GINAと共に
第3回(2006年9月) 美しき同性愛
それは、私が小学校2年生の頃の話・・・。
私はテレビの部屋で(私の家にはテレビがひとつしかありませんでした)、家族で人気アニメ「ドカベン」を見ていました。二番バッターの殿馬(とのま)が、豪腕ピッチャーからヒットを打つシーンで、「秘打・白鳥の湖」という回転打法を披露したのですが、そのときに流れていた音楽が、チャイコフスキーの「白鳥の湖」でした。
生まれて初めて「白鳥の湖」を聴いたこの瞬間のことを私は今でも鮮明に覚えています。ストリングスが奏でる旋律のあまりの美しさが心臓を奥まで貫き、一瞬呼吸ができなくなったほどです。
その12年後のある秋の日・・・。
私は大学構内のカフェで、社会学関連のある本を読んでいました。その本にチャイコフスキーという名前が出てきたのですが、その時私は、「白鳥の湖」を初めて聴いたときと同じような、あるいはそれ以上の衝撃を受けました。
チャイコフスキーが同性愛者だったとは・・・。
それが、私が「同性愛」に興味をもつきっかけとなりました。
著名な同性愛者はチャイコフスキーだけではありません。少し例をあげてみましょう。
オスカー・ワイルド、シェイクスピア、ミシェル・フーコー、ジョン・ケージ、フレディ・マーキュリー、ミケランジェロ、アンデルセン、サマセット・モーム、レナード・バーンスタイン、ロラン・バルト、ジェームス・ディーン、デヴィッド・ボウイ、ボーイ・ジョージ、マーロン・ブランド、ジョニー・マティス、エルトン・ジョン、・・・。
ハリウッド俳優、ミュージシャン、学者、芸術家、作家などを思いつくまま並べてみましたが、挙げればきりがありません。もちろん、日本人にも同性愛者は少なくありません。
江戸川乱歩、三島由紀夫、折口信夫、淀川長治、・・・。
女性の同性愛者もみてみましょう。
ネナ・チェリー、グレイス・ジョーンズ、マルチナ・ナブラチロワ、マドンナ、・・・。
これだけ、そうそうたる著名人が並ぶと、同性愛がなんだか素晴らしいものに思えてきます。
私は作家の山田詠美さんのファンなのですが、詠美さんのエッセィのなかで、「ニューヨークでダサい男はみんなストレートで、いい男はみんなゲイ・・・」、といった内容のものを読んだことがあります。
一度ロンドンで、洒落た雰囲気のカフェに入ったことがあるのですが、そのカフェに入ったとたん、周囲の異様な雰囲気に圧倒されてしまいました。すぐに、そこがゲイ専用のカフェだということが分かったのですが、私が驚いたのは、私以外の客がみんなゲイということではなく、私以外の全員がたいへんお洒落でカッコよかったということです。
私の知人のなかにもゲイが好きという女性が少なくありません。彼女らが言うには、「ストレートの男は女性の気持ちがまるで分からないけど、ゲイは繊細なハートを持っているから女性をよく理解してくれる」、そうなのです。
この話を聞いて思い出すのが、ジュリア・ロバーツ主演の映画「ベスト・フレンズ・ウエディング」に登場していたルパート・エベレット(彼は実生活でもゲイです)です。映画のなかで、主人公のキャリア・ウーマンを演じるジュリア・ロバーツが、以前の恋人が結婚するという事態に直面し混乱しているところを、ルパート・エベレットが優しく理解します。この映画を見たとき、私も女性ならこんな友達「ベスト・フレンド」が欲しいと思いました。
タイに行くと、たいがいどこに行ってもゲイを目にします。(タイでは、カトゥーイと呼ばれる女性の格好をした男性(日本風に言えば「ニューハーフ」)もよく見ますが、ここでは分けて考えたいと思います)
タイで、中学生が団体で電車に乗っているような場面に遭遇すると、たいてい数人の綺麗に化粧をしたゲイが女子学生と仲良く会話を楽しんでいるのを目にします。中高生の団体旅行などをみると、だいたい1割くらいの男性がいかにもゲイというファッションをしています。
タイの国民的スーパースターであるBIRDもゲイで、彼はタイの大勢の国民から支持されており女性ファンも少なくありません。タクシン首相も彼の大ファンです。
