、子宮頚ガンは進行すると悪臭を放ちます。

 このようにおりものの臭いが悪化する原因はいろいろとあるのですが、日常の診察の現場で、おりものの悪臭があったとき、必ず疑わなければならない感染症がトリコモナス腟炎です。

 トリコモナスは生物学的には「原虫」に属します。この「原虫」を患者さんに説明するのはときにむつかしくて悩むことがあります。「トリコモナスって虫なのですか?」と聞かれることもありますが、「虫」というと患者さんによってイメージするものが異なるので、安易に「はい、虫の一種です」と答えるわけにもいきません。

 少し学術的な説明をすると、「原虫」とは単細胞の微生物で、自身で動くことのできるものを指します。トリコモナスの場合、鞭毛(べんもう)と呼ばれる毛のようなものが体から出ていてそれを動かしておりもののなかで泳ぐことができます。大きさは、大きいものであれば10x20マイクロメートル(ミリメートルの5分の1から10分の1)程度で、肉眼では見えませんが顕微鏡で観察することができます。

 私は、トリコモナスの患者さんに対しては、診察室で時間的に余裕があれば、顕微鏡で観察したトリコモナスをモニタにうつして動いているところを見てもらうようにしています。やや重症化していれば、画面中に、鞭毛を使って器用に動き回っているいくつものトリコモナスを見つけることができます。(けっこうカワイイです!)

 トリコモナスの感染経路は多くは性感染であろうと言われています。しかし、100%性感染というわけでもありません。教科書的には、浴場での感染や(入院している場合は)院内感染もある、となっています。実際、性交渉が一切ないのにもかかわらず繰り返しトリコモナスに感染する患者さんもいます。そして、トリコモナスという感染症は決して珍しい病気ではなく、教科書には成人の約5%が罹患している、と書かれています。

 トリコモナスは感染初期であればほとんど無症状ですが、進行すると(トリコモナスが仲間を増やすと)おりものに異常が現れます。典型例で言えば、少し黄色がかったさらっとしたおりものになり、泡状(泡沫状)になることもあります。そして、このようにおりものに変化があればほとんどはイヤな臭いを放ちます。さらに重症化すると、患者さんが診察室に入ってきただけでもそのイヤな臭いが分かることがあります。これは、医師でなくても異様な臭いが気になるはずですが、不思議なことに本人はそれほどの臭いがあるのにもかかわらずまったく気づいていないこともあります。

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その2

 トリコモナスの診断はいたって簡単で、おりものを綿棒で採取し、顕微鏡でトリコモナスが動き回っているところを観察します。ただし、感染初期にはなかなか見つけにくいこともありますから、診察時に少しおりものの臭いが気になると思えば、後日改めて診察に来てもらい再度検査をおこなったり、培養検査といって結果がでるまでに数日間かかる検査をおこなったり(ただし培養検査でも感染初期には分からないこともあります)、あるいは、確定診断がつかなくても場合によっては薬を処方したりすることもあります。

 クラミジアや淋菌といった細菌感染症は、重症化すれば子宮から腹腔内に入り腹膜炎を起こすことがあります。こうなると、高熱や激しい腹痛に襲われることになり、ときに救急搬送されることもあります。一方、トリコモナスは重症化したとしても、おりものの悪臭が目立つようにはなりますが、腹膜炎を起こしたり入院治療が必要になったりすることはまずありません。

 治療はいたって簡単で、トリコモナス用の腟錠もしくは飲み薬を使います。通常は腟錠を1週間から10日間程使ってもらいます。これでほぼ治ります。トリコモナスの薬は、実は多くの細菌も同時に殺してくれるので、腟内の雑菌の大半も死滅します。(ただし、副作用でカンジダが発生することがあります)

 私は女性のトリコモナスの患者さんに対して、飲み薬を処方することはあまりないのですが、これは副作用を避けるためです。トリコモナスの飲み薬は非常に効果が高く、腟錠と同様、やはりほとんどの雑菌も殺してくれます。しかし、飲み薬は全身に作用するため腸内の善玉菌も殺しますし、また、副作用として胃のむかつきを訴える人がいます。ただし、何らかの事情で腟錠が使えないという人には飲み薬を飲んでもらいます。

 女性の患者さんでトリコモナスの診断がついたときは、原則としてそのパートナーの男性にも受診してもらうようにしていますが、男性のトリコモナスはときに悩まされることがあります。(パートナーが女性であれば同じように検査をして必要があれば治療を開始します)

 男性の場合、トリコモナスは尿道や膀胱、前立腺などに潜んでいるのですが、女性に比べると症状が出にくいのが特徴です。ある程度重症化していれば、採取した尿を顕微鏡で観察するとトリコモナスが検出されることもありますし、あるいは尿道分泌物を直接顕微鏡で観察して見つかることもあります。

 しかし、感染初期の場合は顕微鏡の検査でも、培養検査でも精度が劣ってしまいます。(女性の場合も、感染初期には検査の精度が多少は劣りますが男性はそれ以上に劣るのです)

 「腟トリコモナス症に感染している女性の男性パートナーの4人に3人が、同じくトリコモナスに感染しているが、症状がないために感染していることを知らない・・・」

 これは、米国ノースカロライナ大学のセナ博士(Dr.Arlene C.Sena)が、『Clinical Infectious Diseases』という医学誌の2007年1月1日号に発表した論文のなかで述べているコメントです。

 セナ博士は、現在医療現場でおこなわれているトリコモナスの検査(顕微鏡で直接観察する方法や培養検査)では、ある程度トリコモナスの量が多くならなければ検知されないと述べ、遺伝子(DNA)検査を用いて研究をおこないました。

 研究では、性感染症を診ているクリニックを受診した3,836人の女性にトリコモナスの遺伝子検査をおこない、その結果20.6%が陽性となりました。このうち、540人のトリコモナス陽性の女性と、261人の男性パートナーに対して遺伝子検査をおこなったところ、男性の71.7%が陽性となり、そのうち76.8%はまったく症状がなかったそうです。

 これらをまとめると、まず性感染症を気にして受診した女性のおよそ5人に1人がトリコモナスに感染しており、そのパートナーの男性の7割以上がやはり感染しており、感染している男性の大半は無症状ということになります。

 性感染症はどれをとっても「必ずパートナーの検査もおこなう!」が基本ですが、トリコモナスも例外ではないというわけです。そして、トリコモナスの場合、従来の検査方法では見逃す可能性もあることをこの研究は示しています。

 では、トリコモナスをまとめておきましょう。

    1、おりものの異常は自分では分かりにくいこともあるが、以前と比べて臭いがおかしい、と感じたときは感染症にかかっている可能性がある。
    2、おりものの臭いが悪化する感染症のひとつにトリコモナスがある。
    3、トリコモナスは珍しい感染症ではなく、成人の約5%が罹患しているという報告もある。
    4、トリコモナスの主な感染経路は性交渉であるが、浴場などでの感染もある。実際、性交渉が長期間ないのにもかかわらず繰り返し感染する女性もいる。
    5、トリコモナスの検査は顕微鏡を用いればその場でできる。しかし感染初期にはなかなか分からないこともある。
    6、トリコモナスの検査には培養検査といって数日間をかけておこなう検査もあるが、やはり感染初期には分からないこともある。
    7、遺伝子検査(DNA検査)をおこなえば、検査の精度は高くなるが実用化されていない。
    8、トリコモナスには特効薬(腟錠もしくは内服薬)があるので治療はむつかしくない。
    9、男性は症状が出にくく、感染初期は検査の精度も高くないため、パートナーの女性でトリコモナスが見つかれば、無症状かつ検査陰性でも治療を検討すべきこともある。

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●危険なアナルセックス~赤痢アメーバ編~

   赤痢アメーバ編その1 2009年3月31日
   赤痢アメーバ編その2 2009年4月15日
~赤痢アメーバ編その1~

 アナルセックスというのは、やり方にもよるのですが、腟交渉や口腔性交に比べると性感染症のリスクが上がることが多いと言えます。HIVもC型肝炎ウイルス(HCV)も、コンドームなしのアナルセックスをおこなうとリスクが上がりますし、淋菌やクラミジアが肛門感染すると、ときに難治性になることもあります。

 また、アナルセックスをおこなわなければまず感染しないと考えられている感染症もあります。今回からはそういった感染症についてお話したいと思いますが、具体的な病原体の話に入る前に、アナルセックスそのものについて少し考えてみましょう。

 まず、誰もが想像するアナルセックスに、ペニスを女性(または男性)の肛門に挿入するというセックスがあります。この行為をコンドームなしでおこなえば、性感染症のリスクが上がることは容易に想像できますね。

 しかし、性感染症の観点からアナルセックスを考えるときにはもう少し広い意味で捉えた方がいいでしょう。狭義のアナルセックスがなかったとしても、相手の肛門粘膜や便に病原体がいたときに、それが結果として自分の体内に侵入すれば感染が成立する可能性があります。

 ですから、例えば、「肛門をなめる」「肛門をさわる」という行為でも感染することがあるわけです。肛門を指で触っただけでは病原体が自分の体内に入ってくることはありませんが、その指で相手の性器に触れて、それを愛撫して・・・、とか、あるいは指に小さな傷があってそこから病原体が侵入、といったこともあるかもしれません。

 それに、これはあまり想像したくありませんが、相手がトイレの後、きちんと手洗いをしていなくて、肛門にいるはずの病原体が指に付着していて、性行為を通してあなたに感染する、といったこともあるかもしれません。さすがに、これはアナルセックスには入りませんが、性行為の前はお互いよく手を洗うようにしましょう。

 さて、具体的な病原体の話にうつりたいと思います。まずは、アメーバ赤痢についてご紹介いたします。

 アメーバ赤痢というと、医学の教科書には「男性同性愛者にみられる感染症」と書かれています。しかし、実際には男性同性愛者に限られた感染症ではなく、ストレート(異性愛)の男性や女性に感染していることもまったく珍しくない、というのが私の印象です。

 なぜ、ストレートの男性や女性にも感染するのかというと、上に述べたような広い意味の"アナルセックス"があるからです。実際、アメーバ赤痢に感染した人によくよく尋ねてみると、「相手の肛門を愛撫して・・・」という答えが返ってくることが多いのです。

 アメーバ赤痢は生物学的には「原虫」に属します(以前お話したトリコモナスも原虫でしたね)。アメーバ赤痢は、大腸内では「栄養型」もしくは「シスト(嚢子)」というかたちで存在しています。「栄養型」「シスト」というと専門的な言葉になりますが、それぞれ自力で動き回る"成虫"とじっとしている"卵"みたいなものを想像してもらって差し支えないと思います。

 肛門粘膜や便に付着しているシストが口の中に入ることによって感染がおこります。一方、HIVやC型肝炎ウイルスなどは、肛門粘膜→尿道(もしくは尿道→肛門粘膜)というルートで感染しますから、一言で「アナルセックス」といっても感染経路は病原体によってまったく異なるというわけです。

 さて、口の中に入ったシストは胃を経て小腸に到達し、そこでシスト→栄養型となり、細胞分裂を繰り返して仲間を増やし大腸に住み着きます。そして、大腸の粘膜をただれさせ、その結果粘膜から出血が起こり血便となります。この血便は、アメーバ赤痢の特徴として、「イチゴゼリー状の粘血便」と表現されることがあります。

 下痢や腹痛を伴うことも多いのですが、高熱がでることはほとんどなく、多くの人は1日にトイレに何度も行かなければならないのは面倒だと感じ、血便を気にはしていますが、重症化しないために、日常生活は普通にしています。したがって医療機関の受診も遅れることが多いと言えます。

 赤痢というと、細菌性赤痢の方が有名だと思いますが、こちらは激しい下痢と高熱がでるのが特徴です。細菌性赤痢は性感染症ではなく、多くは海外で不衛生な水や食品から感染します。潜伏期間は数日間と短く、症状は激しいですが、抗生物質の数日間の投薬でほぼ治癒します。

 一方、アメーバ赤痢の方は、症状は重症化することはほとんどありませんし、潜伏期間も、早ければ数日で症状が出ますが、長ければ数か月以上となる場合もあり、なかなか診断がつかないケースもあります。アメーバ赤痢を疑ったときに、血液検査で抗体を調べることがありますが、感染から1か月以上経過していても抗体が陽性とならないこともあります。確定診断を得るためには、便のなかの原虫(栄養体とシスト)を顕微鏡で調べるのですが、これが慣れていないとけっこうむつかしいのです。ですから、アメーバ赤痢の可能性が否定できなければ、私は何度も顕微鏡の検査をおこなうようにしています。

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~赤痢アメーバ編その2~

 アメーバ赤痢は、ほとんどが重症化しませんが、ときに血流に乗って他の臓器に移動することがあります。一番多いのは肝臓で、「肝膿瘍(かんのうよう)」と呼ばれる膿(ウミ)の塊のようなものをつくります。こうなると、右の脇腹が痛くなったり、高熱がでたりすることもあります。

