小説

イサーン純愛物語  イサーンの田園にルークトゥンが流れる時

この物語はフィクションであり、文中に登場するのはすべて架空の人物である。

 エピソード1   イサーン生まれのスパー
 エピソード2   十八歳で二児の母親
 エピソード3   イサーンの夕暮れ
 エピソード4   ノートが買えない子供たち
 エピソード5   微笑みの団欒
 エピソード6   力仕事ができない父親
 エピソード7   抜けない苗
 エピソード8   ルークトゥンを聴きながら
 エピソード9   ソムタム・プララー
 エピソード10  HIV陽性・・・?  
 エピソード11  兄との絆 
 エピソード12  イサーンの夜空に舞うカエル
 エピソード13  別れはイナゴで!
 エピソード14  スパーはバーバーボーボー?  
 エピソード15  ニックネームはソム?  
 エピソード16  再会(最終回)


注1 タイの東北地方をここでは「イサーン」としていますが、これはこれまでに出版されている書物の多くでそのように表記されているためです。普通に「イサーン」と発音してもまず通じないと思われます。

注2 この物語に登場するのはすべて架空の人物です。もしもあなたに、登場人物と似たような境遇の知り合いがいたとしても、それは単なる偶然であるということを銘記しておきたいと思います。 
エピソード1 イサーン生まれのスパー

 ノーンカイ、ウドンタニ、コーンケン、サコンナコーン、ウボンラチャタニ、・・・・

 これらはすべて、タイの東北地方、いわゆるイサーン地方に位置する県名である。イサーンの県名が大多数を占めるその報告書を見ていた僕は言葉を失ってしまった。

 「ケイは、何を見てそんなに驚いた顔をしているの?」

 調査員たちを交えたミーティングの途中で、突然黙りこんだ僕に対してひとりのメンバーが口を開いた。

 僕はタイ人の間ではケイと呼ばれている。本当の名前は、島津勝也なのだが、勝也を発音させるとほとんどのタイ人は、カスヤ、としか言ってくれない。タイ語には日本語の”つ”の音がないのだ。以前、僕のことをカスと呼んだタイ人がいたので、日本語でカスはあまりよくない意味だから、それならせめてカズと呼んでくれないか、と頼んでみたのだが、それでもカスにしか聞こえない。タイ語には”ず”の音もないようだ。苗字の島津もタイ人に発音してもらうと、チマス、となってしまう。仕方がないので、タイ人には、イニシャルのケイと呼んでもらうことにしている。

 この女性もまた、僕のことをケイと呼ぶ。しかし彼女は、おそらくきちんと「しまづかつや」とは発音できないであろうが、他の調査員とは異なり、僕に対してきれいな英語を話す。

 「ほとんどがイサーン地方出身だよね」

 「そりゃそうよ。イサーンはタイで最も貧しい地域なのよ。バンコクの女子大生なんかは小遣いほしさに体を売っているみたいだけど、イサーンの女の子たちは生活のため、もっと言うと、自分の親や子供のためにやりたくもない仕事をやっているのよ」

 この調査は、バンコクを拠点に活動しているフリーの売春婦を対象にアンケートをおこなったもので、すでに百人以上から回答を得ている。フリーの売春婦とは、置屋やマッサージパーラーといった風俗店には所属せずに、個人で客をとっている売春婦のことだ。

 このアンケート調査は、最近設立された日本のNPO法人によっておこなわれている。このNPOでは、海外で、とりわけタイでHIVを含めた性感染症に罹患する日本人が急増していることを懸念しており、タイのフリーの売春婦を調べる必要があると判断し、今回の調査が実施されることとなった。彼女たちは、単価の高いビジネスをおこなうために、主に外国人を顧客とすることが多いらしい。アンケートのなかには、性感染症に罹患したことがあるか、などの質問の他に、出身地を尋ねている項目があり、その回答結果がほとんどイサーン地方の県名となっていたのである。

 今僕は、そのNPOのスタッフとしてバンコクに出張にきている。スタッフといっても、きちんと給料がでるわけではなく、ほとんどボランティアのようなものだ。今年の三月までは看護士として病院の救急部で働いていたのだが、今の立場はフリーターという枠に入るだろう。突然病院を辞めたため何もするあてがなかったところ、最近できたNPOがタイに行ける日本人を探していると知ってスタッフに加えてもらったというわけだ。

 僕が病院を辞めたのは、突発的な行動でおとなげがないと同僚には言われた。けれども、どうしても納得できないことがあれば妥協しないのもひとつの生き方だと、僕は思う。

 十六年間勤務を続けた病院を突然辞めたその日の夜は、幼なじみとの飲み会があったが行く気になれなかった。断りの電話を入れてから家に帰り、母親に病院を辞めたことを告げた。母は一瞬驚いた顔をしたが、しかたがないわね、という諦めの表情に変わった。最近は、母は僕に対してなにか諌めるということがすっかりなくなった。何を言っても無駄だと思っているに違いない。少し前までは、早く結婚しろ、と言われていたが、最近はそれも言わなくなった。僕は結婚したくないわけではないが、積極的にしようとは思わない。仕事を一生懸命にしたい、というのを一応の理由にしているが、本当はそうじゃない。上手くは言えないが、結婚というものがすごく面倒くさいもののように思えるのだ。二十代の頃のように、好きになった女性に何もかも捧げたいという気持ちが湧いてこないのだ。

 しばらくの間、何もせずに自宅でぼーっとする日々が続いた。それほど大きくない僕の町では人目がはばかられるのだ。病院の職員に会いたくないというのも理由のひとつだが、それ以上に辛いのは、自分が知っている患者さんに出会うことだ。なぜ病院をやめたのかを話すのが面倒くさいのである。

 そんなとき、インターネットで最近できたNPOのことを知った。エイズの人たちを支援したり、エイズに関連した調査をしたりするのを主な目的としているようだ。こういう組織は日本にもたくさんあるが、このNPOが変わっているのは、日本のほかに、タイでも活動をおこなっているということだった。そして、タイに出張に行けるスタッフを募集していると、そのウェブサイトには書かれていた。

 僕は患者さんたちのおかげで、多少のタイ語ができるようになっていた。僕の町にはタイの人たちがたくさん住んでいる。なかには不法滞在の人もいるだろうが、看護士の僕にとっては関係のないことだ。病院でパスポートを見せてもらうわけではない。タイ語ができる、といっても初級レベルだが、文字を覚えてからは何人かの元患者さんと手紙のやりとりもしている。それにタイには何度も旅行しているし、何よりもタイという国が好きだ。僕がちっぽけなこの町から出ないのは、多くのタイ人が住んでいるからかもしれない。

 ときには、自分の人生を流れにまかせるのも悪くない。その場で早速メールを送信した。二日後に返事が来たが、それまでにはすでに大阪に行く準備ができていた。NPOの事務所は大阪にあるのだ。母には大阪に発つ日の朝に、しばらく帰って来ないよ、とだけ告げた。そんな僕をみていた母の瞳に安堵感が漂っていたように感じたのは、僕の自分勝手な思い込みだろうか。

 大阪の事務所では、僕がなぜ病院をやめたのかとか、なぜエイズに興味があるのかといったことはほとんど聞かれなかった。タイに出張に行けることを告げると、往復の航空チケット代だけしか出せないがそれでもいいか、と聞かれた。バンコクには一応事務所があるから、そこに寝泊りすればいいとのことである。タイは物価が安いし、日頃あまり出費のない僕は、少しくらいは自由になるお金があったので、この申し入れをふたつ返事で引き受けた。

 「まあ、君なら大丈夫だよ」

 このNPOの代表をしている医師は言うが、こんないい加減な面接で大丈夫なのだろうか。私生活がとことんいい加減な僕が心配するのもおかしいが、ただひとりの日本人スタッフとして僕をタイに送り出そうとしているのである。もちろん仕事はきちんとやるつもりだが、出会ってまだ十分ほどしかたっていない僕を信用できるのだろうか。たしかに、逆にいろいろと細かいことを言われるよりはずっといい。多少いい加減な方が僕の責任感は強くなる。この医師はそのあたりの僕の性格を見越しているのだろうか。

 その三日後、僕はバンコクにいた。
 
 実際にタイ人の売春婦に聞き取りをしている調査員は、初めはこのNPOが依頼している二人のタイの女性だけであったが、僕がタイに来てから、さらにひとり、そしてもうひとりを加えた。新たに二人を加えることによって経費がかさむが、これくらいは聞き入れてくれるだろう。そう思って大阪の事務所に聞いてみると、問題なし、とのことであった。多くは語らないが、あの代表の医者は話が早い。

 新たに加わった二人のうち、ひとりは僕が二年前に旅行に来たときにバンコクで知り合ったノイという大学生だ。彼女とはときどきメールで近況を報告しあっている。病院をやめたことはしばらく話してなかったが、タイに来ることが決まってすぐに連絡していたのだ。

 実は、僕がこのNPOの仕事を引き受けたのは、タイに来てノイに会いたかったというのも理由のひとつだ。僕とノイはひと回り以上も年が離れているが、そんな僕からみても、長身で目鼻のはっきりした顔立ちのノイは、女性としてたいへん素敵な存在だ。見た目は年齢よりも大人に見えるが、話すとまだあどけなさが残っていて、そのギャップが僕には魅力的にうつる。僕は結婚には消極的だが、けっして女性が嫌いというわけでない。ノイが年の離れた僕に気があるということはないだろうが、彼女は将来日本で働くという希望を持っていることもあり、日本人の僕にも多少は興味を持っているようだ。

 ノイに今回の調査のことを話すと、おもしろそう、と言ってのってきた。このあたりが、タイ人の不思議なところだ。日本の女子大生に、街角でフリーの売春婦に声をかけてアンケートをとってくるバイトをしない? と頼んでもほとんどの女性が断るだろう。

 ノイがやってみたいと言ったのは、ひとつにはお金がもらえるということもあるだろう。なぜか、タイでは大学生のアルバイトというものがほとんどない。バンコク出身だがそんなに裕福でないノイにとっては、小額でもアルバイトは魅力的なのかもしれない。

 しかし、それだけではないような気がする。タイ人は、男でも女でも初対面の人とすぐに仲良くなる。だから、たとえ自分たちとは少し違う世界に住んでいる売春婦であったとしても、声をかけることはむつかしいことではないのかもしれない。それに、バンコクの一部の繁華街では、外国人向けのバーやレストランに客として来ているほとんどの女性が売春をしているという噂もあり、売春をしている女性に気軽に話せる環境がある、ということもあるのかもしれない。
 
 新たに加わったもうひとりは、ノイが僕に紹介した女性である。

 僕がバンコクに来てちょうど二週間となる日のミーティングで、イサーンはもっとも貧しい地域だ、と発言したのがこの女性だ。

 売春をしている女性にイサーン出身者が多いのは当然だ、と言う彼女もまた、イサーンにあるナコンパノム県の出身だそうだ。

 彼女の名前はスパー。二五歳。スパーという名前は、ニックネームではなく本当の名前だという。

 タイ人のニックネームは日本人のそれとはまったく異なる。通常子供が生まれると、本名は僧侶が付けることが多い。そして、ニックネームを親や親戚がつけるのだ。こうして生まれたときから与えられているニックネームは原則として生涯変わることはない。だから、二十年以上のつきあいのあるタイ人どうしでも、お互いにニックネームしか知らないということも珍しくない。もちろん家族内で名前を呼び合うときにもニックネームを使う。ほとんどメールのやりとりだけの関係とは言え、二年以上の付き合いになるノイも、その名前はニックネームで、僕はノイの本名を知らない。

 タイでは初対面で自己紹介をするときにもニックネームを用いることが多い。ビジネスの現場で、例えば面接時や、取引先の人と初めて話すときなどは、本名で自己紹介をおこなうこともあるが、慣れてくるとニックネームで呼び合うようになる。彼らは、上司と部下の関係でもニックネームを用いている。

 仲良くなったタイ人の患者さんはこういうことも教えてくれるのだ。カルテにはニックネームではなく本名が書かれているが、僕は初対面のときから患者さんをニックネームで呼ぶようにしていた。

 けれども、スパーは最初から僕に対してニックネームでなく、本当の名前を言ってきたのだ。

 なぜニックネームを使わないのか・・・

 おそらく、彼女のプライドがそうさせるのであろう。

 今回の調査は期間限定のものではあるが、仕事は仕事である。NPOがいくらかのお金を払って彼女らに調査を依頼しているのである。

 遊び感覚ではなく、しっかりと仕事をやるつもりです・・・

 それを訴えたいから、彼女はニックネームではなく、本当の名前を言ったに違いない。

 僕にはそのように感じられた。
エピソード2 十八歳で二児の母親

 スパーは、ノイが僕に紹介したことで、四人目のメンバーとして調査員に加わることになった。初対面からタイ語を一切使わずに流暢な英語を話す彼女は、プライベートで出会っていればあまり関わりたくないタイプかもしれない。小柄で浅黒い肌をし、実際の年齢よりも幼くみえるその外見からは想像もつかないほど、難易度の高い英語を連発する彼女に対する僕の第一印象は、西洋かぶれしたプライドの高そうな女、であった。一方、ノイは英語がそれほど得意でないのだが、そのためかえって片言の英語がかわいく感じられ、年の離れた男の僕には魅力的にうつる。

 しかし、今回僕がタイに来ているのはNPOの仕事をおこなうためである。あまり英語が得意でないタイ人と仕事の話をするのは大変だ。一方、僕のタイ語も仕事ができるほどには上達していないため、細かなことを確認していくのにかなりの時間がかかってしまう。場合によっては筆談になることもある。その筆談も、ときには英語、ときにはタイ語だ。NPOが元々依頼していたふたりのタイ人も英語がそれほどできるわけではなく、僕は彼女たちと意思疎通を図るのに苦労していた。  

 そんななか、英語のできるスパーが調査員に加わってくれたおかげで、細かな点についても話がスムーズにできるようになった。ネイティブと同じとまではいかないが、彼女ほど英語ができれば、この程度の仕事であればコミュニケーションに困ることはない。むしろ、日本人の僕よりも英語ができるといえるかもしれない。

 そして、スパーの魅力はその英語力だけではなかった。彼女の生い立ちを聞き、見かけからは想像もできないほどのたくましさを持っている姿に、僕は次第に好感を持つようになっていた。

 スパーは四人兄弟の二番目。兄と妹、弟がいる。出身はイサーン地方のナコンパノム県だが、実家はこの県のなかでもかなり辺鄙なところにあるらしい。家はたいへん貧しく、子供の頃から着るものもろくになかったそうだ。当然家には車などなく、また、あまりにも辺鄙なところであったため、当時はまだバスもなく、小学校まで片道二時間の距離を歩いて通学していたそうだ。タイの女性の特徴のひとつは、歩くのが嫌い、ということなのだが、スパーは今でもよく歩くと言う。これは小学校のときの経験によるものだそうだ。

 スパーは弟とは血がつながっていないらしい。弟の本当の両親は今も不明だそうだ。親が亡くなったり働けなくなったりすると、その子供が寺や市場などに放置されることがこの国ではよくあることだとスパーは言う。小さな男の子が行くあてをなくしているのを見て、不憫に思ったスパーの両親がその子を自分の息子として引き取ったそうだ。だから、スパーの弟の誕生日は今も不明だし、一応はスパーより七つ下ということになっている年齢も本当のところは誰にも分からないようだ。たしかに、実際の年齢と戸籍上の年齢が違っていることはこの国では珍しくないと、多くのタイ人は言う。

 しかし、金持ちならまだしも、スパーの家はたいへん貧しいのだ。にもかかわらず、捨てられている子供を拾ってくるなんて、こんなに美しい話があるだろうか。もっとも、他人ごとだから美しく感じることができるわけで、育てる方の当事者からすれば、かなり厳しい生活を強いられるのは間違いなく、美しいなどと感じているわけではないだろう。

 スパーは小学校を卒業してまもなく、バンコク近郊のチョンブリー県にある日本企業が集まっている工業地帯にやってきた。本当は中学までは義務教育なのだが、貧乏な家庭に育ったスパーは中学に行くことができなかったのだ。そして、ある日系企業の工場で働くことになった。

 小柄な彼女にとって、工場勤務はかなり過酷だったに違いない。早朝から夕方までの勤務で、給料は月に五千バーツ、日本円にしておよそ一万五千円だ。給料のほとんどを両親に仕送りしなければならなかったが、寮に入ればほとんど生活費がかからないため、最低限の生活はなんとかやっていけたようだ。

 しかし、スパーは二年後その工場を辞めることになった。原因は、強制的におこなわれるHIV抗体検査だった。この日系工場では、タイの女性従業員全員に対して年に一度のHIV検査を義務付けているのだ。HIVに感染している可能性のない彼女は、工場長にしつこく食い下がったが、聞き入れてもらえずに強制的に採血をされてしまった。結果はもちろん陰性だったが、こんな工場のやり方にはついていけないと判断し、退職したのだ。

 スパーは十六歳のとき、故郷のナコンパノム県で妊娠した。しかし、出産後まもなく、結婚生活を一緒に送るはずだったボーイフレンドは、他に女をつくってどこかに行ってしまった。そして、子供の養育費など一切渡さない。タイではよくある話だ。

 スパーの二回目の出産は十八歳のときだった。今度も男を信用したスパーが甘かった。やはり出産後どこかに消えてしまったのだ。

 これで、スパーは両親だけでなく、ふたりの子供をも養っていかなくてはならなくなった。

 このとき彼女はまだ十八歳である。

 その後、スパーは二人の子供を両親に預けてプーケットに渡った。

 プーケットで彼女がおこなった仕事はリゾートホテルの清掃業務。月給はやはり五千バーツだ。これでは両親と子供二人を養うだけで精一杯。自分が生活することができない。けれどもホテルの勤務は工場のそれとは異なり、客からのチップが期待できる。部屋にまずまずのチップを置いてくれる宿泊客もいた。

 もともと、ひとなつっこい笑顔が特徴である彼女は、この仕事に向いていたのかもしれない。スパーは次第に英語も話せるようになっていた。世間話をしてホテル内を案内するだけでチップをはずんでくれる客もいたため、同僚よりも収入はよかったようだ。

 二十歳の誕生日を迎える直前、スパーに転機が訪れた。

 中期滞在でスパーのホテルに宿泊していたイギリス人の男性と恋仲になったのだ。その男性がホテルをチェックアウトするのと同時に、スパーはホテルを退職し、二人でバンコクに渡った。男性はバンコク在住のビジネスマンだったのだ。

 この頃がこれまでのスパーの人生でもっとも幸せな時期だったに違いない。一流企業で働くボーイフレンドと共に、月に五万バーツもするマンションに住み、ボーイフレンドはスパーの境遇もよく理解してくれ、実家にも充分な仕送りができるようになっていた。家賃だけで、スパーのこれまでの月給の十ヶ月分もする贅沢な暮らしである。

 これまでは、朝から晩まで働いても自分の食事すらままならなかったのが、まったく働かなくてもよくなり、愛するボーイフレンドと高級住宅でまったりと過ごす日々が続いたのである。

 しかし、スパーの幸せな生活はある日突然終焉を迎えることになった。

 マンションでひとり留守番をしていた彼女に一本の電話がかかってきた。イギリスに一時帰国していたボーイフレンドが交通事故で死亡した、というのだ。

 スパーが失ったものは、ボーイフレンドだけではなかった。ボーイフレンドの収入がなくなったことにより、再び両親と二人の子供を自分ひとりの力で養わなくてはならなくなってしまったのだ。

 スパーは四人兄弟の二番目だ。兄と妹、弟がいる。しかし、独身で子供のいない兄はいつまでたっても定職につかず、自分は両親にふたりの子供の面倒をみてもらっているために、責任感の強い彼女は、自分が中心となって両親を支えていくことを自ら選んだのだ。

 スパーはしばらく悲しみに打ちひしがれ実家に戻っていたが、再び働くことを決意しバンコクにやってきた。そして就職先を探しだした。けれどもバンコク内で、小学校しか卒業していない女性を雇ってくれるところなどほぼ皆無だ。働き口があるとすれば、いかがわしい夜の店だけなのだ。

 「この子、今無職だから、この仕事を手伝いたいって言ってるんだけど・・・」

 ノイがそう言って僕に紹介したのがスパーである。彼女は、現在求職中ということもあって、ふたつ返事で調査の仕事を引き受けてくれたのだ。

 イサーンは貧しいから女性が売春をせざるを得ないのだ、とスパーは言う。

 しかし、僕はこれには納得できなかった。実際、僕はイサーン出身で日本に留学に来ている大学院生を知っている。彼女の家庭もまた貧しいが、一生懸命に勉強し奨学金を得、そして大学院にまで進学しているのだ。しかも彼女は小さな頃から勉強熱心で、小学校に入学したのは五歳、大学入学は十六歳のときである。最近は減ってきているらしいが、日本を遥かにしのぐ学歴社会のタイでは、優秀であれば基準の年齢に達していなくても進学できることがあるのだ。イサーンにだってこんなに優秀な人材もいる。僕はそれを話した。

 「そりゃ、そういう子もなかにはいるかもしれないけど、この国の奨学金なんてほんのわずかしかないのよ。学年でひとりもらえればいい方よ。それに、ほとんどの家庭には勉強机なんてないし、学校が終われば農作業や家の仕事を手伝わなくてはいけないの。日本人のケイにはきっと分からないことね」

 この言葉にムッとした僕は、つい反論してしまった。スパーは英語ができるために、少々込み入った会話までできるのだ。付き合っていたイギリス人のボーイフレンドの影響なのだろう。発音は僕よりもずっと上手い。

 「勉強なんてやろうと思えば机がなくったってできるよ。それに仕事がないからと言って売春に結びつけるのは短絡的すぎるよ」

 僕はこの言葉を発した瞬間に後悔した。普段なら考えもしないような完全なキレイ事である。体を売っている女性たちもやりたくてやっているわけではないのである。そんなこと、分かっているつもりなのに、こういう言葉がつい出てしまったのは、きれいな発音できちんとした英語を理論整然と話す彼女に翻弄されているからなのだろうか。

 「ケイは何も分かってないわ。あなたも実際にイサーンを見ればいいのよ。見ればあたしが言っていることが分かるわ。来月の初め、ケイが日本に帰るまでに、なんとかして二日だけ時間をつくってちょうだい。あたしの故郷を案内してあげるわ。家にも泊めてあげる」

