サーイターン通信創刊号(2011年7月)

                                          早川 文野
サーイターン通信

 今年のチェンマイは、夏を越えて雨季に入ってしまったようです。毎日のようにスコールが降ります。そのためすぐに湿度が90%を越えてしまいますので、AIDS/HIVの方々にとっては、たいへんな日々が続いています。

 バーンサバーイをタイ人にお渡ししてから、1年近くが過ぎようとしています。在職中はたくさんの方々のご支援やお祈りをいただきまして、ありがとうございました。心より感謝いたします。

 私がバーンサバーイで出会った方々はほんとうに重症な方が多く、複合する日和見感染症と忍耐強く闘い、死の淵から生還した方々でした。頭痛、高熱、下痢、嘔吐などの症状とひたすら闘っている姿には、頭が下がる思いがしました。そして、徐々に元気になり退寮しても、それまで抱えていた問題は根本的には解決していませんので、その後の生活も決して平坦なものではありません。

 とくにバーンサバーイに入寮した方々は近隣諸国から国境を越えて来た方が多く、ビザも身分証明書も持たない場合も少なくありません。またタイ人であっても、幼い時にあまり学校へ行けず、読み書きがむずかしい方々もいます。その上、エイズという病気も持っています。

 このような理由で、不況の時代に、一般の方々よりも、より困難な状況に置かれています。また、たとえ仕事が見つかっても、あまり良い条件ではありません。退寮が決定して、スタッフといっしょに仕事を見つけに行くのですが、初めの履歴書を書く段階で、はじかれてしまいます。求人広告や知人の紹介などで、何度も面接を受け、ようやく1つ見つかるといった状況でした。

 仕事がなければ、日々の糧を得ることが困難になりますし、生き方も後ろ向きになりがちで、体調を崩すことになりかねません。その結果、元の生活に戻ってしまうこともしばしばあります。またさらに麻薬の売買や窃盗で逮捕され、刑務所に入るという方々も出てきます。せっかく死線を越えたにもかかわらず、元に戻るのはとても残念なことです。このような状況の中で、社会的に不安定な立場にあるAIDS/HIVの方々が手に技術をつければ、少しでも就労の機会が増え、生活ももう少し安定するのではないかと考えるようになりました。

 元気になったAIDS発症者やHIV感染者の方々に、何とか、新しい人生を自分の足で歩んでいってほしいという願いから、このたび「バンサーイターン」を立ち上げました。バンは〝家?、サーイターンは〝小川?という意味です。この名前は元バーンサバーイの入寮者で今回のNGOにも参加していますAIDS発症者が、名づけ親です。

 「自分はバーンサバーイと出会い、元気になり、自立の機会を得ました。まだこのような機会に出会っていない感染者や発症者がたくさんいます。このような方たちに機会を提供し、そしてまた、他の人々へその機会をつなげていってほしい」という思いがこめられています。苦しい生活状況に置かれている方々に、機会という水を注ぐことで小川を作り、希望という大河へ流れていくことを願っています。職業訓練という機会を提供し、それを1人1人が生かしながら、自立をして生き抜いていってほしいという思いがあります。

 具体的には、まず裁縫、マッサージ、カード製作から始める予定です。タイの街角では、通りや家の前にミシンを置いて、すそ上げやサイズ直しの仕事をしている方々を見かけます。このような形でしたら、体調を見ながら自宅でもできる仕事です。職種に関しては、今後バンサーイターンへ来られる方々の希望を聞きながら、靴修理、靴製造など、少しづつ増やしていきたいと考えています。また製品に使用する布なども、山村の少数民族が紡ぐ織物も利用し、製品を作ることを通じて、他のグループとのネットワークも作っていきたいと考えております。できあがった製品は、タイ国内や日本で販売させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 また家庭で暮らすAIDS/HIVの方々の訪問も続けます。シェルターまで行く必要はないけれど、在宅で問題をかかえている方たちがいます。とくに情報を必要としている方々にその情報が届かない場合も少なくありませんし、孤立感を抱いて生活している方もいます。今後もこのような方々とつながっていきたいですし、職業訓練を希望される場合は、可能な限り受け入れてこうと思います。

 バンサーイターンは元気な発症者・感染者を対象としていますので、基本的に医療費の負担はしませんが、皆さん貧しい病気の方々ですので、どうしても医療費を出さなければならない場合が出てきます。エイズ医療が進歩し、抗HIV薬を服用できるようになり、慢性病化しつつありますが、私が出会う方々は、治療を始めた段階が遅いこと、生活環境が安定しないことなどの理由から、時折体調を大きく崩してしまうことがあります。必要と考えられる場合は、医療費のサポートも行います。

 この1年近く、元気になって退寮された方々を訪問しながら、少しづつ準備をしてきました。バーンサバーイの時は、重症な方々をケアさせていただいていましたので、なかなか遠くに帰った方々を訪問することができませんでした。そのため、今回は遠くまで足を伸ばしました。先日は、東北地方へ帰ったAさんと会いました。


・ Aさん(女性 : 42歳)