 アメーバ赤痢の診断がときに遅れることがあるのは、重症化しないこと、潜伏期間が相当長くなること、といった理由もありますが、決定的な症状がでないことも理由のひとつです。特に、血便がはっきりしないときや、血便があったとしても必ずしも「イチゴゼリー状」とはならないときもあるのです。

 そのため、他の病気に間違われていることもあります。患者さん側からすると血便から「痔」と考えている場合が多いようですが、医療者側からみて最も鑑別しにくいのは「潰瘍性大腸炎」という非感染性の慢性の腸炎です。潰瘍性大腸炎も、主な症状は血便や下痢で、アメーバ赤痢と同じように、良くなったり悪くなったりを繰り返します。潰瘍性大腸炎は、「難病」に指定されており(治療費は公費でまかなわれます)、そんなに多い病気ではありませんが、年々増加傾向にあり、現在国内で10万人以上が罹患していると言われています。

 一方、アメーバ赤痢は、途上国に発生が多く、全世界では毎年数万人がこの感染症で命を落としていますが、日本では年間の発症者がせいぜい数百人です。慢性化した下痢と血便をみたときに、アメーバ赤痢に比べて頻度の高い潰瘍性大腸炎が疑われるのはありうることなのです。しかし、潰瘍性大腸炎と誤って治療がおこなわれると、通常はステロイドを用いるのですが、ステロイド投与でアメーバ赤痢が増悪することになり、その結果、アメーバ赤痢という正しい診断がつく、といったこともあります。

 このように、アメーバ赤痢という感染症は診断がつくまでに苦労することがしばしばあります。ですから、血便や下痢が気になって病院に行くとき、もしもあなたに、"思い当たること"があれば、それを医師に言うようにすべきです。ここで恥ずかしがって"思い当たること"を隠していると、診断が遅れることになり、結果としてあなたにとって不利益なことになるかもしれません。「医師なんだからセックスについてもちゃんと問診してくれるだろう・・・」、患者さんはときにこのように考えていますが、医師側からすると、血便や下痢で受診する全ての患者さんに「アナルセックスをしますか?」などと聞くわけにもいかないのです。

 さて、診断がつくまでに時間のかかるアメーバ赤痢ですが、治療はいたって簡単です。「メトロニダゾール」という飲み薬を飲むだけです。これはトリコモナスの治療薬と同じものです。ただし、トリコモナスの治療に比べると3倍程度の量を飲まなくてはなりません。しかし、ほとんどの人はすぐに効果が現れて、早い人であれば、飲み始めたその日から症状が改善しました、と言う人もいます。

 今でも世界では毎年数万人がアメーバ赤痢で命を落としているのは事実ですが、これはアメーバ赤痢からくる下痢によって、脱水が深刻化し、死亡にいたっているものと考えられます。下痢をおこせば、積極的な水分摂取をおこなわなければなりません。水を飲めれば口から水分をとればいいですし、吐き気があるなら(アメーバ赤痢で吐き気がおこることはありませんが)点滴をすることになります。

 しかし、世界には点滴が簡単にできないだけでなく、充分な飲み水がない人も大勢いるのです。ユニセフのウェブサイトによりますと、きれいな水が手に入らない環境にいる人は世界で4億5千万人もいて、世界で20億人以上の人々は、清潔な衛生状態になく、水を原因とする病気は8秒に1人のペースで幼児の命を奪い、途上国の死因の80%を占めるそうです。きちんと治療をすれば大事にいたることのないアメーバ赤痢が毎年数万人もの命を奪っているのは、薬が高価であるからではなく(実際メトロニダゾールは1錠20~40円程度です)、きれいな飲み水が手に入らないという理由によるものなのです。

 話を戻しましょう。

 アメーバ赤痢は腸の症状だけであれば、1週間から10日程度薬を飲むだけで治ります。症状がなくなったことを確認して、再度顕微鏡の検査をおこない、栄養体、シスト共に消失していればそれで終了です。肝膿瘍のある場合も、軽症であれば飲み薬だけで治ることが期待できます。飲み薬だけで治らなければ、入院してもらい、皮膚から管(この管を「ドレーン」と呼びます)を病巣に刺入して、膿を体外に排出する処置をおこないます。お腹を開けて手術が必要になるケースはそれほど多くありません。

 では、アメーバ赤痢をまとめておきましょう。

    1、アメーバ赤痢は、教科書には「男性同性愛者の性感染症」のように書かれていることがあるが、実際は男性異性愛者や女性にも珍しくない。
    2、相手の肛門粘膜や便に存在しているアメーバ赤痢の「シスト」が口から侵入することで感染が成立する。
    3、症状は、血便と下痢が中心だがそれほど重症化しないことが多い。
    4、潜伏期間は早ければ数日だが、数ヶ月以上たってから症状が出現することもある。
    5、診断は、顕微鏡で便を観察し「シスト」もしくは「栄養体」を直接見つけることによるが、ときに診断が遅れることがある。
    6、治療は飲み薬を1週間程度使うことでほとんどが完全に治る。
    7、肝膿瘍をおこしており重症化していれば入院して管(ドレーン)の処置をすることもある。

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●危険なアナルセックス~A型肝炎編~

    A型肝炎その1 2010年5月14日
    A型肝炎その2 2010年4月30日
~A型肝炎編その1~


 前回は、アナルセックスで感染しうる性感染症としてアメーバ赤痢を紹介いたしました。アメーバ赤痢は、肛門粘膜→ペニス(またはペニス→肛門粘膜)ではなく、便→口という経路で感染する、という話をしました。

 今回お話するのはA型肝炎ウイルスです。A型肝炎ウイルス(以下HAV)も、アメーバ赤痢と同様、便→口という感染ルートをとります。つまり、相手の肛門を愛撫して病原体が口の中に入ることによって感染、あるいは相手の肛門を指で触り、その指についた病原体が相手の身体や性器について、それを愛撫することによって感染、というルートです。

 アメーバ赤痢は(少なくとも国内では)性的接触で感染するのが一般的であるのに対し、HAVは食べ物からの感染の方が頻度としては圧倒的に多いと思われます。ですから、HAVを性感染症のひとつとしてしまうのには少し問題があるかもしれません。しかし、性交渉を通してHAVが感染しうるのは事実ですから、やはり知識としては持っておきたいところです。

 参考までに、HAVの感染源としてよくある食べ物は生カキです。生カキによる感染症というと、今ではノロウイルスが最も有名ですが、以前はHAVの方が、カキが原因の感染症としてはよく知られていました。(そもそもノロウイルスという名前が登場したのは2002年以降のことです) また、ノロウイルス、HAV以外にも、生カキから感染する病原体として腸炎ビブリオや大腸菌があります。

 話を戻しましょう。相手の肛門から自分の口腔内に侵入したHAVは、発熱や倦怠感などの全身症状をもたらします。しかし、感染すると全員が症状を発症するわけではありません。成人の場合、HAVに感染しても、10~25%はまったく症状がでずに抗体ができて治癒します。(これを「不顕性感染」といいます) 小児が食べ物から感染した場合は、さらに不顕性感染となる割合が高く8割以上とも言われています。

 以前お話したB型肝炎ウイルス(以下HBV)は、不顕性感染となる割合が7割程度と言われていますから、HAVはHBVに比べると症状が出現する確率が高いと言えます。

 HAVに感染すると、だいたい2~6週間程度で症状がではじめます。最初は、発熱、食欲不振、倦怠感、嘔吐などです。HAVの発熱は38度を超える高熱が多いと言えます。HBVやHCV(C型肝炎ウイルス)の急性期の発熱が38度を超えることがそれほど多くないのとは対照的です。

 高熱がでて倦怠感もそれなりのものになりますからHAV陽性という診断がつけば、原則として入院になります。一方、それほど高熱がでないHBVやHCVは、症状が軽ければ入院とはならないのが普通です。

 HAVはごく初期の症状である発熱と倦怠感だけでは、なかなか疑われずにこの時点で確定診断がつくことは多くはありません。しかし、そのうち黄疸(身体が黄色くなる)がでてきたり、便の色が白くなったりしますから、この時点で採血をおこない肝機能が悪化していることが確認されます。そして、問診からHAVの可能性を聞き出して疑いがあればHAVのIgM抗体の有無を調べます。このIgM抗体が陽性であればHAV陽性という診断確定です。(もっとも、発熱、倦怠感、肝機能悪化となれば、HBVやHCVも同時に検査するのが普通です)

 HAVという確定診断がつけば、だいたい1~2か月は入院となります。入院して何をするのかと言えば、特に何もしません。安静にしてもらって点滴(中身はたいしたものがはいっていません)をおこなうだけです。HAVには特効薬がないのです。

 たいした薬がないなら入院なんてしなくていいんじゃないの?と思われる人もいるでしょうが、入院はほとんどの場合において必要です。その理由は2つあります。1つは、HAVの症状はそれなりにしんどくなるのが普通であり、必要な水分を口からとることができず持続的な点滴が必要になるということ、もうひとつは、劇症肝炎になる可能性があるということです。

 劇症肝炎というのは、簡単に言えば、「大変重症化した肝炎」ということになりますが、通常は意識障害が伴い、集中治療室(ICU)に入ってもらうことになります。劇症肝炎は、HAVよりもHBVの方が頻度は多いのですが、HAVが劇症肝炎に移行することもなくはありません。(HCVの劇症肝炎は非常にまれです)

 要するにHAVという診断がつくと、点滴で水分を補給し、劇症肝炎に移行しないかどうかを観察しながら1~2か月間は安静にしてもらうということになります。

 HBVがしんどい時期(急性期)を乗り越えても、慢性化する(ウイルスが残る)ことがあるのに対し、HAVには慢性化はありません。したがって、HBVやHCVのように肝硬変や肝臓ガンになる可能性もありません。

 HBVやHCVが大変やっかいな理由の1つは、慢性化して将来的に肝硬変や肝臓ガンになる可能性がある、ということです。それらへの移行を防ぐための薬はありますが、注射薬にしても飲み薬にしても、それなりに高価であり、また副作用もそれなりのものがあります。さらに、日常生活は不自由なく送ることができても、性交渉などを通して他人に感染させる可能性があります。

 一方、HAVの場合は、慢性化することはありませんから、しんどい急性期を乗り越えれば完全治癒するというわけです。

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~A型肝炎編その2~

 前回お話しましたように、HAVにはHBVやHCVとは異なり慢性化はありません。ですから、高熱と倦怠感で1~2か月ほど苦しめられたとしても、劇症化をおこして意識消失などということにならない限りは、完全に治るわけです。そして、いったん治れば抗体(IgG抗体)ができて再びHAVに感染することはありません。この抗体は終生免疫であろうと言われています。つまり、この後はいくらHAVが身体の中に入ってこようが、体内の抗体がやっつけてくれるというわけです。

 さて、HAVの予防はどうすればいいのでしょうか。「相手の肛門に触れない」というのはひとつの考え方かもしれませんが、性的嗜好の如何によってはこれを避けることはできないでしょう。男性同性愛者の場合はその傾向がさらに顕著かもしれません。

 実はHAVには大変すぐれたワクチンがあります。2~3回の接種でほぼ100%抗体が形成されると言われています(HBVのワクチンはなぜか抗体がつかない人がいて全体の抗体形成率は約95%です)。ワクチンで形成された抗体がどれくらいの期間有効かについては、議論が分かれることがありますが、少なくとも数年間は有効なのは間違いありません。ですから、性交渉を通して肛門に触れるかもしれない、という人は積極的にワクチン接種を検討すべきだと思われます。

 アナルセックスをする人はHAVのワクチンを・・・、という言い方をしてしまうと誤解を招くかもしれませんので、ここで少し補足をしておきたいと思います。

 一般的にHAVのワクチン接種が最もすすめられるのは、衛生状態の良くない海外に渡航する場合です。HAV感染の多くは不衛生な水や食品を通してですから、これは当然です。かつての日本も衛生状態は決して良好とはいえませんでしたから、1960年代くらいまでは国内でのHAV感染は珍しくありませんでした。そして、前回も述べたように、小児では不顕性感染が8割以上ですから、現在60代以上くらいの人であれば、まったく身に覚えはないがHAVに感染して抗体がすでにできている、という場合が多いのです。(「抗体」という言葉は、なかなか説明がむつかしいのですが、前回述べたIgM抗体というのは、HAVに感染した直後に出現します。したがって、今HAVにかかっているかどうかを調べるときにはIgM抗体を検査します。一方、過去にかかって今抗体ができている、というときの抗体はIgG抗体を指します。IgG抗体が陽性であれば、HAVに感染することはありません)