 タイ人は、男性であっても女性であっても仲良くなるとすぐに、うちに泊まりに来い、と言う。また、親戚と食事をするから一緒に来い、と言われることも多い。男性はいいとして、付き合ってもいない女性の実家に泊まりに行ったり、親戚と一緒に食事をしたりするのは、日本人の感覚からすると少し理解に苦しむのであるが、これもタイの文化のひとつなのかもしれない。

 僕がまだ行くとも言っていないのにもかかわらず、スパーは続けた。

 「けど、ひとつだけ条件があるの。ちょうどその頃は田植えのシーズンで、兄弟全員が実家に戻ることになってるの。もちろんみんなで田植えをするためよ。だから、ケイも手伝ってね」

 こうして僕は、イサーンの奥地、ナコンパノム県の田園地方で田植えを手伝うことになったのである。
エピソード3   イサーンの夕暮れ

 ドンムァン空港からタイ航空でウドンタニに飛び、バスターミナルからエアコンのないローカルバスを乗りついで、僕はナコンパノム県に向かった。

 スパーの実家に到着するまでに、僕には是非ともしておきたいことがあった。それは、途中で焼き鳥など、僕でも食べられるものを買っておくということである。イサーン料理がどんなものかということを僕はだいたい知っていた。バンコクで一度だけイサーン料理店に行った経験があるのだ。

 主食はカーオニアオと呼ばれるもち米で、これを手でとり、ナムプリックプララーという名の醗酵させた魚の身とたっぷりと唐辛子の入った汁につけてそのまま手で食べるのである。このナムプリックプララーは、辛さには耐えられても臭いが強烈すぎる。日本人の僕にとって、その臭いは醗酵臭というよりも腐敗臭にしか感じられない。

 イサーン地方には蛋白源があまりない。豚肉や鶏肉はないわけではないが、貧困な家庭ではめったに食べられないのである。そのため、そういった家庭では、アリの卵や昆虫を食べることによって蛋白質を補っているのだ。

 スパーは家が貧しくて義務教育である中学にも行けなかったのである。そのスパーの実家で豪華な肉が出てくるとは到底思えない。

 運よくバスが止まった休憩所には焼き鳥が売られていた。中くらいの大きさの鶏一匹の丸焼きで、値段はなんと七十バーツ、二百円ほどだ。ついでに卵五つも買った。これだけあればスパーの家族全員で食べられるだろう。日本人の僕にしてみればたいした出費ではないが、イサーンで農業を営む人たちには高級料理なのである。

 空港から一度バスを乗りついで、すでに三時間が経過しているが、まだバスは到着しない。スパーの話ではもうそろそろ着くはずなのだが、到着する様子が一向にない。窓からの景色は、田んぼと畑、ときに水牛がのんびりと草を食んでいる様子が見えるだけで、建物はほとんどない。バスにはエアコンはないが、周りの自然のせいか、七月だというのにそれほど暑いというわけでもない。バスに大音量で鳴り響いているルークトゥンが心地いい。ルークトゥンとは、タイの演歌、と形容されることもあるタイの伝統的な音楽だ。僕はこれまでルークトゥンを心地いいと思ったことはないし、エアコンのないバスなどバンコクでは乗りたくないが、この雰囲気なら悪くはない。

 夕陽がまぶしくなりだした頃、ようやくスパーが指定したバスの停留所に近づいてきた。

 バスの最前列に座っている僕に気付いたスパーが手を振っている。一緒にいる中年女性はスパーの母親なのだろう。五人の子供たちもいる。そのなかの二人はスパーの子供に違いない。

 イサーンに限らず、タイの田舎に行くと家族全員で歓迎してくれることが多く、これはなんともいえない嬉しさがある。微笑みの国、と言われるように、タイの人々の笑顔は素敵だ。

 バスを降り、僕はスパーの全身を見つめた。バンコクでは色鮮やかなファッションをしていたスパーだが、ここでは化粧すらしていない。色あせたジーンズに白のTシャツを着ているだけだ。もっとも、ここナコンパノム県のはずれでは、派手なメイクや都会的なファッションは不釣合いだろう。ノーメイクのスパーはとても二五歳には見えない。小柄なうえに今日は髪をおろしていることもあり、もし初対面なら高校生くらいに思えるかもしれない。

 「サワディ・カー」

 スパーは、バンコクでは僕に対してほとんどタイ語を話さなかった。僕のタイ語では心許ないため、英語を話してくれる方がありがたいのだが、たまにはスパーからも美しいタイ語の響きを聞きたいものだ。そのスパーが、今日はいきなりタイ語を話したものだから、それが挨拶とはいえ少し驚いてしまった。

 「サワディ・クラップ」

 タイ語にはタイ語で答えるのが礼儀というものだ。僕はスパーにタイ語で挨拶を返した後、スパーの母親にワイをおこなった。ワイとは、両手を合わせて軽くお辞儀をするタイ独特の挨拶の方法で、目上の人に挨拶をする際は通常ワイをおこなう。

 いつのまにか子供たちが僕の荷物をリアカーに乗せ、すでにスパーの家に向かって出発していた。僕が小走りで子供たちに追いつくと、ジェスチャーで、このリアカーに乗れ、と言う。彼らなりのもてなしなのだろう。

 僕は遠慮なくリアカーに乗せてもらい、バス停から数百メートル先にあるスパーの実家に向かった。
 
 スパーの実家は、タイの田舎によくある高床式の二階建てだった。二階建てといっても一階には壁がなく、部屋と呼べるのは二階にある一部屋だけだ。この部屋に、両親、四人の兄弟、スパーの子供二人、スパーの妹の子供一人、さらにスパーの母親の弟も一緒に住んでいるらしい。それに僕が加わるわけだから、今日と明日はひとつの部屋に十一人が雑魚寝をすることになる。

 食べ物は途中で買った鳥の丸焼きと卵をスパーに渡したから、とりあえず何も食べられないということはないだろう。

 しかし、問題はまだある。トイレと風呂である。

 イサーン地方では、一部の地域を除いて水道というものは存在しない。生活水を得るには、井戸を掘るか、雨水を貯めるかのどちらかである。スパーの実家は後者であった。雨水でトイレと風呂を済まさなければならないのだ。

 トイレには、トイレットペーパーはない。トイレの横にある桶に貯えられている雨水を洗面器のようなもので汲み取り、それを少しずつ右手で流しながら左手で肛門を洗うのだ。このようなトイレにまだ慣れていない僕は、できるだけ二日間大便をしないようにしようと考えていたのだが、到着したとたんに便意をもよおしてしまった。もはやこのトイレで用を済ますしかない。

 しかし、覚悟を決めてこの方式にしたがって肛門を洗えばどうってことはなかった。馴染めない、というのは僕の思い過ごしであったようだ。

 風呂にしても、この季節は寒くはないために水をかぶることには抵抗はない。石鹸やシャンプーは変わらないわけだから、風呂は特に問題はないだろう。ただ、貴重な水を使いすぎないようにだけは注意をする必要がある。
 
 夕陽が沈み、涼しくなってくると、どこからともなく若い男たちがスパーの実家に集まってきた。日本人がこの村にやってきたのは初めてらしく、みんなが僕を珍しそうに見ている。

 僕はタイ語すらそれほどできるわけではないが、イサーン語はほとんど分からない。タイ語のできる人なら、イサーン語にもそれほど困らないのであるが、僕のタイ語力ではコミュニケーションがほとんど取れない。

 しかし、彼らの僕への態度がコミュニケーションは言語だけではないということを思い出させてくれた。手振りや表情でなんとなく意思疎通ができてしまうのである。

 彼らは僕に酒を勧めてくれた。いかにもきつそうな地元の焼酎であったが、こういう雰囲気では断るわけにはいかない。僕はコップにつがれたそのどぎつい焼酎を一気に飲み干した。周囲からは冷やかしの声と拍手が起こった。これで彼らと少しは打ち解けることができただろう。

 彼らは僕にいろんな質問をしてくる。少しは英語が話せる男もいたため、少しずつ場が盛り上がってきた。

 彼らのひとりが僕にタバコをすすめてきた。フィルターのついたタバコではなく、タバコの葉である。僕がその葉を前にしてとまどっていると、その男性は正方形の紙を一枚取り出し、少量の葉をそこに乗せて器用に巻いて吸えるかたちにしてくれた。その味は、おそらく日本やバンコクで吸えば美味くはないのであろうが、すでに僕はその環境に溶け込んでいたようだ。周囲の景色と彼らの無邪気な笑顔がそのタバコと同調し、至福の味がした。

 スパーが、なにやらイサーン語をがなりたてながらこちらに近づいてきた。何を言っているのかさっぱり分からないが、スパーに言われた彼らの表情から察するに、あたしのボーイフレンドに余計なことを教えないで、とでも言っていたのかもしれない。

 僕はボーイフレンドじゃないよ、と言ってみようかなとも思ったが、本当にスパーがそのように言ったのかどうかは分からないし、僕にはイサーン語どころか流暢にタイ語を話すこともできない。下手なことを言えばこの場の空気が壊れてしまう。まあ、ボーイフレンドと言われても何か問題があるわけではない。ここは黙っている方がよさそうだ。

 僕は、イサーンの夕暮れにすっかり溶け込んでしまっている自分自身に気がついた。

 スパーがキッチンを案内してくれた。キッチンといっても、もちろんコンロなどはなく、床は土だ。キッチンというよりも土間といった方がふさわしい。土の上に、蒔きでおこした火があり、その上に天井からつるされた鍋があるだけである。まな板はあるがテーブルはなく、それを地べたにおいてスパーの母親が野菜を切っていた。

 突然、スパーがアルミ製のボールを取り出した。少年がいたずらをするときのような意味ありげな笑みを浮かべている。

 こいつ、何かたくらんでいるに違いない・・・

 そう思った瞬間、スパーはボールの中身を僕に見せた。

 ボールの中の正体は、油で素揚げされた数十匹の昆虫! しかもいろんなタイプの昆虫が混在している。バッタやイナゴが多いが、セミやカマキリのようなものもいる。よく見れば、バッタにもいろんなタイプのものが混じっている。

 僕は思わず顔をしかめて、反射的にその場から後ずさりしてしまった。そんな僕を見たスパーはケラケラと笑っている。スパーの母親も笑っている。いつのまにかその場にいたスパーの妹もお腹をかかえて笑っている。

 スパーはそんな僕の腕を引っ張り、自分の近くに引き寄せようとする。そして、昆虫を食べろと言う。

 イヤだ、という僕に、スパーは、「マイペンライ、アローイ(大丈夫、おいしいから)」、と、僕にも分かるようなゆっくりとしたタイ語で話しかける。普段は流暢な英語を話すくせに、今は僕をからかいたいからタイ語を使っているのだ。まるで、嫌いな野菜を食べさせられている子供とその母親である。おまけに、スパーの母親までもがおもしろがって、「ギンダーイ、アロイジンジン(食べられるのよ、とってもおいしいんだから)」と僕にも分かるタイ語でゆっくりと話しかける。

続く・・・
エピソード4 ノートが買えない子供たち

 こうなると僕も食べないわけにはいかない。しかし僕の手はどうしても昆虫に伸びない。すると、スパーがそのボールをかきわけて一匹の昆虫を取り出した。僕からみれば、どれも同じような昆虫なのだが、彼女なりに一番美味しそうなものを選んでくれたのだろうか。

 彼女は、おそらくイナゴの一種であると思われるその昆虫の頭だけをはがした。なるほど、大きな目のついた頭はあまりにもグロテスクだからイサーンの人も食べないんだ・・・、僕はそのように思った。しかしそれは誤解だった。スパーは、頭はもっとも美味しい部分だと言う。

 顔をしかめている僕にかまわずに、彼女はその昆虫の頭を僕の口に押し込んできた。いくら気持ち悪くてもイサーンの人が美味しいと言っているものを吐き出すわけにはいかない。僕は覚悟を決めて、その昆虫の頭を舌の上に乗せた後、思い切って噛んでみた。

 意外にも、塩味のきいた香ばしい香りが口腔内に充満した。これならいける! 僕はそう思った。例えて言えば、エビの素揚げを洗練させたような味だ。少しかっぱえびせんの味にも似ている。これなら、目隠しをして食べさせられれば、ほとんどの日本人が、美味い、と言うに違いない。

 続いてスパーは、頭をはがされた昆虫の首の部分から、指先で器用にはらわたのようなものを取り出した。これはどんな味がするのだろう・・・、僕がそう思った瞬間、彼女はそのはらわたを地面に捨てた。この部分は美味しくないそうなのだ。次に一番長い足を根元から切り取り、最も遠位の関節からその先を地面に捨てた。この部分も美味しくないそうだ。そして、今度は尻尾の部分をいったんはがして、その次に出てくる内蔵部分を捨てた。残った部分が美味しく食べられるところだそうだ。

 こんなこと、習わなければ絶対に分からない。イサーンの人々は、生活を通して、昆虫にも食べられるものと食べられないものがあり、そして美味しい部分とそうでない部分があることを知っているのである。

 
 そういえば、一度バンコクで食事をしているときに、僕のコップにハエが入ったことがあった。タイでは、できあがった料理にハエがたかることは珍しくなく、その度に手で追い払わなくてはならない。もちろんハエを食べたりはしないが、いったんハエのたかった料理でも誰もが普通に食べている。
 僕はその頃タイの食生活に慣れだしていたこともあり、コップに入ったハエを手ですくい出し、そのままその水を飲もうとしたのである。すると、その場にいた見ず知らずのタイ人が僕に注意をしたのだ。
「それは飲んではいけない。身体を壊すことになる。コップごとかえる必要がある」
 と言うのである。食べ物にはハエがたかってもかまわないが、コップのなかにハエが入ったときは、その水を飲んではいけないばかりか、コップまで代えないといけないそうなのである。
 僕はその場で、自分が看護士であることを言えなかった。

 
 たしかに、スパーに出された昆虫の素揚げのなかにも、ハエやゴキブリは入っていない。彼らは食べられる昆虫と食べられない昆虫をしっかりと識別しているのである。

 スパーは、食事ができあがるまでもう少し時間がかかるから子供と遊んでいてくれ、と言う。子供たちと遊ぶのは悪くないのだが、僕の目の前でスパーの母親が煙にまみれながら一生懸命に食事をつくっている。スパーもスパーの妹も、野菜を切ったりたたいたりで忙しそうである。

 「何か手伝うよ」

 「いいのよ。気にしないで」

 スパーは答えた。

 イサーンでは、食事をつくるのは女性の仕事なのだそうだ。たしかに、男性たちは相変わらず焼酎とタバコをたしなみながら駄弁っているだけである。この状況のなかで、僕だけが食事をつくるのを手伝うのはおかしいのかもしれない。

 僕はスパーの子供たちに会うために二階の部屋に向かった。向かう途中で、スパーの子供たちに日本から取り寄せたお土産を持ってきていたことを思い出した。お土産といっても、大阪の事務所に頼んで送ってもらった百円ショップで売っているドラえもんの文房具を数種類だけだが・・・。

 お土産はもう少し高価なものにすることも考えたのだが、そもそも今回僕がイサーンに来る発端となったのは、イサーンの子供たちもせめて義務教育の間はもっと勉強すべきだ、と僕が言ったことによる。そういういきさつもあったために、僕はあえてスパーの二人の子供にノートや色鉛筆などの文房具を用意することにしたのだ。ドラえもんはタイでも人気があり、その文房具も珍しくないかもしれないが、日本のお土産としてはちょうどいいだろう。

 スパーの子供はふたり。上が小学四年生の男の子、下が小学二年生の女の子だ。ふたりともスパーによく似ていて、人なつっこい笑顔がかわいい。

 僕が部屋に入ってきたことに気づいたふたりは僕にワイをした。おそらくバス停で僕と出会ったときは、日本人、というかおそらく外国人をこれまでに見たことがなかったのと、自分たちの友達もいたために、僕にワイをするタイミングを逃してしまったのだろう。だからふたりは今、改めて僕にワイをしたのだ。僕にとっては初めての経験となる子供のワイがとてもかわいい。
「チュウ・アライ?(名前は何て言うの?)」
 ゆっくりとタイ語で僕が話しかけると、男の子の方が初めに答えた。
「チュウ・クーン」
 チュウとは、という名前です、という意味だから、名前はクーンだ。
 続いて女の子が答えた。
「チュウ・アン」
 彼女の名前はアンだ。

 母親のスパーが、僕に対してニックネームでなく本当の名前を言ったのとは対照的に、子供たちはふたりともニックネームで自己紹介をした。

 「コーンファーク~(お土産だよ~)」
そう言って、僕はバッグの中から彼らのために持ってきた文房具を取り出した。二人とも物珍しそうにドラえもんのペンやノートを見ている。タイでもドラえもんグッズは手に入るだろうが、日本語の書かれたものはあまりないはずである。ふたりの子供は、おそらく初めて見る日本語を珍しそうに眺めていた。

 しばらくして、妹のアンが手帳サイズのお絵かきボードを持ってきた。僕はこのお絵かきボードを見てなつかしい気持ちになった。最近は見ることがないが、僕も子供の頃に似たようなものを持っていたからだ。

 手帳サイズのゴムでできたボードに透明のセロハンが貼り付けてあり、その上をインクの出ない専用のペンでなぞると文字や絵が書けるのだ。書けるといっても、実際はペンで圧力を加えた部分のセロハンが、台になっているゴムに粘着し、セロハンとゴムの間の空気がなくなることにより色が変わるだけである。セロハンをゴム板からはがすと、文字や絵が消えて、また初めから書き直せる。台のゴム板とセロハンは上の部分で接着されているから、セロハンがどこかにいくこともなく半永久的に使えるのだ。

 アンはこのなつかしいお絵かきボードに、初めてみるひらがなをうつしだした。僕があげたドラえもんのノートの裏表紙には、ひらがなが書かれていたのだ。

 アンはひらがなの「な」を書こうとしているが、うまく書けない。何度か試した後、僕にそのお絵かきボードを手渡した。僕がゆっくりと大きく「な」を書いてあげると、アンはにっこりと微笑み、なにやら僕に話しかけてきた。僕はその言葉を聞き取れなかったが、おそらく、もっと教えてね、と言っていたのだろうと思う。

 兄のクーンは、しばらく僕のあげた色鉛筆に興味を示しているようだったが、その色鉛筆を取り出すことはせず、今日バス停から家に戻る途中で母のスパーに買ってもらったベーゴマで遊びだした。最近は、タイでも小学生の頃からテレビゲームに夢中になる子供も多いらしいが、イサーン地方ではまだほとんど普及していないようだ。

 僕は妹のアンに、お絵かきボードでなくてノートに字や絵を書いてみたら、と促した。しかし、彼女はそれをしようとしない。もう一度促してみると、シア・ダーイ、という答えが返ってきた。シア・ダーイとは、もったいない、という意味である。小学二年生のアンはノートを使うのがもったいないのだと言う。僕のお土産のノートは大切に使いたいということなのだろうか・・・。

 それなら、日頃使っているノートに書けばどうだろう・・・。

 そう思って部屋を見渡してみると、家族全員が生活している部屋に小さな本棚がひとつしかないことに気づいた。そしてその本棚には、ふたりの教科書以外にはノートが数冊あるだけだ。ふたりの持っているすべてのノートがこれだけなら、とても科目ごとにノートを使い分けるなんてことはできないはずだ。そういえば、勉強机なんていうものもない。

 これでは、勉強どころか字を覚えることもできないではないか。たしかに、タイ語には四二個の子音を表す文字と数種類の母音があるだけで、日本語のようにややこしい漢字というものもない。その四二個の子音もほとんど使わないものもあるために、それほど勉強しなくても文字が書けないことはないのかもしれない。実際、仕事の合間にしか勉強していない僕でも一応一通りのタイ文字の読み書きはできる。ときどき、タイ語は話すのは簡単だが文字の読み書きがむつかしいという日本人がいるが、僕はそうは思わない。タイ語は読み書きの方がずっと簡単だ。いや、正確に言えば聞き取りがむつかしすぎるのだ。タイ語には、日本語の“つ”や“し”に相当する音がない一方で、日本語にない音がいくつもある。さらに、五つの声調があるのも日本人が馴染みにくい理由のひとつだ。

 それにしても、科目ごとにノートを用意することもできないとすれば、一生懸命に勉強しようという気持ちも起こらないのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、今回のイサーン旅行の前に届いたスパーからのメールを思い出した。スパーから初めて届いたそのメールはタイ語であった。なぜ英語でなくタイ語のメールを送ってきたのかは後に分かった。彼女はあれだけ英語を堪能に話すのに、英語の読み書きがほとんどできないのである。
 
 スパーの話す英語は、たしかに動詞の時制はほとんどが現在形だし、冠詞なんてものは一切使われていない。しかし意思疎通を図るにはこれで充分である。彼女の話す英語には、experienceとかresponsibilityなんていう長い単語も使われる。その上、こういったむつかしい単語の発音も美しいのである。

 小学校しか卒業していないタイ人なら、experienceなんていう単語はまず知らないし、たとえ知っていたとしても、発音してもらうと、たいがいは「イペリン」としか聞こえない。もっといえば、大学を卒業しているタイ人であっても、発音についてはほとんど変わらない。実際、もうすぐ大学を卒業する予定のノイと英語だけで会話を続けるのは不可能だ。そのため、ノイと正確なコミュニケーションをとろうと思えば筆談が必要になる。一方、スパーの発音は少なくとも僕よりはきれいである。

 にもかかわらず、スパーは英語の読み書きがほとんどできないのである。だからスパーはタイ語でメールをよこしてきたのだ。

 しかし、そのタイ語を見て僕は愕然としてしまった。彼女が書いたタイ語のメールもまた、間違いだらけなのである。最初は僕が知らない単語を使っているのかと思って辞書を引いてもみたが、辞書にも載っていない。そのうちに単語のつづりが間違っていることに気付いた。確認しようと思って電話で聞いてみると、やはり単語のつづりには自信がないと言う。

