タイのハンセン病とエイズ

谷口 恭     2006年5月

目 次

1 「治癒」するハンセン病
2 タイにおけるハンセン病の歴史
3 現在のタイの課題
 

1「治癒」するハンセン病

 残念なことにいつの時代にも「差別」される病というものが存在します。タイでは、1980年代半ばより、AIDSがその最たるものになりましたが、それまで差別やスティグマが根強く残存し、社会から不当な扱いを受けていた病がハンセン病です。

 ハンセン病は誰にでも感染する病ではありませんし、感染力も強くないのですが、それが故に、罹患した人は不当な扱いを受けることになってしまったのかもしれません。

 現在、ハンセン病にはすぐれた薬がありますから、ハンセン病は「治癒する病気」です。抗HIV薬が、いったん服用が必要になると、基本的には生涯に渡って飲み続けなければならないのに対して、ハンセン病の場合は、決められた薬剤を一定期間服用すればそれで終了です。

 ハンセン病は知覚障害が起こりえますから、症状がある程度まで進行すると、皮膚の感覚がなくなり痛みや熱を感じることができなくなります。すると、自分の知らない間に皮膚組織が損傷を受け、結果として指が短くなってしまうのです。また、ハンセン病を無治療で放っておくと、独特の顔貌に変化することはよく知られています。

病状が進行してからでも、薬を飲めばハンセン病は「治癒」しますが、いったん変形した指や顔貌が元に戻ることはありません。HIVと同じように、ハンセン病も早期発見が重要なのです。

一定期間、薬を飲めばハンセン病は「治癒」するのですが、変形した指や顔貌のために、社会から不当な差別を受けることになるのです。このため、病気は「治癒」したのに、社会復帰ができず、長期間、あるいは一生、施設で暮らさなければならない人は少なくありません。

治療開始が遅れ指を短くした患者さん。現在ハンセン病は治癒しているが変形した指は戻ることがない。


(元)ハンセン病の患者さん。指は変形していてもリハビリのおかげで日常生活に困らない。
写真は封筒を閉じる作業をしているところ。

2 タイにおけるハンセン病の歴史

1953年にタイ厚生省がUNICEFの協力のもと、タイ国全土でのハンセン病の患者数の調査をおこないました。それまでは、タイ全土でいったいどれだけの人々がハンセン病に苦しめられているかが把握できていなかったのです。その調査によりますと、タイ全国で14万人の患者さんが罹患していたそうです。当時のタイの人口はおよそ3千万人ですから、国民の200人に1人程度がこの病に苦しめられていたことになります。

1950年代になって、ハンセン病の特効薬であるDapsoneという薬が内服薬として登場しました。それまでは注射薬しかなく、そのためなかなか普及しなかったのです。しかし、内服の特効薬ができたといっても、国内でハンセン病を適切に治療できる医療従事者がそろっていませんでした。

そこで、1960年代に入って、医師や看護師といった医療従事者を対象に、Specialized Control Programと呼ばれるトレーニングが開始されました。これにより、国内での治療が統一化され、患者さんは適切な治療を受けられるようになりました。

ハンセン病は薬剤により治癒する病気であります。天然痘やポリオと同じように、行政が力を入れればハンセン病を完全に撲滅させることができるはずです。ハンセン病にはワクチンはありませんが、早期発見をおこなえば新たな感染を防げるからです。

1970年代に、Third Health Development Planと命名された計画が施行されました。この計画の目標は2000年までに、タイ国でハンセン病を撲滅させるというものです。

1984年には、MDT(multi-drug therapy)と呼ばれる治療法が開始されました。これは、ハンセン病に効果のある薬剤を同時に複数内服することによって治療効果を高めようという治療法です。MDTはすぐれた効果をあげ、また急速に普及するようになり、1989年にはすべての患者さんに対して適応されるようになりました。

下の表は、タイのハンセン病の年毎の患者さんの数を示していますが、MDTがすべての患者さんに適応されるようになった89年以降、人口10万人あたりの患者さんの数は2人台にまで減っています。