 最近のHAV感染は、海外での感染が増加傾向にあります。そして、感染する国で多いのが中国とインドです。もちろん、タイ、インドネシア、フィリピンなどの東南アジアでの感染もあります。

 ですから、このような地域に長期出張や駐在、留学、あるいは比較的短期の観光でも田舎の方に行くときには、事前にHAVのワクチンを接種していくべき、と私は考えているのですが、なぜかこのワクチンはそれほど普及していません。たしかに、劇症化の可能性がHAVより高く慢性化の可能性もあるHBVの方が、ワクチン接種の優先順位は高いのが当然ではありますが、HAVのワクチンの重要性についても、もう少しクローズアップされてもいいのではないかと私は感じています。

 よく海外に行くと、「現地の人も食べているのだから同じように食べないと失礼」と言って、現地の人と同じ食事をしようとする人がいますが、これはある程度の知識がないと危険です。私がNPO法人GINA(ジーナ)の仕事でタイに行くときは、北タイや東北地方(イサーン地方)の上水道がないような僻地を訪れることがあり、このときは、ほとんど現地の人と同じ食事をとりますが、<それなりの覚悟>をしなければなりません。

 まず、辛いものや普段口にしないものによる腸管刺激性の下痢はほぼ必発でおこります(これは感染症ではありません)。したがって、タイの僻地に行くときは、まだ下痢をしていないときから整腸剤の内服を開始します。次に、サルモネラや大腸菌による食中毒の可能性を考えなければなりませんから、これらに効く抗生物質を常に常備しています。もちろんHAVのワクチンは数年前に接種しており抗体ができていることを確認しています。

 話はそれますが、タイの僻地でいつも気になるのはサワガニです。一応「生」ではなく「発酵」したものとされていますが、日本人からすると「発酵臭」ではなく「生臭さ」もしくは「腐敗臭」にしか感じられません。火を通していないわけですから、サワガニからウエステルマン肺吸虫や宮崎肺吸虫が感染したら・・・、などと考えてしまいますが、さすがにこれらに有効な薬までは持参していきません。

 話を戻しましょう。私が言いたかったのは、現地の人がなぜHAVを口から摂取しても肝炎を発症しないかということでした。HAVは子供に感染すれば不顕性感染がほとんどですから、アジアの子供たちがHAVを含む食べ物を食べたときには、症状がでずに、そのまま感染したことにすら気づかないうちに抗体(IgG抗体)ができているわけです。言わば、現地の人たちは"天然のワクチン"を接種しているということになります。

 "天然のワクチン"がない現代の日本で育った私たちは、医療機関で普通のワクチンを打つのが最適だということになります。ただし、HAVのワクチンはHBVなどに比べると少々高くつきます。医療機関にもよりますが、1回1万円くらいが標準だと思われます。  


 では、HAVについてまとめておきましょう。

    1、A型肝炎ウイルス(HAV)は便→口というルートで感染するため、性交渉で肛門に触れる人は感染の可能性がある。
    2、不顕性感染(感染しても症状がでないこと)は成人の場合10~25%くらい。
    3、感染して発症すると、比較的高熱と倦怠感が出現し、通常は1~2か月の入院となる。
    4、頻度は低いが劇症肝炎を起こすこともあり、そうなると命にかかわることもある。
    5、いったん治癒すると抗体ができて二度とかからない。慢性化はない。
    6、予防にはすぐれたワクチンがある。ワクチンを接種すべきなのはアナルセックスをする人だけでなく、衛生状態のよくない海外に行く人も。

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●少しずつ注目され始めたHTLV-1

    その1 2010年5月31日
    その2 2010年6月15日
    その3 2010年6月30日
    その4 2010年7月15日
その1

 HTLV-1というウイルスをご存知でしょうか。このウイルスを持っているのは日本人に多く、母子感染以外にも性感染や血液感染があり、治療法が確立しておらず、ときに致死的な状態になる大変重要な感染症であるのですが、医療従事者以外には意外に知られていないように思われます。

 しかし、最近、ほんの少しずつではありますが、このウイルスに対する関心が高まってきているようにも感じられます。妊婦検診の感染症の項目に加えられることが増えてきていますし、治療方法の研究も進んできています。

 このHTLV-1について、まずは正体を紹介したいと思います。

 HIVというウイルスを知らない人はまずいないと思いますが、実はHTLV-1はHIVに非常によく似ています。HTLV-1もHIVも、共に「逆転写酵素」をもつ「RNA型のウイルス」で、これらを「レトロウイルス」と呼びます。

 詳しく説明しだすと専門的になってしまうのですが、ごく簡単にこれらを解説すると、レトロウイルスは「自らの遺伝子をRNAの形でもっていて、ヒトに感染すると、その自らのRNAをヒトの遺伝子(DNA)の中に組み込むことができ、その作業に逆転写酵素を用いる」、ということになります。さらに、噛み砕いて言うと、「ヒトの体内に侵入したレトロウイルスは、逆転写酵素を使って自分の遺伝子(RNA)をヒトの遺伝子(DNA)のなかに挿入してしまう」、となります。なんとなくイメージができるでしょうか。例えて言えば、泥棒(HTLV-1)が他人(ヒト)の家に勝手に上がりこんでそのままその家に住み着くようなものです。

 ところで、HTLV-1というウイルスが特定され、命名されたのは1980年です。一方、HIVが特定されるのはこの数年後になります。エイズという病名が命名されたのは1982年ですが、この時点ではまだ原因となる病原体が判っていませんでした。何人かの研究者がその後HIVを突き止めることになるのですが、1984年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロ博士は、エイズの原因ウイルスをHTLV-3と命名しています。後にこれがHIVと改められるわけですが、当初HIVはHTLV-1の"妹"(弟?)のようなものと考えられていたというわけです。

 ということは、HTLV-1はHIVの"お姉さん"(兄?)であるのにもかかわらず、"妹"であるHIVの方が遥かに有名になってしまい、「えっ、HIVにお姉さんがいたの? 全然知らなかった・・・」、と感じている人の方が多いわけです。

 なぜ、お姉さんのHTLV-1は世間から注目されずに影が薄いのでしょうか。これを考えるために、HTLV-1とHIVの共通点と相違点についてみていきましょう。

 まず、共通点は、先に述べた「レトロウイルス」であることの他に、感染経路が非常に似ていることが挙げられます。HTLV-1もHIVも共に感染経路は、母子感染、血液感染、性感染の3つです。母子感染については、HTLV-1の場合、分娩時よりも母乳での感染が多いことがわかっています。(しかし、HIVも母乳で母から子に感染することはよく知られています) 

 血液感染はHTLV-1もHIVも同じようにリスクがあります。ですから、献血がおこなわれたときは、輸血に使われるまでに、その血液がHIVにもHTLV-1にも感染していないことが検査で確認されることになっています。もちろん、献血された血液は、HIVとHTLV-1以外にも、B型肝炎ウイルス(HBV)、C型肝炎ウイルス(HCV)、梅毒、などについても調べられます。(参考までに、日本赤十字社では、検査目的の献血を防ぐために、献血された血液からこれらの感染症がみつかったとしても、献血をした本人に知らせないことがあると言われています)

 性感染については少し異なるところがあります。HIVが精液にも腟分泌液にも含まれているのに対して、HTLV-1は精液には含まれているものの腟分泌液にはないとされています。しかしながら、男女間の性交渉でも、肛門性交(アナルセックス)があったり、膣壁に傷があったり、あるいは不正出血などがあったりして、女性の血液が尿道に入り、なおかつその尿道に炎症や傷があれば、女性から男性に感染することは否定できないと考えるべきでしょう。

 他の共通点として、ウイルス学的にみれば、どちらも「ガンウイルス」の一種という言い方ができます。HIVはエイズを発症すると、カポジ肉腫という悪性腫瘍を発症することがありますし、エイズ特定23疾患のなかには、原発性脳リンパ腫、非ホジキンリンパ腫といった血液のガン、さらに浸潤性子宮頸ガンも含められています。要するにエイズの状態になれば、いくつかのガンを起こしやすくなるため、広い意味では「ガンウイルス」の1つと考えられるのです。一方、HTLV-1は、ATL(成人型T細胞白血病)に移行することがあります。ATLに罹患した有名人として、宮城県元知事の浅野史郎さんが記憶に新しいですが、女優の夏目雅子さんが亡くなられたのもATLだと言われています。ATLは血液のガンという言い方ができますから、HTLV-1も「ガンウイルス」の1つとなるわけです。

 次回は、HTLV-1とHIVの相違点についてみていきましょう。

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その2

 今回は、HTLV-1とHIVの相違点について考えていきたいと思います。

 まず、HIVは世界中に広く感染者がいて相対的には日本の感染者は少ないのに対し、HTLV-1は日本に多いという特徴があります。日本の感染者をみれば、HIV感染者はエイズ発症者を含めても感染が判っているのが約1万5千人、検査をしておらず感染に気づいていない人を含めても、せいぜい5万人程度でしょう。一方、HTLV-1の感染者は108万人(2009年6月の厚生労働省の報告)ですから、HTLV-1の方が数十倍も感染者が多いことになります。

 次に治療法について考えてみましょう。周知のように、HIVは現在では「死に至る病」ではありません。抗HIV薬をきちんと服用すれば、HIVに感染していない人と寿命に大差はありません。実際、アメリカではHIV陽性者の死因で多いのがガンと心筋梗塞と言われています。(要するにHIVに感染していない人と同じような死因です)

 一方、HTLV-1については、先に紹介したATLに罹患すると、有効な治療方法はありません。標準的な治療をおこなったとしても、平均生存期間でみると1年ちょっと、2年生存率では3割程度です。つまり、ATLという診断がついてしまえば、2年以内におよそ7割の人が亡くなるのです。

 また、HTLV-1に感染すると、HAM(HTLV-1関連脊髄症)と呼ばれる手足が動かなくなる病気になることもあります。この病気はATLのように、一気に命にかかわる状態となるわけではありませんが、症状はゆっくりと進行し、徐々に生活に影響がでてきます。そして、HAMに関しても有効な治療法があるとは言えないのが現状です。

 ここまでを振り返ると、HTLV-1はHIVに比べて(少なくとも日本では)感染者が圧倒的に多く、有効な治療法がない、ということになります。しかも、歴史的にみて、HTLV-1はHIVの"お姉さん"なのです。では、なぜ"お姉さん"が注目されないのでしょうか。

 その違いは主に2つあります。

 1つは、病気の発症率なのですが、この話に入る前に、病原体の名前と病気の名前について確認しておきたいと思います。ここはややこしいところですが、しっかりとおさえておく必要があります。

 ときどきHIVとエイズをごっちゃにしている人がいますが、HIVはウイルスの名前、エイズは病気の名前です。一般に保健所などでおこなわれているHIVの検査は、もちろん「HIV検査」であって、「エイズ検査」ではありません。健康な人が受ける検査はHIVに感染していないかどうかを調べるものであり、エイズを発症しているかどうかを調べているわけではありません。話がそれるので多くは述べませんが、エイズを簡単に定義すれば「HIVに感染していて尚且つ特定23疾患のいずれかに罹患している状態」となります。つまり、「エイズ検査」というものがあるとすれば、それはHIVに感染していることが前提であり、その上で23疾患のいずれかに感染していないかどうかを調べる検査ということになります。

 HTLV-1の場合も同様です。HTLV-1はウイルスの名前で、ATLやHAMというのが病気の名前です。(実はHTLV-1はこの2つの疾患以外にも引き起こす病気があるのですが、それについては後述します) ときどき、初診の患者さんに、「何か病気にかかったことがありますか」と聞くと、「30歳のとき、たまたまATLにかかっていることが分かりました」などと答えられることがありますが、これは誤りで、正しくは「HTLV-1にかかっている」となります。

 病原体(ウイルス)の名前と病気の名前はきっちり区別する、という前提で、「発症率」の話に入りたいと思います。

 一般にHIVに感染すると、無治療の場合、ほとんどすべての人がエイズを発症して死に至ります。したがって、有効な治療法がなかった時代には、HIV感染は死を意味すると考えられていました。HIVに感染してもエイズを発症しないのは、実に300人に1人程度であろうと言われています。潜伏期間(感染してからエイズを発症するまでの期間)は、5年から10年程度と言われていますが、実際にHIV陽性の患者さんをみていると、多くの場合、この5年から10年の間、まったくの無症状というわけではありません。微熱がでやすい、下痢をしやすい、イボがでやすい、口内炎がおこりやすい、など、HIVに感染する以前にはなかったような症状がときどき出ることの方がむしろ多いと言えます。(話はそれますが、最近ではエイズの薬を飲むまでの期間の判断基準が変わってきており、感染して1~2年程度で投薬開始となるケースも増えてきています)