 Aさんは、タイの東北地方の出身です。6人兄弟の4番目として生まれました。両親は牛を飼って生計をたてていましたが、親が幼い時に死亡したため、貧しい中で育ちました。1人で牛の世話をする母親に代わって、幼い妹たちの世話をしなければならず、小学校も休みがちでした。

15歳で最初の結婚をし、長男を出産。しかし、夫が母親の言いなりであったため、息子が1歳になる前に離婚しました。その後、18歳で再婚し、長女を出産しましたが、その後離婚。子どもたちを母親と姉妹に預け、バンコクへ働きに行きました。

バンコクで仕事をする間に、日本の仕事を紹介され、日本へ行きました。日本へ着くと、380万円で人身売買され、この金額がそのままAさんの借金になりました。借金返済のために、売春を強要されました。そして売春を拒否したりしますと、暴力をふるわれることもたびたびありました。6年間で、3回転売されました。

そして、この6年間は給料をまったくもらえず、借金を返し終わって自由になった時に、初めて2万円を渡されました。家族へ仕送りをするために、そのまま日本に残り、建築現場や水産加工場などで、働きました。水産加工場で働いている時に、日本人男性と知り合い、同居するようになりました。

数年後体調を崩し、病院へ行き、エイズを発症していることを知りました。日本で売春をしている間に、HIVウィルスに感染したのです。Aさんは恋人には何も言わずに家を出て、タイ人の知り合いの家に行きました。その後も日本で働いていましたが、サイトメガロウィルス網膜炎になり、右目の半分が見えなくなりました。左目を守るためには、エイズの治療を早急にする必要が出てきました。

Aさんは12年間日本にすんでいましたが、超過滞在であるため、治療をする場合、自費になります。そのため、タイへ帰国する決心をしました。帰国の際は、日本の支援団体がサポートをしてくれました。

 2004年にタイへ帰ってきましたが、その時はCD4が12しかありませんでした。すぐに目の治療を始め、抗HIV薬も服用しました。目の治療に1年かかりましたが、6ケ月に1度の診察で良くなった時に、実家へ帰ることになりました。彼女は、帰国した時は家族にエイズであることがわかったら、拒否されることを恐れ、なかなか言えませんでした。しかし、赤ちゃんの時に別れた娘さんが夏休みを利用して、チェンマイに来た時に、思い切って告白しました。娘さんはAさんをすぐに受け入れてくれました。このことで安心したAさんは、他の家族にも病気のことを話し、皆さん同様に理解してくれました。

 今は、バンコクに働きにいっている妹さんの子どもさんたちの世話をしながら、野菜農家で働き、1日200バーツ(約600円)の給料をもらっています。CD4も700を越えました。目も6ヶ月に1度経過観察をしていますが、良好です。娘さんもバンコクで働きながら、大学へ通っています。同居を始めた頃は、2人の間に軋轢がありました。Aさんには娘さんを育てていないと言う負い目があります。また娘さんも、思い描いていた母親像と実像のAさんとの違いに、心を整理できませんでした。私たちも、何度も2人と話し合いましたが、新しい親子関係を築くのには年月を要すると思われました。

 Aさん親子を見ていて、移住労働は本人だけではなく、国へ置いてきた家族との関係にも深刻な問題を発生さることを、痛感しました。現在は2人の関係も良くなってきました。7年という歳月をかけて、少しづつ親子関係を深めた結果です。帰国当初は、「日本がいい」「日本へ帰りたい」と話し、あまりにも日本を強調しますので、他のタイ人ともめましたが、今はこのタイで暮らしていくことを決心したようです。Aさんの場合、対日年数が12年と長いため、タイ人としてのアイデンティティーが壊れてしまった部分がありましたので、もう一度タイ人に戻る必要がありました。

 相変わらず、生活は苦しいですが、元気に生活をしています。Aさんの場合、子どもさんをはじめ、家族がしっかりと支えてくれますので、これからも問題を越えていけることと思います。支えてくれる人々との絆が重要なことを、Aさんを通して再確認しました。

 Aさん以外にも、白内障の経過も良好で建設現場で働くBさん、日本から帰国して今はバンコクで暮らすCさん、公園で野宿しながら仕事をしているDさん、模範囚のため刑期が短くなったEさんなどなど、皆さん、たいへんな状況ですが、日々を精一杯生きております。

 なお、バーンサバーイが所有しておりました土地、家屋、ゲストハウス、自動車、バイク、貯金などは、バーンサバーイにお渡ししました。そして、バーンサバーイでかかわった方々の中で、バンサーイターンが引き続き医療や支援などの面でかかわっている方々がおりますので、今回の開設に際し、300万円はプロジェクトのために使わせていただきました。

 現在は秋の職業訓練コースの開設を目指して、元バーンサバイ入寮者の方々に手伝っていただきながら、少しづつ、準備をしている段階です。私たちは、ほんとうの自立に向けて、一歩一歩歩み続けようと思います。1人1人の人生はかけがえのないものです。今まで底辺を生きてきた方々が、未来に向かって自分の足で歩めますように、皆さまに見守っていただければ幸いです。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

(バーンサーイターン:ディレクター)