タイは、同性どうしの結婚は法的に認められていませんが、おそらく世界一同性愛に寛容な国だと思われます。実際、世界中からゲイやレズビアンが集まってきています。
何人かのタイのゲイに、「この国では同性愛差別はないのか」、と聞いたことがあるのですが、全員ではありませんが、ほとんどのゲイは、「差別はほとんど感じない」、と言います。だから、私は日本で暮らしにくそうにしているゲイをみると、「タイに行ってみればどうですか」、と言うことがあります。実際、日本人のゲイのなかにもタイ好きは少なくありません。
そんなわけで、私は同性愛者に対して、偏見どころか、ある意味では羨望のような気持ちもあります。そういう気持ちがあるからかどうかは分かりませんが、私自身もゲイと思われることがときどきあります。特に、タイに行くと、タイの女性から、「あなた、ゲイでしょ」、と言われたことが何度もあります。
私は、自分がゲイと言われると、「お洒落でカッコいい」と言われているような気がするので、決してイヤな気持ちにはならないのですが、素直には喜べない側面もあります。よく、「色白の日本人は、日本ではパッとしない男でもタイ女性からはモテる」、と言われることがありますが、私はゲイと思われるからなのか、色は白いのに、タイ女性の間からさっぱりモテません。もちろん、日本でもモテるわけではありません。
では、ゲイからはどう思われているかというと、ゲイの人に尋ねると、私は、「とうていゲイには見えないし、これからもゲイになれることはない」、と言われてしまいます。
ということは、結局私は誰からもモテないということになってしまいます。
まあ、私の個人的な話はいいとして、同性愛者が社会から差別を受けている、という事態が私には理解できないのです。なかには、同性愛者だという理由で、病院でイヤな思いをした、という人もいます。また、世界には、同性愛行為が法律で厳しく禁じられている国もあります。
いったい、同性愛者が社会のなかで、どれだけストレートの人に迷惑をかけたというのでしょうか・・・。
山田詠美さんは、エッセィのなかで、「黒人が差別されてきたのは自明なんだから、自分は逆差別するくらいの気持ちがある」、というようなことを言われたことがあります。私は、差別やスティグマがこの社会からなくなるまで、同性愛者を応援していきたいと考えています。
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私はテレビの部屋で(私の家にはテレビがひとつしかありませんでした)、家族で人気アニメ「ドカベン」を見ていました。二番バッターの殿馬(とのま)が、豪腕ピッチャーからヒットを打つシーンで、「秘打・白鳥の湖」という回転打法を披露したのですが、そのときに流れていた音楽が、チャイコフスキーの「白鳥の湖」でした。
生まれて初めて「白鳥の湖」を聴いたこの瞬間のことを私は今でも鮮明に覚えています。ストリングスが奏でる旋律のあまりの美しさが心臓を奥まで貫き、一瞬呼吸ができなくなったほどです。
その12年後のある秋の日・・・。
私は大学構内のカフェで、社会学関連のある本を読んでいました。その本にチャイコフスキーという名前が出てきたのですが、その時私は、「白鳥の湖」を初めて聴いたときと同じような、あるいはそれ以上の衝撃を受けました。
チャイコフスキーが同性愛者だったとは・・・。
それが、私が「同性愛」に興味をもつきっかけとなりました。
著名な同性愛者はチャイコフスキーだけではありません。少し例をあげてみましょう。
オスカー・ワイルド、シェイクスピア、ミシェル・フーコー、ジョン・ケージ、フレディ・マーキュリー、ミケランジェロ、アンデルセン、サマセット・モーム、レナード・バーンスタイン、ロラン・バルト、ジェームス・ディーン、デヴィッド・ボウイ、ボーイ・ジョージ、マーロン・ブランド、ジョニー・マティス、エルトン・ジョン、・・・。
ハリウッド俳優、ミュージシャン、学者、芸術家、作家などを思いつくまま並べてみましたが、挙げればきりがありません。もちろん、日本人にも同性愛者は少なくありません。
江戸川乱歩、三島由紀夫、折口信夫、淀川長治、・・・。
女性の同性愛者もみてみましょう。