 HIVとは対照的に、HTLV-1の場合、まず感染しても大半の人が無症状のまま生涯を過ごします。生涯を通してATLを発症する確率はおよそ5%、HAMを発症するのは0.2%程度であろうと言われています。そして、潜伏期間も極めて長く、ATLにしてもHAMにしても数十年、長ければ50年以上たってからの発症、ということもあります。

 HIVは感染すると数年以内に何らかの症状がかなりの確率で出現し、いずれ無治療でいればほとんど全員がエイズを発症するのに対し、HTLV-1は、感染しても9割以上の人が生涯を通してまったくの無症状で、感染したことにすら気づかないわけです。これが、HIVの"お姉さん"であるHTLV-1が世間から注目されない理由の1つです。

 次回はHTLV-1が注目されないもうひとつの理由をみていきましょう。

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その3

 HTLV-1が注目されないもう1つの理由は、「地域のかたより」です。HTLV-1は世界的にみても、HIVと比べると社会の関心はかなり低いと言えます。感染者数は(正確な統計はありませんが)世界全体で数千万人程度はいるだろうと言われており、HIVの感染者数とそうかわらないわけですが、日本以外には、カリブ海沿岸諸国、中央アフリカ、南米などに限局されています。HIVも地域でのかたよりはたしかにあって、サハラ以南のアフリカ、インドなどに多いのは事実ですが、それでもアジア全域、ロシアを含むヨーロッパ、オセアニア、アメリカ大国での感染者数も決して少なくはないわけです。

 なぜ、HTLV-1の感染者の地域分布はこれほどまでにかたよっているのでしょうか。一般に感染症が広がるのは、ヒトの移動を通してです。例えば、HIVはアフリカが起源で、主に性交渉と薬物注射針の使いまわしで横に広がり(水平感染)、そして母子感染(垂直感染)でさらに感染者が増えることになったわけです。以前ご紹介した梅毒は、コロンブスが新大陸からヨーロッパに持ち帰り、その後ヨーロッパ全域、ロシア、インド、中国、日本と、性交渉を通して世界中に広がったのです。

 では、HTLV-1は、感染経路がHIVと極めて似ているのにもかかわらず、なぜ"地域限定"となっているのでしょうか。実は、これについてはよく分かっていないことが多いのですが、ひとつの仮説として、HTLV-1は「特定の民族にのみ感染しやすい」という可能性があります。

 日本のHTLV-1の感染者をみてみると、あきらかに地域的なかたよりがあります。(最近、そのかたよりがなくなりつつあるのですが、これについては後述します)

 まず、最も多いのが九州(沖縄含む)で、全体の4割以上にも上ります。九州以外では、四国の山間部、和歌山など近畿の山間部、東北では三陸海岸や北海道の一部、またアイヌ人にも多いと言われています。

 あくまでも仮説ですが、これらの地域に感染者がかたよっている理由として、縄文人の血をひくヒトにのみ感染しやすいのではないかという可能性があります。九州四国の山間部に住んでいる人やアイヌ人のなかには、「縄文系」というか、わかりやすい言葉を使えば「ホリが深くて濃い人」が多いと言えるでしょう。そして、のっぺりとした薄い表情の大和人というか「弥生系」の人たちが住む(山間部ではない)平野には、感染者が少ないのです。

 個人的な話になりますが、私は医学部を目指す前は社会学を学んでいて、文化人類学や社会人類学に夢中になっていたことがあります。その当時(1980年代後半)、この「HTLV-1は縄文系の人に感染しやすいのではないか」という仮説を知り、ずっと気になっていました。医学部に入学してから、そして医師になってからも、血液学者を含め多くの医師・医学者に、この「HTLV-1・縄文人仮説」を話してみたのですが、今のところ、誰ひとり賛同してくれる人はいません。しかし、2009年9月6日の日経新聞の「サイエンス」というコーナーで、この「HTLV-1・縄文人仮説」が取り上げられていました。

 話を戻しましょう。"お姉さん"であるはずのHTLV-1が"妹"のHIVに比べると随分と影が薄いもうひとつの理由は、この地域的なかたよりのせいであることは間違いありません。

 実際、1991年に厚生省がまとめたHTLV-1に関する報告書では、「地域差が大きいので国が全国一律に関与するより自治体の裁量に委ねるのが望ましい」とされてしまったのです。これは要するに、「HTLV-1は地域限定の風土病なんだから、国は責任をとりません。地域で勝手にしてください」、と言っているようなものです。ですから、ATLにしてもHAMにしても有効な治療法のない難病であるのは自明なのにもかかわらず、国は「難病指定」をしてこなかったのです。

 一般に有効な治療法の確立されていない疾患は「難病指定」され、これにより患者側の医療費負担が大幅に軽減されます。2009年になり、HAMに対してはようやく「難病指定」されましたが、ATLはまだ指定されていません。HAMよりも感染者が多く、重症化するATLはいまだに難病指定されておらず、治療を受ける際に公的な補助を受けることができないのです。

 感染しても発症するのはごく一部の人に限られるということ、そして感染者に地域的なかたよりがあるということ、この2つがHIVの"お姉さん"であるHTLV-1の影が薄い理由だと言えるわけです。

 次回(最終回)は、そのHTLV-1をとりまく社会状況が、少しずつではあるものの変わりつつあることについて話していきたいと思います。

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その4

 さて、これまで述べてきたようにHTLV-1は"妹"のHIVに比べて大変影が薄く存在感が乏しいわけですが、それでも社会的な関心はほんの少しではありますが、高まってきているように感じられます。

 その理由の1つに、地域的なかたよりが以前に比べて薄まりつつあることがあげられます。

 2009年6月の厚生労働省の報告では、日本全体での感染者数は約108万人とされています。20年前には、約120万人と言われていましたから、総数ではそれほど大差はないのですが、地域でみると変化があります。最多が九州(沖縄含む)なのは変わりませんが、それでも20年前の50.9%から41.4%に減少しています。その一方で、関東は17.3%(前回10.8%)、中部8.2%(前回4.8%)、近畿20.3%(前回17.0%)と大都市圏での増加が目立ちます。

 大都市圏に広がりだした理由として、単純に(九州などにいた)感染者が都市部に移動したということもあるでしょうが、大都市圏での感染が広がっている可能性もあります。つまり、HTLV-1陽性の人が、自らが感染していることを知らずに、授乳、注射針の使いまわし、タトゥー、アートメイク、性交渉などを通して広まっているという可能性です。

 例えば、首都圏だけでおよそ20万人のHTLV-1陽性者がいると言われていますが、単純にこの半数が女性として、その女性の半数がこれから出産すると仮定すると、およそ5万人の妊婦さんが誕生することになります。全例で母子感染が起こることはないでしょうが、それでも感染するかもしれない赤ちゃんは相当数になります。

 HTLV-1の母子感染は、主に授乳での感染ですから、母親が自ら感染の有無を知ることにより、かなりの母子感染を防ぐことができます。ですから、当然、妊婦検診時に公費で(妊婦さんの負担ゼロで)HTLV-1の抗体検査を実施すべきです。ところが、これをしている自治体が極めて少なく、首都圏ではゼロです。

 けれども、妊婦検診時に公費でHTLV-1の検査をおこなう自治体が少しずつではありますが、最近になり増えてきています。以前私が調べた2007年の時点では、公費で検査がおこなえたのは鹿児島県、宮崎県、長崎県の3県だけだったのですが、現在では、鹿児島、宮崎、長崎、高知、静岡、岩手、大分(2010年4月から実施)の合計7県にまで増えています。

 妊婦検診時に公費で検査をおこなえるようになるのは、患者会から声があがって、ということがあります。そこで、例えば、HAMの患者会である「アトムの会」の福岡支部では、2010年5月26日に北九州市に要望書を提出しました。今後、「アトムの会」のような患者会の役割が大きくなってくるでしょう。

 HTLV-1に関連する患者会は、他にもあります。神奈川県を拠点とするNPO法人「はむるの会」では、ATLやHAMを発症した人だけでなく、まだ発症していないHTLV-1に感染した人も参加できるようです。NPO法人「日本からHTLVウイルスをなくす会」(通称スマイルリボン)では、HTLV-1を社会に認知してもらうために各地でシンポジウムを開催しています。

 また、患者会ではありませんが、HTLV-1に感染していることがわかった人は、JSPFAD(HTLV-1感染者コホート共同研究班)というグループに参加することができます。JSPFADに「参加する」というのは、患者会のようなものへの参加ではなく、研究への参加です。具体的には、JSPFADに協力している医療機関に受診することを言います。

 HTLV-1に感染すると、定期的(通常は年に一度程度)の血液検査が必要になります。専門的な検査までおこない、これを通常の保険医療(3割負担)でおこなうと、それなりに費用がかかることがありますが、このグループに参加することにより血液検査の費用は無料になります。そして、専門家らが、JSPFADに参加してくれた人の血液を解析することによって、治療法の研究をおこなっているのです。(私のクリニック(太融寺町谷口医院)では、HTLV-1陽性の患者さんに対して、大学病院(大阪市立大学医学部附属病院)のJSPFADを担当している医師を紹介するようにしています)

 HTLV-1が関連する疾患というのは、ATLにしてもHAMにしても有効な治療法があるとは言えず、さらに他の病気の原因にもなります。あまり知られていませんが、HU(HTLV-1関連ぶどう膜炎)という目の病気にかかると、視野が狭くなったり、視力が低下したりすることがあります。

 また、紅皮症という全身が真っ赤に腫れあがる皮膚の病気があるのですが、この原因にHTLV-1が関与していることがあります。以前は何ともなかったのに突然アトピーの様な症状が全身に出現して・・・、という人は一度検査を受けてみてもいいかもしれません。さらに、菌状息肉症という皮膚のリンパ腫の原因にHTLV-1が関与していることもあります。

 HTLV-1に感染すると、現時点では体内からウイルスを駆逐する方法はなく、ワクチンもありません。そして、ATLやHAMを含めていずれの疾患にも有効な治療法があるとは言えません。しかし、それでも、このウイルスのことを世間に知ってもらい検査を受ける人が増えることが必要です。

 今、少しずつではありますが、妊婦検診時に公費でHTLV-1抗体検査をおこなう自治体が増えてきています。いくつかの市民団体は熱心に啓蒙活動をおこなっています。今後、"妹"のHIVがそうであるように、日本全国どこの保健所に行っても、無料でHTLV-1の抗体検査がおこなえるようになれば、社会での関心が高まることになるでしょう。そうすれば、JSPFADに参加するHTLV-1抗体陽性者が増え、そして有効な治療方法が確立される日が近づくのです。

 ちょうど、当初は極めて困難であると考えられていた"妹"のHIVに対する薬剤が、驚くほどの急ピッチで開発されてきたように・・・。

 では、最後にHTLV-1をまとめておきましょう。

    1、HTLV-1はHIVに比べると認知度が低いが、これら2つはよく似ており、いずれもレトロウイルス(逆転写酵素を持つレトロウイルス)に属する。
    2、HTLV-1の感染経路は、HIVと同様、母子感染、血液感染、性感染である。
    3、HTLV-1は精液には含まれているが腟分泌液には含まれておらず、男性→女性の方が感染しやすい。
    4、HTLV-1は感染しても大半の人は生涯を無症状で過ごす。
    5、HTLV-1陽性者の一部は、ATLやHAMといった難病に罹患することがある。
    6、HTLV-1は特効薬がなくワクチンもない。
    7、社会的関心が少しずつ高まってきており今後研究が進み有効な治療法が確立されるかもしれない。

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●C型肝炎の検査を受けましょう

    その1 2010年7月31日
    その2 2010年8月15日
    その3 2010年8月31日
    その4 2010年9月15日
C型肝炎の検査を受けましょう  ~その1~

 C型肝炎ウイルス(以下HCV)に感染している日本人は少なくて100万人、多ければ200万人以上にもなると言われています。感染経路で最も多いのが、輸血や血液製剤であろうことは間違いないと思われます。

HCVの存在が発見されたのが1989年、検査が一般化されたのが1992年頃ですから、それ以前に感染している人が多数いるのです。(しかし、輸血での感染はやむを得なかったとしても、血液製剤での感染は、HCVの存在が分からなかったのは事実ですが、輸入の非加熱血液製剤で原因不明の肝炎が多数発症していたことは多くの識者が指摘していましたから、当時の厚生省と製薬会社に責任があるのは自明です。しかし、この点については今回のコラムの趣旨から外れますのでこれ以上は言及しないでおきます)

 さて、このコラムでは性的接触で感染しうる感染症について取り上げています。では、HCVも性的接触で感染するのでしょうか。もちろん、感染しうるから今回取り上げるわけなのですが、「HCVは性感染症」としてしまうには少し問題があります。まずはこの点について整理しておきたいと思います。

