性行為感染症(Sexually Transmitted Infection)について
谷口 恭 2007年6月
この内容は、医学誌「綜合臨牀」2006年増刊号に掲載したものを一部改訂したものです。
Ⅰ 疾患の概要と初診時のポイント
性行為感染症(以下STIとする)を懸念して受診するケースは大きくふたつに分けられる。ひとつは、陰部の痛み・痒みなどの症状が出現し患者自身がSTIを疑った場合、もうひとつは、特に症状はないが危険な性行為の経験がありSTIに罹患したのではないかと患者が考えている場合である。いずれのケースも潜在的な患者数はかなりの数になると考えられ、患者との距離が最も近い立場にあるプライマリケア医が、STIに罹患(あるいは懸念)している患者と遭遇する機会は決して少なくない。
STIは他の疾患に比較して特に注意しなければならない点がいくつかある。ひとつは「重複感染」である。例えば、陰部の痒みと排尿痛を同時に訴えるケースがあり、これは毛虱などの皮膚感染と淋疾やクラミジアなどの尿道感染が同時に成立している可能性がある。専門医のみの診察を受ければ、皮膚科と泌尿器科の双方を受診しなければならず、できればプライマリケア医が同時に治療したいところである。
ふたつめは、いわゆる「ピンポン感染」である。STIを診る際にはそのセックスパートナーにも必ず注意を払う必要がある。ところが実際にはパートナーも含めての診察をおこなっている医療機関はそれほど多くない。STIは他の疾患と比べて、現病歴や症状を医療従事者に話すのに抵抗がある場合が少なくない。さらに陰部を診察される心理的抵抗がある。患者心理としては、パートナーも含めてできれば診察は一度で済ませたいと考えることが多い。したがって、初診時に遭遇するプライマリケア医は、重複感染とピンポン感染のことを念頭において、できる限り総合的にSTIを診察する必要がある。
また、STIは他の疾患に比べて、心理的な問題を抱えていることが多いという特徴がある。例えば、STIに罹患したのではないかと考えて強い不安感や抑うつ感を伴うことがある。症例によっては、こういった患者の心理状態にまで配慮しなければならない。実際には感染していなくても、STIに対して強い不安を抱えているケースがある。その代表がHIVであり、HIVに関与する医療従事者なら誰もが経験している「HIV恐怖症」という患者の心理状態がある。これは、ただ一度の危険でない性行為を不安に感じている場合も多いが、特に危険な性行為の経験がなくても強い不安を抱えているケースがある。例えば、道に落ちていたハンカチを拾うと血液が付着しており、それに触れたことでHIVに感染したと思い込むようなケースである。こういう心理状態にある患者には、検査で陰性であることを説明しても、自分は感染しているに違いないと信じ込んでおり、そのせいで強い不安や鬱を抱えていることが少なくない。そしてドクターショッピングを繰り返すのである。今後プライマリケア医はこういった患者に遭遇することも予想される。
またSTIに罹患したり懸念したりしている患者は、陰部以外の症状に対しても、STIとの関連を心配していることが少なくない。例えば、クラミジアの既往のある女性患者が、月経痛や腰痛に対してクラミジアとの関連を懸念していることがある。この場合、腰痛に対して整形外科医を受診しづらいのは、また新たにクラミジア感染のことを医師に話さなければならないという心理的抵抗があるからである。もちろん、月経痛の原因がクラミジア感染であったという場合もある1)。
STIを総合的に診察する医師は現在の日本ではそれほど多くないような印象があるが、STIは今後決して軽視できない領域のひとつであることは間違いない。米国の統計によると、1998年の米国の全死亡者の1.3%が、性行動に起因する疾患で早い死を迎えていたことが分かった2)。また、現在日本で急増しているクラミジア感染症が不妊をもたらすことはよく知られている。