 スパーは僕と話すときは流暢な英語を使うくせに、こういう話題になると突然甘えた声のタイ語に変わる。

 「スパー、コン・ンゴー・ナ、コートー・ナ(スパーはバカなの、許してね)」

続く・・・
エピソード5   微笑みの団欒

しばらくすると、女性たちができあがった料理を二階に運んできた。

 メニューは、カーオニアオと呼ばれるもち米と、それを浸す醗酵した魚の汁のナムプリックプララー、イサーン独特のたけのこスープ、なまずの塩焼き、イサーン地方の生野菜の盛り合わせ、豚肉の素揚げ、そして先ほど僕が味見した昆虫の素揚げだ。僕が来たことを歓迎してくれているのか、なまずと豚肉がメニューに加わっている。なまずは日本では普通食べないが、塩焼きにすると実に美味だ。おそらく、なまずはほとんどの日本人が抵抗なく美味しく食べられるに違いない。

 僕が買ってきた鳥の丸焼きは骨ごとぶつ切りにされてひとつの皿に乗っていた。卵は野菜と混ぜてオムレツになっていた。

 なまずや豚肉までご馳走してくれるなら、鳥の丸焼きや卵は買ってこなくてもよかったのかもしれない。いや、そんなことはないだろう。ふたりの子供が美味しそうに頬張っているんだから。

 米は、カーオニアオの他に普通のタイ米であるカーオスワイも炊いてくれたようだ。イサーン地方では通常、カーオニアオだけを食べるから、これは明らかに僕のことを考えて炊いてくれたものだ。

 「日本人は何かをお祝いするときにもち米を食べるんだよ。小豆と一緒に炊くと米が赤く染まって美味しいんだ。だから僕ら日本人はもち米が大好きなんだ」

 僕がスパーにそう言うと、彼女は少し怪訝そうな顔をした。

 一般的に、バンコク人はイサーン人を下の階級と捉えており、イサーン料理はどちらかと言えば粗末な料理としてみている。イサーン料理の主食であるカーオニアオも例外ではなく、だから今日は、外国人である僕のために普通のタイ米、カーオスワイも用意してくれたのだろう。日本人がもち米を食べることをスパーは知らなかったようだ。

 僕はカーオスワイも好きだが、カーオニアオも嫌いではない。せっかく用意してくれたのだから、双方の米をいただくことにした。

 カーオニアオは竹で編んだ籠のような入れ物に入っている。イサーン人は、この籠に右手の親指を除く四本の指をつっこみ、指でごはん粒をたぐりよせ手のひらでまるめて小さなおにぎりのようなかたちにして取り出す。

 この作業は、特に潔癖症でなくても、普通の日本人からすると不潔に見えるだろう。イサーンの人たちは、日頃から農作業をしていることもあり、爪の中が汚れている場合が多い。それに食事の前に石鹸で手を洗うようなことはしていない。その手をみんなで食べるカーオニアオの入った籠につっこみ、汚れた爪を使ってごはん粒を集めて手のひらでまるめるのである。

 スパーはせっかくカーオニアオを食べるなら、小皿に入っているナムプリックプララーをつけて食べろ、と言う。しかし、この醗酵臭には耐えられない。顔を近づけるだけで食欲が減退するような悪臭なのである。

 スパーはまたもや面白がって、自らまるめたカーオニアオをナムプリックプララーにつけて、僕の口に押し込もうとしてきた。強烈な悪臭が僕の鼻腔を刺激する。しかし、みんなが僕に注目している。今度はクーンとアンも僕を見つめている。うちの料理が嫌いなの? と目で訴えているようだ。子供の期待を裏切ることはできない。こうなれば食べないわけにはいかない。僕はスパーの行動に観念した。

 思ったほどは僕の舌の細胞は拒絶反応を示さなかったが、これは決して美味しいとは言えない。

 「アロイ・マイ?(美味しい?)」

 スパーの妹が尋ねてきた。

 僕は返事につまった。「マイ・アロイ(まずい)」と答えるわけにもいかないし、逆に「アロイ・マーク(とても美味しい)」などと言えば、この汁を大量に食べさせられるに決まっている。また、イサーン人はゴーホック(嘘)を嫌うし、パークワーン(お世辞)も好きではない。

 僕は数秒間の沈黙の後に、「アロイ・ニッノイ(少し美味しい)」と答えてその場をしのいだ。しかし、このように返答してしまったからには、その後も少しくらいは食べなければならない。

 僕は、カーオニアオに焼き鳥や野菜を乗せ、最後にナムプリックプララーを少しだけ浸して食べてみた。こうすれば鶏肉の油が悪臭を多少は消してくれると考えたのだ。

 意外なことに、この臭い汁は他の料理とよく合うようだ。僕は少しずつ、カーオニアオにつけるナムプリックプララーの量を増やしていった。自分でも驚くことに、最後には、カーオニアオだけをその臭い汁につけても食べられるようになっていた。それもたっぷりとつけても大丈夫だ。まだ、美味いとは思わないが、決して食べられないことはない。

 僕は普段から発酵食品は得意ではない。ヨーグルトはいまだに苦手だし、納豆が食べられるようになったのは二五歳を超えてからである。今でも納豆を積極的に食べようと思うことはない。

 しかし、納豆よりも遥かに悪臭の漂うこのナムプリックプララーには次第に馴染めるようになってきた。ただ、これが日本やバンコクであれば、僕は永遠に食べられないかもしれない。その理由はこの雰囲気にある。お世辞にもきれいとは言えない、雨漏りを心配しなければならないこの部屋のなかで、イサーンの人々と微笑みあいながら、決して清潔ではない方法で、ひとつの籠から手で取り出したカーオニアオを食べているうちに、僕はこの環境に馴染んでしまったようだ。

 それにしても、スパー一家はよく笑う。今日は僕がゲストに加わっているし、食事の内容がいつもより豪華ということもあるのかもしれないが、こんなに楽しそうに家族全員で食事をしている姿を僕はこれまでに見たことがないかもしれない。スパー一家では、父親はそれほど口数が多くなく、この空気の主導権を握っているのはスパーの母親だ。

 お母さんはまだ五十歳だ、とスパーは言っていたが、皺だらけの真っ黒な顔を見ていると、六十歳を超えている僕の母よりも年上に見える。けれども、その皺をさらにくしゃくしゃにして、笑顔を絶やさず家族と話している姿は本当に楽しそうだ。三人の孫におかずを取ってあげているところを見ると、人生を達観した仙人のようにすら見える。一方、僕の母親は、たいした病気をしたこともないのに、いつも健康のことを気にしており、年齢を重ねることに恐怖を感じているようなセリフをよく口にする。口を開けば心配ごとや不安の話ばかりだ。まあ、母親の一番の悩みは僕のいい加減な人生のことなのだろうけど・・・。

 食事が終わると、女性たちは後片付けを始めだした。スパーの弟は友達とどこかに遊びに行ったようだ。スパーの父親と子供たちはもう布団をしいて横になっている。この部屋にもテレビはあるのだが壊れているようだ。

 この部屋の電化製品でコンセントに接続されているのは、冷蔵庫と扇風機のみである。もちろんエアコンはない。テレビは壊れているし、その横に外枠のはずれたステレオらしきものがあるが、これもおそらく音は出ないであろう。

 後で分かったことだが、この部屋にある冷蔵庫、テレビ、ステレオは、スパーがイギリス人のボーイフレンドと同棲していたときに、スパーの仕送りによって買ったものらしい。そのイギリス人が他界した今、壊れた電化製品を修理する余裕はないのだ。

 部屋に灯されている電気もすごく暗い。これは電気代を節約するためなのかもしれないが、これでは勉強どころか本を読むことすらできない。バンコクでスパーが言っていたように、イサーンの子供に、奨学金をもらえるように勉強しなさい、というのは酷であるのかもしれない。

 することがなくなってしまった僕は、クーンの横に布団をしいて寝転んだ。クーンはすでに枕を抱きながら目を閉じている。イサーンの夜は早いのだ。

 おそらく時刻はまだ午後九時にもなっていないだろう。時刻を確かめるために僕は時計を探そうとしたが、すぐにやめた。時刻が分かったところで何か意味があるわけではない。少なくともこの場所では・・・。

 僕は、バンコクのノイに電話をすることを考えた。ノイは、僕がスパーの実家に行くことが決まったあのミーティングの場にいたのだが、あまりいい顔はしていなかった。ノイが僕に恋愛対象としての興味を持っていることはないだろうが、それでも、ほとんどメールだけとは言え、彼女とは二年間のつきあいがある。一方、スパーはノイが僕に紹介したことで知り合いとなったが、出会ってからまだ一月ほどしかたっていない。しかもその間、会って話したのは、初対面のときと、今回の旅行がその場の流れで決まってしまったあのミーティングのときの二回だけだ。僕はノイの実家に行ったこともなければ、家族と会ったこともない。僕には女性の気持ちがあまり分からないが、いくら恋愛感情がないとは言え、僕が出会ったばかりのスパーの実家に行くことはあまり気持ちのいいものではないかもしれない。ならば、今日電話をしておくのがノイに対する礼儀と考えるべきだろう。

 それに、僕に恋愛感情を持っていないとしても、ノイは女性としてとっても魅力的だ。ノイというのは、小さな、という意味のタイ語だが、その言葉とは逆に、ノイは背が高くてボディラインが麗しい。実際、ノイは何度かファッション誌にも登場したことがある。僕はそのグラビアを見せてもらったとき、あまりにも美しいノイの姿に目が釘付けになってしまった。ノイは中華系タイ人で、透き通るような白い肌をしており、その上目鼻がすっきりした顔立ちをしている。おそらくほとんどの男性が美しいと感じるだろう。僕も、もし二十代の頃にノイに出会っていたならば、彼女に夢中になっていたに違いない。いや、今でも、もしも僕がバンコクに住むようなことにでもなれば、そのうちにノイに恋してしまうかもしれない。

 一方、スパーは、小柄で浅黒い肌をしており鼻はそれほど高くない。典型的なイサーン人の外見と言えるかもしれない。大きな黒い瞳は魅力的だが、ノイのようにファッション誌に登場するようなタイプではない。

 どちらをデートに誘いたいかと問われれば・・・、外見だけで判断するならノイだ。性格を含めて考えるとしたら・・・、やはり僕はノイをデートに誘いたい。ノイは別に嫌な性格をしているわけじゃないし、黙っていても男がいくらでも寄ってきそうな美しいルックスを持ちながらも、ときに子供が見せるような愛嬌をも披露してくれることがある。それに、片言の英語がとてもかわいい。ノイは英語を話すとき、自分のことをノイと言う。タイ語ではこれが普通なのだが、英語では普通一人称に自分の名前を使わない。日本語でもそれは同じで、いい年をして自分のことを自分の名前で呼べば馬鹿っぽく聞こえるだろう。けど、ノイが自分のことをノイと言うとき、僕は可愛くてたまらないのだ。ノイの英語では細かなコミュニケーションができないため、今回のように仕事の話をしなければならないときには不便だが、男女の関係にはそれほど込み入った会話は必要ない。

 しかし、結局僕はノイに電話をしなかった。もしも彼女が、僕がここにいることに対してあまりよく思っていないなら面倒な会話になってしまうかもしれないし、それ以上に、クーンとアンの寝顔が、早く一緒に寝ようよ、と言っているような気がしたのだ。
 
 いよいよ明日は田植えである。

 そういえば田植えについての話はスパーから何も聞いていない。おそらく田植え機というものはないだろうから、ほとんどが手作業になるに違いない。どんな手順で作業をするのかくらいは聞いておいた方がよいだろう。スパーが戻ってきたら尋ねてみよう。

 しかし僕は、スパーが部屋に戻る前にすでに深い眠りに落ちていた。

続く・・・
エピソード6   力仕事ができない父親

翌朝、僕は鶏の鳴き声で目覚めた。

 スパーの家では、鶏が放し飼いで飼われている。いや、飼われている、というよりは勝手に住み着いているといった方が正しいかもしれない。

 僕が目覚めたときにはすでに全員が起きて身の回りを整えていた。時刻を確かめるために時計を見ると、まだ六時にもなっていない。イサーンは夜だけでなく朝もまた早いのである。

 僕が目を覚ましたことに気づいたクーンとアンが、僕のそばにやってきてワイをしてくれた。タイ人にとっては当たり前の挨拶であるが、日本人の僕がタイ人からワイをされるととても嬉しいものである。しかも、無邪気でかわいいクーンとアンにワイをされたことで、僕は朝から気分がよかった。

 ワイは、目下のものが目上のものにする挨拶である。だから、僕はスパーの父親と母親を見つけてワイをしに行った。妹のジンには、洗面所、というか雨水をためている桶の前で出会ったときにワイをされた。僕はジンに対しては、年齢はかなり上であるが、立場的には家に泊まらせてもらっているわけだから、敬意を払う必要があると思ってワイをやり返した。このような挨拶は正しくないかもしれないが、そこは外国人ということで大目にみてくれるだろう。

 スパーに対してはどうすればいいのだろう。

 そういえば、スパーには初対面のときもワイをされなかった。これまでバンコクで出会ったほとんどのタイ人、特に女性は、こちらが自己紹介をする前に、向こうからワイをしてくれていた。

 しかし、スパーは例外だった。ワイをするどころか、サワディ・カーとも言わずに、ナイス・トゥー・ミーチュー、なんて言って右手を差し出してきたのだ。僕のスパーに対する第一印象は、西洋かぶれしたプライドの高そうな女、であった。

 だから、昨日バス停でスパーとおよそ二週間ぶりに再会したときに、彼女が、サワディ・カー、と言ったのがすごく新鮮に感じられたのである。

 しかしスパーは、まだ僕にワイをしたことがない。別にスパーよりも目上の立場だということを分からせたいわけではない。というより、少なくとも今こうしてお世話になっているときは、僕のことを目上と思ってほしくない。けれども、一度くらい僕にワイをしてくれてもいいのではないか・・・。
  
 スパーはどこからか昆虫の素揚げを抱えてやってきた。これが朝ごはんだというのだ。みかけがグロテスクなだけで実は美味いものであることは昨日の時点で分かっている。しかし、家族全員でこれだけしかないなら量が足らない。

 「これだけ?」

 「これはクーンとアンのもの。あたしたちは田んぼに行ってから食べるのよ。ちゃんと美味しいご飯を作ってあげるから心配しないで」

 僕の取りこし苦労であったようだ。

 服を着替えに二階に上がる階段の途中で、またもやスパーにワイをされなかったことに気がついた。

 服を着替えて休憩していると、アンが昨日のお絵かきボードとドラえもんのノートを持って僕の元にやってきた。昨日と同じように、日本語の「な」を書こうとしている。残念ながらまだ正確には書けないようだ。けれども、何度も何度もチャレンジするところがけなげでかわいい。

 そんなアンを見つけたスパーがやってきた。

 「学校に行く時間よ。何をぐずぐずしているの!」

 イサーン語は分からなかったが、おそらく彼女はそう言っていたのであろう。バンコクではそんな片鱗をまったく見せなかったが、スパーはここでは完全に母親であった。

 僕はアンとクーンを見送るために家の外に出た。学校には近くに住むおじさんがバイクで送ってくれるようだ。このおじさんがアンやクーンと血縁関係にあるのかどうかは不明だ。実際、スパー自身がこの近くに自分の親族が何人いるのかよく分かっていないらしい。タイの田舎ではこれが普通だそうだ。

 バイクで送ってもらう、というのは少し不正確な言い方で、正確に言えば、バイクの横にとりつけられた金属の箱に子供たちが乗り込んで送ってもらう、ということになるだろう。日本でこんなことをすればすぐに警察に捕まるが、タイではごく普通だ。もっとも、タイではバイクに四人乗りをしていても捕まることはあまりない。

 といっても、こんな光景はバンコクではみかけない。バンコクにはトゥクトゥクと呼ばれるバイクに座席を取りつけた乗り物があるが、この地域にはない。代わりにサムローと呼ばれる、同じくバイクにトゥクトゥクのそれより大きな座席をつけたものがある。子供たちの乗っているのは、サムローの変形型、または簡易型と呼べるかもしれない。
 
 子供たちが学校に行った後、ついに田んぼに向かう時間がきた。

 田んぼに行くのは、スパーの両親、母親の弟、スパー、妹のジン、ジンの娘の二歳のダーオ、弟のヤン、そして僕の計八人だ。スパーには兄がいると聞いていたが、昨日からまだ一度も見ていない。まあ、そのうちに対面することになるのだろう。

 三台のバイクにスパーと僕を除く六人が乗り、スパーと僕は自転車に乗って田んぼに向かった。スパーは気を利かせ、新しい方の自転車を僕に使わせてくれたが、ブレーキ線が前後ともに切れておりブレーキはまったく使えない。まあ、ぜいたくは言っていられない。走って田んぼに行くよりはましだ。どれくらいの距離かは知らないが。
 
 スパーに田んぼまでの距離を尋ねると、遠いよ、という答えが返ってきたが、実際にはそれほど遠くはなかった。イサーンに限らず、タイの田舎では、地元の人に、近い、と言われても相当な距離を覚悟しなければならない。僕はそれを知っていたので、スパーが遠いと言ったためにかなりの距離を覚悟したのだが、五百メートルもないくらいだった。スパーは距離感覚まで外国人慣れしているのだろうか。

 スパー一家の田んぼは、大通りから幅二メートルくらいの舗装されていない細い道に入って、二百メートルほど進んだ奥にあった。田んぼは日本のものと同じように、あぜ道で正方形もしくは長方形に仕切られているが、日本の田んぼに比べるとひとつの区間がかなり小さい。これでは、あぜみちの部分がもったいないように思われるが、おそらく水を効果的に田んぼに貯蔵するには、一区間をこれくらいにしておく必要があるのだろう。日本の田んぼとは異なり、水の量を一定に保つ技術が未熟なのかもしれない。

 スパーによれば、全部で二ライの広さがあるとのことなので、六十メートル四方より少し小さいくらいだ。ライは、タイで土地の広さを表すときによく使われる単位で、一ライで四十メートル四方の広さを指す。一家で二ライというのは狭すぎるように思われる。これだけでは一家が農業のみで生活することはできないはずだ。

 田んぼの端には、五メートル四方程度の空き地があり、小さな小屋も建てられていた。女性たちは、その小屋の横で火を起こし食事の準備にとりかかった。

 僕がぼんやりと田んぼを眺めていると、スパーの父親に肩をたたかれた。遠くを指さし、一緒に行こう、というジェスチャーを示した。

 「クラップ(はい)」

 僕が返事をすると、父親はあぜ道を歩き出した。僕は遅れないように必死についていこうとするが、足元の状態が悪くなかなか追いつけない。しかしこんなところで、使えないやつだとは思われたくはない。僕は泥まみれになりながらも必死で父親の背中を追いかけた。

 一番奥の田んぼに到着したとき、父親は足を止めた。その田んぼには耕運機を使って土を掘り返している男性がいた。スパーの父親はその男性と話し出した。何を言っているのか僕にはさっぱり分からなかったが、小屋に戻る帰り道で父親は僕にもわかるゆっくりとしたタイ語で教えてくれた。

 スパー一家では、先ほどの男性にいくらかのお金を払って田んぼを耕してもらっているそうである。以前は自分たちで鍬をつかって耕していたのであるが、今は身体を壊したために、医者から田畑を耕す作業は禁止されているらしい。水牛を使うという方法もあるのだが、維持費にお金がかかるため、二ライ程度の広さなら知り合いに頼んでいくらかのお金で耕してもらう方が安くつくそうなのである。

 父親はそう言って下腹部を指差したが、僕にはその意味が分からなかった。後にスパーが、父には鼠径ヘルニア(脱腸)がある、ということを教えてくれた。

 それにしても、スパーが「ヘルニア」という単語まで知っていることに驚かされる。しかも正しい発音で。僕は看護士だから知っているものの、ヘルニアの発音を正しくできる日本人はどれほどいるだろうか。これで英語の読み書きができないというスパーが、僕には理解できない。
 
 小屋に戻ると父親は、昔使っていたという鍬を取り出して僕に見せてくれた。そして、耕すときのポーズを取って僕に微笑んだ。僕には笑顔を見せているが、本当はきっと悔しいに違いない。鼠径ヘルニアがなければ他人にお金を払って自分の田んぼを耕してもらう必要もないのだから。

 しかし、おそらくもっと悔しいのは、力仕事が一切できなくなってしまった、ということだろう。スパーによれば、父親は、以前は農業の他にも日雇いの肉体労働をおこなっていたらしい。ところがヘルニアを発症してから医師から一切の肉体労働を禁止されてしまい、今でもできるのは下腹部にそれほど力を入れなくてもいい田植えくらいだそうなのだ。しかも田畑を耕す作業も禁止されているのだ。

 この地域では米は一年に一度しかできない。ということは、実質働けるのは田植えと稲刈りのシーズンだけということになる。それ以外の季節には何もすることがない。わずか二ライの田んぼで米の収穫は年に一度。これでは家族全員が食べていくことは到底できない。

 おじいさん、おばあさんに育ててもらっているクーンとアン、そしてスパーの妹ジンの娘のダーオは勉強を続けられるのだろうか。スパーのように義務教育の中学校にも行けなくなってしまうのではないだろうか。もしもそうなるかもしれないということをクーンやアンが気づいたら、あの子たちは勉強をする気になれないのではないだろうか。

 これが、スパーがバンコクで言っていた、イサーンを見れば分かる、という意味なのだろうか・・・。
エピソード7   抜けない苗

しかし、解決する方法がないわけではない。

 鼠径ヘルニアは、症例にもよるが、しっかりした手術をおこなえば再発することもあまりない。だから父親は手術を受けて再び肉体労働に従事すればいいのではないだろうか。

 けれども、これは現実的ではないかもしれない。スパー一家が医療保険に入っているとは僕には到底思えない。ヘルニアの手術はそれほど難易度が高くないとはいえ、入院は必要である。保険を使わずに入院して手術を受けるとなると、とてもスパー一家に支払える金額では済まないだろう。

 それに、年齢の問題もある。スパーの父親の実際の年齢は知らないが、見た目には六十歳くらいに見える。タイ人は日本人に比べると年老いて見えることが多いため、実際の年齢は五十歳くらいかもしれないが、やせ細ったこの父親に肉体労働をすすめるようなことは誰にもできないだろう。