 そもそもHCVは精液にも腟分泌液にも、もちろん唾液にも含まれていません。ですから、医学の教科書には「HCVは性感染症です」とは書かれていません。にもかかわらず、医療の現場では、性的接触で感染したとしか考えられない症例にときどき遭遇します。私がこれまでに経験した症例を少し紹介してみたいと思います。



【症例1】30代女性


出産の経験があり妊婦検診時にはHCV陰性。出産3年後にHCV陽性が発覚。出産以降、針の使いまわし、タトゥー、ボディピアス、アートメイクなど血液感染が起こりうるエピソードは一切ない。出産後の入院歴・手術歴なし。性交渉は夫のみ。しかしその夫は以前からHCV陽性であることがわかっていた。



【症例2】20代男性(同性愛者)


2年前の血液検査でHCV陰性。いわゆるハッテンバで不特定多数の国内外男性と危険な性交渉(unprotected sex)を何度かおこなっている。自身はウケ(bottom)、要するに肛門で受ける方。肛門の尖圭コンジロームに罹患したことをきっかけに、HCV,HBV,HIVの検査を受けたところ、HCV陽性であることが判明した。



【症例3】50代男性


4年前から中国駐在、体調がすぐれないという理由で一時帰国し、HCV陽性であることが判明、肝機能が悪化していることがわかり入院となった。中国渡航前の検査ではHCV陰性であった。中国で血液感染を示唆するエピソードはない。しかし、現地でセックスワーカーの女性と知り合い、初めは客とセックスワーカーの関係であったがその後恋愛関係に陥り2年間の同棲生活を送っていた。

 これら3例はいずれも性感染したとしか考えられない症例です。私は以前、ある病院のカンファレンスでHCVに罹患し入院となった20代女性の症例報告を聞いたことがあるのですが、その症例を発表した肝臓専門医に質問したところ、「実際にはHCVの性感染はありうることで、この症例も性感染であろう」との答えが返ってきました。つまり、教科書には、HCVは性感染症として取り上げられていませんが、実際の現場では「性感染しうる」と考えられているのです。


 では、精液にも腟分泌液にも唾液にも含まれていないHCVがどうして性感染するのでしょうか。最も考えられるのは、性行為の際、何らかの理由で出血をきたし、血液が相手の体内に侵入した、という可能性です。上にあげた症例でいえば、症例1は、例えば夫が何らかの理由で血尿もしくは血精液症があり、尿道からHCVを含んだ血液が女性の腟内に侵入した可能性があります。症例2も同様の理由で、男性の肛門にウイルスが侵入したのでしょう。

 「精子に血が混ざっている」と言って医療機関を受診する人がときどきいますが、この現象は「血精液症」といって珍しいものではありません。大半は放っておくと消えるために治療の対象になることはあまりありませんが、何らかの理由で一時的に精液に血液が混じることはよくあることなのです。(クラミジア尿道炎などで精子に血が混ざることもあります。また、頻度は少ないですが、前立腺癌や膀胱癌でも精子に血が混ざることはあります)

 症例3では、女性に不正出血(これもよくあります)があった、あるいは月経の前後で腟内に血液が滞っていたという可能性もあります。

 このように性交渉を介してHCVを含む血液が相手に侵入し感染が成立、というケースは充分考えられることなのです。解釈の仕方によっては、これを性感染でなく「血液感染」と考えるべきかもしれませんが、「性行動で感染している」のは間違いないわけですから、広義には性感染と考えるべきでしょう。

 では、いったいどれくらいの頻度でHCVの性感染が成立するのでしょうか。私の実感で言えば、B型肝炎ウイルス(以下HBV)に比べれば、比較にならないほどの低い確率です。(逆に、HCVに比べると、HBVが性交渉を介して高率で感染する、という言い方もできます)

 HIVと比較すればどうでしょうか。きちんとしたデータはあまり見たことがありませんが、おそらくHIVとHCVの性感染での感染率はおおまかに言えば同じくらいではないか、と私は感じています。参考までに、医療従事者の針刺し事故ではHCVの感染率はHIVの10倍程度というデータがあります。

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C型肝炎の検査を受けましょう  ~その2~

 HIVについては、どのように感染したかがある程度正確に把握されています。この理由は、?HIVはHCVに比べると感染者が圧倒的に少なく追跡調査をおこないやすい、?HCVの急性症状はそれほど頻度が高くないのに対し、HIVは急性症状が出現しやすくそのため直近の感染経路を特定しやすい、?HIVは保健所の無料検査などが充実したため無症状でも検査を受ける人がHCVに比べれば多い、などが考えられます。

 一方、HCVについては、大半の感染者は、急性症状が出ていないために検査して初めて感染が判った、というケースがほとんどであり、いつどこでどのように感染したかが特定しにくく、無料検査などもHIVに比べると普及していないという問題もあります。ですから、感染経路が特定できるかどうかは別にして、公衆衛生学的に言えば、一度国民全員が検査を受けるべき、と言えるのですが、実際には検査はそれほど普及していません。(これについては後述します)

 性感染かどうかはともかく、HCVに感染している人はどれくらいいるのでしょうか。前回(その1)の冒頭で述べたように、日本国内では100万人とも200万人以上とも言われていますが、はっきりしたことは分かりません。

 オーストラリアでは囚人の3人に1人がHCV陽性であったというデータがあります。(2007年2月12日のNEWS.COM.AU) 囚人のなかには覚醒剤をはじめとする薬物の静脈注射の経験者が多く、大半がこのせいでないかと言われていますが、オーストラリアはHIV陽性者も多く、また男性同性愛者が多いという特徴もあり、性感染でのHCVも相当数になるのではないかとの見方もあります。ちなみに、欧米諸国、オーストラリア、タイなどでは、HIV陽性者の多くは、実際には、性感染なのか(針の使いまわしの)血液感染なのかわからない、というケースが多々あります。

 さて、ここまでをまとめると、HCVの感染者は総数で言えばHIVとは比較できないほど大勢いて、そのうち性的接触で感染したケースも多くはないにしても無視はできない、ということになります。では、HCVに感染するとどのような症状がでてどのような治療が必要となるのでしょうか。

 HCVに感染すると、一部が急性症状を呈します。どれくらいの割合で急性症状が出現するのかについては、はっきりと書かれた文献が見当たらないのですが、急性肝炎を発症した症例の約10%がHCVによるものであったとの報告があります。

 ただし、HCVによる急性肝炎はそれほど重症化せず、高熱もでません。無治療でも症状が消えることが大半ですから、軽い風邪かな、と考えて実際には医療機関を受診しない人の方が多いのではないかと思われます。また、A型肝炎やB型肝炎では、一部が劇症化に移行して命にかかわる状態になるのに対し、HCVによる急性肝炎から劇症肝炎に移行するというケースは極めて稀です。(私もみたことがありません)

 A型肝炎に慢性化はありませんし、B型肝炎についても、最近になって慢性化するタイプのものが増えてきており、これは大変な問題なのですが、それでも劇症化しなければ大半は治癒して慢性化はしません。

 一方、HCVによる急性肝炎はウイルスが消えて完全に治癒するのは(文献にもよりますが)だいたい3分の1程度で、残りのおよそ3分の2は慢性化します。いったん慢性化すると、何もしなくても自然にHCVが消えることはほとんどありません。そして1~2割くらいは、その後20年間のあいだに肝硬変を発症すると言われています。肝硬変にまで進行すると年に5%くらいは肝細胞ガンに以降すると言われています。年に5%というのはかなりの高率であり、40歳の時点でHCV陽性の人を無治療で放置しておくと70歳の時点で20~25%は肝細胞ガンに進展するであろうと言われています。

 このように、いったんHCVに感染すると、多くの場合一生定期的な検査を強いられ、適切な治療をおこなわないと肝硬変→肝細胞ガンと進展する可能性があるのです。そして、HCVは急性肝炎を起こすとは限りませんから、感染したけれどもまったく自覚がない、というケースも多々あるでしょうし、急性肝炎を起こしたとしても症状が軽いために医療機関を受診していない人も相当いるはずです。ですから、ある日体調が悪くなって医療機関を受診するとHCVによる慢性肝炎が進行していた、ということも我々医師はしばしば経験するのです。

 HCVが最もやっかいな理由のひとつが「ワクチンがない」ということです。HBVは時に死に至る大変危険な感染症ですが、すぐれたワクチンがあるために、事前にワクチンを接種して抗体をつくっておけばほぼ100%感染を防ぐことができます。(残念ながら日本では他国に比べてワクチン接種が普及しているとは言い難いですが・・・) HAVにも大変有効なワクチンがありますから接種しておけば怖がる必要はありません。

 一方、HCVにはワクチンがまったくなく、「予防に気をつける」以外になす術がありません。参考までに、医療従事者は針刺し事故をしたとき、HIVに関しては針刺し後すぐに抗HIV薬を内服するという方法で感染をほぼ防ぐことができます。HBVについては医療従事者であればワクチン接種をしていますから感染の心配はありません。ところがHCVの場合は針刺し後に使える薬がないのです。ですから、HCV陽性の患者さんからの採血や手術などで針刺し事故を起こしたときにできることは「祈ること」くらいなのです。

 実は、医療行為でHCVに感染した医療従事者というのは実際のデータはみたことがありませんが、相当数になるはずです。一般の人からはなかなか分かりにくいと思いますが、針刺し事故というのはいくら注意してもゼロにすることはできないのです。きちんとした統計にはでてきませんが、おそらく毎日のように全国の医療機関のどこかで針刺し事故はおこっているはずで、そのうちのいくらかはHCVに感染している可能性があります。

 話が少しそれますが、医療従事者というのは「針刺し事故」以外にも血液感染のリスクがあります。例えば手術の際には、充分に注意をしていても突然大量の出血がおこることがありますし、救急搬送されてきた患者さんが血だらけであったり、点滴中に患者さんが突然暴れだして針をぬいて血まみれになったり、ということもあります。分娩時にも大量の出血が伴うことがあります。また、精神病棟や養護施設などでは患者さんに噛まれるという場合もあります。このため、医療従事者以外でも例えば、養護学校の先生や保健師さんなどは血液感染のリスクに晒されていると言えます。

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C型肝炎の検査を受けましょう  ~その3~

 母子感染はどうでしょうか。一言で母子感染といっても、妊婦さんのHCVのウイルス量によってまったく異なってきますから一概には言えないのですが、概して言うと母子感染の可能性はそれほど高くありません。しかし事前に完全に防ぐ方法はありません。特にウイルス量が多い場合は、新生児に母子感染させる可能性があることをあらかじめ妊婦さんに知っておいてもらう必要があります。ただし、母子感染したとしても3歳くらいまでにウイルスが体内から消えることが多いとも言われています。しかし、多数の症例を追跡調査した報告は今のところありません。

 HCVは発見されてまだ20年程度しかたっていませんから長期間にわたる追跡調査が存在しないのです。HCVは陽性者が国内で100万人とも200万人とも言われている「よくある感染症」ですが、発見されてからの月日が浅く、HIVの方が陽性者は少ないですが発見されてからの歴史は長いのです。

 前々回(その1)で述べたように、HCV感染の最多の原因は医療行為を通しての感染です。これを「医原性の感染」と呼びます。輸血、非加熱の血液製剤以外にも、1970年くらいまでは予防注射の針の使いまわしで感染した可能性があるかもしれません。ただし、現在では厳重な対策がとられていますから、この時代に医療行為を通してHCVに感染する可能性は(少なくとも日本を含む先進国では)ほとんどないと言えます。

 ただし完全にないとは言い切れません。例えば、(話をわかりやすくするために端的に言えば)2日前にHCVに感染して昨日献血に行き、その血液が本日の手術で使われた、というケースでは検査をすりぬけてしまいます。

 また、現在の感染予防対策がすべての医療機関で適切におこなわれているかについて疑問視する声もないわけではありません。実際、2007年12月には神奈川県茅ヶ崎市のある病院で、心臓カテーテル検査を受けた患者5人が相次いでC型肝炎を発症していることがわかり、茅ヶ崎市は、注射筒などの使いまわしが原因となった可能性があることを発表しています。また、米国南ネヴァダの内視鏡センターで麻酔の注射を受けた6人の患者がHCVに感染していたことをラスベガス当局が2008年2月に発表しています。この病院では、医師がバイアル(薬液の入っている小さなビン)から薬液を引き抜く際に、針を交換せずに作業をしていた可能性が強いそうです。

 医原性の感染や医療従事者の感染、性感染、母子感染以外で多いのは血液感染に属するものです。具体的には、(覚醒剤ユーザーなどの)針の使いまわし、タトゥー、ボディピアス、アートメイクなどによる感染で、実際には現在の感染経路ではこういった血液感染が最も多いのではないかと考えられます。これら以外には、幼少児に砂場で遊んでいて友達が膝をすりむいて手当てしてあげたときに感染、のようなこともあるのかもしれません。