ネナ・チェリー、グレイス・ジョーンズ、マルチナ・ナブラチロワ、マドンナ、・・・。
これだけ、そうそうたる著名人が並ぶと、同性愛がなんだか素晴らしいものに思えてきます。
私は作家の山田詠美さんのファンなのですが、詠美さんのエッセィのなかで、「ニューヨークでダサい男はみんなストレートで、いい男はみんなゲイ・・・」、といった内容のものを読んだことがあります。
一度ロンドンで、洒落た雰囲気のカフェに入ったことがあるのですが、そのカフェに入ったとたん、周囲の異様な雰囲気に圧倒されてしまいました。すぐに、そこがゲイ専用のカフェだということが分かったのですが、私が驚いたのは、私以外の客がみんなゲイということではなく、私以外の全員がたいへんお洒落でカッコよかったということです。
私の知人のなかにもゲイが好きという女性が少なくありません。彼女らが言うには、「ストレートの男は女性の気持ちがまるで分からないけど、ゲイは繊細なハートを持っているから女性をよく理解してくれる」、そうなのです。
この話を聞いて思い出すのが、ジュリア・ロバーツ主演の映画「ベスト・フレンズ・ウエディング」に登場していたルパート・エベレット(彼は実生活でもゲイです)です。映画のなかで、主人公のキャリア・ウーマンを演じるジュリア・ロバーツが、以前の恋人が結婚するという事態に直面し混乱しているところを、ルパート・エベレットが優しく理解します。この映画を見たとき、私も女性ならこんな友達「ベスト・フレンド」が欲しいと思いました。
タイに行くと、たいがいどこに行ってもゲイを目にします。(タイでは、カトゥーイと呼ばれる女性の格好をした男性(日本風に言えば「ニューハーフ」)もよく見ますが、ここでは分けて考えたいと思います)
タイで、中学生が団体で電車に乗っているような場面に遭遇すると、たいてい数人の綺麗に化粧をしたゲイが女子学生と仲良く会話を楽しんでいるのを目にします。中高生の団体旅行などをみると、だいたい1割くらいの男性がいかにもゲイというファッションをしています。
タイの国民的スーパースターであるBIRDもゲイで、彼はタイの大勢の国民から支持されており女性ファンも少なくありません。タクシン首相も彼の大ファンです。
タイは、同性どうしの結婚は法的に認められていませんが、おそらく世界一同性愛に寛容な国だと思われます。実際、世界中からゲイやレズビアンが集まってきています。
何人かのタイのゲイに、「この国では同性愛差別はないのか」、と聞いたことがあるのですが、全員ではありませんが、ほとんどのゲイは、「差別はほとんど感じない」、と言います。だから、私は日本で暮らしにくそうにしているゲイをみると、「タイに行ってみればどうですか」、と言うことがあります。実際、日本人のゲイのなかにもタイ好きは少なくありません。
そんなわけで、私は同性愛者に対して、偏見どころか、ある意味では羨望のような気持ちもあります。そういう気持ちがあるからかどうかは分かりませんが、私自身もゲイと思われることがときどきあります。特に、タイに行くと、タイの女性から、「あなた、ゲイでしょ」、と言われたことが何度もあります。
私は、自分がゲイと言われると、「お洒落でカッコいい」と言われているような気がするので、決してイヤな気持ちにはならないのですが、素直には喜べない側面もあります。よく、「色白の日本人は、日本ではパッとしない男でもタイ女性からはモテる」、と言われることがありますが、私はゲイと思われるからなのか、色は白いのに、タイ女性の間からさっぱりモテません。もちろん、日本でもモテるわけではありません。
では、ゲイからはどう思われているかというと、ゲイの人に尋ねると、私は、「とうていゲイには見えないし、これからもゲイになれることはない」、と言われてしまいます。
ということは、結局私は誰からもモテないということになってしまいます。
まあ、私の個人的な話はいいとして、同性愛者が社会から差別を受けている、という事態が私には理解できないのです。なかには、同性愛者だという理由で、病院でイヤな思いをした、という人もいます。また、世界には、同性愛行為が法律で厳しく禁じられている国もあります。