 ならば、別の解決方法を考えればよい。

 例えば、土地を買い足すというのはどうだろう。このあたりの土地はけっして高くはないはずである。日本とは異なり、タイにはほとんど山というものがない。土地と言えば平野なのだ。日本のように平野に希少価値があるわけではないから、このあたりの土地もそんなに高くないはずだ。兄弟四人でお金を出し合って土地を買い足せば、生活が少しは楽になるのではないか。そして、耕運機や、ついでに田植え機や稲刈り機も買って、うまく行けば人を雇い、さらに米以外にも野菜を作ったり豚を飼ったりすればどうだろう。そして・・・。

 僕はそれ以上のことを考えるのをやめた。

 そんなこと、スパー一家の誰もが一度は考えたことがあるに違いない。それができないから困っているのだ。

 資本主義の欠点がここにある。

 資本主義とは、資本、すなわちお金や土地があればあるほど、どんどん富を築き上げることができるシステムのことだ。しかも、タイには相続税というものがない。土地をたくさん持った家に生まれれば、その一家は半永久的に繁盛するのがこの国の仕組みになっている。

 その逆に、土地やお金のない家庭に生まれれば、金持ちになるのはほぼ絶望的なのだ。それが、多少無理をしてでも一攫千金を夢見る人々が後を絶たない理由なのかもしれない。男性ならばムエタイのチャンピオン、女性ならば・・・、高級売春婦だ。

 女性には、もうひとつ方法があるといえるかもしれない。外国人の金持ちとの結婚だ。この場合の「金持ち」とは、我々日本人の言う金持ちとは異なる。おそらくスパー一家の年収は日本円で十万円にも満たないであろう。この場合の「金持ち」とは、日本人で言えば普通のサラリーマン程度の収入のある者のことである。

 しかし、だからと言って、貧乏な農家に生まれたタイの女性がすべて外国人との結婚を望んでいるわけではない。金さえあればタイの女はついてくる、と考える外国人がいるとすれば、それは傲慢以外の何ものでもない。

 例えば、スパーの妹ジンは、お金目当てで結婚相手を探したわけではない。

 ジンは、今は田植えのために実家に戻ってきているが、普段はバンコクの日本人街と呼ばれるスクンビットの日本料理屋でウエイトレスをしている。スパーの話によれば、ジンは日本人に顔が似ていることもあり、結婚する前は日本人の客からよく誘われていたそうだ。ジンを目当てにその店に通う日本人も少なくなかったそうである。

 しかし、ジンはそんな日本人の男たちには見向きもしなかった。そして、今の夫であるタイ人の男性と結婚したのだ。ジンの夫は、ジン一家よりも貧困な農家の出身らしく、ふたりの生活は相当大変そうである。ただでさえ少ない給料の大半が双方の親への仕送りに消えるのである。それでもふたりは大変仲がいいそうだ。

 スパーだって、イギリス人の恋人と同棲していたことはあるが、それは自然な流れでの帰着だ。スパーは金目当てで外国人と付き合っていたわけでは決してない。それは、スパーがそのイギリス人と知り合う前の生活を思い出せばすぐに分かる。

 スパーに子供を生ませたふたりの男性はいずれもタイ人であるし、スパーは外国人に媚を売ることなど考えもせずに、工場勤務やホテルの清掃業務をおこなっていたのだ。スパーほど英語ができれば、西洋人であろうが日本人であろうが、すぐにでも恋人のひとりやふたりは見つかりそうであるが、スパーはそんなことはしない。スパーとはそういう女性だ。彼女にとって、愛し合わない限りはセックスや結婚という言葉はないのだ。

 実際、スパーは日本人の僕に対して色目のひとつも使ってこないではないか。まあ、僕には何の魅力もないということなのだろうが・・・。

 スパーの半生を思い出しながらぼんやり田んぼを見ていると、突然右腕に激痛が走った。

 「痛い、痛い、やめてくれ!」

 人間、非常時には素(す)の言葉しか出てこない。こういうときには日本語だ。

 「ご飯できたって言ってるのに、あんた何をぼーっとしてるのよ!」

 スパーが僕の右腕をつねりながら後ろに立っていた。怒っているような口調で大声をだしているが、彼女の大きな黒い瞳は微笑んでいる。この状況を楽しんでいるようだ。

 「コートー・ナ(ごめんな)、ガムラン・キットゥン・スパー(スパーのこと想ってたんだよ)」

 英語で怒っていたスパーに対してタイ語で返答した僕もまたこの状況を楽しんでいた。
 
 朝食はカーオニアオと野菜スープだった。それに昨日の残りの豚肉の素揚げとオムレツが添えられていた。スープはとても美味しいのだが、食事はあまり喉を通らない。今から始まる田植えを前に緊張しているのかもしれない。

 スパーの父親、叔父、弟のヤンの三人が田んぼに向かったので僕もついていこうとしたが、スパーが僕を呼び止めた。

「ケイはまだ行かなくてもいいの。ちょっと待って」

 なぜ、スパーは僕に田んぼに行かせないのだろう。僕以外の男は全員向かっているのに。もしかして、スパーは僕と一緒にいたいのだろうか。いくらタイ人はフレンドリーだからといっても、自分の実家に二泊もさせるのは、本当は僕に少しくらい気があるんじゃないのか・・・。

 スパーの透き通った声が僕の想像を一瞬にして打ち消した。

 「後片付けするから手伝ってよ!」

 イサーンでは食事の後片付けは女性の仕事じゃなかったのか・・・。

 家に水道がないくらいだから、こんなところで水道水が使えるはずがない。ジンがバケツを使ってため池の水を汲んでいた。五メートル四方程度のそのため池は、食事をした空き地の横に位置しており、スパー一家がつくったそうである。この地方の土は日本のそれとは異なり赤いのが特徴である。土が赤いため、池にためられた水は茶色に濁っている。タイのニュースでときどき報道されている洪水の映像と同じ色の水である。

 ジンとスパーはこの池でくんできた水で皿を洗い出した。洗剤というものはない。しかも、洗うというよりも、さっとその水に浸す程度だ。これで皿についていた食べ物の残りが取れれば皿洗いは完了のようである。僕はその間、ござをたたんだり食器をジンとスパーの元に運んだりした。

 ジンの娘のダーオは、近くに集まってきている小鳥を捕まえている。まだ二歳の女の子が裸足でそのあたりを駆けずり回り、小さな手で小鳥の首を捕まえている光景はかなり異様である。日本ではまず見られないであろう。ダーオは捕まえた小鳥を自分の腰に紐でくくりつけた籠に入れている。もしかして、今晩のスパー一家の夕食のおかずはこの小鳥たちなのだろうか。
 
 食事の後片付けが終わると、スパーは、靴下を履いて長袖のシャツを着ろ、と言う。長袖のシャツは分かるとして靴下はなぜなのか。いち早く田んぼに向かった男性陣は全員裸足である。当然僕も裸足で田植えを手伝うものだと思っていた。

 スパーは、普段から裸足に慣れていないと怪我をすると言う。自分もはくから僕もはくようにと言って、僕のために持ってきてくれた靴下を渡してくれた。なめられている気もしたが、ここはスパーの言う事を聞く方が賢明だろう。スパーも僕のことを考えて言ってくれているのだから。
 
 スパーの母親、ジン、スパー、そして僕の四人が遅れて田んぼに向かった。ダーオは小鳥捕りに疲れたせいか、ハンモックで休んでいる。数本の大きな木のおかげでハンモックの位置は日陰となっており、気持ちよさそうだ。のんびりした田園の日陰でハンモックに寝転ぶ二歳の女の子・・・。日本でこのような光景はあまりないだろう。
 
 到着したのは、長さ三十センチほどの苗が密集して植えられている田んぼである。午前中は、この苗を引き抜いて二十本程度の束にしていくらしい。午後にその束を別の田んぼに運び、間隔をあけて植えていくそうだ。男性たちはすでに作業を開始している。

 僕はスパーの後を追って、靴下をはいたまま田んぼの中に入った。靴下のなかに生温かい田んぼの水が入ってきて一瞬気持ち悪かったが、ウエットスーツを着て水中に潜るときと似たような感覚だ。それほど不快というわけではない。

 スパーは、まずは自分が見本を見せるからしっかり覚えろ、と言う。今日は彼女が僕の先生だ。

 スパーは足を肩幅よりやや広めに開け中腰の姿勢をとった。密集して植えられている苗二十本程度を、根元の方で左手を順手の状態にしてひとつかみにした。そして、右手を左手に添えて一気に引き抜いた。苗は根元からきれいに抜かれた。そして左足で片足立ちになって、引き抜いた苗の根についている余分な土をとるために、左手で苗の束を手にしてその根の束を右足の踵にぶつけた。すると、不要な土は周囲に飛び散り、きれいになった根だけが残った。スパーの小さな身体でも楽にできる作業のようだ。これなら僕にもできそうだ。

 僕は、スパーの真似をして中腰になり、左手で苗を根元の方から束ねてみた。そして右手を添えて引っ張った。

 ところが・・・、苗は抜けないのだ。スパーがあれほど簡単に抜いて見せた、たかが三十センチ程度の苗二十本ほどの束が抜けないのだ。

 僕はさらに力を入れてみた。ダメだ・・・、抜けない・・・。

 さらに力を加えた。このまま力を加え続ければ抜けそうだ。しかし・・・

 僕の悪い予想は的中した。抜けたのはいいのだが、根が数センチしかついてきていない。これでは植え替えることができない。僕は、スパー一家の貴重な苗をつぶしてしまったのだ。

 スパーは、気にしないで、と言う。これでもなんとか苗は育つと言ってくれている。しかし、本当にそうなのか。そして、スパーがあれほど簡単にやってみせたことが、なぜ僕にはできないのか。

 どう考えても僕の方がスパーよりも遥かに力があるはずである。身長一五〇センチ程度でスリムなスパーに比べると、僕は体重も腕の太さも一.五倍くらいはあるはずだ。きっとこの作業にはコツがあるに違いない。ほとんどのスポーツが単に腕力だけでは勝負できないのと同様に、この作業もコツが分かれば、わずかな力を加えるだけできれいに苗が抜けるようになるに違いない。

 そう思って、僕はスパーが見せてくれた見本をもう一度思い出しながら、再度この作業に挑戦してみた。

 ダメだ、やっぱり抜けない。力任せに抜くと、さっきと同じ結果になるのは明らかだ。両手で苗をつかんだまま、身動きのとれなくなった僕を見てスパーが言った。

 「ケイはね、さっきは右手だけで強引に引き抜こうとしていたのよ。言ったでしょ。両方の手に同じくらいの力を入れて引き抜くの。握力だけで抜こうとせずに、全身の筋肉を使ってバランスよく力を入れるのよ」

 スパーの言うことは理にかなっている。たしかにその通りだ。握力だけなら僕の方がスパーよりもずっと強いはずである。スパーがあれほど軽快に苗を引き抜くことができるのは、全身の筋肉をバランスよく使っているからに違いない。

 それにしても、これをきれいな英語で説明することに驚かされる。僕はこんなに明快な英語で説明できない。苗をつかんでうつむいたまま僕はそんなことを考えていた。
エピソード8   ルークトゥンを聴きながら

 今度は全身の筋肉に力を加えてみた。まず腰を安定させ、両下肢にバランスよく体重を乗せ、上腕の筋肉を意識しながら苗を両手でつかみなおし、左右均等に握力を加えるように意識した。さらに呼吸をととのえ、大きく吸って次に吐き出す瞬間に思い切って引っ張ってみた。

 グッ、グッ、グッ、と大地が動く感じがする。さっきよりも遥かにいい感じだ。この調子なら根ごと引き抜けそうだ。しかし、予想以上に力がいる。スパーはこの作業をわずか二、三秒でやっていた。僕はすでに十秒以上が経過しているのにまだ抜けない・・・。

 何度か苗をつかみなおし、最後は目をつぶり全身の筋肉を使って渾身の力をこめた。バリバリバリ、と根が大地から離れる音とともにようやく引き抜くことができた。しかも今度は根ごと抜けている。これで成功か、と思ったがそうではなさそうだ。僕の抜いた苗は、たしかに根ごと抜けてはいるのだが、その根に大量の土が付いている。スパーが引き抜いた苗の束には、こんなに多くの土は付着していなかった。

 「OK! その調子!」

 スパーはそう言って、僕が引っこ抜いた苗を左手に取り、先ほどと同じように右足の踵に根の束をぶつけて不要な土を払いのけた。そして、苗の高さをそろえ、ひとまとめにして水田に並べた。

 長い根を切ることなく苗が引き抜けたのはいいのだが、これでは、スパーがしている一連の作業の一部分のみをやったことにしかならない。しかも、僕がおこなった苗を引き抜くという作業だけで、スパーが一連の作業をおこなうときの数倍の時間がかかっている。スパーと同じように、苗を引っこぬいてきれいな束にして、水田に並べるまでの作業がしたかったが、この時点では、まずは第一段階を突破、と考えた方がいいのかもしれない。今は、大事な根をちぎらないように苗を引き抜くことに集中することが大切だ。

 スパーは、おどけた調子で僕に、よくできたわね~、などと言っているが、僕はそんなスパーに、もっと頑張るよ、と愛想なく言い、次の苗に取り掛かった。

 スパーの叔父が、日本人はテレビゲームばかりしているからこういう作業はできないだろう、と言ってきた。別にイヤミで言ったわけではないだろうが、こういう言葉を聞かされた以上は真剣にならざるを得ない。僕は日本人代表の気持ちをもって作業に取り掛かった。

 しかし、何度やっても僕の引き抜いた苗には大量の土がついてくる。しかも、苗を引き抜く作業にかなりの時間がかかり、効率は非常に悪い。だが、土がついてきてもそれを追い払えば問題はないはずだし、これができれば一連の作業を完了したことになる。まずは、時間の短縮よりも作業を確実にすることを目標とすべきだろう。

 そう思って、スパーがやっていたのと同じように、左手に苗を持ち、右足の踵に土のついた根の束をぶつけてみた。

 ダメだ・・・。ほとんど土が取れない。もう一度やってみても・・・、やはり同じだ。

 スパーが中腰のまま、黙って顔を隠しながらおなかを抱えている。どうしたのだろう・・・。

 必死で息を吸い込もうとするときに出るような苦しそうな声が聞こえてきた。しかし、苦しんでいるのではなかった。スパーはそんな僕を見て笑っていたのだ。僕のその格好がぶざますぎて声も出ないほどおかしいようだ。遠くから僕を見ていた妹のジンも笑っている。

 なんて情けない姿なんだろう・・・・。とてもこの状況を楽しむことはできない。

 スパーが僕に近寄り、まるで小さい子供にものごとを教えるように話し出した。

 「はじめから、あたしたちと同じようにする必要はないのよ。足で土をはらうのはむつかしいから、ケイは手でやるといいわ。こうして右手を使うのよ」

 そう言って、僕が抜いた苗の束を左手にもち、右手を広げ、親指と人差し指の間の部分を上に向け、そこに土のついた根の束をぶつけた。スパーが踵でおこなったときと同じように、土だけが遠くにとばされ根はきれいになった。

 僕はスパーと目を合わさずに、黙って次の苗を引き抜いた。やはり大量の土がついている。スパーが見守る中、スパーがやったのと同じように、左手で苗をもち、右手の親指と人差し指のあいだの部分に不要な土のついた根の束をぶつけてみた。

 すると、いくつかの土の小さな固まりが周囲に飛び散り、きれいとまで言えなくても、長い根が露になった。これなら合格だろう。

 「コン・チャラート・ナ~(かしこい子ね~)」

 スパーは、小さい子供をあやすような調子で、タイ語で僕にそう言った。完全になめられている。しかし、ここは怒ってもしょうがない。少しでも早くきちんと仕事ができるようになって見返してやることを考えた方がいいだろう。

 僕は、そんなスパーをほとんど無視して次の苗にとりかかった。

 まだ始めてから三十分ほどしかたっていないというのに、右手の握力が低下していることに気づいた。腰まで痛くなっている。この調子では一日どころか、午前中ももたない。どうすればいいんだ・・・。

 「ヌアイ・マイ?(疲れたの?)」

 ジンが僕に尋ねてきた。こんなところで疲れたと言うわけにはいかない。実際、誰もまだ休憩をとっていないし、作業のペースを落としてもいない。僕はここでは日本代表なのだ。

 「マイ・ヌアイ・ローイ(全然疲れてなんかないよ)」

 僕はそう答えた。しかし周りには、ただでさえ遅い僕のペースがさらに遅くなっていることに気づかれていた。スパーの叔父がそんな僕を見て笑っている。僕が強がりを言っているのがお見通しというわけだ。

 スパーは、バンコクで僕に、田植えを手伝って、と言っていたのだ。この季節は家族総出で作業をしても人手が足りないために、僕のことも戦力として期待していたはずだ。その期待にそえなくては、食事をご馳走になり泊めてもらっているのが申し訳ない。

 僕は次第に感覚がなくなってくる両手に気づきながらも、気合いで作業をやりぬくことを決意した。

 スパーの弟のヤンが、小屋に戻ったかと思うと田んぼにラジオを持ってきた。そして、地元のエフエム局に周波数を合わせたようだ。しかし、僕にはのんびり音楽を聴いているような余裕はない。かまわずに苗を引き抜く作業を続けた。さっきスパーに教えてもらったように、右手の親指と人差し指の間で土をはらえばそれなりには上手くいく。作業のスピードはスパーの三分の一程度だが、これが僕の全力なのだから仕方がない。スピードにこだわるよりも、地道に正確な作業をやりぬくことの方が大切だ。そもそも日本人は勤勉な民族なのである。タイ人も日本人のことをそう考えているはずだ。さすがは日本人、そう言わせたいものだ。

 腰の痛みが限界に近づき、ふと腰を上げると、みんなが微笑みあって作業を続けていた。スパーの父親と叔父、それにヤンは、ラジオから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌っている。よく聞くと、これはルークトゥンだ。僕がスパーの家に来るときに乗っていたバスのなかで流れていたのもルークトゥンだったが、あのときとはまた感じが違う。バスのなかでは、夕暮れの田園風景によく似合う音楽だと思ったが、今聞こえているルークトゥンは、イサーンの人々がおこなう農作業にピッタリだ。もしかすると同じ曲なのかもしれないが、そのときの状況に合わせて聞こえ方が違ってくるのがルークトゥンなのかもしれない。しかし、僕はバンコクでルークトゥンを聞いて心地よいと思ったことは一度もない。以前、タイのCDをまとめて買って帰ったことがあり、そのなかにはルークトゥンも混じっていた。だが、日本で聞くルークトゥンも決して気持ちのいいものではなかった。ということは、ルークトゥンとは、イサーンで聞いたときにはじめてその良さが分かるものなのだろうか。ちょうど、バンコクでは食べる気の起こらないイサーン料理がここでは美味しく感じられるのと同じように・・・。
 
 スパーはジンと田んぼの泥水をかけあってふざけていた。二人ともバンコクにいるときは化粧を欠かさないはずである。タイの女性はおしゃれにとても気を使う。日本人だって気を使うが、バンコクでは化粧をしていない若い女性などまず見ることはない。化粧だけではない。服装も髪型もみんながそれぞれ大変工夫をしている。タイの女性は派手な色の服装を好むが、その芸術的な色の合わせ方にいつも驚かされてしまう。これを文化というならば、タイ人は天性のファッションセンスを持っているということになる。男だって負けてはいない。タイの男性のカラフルなシャツやパンツの合わせ方などはいつ見ても感心させられる。真似しようと思ってもできないが、見ているだけで気持ちがいい。

 だから、タイという国を日本よりも後進国と思っていると、バンコクにきて大きな衝撃を受けることになるだろう。タイ人は、時間があれば一日に何度でもシャワーを浴びるし、同じ服を二日続けて着ることはない。僕は日本では、同じスラックスを数日間続けてはくことがあるが、同じことをタイでは絶対にしない。タイでは、シャツはもちろん、スラックスでさえも二日続けてはくことが不潔な行為なのだ。これは、ただ単に暑くて汗をかくからというのが理由ではないと僕には思われる。とにかく、タイでは清潔で美しくいることが生活の条件なのだ。

 今日はスパーもジンも化粧をしていない。それどころか、顔には汗だけでなく泥水もついている。日本の水田なら透明な水だが、イサーンの土は赤く田んぼの水も濁っている。ふたりはその泥水をお互いにかけあってふざけているのだ。

 こんなスパーの笑顔を見るのは初めてだ。ジンにたくさん泥水をかけられたスパーは、おどけて怒ったふりをして、ジンを蹴りとばそうとかぼそい脚をあげ、よろけそうになっている。衣服は上下とも泥まみれで、顔にも汗と泥水が容赦なく付いており、まるでやんちゃな少年のようだ。しかし、大きな黒い瞳はしっかりと輝いていて、タイの眩しい太陽の光がその瞳に反射している。

 この瞬間のスパーは、たしかに美しかった・・・。バンコクでは決して見せることのない素顔だ。おそらく、これが本当のスパーなのだ。

 スパーだけではない。僕はジンをバンコクで見たことはないが、こんな表情はきっとここでしか見せないに違いない。男たちだってそうだ。スパーの父親も叔父も弟のヤンも生き生きと田んぼの作業を楽しんでいる。ルークトゥンを口ずさみながら・・・。
 
 最後まで気を抜かずにがんばりとおす、と決めたはずなのに、僕は気が付けば、作業を中断してそんな情景を眺めていた。そして、そんな僕にスパーが気付いた。

 「疲れたんでしょ。いつまでも強がり言ってないで休んだら・・・」

 渇舌のいい英語が、僕を夢の世界から現実に引き戻した。

 「大丈夫。疲れてなんかないよ。まだまだ働けるよ」

 スパーの滑らかな英語に対抗し、僕は無愛想な返事をして作業に戻った。
エピソード9 ソムタム・プララー 

 それにしても、スパーは、本当に僕を田植えの戦力として期待していたのだろうか。外国人のことをよく知っているスパーである。タイの伝統的な田植え作業の経験のない外国人が、効率よくこの作業をできると思っていたとは到底考えられない。僕は軽い気持ちで今回の作業を引き受けたが、これほど過酷なものとは思っていなかった。しかし、スパーほど機転が利けば、僕がイサーンの人たちと同じようには働けないということは分かっていたはずだ。

 では、どうしてスパーは僕に、田植えを手伝え、と言ったのだろうか。田植えを通してイサーンのことを知ってほしいと思っていたということはあるだろう。しかし、イサーンのことを知るのにわざわざ実際に田植えをする必要まではないだろう。