 さて、HCVの感染経路についてみてきましたが、実は多くのHCV陽性者は、自分がいつどのように感染したのか分かっていないというのが現実です。だいたい6割程度の陽性者が「感染経路不明」ということになっています。これまでに私が経験した患者さんでも、何らかの理由でたまたまHCVを調べると陽性だった、という人は少なくありません。

 前々回(その1)では「症例」として3人の患者さんを紹介しましたが、この3例はいずれも性感染したと考えられるエピソードがあります。しかし、まったく身に覚えのない人も少なくないのです。たしかに、患者さんがどこまで正直に自分の経験を医師に伝えるか、という問題がありますが、ある程度信頼関係ができれば、他人には言えないような、例えば過去の薬物の経験などについても話してくれますし、アートメイクやボディピアスなどについてはあまり隠さないでしょうし、タトゥーは身体を診察する医師には隠せませんから嘘はつかないと思われます。母子感染は母親や兄弟を調べれば分かりますし、入院や手術、輸血の経験を偽ることはしないでしょうし、血液製剤を使う病気というのはそれほど多くありません。

 となると、性感染を考えたいところです。しかし、過去の性行為について患者さんはすべてを医師に話すわけではありませんが、交際相手は過去に数人のみで不特定多数との性交渉はない、という人も少なくないのです。さすがに、過去の交際相手を全員つれてきて採血しましょう、というわけにもいきませんので(そんなことをしてもHCVが消えるわけではありません)、「性感染は完全には否定できないけれども<原因不明>としておくのが妥当」というケースが多いのです。

 治療の話にうつりましょう。HCVの治療はインターフェロンと呼ばれる注射薬が基本です。ここでは、現在のインターフェロンは随分と使いやすくなったんですよ、という話をしたいのですが、まずは従来のインターフェロンの問題点を確認しておきたいと思います。

 1つめの問題は価格です。月に何万円もする高額な注射薬を継続できる人というのはそれほど多くありません。インターフェロンといういい薬があるのは分かっているけれどもお金がないから使えない、このような人が大半だったわけです。

 インターフェロンの2つめの問題は注射の頻度です。飲み薬なら何度も医療機関を受診する必要がありませんが、注射の場合はその都度病院を受診しなければなりません。従来のインターフェロンは週に3回の注射が必要で、週に3回(あるいはそれ以上)医療機関を受診しなければならなかったのです。このため2005年4月には自己注射が承認されるようになったという経緯があります。

 もう1つ、インターフェロンの普及が進まなかった理由があります。それは「副作用」です。インターフェロンという薬剤は副作用が非常に多く、それも深刻なものも多数あります。代表的なものだけを挙げると、発熱、倦怠感、動悸、食欲不振、間質性肺炎、脱毛、皮膚のかゆみ、などですが、私の実感で言えば、患者さんがもっともしんどいと訴えるのが精神症状です。特にうつ(鬱)傾向になる人が多く、ひどい場合は自殺につながることもあります。このため副作用で苦しむ患者さんをみて、インターフェロンに消極的になる医師も少なからずいたのです。

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C型肝炎の検査を受けましょう  ~その4(最終回)~

 さて、前回は従来のインターフェロンの短所をみてきましたが、現在おこなわれているHCVに対するインターフェロン療法はこれらをかなり克服しています。

 まず、価格については大きく改善されました。2010年4月から、肝炎治療に対する医療費助成制度の一部が改正されたのです。この改正により自己負担額は月あたり1~2万円となりました。(しかし毎月1~2万円の費用を捻出できる人もそれほど多くはないのではないか、と私には思えるのですが・・・)

 次に、ペグインターフェロンという新しいインターフェロンが開発されたことにより、これまで週に3回の接種が必要だった注射が週に1回で済むようになりました。(ただし週1回のペグインターフェロンは、自己注射は認められていませんから、週に一度は必ず医療機関を受診しなければなりません)


 ペグインターフェロンは副作用についてもかなり改善されたと言われています。(ただし依然として、倦怠感やうつ症状を訴える患者さんもいますが・・・)

 また、ペグインターフェロンを使った新しい治療法では治療効果もかなり上がっています。標準的な治療では、ペグインターフェロンにリバビリンという飲み薬を併用するのですが、これらの併用療法によってHCVが治癒する可能性が大きく上昇したのです。また、現時点では実用化されていませんが、「プロテアーゼ阻害剤」と呼ばれる新しい治療薬も近いうちに登場すると見込まれています。

 治療期間については、短くても半年、長ければ1年半(あるいはそれ以上)となります。この期間は、週に一度は医療機関を受診しなければならず、定期的な血液検査も必要で、また副作用は以前より減ったとは言え、完全になくなったわけではありませんから充分に注意しなければなりません。

 どれくらいの確率で治るかについてですが、これはHCVのタイプによります。HCVのタイプには1a型、1b型、2a型、2b型の4つのタイプがあります。日本人に多いのは1b型で約70%を占めます。2a型+2b型で約25%です。ペグインターフェロン+リバビリンの併用療法で、1b型であれば5~6割、2a型もしくは2b型であれば9割は治ると言われています。

 90年代に使われていたインターフェロンと比べると、治療成績もよく副作用も少ないわけですが、およそ1年もの間、週に一度注射に通い、副作用に注意して、助成金がでるとは言え、月に1~2万円の自己負担金が必要となるわけですから、やはりそれなりに大変な治療になります。それに、日本人に多いタイプの1b型であれば、1年間の治療を続けても4~5割は治らないのです。

 一方、HIVの治療は、注射でなく飲み薬だけで、副作用はないわけではありませんが、おしなべて言えばインターフェロンの副作用よりは軽度です。また飲み薬は生涯飲み続けなければなりませんが、飲み続けている限りはエイズを発症せず、HIV陰性の人と同じような寿命となるわけです。HCVとHIVを比較することには意味がありませんが、どちらがより苦痛を伴う病気か、というのは一概には言えません。HIVとHCVの重複感染というのはアメリカやオーストラリアではよくあるのですが、抗HIV薬でエイズの発症は防げたけれど、HCVによる肝硬変が進行して寿命が縮まる、というケースは珍しくないそうです。

 さて、HCVにはワクチンもないし、治療法は随分といい薬ができてきたけれど完全なものはない、という話をしてきました。しかし、HCV陽性だからといって、全員が肝硬変や肝細胞ガンを発症するわけではありませんし、効果を疑問視する声はあるものの肝庇護剤と呼ばれる従来から存在する副作用の少ない薬もあります。また新薬にも期待したいところです。

 このようなHCVに対して、まず我々がすべきことは「検査を受けること」です。HCVはHIVに比べると保健所などでの無料検査も進んでいませんし、医療機関にHCVの検査目的で受診する人もそう多くはありません。しかしながら、先にも述べたように日本全体で100~200万人の感染者がいて、その大半は自らの感染に気付いていないと言われているわけですから、誰もが感染している可能性を考えるべきでしょう。

 では、どこで検査を受けるのがベストでしょうか。もし近くの保健所で検査をしていれば保健所に行くのが最善です。無料(もしくは低額)で受けることができるでしょうし、守秘義務も守られます。もしも検査を受けた結果、あなたがHCV陽性であったとしても家族や学校、職場などに通知されることはありません。


 医療機関で検査を受けても守秘義務は守られますが、有料となります。しかも、自覚症状がなく単なる検査であれば健康保険の適用もありませんから、診察代、検査代とも自費になりそれなりに高くつきます。しかし、医療機関の検査であれば通常その日のうちに結果がでますから、そういう意味では保健所よりも便利と言えます。(保健所でも一部にはその日に結果がわかるところもあるそうです。また、医療機関によってはその日に結果がわからないこともあります)

 最近普及しだしているのが会社の健康診断でHCVの検査をおこなうというもので、現在全企業のおよそ1割が健診の項目にHCVをオプションとして加えているそうです。これなら、会社のお金で検査を受けられますし、わざわざ保健所や医療機関を受診しなくてもすむという利点があります。したがって、行政はもとより医師の間でも職場の健診でHCVの検査を普及させるべきという声が大きくなってきています。

 しかしながら、私個人としては職場の健診というものには抵抗があります。これまで何人ものHIV陽性の患者さんが職場で冷遇されたり退職に追い込まれたりした例をみてきました。果たして、HCVで同じことが起こらないと言えるでしょうか。

 労働安全衛生法では、職場の雇い入れ時の健診は必ずおこなわなければならない、ということになっていますが、これは「雇い入れてから」の健診でなくてはなりません。しかし、実際には採用前に健診を受けさせている企業もあります。これはもちろん法律違反であり、このような企業は新しく雇用する者の病歴をみて採用の判断材料にしている可能性があります。もしも病歴に「HIV感染症」との記載があれば、合否に影響を与えないと言い切れるでしょうか。

 そして同じことはHCVにも当てはまります。たしかにHCVはHIVに比べると差別やスティグマはそれほどないかもしれませんが、HCV陽性であれば数年後に肝硬変となり入退院を繰り返す可能性があるのです。また仕事の内容によっては業務中に出血し、同僚にHCVが感染という可能性もないわけではありません。これらを考えると、企業はHCV陽性の者を積極的に採用するでしょうか。

 入社後の定期健康診断の場合でも、HCV陽性であることがわかり、数年後に入退院を繰り返す可能性のあることが判った者を企業としては重要なポストに就任させるでしょうか。昇進に影響がないと言い切れるでしょうか。

 このようなことを考えたときに、私個人としては「職場の健診でHCVも調べましょう」とは気軽には言えないのです。もちろん守秘義務というものがありますから、あなたが職場の健診でHCV陽性であることが判ったとしても、それを知っているのは社内には数人しかいないはずです。しかしその情報が絶対に漏れないと言い切れるでしょうか。そして、もしもあなたがHCV陽性であることが周囲に知れ渡ったとして、要らぬ噂(例えば薬物疑惑、危険な性交渉の疑惑など)を立てられることはないでしょうか・・・。

 これらを踏まえた上で、HCVの検査をどこで受けるか、というのを各自考えるべきでしょう。

 では、HCVについてまとめておきましょう。

    1、HCVの感染経路には、輸血や非加熱血液製剤といった医原性、タトゥーやアートメイク、針の使いまわしといった血液感染、母子感染、などもあるが、性感染もないわけではない。
    2、HCVに感染すると多くはウイルスが体内に残り慢性化する。
    3、慢性化したHCVは、長い年月をかけて肝硬変や肝細胞ガンとなることがある。
    4、ワクチンはない。
    5、治療はペグインターフェロン+リバビリンの併用療法が中心で、以前に比べると使いやすくなっている。ただし必ず治るわけではない。
    6、現在日本には100~200万人のHCV陽性者がいて、大半は自らの感染に気付いていないと考えられている。
    7、誰もが一度は検査すべきだが、どこの保健所でもできるわけではない。また医療機関で受けると有料となる。
    8、会社の健診で検査を受けることができる場合もあるが、守秘義務が守られるか、陽性であることが判ったときに不利益を被らないか、という点については充分な検討が必要。

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●クラミジアは抗体でなく抗原検査を 

    その1 2010年10月1日
    その2
クラミジアは抗体でなく抗原検査を ~その1~

 クラミジアという感染症は、性感染症のなかで男女とも最も多いのではないかと思われます。実際、私が医師として性感染症の疑いのある患者さんの検査をおこない、最も見つかることが多いのがクラミジアです。(女性の場合は、カンジダ腟炎の方が頻度は多いですが、以前も述べたようにカンジダは性感染症でないことの方が圧倒的に多いといえます)

 では、どれくらいの人がクラミジアに感染しているのかというと、年齢や調査の母集団にもよりますが、例えば、妊婦健診でも1割近くの妊婦さんがクラミジア陽性であったという報告もあります。少し古くなりますが、2004年に日本性感染症学会で発表されたある報告では、その地区の男女高校生の性交経験者のなかで、クラミジアに感染していたのは女子13.9%、男子7.3%でした。さらにこの報告では16歳女子の感染率は23.5%にも上っています。

 女子高生の4人に1人がクラミジア・・・、このように言われると、クラミジアとは、もう誰が持っていてもおかしくない「よくある病気」(common disease)と言えるかもしれません。

 クラミジアはそれほどありふれた感染症ですから、世間にはいろんな情報が飛び交っています。そのなかには???と首を傾げたくなるような情報もありますが、今回はその最たるものを紹介したいと思います。次の症例は実際に私が経験したものです。

【症例1】16歳男子
 数ヶ月前に公園で落ちているハンカチを拾うと血液がついていた。他人の血液に触れた(かもしれない)とのことでHIVが気になり、保健所でHIV抗体検査を受けることにした。保健所では保健師が対応し、HIV以外にも梅毒とクラミジアの検査をすすめられたため、それらを受けることにした。HIV陰性、梅毒陰性だったが、クラミジア抗体(IgG抗体)が陽性となったため、私の元を受診した。尚、この男子に性交渉の経験はない。

