GINAと共に
第13回 恐怖のCM(2007年7月)
おそらく今から20年以上前、私が子供の頃、政府広報のCMで覚醒剤追放を目的としたものがありました。
現在30代以上の人なら覚えてられると思うのですが、私はあれほど恐ろしいCMをみたことがありません。
音楽も一切なく、覚醒剤にむしばまれた無言の若い母親の横で、子供が「ママー、ママー」と泣き叫びます。その子供を無視して母親が自身の左腕に覚醒剤を注射します。このCMには音楽が一切なく、低音の男性の無機質な「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか・・・」というナレーションが流れます。
おそらく特殊メイクだと思うのですが、その母親の表情はまさに"廃人"でした。当時、覚醒剤についてよく分かっていなかった私は、覚醒剤が怖いというよりも、その女性のとても人間とは思えない表情に大変な恐怖を感じました。
このCMをみて、覚醒剤がとんでもないものであり、何があっても手をださないと決めたのは私だけではないはずです。テレビのCMには大変な影響力があるのは誰もが認めることですが、少なくとも私にとって、この恐怖のCMが覚醒剤の"誘惑"を打ち消す以上の効果を与えているのは事実です。
いつのまにかそのCMを見なくなり、私は田舎を離れ都会の生活を始めました。
都会には様々な誘惑があります。田舎にいたときは、(違法)薬物と言えば、タバコ(当時私は未成年でした)とシンナーくらいしかありませんでしたが、都会に出てくれば、大麻や覚醒剤の誘惑が次から次へとやってきます。
今の時代も、覚醒剤で身を滅ぼしていくのは、裏社会に生きている人だけではなく、学生や主婦、サラリーマンなども大勢いると言われていますが、1980年代後半当時もそれは変わらなかったと思います。いえ、あの恐怖のCMで廃人となっていたのも子供をもつ母親だったことを考えると、大昔から日本では覚醒剤の犠牲になるのは裏社会の住人ではなく「一般人」だったと考えるべきでしょう。
あの恐怖のCMは私と同世代の人ならほとんど全員が見ているはずなのに、それでも私の知人で覚醒剤にハマっていく人たちがいました。
覚醒剤は初めから人間を廃人にするわけではなく、ある意味ではその人にとっての"メリット"があります。
例えば、シンナーがキマれば、動けなくなりある種の恍惚感が得られますが、覚醒剤の場合は、"恍惚感"が得られるわけではありません。
むしろ、シャキッとして集中力がでてきます。眠気も吹き飛びます。深夜の長距離ドライバーに覚醒剤ユーザーが多いのはこのためです。私の昔の知人に、試験の前夜に覚醒剤をキメるという人がいましたが、その効果は絶大だそうです。
ダイエット目的で覚醒剤を使用する人もいます。以前、ヒロポンが合法的に堂々と販売されていたとき(なんと、日本は覚醒剤が合法だったのです!)、その効果効能には「痩身」と記載されていたそうです。
セックスの際に用いる人もいます。覚醒剤がキマッた状態でセックスをおこなえば、三日三晩程度ならあっという間にすぎるそうです。金曜日の晩から覚醒剤を使ったセックスをおこない気付けば月曜の朝だった、などという話もよく聞きました。
集中力アップ、ダイエット、セックスの快楽増強、などと、その部分だけを聞けば、たしかにどれも魅力的かもしれません。少々高いお金を払っても、本当にこういった効果が得られるなら試してみたいと思う人もいるでしょう。
実際、私も過去に何度か覚醒剤の誘惑に駆られたことがあります。
けれども、私は決して手を出しませんでしたし、これからも一度たりとも使用するつもりはありません。
その理由のひとつは、「現在医師をしているから」、というものです。医師であれば、覚醒剤がどれだけ有害なものであるかは理解できますし、覚醒剤をきらした状態の患者さんも数多く見ていますし、覚醒剤のせいで仕事だけでなく全財産や家庭を失った人を見る機会もあります。それに、注射針を使いまわせばC型肝炎ウイルスやHIVに感染するリスクがあります。
しかしながら、私が覚醒剤をやらない本当の理由は別のところにあります。実際、「医師なら覚醒剤をやらない」は説得力がありません。なぜなら、毎年数回は「医師が覚醒剤取締法違反で逮捕」という新聞記事を目にしますし、長距離ドライバーと同様、深夜に集中力が要求される医療者のなかには覚醒剤が魅力的にみえる人もいるからです。
私がこれまで覚醒剤に手を染めたことがなく、また今後も手を出さないことを断言できる最大の理由は、子供の頃に心に深く植えつけられたあの恐怖のCMの存在です。
私が医学部に入学したのは27歳のときで、それまでは医学的な知識などほぼ皆無でした。それでも覚醒剤に手を出さなかったのは、心のどこかであの恐怖のCMが私にブレーキをかけてくれたからなのです。
もう一度、あのCMを全国放送すればどうでしょう。特に子供がテレビをみる時間帯にすべてのキー局で一斉に放送すれば絶大な効果があることを私は確信しています。あのCMを流すためならいくらでも税金を使ってもかまわないとさえ思います。
覚醒剤の誘惑があなたを襲ったとき、どうかあの言葉を思い出してみてください。
「覚醒剤やめますか・・・、それとも、人間やめますか・・・?」
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現在30代以上の人なら覚えてられると思うのですが、私はあれほど恐ろしいCMをみたことがありません。
音楽も一切なく、覚醒剤にむしばまれた無言の若い母親の横で、子供が「ママー、ママー」と泣き叫びます。その子供を無視して母親が自身の左腕に覚醒剤を注射します。このCMには音楽が一切なく、低音の男性の無機質な「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか・・・」というナレーションが流れます。
おそらく特殊メイクだと思うのですが、その母親の表情はまさに"廃人"でした。当時、覚醒剤についてよく分かっていなかった私は、覚醒剤が怖いというよりも、その女性のとても人間とは思えない表情に大変な恐怖を感じました。
このCMをみて、覚醒剤がとんでもないものであり、何があっても手をださないと決めたのは私だけではないはずです。テレビのCMには大変な影響力があるのは誰もが認めることですが、少なくとも私にとって、この恐怖のCMが覚醒剤の"誘惑"を打ち消す以上の効果を与えているのは事実です。
いつのまにかそのCMを見なくなり、私は田舎を離れ都会の生活を始めました。
都会には様々な誘惑があります。田舎にいたときは、(違法)薬物と言えば、タバコ(当時私は未成年でした)とシンナーくらいしかありませんでしたが、都会に出てくれば、大麻や覚醒剤の誘惑が次から次へとやってきます。
今の時代も、覚醒剤で身を滅ぼしていくのは、裏社会に生きている人だけではなく、学生や主婦、サラリーマンなども大勢いると言われていますが、1980年代後半当時もそれは変わらなかったと思います。いえ、あの恐怖のCMで廃人となっていたのも子供をもつ母親だったことを考えると、大昔から日本では覚醒剤の犠牲になるのは裏社会の住人ではなく「一般人」だったと考えるべきでしょう。