 自分たちがいかに頑張っているかを見せたかったのだろうか。いや、そんな単純なものではないだろう。頑張っている姿を見せられても僕には何もすることができない。もちろん田植え機を買ってあげるようなこともできない。そんなことはスパーにも分かっている。

 ただ単に、僕に楽しんでほしい、と思っていたのだろうか。たしかに僕は楽しんでいないことはないが、わざわざ異国の地にまできてこれほどしんどいことをやりたがる日本人はそんなにいないだろう。僕とそれほど付き合いの長くないスパーが、僕ならこの状況を楽しめると確信していたとも思えない。

 あるいは、ほんの少しくらいは僕を男とみていたのだろうか。そして、少しでも僕と一緒にいたくてわざわざ故郷にまで呼んで田植えを手伝わせているのだろうか。いや、それならもう少し女らしいところを見せようとするだろう。顔を泥まみれにして、妹を蹴り飛ばそうと足をあげているスパーが、そんな巧妙なことを考えているとは到底思えない。ただ、結果としては、そんなスパーにある種の美しさを一瞬感じてしまったのだが・・・。しかし、それはほんの一瞬だ。

 午前中に引き抜く予定の苗がもう少しとなった。スパーたちが少しずつペースを落としだしたが、僕は悲鳴を上げている腰と前腕の筋肉を無視して作業を続けていた。気がつけば、みんなとは逆に、僕のペースは少しずつ上がっているようだ。筋肉の動きは鈍くなっているのだが、引き抜くときの力のかけかたと方向性にコツがあることが分かってきたのだ。苗は地面に垂直に引き抜くのではなく、最初は垂直に力を入れ、根の上の方が少しだけ地面から離れたときに力を加える方向をやや斜めにするのだ。こうすることによって、不要な土が根に付きにくくなり、力もそれほど加えなくてもいい。根を引き抜くのではなく、地面からはがす感じだ。

 残りが一メートル四方程度になったとき、向こうから作業を続けていたヤンと目があった。残りをふたりで仕上げなければならない雰囲気だ。

 僕はヤンに対抗意識を燃やし、ペースを上げようと試みた。ヤンもそんな僕に気づいたようだ。ルークトゥンにあわせて鼻歌を歌っているが目は真剣だ。男と男の勝負、と僕は思ったが、結果は惨敗だ。おそらくヤンのペースは僕の倍以上の早さだ。

 僕はヤンとの勝負を続けながら、バンコクでスパーが言っていたことを思い出した。ヤンはスパー一家と血のつながりがないのだ。そういえば、スパーの家族はみんなが浅黒い肌をして大きな瞳をしているのに、ヤンだけが色白で細い目をしている。ヤンは中華系タイ人なのだろうか。僕とふたりでいればヤンも日本人に見えるかもしれない。ヤンの本当の両親のことは誰にも分からないし、本当の生年月日すらも分からない。戸籍上の年齢と本当の年齢が違うなんてこと、日本ではあり得ない。この国ではよくあることかもしれないが、ヤンはそれに対してどのように思っているのだろうか。いや、ヤンはまだ若い。この年齢なら、まだ自分はこの家族と血のつながりがないということを知らされていないのかもしれない。しかし、やがてその事実を知るときが来るであろう。そのときヤンは何を思うのだろうか。

 僕とヤンの間にあった苗がすべて引き抜かれたとき、再びヤンと目が合った。

 「ヌアイ・マイ?(疲れた?)」

 僕の方から話しかけた。

 「ヌアイ・マーク(とっても)」

 ヤンは微笑みながらそう答えた。非効率ながらも一生懸命に作業をおこなった僕に対して、悪い印象はもっていないようだった。

 スパーの叔父が昼食にしようと言った。すでにスパーたちは小屋に戻って昼食の準備をしている。来るときは男のなかで僕だけが遅れて来たが、帰りは一緒だ。知らない人が遠くから見れば、このなかで僕だけが劣等生だとは思わないだろう。体格ならおそらく僕が一番のはずだ。

 昼食のメインディッシュはソムタムのようだ。ソムタムはトムヤムクンと並んでタイ料理を代表するもので、日本人にも人気がある。ソムタムとは、パパイヤをメインにしたタイの野菜が数種類使われているサラダで、メインディッシュとしても充分に食べることができる。パパイヤは、日本では果物として食べるがタイではそうではない。充分に熟したものは果物のような味がするが、まだ青いパパイヤは野菜として食べる。ソムタムに入れるのはまだ青い野菜のパパイヤだ。

 ただし日本人に人気があるのは、ソムタム・タイと呼ばれる一般的なタイ料理である。そして日本にあるタイ料理屋で出されるソムタム・タイはそれほど辛くない。バンコクでも外国人がたくさん来るレストランではあまり辛くない。

 ここイサーンではソムタム・タイは食べない。ソムタム・プーと呼ばれる生のサワガニが入っているものか、ソムタム・プララーと呼ばれる魚を醗酵させた汁にパパイヤなどの野菜が浸されたものである。そして、両方ともとてつもなく辛いのだ。

 僕はバンコクのイサーン料理屋に行ったとき、ソムタム・プーを試してみたのだが、辛さには耐えられても、サワガニのあまりの生臭さにほとんど食べることができなかった。そして案の定、食後に便意をもよおしトイレに駆け込むこととなった。そもそもサワガニを生で食べてもいいのだろうか、という気がする。僕は一応看護士の資格を持っているため、サワガニの生食は危険であることを知っている。寄生虫がサワガニに生息していることがあるのだ。ただ、生だと言っても一応は多量の塩にもまれているため浸透圧の関係で寄生虫が生息できない可能性はある。ちょうどイカの塩辛を食べても大丈夫なのと同じ理屈だ。しかし、そうはいっても、生のカニを食べる習慣のない外国人が食べれば腹を壊すことになる。

 さらにソムタム・プーの上をいくのがソムタム・プララーだ。ソムタム・プー以上に、ソムタム・プララーを食べられる日本人はそれほどいないだろう。あの臭さに耐えられないからだ。ナムプラーと呼ばれるタイの調味料にも魚を醗酵させた際にできる油を使っているが、あの程度の臭さならほとんどの日本人は問題ない。けれども、ソムタム・プララーに使われる醗酵させた魚の汁は、近づいただけで吐き気をもよおす者も少なくない。

 しかし、今から食べなければならないのはこのどちらかだ。どちらにしても昆虫のときのように上手くはいかないだろう。

 「今日のソムタムはどんなもの?」

 僕はスパーに尋ねた。

 ニヤッとやんちゃ坊主が浮かべるような笑顔をみせてスパーは答えた。

 「今日はあなたが来たから特別よ。ソムタム・プララー・サイ・プーよ」

 サイ・プーとはカニが入っているという意味だから、醗酵させた魚に加え、生のサワガニも入っているということだ。外国人がこれを食べられないことを知っていて、スパーはおもしろがっているのだ。日本人にとって、ソムタム・プララー・サイ・プーとは、まるで生ゴミから発生する液体に生臭いサワガニを加え、そこに生野菜を混ぜたようなものである。

 僕は絶望的な気分になりかけたが、ここまで来ればなんでもありだ。腹をこわすのはほぼ確実だろうが、それだけなら問題はない。タイにくるときはいつも整腸剤と胃薬を持ってきている。もしも、寄生虫や細菌に感染したら・・・、そのときはそのときである。日本に帰国するまでにあと数日間の余裕がある。それに昨日は、カーオニアオを、魚を醗酵させた汁であるナムプリックプララーにつけて食べたのだ。たぶん、ソムタム・プララーに使われる汁も似たようなものだろう。

 僕はスパーに頼んで、ソムタムをつくるのを手伝わせてもらうことにした。木の鉢に入れた野菜を木の棒でたたくあの作業を一度やってみたかったのだ。スパーは野菜と醗酵させた魚を鉢にいれ、さらにビニール袋から取り出したサワガニを加えた。腐敗臭に生臭さが加わり強烈な臭いがする。カニに狙いを定めて、僕は木の棒を垂直にもちトントンと鉢をたたきだした。力をいれすぎて魚の汁が周囲に飛び散り、僕の顔面にもかかった。やはり強烈な悪臭だ。吐き気をもよおしそうになるのを我慢して僕はたたき続けた。

 スパーが調味料と思われる白い結晶をとりだした。味の素(あじのもと)だそうだ。最近はタイでも味の素(あじのもと)を使うのが一般的らしくて、この味の素(あじのもと)はタイ工場で作られているそうである。しかし、味の素(あじのもと)を加えたからといってこの臭さが軽減するわけではない。

 十分ほど棒で叩く作業を続けたところで、スパーが、それくらいでちょうどいい、と言った。できあがったソムタムを皿にうつしてみたが、やはり悪臭は変わらない。普通なら自分のつくった料理は、少しくらいは美味しそうに見えるのだが、このソムタムだけはそうではなかった。

 ジンが作っていたカーオニアオとスープもできたようだ。僕らは全員で輪になって昼食を食べ始めた。タイでは日本のように全員がそろうまで待ったり、いただきます、を言ったりする習慣はないが、こうやってひとつの輪になってご飯を食べるのは、どことなくなつかしい感じがする。日本ではこのように食べ物を地面に置いて食事をすることもないのだが、それでも日本の古き善き時代の面影が感じられるような気がするから不思議だ。

 僕がつくったソムタムの味は、やっぱり臭くて美味しいとは言えないが、少なくともこの雰囲気にはよく合っている。その雰囲気のせいで、少しずつならなんとか口にすることができる。逆に、日頃美味いと感じている寿司やステーキをここで出されても、不似合いさが本来の美味さを消してしまうに違いない。

 しかし、あらためて自分のつくったソムタムを見てみると、強烈な悪臭のする汁にパパイヤが浸されて、そこに生のサワガニの足が散乱しているのである。これを日本で出されて食べられる日本人はどれだけいるだろうか。いや、日本でなくてもバンコクで出されたとしても同じだろう。

 ノイはこんな料理を食べるのだろうか。バンコク生まれバンコク育ちのいわゆる中流階級のバンコク人は、おそらくこのソムタムは食べないだろう。中流、もしくは上流階級の意識のあるタイ人は、辛いものをあまり食べない。そしてイサーン料理も口にしない。辛いものやイサーン料理を食べるのは下流階級の人間だけだと思っているように僕には感じられる。バンコクに帰ってから、ノイにソムタム・プララーを食べたという話をすればきっと驚くだろう。

 ふと気づくと、ジンの娘のダーオが美味しそうに僕のつくったソムタムを頬張っていた。これくらいの年齢からこの臭い料理を食べていれば好物になるのかもしれない。それにしても、僕が初めて作ったソムタムを美味しそうに食べる二歳の女の子を見るのは気持ちがいい。その様子をみていると、だんだん臭さが軽減されてくるような気がする。僕は周囲に影響されやすい性格なのかもしれない。
エピソード10  HIV陽性・・・?

 昼からの作業は、二つのグループに分かれておこなうようだ。スパーの叔父と、ヤン、ジン、スパーの母親は午前中と同じ、苗を引き抜く作業をおこない、スパーの父親とスパー、そして僕は、午前中に引き抜いた苗を、耕して水をひいた田んぼに植える作業をおこなうことになった。

 僕ら三人は、スパーの父親が朝連れて行ってくれた田んぼに移動した。今朝はひとりの男性が耕運機をつかって地面を耕していた。今は水がきれいにひかれて苗を植えることができるようになっている。

 苗を植える作業はほとんど力がいらないようだ。スパーの父親が、見本をみせる、と言って作業を始めた。一束の苗を左手に持ち、そこから四、五本程度の苗を右手で抜き取り、適当な間隔をあけて水田に植え始めた。今度こそ僕にもできそうだ。

 僕はスパーの父親がやっていた通りにかまえて作業を開始した。これはそれほどむつかしくない。苗を傾けずに垂直に植えるには、右手の指先で少し土を掘り起こさなければならず、これに少々の時間がかかるため、慣れていない僕はスパーの父親がしていたほど短時間ではできないが、時間をもらえればほぼ確実に植えることができる。中腰の姿勢を続けなければならないが、筋力はそれほど消費しない。これならできる、最初の苗の束を植えてそう確信した僕は、スパーに負けないように必死でこの作業をおこなった。しかし、スパーの方を見ると、速さに歴然とした差があることに気がついた。スパーの田植えする姿はとても柔らかくて滑らかだ。表情は真剣だが、リズミカルな身体の動きから作業を楽しんでいるように見える。

 そんなスパーを見ていた僕は、ふと、スパーに日本の田植えを見せてあげたいと思った。僕は日本で田植えをした経験がないが、僕の住む町にはたくさんの田んぼがある。詳しく知っているわけではないが、田植え機で自動的に苗が植えられていく光景を子供の頃に見た記憶がある。あの田植え機を使えば、今日午前中にやったような苗を引っこ抜く作業もしなくていいはずだ。スパーに、日本はこんなに近代的な田植えをやっているんだよ、ということを教えたいわけではないが、スパーが日本の田植えの光景を見ればきっと驚くだろう。僕が望むのは、その驚いたスパーの顔を見ることなのかもしれない。

 「ケイは何をボーっとしてるの。疲れたんでしょ」

 「疲れてなんかいないよ。今度スパーに日本の田植えを見せてあげたいって思ってたんだ」

 「ありがとう。だけど、ケイ、あなた、知らないの? タイ人はそんなに簡単に日本に行けないのよ」

 そんなことはないだろう。実際、僕の住む町にはたくさんのタイ人が住んでいる。なかには不法滞在の人もいるかもしれないけれど、そうでない人の方がずっと多いはずだ。それに、日本に留学に来ているタイ人は少なくない。

 「小学校しか卒業してない無職のタイ人にはビザがなかなかおりないのよ。あたしたちにとっては、日本は夢の国のようなものなの・・・」

 僕はなんと言えばいいのか分からなかった。スパーの言うとおり、外国人にビザがおりにくい日本の閉鎖性は僕も聞いたことがあった。しかし、それは就労ビザのことだと思っていた。けれどもスパーは、観光目的でさえも簡単には日本に入国できないと言う。スパーが嘘を言っているとも思えない。イサーンの人にとっては、首都のバンコクに出て行くのも大変なことだろう。彼らにとっては、日本はたしかに夢の国なのかもしれない。

 「おかしなこと言ってないで、さっさと田植えをやりなさい」

 「はーい」

 不甲斐ない返事をして僕は再び田植えに取り掛かった。午前中と同じように苗を引き抜く作業を続けている向こうの田んぼでは、相変わらずルークトゥンが流れているようだ。作業を休めて耳を澄ませば、ふわふわっとした気持ちのいい旋律が聞こえてくる。もしも、日本と同じように田植え機を使ってこの作業をおこなえば、ルークトゥンがこんなに心地よくは聞こえないだろう。というより、田植え機のエンジン音で音楽を聴く余裕はないに違いない。しかし、単なる一日だけの体験としての田植えをおこなっている外国人の僕にとっては、この伝統的な作業にある種の美しさが感じられるが、スパーの家族からすれば、音楽なんかなくてもいいから機械を使ってもっと効率よく作業をおこないたいと思っているに違いない。伝統を大切にしたいと思うのは、ときに先進国の人間の無責任な願望にすぎないのだ。

 「はい。今日はそこまで。帰るわよ」

 一番端の田んぼすべてに僕が苗を植え終わるのを見ていたスパーは、最後の一苗を植え終えた直後にそう言った。あらためて僕が植えた場所を見てみると、スパーやスパーの父親の植えた面積に比べると半分くらいしかない。けれど、ひとつひとつの苗は傾くことなくまっすぐに上を向いている。苗と苗の間隔もほぼ均一だ。日本人だって、もともとは農業を主体とする民族なのだ。それに日本人は緻密な作業が得意なんだ。僕はそれほど手先が器用ではないけれど、異国の地に来れば日本人代表となるわけだから、代表という気持ちが緻密な作業を可能にするんだ。それに、ほとんどのタイ人は日本人を勤勉だと思っている。こんなところで日本のイメージを汚すことはできないのだ。

 「カヤーン・マーク(まじめによくやったね)」

 スパーの父親が微笑みながらそう言ってくれた。初めて見る笑顔だ。おそらく本音としては、もっと早く作業をしないと一人前にはなれないよ、というような気持ちだったと思うのだが、僕の努力を少しは分かってくれたようだ。
 
 スパーが水浴びをしようと言う。たしかに自転車に乗る前に、ドロドロの身体と顔をなんとかしたい。けれども、こんなところにもちろんシャワーはない。どこかに雨水をためた桶でもあるのだろうか。

 「そんなのあるわけないでしょ。ここで体と顔を洗うのよ」

 そう言ってスパーは比較的水がたくさん入っている田んぼに入りだした。小柄なスパーの体はまるで温泉に入っているかのようにすっぽりと田んぼにつかった。泥水で顔を洗っている。日本ではまずあり得ない光景だ。

 「ケイも入れば?」

 スパーはそう言うが、ここに入るのは抵抗がある。水がきれいでない、というのもあるが、それ以上に、せっかく植えた苗を傾けてしまいそうで嫌なのだ。スパーの小さな体なら苗を避けて水浴びすることができるが、僕がやると苗を傷つけてしまいそうだ。スパーにそれを言った。

 「じゃあ、池に入ればいいのよ」

 池とは、食器を洗うときに使っていた、小屋の横にあるため池のことだ。スパーは田んぼからあがり、池に行こうと言う。そして僕はスパーの後ろについてあぜ道を歩いた。スパーが言うように、たしかに田んぼで体を洗うときれいになるようだ。僕が泥だらけの汚い中年オヤジなのに対して、スパーは服を着たままプールにつかった少女のようだ。それにしても、全身水浸しの若い女性と全身泥だらけの僕が前後に歩いているのは異様な光景だ。

 スパー一家がつくったそのため池は、それほど大きいわけではないが、土が赤いために水が濁っており、池の中がどうなっているのかが分からない。深さも分からなければ、中にどんな生物が生息しているのかもわからない。雰囲気からしてカエルはいそうだ。

 「余計なこと考えてないで、さっさとつかりなさい。ここに置いていくわよ」

 これでは母親に叱れている子供だ。僕はスパーの方を振り向くこともせずに池に入った。心配していたような気持ちの悪い生き物はいなさそうだ。それどころか、水温がちょうどよくて気持ちがいい。酷使した全身の筋肉が適度に冷やされてリラックスできてしまう。スパーに促されなければこんな池につかることなど絶対にしないが、やってみると意外なものだ。池の水で顔についた泥を落として僕はため池から上がった。

 自転車で家に帰る途中で、スパーが僕に見せたいものがあると言う。言われるがままに、スパーの自転車を追いかけてついていくと、田んぼから百メートル程さらに奥に行ったところにあった空き地の前でスパーが自転車をとめた。そして、僕らは自転車をおり、その空き地の真ん中あたりに置かれている丸太にふたりで腰をおろした。

 「ここ、あたしの土地なのよ」

 スパーが自分で買ったというその土地は、僕の実家と同じくらいの大きさだから五十坪くらいだろうか。イギリス人のボーイフレンドと同棲しているときに、彼からもらったお小遣いをためて買ったそうだ。値段は二万五千バーツ。日本円にしておよそ七万五千円だ。タイでもっとも貧しいイサーン地方の、さらに辺鄙なところだから、分からないでもないのだが、やはりこの価格を聞くと驚いてしまう。

 「将来はふたりの子供とここで暮らすの。ところで、ケイは何曜日生まれ?」

 タイの文化では何曜日に生まれたかということが重要らしい。これまでも同じ質問を何度かタイ人にされたことがある。タイ人は日本人に負けないくらいに占いが好きだが、日本人のように血液型や星座といったものにはほとんど興味を示さない。何曜日生まれかということが彼女らにとっては最も重要なのだ。けれど、どうしてスパーは今、このタイミングでそんなことを聞くのだろうか。

 「あたしと子供ふたりだと、あとひとり足りないでしょ。だんなさんとは相性がよくないとね・・・」

 「・・・・」

 「プー・レン!」

 スパーの言葉がタイ語に変わった。プー・レン、とは冗談という意味だ。予期していないことを聞かれて、僕はスパーのその冗談に対応できなかった。何を本気にしてるのよ、といった表情を浮かべて笑っている。

 「そんな冗談、おもしろくないんだよ!」

 僕は英語で返した。スパーと一緒にいると、なぜか自分のペースが乱れてしまう。知らぬ間にスパーのペースに引き込まれてしまうのだ。スパーの方が僕より英語が上手いということがその理由なのだが、もしかすると他にも原因はあるのかもしれない。

 「今のは冗談だけど、ケイがその気ならあたしも考えてみてもいいかもよ。クーンとアンもあなたのことが気に入ってるみたいだしね・・・」

 僕は今出張でタイに来ているだけで、来週には日本に帰らなければならない。日本の女性との恋愛さえ面倒くさく感じている僕が、遠距離恋愛、しかも日本とタイの遠距離なんて考えられるわけがない。それに、スパーのことをそんな対象で見たことなんかない。バンコクにいるノイは少し気になる存在だが・・・。

 「ケイは優しいから、きっとあたしのこと理解してくれると思ったんだけどなぁ・・・」

 「僕は別に優しくなんかないし、まだスパーのこともイサーンのこともそんなに分かったわけじゃないよ」

 「そうね、けどケイが思っている以上に、ケイはあたしのことをまだ分かっていないわ・・・」

 スパーは何か意味があるような気になる言い方をした。

 「ケイは看護士でしょ。あたしにはあなたのような人が必要なのよ」

 いったい、看護士とスパーに何の関係があると言うのだろうか。

 「あたしね、実はHIVに感染しているの・・・」

 スパーはそう言ってうつむいた。本気で言っているのだろうか。バンコクで聞いたスパーの過去には、HIVに感染するようなエピソードはない。もちろん売春をしていたわけでもないし、つきあっていたイギリス人のボーイフレンドは交通事故で死んだはずだ。エイズで死んだわけではない。けれども、たとえば、昔遊びで覚醒剤を試したことがあったとしてもおかしくはないかもしれない・・・。いや、スパーに限ってそんなことはない。十八歳で二児の母親になり両親と子供を養ってきたんだ。こんなにしっかりと自分をもった女性がそう簡単に覚醒剤に手を出すとは思えない。けれども、この国では些細なことでHIVに感染している人がいくらでもいる。僕が看護士だからという理由で、スパーは正直に話したのだろうか・・・。