 クラミジアは性交渉を通して感染する病原体です。したがって、この男子は初めからクラミジアの検査をおこなう必要はありませんでした。そもそも、この男子はクラミジアに感染しているはずはないと考えていました。それは保健所で対応した保健師にも伝えたと言います。ですが対応した保健師は「ついでに梅毒とクラミジアも受けるように」すすめたそうです。

 理論的に考えれば、この男子はHIVの検査も受ける必要がありませんでした。血がついているハンカチを拾ったくらいで感染するはずがないからです。しかし、「HIVに感染したかもしれない・・・」と考えてしまう心理は理解できます。これを「HIV恐怖症」(HIV phobia)と呼び、HIVに関わる医療者なら誰もが経験する患者さんの心理状態です。

HIV恐怖症がある程度まで進行してしまうと、その”呪縛”を解くために「検査をしてHIVにかかっていないことを示す」ことが必要となります。(なかには検査をしても、「検査の過程で他人の血液と入れ替わったのではないか」とか「結果を伝えた医師は自分を安心させるために嘘を言ったのではないか」などと考え、”呪縛”から逃れられない人もいます。HIV恐怖症についてはここではこれ以上述べませんが、興味のある方は、私が別のところで書いたコラム「「HIV恐怖症」という病」(http://www.npo-gina.org/tomoni.html#23)を参照ください)

 さて、症例に話を戻すと、この男子はHIV恐怖症にかかってしまっていますから、HIV検査をおこなうことには意味があります。実際、検査結果を聞いてHIVに関する不安はなくなった、とこの男子は話していました。また、梅毒の検査をおこなったことにも意味があります。なぜなら、梅毒はHIVよりも容易に血液を介して感染しうるからです。もちろん、落ちているハンカチを拾ったくらいで梅毒に感染することはありませんが、HIV感染の可能性を考えるのであれば、同じように血液感染が起こりうる梅毒の検査もして、双方が陰性であることが分かれば患者さん(この男子)は、より安心できるのです。

 しかし、クラミジアは血液感染する感染症ではなく性行為によって感染します。そしてこの男子は性交渉の経験がないのです。にもかかわらず、保健師にすすめられるまま検査を受け、その結果「陽性」となってしまいました。この男子によると、クラミジア抗体が陽性である説明を受けたとき、保健師から「とにかく医療機関を受診してください」としか言われなかったそうです。

 この男子が私の元を受診したとき、私は「性交渉の経験がないなら感染しているはずがないから検査も治療もする必要がない」と言いました。しかし、この男子は納得しません。保健師からは「医療機関を受診するように」と言われたのですから当然でしょう。

 では、なぜ血液検査でクラミジアが陽性とでたのかというと、これはクラミジアの「抗体」を調べているからです。クラミジアの場合は「抗体」ではなく「抗原」を調べなければなりません。「抗原」というのは簡単に言えば病原体そのもの、つまりクラミジアそのもののことです。要するに、子宮頸部や咽頭や、男性であれば尿道などにクラミジアそのものがいるかどうかを調べる検査が抗原検査です。(「抗体」「抗原」について説明するのは非常にむつかしいのですが、興味のある方は、別のところに私が書いたコラム「「抗体」っていいもの?悪いもの?」(http://www.stellamate-clinic.org/med_esse-4.htm#69)を参照ください)

 なぜ、クラミジアでは抗体検査をすべきでないかというと、クラミジアの抗体検査では実際には感染していないのだけれど陽性とでてしまうこと(これを「偽陽性」と言います)があるからです。

 結局、この男子は「不安を払拭するために」クラミジアの検査(抗原検査)をおこない、結果は陰性(当然です!)でした。これで、不安もとれて一件落着ではありますが、この男子は要らぬ不安を抱えることとなり、その不安を解消するためにいくらかの時間とお金がかかってしまったわけです。

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クラミジアは抗体でなく抗原検査を ~その2~

 もうひとつ症例を考えてみたいと思います。

【症例2】20歳女性
 半年ほど前に危険な性交渉(unprotected sex)があり、医療機関を受診するとクラミジア子宮頚管炎に罹患していることがわかった。薬を飲んで治癒したことも確認した。同時に調べた淋病やトリコモナス、カンジダなどにはかかっておらず、担当医からは「これで大丈夫」と言われた。いったんは安心していたが、HIVが気になり、保健所を訪れてHIV抗体検査を申し込んだ。そのときに対応した保健師からクラミジア抗体検査もすすめられた。クラミジアについては治癒を確認しており、その後性交渉は一切ないため検査は不要と考えたが、保健師が「無料だし一緒に受けておくべき」と強くすすめたために受けることにした。結果は、HIVは陰性だったがクラミジア抗体は陽性で「医療機関を受診するように」と言われ、私の元を受診することとなった。

 さて、この女性が保健所でクラミジア抗体検査を受ける意味があったでしょうか。答えは否です。クラミジアが治癒していることを確認しており、その後性交渉がないのであれば検査を受ける必要がありません。この場合は、抗原検査も受ける必要がありません。クラミジアは性交渉を介して感染するものであり、(例えばカンジダのように)自然発生するわけではないからです。(しかし、実際には、医療機関で子宮頸部についてだけ調べられており、咽頭感染が見落とされていたという事例はときどきあります)

 抗体検査については、受ける必要がない、どころか、「受ければ被検者に要らぬ不安を与えるだけ」になります。なぜなら、クラミジアは一度罹患すると、抗体はかなり長期にわたり体内に残ることがあり、検査を受ければ「陽性」という結果がでるからです。そして、検査で「陽性」と出てしまえば、保健所では医療機関受診をすすめることになります。

 この女性の場合、私の元を受診しましたが、私が「受ける必要がない」ことを伝えて、抗原検査はおこなわないことにしました。この患者さんは、「だから保健所でクラミジアの検査はいらないって言ったのに~」と、少し不服そうにされていました。

 少し専門的な話になりますが、ここでクラミジア抗体について補足しておきたいと思います。通常、保健所で調べているのはクラミジアのIgA抗体とIgG抗体です。IgA抗体とは、分かりやすく言えばクラミジアが粘膜に感染したときに身体が反応してできる抗体で、比較的早期にできます。そしてIgG抗体はその後しばらくして形成される抗体です。ですから、理論的に考えれば、クラミジア感染→IgA抗体形成→IgG抗体形成→IgA抗体はIgG抗体が形成された後しばらくして消失、ということになります。

 しかし実際には理論どおりになっていないこともあります。例えば、数年間性交渉がなく抗原陰性(つまりクラミジアにかかっていない)のにもかかわらずIgA抗体陽性、IgG抗体陰性、という人もいますし、【症例1】で紹介したように一度も性交渉の経験がなくてもIgG抗体陽性となっていることがあるからです。

 今回紹介した2つの症例以外にも、私の元には、「保健所でクラミジア抗体陽性と言われました・・・」と言って受診される人がいますが、実際にクラミジアに感染している人はそのなかで2~3割程度です。

 一方で、その逆に、実際にクラミジアに現在感染しているのにもかかわらず、抗体検査では陰性となることもあります(これを「偽陰性」と呼びます)。なぜ、このようなことが起こるのかというと、ひとつには抗体が形成されるまでにはそれなりの期間が必要だからです。私の印象ではこれにはかなりの個人差があります。感染後、数週間で抗体が形成される人もいれば、3ヶ月たっても形成されない人もいるようです。

 さて、ここまでくればもうお分かりだと思いますが、クラミジア抗体検査をおこなうことにはあまり意味がないのです。これを理解するために、インフルエンザを思い浮かべればいいかと思います。医療機関を受診しインフルエンザが疑われれば、鼻粘膜、もしくは咽頭粘膜を綿棒でぬぐって、抗原検査(抗体検査ではありません)をおこないます。結果は15分くらいで分かります。ただし、インフルエンザ抗原が検査で陽性となるには感染後しばらく時間がたっている必要があるため「偽陰性」となる可能性があります。また、昨年(2009年)流行した新型インフルエンザでは充分時間がたっていても偽陰性となることがありました。ではもっと詳しい検査をすればいいじゃないかということになるわけで、新型インフルエンザが流行しだした当初は、PCRという遺伝子を調べる検査をおこなっていました。PCRも病原体そのものを調べる検査であり、抗体を調べるわけではありません。つまり、インフルエンザでは感染の有無を調べるのに抗体検査は役に立たないのです。

 概して言えば、クラミジアも同様と考えるべきです。血液を採取して信憑性の乏しい抗体検査をおこなうより、感染の可能性がある粘膜(咽頭、子宮頸部、尿道、肛門など)から検体を採取し(綿棒でぬぐうことで採取できます)、その抗原を調べればいいのです。(一般的にイミュノクロマト法という方法を用いれば1時間程度で結果がでます。PCRでは早くても2~3日はかかります)

 では、クラミジア抗体検査というのはまったく無意味なものかと言えば、そういうわけでもありません。抗体陽性で、抗原も陽性(つまり治療が必要)という場合もありますし、たとえ抗原陰性であったとしても意味のある場合があります。これを説明するために症例を紹介しましょう。

【症例3】26歳女性
数ヶ月前に危険な性交渉(unprotected sex)がありHIVが気になり保健所を訪れた。保健師の説明を聞き、クラミジア抗体検査もおこなうことになった。結果はHIV陰性でクラミジア抗体陽性。医療機関受診をすすめられ私の元を受診した。咽頭及び子宮頸部の抗原検査でクラミジア陰性。しかし、同時におこなった検査で咽頭に淋菌がみつかった。

 この女性は、危険な性交渉→HIV、という図式が頭の中にあり、HIV以外の性感染症については気にしていませんでした。本来は、HIVよりもありふれた性感染症を先に調べるべきなのですが、このように「とにかくHIVが気になって・・・」という人は少なくありません。

 もしもこの女性が保健所でHIVの検査だけをおこない、クラミジア検査を受けていなければ私の元を受診することはなかったでしょう。そして淋菌性咽頭炎については感染していることに気付いていないままです。(そして大切な人にうつしてしまうことになるかもしれません)

 保健所でおこなっているクラミジア抗体検査は何と言っても無料なのです。ただで検査してくれるわけですから、感染の可能性が少しでもあれば受けてみることは悪くありません。保健師としても、被検者に少しでも感染の可能性があるならば、検査をすすめるべきでしょう。ただし、【症例1】や【症例2】のように「感染しているはずがない」というケースではすすめるべきではありません。
  
 重要なのは、クラミジア抗体検査の結果はあくまでも”参考”と考えるべきということです。陽性と出たからといって必ずしも現在感染しているわけではないということと、陰性と出たからといって(特に危険な性交渉から時間がたっていないときは)100%安心できるわけではないことには注意すべきです。

 最後にクラミジアの症状と治療について簡単に述べておきます。

 男性の場合、ごくまれに全身の関節炎や倦怠感を起こすことがありますが、ほとんどは無症状か、軽度の尿道炎症状や咽頭炎症状を起こすのみです。女性の場合も、大半が無症状、あっても帯下(おりもの)が少しおかしい、あるいは軽度の咽頭炎症状などにとどまりますが、ときどき子宮頸部→卵管→腹腔と感染が広がり、腹膜炎まで進行し、入院→手術、となることもあります。また卵管に炎症が起こり閉塞してしまうことがあり、もしも両側の卵管でそうなれば妊娠できなくなってしまうこともあり得ます。(クラミジアは女性に不利なのです)

 治療はいたって簡単で、クラミジアに効く抗生物質を飲むだけであり、よほど重症化しなければ点滴までは不要です。ただし、元々自覚症状に乏しいものですから必ず治ったかどうかの確認検査は必要です。また、ワクチンはなく、中和抗体もできませんから、再発はないものの、それなりの行為があれば何度でも感染します。
 
 では、クラミジアをまとめておきましょう。

    1、性感染症のなかで最も頻度の高いもので、母集団によっては4人に1人が感染していることもある。
    2、無症状であることが多く、検査を受けてみないと感染しているかどうか分からない。
    3、保健所などでおこなっている抗体検査もあるが、結果はあくまでも”参考”程度と考えるべき。
    4、放置しておくと、(女性の場合)ときに重篤化することもある。
    5、治療は抗生物質の内服で、点滴まで必要となることはあまりない。
    6、ワクチンはない。
    7、危険な性交渉(unprotected sex)があれば何度でも感染する。

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●エピローグ~そして私が一番言いたかったこと~

    前編 2010年11月1日
    後編 2010年11月15日
エピローグ~そして私が一番言いたかったこと~(前編)