STIは、症状のある患者だけでなく、無症状の患者に遭遇する機会も今後増えると考えられ、また、従来の「診療科」を超える横断的な領域に対処する必要性があり、場合によってはパートナーの診察も必要である。さらに、患者の心理状態や他の症状に配慮することが要求される領域である。そして、これらを総合的に診察できるのがプライマリケア医ではないかと考えている。
Ⅱ 診断、検査の進め方
紙面の制約から、すべてのSTIの各論を述べることはできないので、ここではプライマリケア医が注意しなければならない代表的な疾患(淋疾、クラミジア、ヘルペス、HIV)だけに言及することにする。
1 淋疾、クラミジア
男性でも女性でも排尿痛を訴えれば、淋疾、クラミジア、他の細菌感染を考える。ルーチンですべきなのは、鏡検とクラミジアの検査である。
鏡検については、男性であれば尿道分泌物のスタンピングで、女性であれば、腟鏡を用い、子宮頸部と尿道の分泌物を綿棒で採取しスライドを作成する。女性の淋菌性尿道炎は、頚管炎に比べると頻度は少ないが見落としがちなので必ず尿道分泌液も採取する必要がある。また、女性や男性同性愛者の場合、咽頭に淋疾が見つかることも少なくないので、同時に咽頭拭い液を綿棒で採取しておかなければならない。染色は一般的なグラム染色でよい。細胞内にグラム陰性球菌が見つかれば淋疾と診断することができる。咽頭拭い液の場合は、細胞外にグラム陰性球菌が認められることがあるが、これは常在菌のNeisseriaであると考えるべきである。
淋疾は他の細菌感染に比べると、症状が激しく出現することが多く患者の苦痛が大きいため、できるだけ迅速に診断をつけ治療を開始する必要がある。結果が出るまでに数日間を要するPCRや培養は適切でなく、わずか数分で診断がつく鏡検が不可欠となる。地域差もあるが、最近の淋疾はニューキノロンやテトラサイクリン、また一部のペニシリン系あるいはセフェム系抗生物質に耐性があることが少なくない。淋疾と診断がつけば、比較的耐性の少ないアモキシシリンの投与を直ちに開始すべきである。2、3日後に再度鏡検をおこない、陰性化していなければアモキシシリンに耐性と考え、塩酸スペクチノマイシンの殿部筋注、もしくはセフトリアキソンナトリウムまたはセフォジジムナトリウムの静注(点滴)を考慮する。あるいは初めからこれらの注射薬を考慮してもよい。尚、耐性菌の出現率については地域によっても異なるので、日頃から地域のSTI研究会などに出席して情報を集めておくのが望ましい。
淋疾は従来から女性の場合は症状に乏しかったが、最近は男性でも排尿痛が少ないものや膿が目立たないものもある。激しい症状がなくても疑う必要があると言える。また鏡検で淋疾以外の細菌感染が分かった場合は、培養やPCRで菌を特定するという方法もあるが、グラム染色をおこなった上で、広域の抗生物質を投与するという方法で対処すればよい。数日後に再度鏡検をおこない、細菌が消失していることを確認すればよい。
あるいは、最近注目されている診断方法に、Whiffテストというものがある。これは子宮頚管分泌物に10%KOH溶液を加える方法で、陽性であれば魚のような臭いがする。治療には抗生物質の他、メトロニダゾールを用いるという方法もある(500mg経口、1日2回を7日間、徐放製剤750mg経口、1日1回を7日間、2g経口、1回投与し48時間に再投与、MetroGelを膣内に5日間毎晩投与など)。ただし、この場合ジスルフィラム様反応を避けるため投薬中は飲酒を避けなければならない。
クラミジアの場合は鏡検で診断することはできない。したがってPCRに頼ることが多いのだが、患者のなかには一刻も早く結果を知りたいと考える者も少なくない。そういう患者に対しては、イディアクラミジア法やクリアビュー法などの抗原検査法がある。ただし、前者は器械を導入するのにある程度のコストがかかるという問題が、後者はPCRに対して感度が劣るという欠点がある。淋疾と同様、クラミジアの場合も女性や男性同性愛者に対しては、咽頭うがい液を検査することを忘れてはならない。血液検査でクラミジア抗体が検出されたので子宮頸部を調べたが陰性であり、咽頭感染が見つかるまで随分と長い時間がかかった、という症例は決して少なくない。クラミジアは血液検査で抗体価を調べることができるが、これは現実的ではない。なぜならIgA抗体、IgG抗体の産生される期間は個人差がある上に、治療後にも抗体は残るからである。男性なら尿もしくは尿道分泌物、女性なら頚管分泌液と咽頭うがい液を検査すべきである。