 十六年も看護士をやっていると、こういうことを聞いてしまうと放っておけなくなる。スパーのボーイフレンドにはなれないが、僕にできることがあるならなんだってしてあげたい・・・。
エピソード11  兄との絆

 しかし、そんな僕の想いをスパーの一言が引き裂いた。

 「プー・レン!」

 「いい加減にしろ!」

 僕の口から出たのは日本語だった。このとき、僕は本気でスパーに怒っていた。こういう冗談は許せない。もしもスパーが、僕が病院を辞めた理由を知っていたなら、こんな冗談は言えないはずだ。

     **************

 ポンチャイさんが、僕の勤めていた病院に救急車で運ばれてきたのは、三月の最初の土曜日だった。

 バイクに乗っていたポンチャイさんが、いきなり左折してきた車にまきこまれたのだ。幸い命に別状はなかったが、右足が骨折していて大量の出血があった。早急に手術をしなければならないような状態である。意識はしっかりしていたポンチャイさんは、担当医師にHIV陽性であることを告げた。すると、それまで分かりやすい日本語で優しく話しかけていたその医師の態度が豹変したのだ。この病院ではHIV陽性の人は治療できない、他を紹介するからそちらにいってくれ、と言うのだ。ポンチャイさんは、早急に手術室に運ばれなければならないような状態であるのに、である。ポンチャイさんは、今はエイズを発症していないし、薬を飲む必要がない状態であるということを、その医師にたどたどしいながらも日本語で必死に話したが、医師はまったくとりあわなかった。このやりとりを見ていて耐えられなくなった僕はこの医師に言った。

 「HIV陽性という理由でここでは治療できないということですか」

 「そうだ。この病院にはエイズ専門医がいないからね」

 まだ薬を飲まなくてもいいHIV陽性の人の骨折の治療にエイズ専門医は関係ないはずである。日本の医療現場では、まだまだ看護士が医師に口出しできるような状況ではないのだが、そんなことを考える前に言葉が出てしまった。

 「先生、ポンチャイさんを治療してあげてください。手術は早急におこなわれるべきでしょうし、必要であれば容態が落ち着いてからエイズ専門医のいる病院に転院してもらったらいいんじゃないでしょうか」

 「手術が早急かどうかは医者の決めることだ。君は余計なことを考えなくていい。それよりも大学病院と県立病院に電話して、この患者を引き取ってくれるかどうか聞いてくれ」

 どちらの病院にしても、ここから搬送すれば三十分以上はかかるはずだ。何も言わずに立ち尽くしている僕に諦めたのか、後輩の看護師が電話を始めた。その間、僕はその医師を睨みつけたまま一歩も動かなかった。

 どうやら県立病院がポンチャイさんをみてくれることになったようだ。県立病院にはエイズ専門医がいるらしいが、エイズ専門医が骨折の手術をするわけではない。

 時刻は午後五時を回っていた。夜勤帯の看護師たちとの申し送りを終わると、僕は着替えて病院の外に出た。

 そして、二度と病院に戻ることはなかった。

   *******************

 僕はしばらくスパーと口を聞かなかった。そんな僕を見て、スパーは少しおどけたような仕草を見せたり、ケーイ、と甘えるように僕の名前を呼びかけたりもしたが、僕に相手をする気がないのが分かると、彼女は僕から少し離れて丸太に座りなおした。

 「コートー・ナ」

 スパーがタイ語で僕に謝ってきた。英語でなくタイ語を使ったのは、真剣に謝りたいということなのだろうか。僕は、自分が病院を辞めた理由を説明しようかと一瞬思ったが、すぐにやめた。冗談であんなことを言うやつに、日本の複雑なHIVの事情なんか解かるはずがない。しかし、複雑な事情を知らないからあんな冗談を言ったのだろう。僕にもおとなげがなかったのかもしれない。

 「マイペンライ(気にしなくていいよ)」

 僕はタイ語でそう答えて立ち上がった。スパーも立ち上がり、僕の後をついて自転車をとめたところまで歩き、そしてふたりならんで自転車をこいでスパーの家に戻った。

 僕らが戻ると、ちょうどクーンが水浴びをしていた。妹のアンは先に水浴びを終えたようで、気持ちよさそうにハンモックに寝転がっている。髪がまだ濡れているが、おそらくドライヤーなどはこの家にはないだろうから、こうやってハンモックに揺られながら髪を乾かしているのだろう。

 ハンモックはふたつ並んでいたために、僕はもう一つの方に寝転がった。目が合うと、アンは起き上がり、僕のハンモックを揺らし始めた。僕が驚いた顔をすると、アンは面白がってさらに大きく僕の体をゆすった。ハンモックに乗っている僕の体は左右に大きく揺れだした。僕がおどけて怖がるような顔をすると、アンは楽しそうに笑い出した。僕もそんなアンを見て笑った。こんなに楽しいのはどれくらい久しぶりだろうか。僕の日本の生活でこんなに笑えることってあるだろうか。僕も結婚してこんな子供を持つようになれば、こうやって笑い合えるのだろうか。けど、これから相手を探して結婚したとしても、子供とこうやってふざけあえるようになるまでに十年もかかってしまう。ならば、すでに子供のいる女性と結婚してしまうのもひとつの方法かもしれない。だけど、子供が僕になついてくれるという保障はない。
 
 ふと気がつくと、見知らぬ男性がハンモックに揺られている僕を上から覗き込んでいた。

 「サワディ・クラップ」

 その男性は言った。まぬけな格好をしていた僕は慌てて起き上がり、とりあえずワイをした。

 「あたしのお兄ちゃんのピー・エークよ」

 スパーがエークの横に立っていた。自分の兄や姉の名前の前には通常ピーをつける。

 エークは、最近バンコクでトゥクトゥクの運転手を始めたそうだ。仕事を始めたばかりでそれほど休みがもらえないため、今回の田植えの期間ずっとここにいることはできないそうだ。しかしこの季節は家族全員が集まるので、自身も短期間の休みをもらってバンコクから帰ってきたと言う。エークはよく日に焼けており、スパーと同じ大きな黒い瞳が強い印象を与える。僕は、下手くそながらも一応タイ語で自己紹介をし、エークと握手をした。挨拶で握手をする習慣はタイにはないのだが、僕のタイ語では間が悪くなるため、その気まずさから抜け出すために僕の方から右手を差し出したのだ。

 エークは僕に気をつかって、イサーン語ではなくタイ語を話してくれているのだが、彼のタイ語は早口なのと僕にとっては訛りがきつすぎて、スムーズなコミュニケーションがとれない。何か聞かれて、マイカウジャイ(分からない)と答えると、マイペンライ(気にしないで)とは言ってくれるのだが、この連続では空気がまずくなってしまう。スパーに通訳を頼むにも、彼女はこれから食事の準備をしなければならない。

 僕はエークに、ビールを買ってくる、と言ってその場を立った。昨日と同じように、アルコールが入ればなんとかなる、と考えたのだ。日本から持ってきているタバコもかばんの中にもう少し残っているはずだ。どちらも身体にはよくないものかもしれないが、男同士が仲良くなるためにはこれらは有効なツールなのだ。

 近所の万屋のような小さな店で、ビア・タイガーと呼ばれるタイのビールを三本買い、エークの元に戻ると、昨日も来ていた男たちが集まっていた。そして、みんなで串にさした焼き鳥のようなものを食べていた。焼き鳥は、日本にあるような、小さく切った肉を串に刺したものではない。ひよこの丸焼きのようなものだ。僕も一本もらって食べ始めた。味は悪くないが見た目は気持ちのいいものではない。ひよこのまるやきなんて・・・。そうか! これはダーオが昼間に捕まえていた小鳥なんだ。エークに聞いてみると、ビンゴ!と言った。エークが僕に話した唯一の英語である。

 ひとりの男が大きな袋から綱のようなものを取り出し自慢げに僕に見せた。それは綱ではなく、大きなヘビだった。直径は五センチ以上、長さはおそらく二メートルは超えるだろう。すでに死んではいるが気持ち悪くて直視はできない。男が言うには、今日は家族でこれを食べるそうだ。ヘビを食べたことがあるか、と聞かれて、ないよ、と答えると、少し食べてみるか、と言われた。エークの顔をみると首を横に振って何かを言ったが、僕にはその言葉が理解できなかった。ちょうどそのとき、スパーがこちらに向かって歩いてきたので、手招きしてエークが何を言いたいのかを聞いてみた。

 「今日はうちではご馳走を食べるから、こんなもの食べなくてもいいって、お兄ちゃんは言ったの。今日はケイもお兄ちゃんもいるから、ムー・ガタよ。知ってる?」

 僕の聞いたことのない料理名だ。ムーは豚のことだから豚料理であることは間違いないだろう。けれども、ガタが分からない。スパーによると、ムー・ガタとは、言わば、イサーン風タイスキで、ふつうのタイスキがいろんな肉が入っているのに対し、ムー・ガタでは、肉は豚だけ、それも豚のホルモンが中心らしい。野菜や卵、春雨を使うのはタイスキと同じだから、イサーン料理に抵抗のある外国人でもこれは食べられるであろうとスパーは言う。それなら、僕にも問題なく食べられるはずだ。昨日の夜から、一応は食べられたとは言え、日本ではあり得ないような強烈なものばかりを試してきたが、今晩はそんなことを考えずにお腹いっぱい食べられそうだ。

 僕はヘビを見せてくれた男に、また今度いただくよ、と言い、スパーとエークと共に二階に上がった。

 ムー・ガタはふたつの大きな鍋でつくられていた。僕は、エーク、スパー、クーン、アンと一緒に鍋をつつくことになった。イサーンでは女性が料理をつくるのが一般的だそうだが、鍋料理だけは例外のようだ。エークがひとりで火力を調節し、肉や野菜を入れている。

 僕はさっき買ってきたビールの栓を抜こうと思うのだが、栓抜きが見当たらない。スパーに栓抜きを貸して、と栓を抜くジェスチャーをして頼むと、そんなものはここにはないと言う。じゃあ、どうして開ければいいんだ、と言うと、エークがビール瓶を貸せという。そして、器用に歯で栓をこじあけた。スパーが微笑んでいる。

 「お上品な日本人にはできないわね。あたしたちはこれが普通なのよ」

 たしかに僕には真似ができない。スパーにイヤミな言い方をされて少し腹が立ったと同時に、エークの野生的な表情になぜか小さな嫉妬心を覚えた。

 食事が終わり、クーンとアンは寝るためにふとんを用意しだした。僕はエークとスパーの三人で、今日の田植えのことや昼ごはんのソムタムのことを話していたが、次第に僕の口数が少なくなってきた。エークがよくしゃべるために、彼の言葉がほとんど理解できない僕は自然と出番がなくなるのだ。そのうちに、スパーも僕のために通訳をしなくなり、僕にはよく分からないふたりの会話を聞くだけとなった。

 突然、スパーが大きな声を出して怒り出した。早口のイサーン語のため、僕はいったいなぜスパーが怒っているのかがまったく分からなかった。さっきまで二人は楽しそうに笑い合っていたのである。エークは怒っているというわけではなさそうだが、必死で何かを訴えようとしている。スパーが席をたち部屋の奥に行った。僕はエークに何と言っていいかわからず、その場で呆然とする以外になかった。スパーが戻ってきて、財布から千バーツ紙幣を取り出しエークに渡した。エークは、コップン(ありがとう)、と言ってバイクでどこかに出かけて行った。
エピソード12 イサーンの夜空に舞うカエル

 エークが出て行ってからもスパーはまだ怒りの表情を浮かべている。僕と目を合わそうともしない。スパーのコップに水を入れてあげて一呼吸置いた後、僕はスパーにいったい何があったのか聞いてみた。

 「いつもああなのよ。いつも家族からお金をせびっていくの。それも女の子と遊びたいからという理由でね。きちんと付き合っている女の子だったらまだ分からないでもないんだけど、お兄ちゃんの場合はいつも関係がすぐに終わるの。だから今日はそれを言ってやったわ。そしたら、今回が最後だからって。もうそのセリフは聞き飽きてるのにね・・・」

 僕はエークに腹が立った。自分の妹に、自分が女の子と遊びたいからという理由でお金を借りる男がいるだろうか。これも、文化の違い、という言葉で片付けられるのかもしれないが、僕には到底理解できないし、許容もできない。それに、スパーだって失業中でお金があるわけではないのだ。NPOの仕事をしたといってもそれは臨時の仕事だ。今はその報酬があるからいいかもしれないが、それだって一万バーツだけである。そのなかからさっき千バーツ紙幣を一枚エークにあげたのだ。

 「そんな理由でお金を貸すことないよ。スパーが貸すからエークの癖になってるんじゃないの?」

 僕がそう言うと、スパーの表情が変わった。今度は怒りの矛先をこの僕に向けてきた。

 「ケイには分からないのよ。あたしとお兄ちゃんが子供の頃にどれだけ苦労したかってことが・・・。今クーンとアンが通っている小学校はあたしたちが子供の頃にはなかったの。あたしとお兄ちゃんはね、毎日二時間もかけて隣の村の学校まで歩いて通ったのよ。しかも舗装もされていない道を裸足でよ・・・。よく怪我もしたし、雨の季節には何度も危険な目にもあったわ・・・」

 スパーは言い終えた後、突然怒り出して申し訳ないという顔をした。僕と目を合わさずに、うつむき加減で話を続けた。

 「小学校の先生は、あたしとお兄ちゃんがそんなに遠くから歩いて通ってるってことを知らないの。知ろうともしなかったわ。それで、あたしたちが遅刻するとね、先生は容赦なくあたしたちを叩いたわ。痛かったし、いつも涙が止まらなかったけど、そんなときはね、いつもお兄ちゃんが慰めてくれたの。ふたりで頑張って小学校は卒業しようね、って言って、六年間ほとんど休まずに通い続けたのよ。この国には小学校すら卒業していない人だって大勢いるのよ。けどあたしもお兄ちゃんも頑張り続けたわ。片道二時間の舗装されていない道を裸足で六年間歩くのよ。こんな苦労を一緒にしたお兄ちゃんだからね、何があっても助けてあげたいの・・・」

 最後の方は、鼻をすする音が混じっていた。僕はスパーを直視できなかった。スパーは自分が泣いているところを見られたくなかっただろうし、僕自身もスパーの目を見つめると涙があふれてしまうと思ったからだ。

 「ちょっと外を歩かない?」

 スパーの鼻をすする音が小さくなり始め、虫の鳴き声が気になりだしたとき、僕はスパーの顔を見ずにそう言ってみた。スパーは僕の方を向かずにゆっくりと頷いた。

 街灯がほとんどないイサーンの舗装されていない道では月明かりだけが頼りだ。こんな経験、日本ではできないだろう。同じタイと言っても、バンコクとここイサーン地方では何もかもが大きく違っている。僕は何度もバンコクに行っているが、それほど日本との違いを感じたことはない。それに対し、イサーンは二日しか経験していないけれども、未知の体験ばかりだ。料理にトイレ、水浴びと言った方がいい風呂、初めての田植え、体を洗ったため池・・・、これまでの日本での単調な生活がなんだかとてもつまらないものに思えてきた。

 今こうしてスパーと月明かりを頼りに歩いているのも不思議な体験だ。もしも僕らが恋人どうしならば、きっとロマンティックなワンシーンになるだろう。

 それにしても、スパーが僕を実家に招待したのは、単にイサーンを見せたかったから、それだけなのだろうか。

 やっぱり少しくらいは僕を男として見ているんじゃないだろうか・・・。

 僕も悪くない気がしないでもない・・・。

 スパーが突然立ち止まり、大きな声で鳴いている道端のカエルを指差した。トノサマガエルだ。僕の住む町にも僕が子供の頃にはいたが、これほど大きなトノサマガエルは見たことがない。体長がおよそ十センチもある。もしかすると別の種類なのかもしれない。月明かりが反射しているそのギラギラとしたカエルの表皮はかなりグロテスクだ。子供の頃には僕も手で捕まえていた記憶があるが、今では近づいて見るのも気持ちが悪い。

 スパーが僕の方を見てニヤッとしたかと思うと、おもむろにその大きなカエルを左手でつかんだ。このときのスパーの姿が僕には忘れられない。化粧もしていないし寝巻きのような服装をしているが、スパーはきちんと身だしなみを整えれば、ボーイフレンドがすぐにできてもおかしくない二五歳の女性なのである。その女性が、ニヤニヤしながら左手に体長十センチはあろうかと思われるトノサマガエルを鷲づかみにしているのである。

 僕は、チェンマイで一度カエルを食べたことがある。そんなに美味しいものではないが、食べられないことはなかった。きっとイサーンでもカエルを食べるのだろう。だからスパーは躊躇することなく鷲づかみにしたのだ。

 「イサーンではこんなに大きなカエルを食べるの?」

 と僕が聞いた瞬間だった。僕の質問には答えずに、スパーはそのカエルを突然僕に投げつけてきたのだ。

 驚いて後ろにのけぞった僕は声すら出なかった。十センチもある大きなトノサマガエルである。間一髪で僕の左脇をかすめて後ろに逃げていったが、もしも、このどでかいトノサマガエルが顔面にでも当たっていたら、ショックとトラウマからしばらく立ち直れないかもしれないではないか。

 カエルがこちらに戻ってこないことを確認して、僕はスパーを怒鳴りつけてやろうと思って顔を上げた。

 スパーのやつ・・・、笑っていやがる。僕のうろたえた姿がよっぽどおかしかったようだ。さっきまで、怒ったり泣いたりしていたことが嘘のようである。今はお腹をかかえて僕のことをバカにして笑っているのだ。おかしすぎて息ができない、と言わんばかりの笑い方だ。

 「ケイ・ジャイ・ディー・マ~ク(ケイってほんとにいい人ね~)」

 スパーが久しぶりにタイ語を話した。僕をからかっているのだ。僕は腹が立っているのか、こんなスパーとのやりとりを楽しんでいるのか、自分でもよく分からなくなっていた。

 ただ、明日の昼にはバンコク行きの飛行機に乗っているということを考えると、胸が痛くなり寂しい気持ちになるのは確かであった。

 スパーと一緒に家に戻ると、全員がすでに寝静まっていた。エークはスパーのお金を持って遊びにいったし、ヤンも友達とどこかにでかけたようだ。クーンとアンの間にふとんがしかれている。母親のスパーのためにふたりの子供たちがしいた布団なのだろうか。それとも、最後の晩だから、ふたりは僕を真ん中にして寝たいと思ってくれたのだろうか。

 「ケイ、あたしとこの布団で一緒に寝るわよ」

 「えっ?」

 寝ている家族を起こさないよう息をこらえながらスパーが笑い出した。

 「プー・レン!」

 スパーはそう言って、顔をくしゃくしゃにして舌を出した。僕もおかしくなって声をださないようにスパーと笑いあった。今スパーが見せたこの笑顔、顔をくしゃくしゃにして舌を出す仕草、なんだかとてもなつかしい気がする。小学生の、ちょっとおてんばな女の子が、冗談で、あんたなんか嫌いよ、と言わんばかりに同級生のやんちゃな男の子に見せるときの表情とでもいえばいいだろうか。よく、タイに来るとなつかしい気持ちになる、と、タイ好きの日本人は言うが、それはタイの景色や雰囲気だけではなく、こういう女性の表情にもみてとれるのかもしれない。

 スパーは、自分はアンの横に布団をしいて寝るからと言って、僕にすでに布団が用意されているアンとクーンの間で寝るように促した。スパーに言われたとおり僕は布団にはいって、アンとクーンに小さな声で、おやすみ、と言った。

 一日中田植えをして疲れているはずなのに、昨日とはうってかわってまったく眠くなってこない。確かに身体はかなり疲労しているし、筋肉痛がすでに始まっている。だけど、頭が完全に冴えてしまっているようだ。明日にはバンコクに戻らなくてはならない。そして僕がタイにいられるのもあと数日だ。NPOが調査員を雇って、僕が監督としておこなった調査はすでに終了している。四人の調査員にはすでに報酬を渡しているから、もう僕は自分から希望しない限り調査員たちに会うこともない。もともと知り合いで僕が女性として少し気になっているノイに対しては、バンコクで食事に誘いたいと思うが、あとのバンコクの二人の調査員とはもう会うことがないかもしれない。そして残りのひとりのスパーとも・・・、明日になればお別れだ。

 スパーはこれからどうするのだろう。田植えが終わるまではここに滞在するのだろうが、それが終われば彼女はどこに行くのだろう。バンコクで仕事を探していると言っていたが、スパーが言うように、小学校しか卒業していない彼女はそう簡単に仕事を見つけられないだろう。前みたいにプーケットのホテルで働くことは考えているのだろうか。けれど、今はあの頃とは状況が違う。長男のクーンはもう小学校四年生だ。これから必要になるお金も増えてくるに違いない。多少のチップが期待できるとは言え、月給が五千バーツでは両親と子供たちに充分な仕送りはできないはずだ。

 おそらく、スパーが最も望むのはここで家族と共に暮らすことだろう。けれども、こんな田舎では仕事がない。田んぼがもっと大きければやっていけるかもしれないが、わずか二ライの広さではとても家族全員が食べていけるほどの収穫量は得られない。スパーは今日案内してくれた土地を持っているが、そこに家を建てることができたとしても生活を続けることはできない。では、スパーはどうすればいいのだろうか・・・。僕が考えるべき問題でもないだろうが、どうしても気になってしまう。

 こんなにも胸が苦しいのはなぜだろう・・・。僕は明日の昼にはバンコク行きの飛行機に乗っている。そして夕方には、再びあの大都会に舞い戻っている。僕がイサーンの奥地のこのナコンパノム県に再び来ることはないだろう。少なくとも僕が自分の意思で来ようと思わない限りは・・・。もうここに来られないという事実が僕の胸をこんなにも苦しめているのだろうか・・・。

 じゃあ、来たくなったら自分の意思で来ればいいのだろうか・・・。でも、それは何のために・・・。スパーに会いにくるためなのだろうか・・・。スパーに会う理由、いやスパーに会いたい理由が何かあるのだろうか・・・。けど、友達に会うのなら特に理由はいらないはずだ。それに、クーンやアン、ジンやヤンとも二度と会えないと思うと悲しくなる。今度は稲刈りのシーズンにここに来ようか・・・。そのときはまたスパーと一緒にあの田んぼで稲を刈ることになるのだろうか・・・。やはり、ルークトゥンを聴きながら・・・。
 
 田んぼに流れていたルークトゥンの旋律が頭を支配するようになり、そのうちに僕は目を閉じていた。
エピソード13  別れはイナゴで!