いったい、同性愛者が社会のなかで、どれだけストレートの人に迷惑をかけたというのでしょうか・・・。
山田詠美さんは、エッセィのなかで、「黒人が差別されてきたのは自明なんだから、自分は逆差別するくらいの気持ちがある」、というようなことを言われたことがあります。私は、差別やスティグマがこの社会からなくなるまで、同性愛者を応援していきたいと考えています。
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第 2回 もうひとつの少子化対策(06年 8月)
私が以前ある病院の産婦人科で研修を受けていた頃の話・・・。
ひとりのベテランの産婦人科医(女性医師)は、不妊治療の相談に外来に来ていた患者さんが帰った後、私にふとつぶやきました。
「何百万円もかけて子供をつくろうとする人が多いけど、世界には不衛生な環境や食料不足から死んでいく子供も多いのにね・・・」
私はこの言葉に大変驚きました。まさか、ベテランの産婦人科医がそんなことを考えているとは微塵も思っていなかったからです。
現在の日本では、年々新しく生まれる子供の数が減少しており、一人の女性が一生に生む子どもの数を示す、いわゆる合計特殊出生率は危機的な状況にあると言われています。この数字が2.08を下回ると、現在の人口数を維持できなくなるとされていますが、2004年のデータでは、日本は1.29まで低下してきており、今後もさらに低下することが予想されています。
この原因として、ライフスタイルの変化や女性の晩婚化がよくあげられますが、子供がほしいのにできない、いわゆる「不妊症」というものがあります。不妊症で悩む女性は、巨額な出費とひきかえに高度な医療を受けます。2004年から、一部の行政機関で公的な資金を用いて不妊治療を支持する動きがでてきていますが、その援助額はそれほど大きくなく、また回数制限もあるために、現時点ではそれほど大きな期待がもてるわけではありません。
少子化の危機が叫ばれる一方で、世界では人口増加が問題となっています。実際、世界の人口は実に1日におよそ20万人も増えていると言われています。
世界全体でみれば、新しく誕生する子供が多すぎて、食料、衛生、教育などが不十分になっているという問題があり、その一方では、数百万円を投入して子供をもうけることを試みている先進国の人たちもいるというわけです。
私は個人的には、不妊治療が重要であるのと同様に、貧困な地域の子供たちも救う努力をしなければならない、という考えを持っていますが、冒頭でご紹介したように、不妊治療を推進すべき立場の産婦人科医がこのような意見を持っているということに大変驚いたのです。
もちろん、この産婦人科医も不妊治療に「反対」しているわけではなく、子供ができなくて悩んでいる人の気持ちを理解して不妊治療にあたられているわけですが、同時に発展途上国の子供たちにまで深い思慮をされていることに私は感動しました。実際、この医師は、発展途上国の子供数人の「里親」になられています。
1989年に処刑されたルーマニアの元大統領、チャウシェスクの政権下で、10万人以上の子供の難民が誕生したと言われています。この子供たちを救うために、欧米各国の善意ある人々は、積極的に子供たちを養子として迎え入れました。(ただ、新しい親子関係は必ずしもうまくいっていないという報道もあります。)
一方で、ルーマニアの子供たちを受け入れた日本人というのは、ほとんど聞いたことがありません。ただ、確かに、ルーマニア人と日本人では民族が違いすぎる、という意見があるでしょうし、法律上の問題もあります。
では、アジア難民はどうでしょうか。ベトナム戦争の影響などで、ベトナム、カンボジア、ラオスなどでは大量の難民が発生し、その多くは子供たちです。もちろん、日本にも善意のある方はたくさんおられますから、現在日本で暮らすこういった地域出身の元難民の方は累計で1万人以上になります。
しかしながら、他の先進諸国と比べて、日本が難民の受け入れに消極的なのは事実です。法律上の問題もありますが、一番の原因は、他国に比べると、血筋のつながっていない子供を養うことに抵抗のある人が多い、ということではないでしょうか。