クラミジア感染症は、1992年に淋疾を抜き、定点の報告数がトップとなった。米国では年間300万人以上が罹患していると言われており、日本でもその蔓延さは深刻である。2004年の日本性感染症学会で発表された旭川医科大学のデータによると、ある地域の男女高校生の性交経験者のうち、女子の13.9%、男子の7.3%が無症状のままクラミジアに感染していることが分かった。感染率は男女いずれにおいても16歳で最も高く、女子においては23.5%と極めて高い感染率であることが分かった3)。また、クラミジアの症状発現率は低く、男性で約50%、女性で約75%が無症状であると言われている。そのため不快感や軽度の腹痛、腰痛などがあれば、積極的に疑うべきである。
2 性器ヘルペス
陰部に疼痛のあるケースや鼡径リンパ節の腫脹を認めるケースでは、性器ヘルペスを鑑別する必要がある。陰部に疼痛の伴う糜爛や潰瘍があれば診断がつきやすいが、初期にははっきりとした症状を認めないことも多く、見落とさないように丁寧に視診しなければならない。
診断がつけば、アシクロビルや塩酸バラシクロビルの内服、あるいは軽症であればアシクロビル軟膏やビダラビン軟膏で経過観察してもよい。性器ヘルペスで重視すべきなのは、患者の心理的ケアである。再発が多いこともその理由だが、パートナーに感染させる不安も決して小さくはない。実際に、充分に気をつけていたつもりだがパートナーに感染させてしまい、そのためにパートナーとの関係が不和になったという話は珍しくない。症状のないときには他人に感染させない、と言われることもあるが現実は必ずしもそうではないようである。症状出現の初期にはまだ疼痛もしっかりとしたものではないために、知らない間に感染させてしまっていることもあるであろうし、また無症状でもウイルス排泄があるとも言われている。
性器ヘルペスが厄介な理由のひとつは、コンドームを装着していても感染が成立するということである。これはペニスの近位部や外陰部はコンドームに覆われないため、皮膚と皮膚が直接接触することが原因である。性器ヘルペスに対しては、米国CDCが推奨している再発抑制療法という治療法があり、世界の多くの国で標準的治療法とされている。これは、年間6回以上再発する症例を対象とし、アシクロビルもしくは塩酸バラシクロビルを1年間少量投与するという方法であり、有効性も認められている。しかし、現在の日本では保険適応がなく自費でおこなうと年間20万円以上もかかるために早期の保険適応が求められる。
3 HIV
日本におけるHIV感染は、諸外国に比べると多くはないものの、少しずつ着実に増加しているのが特徴である。他の先進国が軒並み減少傾向にあるのに対し、先進国のなかでは韓国やシンガポールと並んで増加傾向にある稀な国と言える。エイズ動向委員会の報告によると、2004年の感染者はHIV感染者が780件、AIDS発症者が385人となっている。これは2003年と比較して140件の増加であり、1996年以降一貫して増加傾向にある4)。日本においては、感染ルートは同性間の性感染が最も多いが、異性間感染も少なくはなく、また頻度は少ないが薬物の静脈注射による感染も見逃すことはできない。
プライマリケアの領域において絶対に見逃してはならないのは、原因不明の発熱を呈しているケースである。AIDSの場合は、口腔カンジダ症や結核からHIV感染が分かるケースもあるのに対して、感染後、数日から数週間で発症するHIV急性感染症の場合は、皮疹や異型リンパ球出現などから診断がつくケースもあるが、発熱と倦怠感以外には大きな症状が出現しない場合もあり、また数週間で症状が消失してしまうために見逃すことになりかねない。特に、抗生物質の効かない原因不明の発熱を認めた場合は、常にHIV急性感染症を鑑別すべきである。また冒頭で述べたように、患者のなかには異常なまでに感染の恐怖を感じている「HIV恐怖症」の人がいるために、心理的なケアにも目を向けなければならないこともある。