あの恐怖のCMは私と同世代の人ならほとんど全員が見ているはずなのに、それでも私の知人で覚醒剤にハマっていく人たちがいました。
覚醒剤は初めから人間を廃人にするわけではなく、ある意味ではその人にとっての"メリット"があります。
例えば、シンナーがキマれば、動けなくなりある種の恍惚感が得られますが、覚醒剤の場合は、"恍惚感"が得られるわけではありません。
むしろ、シャキッとして集中力がでてきます。眠気も吹き飛びます。深夜の長距離ドライバーに覚醒剤ユーザーが多いのはこのためです。私の昔の知人に、試験の前夜に覚醒剤をキメるという人がいましたが、その効果は絶大だそうです。
ダイエット目的で覚醒剤を使用する人もいます。以前、ヒロポンが合法的に堂々と販売されていたとき(なんと、日本は覚醒剤が合法だったのです!)、その効果効能には「痩身」と記載されていたそうです。
セックスの際に用いる人もいます。覚醒剤がキマッた状態でセックスをおこなえば、三日三晩程度ならあっという間にすぎるそうです。金曜日の晩から覚醒剤を使ったセックスをおこない気付けば月曜の朝だった、などという話もよく聞きました。
集中力アップ、ダイエット、セックスの快楽増強、などと、その部分だけを聞けば、たしかにどれも魅力的かもしれません。少々高いお金を払っても、本当にこういった効果が得られるなら試してみたいと思う人もいるでしょう。
実際、私も過去に何度か覚醒剤の誘惑に駆られたことがあります。
けれども、私は決して手を出しませんでしたし、これからも一度たりとも使用するつもりはありません。
その理由のひとつは、「現在医師をしているから」、というものです。医師であれば、覚醒剤がどれだけ有害なものであるかは理解できますし、覚醒剤をきらした状態の患者さんも数多く見ていますし、覚醒剤のせいで仕事だけでなく全財産や家庭を失った人を見る機会もあります。それに、注射針を使いまわせばC型肝炎ウイルスやHIVに感染するリスクがあります。
しかしながら、私が覚醒剤をやらない本当の理由は別のところにあります。実際、「医師なら覚醒剤をやらない」は説得力がありません。なぜなら、毎年数回は「医師が覚醒剤取締法違反で逮捕」という新聞記事を目にしますし、長距離ドライバーと同様、深夜に集中力が要求される医療者のなかには覚醒剤が魅力的にみえる人もいるからです。
私がこれまで覚醒剤に手を染めたことがなく、また今後も手を出さないことを断言できる最大の理由は、子供の頃に心に深く植えつけられたあの恐怖のCMの存在です。
私が医学部に入学したのは27歳のときで、それまでは医学的な知識などほぼ皆無でした。それでも覚醒剤に手を出さなかったのは、心のどこかであの恐怖のCMが私にブレーキをかけてくれたからなのです。
もう一度、あのCMを全国放送すればどうでしょう。特に子供がテレビをみる時間帯にすべてのキー局で一斉に放送すれば絶大な効果があることを私は確信しています。あのCMを流すためならいくらでも税金を使ってもかまわないとさえ思います。
覚醒剤の誘惑があなたを襲ったとき、どうかあの言葉を思い出してみてください。
「覚醒剤やめますか・・・、それとも、人間やめますか・・・?」
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第12回(2007年6月) レディボーイの苦悩
個人的にはあまり好きな街ではありませんが、バンコクから南東の方向にバスで2時間ほどの距離にパタヤというタイ最大の歓楽街があります。パタヤは、一応は海岸に面しておりビーチリゾートということになっていますが、海は決してきれいではなく、観光客の多くは景色ではなく娯楽を求めてやってきます。
拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』でも述べましたが、パタヤにはありとあらゆる娯楽施設が用意されています。ゴーゴーバー、マッサージパーラー、オープンバー、ムエタイショー、ディスコ、カラオケ、置屋、・・・、と、しばらくこんなところで生活すれば社会復帰ができなくなってしまうのではないかという気にすらなります。
また、世界中からゲイが集まってくるリゾートとしても有名で、実際、パタヤのゲイ・ストリートに足を踏み入れれば、西洋人やタイ人だけでなく、日本人のゲイも大勢集まっていることに驚きます。
そんなパタヤで、今年で第10回となる毎年恒例の一大イベントが先月開かれました。
それは「ミス・ティファニー・ユニバース」という名のミスコンですが、通常のミスコンとは少し趣が異なります。このコンテストでは、最も美しいレディボーイが選ばれます。
「レディボーイ」という言い方は日本ではあまり馴染みがなく「ニューハーフ」とする方が分かりやすいかもしれません。英語では、lady-boyのほか、she-maleと呼ばれることもあります。医学的には、transvestiteと呼ばれることが多いようですが、この表現は差別的なニュアンスがあると言う人もいます。タイでは、カトゥーイと呼ばれます。(ただし、日本語にない母音が含まれるためこのまま発音しても通じません)
さて、今年で第10回となる記念すべきコンテストで見事栄冠を手にしたのは、カセサート大学に通う20歳の大学生タンヤラート・ジラパッパコーン(Thanyarat Jirapatpakorn)さんです。
ミス・ティファニー・ユニバースの映像はYouTubeなどで見ることができるため、ご覧になられた方も多いと思いますが、ステージに立つ彼女らの美しさに圧倒されてしまいます。
栄冠を手にしたタンヤラートさんをはじめ、これだけの美貌をもつ彼女たちは今後華やかな人生を歩むかのように見えますが、必ずしもそうなるわけではありません。
他国と同様、タイでも彼女たちに対する差別や偏見が存在するのです。
たしかに、タイのショービジネスにはレディボーイの存在が欠かせません。レディボーイのショーを売り物とした高級クラブは数多く存在し日本からの観光客もよく訪れます。(私は、何度かそういったクラブに行くことを試みたのですが、あまりにも値段が高いためにいつも断念してしまいます。安くても日本円にして5000円以上もするのです・・・)
また、タイの映画では、レディボーイが主役を演じたり、名脇役としてレディボーイが登場したりすることが少なくありません。
しかしながら、彼女たちが芸能社会で活躍できるのは、彼女らの"性"が興味深いからであり、その"性"がコマーシャリズムに利用されているからに他なりません。
バンコクのスリナカリンウィロット大学(Srinakharinwirot University)の臨床心理学者ヴァンロップ・ピヤマノタム(Vanlop Piyamanotham)氏は、彼女たちの"性"の歪んだ利用のされ方に危機感を抱いています。
「以前は男女のポルノグラフィーが盛んだったが、やがてそれらに飽きる人がでてきた。その結果、幼児とのセックス、高齢者とのセックス、障害者とのセックスなどを描いたポルノが氾濫するようになった。これはビデオ供給者が人々を新たな興奮に導こうと策略したものだ。今後レディボーイが利用されることになりかねないのではないか・・・」
ヴァンロップ氏はバンコクポストの取材に対しこのようにコメントしています。