 クーンに身体を揺すられて僕は目を覚ました。今日もクーンとアンは学校だ。もうすでに、制服ともいえる青色の体操服に着替えていた。クーンが僕にワイをしているのを見つけてアンもやってきた。二人とも本当にかわいい・・・。あらためてそう思った。あと一時間もすれば、このふたりともお別れだ。そして・・・、僕が自分の意思でここに来なければ、このふたりにももう一生会うことがないのだ。ふたりはいつまで僕のことを覚えていてくれるのだろうか。僕のあげたドラえもんの文房具は、いつまでこの家に置いてもらえるのだろうか。あんなに喜んでくれるならまた持ってきてあげたい。もしもふたりが英語か日本語を勉強したいなら、僕は教えてあげたいし、外で一緒に遊ぶこともしたい。この次来ることがあればサッカーボールをお土産に持ってこようか。それとも・・・・

 そのとき、エークが部屋に入ってきた。お気に入りの女の子と遊んで朝帰りということなのだろう。涼しげな顔をして僕に挨拶をしてきたが、僕は目も合わさずに、サワディ・クラップ、と愛想のない返事をした。

 エークは、なぜ僕がそんなに無愛想な態度をとるのかが分かっていないようだ。僕は、スパーがどれだけ兄のエークを愛しているか、スパーがどれだけ苦労しているかを言ってやろうかと思ったけれども、僕のタイ語の能力ではそれを伝えることができない。

 「クン・エーク・ムゥワクーン・サヌック・マイ・クラップ?(エークさん、昨日は楽しかったですか?)」

 「サヌック・マ~ク(とっても楽しかったよ)」

 エークはどこまで無神経な男なのだろう。長男なら両親と自分の妹や弟を助けるのが当然じゃないのか。けれども、これは日本式の考え方なのかもしれない。一般に、タイは母系社会で、女性が家族を支える伝統があるという話を聞いたことがある。娘が両親の面倒をみないといけないから、仕方なく売春をすることも少なくないそうだ。さらに、両親が娘の売春を知っていることも多いと言われている。もっとひどい場合は、両親自らが娘を売春業者に売り渡したり、娘が生まれると、これで老後は安泰できる、と喜ぶ親もいると聞く。

 売春という問題を切り離して考えてみてもタイの女性はよく働く。早朝から深夜まで働いて、さらに子供の世話もしているのがタイの女性だ。バンコクのオフィスで働く女性も、さすがに残業はほとんどしないが、男性よりもよく働いているような気がする。そのせいか、タイでは仕事における女性軽視という問題がないそうだ。昔、タイ人の患者さんに聞いたことがある。日本の企業は女性を大切にしないね、と。その女性は僕の町にある日本の会社で働いているのだが、日本社会の男女不平等についてよく感じると言う。タイの社会では責任ある仕事も女性に回ってくるし、賃金でも女性の方が男性よりも高いことも珍しくないそうだ。

 女性が責任のある仕事をする、ということはたしかに歓迎すべきことで、日本社会が見習わなくてはならないことだろう。けれども、その一方では、女性に責任が与えられすぎていることによって、両親を養うために売春をせざるを得ないという現実もあるのだ。

 僕はタイ語が上手くなれば、エークとこのことについて話し合いたいと思った。エークは、ここはタイだ、日本とは違う、と言うかもしれないが、それでも、日本のこと、というよりは現代の世界の標準的な女性に対する考え方について話をした上で、エークの意見を聞いてみたいものだ。

 エークは僕に分かりやすいようにゆっくりとしたタイ語で会話を続けようとするのだが、僕にはエークの訛りのあるタイ語が分かりにくい。そのため、何度も聞き返すことになり、会話がなかなか前にすすまない。

 気まずい雰囲気になりかけたとき、ちょうどジンが部屋に入ってきた。すぐさま僕にワイをしてくれた。

 「昨日は田植えを手伝ってくれてありがとう。今日であなたは帰るみたいだけど、またこの家にも遊びに来てね。あたしはこれまでバンコクでたくさんの日本人を見てきたけど、ほとんどの人はイサーン料理なんて食べないのよ。けど、あなたはここで美味しそうにあたしたちのつくった料理を食べてくれたわ。あたしはスクンビットのレストランで働いているから、おなかがすいたらいつでも来てね。あっ、心配しないでね。あたしのお店は、イサーン料理じゃなくって、日本料理だからね。それから、お姉ちゃんのことをよろしくね・・・」

 ジンは普段から日本人と話し慣れていることもあって、日本人に分かりやすいようなタイ語で話しかけてくれる。僕はジンの話したことをほとんど理解できた。

 最後に言った、お姉ちゃんのことをよろしくね・・・、というのはどういう意味なのか。単なる社交辞令なのか。それとも、ジンは僕とスパーが特別な関係になることを期待しているのだろうか。僕にはそんなつもりはない。ただでさえ、女性と付き合うのをおっくうに感じているのに、遠距離恋愛、それも日本とタイの遠距離なんてできるわけがない。それに、そもそも僕はスパーに気があってここに来たわけではない。僕がイサーン人はもっと勉強すべきだ、と言ったことが発端となってスパーと言い合いになり、その流れでこんな展開になっただけだ。

 「ありがとう。ジンのつくるイサーン料理はほんとに美味しかったよ。昆虫も食べられるようになったし、僕はこの二日間でイサーンが大好きになったよ。ジンの娘の可愛いダーオにも会えてよかったよ。ジンの働いてるレストランにも必ずいくからね。それから、だんなさんにもよろしくね」

 僕は、スパーのことにはあえて触れなかった。ただ、これからもジンとは仲良くしたいし、ジンのだんなにも是非会ってみたい。もちろん、スパーとだっていい関係を続けたい。けれど、ジンが言った、お姉ちゃんのことをよろしくね、という言葉には、それ以上の意味が含まれているような気がして、だからスパーについて触れるのを避けたのだ。

 僕らはみんなで下におりた。クーンとアンを送ってくれるバイクのおじさんはすでに、他の子供をバイクの横に取り付けられた箱に乗せている。ここにクーンとアンが乗りこめば出発だ。スパーの父親、母親、叔父は、田植えに行く準備がすでに整っていた。ヤンはダーオを抱えてバイクにまたがろうとしていた。エークはバイクを取り出してきて、ジンに向かって、前に乗れ、というようなジャスチャーをしている。今日はエークも田植えを手伝うようだ。

 スパーが見当たらないなと思っていたら、なにやらビニール袋を持ってこちらに歩いてくるのが見えた。そういえば、僕らふたりは夕べこの道を歩いたんだ。そして、少しだけロマンティックな雰囲気になったんだ。スパーが僕にトノサマガエルを投げつけたことでそんな雰囲気は一瞬にして消え去ったが・・・。スパーは昨日のことをどう思っているのだろう。

 スパーが僕のところにやってくる前に、僕はスパーの母親と目があった。にっこり微笑んで僕にワイをした。ワイは目下の者が目上の者にする挨拶だから、スパーの母親が僕にするのはおかしいはずなのだが、それでも丁寧なワイをしてくれたのは、また来てね、という意味があるのかもしれない。横にいたスパーの父親は、ワイこそしなかったが、僕に笑みを浮かべた。僕はふたりの元に近づいてワイをして感謝の言葉を述べた。

 クーンとアンがバイクの横に取り付けられた箱に乗り込む前に、僕に近づいて最後のワイをしてくれた。これで僕はこの可愛いふたりにもう会えないかもしれない・・・。

 クーンとアンのバイクが出発し、田んぼに行くスパーの家族が乗っている三台のバイクもアクセルをふかすのを待つだけとなった。全員が僕に手を振っている。なんだか、少しセンチメンタルな気分になってきた。これで、僕はまたタイが好きになってしまったような気がする。三台のバイクが出発すると、僕は庭から道路に出てバイクが見えなくなるまで手を振り続けた。

 スパーが僕のもとにやってきた。

 「はい。これ、餞別ね」

 スパーが僕にくれたのは、ビニール袋に入れられたイナゴだった。

 「タカテーン!」

 僕がここに来て覚えたタイ語を披露した。エークに、イナゴはタカテーンというんだ、ということを昨日教えてもらったのだ。

 「ケイがこんなにもイサーンに馴染んでくれるとは思わなかったわ。タカテーンはすでにあなたの大好物よね。帰りの飛行機でこれを食べながらあたしたちのことを思い出してね」

 「カポッ!」

 僕は少しおどけて、タイの兵隊が敬礼するときのような挨拶をした。

 今日もスパーは田植えをするのだが、田んぼに行く前に僕をバス停まで送ってくれるようだ。僕は荷物をまとめて下りてくるから、少しここで待っていてほしいと言った。

 「カポッ!」

 スパーもおどけて僕の真似をした。小柄なスパーが右腕を上げて兵隊の敬礼をする姿は・・・、たしかに可愛かった・・・。

 バス停までの道のりで、僕はスパーに田植えが終わってからどうするのかを尋ねてみた。スパーは、バンコクで仕事を探しているが見つからないと言っていた。この国では小学校しか卒業していない二五歳の女性がまともな仕事を得るのはむつかしいのだ。これだけ英語が話せても認めてもらえない。タイという国は完全な学歴社会なのだ。それに、スパーの場合、流暢な英語を話すことはできるが読み書きはまるでできない、という欠点もある。

 「とりあえず、田植えが終わればバンコクに戻るわ。ちょうどケイが日本に帰るのと入れ違いになるかもね」

 「仕事が見つからなかったらどうするの」

 「何としてでも仕事を見つけないといけないの。ケイもここに来て分かったでしょ。ここには田んぼ以外何もないわ。ここでは仕事はないのよ。だから、可能性を求めてバンコクに行くのよ」

 「けど、どうしても見つからなかったら?」

 「・・・・・」

 スパーは突然黙り込んだ。仕事が見つからなくて困っているのはスパーなのに、僕は無神経な質問をしてしまったのかもしれない。

 「ケイ、あたしはね、・・・。英語では上手く言えないわ・・・。タイ語で言うとね・・・、あたしはね・・・、キーギアットでバーバーボーボーな女なのよ・・・」

 スパーは僕から目をそらしてそう言った。僕の顔を見ないようにしているが、スパーがこれまで僕に見せたことのない複雑な表情をしているのが分かった。

 タイ語でキーギアットというのは、怠け者という意味だ。

 バーバーボーボーは・・・。普通はこんな言葉は使わない。僕が病院で看護士をしていた頃、入院していたタイ人の患者さんに教えてもらったことがある。そのタイの女性は、自分の別れた夫のことをこう形容していた。夫は覚醒剤に溺れて警察に逮捕されたのだ。響きが印象深いために、僕はその患者さんにこの言葉の意味を教えてもらった。バーバーボーボーとは・・・、狂っている、という意味だ。

 だから、キーギアットでバーバーボーボーとは、怠け者で狂っているという意味だ。だが、スパーは怠け者ではない。田植えをする姿を見ればそれは分かる。それに、バンコクでおこなった調査だって、スパーは誰よりも仕事が早かった。僕がバンコクに残ってNPOからこれからも仕事がもらえるなら、スパーを雇いたいとさえ思う。

 スパーが言ったバーバーボーボーとは何を意味するのだろう・・・。スパーは覚醒剤をやっていたわけではない。では何なのか・・・。

 「スパー、僕にはスパーの言っていることが分からないよ。僕は、スパーがキーギアットでないことを知っているし、バーバーボーボーだなんて信じられないよ。それに、それが仕事と何の関係があるって言うんだよ」

 スパーは僕から目をそらしたまま黙って歩き続けた。そして、僕らは誰もいないバス停に到着した。

 なんだか少しきまずい雰囲気になっている。こんなスパーは初めてだ。どうして、これからのことを尋ねただけでこんなに嫌な空気が生まれるんだ。あと数分もすれば僕はスパーともう会えなくなるかもしれないというのに・・・。
エピソード14  スパーはバーバーボーボー?

 そのとき、バスがやってきた。来るときに乗ったのと同じようなボロボロのバスだ。窓が開いているからこのバスにもエアコンはないのだろう。これでスパーと当分の間お別れだ。あるいは、一生会えなくなるかもしれない・・・。

 僕は、気まずくなった雰囲気に気づかない振りをして、スパーに右手を差し出した。タイには握手の習慣はないが、僕と初対面のときにはスパーの方から右手を出してきたのだ。スパーの浅黒い小さな右手が僕の右手と重なった。

 「コップン・マーク(ありがとう)。ファーク・クワームキットゥン・トゥン・クロープクルア(みんなによろしくね)」

 別れの言葉として僕の口から出たのはタイ語だった。

 「チョーク・ディー・ナ(元気でね)、ケイ」

 いつもの笑顔に戻って、スパーもタイ語で別れの言葉を述べた。

 「チョーク・ディー・ナ、ソム!」

 「アライ・ナ?(何?)」

 スパーの驚いた視線が僕の顔面を突き刺した。

 僕は、スパーのニックネームがソムだということをバンコクで初めて会ったときから知っていた。いくらタイ人どうしの会話が聞き取れないといっても名前くらいは分かる。ノイはスパーのことを確かにソムと呼んでいた。ここに来てから、スパーの家族がスパーをソムと呼んでいるのは聞き取れなかったが、早口のイサーン語では人の名前さえも聞き取れないのは、外国人の僕にとっては仕方がない。

 僕の知る限りでは、タイ人がニックネームでなく本当の名前を使うのは、まだお互いに仲良くなっていないときだけだ。だから僕は、本当はここに来る前から、スパーのことをソムと呼びたかったのだ。ソムはみかんを意味するタイ語で、こんなことをスパーに言えば怒り出すかもしれないが、スパーの丸くて愛嬌のある小さな笑顔は、タイの引き締まったキュートなみかんにそっくりだ。彼女にはピッタリのニックネームだと僕は思っていたのだ。

 「ルー・レーオ・ナ・カー(知っていたのね)。カー(そうよ)。チュー・ソム・カー(あたしの名前はソムです)。イン・ディー・ティー・ダイ・ルージャック・カー(はじめまして)」 

 最後の、「はじめまして」は、スパーの冗談だ。僕らはふたりで大笑いした。これでさっきの少し気まずかった雰囲気が一気にふきとんだ。スパーはやはり機転の利く女性だ。

 スパーが続けた言葉は英語だった。

 「けどね、ケイにはあたしのこと、ソムじゃなくってスパーって呼んでほしいの」

 「タンマイ?(どうして?)」

 僕はタイ語で話したかった。

 数秒間の沈黙の後、スパーは言った。

 「マイ・カウジャイ(分からないわ)。テー・ワー・チャン・チュウ・スパー・オーケー・ナ!(けど、あたしはスパーよ、いいわね!)」
 
 バスが到着した。タイのバスに乗るときはちょっとしたコツがいる。これだけの荷物を持っている客が乗ろうとしていても、バスは完全に停車しないのだ。客が乗り込めるくらいにゆっくりと徐行はするが、完全には停車しない。そして客が安全に乗り込んだことを確認することもなく、再びスピードを上げて走り出すのだ。日本で同じことをやればバス会社にクレームが殺到するだろう。

 だから、スパーとの別れはロマンティックなものにはならなかった。僕は慌てて乗り込んで、スパーは僕の荷物を押し込んだ。もう一度握手をしたかったが、手を振るのが精一杯だった。

 来るときのバスではルークトゥンが流れていたが、このバスには音楽が流れていない。僕は後ろの方の窓際に座って景色をぼんやりと眺めていた。あちこちの田んぼで田植えをしている人たちがいる。誰も田植え機なんか使っていない。きっと手作業で田植えをしている人たちもお金があれば田植え機を買いたいと思っているのだろうが、ここイサーンでは田植え機は似合わないような気もする。

 僕はそのうちに眠たくなってきた。そう言えば、昨日はあまり寝られなかったことを思い出した。

 ウドンタニのバスターミナルでサムローに乗り換え、僕はウドンタニ空港に到着した。フライトまでもう少し時間があるため、空港のレストランで食事をとることにした。

 ウドンタニ県もイサーン地方だが、ここは空港のレストランだけあってメニューには一般のタイ料理もたくさん含まれている。タイ語の横には英語でも料理名が書かれている。外国人の利用客も多いということだろう。

 僕はスパーにもらったイナゴの素揚げをテーブルに置いてメニューを見ていると、ウエイターが何やらニヤニヤしながら近づいてきた。

 「クン・ペン・コン・アライ・クラップ?(どこから来たのですか?)」

 「ペン・コン・イープン・クラップ(日本人です)」

 「コン・イープン・チョープ・タカテン・マイ・クラップ?(日本人はいなごが好きなの?)」

 「コン・イープン・マイ・ギン・クラップ。テー・ポム・チョープ・マークマーク(日本人は普通食べないけど僕は大好きなんです)」

 やはり、タイではタイ語を話すに限る。これでウエイターと仲良くなれた。僕は一瞬普通のタイ料理を食べることを考えたが、当分の間イサーンに来ることがないことを思い出し、イサーン料理を注文することにした。

 「アオ・ソムタム・プララー・サイ・プー・レォゴー・カーオニアオ・ダイ・マイ・クラップ(カニ入りソムタム・プララーとカーオニアオをください)」

 「オ~!」

 ウエイターは、タイ人がよくやる独特の驚きの声を発した。驚いたといっても、彼が喜んでいるのは明らかだ。バンコク人でもあまり食べないようなイサーン料理を注文する外国人は相当珍しいのだろう。彼は丁寧にワイをして厨房に向かった。

 イナゴとソムタムをカーオニアオに乗せて食べながら、僕はノイに電話をすることを考えていた。あと数日間でNPOの事務処理を終わらせて、僕は日本に帰らないといけない。時間はあまりないが、今日くらいはゆっくりしていいだろう。今回タイに来てから、一度だけノイとふたりでバンコクのスクンビットで会ったが、あのときはコーヒーを飲んだだけだ。ノイはしっかりと仕事をしてくれたし、ノイがスパーを紹介してくれたおかげで僕はイサーンで田植えを体験することもできた。だからノイにお礼を言わなくてはならない。いや、ノイに会いたい一番の理由は、ノイが女性として気になる存在だということだ。

 今日はノイに食事をご馳走しよう。ノイとイサーン料理を食べにいこうか・・・。彼女は、きっと僕がイナゴやカニのソムタムを食べるところを見ると驚くだろう。けど、バンコク人のノイはイサーン料理を食べないかもしれない。僕が、イサーン料理を食べに行こう、なんて言えば、僕のことをおかしな男と思うことも考えられる。やっぱりノイと食事をするなら普通のタイ料理にすべきだろうか。いや、日本食もおもしろいかもしれない。ノイは将来日本で働きたいって言っていたから、日本食にも興味があるに違いない。

 待ち合わせはこの前のコーヒーショップにしよう。そういえば、ノイは言っていた。フリーの売春婦にインタビューするには、あの界隈が一番いいそうだ。夜になると、外国人目当てのフリーの売春婦が集まるところだと、ノイは話していた。僕は、四人の調査員に聞き取り調査を完全にまかせて、僕自身は売春婦と話をしたことがない。これは、僕がタイ語を充分に話せないからというよりも、男の僕がそういった女性たちにインタビューをしても答えてくれないと考えたからだ。けれども、売春婦たちが集まる場所に行ってみるのはおもしろいかもしれない。大阪のNPOの事務所に何か報告できるかもしれないし・・・。ノイは、まじめなあなたには不釣合いな場所よ、と言っていたが、そんなことは関係ない。別に僕が女性を買うわけではない。きっとあなたが見ればクレイジーって言うわ・・・、とも言っていたが、取材するならクレイジーな方がおもしろい・・・。
 
 まさか! 

 僕の頭をよぎったのは、今朝のできごとだった。そして、僕はそれをすぐに頭から追い払おうとした。だけど・・・、果たしてそれを完全に否定できるのか・・・。

 スパーは自分のことをキーギアットでバーバーボーボーと言った。キーギアットは怠け者、バーバーボーボーは狂っている、すなわちクレイジーという意味だ。そして、スパーはそれを言うとき僕から目をそらし、言った後はふたりの間にきまずい空気が流れたのだ。僕はそのとき、意味が分からなかったけれど、もしかしたらそういうことなのか。怠け者だから低賃金で休みなく働くことなんてできない。その代わりに労働時間は短いが狂っている仕事、つまり売春をするということなのか・・・。

 それではあまりにもスパーがかわいそうすぎる。スパーはけっして怠け者なんかじゃない。これまで一生懸命働いて両親とふたりの子供を養ってきたんだ。いい加減な兄のエークにお金を渡すこともあるんだ。そんなスパーが売春をしなければならないなんて、そんな不合理な話もないだろう。だけど、小学校しか卒業していないスパーがそんなに簡単にまともな仕事を見つけられないのはたしかだ。

 スパーは本当にこれから売春をすることを考えているのだろうか。いや、そうと決まったわけではない。僕が深読みしすぎているだけかもしれない。きっとそうだ・・・。だいいち、僕がこんなことを考えること自体、スパーに対して失礼だ。

 僕は水を飲み、落ち着きを取り戻してからノイに電話した。

 「ケイね。あなた、今どこにいるの?」

 「今、ウドンタニ空港のレストランにいるよ」

 「やっぱり行ったのね。ソムの家に。ソムに口説かれなかった?」

 「ノイ、何を言ってるんだ。田植えを体験できてとても楽しかったよ。ノイは元気?」

 「元気よ。けどケイがソムにそそのかされているんじゃないかってちょっと心配してたの」

 「何を心配してるんだよ。スパー、いや、ソムはノイの友達だろ」

 「友達って言っても、ノイも出会ったばっかりよ。あなたの仕事を手伝いたいって言ったからあなたに紹介しただけよ」

 「えっ? 出会ったばかり?」

 「そうよ。ケイに言ったでしょ。売春婦の聞き取り調査を始めた日に、ノイはソムに出会ったの。彼女に聞き取りをしようと思ったのよ。そしたらソムが、この仕事あたしにもさせてって言ったからケイに紹介したのよ。仲のいい友達なんかじゃないわ・・・」

 「ノイ・マイ・ダーイ・ボーク!(ノイはそんなこと言ってない!)」

 僕は大声で叫んでしまった。そんな話は聞いていない。スパーはノイの長年の友達だと思っていた。だけど・・・、今思い出してみると、はっきりとそう聞いたわけではないような気もする。タイ人が言う“友達”というのは、日本人の感覚とは少しずれている。彼女らは、ほんの一度しか会っていなくてもすぐに“友達”という言葉を使うのだ。僕はノイのタイ語をきちんと聞き取れていなかったのかもしれない。

 たしかに今になってよく考えてみれば、中華系バンコク人で大学生のノイと、小学校卒業のイサーン人であるスパーが友達というのは不自然かもしれない。タイ人は、たしかに誰とでもすぐに仲良くなるように見えるが、バンコク人とイサーン人の間には目に見えない壁がある。一般的にタイ人は色が黒いことをよくないとみている。学歴や職歴に関係なく、色の白いタイ人、特にバンコク人は、色の黒いイサーン人を馬鹿にすることが多い。僕は、一度日本に留学にきているバンコク人が、色が黒くて怠け者だからイサーン人は劣っている、と言っているのを聞いて愕然としたことがある。同じように色の黒いタイ南部の人たちのことを下に見るようなことはしないのに、イサーン人に対しては軽蔑した気持ちを持っていることが、日本人の僕にとっては理解できない。一方、イサーン人はバンコク人を無視するようなことはせずに、バンコク人の友達も気軽につくるようにみえるが、じっくり話してみると、バンコク人は性格が悪いから嫌い、と答える者が多い。実際、日本に住むタイ人でも、バンコク人はバンコク人と、イサーン人はイサーン人と行動を共にしていることがほとんどだ。日本に住むあるバンコク人が言っていた。あたしはイサーン人を街でみかけても挨拶すらしないわ・・・、と。けど、今は・・・、今は、ノイとスパーが友達だと信じたい・・・。
エピソード15  ニックネームはソム?