【 表 1 】
ANNUAL STATISTICS
(DDS-MONOTHERAPY 1964-1983: MDT since 1984)
YEAR NEW CASE DETECTED ADR/100,000 REGISTERED CASES PR/10,000
1964 3,595 21.0 87,981 51,.5
1983 3,788 7.7 44,406 9.0
1985 3,195 6.2 40,710 7.9
1987 2,845 5.3 28,592 5.4
1989 1,594 2.9 16,663 3.0
1991 1,398 2.5 8,185 1.4
1992 1,443 2.5 6,819 1.2
1994 1,161 2.0 4,883 0.8
1996 1,197 2.0 3,064 0.5
1998 1,111 1.8 2,916 0.5


3 現在のタイの課題

Leprosy Situation in SEAR Countries As of April 2003(CDS)
国名 人口 患者数
単位千人
一万人当たりの患数 新たに見つかった患者数2002年度 合計患者数
1982年から
撲滅予定
インド 1,067,482 344,377 3.23
 
473,658 10,383,038 2005
インドドネシア 207,840 16,837 0.81
 
12,377 257,690 2000
ミャンマー 52,827 4,965 0.94
 
7,386 226,698 2003
ネパール 24,154 7,291 3.02 13,830 94,448 2005
タイ 61,879 1,905 0.31 1,000 56,561 1994
SEA Region 1,564,294 385,458 2.46 520,632 11,195,512 2005

【 表 2 】

まずは表2をご覧ください。ここにあげたアジア諸国5カ国のなかでは、タイが最も患者さんの数が少ないことが分かります。それに対して、インドとネパールでは、依然人口1万人あたりの患者さんの数が3人台を維持しており、撲滅には程遠い状態です。

では、タイのハンセン病減少は手放しで喜べるのかというとそういうわけではありません。依然として年間およそ1000人の人が新たな感染者として発見されているのです。

これはなぜなのでしょうか。

その答えはふたつあります。

ひとつは、「貧困」という問題です。タイという国は地域によっておそろしいほどの貧富の差があります。大都市バンコクだけを見ていると、タイという国は先進国なんだと認識せずにはいれませんが、これが地方に行くと、同じ国とは思えないほどです。

特に貧困が深刻なのは、イサーンと呼ばれるタイ東北部です。この地域は肥沃な土地に恵まれず農作物があまり育たず、他に産業と呼べるものもありません。極度の貧困地域の居住者は病院を受診することができないのです。もちろん、日本の医療保険制度のようなものもこの地域の貧困層の方にはありません。

下の地図をご覧ください。この地図は1999年現在のハンセン病の地域ごとの罹患率を示しています。赤で示された地域は、人口1万人あたり1人以上の罹患者さんが、青で示された地域は人口1万人あたり0.5人以上の罹患者がいることを示しています。

タイ東北部(イサーン)では、ほとんどが青もしくは赤となっています。

現在でも新規感染者が絶えない理由のもうひとつの理由は、「移民(もしくはトラフィッキング)」です。下の地図で、タイ東北部(イサーン)以外でもうひとつ罹患者の多い地域があります。

それは、ミャンマーに接しているメーホンソン県及びその横のチェンマイ県です。ここで新規罹患者が発見される理由は、主にミャンマーからの移民です。移民者が不法入国した場合、民間のNGOやNPOなどの保護を受けてタイ国内で治療を受けられることもありますが、本国に強制送還されることもあります。ミャンマーの医療情勢についてはよく分からない部分が多いのですが、適切な治療が受けられるのかどうか定かではありません。


赤色の地域がもっともハンセン病患者が多く、次いで青色の地域となっている。


 「貧困」と「移民」が新たな感染者を生み、感染者はいわれなき差別の対象となる・・・。この疾患の王道は現在ではHIV/AIDSですが、ハンセン病もある意味では似たような歴史をたどってきているのです。

 我々がハンセン病から学べることの多くは、そのままHIV/AIDS減少にも役立たせることができるはずです。

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