レディボーイが普通の会社に就職しにくいことも彼女らを悩ませています。
2000年のミス・ティファニー・ユニバースでグランプリに輝いたソムさん(「ソム」はニックネームで、本名はChanya Moranoさん)は言います。
「何度も何度も仕事を求めて面接に行ったわ。だけど私はレディボーイであるという理由で決して採用されないの。何度失望したか分からないわ・・・」
ミス・ティファニー・ユニバースの主催者は、「彼女たちには可能性がある。我々は彼女らに仕事の機会を与えているのだ」と言いますが、グランプリを取ったソムさんでさえ(普通の会社には)就職ができないのです。
結局のところ、彼女たちはショービジネスで利用されているにすぎないのかもしれません・・・
世界最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)には、常に何人かのレディボーイのHIV陽性者がいます。彼女たちはHIVに感染し、体力が低下していますが、ほぼ毎日のように、ホスピスを訪れる観光客に対してショーを演じて観光客を楽しませています。ショーを演じるのはわずか数十分ですが、化粧と衣装合わせに数時間を費やしています。
私がタイで初めて出会ったレディボーイはパバナプ寺のジョイ(仮名)と言います。ジョイは、どんなに疲れていても毎日綺麗に着飾って必ず観光客の前でステージに立っていました。悲観的な表情は一切見せず、私は彼女の底抜けの明るさに何度も励まされました。
去年も今年も、ミス・ティファニー・ユニバースの報道をみて、私の心に浮かんだのはジョイの美しい笑顔です。
彼女の明るさを前にすると想像することすらできませんでしたが、やはり彼女も実社会では差別を受けていたのでしょう・・・
参考:Bangkok Post 2007年5月17日 「Lady boys become a business」
************
注1 ここではレディボーイたちの三人称を「彼女」としていますが、これは正確でないかもしれません。戸籍上は「彼」ですし、レディボーイたちの性自認は必ずしも女性であるわけではありません。しかし、これ以上の議論は話が複雑になりますのでここでは「彼女」としておきます。
注2 今年の優勝者タンヤラートさんの写真はhttp://www.thaiphotoblogs.com/index.php?blog=5&p=463&more=1&c=1&tb=1&pb=1で見ることができます
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拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』でも述べましたが、パタヤにはありとあらゆる娯楽施設が用意されています。ゴーゴーバー、マッサージパーラー、オープンバー、ムエタイショー、ディスコ、カラオケ、置屋、・・・、と、しばらくこんなところで生活すれば社会復帰ができなくなってしまうのではないかという気にすらなります。
また、世界中からゲイが集まってくるリゾートとしても有名で、実際、パタヤのゲイ・ストリートに足を踏み入れれば、西洋人やタイ人だけでなく、日本人のゲイも大勢集まっていることに驚きます。
そんなパタヤで、今年で第10回となる毎年恒例の一大イベントが先月開かれました。
それは「ミス・ティファニー・ユニバース」という名のミスコンですが、通常のミスコンとは少し趣が異なります。このコンテストでは、最も美しいレディボーイが選ばれます。
「レディボーイ」という言い方は日本ではあまり馴染みがなく「ニューハーフ」とする方が分かりやすいかもしれません。英語では、lady-boyのほか、she-maleと呼ばれることもあります。医学的には、transvestiteと呼ばれることが多いようですが、この表現は差別的なニュアンスがあると言う人もいます。タイでは、カトゥーイと呼ばれます。(ただし、日本語にない母音が含まれるためこのまま発音しても通じません)
さて、今年で第10回となる記念すべきコンテストで見事栄冠を手にしたのは、カセサート大学に通う20歳の大学生タンヤラート・ジラパッパコーン(Thanyarat Jirapatpakorn)さんです。
ミス・ティファニー・ユニバースの映像はYouTubeなどで見ることができるため、ご覧になられた方も多いと思いますが、ステージに立つ彼女らの美しさに圧倒されてしまいます。
栄冠を手にしたタンヤラートさんをはじめ、これだけの美貌をもつ彼女たちは今後華やかな人生を歩むかのように見えますが、必ずしもそうなるわけではありません。
他国と同様、タイでも彼女たちに対する差別や偏見が存在するのです。
たしかに、タイのショービジネスにはレディボーイの存在が欠かせません。レディボーイのショーを売り物とした高級クラブは数多く存在し日本からの観光客もよく訪れます。(私は、何度かそういったクラブに行くことを試みたのですが、あまりにも値段が高いためにいつも断念してしまいます。安くても日本円にして5000円以上もするのです・・・)
また、タイの映画では、レディボーイが主役を演じたり、名脇役としてレディボーイが登場したりすることが少なくありません。
しかしながら、彼女たちが芸能社会で活躍できるのは、彼女らの"性"が興味深いからであり、その"性"がコマーシャリズムに利用されているからに他なりません。
バンコクのスリナカリンウィロット大学(Srinakharinwirot University)の臨床心理学者ヴァンロップ・ピヤマノタム(Vanlop Piyamanotham)氏は、彼女たちの"性"の歪んだ利用のされ方に危機感を抱いています。
「以前は男女のポルノグラフィーが盛んだったが、やがてそれらに飽きる人がでてきた。その結果、幼児とのセックス、高齢者とのセックス、障害者とのセックスなどを描いたポルノが氾濫するようになった。これはビデオ供給者が人々を新たな興奮に導こうと策略したものだ。今後レディボーイが利用されることになりかねないのではないか・・・」
ヴァンロップ氏はバンコクポストの取材に対しこのようにコメントしています。
レディボーイが普通の会社に就職しにくいことも彼女らを悩ませています。
2000年のミス・ティファニー・ユニバースでグランプリに輝いたソムさん(「ソム」はニックネームで、本名はChanya Moranoさん)は言います。
「何度も何度も仕事を求めて面接に行ったわ。だけど私はレディボーイであるという理由で決して採用されないの。何度失望したか分からないわ・・・」
ミス・ティファニー・ユニバースの主催者は、「彼女たちには可能性がある。我々は彼女らに仕事の機会を与えているのだ」と言いますが、グランプリを取ったソムさんでさえ(普通の会社には)就職ができないのです。
結局のところ、彼女たちはショービジネスで利用されているにすぎないのかもしれません・・・
世界最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)には、常に何人かのレディボーイのHIV陽性者がいます。彼女たちはHIVに感染し、体力が低下していますが、ほぼ毎日のように、ホスピスを訪れる観光客に対してショーを演じて観光客を楽しませています。ショーを演じるのはわずか数十分ですが、化粧と衣装合わせに数時間を費やしています。