「ノイ・ボーク・パイレーオ・ネーネー!(あたしは確かに言ったわ!)」

 そんな僕の思いをノイの大声が引き裂いた。ノイとスパーが友達というのは僕の思い違いであったのだろうか。けれども、今そんな言い合いをしても仕方がない。そんなことより、本当にスパーは売春婦なのだろうか・・・。

 いや、そんなはずないではないか! つい最近までスパーはイギリス人の金持ちのボーイフレンドと同棲していたんだ。僕はそれを思い出してほっとした。スパーはきっとノイと出会ったそのバーに、ただ単に客として来ていただけなんだ。そうに決まっている。僕は安心して落ち着きを取り戻し、ノイにそれを話した。

 「ケイ、あなた、何を言っているのよ。彼女のそのボーイフレンドが亡くなったのは、もう三年も前の話よ。ソムはあのバーに外国人の顧客を探しに来てたのよ。また前みたいに金持ちの外国人をそそのかそうって魂胆よ。だから、あなたがソムの実家に行くって聞いたときはね、ノイはいい気分じゃなかったの。だいたい、あんなイサーン出身の色黒の女が、バンコクでまともな仕事を見つけられるはずがないでしょ。あなた、タイ語は少しできるようになったけど、タイの常識はまだ何にも分かってないのね・・・。ノイはね、あなたがキーソンサーンみたいだから心配なの。ハロー、ハロー、ダイ・イン・マイ?(聞こえてる?)」

 僕は黙って電話を切った。

 そんなこと・・・、信じられない。スパーが売春婦だったなんて・・・。

 僕は慌ててスパーに電話をした。呼び出し音が鳴り始めた。

 スパーが売春婦だったなんて僕には信じられない。今朝、たしかにスパーは自分のことをキーギアットでバーバーボーボーと言った。そして、僕はそれを、これから売春をするかもしれない、という可能性を考えたがすぐにやめた。そんなことを考えること自体がスパーに失礼だと思ったからだ。

 けれどもノイは、スパーはすでに売春をしている、と言った。それもボーイフレンドと死別してから三年間も続けているとノイは思っているようだ。ノイは僕に、タイの常識を分かってない、とも言った。けど、小学校卒業のイサーン出身の女性がみんな売春婦だなんて、そんな常識あるわけがないではないか・・・。

 時刻は午後一時を回っている。そろそろ田植えは休憩時間に入るはずだ。けど、スパーは電話に出ない。まだ休憩に入っていないのだろうか。僕は食べかけの食事を残し立ち上がった。

 そして、搭乗手続きのカウンターには行かずに、サムローを拾った。

 バスターミナルで僕が見つけたそのバスは、二日前に乗ったものと同じ時間のもののようだ。あと十分ほどで出発する予定だそうだ。

 僕がスパーの家に再び舞い戻ろうとしていることをスパーは知らない。今ならまだ空港に引き返せる。フライトまであと一時間近くある。

 どうすべきか・・・。

 僕にはこのままバンコクに戻ることがどうしてもできない。スパーに会いたいという気持ちが確かなものだからだ。それはノイが言っていることが間違っているということを確認したいからなのだろうか・・・。そうかもしれない。しかし、それならバンコクからスパーに電話をすればいいだけの話じゃないのか・・・。僕が今、どうしてもスパーに会いたいと思うのは、ノイの言っていることが正しいかもしれないと感じているからなのだろうか・・・。ということは僕もスパーのことを疑っているということになってしまう・・・。もしも、ノイの言っていることが正しいとすれば、スパーは三年も売春婦としてバンコクで生活をしていたことになる。仮に、それが事実だとしたら・・・、いったい僕は今からスパーに会って何を言えばいいのだろうか・・・。スパーが売春婦であったとしても、なかったとしても、いったい僕は何のために彼女に会いにいくのだろうか・・・。

 バスの運転手が、乗るならさっさと乗れと言っている。だが、僕はまだスパーに行くとも言っていない。とりあえずスパーにもう一度電話をしてみようか。けど、電話で何を話せばいいのだろうか・・・。

 頭の中が混乱してしまい、僕はまったく何をすればいいのか分からなくなった。大声で何かを叫びたい衝動に駆られた。そして、僕のとった行動は・・・、バスのチケットを買うことだった。

 バスに乗り込んでから、僕はスパーに電話をした。何を言えばいいのか分からないが、電話をしないでいることが余計に僕を苦しめるように思ったのだ。スパーはもう休憩に入っているはずだ。呼び出しのコールが三回鳴った後、スパーは電話をとった。

 「ハロー、ハロー、スパー?」

 「ハロー、ケイね。きっと今から飛行機に乗るところね。電話してくれてありがとう」

 「スパー、今からそっちに行くよ!」

 「アライ・ナ?」

 驚いたスパーは、思わずタイ語を口にした。

 「今、ナコンパノム行きのバスに乗ったところだ。今からスパーの家に行ってもいいよね」

 「ケイ、いったいどうしたの。何か大切な忘れ物でもしたの?」

 「いや、そうじゃないんだ。そうじゃないんだけど・・・、スパーとの別れが寂しくなって舞い戻りたくなったんだよ」

 何を言っていいのか分からなかった僕は、おどけた様子で冗談を言っているように振舞った。とりあえず今は、軽い気持ちでそっちに向かおうとしているんだ、と捉えてほしい・・・。

 「あー、分かったわ。昨日あたしに田植えの早さで負けたことが悔しいのね。いいわよ。また明日ケイと勝負をしてあげるわ」

 よかった・・・。僕の気持ちが伝わったようだ。スパーには、本気で僕が田植えをしたいと思っているわけではないことは分かっている。予定通り空港に行った僕が突然引きかえしたいと言っているのだ。スパーほど機転の利く女性なら、僕が戻る理由をただごとではないと感じているに違いない。僕が、おどけて真意をそらすような言い方をしたから、スパーもそれに合わせてくれているのだ。スパー、ありがとう・・・。僕は心の中でスパーに礼を言った。

 「そうだよ。今度はスパーに負けないよ。日本男児の意地を見せてあげる。バスはたぶん二日前に乗ったのと同じ時間のものだから、また同じ時間にバス停に迎えにきてくれる?」

 「いいわよ。あたしの王子様。じゃあ、バス停で待ってるわね。グッバイ、ダーリン」

 スパーは、最後まで冗談の会話を楽しんでいるかのように装ってくれた。

 バスは出発した。

 しかし、僕はスパーに会って何を話せばいいのかまだ分からない。

 もう一度考えてみよう。ノイが言うように、スパーは本当にバンコクで体を売っているのだろうか。僕のNPOが今回おこなっている調査は、フリーで主に外国人を相手に売春をしている女性に対する意識調査だ。スパーが売春婦なら、調査される側の人間が調査をしていることになってしまう。いや、それ自体は問題になるわけではない。というより、そんなことはどうでもよい。

 僕の思考回路はまともに機能していないようだ。何から考えていいのかすら分からない。

 ソムに口説かれなかった?

 ノイはそう言った。ソム、いやスパーが売春婦なら、もしもスパーが僕を口説いて男女の関係をもったとすれば、僕は売春婦の顧客ということになるではないか・・・。

 それにしても、スパーは僕に本名で名前を呼ばせて、ソムというニックネームで呼ばれることを嫌がるのはなぜなのだろうか。今朝、スパーは僕に、これからもスパーと呼んでほしい、と言った。タイ人は本名ではなくニックネームで呼び合うのが普通だ。まして仲良くなった関係であれば、本名を使えばかえって不自然になるはずだ。

 僕は、スパーが本名で自己紹介をしたとき、きちんと仕事をやるつもりです、ということを強く訴えたいから、あえてニックネームでなく本名を名乗ったのだと思っていた。けれども、すでに仕事は完了し、今ではプライベートで実家に遊びにいく関係にまでなっているのだ。今になっても本名にこだわる理由は何なんだ。僕とは一定の距離を置きたいということなのだろうか・・・。

 いや、逆のことは考えられないだろうか。いくらタイ人はすぐに友達を実家に招待するといっても、嫌いな人間を招いたりはしないだろう。スパーが僕を男としてみているかどうかは別にして、僕とは友達、タイ人の言う“友達”ではなくて、本当に仲のよい友達だと僕を思ってくれているから、ニックネームではなくて本当の名前を呼んでほしいと思っているのではないだろうか・・・。

 けれども、この説明はやっぱり筋が通らない。タイでは家族の間でもニックネームを用いるのだから。クーンとアン、ジン、ヤン、ダーオ、そしてエークもみんなニックネームだ・・・。

 あっ! 僕は思わず声を出してしまった。

 ソムというのは、スパーの本当のニックネームじゃないんだ! 

 バンコクでは、すでにノイからソムというニックネームで呼ばれていたから、ソムというのは嘘のニックネームで本当のニックネームは別にある、ということをスパーは僕に言い出せなかったんだ。だから、スパーは仕方なく本名を名乗ったんだ。こう考えると、スパーの家族がソムという単語を口にするのを二日間かけても聞かなかったことの説明がつく。僕は、早口のイサーン語だから名前さえも聞き取れないのだと思っていた。

 しかし、今になってよく考えてみると、スパーの母親が遠くからスパーを呼ぶときにはいつも同じ音を発していた。そして、スパーの父親もエークも同じ音でスパーを呼んでいた。それは、エ~という音だった。エ~というのは、日本人にはとても人の名前とは思えないような音だ。平坦にエーと発音するのではなく、いったん下がって最後にもう一度あがる、日本人が予期せぬことを突然言われて聞き返すときに使うようなエ~という音だ。タイ語は声調言語なのだ。僕はそのエ~という音を、イサーン語の感嘆詞のようなものなんだと思っていた。だけど、今は確信できる! エ~がスパーの本当のニックネームなんだ!

 だけど、まだ疑問は残る。スパーがノイに対して嘘のニックネームを名乗っていたのはなぜなんだ・・・。

 もしかすると、やはりノイが言うように、スパーはバンコクで売春をやっていたのだろうか・・・。本当はやりたくない売春をやっているから、本物ではなく偽りのニックネームを使うことによって、これは本当の自分じゃないという言い訳を自分自身にしていたのだろうか・・・。

 やはり、スパーは売春婦なのか・・・
エピソード16  再会(最終回)

 もしも、スパーが本当に売春をしていたら僕はどうすればいいのだろう・・・。それをやめるように説得すべきなのか。けれども、たとえスパーが売春をしていたとしても、好きでやっているわけではないのだ。ならば、説得したところで意味がないだろう。では、どうすればいいんだ。仕事を探すのを手伝ってあげるのか。だけど、スパーに仕事を見つけてあげられるようなコネも能力も僕にはない。

 じゃあ、スパーが売春しなくていいように毎月いくらかのお金をあげればいいのか。けれど、僕はスパーのボーイフレンドでもないのに、そんなことをするのは筋が通らない。ボーイフレンドであったとしても、いやボーイフレンドということになればセックスをすることになるわけだから、こちらの方が売春ということになってしまわないか・・・。お金をあげてセックスをすることになるんだから・・・。いや、自分のガールフレンドが働いていない場合、ガールフレンドに好きなものを買ってあげて、愛を確かめ合うのにセックスをするなら、普通の恋人関係じゃないか。ならば、僕とスパーに愛があれば、これは売春にはならないはずだ・・・。

 僕は自分が馬鹿げたことを考えているのに気づいた。当たり前だ! 愛があれば売春ではないに決まっている。いや、ちょっと待てよ。僕はスパーを愛しているのか・・・。僕はスパーを愛していない・・・と思う。本当か・・・。分からない・・・。

 僕はノイとの電話を切る前に、彼女が言っていたセリフを思い出した。

 あなたがキーソンサーンみたいだから心配なの・・・

 ノイは僕にそう言った。あのとき僕は気が動転していて、キーソンサーンの意味を思い出せなかった。聞いたことのある単語だ、ということしか理解できなかったのだ。冷静さを取り戻した今なら分かる。キーソンサーンとは、他人に同情しすぎる性格のことを言うのだ。

 僕はスパーに同情しているのだろうか・・・。それは間違いないだろう。もしもスパーがイサーン出身の小学校卒業という理由で仕事に就けないとしたら、そしてそれはかなりの部分で真実なのだろうが、誰だってそんなスパーに同情するではないか。けれども、だからといって、そんなスパーを守りたいと思えば・・・、これはキーソンサーンということになるのかもしれない。けれども、守りたいということと、愛しているということとは全然違う、と思う。いや、これももしかすると厳密には区切ることができないのかもしれない。愛し合う男女はお互いのことを守りたいと感じているものだ。僕だって、昔は好きな女性ができれば自分を犠牲にしてでも相手のことを守りたいって思っていたんだ。

 じゃあ、僕がスパーのことを守ってあげたいっていう今芽生えつつあるこの気持ちは愛とよぶべきものなのだろうか・・・。いや、ちょっと待ったほうがいい。僕はスパーに同情していて、守ってあげたいという気持ちは確かにあるかもしれないが、それが愛だなんて考えるのは短絡的すぎるし、例え愛が生まれたとしても、それがお金をあげるということにはつながらない。スパーを守る方法はお金以外にもあるんだから・・・。けど、それは何なんだ・・・。お金をあげることはしない。仕事も見つけてあげられない。ならばどうやってスパーを守ることができるんだ・・・。

 僕は看護士だ。だから、もしも・・・、こんなことは考えたくないが、もしも、スパーが売春をしている、あるいはこれから始めることを考えているとするならば、病気にならない方法を教えてあげればいいのだろうか。いや、そんなことをすれば僕がスパーの売春を後押ししているようなものではないか。いったい、僕はどうすればいいのか・・・。分からない・・・。

 僕は、ふと昨日のスパーのセリフを思い出した。

 あたしね、実はHIV陽性なの・・・

 スパーは彼女が買ったという空き地で僕にそう言った。そして、すぐにそれは冗談だと言った。だけど、スパーがもしも本当に売春をしているとすれば・・・。

 いや、それはないだろう。考えたくはないが、万一スパーが売春をしていたとしても、HIVの感染なんてきちんと予防をしていれば防げるんだから。たしかに、この国では売春婦が客からHIVをうつされたり、その逆に売春婦が客にうつしたり、ということが頻繁にある。けれども、それはきちんと予防をしていないからではないのか。コンドームをしていればHIVの感染が防げるなんてこと、今や中学生でも知っている常識だ・・・。

 ん・・・

 そのとき、僕はまるでハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

 僕が今タイにいるのは、病院をやめてすることがなくなって、偶然インターネットで見つけたNPOで働くことになったからだ。僕の今回の任務は、タイでおこなう意識調査のまとめ役だ。その意識調査とは、フリーの売春婦に対するものだ。バンコクで、店に所属せずにフリーで売春をしている女性は、主に顧客を外国人にしているということは聞いていた。タイに来る外国人というのは、日本を含めた先進国の男のことだ。その先進国に住んでいる男たちは、タイの売春婦にHIV陽性の者が多いということは知っている。そして同時に、コンドームはHIVを予防することももちろん知っている。だけど、NPOの代表の医師は僕が日本を発つ前にこう言っていた。

 最近、タイで売春婦からHIVに感染するヨーロッパ人が多いということが報告されてね。日本にはそういう統計はないんだけど、たぶん日本人も同じだと思うんだ。

 そして今、僕はスパーのことを守りたいと思い始めている。守りたいというのは愛しているということとは違う感情かもしれないが、守りたいという気持ちがやがて愛情に変わることもこの世界にはいくらでもあるだろう。

 だとするならば、もしも僕がスパーを守りたいという気持ちが愛情に発展して、そしてセックスをするようになれば・・・。さらに、結婚したいと言う気持ちに仮になったとすれば・・・、コンドームを使わなくなるだろう・・・。

 そして、僕が今スパーを守りたいと思い始めているのと同じような気持ちを別の男もスパーに対して持っていて、例えば、その男が一年前にスパーと知り合い、結婚を意識して付き合いだして最近別れていた、というようなことがあったとすれば・・・。そしてその男が仮にHIV陽性だったとしたら・・・。

 僕は何をバカなことを考えているんだろう。スパーに限ってそんなことはないに決まっているじゃないか。けど・・・、その根拠は・・・。

 もしかすると、NPOのあの医者が言っていた、最近増えているタイでHIVに感染する外国人というのは、僕のような男のことなのか・・・。だとするならば、僕が今回監督となっておこなった調査は、僕とスパーのような関係についての調査ということになってしまうではないか・・・。

 いや、そうじゃない。もしも僕とスパーが付き合いだすようなことがあったとしても、それは売春婦と客の関係なんかじゃない。仮に、スパーが以前別の男と付き合っていて、その男からHIVを感染させられ、そして僕がスパーと付き合いだして僕も感染したら、これは売春とは関係のない話だ。

 けれども、もしスパーが以前HIVに感染している男と付き合っていたとして、別れた後に生活に困り売春行為をおこない、そしてこれから僕と付き合いだして、僕がHIVに感染したら・・・。やっぱり僕は売春婦から感染したことになってしまうのかもしれない・・・。とするなら、NPOの医者が言っていた、最近タイで売春婦からHIVに感染する外国人というのは、やはり僕のような男のことなのか・・・。

 いや、ちょっと待て。僕はまだスパーと付き合うことが決まったわけじゃないし、僕はスパーのことを守りたいと思っているだけで、愛しているわけじゃない・・・、と思う。だいいち、スパーは僕に対して気のあるそぶりを何一つ見せていない。夕べ二人で月明かりの夜道を歩いてロマンティックな雰囲気になりかけたとき、いきなりカエルを投げつけてそのムードをぶち壊したのはスパー自身だ。こんな状況でスパーが僕に気があるなんて思えば、僕はよっぽどめでたい男だ。

 ふと気付けば、バスのなかではルークトゥンが大音量で流れていた。ほとんどすべての脳細胞をフル回転させて、僕はスパーのことを考えていたようだ。こんなにも大きな音が気にならないなんて・・・。

 そういえば、昨日はルークトゥンを聞きながら僕らは田植えをおこなったんだ。イサーンの田園に心地よいルークトゥンが流れるなか、スパーはジンとふざけあっていた。バンコクでは決して見せない姿だ。田んぼではしゃいでいたあの無邪気で美しいスパーが本当のスパー、そして・・・、本当のエ~だ。

 窓の外に目をやれば水牛が草を食んでいた。その向こうには手作業で田植えをしている人々の姿が見える。ここはイサーンなんだ。

 時計の針がもう少しで午後五時をさす。あのバス停に着くのもあと少しだ。

 なんだか僕はすごく疲れている。まだスパーに何を話せばいいのか何ひとつ分からない。僕が突然飛行機をキャンセルして舞い戻ってきたんだ。電話では平静を装っていたが、スパーだって僕の様子がおかしいことに気付いているはずだ。いったい、スパーは僕のことをどう思っているんだろう。スパーが売春をしているかもしれないと、僕が疑っていることに気付いているのだろうか。スパーは実際には売春なんてしてなくて、僕がそう疑っていることを知ったとすれば、怒って僕に会ってくれないかもしれない。スパーはバス停で待っていてくれる、と言ったけれど、それは本当なのだろうか。ボーイフレンドでもない赤の他人が、また家に泊めて、と厚かましいお願いをしているんだ。おかしな男にはかかわらない方がいいよ、なんてことを友達に言われでもしたら、僕を怪しんでもう会ってくれないんじゃないだろうか・・・。

 見覚えのあるカーブに入った。ここを大きく右に曲がればあのバス停が見えるはずだ。

 スパーは立っていた! 二日前と同じように、一番前の座席に座っている僕に気付いて手を振っている。今日は母親も子供たちもいない。他に誰もいない殺風景なバス停で、スパーはひとりで大きく手を振っている。

 僕はバスをおり、しっかりと大地を踏みしめた。今朝乗り込んだときと同じように、僕がきちんとおりたことを確認もせずに、慌てるようにバスは走り去った。

 バスのエンジン音が少しずつ遠のき、あたりは静まり返った。

 その静寂を破ったのはスパーの澄みきった声であった。

 「サワディ・カー・ケイ」

 僕はスパーの透き通った黒い瞳を見つめながらゆっくりと返事をした。

 「サワディ・クラップ・エ~」

                   完  

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