私は、子供がほしくてもできないという人に対して、「お金のかかる不妊治療はもうやめにして途上国の難民を養子にしましょう」、などと言うつもりは毛頭ありません。このような問題は、他人からとやかく言われるようなものではないからです。
ただ、子供のいる人もいない人も、欲しい人もそうでない人も、「少子化の問題は日本を含めた先進国のみの話であって、世界全体でみれば、むしろその逆の人口増加が問題になっている」、という意識を持つことは重要だと思うのです。
さて、難民の子供たちにとって、大きな障壁がHIV感染です。母親がHIVに感染していることを知らずに産んだHIV陽性の子供はたくさんいますし、自身が陰性であっても両親がエイズで死んでしまい、養ってもらうことができなくなった子供も大勢います。なかには、まだ初潮が来ていないのにもかかわらず児童買春を含めた性的虐待によってHIVに感染した子供もいると言われています。
日本では、たしかに血筋を大切にする伝統がありますが、同時に、子供は地域社会で育てるもの、という伝統がかつてはあったのも事実です。ライフスタイルの変化に伴い、次第にこの古き善き伝統は失われつつあるように思いますが、家族だけでは子育てはなかなかできないということに反対する人はいないでしょう。
ライフスタイルの変化は、地域社会のつながりを奪った代わりに、インターネットや通信技術の発展を通して、世界中の情報を瞬時に知ることができるようになりました。ならば、地域社会の子供を育てる、という伝統を、世界中の子供を育てる、という新しい価値観にパラダイム・シフトさせてみてはどうでしょうか。
GINAでは、HIVが原因で困窮している子供たちの支援をおこなうのと同時に、そういった子供がどのような生活をしているかを伝えていく義務があると考えています。
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ひとりのベテランの産婦人科医(女性医師)は、不妊治療の相談に外来に来ていた患者さんが帰った後、私にふとつぶやきました。
「何百万円もかけて子供をつくろうとする人が多いけど、世界には不衛生な環境や食料不足から死んでいく子供も多いのにね・・・」
私はこの言葉に大変驚きました。まさか、ベテランの産婦人科医がそんなことを考えているとは微塵も思っていなかったからです。
現在の日本では、年々新しく生まれる子供の数が減少しており、一人の女性が一生に生む子どもの数を示す、いわゆる合計特殊出生率は危機的な状況にあると言われています。この数字が2.08を下回ると、現在の人口数を維持できなくなるとされていますが、2004年のデータでは、日本は1.29まで低下してきており、今後もさらに低下することが予想されています。
この原因として、ライフスタイルの変化や女性の晩婚化がよくあげられますが、子供がほしいのにできない、いわゆる「不妊症」というものがあります。不妊症で悩む女性は、巨額な出費とひきかえに高度な医療を受けます。2004年から、一部の行政機関で公的な資金を用いて不妊治療を支持する動きがでてきていますが、その援助額はそれほど大きくなく、また回数制限もあるために、現時点ではそれほど大きな期待がもてるわけではありません。
少子化の危機が叫ばれる一方で、世界では人口増加が問題となっています。実際、世界の人口は実に1日におよそ20万人も増えていると言われています。
世界全体でみれば、新しく誕生する子供が多すぎて、食料、衛生、教育などが不十分になっているという問題があり、その一方では、数百万円を投入して子供をもうけることを試みている先進国の人たちもいるというわけです。
私は個人的には、不妊治療が重要であるのと同様に、貧困な地域の子供たちも救う努力をしなければならない、という考えを持っていますが、冒頭でご紹介したように、不妊治療を推進すべき立場の産婦人科医がこのような意見を持っているということに大変驚いたのです。