私がタイで初めて出会ったレディボーイはパバナプ寺のジョイ(仮名)と言います。ジョイは、どんなに疲れていても毎日綺麗に着飾って必ず観光客の前でステージに立っていました。悲観的な表情は一切見せず、私は彼女の底抜けの明るさに何度も励まされました。
去年も今年も、ミス・ティファニー・ユニバースの報道をみて、私の心に浮かんだのはジョイの美しい笑顔です。
彼女の明るさを前にすると想像することすらできませんでしたが、やはり彼女も実社会では差別を受けていたのでしょう・・・
参考:Bangkok Post 2007年5月17日 「Lady boys become a business」
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注1 ここではレディボーイたちの三人称を「彼女」としていますが、これは正確でないかもしれません。戸籍上は「彼」ですし、レディボーイたちの性自認は必ずしも女性であるわけではありません。しかし、これ以上の議論は話が複雑になりますのでここでは「彼女」としておきます。
注2 今年の優勝者タンヤラートさんの写真はhttp://www.thaiphotoblogs.com/index.php?blog=5&p=463&more=1&c=1&tb=1&pb=1で見ることができます
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第11回 "Independent Sex Workers in Thailand"(2007年5月)
2007年5月16日、この日はGINA初の国際学会での発表となりました。(大きな学会での発表は昨年の日本エイズ学会に次いで2回目となります)
今回の国際学会は、International Society of Psychosomatic Obstetrics and Gynecology(ISPOG)という名前の国際学会で、日本語にすれば「国際女性心身医学会」となると思います。15回目となる今年の大会は京都で開かれました。
なぜ、女性心身医学会とGINAが関係あるかというと、今回のシンポジウムのなかに、Infection and female mental state(感染症と女性の精神状態)というものがあり、そのシンポジウムのなかで、GINAが昨年おこなった研究の「タイのフリーの売春婦について」の発表の場をいただいたというわけです。
「フリーの売春婦」というのは、店に所属せずに個人で客をとる売春婦のことですが、「free sex workers」とすれば、「無料の売春婦」となってしまいます。「フリーの売春婦」の英語は「Independent sex workers」です。
発表の時間は12分しかなかったために、GINAが主張したかったことの一部しか話せませんでしたが、発表の後、世界中の参加者から多くの質問や意見をいただくことになり、大勢の方々に興味深く聞いてもらえたのではないかと感じています。
なかでも、もっとも興味をもってもらえたと思われるのが、GINAの調査で明らかとなった、「顧客の数が少ないほど性感染症に罹患しやすい」という意外な結果です。そしてこの理由を、「タイのフリーの売春婦は外国人の顧客と親密な関係(intimate friend)になりやすく、危険な性行為(unprotected sex)に陥りやすい」とGINAでは考えています。
考えてみれば、売春婦が多い国は何もタイだけでなく、中国、韓国、ロシア、フィリピン、・・・、といくらでもあります。ヨーロッパではほとんどの国で個人売春は合法ですし、オランダの飾り窓については説明はいらないでしょう。日本でも性風俗に従事する女性は少なくありませんし、一応売春は非合法ですが個人売春をしている女性などいくらでもいます。
古今東西どこの地域にも売春に従事する女性は少なくないのに、タイでのみ、外国人が容易に売春婦と恋仲になり、その結果、性感染症に罹患するというのは非常に興味深いと言えるでしょう。
さて、私が発表をおこなったシンポジウムには、私の他にもタイの売春事情について発表をおこなった演者がいます。
ひとりは、タイ国ソンクラー県のタクシン大学(日本語で"タクシン"と書くと前首相のタクシンと同じになりますが、タイ語では発音が異なりタクシン大学とタクシン前首相はまったく関係がありません)のChutarat教授です。
Chutarat教授は、昨年私がタクシン大学まで訪ねた教授で、同教授はその頃ソンクラー県の置屋などで働く売春婦の調査とケアをおこなっていました。私がそのフィールドワークに参加させてもらったこともあり、Chutarat教授の発表の共同演者に私の名前も入れてもらっていました。
置屋などで働く売春婦のことを「Dependent sex worker」または「Direct sex worker」と言います。シンポジウムでは結果として、タイのdependent sex workerとindependent sex workerの双方の研究発表がおこなわれたこととなり、興味深いコラボレーションになったのではないかと思います。
もうひとり、タイの売春婦について話した演者がいます。彼女は神戸大学大学院のAlexander教授で、内容は世界中の(強制)移民についてです。国境を越え仕事を求めて移住をおこなう女性たちのなかには売春産業に従事する(させられる)ものが少なくなく、その例として、ラオスからタイに渡り売春をおこなう女性について話されていました。
結局、合計6人の演者のうち、私を含めた3人がタイの売春婦についての話をおこなったことになります。まとめ方はそれぞれ異なりますが、タイの売春婦についての問題提示をおこなったという点で、タイでの売買春の問題が浮き彫りにされたのではないかと思われます。
**************
私は今年の1月から大阪の東梅田でクリニックをオープンさせていますが、タイでHIVに感染したかもしれないといって受診する患者さんが大変多いことに驚いています。海外でHIVを含む性感染症に罹患した(かもしれない)と言ってクリニックを受診する人に、「どこの国ですか」と尋ねると、中国と並んでタイがトップです。
患者さんに尋ねると、中国とタイには異なった特徴があります。中国で性感染症に罹患した(かもしれない)人のほとんどは、仕事で中国に行き、仕事の一環で(?)売春婦と関係をもっています。なかには、中国でビジネスをおこなうためには買春は避けて通れない、と言う人までいます。
一方、タイで感染した(かもしれない)と言って受診する人は、仕事の関係で・・・、と答える人もなかにはいますが、大半はバカンスでタイに行ってタイの女性と関係をもっています。
しかも、そのタイの女性というのが、マッサージパーラーや置屋で働く女性ではなく、バーやコーヒーショップで知り合った女性であることが多いのです。興味深いことに、彼らの多くは買春をおこなったという意識がなく、「偶然知り合った」、「ナンパで知り合った」という表現を使います。