 早いものでこの連載も2年を超えることとなりました。私は、主にタイのエイズ患者さんやエイズ孤児を支援しているNPO法人GINA(ジーナ)の主催者であり、また医師としては、大阪市北区にある太融寺町谷口医院というクリニックの院長をしている他、大阪市立大学医学部附属病院総合診療センターの非常勤講師でもあります。クリニックでは、総合診療を実践しており、特に性感染症のみに力を入れているというわけではないのですが、GINAの活動やときどきおこなっている性感染症関連の講演などの影響もあって、性感染症の患者さんが毎日のように受診されます。

 この連載を始めてからは、「sexbaのコラムを読んで受診しました」という患者さんがときどき来られましたし、「谷口先生のところには遠くて受診できないので私の地域でいいクリニックを教えてください」、といったsexbaのサイトを見たという方からのお便りもいただきました。

 さて、2年以上にわたり続けさせてもらったこの連載も今回(と次回)をもって最終回にしたいと思います。これまでの連載で、頻度の高い性感染症についてはほとんど網羅しましたし、とりあえずの区切りがついたのではないかと感じています。

 HIVについては特に言及していませんが、この理由は、HIVは他の感染症と少し意味合いが異なり、多角的な切り口で語られるべきであるために、他の性感染症と同列には扱いにくいからです。HIVほど社会的な様々な問題が伴う感染症は他には見当たりません。HIVを語るには、単なる性感染症としてみるのではなく、売買春、母子感染、薬物の問題、同性愛、性転換、さらに差別や偏見、スティグマ、といった社会的な問題についても考えなければなりません。HIVに関して、そういった様々な観点から考察したコラムは、NPO法人GINA(ジーナ)のサイトで『GINAと共に』というタイトルで連載していますので、興味のある方は参照いただければと思います。

 sexbaのこのコラムの連載を私が引き受けた理由の1つは、sexbaの目的が「セックスの安心と安全をみんなで考える」というものだったからです。セックスの危険性、なかでも性感染症に対する誤解が世間では少なくないために、「こんなはずじゃなかった・・・」と後悔してもしきれないような体験をされる方は少なくありません。「もしもはじめからそのことを知っていればこんなことにならなかったのに・・・」という”被害者”をこれ以上出さないためにも、引き受けることを決意したのです。

 「こんなはずじゃなかった・・・」については、少し例をあげると、コンドームがあればすべての性感染症が防げると思っていた21歳の女性が、お金を介したセックスをおこない、B型肝炎ウイルス(以下HBV)に感染し、劇症肝炎を起こして生死をさまよった、というものがあります。フェラチオでクラミジアに感染し、それに気付かず大切な人にうつしてしまって関係が崩壊・・・、なんていうことは本当によくあります。

 よく、「すべての性感染症を防ぐ方法を教えてください」という質問を受けます。これはもっともな質問で、いくら個別の感染症について詳しく学んだとしても、聞いたことのない、そして軽症でない感染症にかかってしまった、というのでは意味がないからです。

 最終回の今回は、具体的な感染症についてではなく、「どのようにすればトータルで感染予防ができるか」、についてお話したいと思います。

 まず、「コンドームがあれば安心」という考えは捨てなければなりません。これまでの連載でみてきたように、コンドームをしていても完全に防げない感染症は、梅毒、HBV、性器ヘルペス、尖圭コンジローマ、ケジラミ、・・・、と少なくありません。また、「コンドームは常にしています」と言っている人でも、よく聞いてみると、オーラルセックス(フェラチオやクンニリングス)のときにはしていない、という人が少なくありません。(クンニリングスには「デンタルダム」という女性器にかぶせるシートを用いてプロテクトする方法がありますが、日本ではほとんど売れないそうです)

 コンドームは大変すぐれた性感染症を予防するグッズではありますが、完全に防ぐことはできません。また、破損するリスクや、ラテックスアレルギーのリスクもあります。やみくもに「コンドームがあれば安心」などと考えるのは危険なのです。

 とはいえ、「どのようにすればトータルで感染予防ができるか」を考えたとき、コンドームは不可欠と言えます。すべての感染症を完全に防げるわけではありませんが、それでもコンドームなしの性交渉というのは危険性が飛躍的に高まります。

 ここで、性感染症の重症度を考えてみましょう。感染しても適切な治療をおこなえば完治する感染症と、いったん感染すると人生を大きく変えてしまう感染症では重症度がまったく異なります。いったん感染すると人生を大きく変えてしまう感染症、言い換えると「命にかかわる感染症」となりますが、重要なのは、HBV、HCV(C型肝炎ウイルス)、HIVです。(これにHTLV-1を加えてもいいと思います。またアナルセックスをする人はHAV(A型肝炎ウイルス)も入れるべきでしょう)

 これらのうち、HCV、HIV、HTLV-1はコンドームをしていればほぼ100%感染を防ぐことができます。(ただしオーラルセックスの際にも必要です) 一方、HBVとHAVはコンドームでは完全に防げません。しかしながら、この2つの感染症にはすぐれたワクチンがあります。ワクチンを接種して抗体をつくっておけば感染することはないのです。

 HBV(とHAV)のワクチンを接種して、(オーラルセックスの際も含めて)コンドームを用いた性交渉をおこったとしても、粘膜と粘膜の接触で感染する感染症は完全に防ぐことができません。梅毒、性器ヘルペス、尖圭コンジローマあたりがその代表ですが、ではこれらはどのようにして防げばいいのでしょうか。

 結論から言えば、これらを完全に防ぐ方法はありません。コンドームをすれば感染のリスクを大きく減らすことはできますが、完全ではありません。性器ヘルペスは症状の出ていないときにも感染させますし、梅毒や尖圭コンジローマは痛みも痒みもないために、発症していることに気付いていない人が多いのです。こういった感染症にも絶対にかかりたくない、というのであれば、セックスをやめる以外に方法がありません。

 では、実際にはどのようにすればいいのでしょうか。後編でお話したいと思います。

つづく

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エピローグ~そして私が一番言いたかったこと~(後編)

 HBV(とHAV)のワクチンを接種して、(オーラルセックスの際も含めて)コンドームを用いた性交渉をおこったとしても、粘膜と粘膜の接触で感染する感染症は完全に防ぐことができない、ということを前回お話しました。

 では、完全に性感染症を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。

 考えられる方法は3つあります。1つは、「セックスを一切しない」という方法です。しかしこの方法は非現実的ですし、決してすすめられるものではありません。セックスは人間にとって必要なものですから、「性感染症を怖がって一切セックスをしない」なんていうのは、「交通事故にまきこまれるかもしれないから一切外出しない」と言っているようなものです。

 2番目の方法は、「こういった感染症にかかるかもしれないというリスクを背負う」、という考え方です。性器ヘルペスや尖圭コンジローマは感染するとそれなりに大変ですが、命にかかわる病気ではありません。また、梅毒は時間がかかることがあるものの飲み薬だけで治る感染症です。ですから、「セックスという楽しいことをするんだから、それくらいのリスクは背負おう」、というふうに考えるのです。意識しているかしていないかは別にして、実際にはこの方法を選択している人が最も多いのではないかと思われます。つまり、ワクチン接種とコンドーム使用は守って、あとは「人事を尽くして天命を待つ」(おおげさ?)のです。

 3番目の方法、そしてこの方法が私は個人的に最善だと思っているのですが、それは、「お互いに忠誠を誓ったパートナーとだけセックスをする」という方法です。この意見には小さくないブーイングがきそうですし、私は他人にこの考えを押し付けようとは思いません。あくまでも、個人的に最善と考えている方法であるということをあらかじめお断りしておきます。

 しかしながら、「お互いに忠誠を誓ったパートナーとだけセックスをする」というこの方法は最善かつ最強の性感染症予防法であり、(異論もあるでしょうが)最も幸せになる方法であることを私は確信しています。

 この考え方は非現実的であると言われることは百も承知しています。「自分は忠誠心を持っていたのにパートナーに裏切られた」、という話は掃いて捨てるほどありますし、「実際にいくらでもある家庭内感染はどうするんだ」、という声も聞こえてきそうです。

 自分の夫からHIVをうつされる主婦、というのは日本ではそれほど多くはありませんが(とは言え少しずつ増えてきていますが・・・)、タイでは非常に多い感染経路です。いまや、タイのHIVの感染経路の第1位がこの「自分の夫から感染する主婦」で全体の4割に相当します。ちなみに、2位が男性同性愛者、3位がセックスワークによる感染です。

 日本でも、ここ2~3年新たにHIV感染がみつかっている人のなかで、異性愛者(ヘテロセクシャル)、もしくは両性愛者(バイセクシャル)が増加しているように私は感じています。そして、そのなかで結婚している人が少なくないのです。いずれ日本も家庭内でのHIV感染が注目される日が来るでしょう。もちろん、HIV以前に、クラミジアや淋病などありふれた感染症が夫婦間で感染することはまったく珍しくありません。

 主婦が夫から感染することが多い事実を受けて、タイのHIVに関連する社会団体のいくつかは、「家庭内にもコンドームを」というスローガンを掲げています。しかし、家庭内でのコンドームというのは現実的でしょうか。日本人ほどではありませんが、タイ人もコンドームをそれほど積極的に使用しているわけではありません。特に家庭内で、避妊目的以外でコンドームを使用するタイ人男性がどれだけいるのか私には大いに疑問です。「家庭内にもコンドーム」というスローガンは、実現不可能な「絵に描いた餅」にすぎないのです。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 非現実的と言われようが、理想論と言われようが、その考えの方がよほど「絵に描いた餅」ではないかと言われようが、「お互いに忠誠を誓ったパートナーとだけセックスをする」という方法が最適なのです。

 私のこの考えは矛盾しているようにみえるかもしれません。なぜなら、自分の夫からHIVに感染した主婦は、自らは忠誠を誓いそして夫を信じていたからこそ感染したのではないか、と言われかねないからです。

 けれども、よく考えてみると決してそういうわけではありません。「お互いに忠誠を誓う」と「夫の言いなりになる」では天と地ほどの差があります。2010年7月にウイーンで開催された第18回国際エイズ会議で、オウマ・オバマ氏(米国大統領のバラク・オバマ氏の異母姉)が、「アフリカの女性は(自分の夫に)”NO”と言うことができない」ということをスピーチで述べましたが、これは決してアフリカの女性だけではありません。タイの主婦たちも、そしておそらく日本でも同様の問題が存在するでしょう。

 女性がセックスの場面において弱い立場にいる、というのはアフリカだけでなく多くの地域で存在する事実です。これはこれで改善されなければならないのは自明ですが、ここではこの問題には立ち入らないで、今回は、「あなたと相手が対等の関係にいる」という前提で話をすすめたいと思います。

 まず、「お互いに忠誠を誓う」を実践するには、相手を信じることができなければなりません。そして本当に相手のことを信じることができるようになるには、相手があなたに対して誠実であることをあなた自身が実感できることが絶対に必要です。そして、相手が誠実であることをあなた自身が実感できるまでは性交渉をもつべきでないのです。それでも性交渉を持ちたいのならば、性感染症のリスクを抱えて性交渉をおこなうしかありません。(性交渉をもつべきでないことは分かっているのだけれど”NO”と言えないのが、アフリカの、そしてタイや日本の一部の女性なのです)

 では、相手に誠実になってもらうにはどうすればいいのでしょうか。それは、まずはあなた自身が誠実な人間になることです。自分が誠実でないのに相手に誠実を求めるなどというのは、喫煙者が他人に対し「タバコをやめなさい」と言っているようなものです。

 もちろん、「お互いが誠実になる」というのは口で言うほど簡単なことではありません。しかし、「相手に誠実さを求めるならまずは自分自身が誠実になる」ということは、古今東西不変の原則であったはずです。あなたが相手に対して一点の曇りもない誠実さを持っているなら、やがて相手もあなたに対して誠実になるでしょう。そうなれば、「お互いに忠誠を誓う」が可能になるのです。

 私のこの考えを他人に押し付けようとは思いません。しかし、たとえ誰も同意してくれなかったとしても、真実であるはずのこのことを言い続けよう。私はそのように考えています。

 もしも、あなたとあなたのパートナーが忠誠を誓い、ふたりとも性感染症の検査をしていれば、もうあなたは性感染症を心配する必要がないのです。そして、(避妊の問題を除けば)コンドームすら必要ないのです。

 これまで、このコラムでは、いろいろな性感染症のことを実際の症例も取り入れてお話してきました。それぞれの性感染症の特徴や、細かい情報までお伝えしてきましたが、私が一番言いたかったのは、「お互いに忠誠を誓ったパートナーとだけセックスをする」に勝る安全で安心、そして幸福なセックスは存在しないということなのです。

 これを読んでくれているすべての人が、いずれお互いに忠誠を誓った素敵なパートナーとセックスを楽しめるようになることを祈りながら最終回のペンを置きたいと思います。

 (おしまい)

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