もちろん、この産婦人科医も不妊治療に「反対」しているわけではなく、子供ができなくて悩んでいる人の気持ちを理解して不妊治療にあたられているわけですが、同時に発展途上国の子供たちにまで深い思慮をされていることに私は感動しました。実際、この医師は、発展途上国の子供数人の「里親」になられています。
1989年に処刑されたルーマニアの元大統領、チャウシェスクの政権下で、10万人以上の子供の難民が誕生したと言われています。この子供たちを救うために、欧米各国の善意ある人々は、積極的に子供たちを養子として迎え入れました。(ただ、新しい親子関係は必ずしもうまくいっていないという報道もあります。)
一方で、ルーマニアの子供たちを受け入れた日本人というのは、ほとんど聞いたことがありません。ただ、確かに、ルーマニア人と日本人では民族が違いすぎる、という意見があるでしょうし、法律上の問題もあります。
では、アジア難民はどうでしょうか。ベトナム戦争の影響などで、ベトナム、カンボジア、ラオスなどでは大量の難民が発生し、その多くは子供たちです。もちろん、日本にも善意のある方はたくさんおられますから、現在日本で暮らすこういった地域出身の元難民の方は累計で1万人以上になります。
しかしながら、他の先進諸国と比べて、日本が難民の受け入れに消極的なのは事実です。法律上の問題もありますが、一番の原因は、他国に比べると、血筋のつながっていない子供を養うことに抵抗のある人が多い、ということではないでしょうか。
私は、子供がほしくてもできないという人に対して、「お金のかかる不妊治療はもうやめにして途上国の難民を養子にしましょう」、などと言うつもりは毛頭ありません。このような問題は、他人からとやかく言われるようなものではないからです。
ただ、子供のいる人もいない人も、欲しい人もそうでない人も、「少子化の問題は日本を含めた先進国のみの話であって、世界全体でみれば、むしろその逆の人口増加が問題になっている」、という意識を持つことは重要だと思うのです。
さて、難民の子供たちにとって、大きな障壁がHIV感染です。母親がHIVに感染していることを知らずに産んだHIV陽性の子供はたくさんいますし、自身が陰性であっても両親がエイズで死んでしまい、養ってもらうことができなくなった子供も大勢います。なかには、まだ初潮が来ていないのにもかかわらず児童買春を含めた性的虐待によってHIVに感染した子供もいると言われています。
日本では、たしかに血筋を大切にする伝統がありますが、同時に、子供は地域社会で育てるもの、という伝統がかつてはあったのも事実です。ライフスタイルの変化に伴い、次第にこの古き善き伝統は失われつつあるように思いますが、家族だけでは子育てはなかなかできないということに反対する人はいないでしょう。
ライフスタイルの変化は、地域社会のつながりを奪った代わりに、インターネットや通信技術の発展を通して、世界中の情報を瞬時に知ることができるようになりました。ならば、地域社会の子供を育てる、という伝統を、世界中の子供を育てる、という新しい価値観にパラダイム・シフトさせてみてはどうでしょうか。
GINAでは、HIVが原因で困窮している子供たちの支援をおこなうのと同時に、そういった子供がどのような生活をしているかを伝えていく義務があると考えています。
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第 1回 理性では解決しない病(06年 7月)
感情には理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある
これは、フランスの哲学者パスカルの言葉です。
この言葉ほど、エイズという病にとりまく事象を、的確に表しているものはないのでは、と私は考えています。
「コンドームを使いましょう」
「売春はよくないことです」
「覚醒剤や麻薬は人間を破滅させます」
これらは、言われなくても誰もが知っていることです。よく、教育の現場でこういうことを教えるべきだ、という論調があって、それはそれで正しいのですが、限界があることを知っておく必要がある、と私は考えています。