HIVの抗体検査は、現在全国の保健所(保健センター)が無料匿名でおこなっており、そういった方法を薦めるのもひとつである。また、行政から委託を受けて無料でHIV抗体検査を行なっている民間団体(例えばNPO法人CHARM http://www.charmjapan.org)もあり、今後プライマリケア医との協力が必要になると考えられる。保健所などでは無料匿名で抗体検査をおこなうことができるが、有料でもいいから医療機関で検査を受けたいという患者も少なくない。そういった要望に対しては、ダイナボット社から発売されている試験紙を使って迅速診断するという方法がある。ただし、0.5%程度の確率で偽陽性となることもあるので注意しなければならない。患者が抗体検査を申し入れた場合は、window periodについて確認しておく必要がある。
また、梅毒疹が認められる患者に遭遇したときはHIVの検査を考慮すべきである。日本では梅毒とHIVの重複感染が多いのが特徴であり、梅毒疹を主訴に来院するのは第Ⅱ期の頃で、ちょうどwindow periodを超える時期であるからである。梅毒疹はときに見逃されることがあるので、あらゆる皮疹の鑑別に加えるべきである。実際に、薔薇疹とジベル薔薇色粃糠疹、扁平コンジローマと尖圭コンジローマは視診だけで鑑別診断がつきにくいことがある。特に後者の場合、尖圭コンジローマと決め付けて安易に液体窒素療法などをおこなうと院内感染の危険がある。また、梅毒を主訴としない患者に対しても、手掌に原因不明の皮疹があれば、梅毒を疑い採血に充分な注意が必要である。
医療機関でHIV陽性と出た場合は、患者に対し偽陽性のことを説明した上で、ウエスタンブロット法などを用いて確定検査をおこなう必要がある。確定検査で陽性となった場合は、エイズ拠点病院に紹介することになる。患者にもよるが、HIV感染が知らされると精神的に不安定になることは珍しくない。このためインフォームドコンセントには充分な配慮が必要である。また、エイズ拠点病院に紹介すればそれで終了というわけでは決してない。HIVに感染している患者は、風邪を引いたときや体調のすぐれないときに不安が増強することがある。そんなときに、まず相談にのるべきなのはエイズ専門医よりもむしろプライマリケア医である。また、軽い病気や怪我の際に、その都度エイズ拠点病院を受診するのは適切ではなく、そういった症状に対してはプライマリケア医が対応すべきである。
HIVやAIDSについては、患者を支援する団体がいくつもあり、行政やNGO・NPO、あるいはボランティアなどとも協力していくことが重要である。先に挙げたNPO法人CHARMもそのひとつである。また、STI全般において、ケースによってはsex workerのためのNGOであるSWASH(http://homepage2.nifty.com/swash/)や、SW-rpm(http://www.swrpm.com/)、あるいは、MSM(men who have sex with men)でHIV陽性の方自らが代表となり感染者の支援や予防啓発に取り組んでいる「総天然色思考」(http://www.geocities.jp/ttdrag)などとの連携も効果があるであろう。
文献
1)岩佐弘一 本庄英雄:月経痛の鑑別診断、臨床婦人科産科 2005 Vol.59 No.7 990-993
2)Ebrahim et al:Sexual behaviour: related adverse health burden in the United States,Sex Transm Infect.2005; 81: 38-40
3)性器クラミジア感染症の疫学
: http://www5a.biglobe.ne.jp/~hhhp/chlamydia/chlamydia-statistics.htm
4)エイズ動向委員会報告:http://api-net.jfap.or.jp/mhw/survey/mhw_survey.htm
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