もちろん、実際にそうであることもあるでしょうし、なかには本当の恋人の関係や結婚にまでいたるケースもあります。しかしながら、GINAの調査でも明らかになったように、そのような店で外国人男性との出会いを求めている女性の多くは売春を目的としています。
最初は売春婦と顧客の関係であっても、幸せな関係を築いているカップルは珍しくありませんが、恋に盲目になる前にHIVを含む性感染症のリスクを考えるべきだというのはGINAが一貫して主張していることです。
今回の国際学会で主張した、「多くの顧客をとる売春婦よりも週に1人以下の顧客しかとらない売春婦の方が性感染症に罹患しやすい」、ということはもっと注目されてもいいのではないかと思います。
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今回の国際学会は、International Society of Psychosomatic Obstetrics and Gynecology(ISPOG)という名前の国際学会で、日本語にすれば「国際女性心身医学会」となると思います。15回目となる今年の大会は京都で開かれました。
なぜ、女性心身医学会とGINAが関係あるかというと、今回のシンポジウムのなかに、Infection and female mental state(感染症と女性の精神状態)というものがあり、そのシンポジウムのなかで、GINAが昨年おこなった研究の「タイのフリーの売春婦について」の発表の場をいただいたというわけです。
「フリーの売春婦」というのは、店に所属せずに個人で客をとる売春婦のことですが、「free sex workers」とすれば、「無料の売春婦」となってしまいます。「フリーの売春婦」の英語は「Independent sex workers」です。
発表の時間は12分しかなかったために、GINAが主張したかったことの一部しか話せませんでしたが、発表の後、世界中の参加者から多くの質問や意見をいただくことになり、大勢の方々に興味深く聞いてもらえたのではないかと感じています。
なかでも、もっとも興味をもってもらえたと思われるのが、GINAの調査で明らかとなった、「顧客の数が少ないほど性感染症に罹患しやすい」という意外な結果です。そしてこの理由を、「タイのフリーの売春婦は外国人の顧客と親密な関係(intimate friend)になりやすく、危険な性行為(unprotected sex)に陥りやすい」とGINAでは考えています。
考えてみれば、売春婦が多い国は何もタイだけでなく、中国、韓国、ロシア、フィリピン、・・・、といくらでもあります。ヨーロッパではほとんどの国で個人売春は合法ですし、オランダの飾り窓については説明はいらないでしょう。日本でも性風俗に従事する女性は少なくありませんし、一応売春は非合法ですが個人売春をしている女性などいくらでもいます。
古今東西どこの地域にも売春に従事する女性は少なくないのに、タイでのみ、外国人が容易に売春婦と恋仲になり、その結果、性感染症に罹患するというのは非常に興味深いと言えるでしょう。
さて、私が発表をおこなったシンポジウムには、私の他にもタイの売春事情について発表をおこなった演者がいます。
ひとりは、タイ国ソンクラー県のタクシン大学(日本語で"タクシン"と書くと前首相のタクシンと同じになりますが、タイ語では発音が異なりタクシン大学とタクシン前首相はまったく関係がありません)のChutarat教授です。
Chutarat教授は、昨年私がタクシン大学まで訪ねた教授で、同教授はその頃ソンクラー県の置屋などで働く売春婦の調査とケアをおこなっていました。私がそのフィールドワークに参加させてもらったこともあり、Chutarat教授の発表の共同演者に私の名前も入れてもらっていました。
置屋などで働く売春婦のことを「Dependent sex worker」または「Direct sex worker」と言います。シンポジウムでは結果として、タイのdependent sex workerとindependent sex workerの双方の研究発表がおこなわれたこととなり、興味深いコラボレーションになったのではないかと思います。
もうひとり、タイの売春婦について話した演者がいます。彼女は神戸大学大学院のAlexander教授で、内容は世界中の(強制)移民についてです。国境を越え仕事を求めて移住をおこなう女性たちのなかには売春産業に従事する(させられる)ものが少なくなく、その例として、ラオスからタイに渡り売春をおこなう女性について話されていました。
結局、合計6人の演者のうち、私を含めた3人がタイの売春婦についての話をおこなったことになります。まとめ方はそれぞれ異なりますが、タイの売春婦についての問題提示をおこなったという点で、タイでの売買春の問題が浮き彫りにされたのではないかと思われます。
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私は今年の1月から大阪の東梅田でクリニックをオープンさせていますが、タイでHIVに感染したかもしれないといって受診する患者さんが大変多いことに驚いています。海外でHIVを含む性感染症に罹患した(かもしれない)と言ってクリニックを受診する人に、「どこの国ですか」と尋ねると、中国と並んでタイがトップです。
患者さんに尋ねると、中国とタイには異なった特徴があります。中国で性感染症に罹患した(かもしれない)人のほとんどは、仕事で中国に行き、仕事の一環で(?)売春婦と関係をもっています。なかには、中国でビジネスをおこなうためには買春は避けて通れない、と言う人までいます。
一方、タイで感染した(かもしれない)と言って受診する人は、仕事の関係で・・・、と答える人もなかにはいますが、大半はバカンスでタイに行ってタイの女性と関係をもっています。
しかも、そのタイの女性というのが、マッサージパーラーや置屋で働く女性ではなく、バーやコーヒーショップで知り合った女性であることが多いのです。興味深いことに、彼らの多くは買春をおこなったという意識がなく、「偶然知り合った」、「ナンパで知り合った」という表現を使います。
もちろん、実際にそうであることもあるでしょうし、なかには本当の恋人の関係や結婚にまでいたるケースもあります。しかしながら、GINAの調査でも明らかになったように、そのような店で外国人男性との出会いを求めている女性の多くは売春を目的としています。
最初は売春婦と顧客の関係であっても、幸せな関係を築いているカップルは珍しくありませんが、恋に盲目になる前にHIVを含む性感染症のリスクを考えるべきだというのはGINAが一貫して主張していることです。
今回の国際学会で主張した、「多くの顧客をとる売春婦よりも週に1人以下の顧客しかとらない売春婦の方が性感染症に罹患しやすい」、ということはもっと注目されてもいいのではないかと思います。
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第10回 HIV検査でわかる生命の尊さ(07年 4月)