そもそも、危険な性行為にのめり込む人も、売買春をおこなう男女も、薬物に手を出してしまう人も、そのほとんどがそれらの良し悪しは分かっているのです。
分かっているんだけれどもやめられない・・・
これこそが問題の本質なのです。
では、どうすればいいのか。
もちろん、正しい知識を共有することが大切であることには変わりありません。
まず、薬害エイズにみるような医療従事者サイドの怠慢、母子感染の予防、検査を徹底することによって防ぐことができると思われる家庭内感染、などは知識を持つことが、そのままHIV感染の減少につながります。
また、貧困から売春せざるを得ない少女(一部は少年)に対しては、行政やNPO(NGO)が中心となり大勢の人々にはたらきかけることによって、改善できる可能性があります。
一般の人々に対してはどうでしょうか。
コンドームがなぜ大切なのか、売春によるHIVや他の性感染症のリスクがどれだけあるのか、薬物を使用するとどういう顛末にたどり着くのか、などについては、しっかりとした知識を持つ必要がありますし、教育の現場でも積極的に取り入れることは大切です。
しかし、同時に、そんな理屈(=キレイ事)だけでは解決することがない、ということを認識することはそれ以上に大切です。
危険と分かりながらもコンドームを用いない性行為を求めてしまう人たち、売買春に向かう衝動を抑えられない人たち、薬物に依存してしまっている人たち、こういう人たちの立場に立って、気持ちを理解しないことには、本当の意味でのHIV予防の啓発はできないのです。
よくHIV感染は「自業自得」だと言われることがあります。しかし、これほど、エイズに関連する諸問題を考えるときに、的を外した言葉もないでしょう。
薬害エイズや母子感染を「自業自得」と言う人はいないでしょうが、売春や薬物、あるいはタトゥーなどで感染した者に対しては、「自業自得」という人が少なくありません。
しかし、決してそうではないのです。
危険かもしれない性行為、一度だけにすると決めて手を出してしまった薬物、あるいは好奇心からつい入れてしまったタトゥー、これらは「自業自得」なのでしょうか。長い人生のなかで、このようなことが一度でもあれば、それは卑下される「自業自得」の行為なのでしょうか。
これを「自業自得」だと言う人は、きっと聖人君子のような方なのでしょう。そういう人は誰からも尊敬される素晴らしい方なのでしょう。
幸か不幸か、私はそんな聖人君子のような人間ではありません。そして、聖人君子が「自業自得」と呼ぶような行為をしてしまう人に感情移入をしてしまいます。
私のような凡人からみれば、「自業自得」と言われる行為は、人間らしくて理解できる行為なのです。
私に言わせれば、長年の喫煙から発症した肺癌や、度重なる忠告を無視して暴飲暴食を繰り返したことにより発症した糖尿病の方がよほど「自業自得」です。けれども、一般的に癌や生活習慣病はそのような対象とは見られず、HIVや性感染症が、他人から共感されない「自業自得」の病、さらに「差別」される病となっているのです。
パスカルの言うとおり、感情というものは、ときに理性では解決しない衝動を持ち合わせています。人間は理性だけで行動しているわけではないのです。
私が、HIVや性感染症に取り組もうと思ったのも理性だけではありません。
病気が原因で病院を受診しているのに、その病気が原因で病院からも差別される病・・・。
こんなことがあっていいのでしょうか。
いいはずがありません。
この想いがきっかけとなり、私はHIVや性感染症に取り組みだしました。
私がHIVや性感染症に関連する諸問題を解決したいと思う気持ち・・・
この気持ちもまた、理性では説明できない理屈から生まれた感情によるものなのです。
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これは、フランスの哲学者パスカルの言葉です。
この言葉ほど、エイズという病にとりまく事象を、的確に表しているものはないのでは、と私は考えています。
「コンドームを使いましょう」
「売春はよくないことです」
「覚醒剤や麻薬は人間を破滅させます」
