草の根レベルでHIV陽性者を支援すること

2011年12月 谷口 恭 
 
 2011年3月11日、東日本大震災が東北地方を襲いこの惨劇が世界中に一斉に伝えられたとき、ほとんど間髪を入れないタイミングで世界中から多くの義援金が集まりだし、日本人を応援する声が多数寄せられました。タイは経済規模では日本よりも低いわけですが、それでもタイ人からの義援金が多数寄せられたことが報告されています。タイの国民的歌手のバード(「トンチャイ・メーキンタイ」が正式な名前ですが、日本人からもタイ人からも「バード」という名称の方が馴染みがあると思われます)は、日本を応援する歌をつくり、その歌のビデオでは多数のタイ人が日本人に対するメッセージを日本語、英語、タイ語で送っています(注1)。

 その半年後、今度はタイの洪水が深刻な被害をもたらすこととなりました。洪水は8月の時点では、北タイやイサーン地方で問題となっていましたが、被害は次第に南下していき、10月下旬にはついにバンコクの一部も冠水する事態となりました。東日本大震災のときの恩返しに・・・、と意識している人はそれほど多くはないかもしれませんが、日本からもタイの洪水被害に対する義援金が集まっています。義援金を募集しているのは、在京タイ王国大使館やタイ王国大阪総領事館だけではなく、セブンイレブンやファミリーマートの各店舗にも募金箱が置かれました。

 困ったときはお互いに助け合う・・・。この「助け合う」という精神は人間が本来生まれたときから持っている自然の摂理だと私は考えています。東日本大震災で多くの義援金が世界中から集まったことに感動するのも、タイの洪水を知り少しでも力になりたいという気持ちが芽生えるのも、それらが自然の摂理に合致するからではないかというのが私の考えです。

 けれども、実際に現場で困窮している人に対するケアをおこなうのは、それも極めて長期間そのケアをおこなうのは、困っている人の力になりたい!という情動的な気持ちだけでは到底できることではありません。

 私が初めて早川さんにお会いしたのは、2004年の8月だったかと記憶しています。その頃私はロッブリー県のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)で医療ボランティアをおこなっていました。そのとき同じくボランティアに来ていたスウェーデン人が、「チェンマイの郊外でエイズシェルターを運営している日本人がいる」という情報を教えてくれたのです。そこで私はチェンマイ在住の日本人の知人に連絡をとり、パバナプ寺から休暇をもらい「バーンサバイ」を訪問した、といういきさつです。

 派手さはないが力強い輝きをもった女性・・・。これが私の早川さんに対する第一印象でした。バーンサバイは大きな施設ではなく小さなシェルターでしたから、早川さんらスタッフは、数人の患者さんに対して食事の世話からカード作成などの作業の指導まで生活に関わるほとんどのケアをされていました。ロッブリーのパバナプ寺では、当時はまだ抗HIV薬が充分普及していなかったこともあり、エイズ末期の人たちが大勢いて、2~3日に一人は患者さんが亡くなっていましたから重症病棟は日によってはかなり重たい空気が淀んでいました。一方、バーンサバイでは、患者さんと早川さんをはじめとするスタッフがひとつとなってシェルターで生活しているという印象を持ちました。その頃のタイは蒸し暑い日が続いていて、特にロッブリーでは毎日が湿度との戦いのようでしたが、バーンサバイを訪問した日はからっと晴れ上がり蒸し暑くはなかったことを覚えています。楽しそうにカードを作成していた患者さんの笑顔と澄み切った青空、乾いた風、それと北タイのエイズ事情について熱く語られていた早川さんの表情が一体となって今でもその情景が思い浮かびます。

 その後私は、タイの他の地域のいくつかのエイズ施設や自助グループ、エイズ支援をしている人たちを訪問し、HIV陽性者やエイズ孤児のために尽力している何人かの人たちと出会うことになりました。そして、私自身がおこなったボランティアを一時的なもので終わらせるのではなく、継続してタイのHIV/AIDSの人たちを支援していくことを決意し、NPO法人GINA(ジーナ)を設立しました(注2)。GINAは直接運営する施設はもっていませんが、タイの複数の施設や自助グループに対して支援をおこなっています。エイズ孤児に対しては奨学金というかたちでの支援もおこなっています。

 GINAは以前はバンコクに事務所を置いていましたが、現在はGINA代表の私が院長をつとめる大阪のクリニック内を唯一のオフィスとしています(注3)。GINAの現在の主な活動内容は、タイのエイズ施設やグループに金銭面で支援をおこなうことですが、もっと患者さんの自立を促す支援をしたいと考え、1年ほど前から、タイのHIV陽性の方が作製したアクセサリーをクリニック内で販売しています。クリニック内にGINAの募金箱を置いてもそれほど目立たなかったのですが、患者さんが製作したアクセサリーの販売というかたちにすればクリニックを訪れる多くの患者さんが注目してくれるのです。もちろんタイのHIV陽性の方々がつくったアクセサリーが高い品質を有しているというのも理由のひとつですが、このアクセサリー販売というかたちは支援する方法のひとつとして適しているのではないかと現在は考えています。アクセサリーを置いているのは現時点では大阪のクリニックだけですが、これから他のクリニックやその他の施設にも置いてもらえるような活動を開始していきたいと考えています。

 バンサーイターンのミッションのひとつが「HIV陽性者への職業訓練」と聞いています。訓練を受けられたHIV陽性の方が作製されたものがGINAを通して多くの日本人に注目される日が来ることを楽しみに待ちたいと思います。GINAのミッションのひとつは「草の根レベルでHIV陽性者を支援すること」です。我々は単に寄付金を集めて施設に送るのではなく、ひとりひとりの自立につながるような手助けをおこないたいと考えています。タイのHIV陽性者の方々と直接お会いして話をする機会は現在ほとんどありませんが、バンサーイターンのスタッフの方々のようにHIV陽性者と日々触れ合っている人たちと協力し合い、HIV陽性の方々ひとりひとりを応援していきたいと考えています。


注1 注:バードの日本応援歌は下記URLで観ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=WRwTc7a_Jzs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1wopMK2xILI&feature=related

注2 NPO法人GINA(ジーナ)のURLは下記のとおりです。
http://www.npo-gina.org/

注3 クリニックのURLは下記の通りです。
http://www.stellamate-clinic.org/

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