1990年11月某日、大通りの歩道を歩いていた私は、アスファルトの隙間から必死に背を伸ばそうとしている雑草にふと目がとまりました。
なんて美しいんだろう・・・
その大通りは当時私が住んでいたマンションの前に位置しており、最低でも日に2回はその雑草の横を通り過ぎていたことになります。しかし、アスファルトのかたちを変えてしまうほど力強く伸びようとしているその生命に気付いたのはそのときが初めてでした。
ひとつの命の美しさに心をとらわれた私は、その場にしゃがみ込みその生命をじっくりと眺めました。
これから私は大阪市北区の保健所に検査の結果を聞きにいかなくてはなりません。
ちょうど一週間前の昼下がり、さんざん悩んだ挙句、私はHIV抗体検査を受けました。検査を受けるということは、陽性と告知される可能性があると考えていたからです。
エイズが日本で初めて報告されたのは1987年、たしか神戸の女性ではなかったかと記憶しています。
「コンドームは避妊のためだけでなくエイズ予防のために使いましょう」
そのようなことが言われてはいましたが、エイズなんて完全に他人ごとであり、自分に限ってあり得ないなどと何の根拠もなく信じていました。当時の私は自分が医者になるなどとは夢にも思っていなかったのです。
1987年から1990年までの四年間というのは、私が関西の私立大学に在籍していた四年間であり、今思い出してみても大きな苦悩を感じた記憶がほとんどありません。時はバブル経済真っ盛り、毎日がお祭りみたいな時代でした。
数日間続くお祭りの最後の夜が憂鬱な気分になるのと同じように、大学四年生の後半、HIVに感染したかもしれないという不安が突然私を苦しめ始めました。
これまでにセックスした女性がHIV陽性である確率は△△%で、その女性たちから感染する確率は◇◇%くらい、そしてこれらを掛け合わせると天文学的な数字になる。だから自分が感染している確率なんてほぼゼロに等しい・・・。けど、"ゼロ"と"ほぼゼロに等しい"は似ているようでまったく異なる・・・。それに外国人が相手のときはHIV陽性である可能性が高くなるかもしれないから××%で計算しなおさなければ・・・
こんな無意味な試算をどれだけおこなったか分かりません。
これ以上悩んでも何も解決しない・・・
そのことに気付いた私は意を決して検査を受けることにしました。検査は思ったよりも短時間で終わり、まるで健康診断のときの採血のようでした。今考えると、当時はHIV検査の際のカウンセリングなんてものはきちんと考えられていなかったのでしょう。
検査はあっけなく終わりましたが、結果が出るのは1週間後。その間、不安に苛まれながら過ごさなければなりません。当時は即日検査というものがありませんでしたから、誰もが一週間もの間、押し寄せてくる不安と戦わなければならなかったのです。
眠れない夜が七日間も続きいよいよ検査結果を聞きに行く日。ふと私の目にとまったのが冒頭で述べたアスファルトから顔を出した雑草です。
アスファルトの隙間をこじ開けるかのように存在を誇示しているその雑草は、しかしながらほとんどの人が気にも止めません。視界に入ったとしても一秒後には記憶から消し去られていることでしょう。一日に何度も踏み続けられているに違いありませんが、踏みつけた人たちすらも気付かないような存在なのです。
誰からも関心を持たれることがなく、命を絶ったとしても気付かれることすらないかもしれないその雑草を眺めていると、生命の尊さが私の心の奥深くに刻まれていくようでした。
**************
あれから17年近くがたちました。
私は医師となり、ほぼ毎日のようにHIVを含めた性感染症の患者さんを診察するようになりました。また、HIVの検査もほぼ毎日のようにおこなっています。
時代は流れ、検査は即日結果を聞くことができるようになり、また、たとえHIVに感染してもエイズを発症させない薬も普及するようになりました。
私が検査を受けた1990年は、まだ有効な薬がなく、エイズとは「死にいたる病」だったのです。
私の検査結果が陰性だったことは、単に陰性であることでホッとした、という感覚よりも深い意味を私に与えてくれました。一週間の眠れない夜を通して私が思い巡らせたことは単にこれまで経験した女性たちだけではありません。自分が幼少児の頃のこと、両親や兄弟のこと、友達や恋人のこと、そしてこれからの自分の将来のこと・・・。
これらに思いを巡らせ生命の尊さを感じた私は、HIVの検査に、そして考える機会を与えてくれたあの苦悩の一週間に感謝をしています。
あのとき私に生命の尊さを教えてくれた雑踏のなかの雑草にも感謝をしています。検査結果を聞いた帰り道も、その雑草は力強く背を伸ばしていました。
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なんて美しいんだろう・・・
その大通りは当時私が住んでいたマンションの前に位置しており、最低でも日に2回はその雑草の横を通り過ぎていたことになります。しかし、アスファルトのかたちを変えてしまうほど力強く伸びようとしているその生命に気付いたのはそのときが初めてでした。
ひとつの命の美しさに心をとらわれた私は、その場にしゃがみ込みその生命をじっくりと眺めました。
これから私は大阪市北区の保健所に検査の結果を聞きにいかなくてはなりません。
ちょうど一週間前の昼下がり、さんざん悩んだ挙句、私はHIV抗体検査を受けました。検査を受けるということは、陽性と告知される可能性があると考えていたからです。
エイズが日本で初めて報告されたのは1987年、たしか神戸の女性ではなかったかと記憶しています。
「コンドームは避妊のためだけでなくエイズ予防のために使いましょう」
そのようなことが言われてはいましたが、エイズなんて完全に他人ごとであり、自分に限ってあり得ないなどと何の根拠もなく信じていました。当時の私は自分が医者になるなどとは夢にも思っていなかったのです。
1987年から1990年までの四年間というのは、私が関西の私立大学に在籍していた四年間であり、今思い出してみても大きな苦悩を感じた記憶がほとんどありません。時はバブル経済真っ盛り、毎日がお祭りみたいな時代でした。
数日間続くお祭りの最後の夜が憂鬱な気分になるのと同じように、大学四年生の後半、HIVに感染したかもしれないという不安が突然私を苦しめ始めました。
これまでにセックスした女性がHIV陽性である確率は△△%で、その女性たちから感染する確率は◇◇%くらい、そしてこれらを掛け合わせると天文学的な数字になる。だから自分が感染している確率なんてほぼゼロに等しい・・・。けど、"ゼロ"と"ほぼゼロに等しい"は似ているようでまったく異なる・・・。それに外国人が相手のときはHIV陽性である可能性が高くなるかもしれないから××%で計算しなおさなければ・・・
こんな無意味な試算をどれだけおこなったか分かりません。
これ以上悩んでも何も解決しない・・・
そのことに気付いた私は意を決して検査を受けることにしました。検査は思ったよりも短時間で終わり、まるで健康診断のときの採血のようでした。今考えると、当時はHIV検査の際のカウンセリングなんてものはきちんと考えられていなかったのでしょう。