これらは、言われなくても誰もが知っていることです。よく、教育の現場でこういうことを教えるべきだ、という論調があって、それはそれで正しいのですが、限界があることを知っておく必要がある、と私は考えています。
そもそも、危険な性行為にのめり込む人も、売買春をおこなう男女も、薬物に手を出してしまう人も、そのほとんどがそれらの良し悪しは分かっているのです。
分かっているんだけれどもやめられない・・・
これこそが問題の本質なのです。
では、どうすればいいのか。
もちろん、正しい知識を共有することが大切であることには変わりありません。
まず、薬害エイズにみるような医療従事者サイドの怠慢、母子感染の予防、検査を徹底することによって防ぐことができると思われる家庭内感染、などは知識を持つことが、そのままHIV感染の減少につながります。
また、貧困から売春せざるを得ない少女(一部は少年)に対しては、行政やNPO(NGO)が中心となり大勢の人々にはたらきかけることによって、改善できる可能性があります。
一般の人々に対してはどうでしょうか。
コンドームがなぜ大切なのか、売春によるHIVや他の性感染症のリスクがどれだけあるのか、薬物を使用するとどういう顛末にたどり着くのか、などについては、しっかりとした知識を持つ必要がありますし、教育の現場でも積極的に取り入れることは大切です。
しかし、同時に、そんな理屈(=キレイ事)だけでは解決することがない、ということを認識することはそれ以上に大切です。
危険と分かりながらもコンドームを用いない性行為を求めてしまう人たち、売買春に向かう衝動を抑えられない人たち、薬物に依存してしまっている人たち、こういう人たちの立場に立って、気持ちを理解しないことには、本当の意味でのHIV予防の啓発はできないのです。
よくHIV感染は「自業自得」だと言われることがあります。しかし、これほど、エイズに関連する諸問題を考えるときに、的を外した言葉もないでしょう。
薬害エイズや母子感染を「自業自得」と言う人はいないでしょうが、売春や薬物、あるいはタトゥーなどで感染した者に対しては、「自業自得」という人が少なくありません。
しかし、決してそうではないのです。
危険かもしれない性行為、一度だけにすると決めて手を出してしまった薬物、あるいは好奇心からつい入れてしまったタトゥー、これらは「自業自得」なのでしょうか。長い人生のなかで、このようなことが一度でもあれば、それは卑下される「自業自得」の行為なのでしょうか。
これを「自業自得」だと言う人は、きっと聖人君子のような方なのでしょう。そういう人は誰からも尊敬される素晴らしい方なのでしょう。
幸か不幸か、私はそんな聖人君子のような人間ではありません。そして、聖人君子が「自業自得」と呼ぶような行為をしてしまう人に感情移入をしてしまいます。
私のような凡人からみれば、「自業自得」と言われる行為は、人間らしくて理解できる行為なのです。
私に言わせれば、長年の喫煙から発症した肺癌や、度重なる忠告を無視して暴飲暴食を繰り返したことにより発症した糖尿病の方がよほど「自業自得」です。けれども、一般的に癌や生活習慣病はそのような対象とは見られず、HIVや性感染症が、他人から共感されない「自業自得」の病、さらに「差別」される病となっているのです。
パスカルの言うとおり、感情というものは、ときに理性では解決しない衝動を持ち合わせています。人間は理性だけで行動しているわけではないのです。
私が、HIVや性感染症に取り組もうと思ったのも理性だけではありません。
病気が原因で病院を受診しているのに、その病気が原因で病院からも差別される病・・・。
こんなことがあっていいのでしょうか。
いいはずがありません。
この想いがきっかけとなり、私はHIVや性感染症に取り組みだしました。
私がHIVや性感染症に関連する諸問題を解決したいと思う気持ち・・・
この気持ちもまた、理性では説明できない理屈から生まれた感情によるものなのです。
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