検査はあっけなく終わりましたが、結果が出るのは1週間後。その間、不安に苛まれながら過ごさなければなりません。当時は即日検査というものがありませんでしたから、誰もが一週間もの間、押し寄せてくる不安と戦わなければならなかったのです。
眠れない夜が七日間も続きいよいよ検査結果を聞きに行く日。ふと私の目にとまったのが冒頭で述べたアスファルトから顔を出した雑草です。
アスファルトの隙間をこじ開けるかのように存在を誇示しているその雑草は、しかしながらほとんどの人が気にも止めません。視界に入ったとしても一秒後には記憶から消し去られていることでしょう。一日に何度も踏み続けられているに違いありませんが、踏みつけた人たちすらも気付かないような存在なのです。
誰からも関心を持たれることがなく、命を絶ったとしても気付かれることすらないかもしれないその雑草を眺めていると、生命の尊さが私の心の奥深くに刻まれていくようでした。
**************
あれから17年近くがたちました。
私は医師となり、ほぼ毎日のようにHIVを含めた性感染症の患者さんを診察するようになりました。また、HIVの検査もほぼ毎日のようにおこなっています。
時代は流れ、検査は即日結果を聞くことができるようになり、また、たとえHIVに感染してもエイズを発症させない薬も普及するようになりました。
私が検査を受けた1990年は、まだ有効な薬がなく、エイズとは「死にいたる病」だったのです。
私の検査結果が陰性だったことは、単に陰性であることでホッとした、という感覚よりも深い意味を私に与えてくれました。一週間の眠れない夜を通して私が思い巡らせたことは単にこれまで経験した女性たちだけではありません。自分が幼少児の頃のこと、両親や兄弟のこと、友達や恋人のこと、そしてこれからの自分の将来のこと・・・。
これらに思いを巡らせ生命の尊さを感じた私は、HIVの検査に、そして考える機会を与えてくれたあの苦悩の一週間に感謝をしています。
あのとき私に生命の尊さを教えてくれた雑踏のなかの雑草にも感謝をしています。検査結果を聞いた帰り道も、その雑草は力強く背を伸ばしていました。
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第 9回 GINAは風俗嬢を応援します!(07年 3月)
タイのNGOに「エンパワー・ファウンデーション(Empower Foundation)」という組織があります。この代表者がチャンタウィパ・アピスク氏(Ms.Chantawipa Apisuk)という女性です。
チャンタウィパ氏は、1947年にバンコクで生まれ、タマサート大学の社会人類学部を卒業し、その後ニューヨークに渡り人権についての研究をおこなっています。1984年にタイに帰国し、すぐに「エンパワー・ファウンデーション」を設立しました。
チャンタウィパ氏は、まずパッポン(バンコクのゴーゴーバーが密集する地域)に事務所を設立し、パッポンのバーで働く売春婦たちに英語のレッスンをおこないました。外国人の買春客に対して、対等に交渉するコミュニケーション力を身に付けてもらうことが目的でした。
しかし、パッポンの売春婦たちが身に付けたのはコミュニケーション能力だけではありませんでした。英語圏の文化に触れたことにより、当時のタイにはほとんど存在しなかった女性の人権というものを売春婦たちが理解するようになり、現在ではいろんなセミナーやフォーラムで、女性の、そして売春婦の人権が訴えられるようにまでなりました。現在、検討されているタイの新憲法の原案に対しても意見を言えるようにまでなっています。
チャンタウィパ氏のスマートなところは、法律や警察の力を初めから当てにしていないことです。氏は言います。
「この国では1960年から売春行為は法律で禁止されているわ。けど、現実は今でも売春婦の数は増え続けているのよ。法律に頼って何ができるというの? 警察だって同じよ。警察は時々、売春施設に踏み込んで売春婦を摘発しているけど、それが彼女たちに少しでも幸せをもたらしているかしら。警察はときに彼女たちを逮捕して写真を公開するようなこともしているわ。それを見た両親や親戚は恥かしい思いをしているのよ。彼女たちは両親を助けるために売春をおこなっているのよ。警察はそんな彼女たちを"犯罪者"として扱っているだけだわ」
チャンタウィパ氏は、高い理想を掲げながらも、単なる理想主義に走ることなく現実を適切にみていると言えるでしょう。氏は言います。
「売春婦はこの社会から決して消えることがないという現実に目を向けるべきです。ならば、他の職業と同様、その価値を認めるべきなのです」
現在「エンパワー・ファウンデーション」が売春婦たちにおこなっているのは、「教育」と「(性感染症の)予防」です。チャンタウィパ氏は、政府が予算を削っているせいで、いったん減少しかけたHIVの感染率も、売春婦たちの間、そして買春客の間で再び上昇に転じていることを指摘しています。
**********
「売春はよくない」とキレイ事を言ったところで何も始まりません。チャンタウィパ氏が指摘するように、売春婦はこの社会から決して消えることがありません。古今東西を振り返って売春婦がいない地域など存在しないのです。
そもそも法律や警察なんてものはそれほど当てにできません(と私は考えています)。
例えば、日本では1992年に暴対法が施行されましたが、これによって犯罪は減ったでしょうか。否、むしろ凶悪犯罪や地下組織の犯罪が増加しているのが現状です。この法律の根底にあるのが「暴力団など社会に存在してはいけない」という"キレイ事"です。
しかし、売春と同様、暴力団、ヤクザ、マフィアなどが存在しない社会などはありません(北朝鮮が唯一の例外とする考え方もあります)。官僚や政治家がその非現実的な"キレイ事"を社会に押し付けたために、それまでは一応表の世界にいられた暴力団の構成員たちは地下に潜ることになりました。暴力団の構成員だって社会の一員です。にもかかわらず、彼らからは税金は取るが人権は認めないという政策を無理やり施行したのが暴対法ではないかと私は考えています。
さて、売春婦の話に戻しましょう。チャンタウィパ氏が主張するように、道徳的な良し悪しは別にして、売春婦という存在がある以上は、彼女たちの人権を擁護し健康上のリスクから彼女たちを守ることを考えるべきです。
***********
GINAは今月から、「風俗嬢が身を守るために」と題して、無料のセミナーをおこなっています。このセミナーでは、性感染症のことだけでなく、日本の風俗嬢がよく訴える身体的な悩みや精神的な悩み、さらに暴力などのリスクについてもアドバイスをおこなっています。
風俗嬢であることを堂々とアピールする必要はありませんが、どんな職業に従事する人間にも社会的人権があり、病気のリスクを回避し健康に生きる権利があります。GINAは、そんな女性たち(男性たちも)をこれからも応援していきます。
最後に、「エンパワー・ファウンデーション」がつくっているTシャツに掲げられているスローガンをご紹介いたします。
「良い女の子は天国に行く。悪い女の子はどこへでも行ける!」(Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.)
参考:Bangkok Post (Perspective) 2007年3月11日 「Empowering "bad girls"」
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チャンタウィパ氏は、1947年にバンコクで生まれ、タマサート大学の社会人類学部を卒業し、その後ニューヨークに渡り人権についての研究をおこなっています。1984年にタイに帰国し、すぐに「エンパワー・ファウンデーション」を設立しました。
チャンタウィパ氏は、まずパッポン(バンコクのゴーゴーバーが密集する地域)に事務所を設立し、パッポンのバーで働く売春婦たちに英語のレッスンをおこないました。外国人の買春客に対して、対等に交渉するコミュニケーション力を身に付けてもらうことが目的でした。
しかし、パッポンの売春婦たちが身に付けたのはコミュニケーション能力だけではありませんでした。英語圏の文化に触れたことにより、当時のタイにはほとんど存在しなかった女性の人権というものを売春婦たちが理解するようになり、現在ではいろんなセミナーやフォーラムで、女性の、そして売春婦の人権が訴えられるようにまでなりました。現在、検討されているタイの新憲法の原案に対しても意見を言えるようにまでなっています。
チャンタウィパ氏のスマートなところは、法律や警察の力を初めから当てにしていないことです。氏は言います。
「この国では1960年から売春行為は法律で禁止されているわ。けど、現実は今でも売春婦の数は増え続けているのよ。法律に頼って何ができるというの? 警察だって同じよ。警察は時々、売春施設に踏み込んで売春婦を摘発しているけど、それが彼女たちに少しでも幸せをもたらしているかしら。警察はときに彼女たちを逮捕して写真を公開するようなこともしているわ。それを見た両親や親戚は恥かしい思いをしているのよ。彼女たちは両親を助けるために売春をおこなっているのよ。警察はそんな彼女たちを"犯罪者"として扱っているだけだわ」
チャンタウィパ氏は、高い理想を掲げながらも、単なる理想主義に走ることなく現実を適切にみていると言えるでしょう。氏は言います。
「売春婦はこの社会から決して消えることがないという現実に目を向けるべきです。ならば、他の職業と同様、その価値を認めるべきなのです」
現在「エンパワー・ファウンデーション」が売春婦たちにおこなっているのは、「教育」と「(性感染症の)予防」です。チャンタウィパ氏は、政府が予算を削っているせいで、いったん減少しかけたHIVの感染率も、売春婦たちの間、そして買春客の間で再び上昇に転じていることを指摘しています。
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「売春はよくない」とキレイ事を言ったところで何も始まりません。チャンタウィパ氏が指摘するように、売春婦はこの社会から決して消えることがありません。古今東西を振り返って売春婦がいない地域など存在しないのです。
そもそも法律や警察なんてものはそれほど当てにできません(と私は考えています)。
例えば、日本では1992年に暴対法が施行されましたが、これによって犯罪は減ったでしょうか。否、むしろ凶悪犯罪や地下組織の犯罪が増加しているのが現状です。この法律の根底にあるのが「暴力団など社会に存在してはいけない」という"キレイ事"です。
しかし、売春と同様、暴力団、ヤクザ、マフィアなどが存在しない社会などはありません(北朝鮮が唯一の例外とする考え方もあります)。官僚や政治家がその非現実的な"キレイ事"を社会に押し付けたために、それまでは一応表の世界にいられた暴力団の構成員たちは地下に潜ることになりました。暴力団の構成員だって社会の一員です。にもかかわらず、彼らからは税金は取るが人権は認めないという政策を無理やり施行したのが暴対法ではないかと私は考えています。
さて、売春婦の話に戻しましょう。チャンタウィパ氏が主張するように、道徳的な良し悪しは別にして、売春婦という存在がある以上は、彼女たちの人権を擁護し健康上のリスクから彼女たちを守ることを考えるべきです。
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GINAは今月から、「風俗嬢が身を守るために」と題して、無料のセミナーをおこなっています。このセミナーでは、性感染症のことだけでなく、日本の風俗嬢がよく訴える身体的な悩みや精神的な悩み、さらに暴力などのリスクについてもアドバイスをおこなっています。
風俗嬢であることを堂々とアピールする必要はありませんが、どんな職業に従事する人間にも社会的人権があり、病気のリスクを回避し健康に生きる権利があります。GINAは、そんな女性たち(男性たちも)をこれからも応援していきます。
最後に、「エンパワー・ファウンデーション」がつくっているTシャツに掲げられているスローガンをご紹介いたします。
「良い女の子は天国に行く。悪い女の子はどこへでも行ける!」(Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.)
参考:Bangkok Post (Perspective) 2007年3月11日 「Empowering "bad girls"」
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