GINAと共に
第23回 「HIV恐怖症」という病(2008年5月)
これから述べる訴えはすべて実際の患者さんからのものです。あなたはどう思いますか。
【症例1】 32歳男性
先日コンビニで買い物をしてレジでお釣りをもらうときに店員がくしゃみをした。そのくしゃみが自分の身体にかかったような気がする。HIVに感染していないか心配・・・
【症例2】 28歳女性
先日駅の公衆トイレを利用した。用を足した後、便器が濡れていることに気付いた。HIVに感染していないか心配・・・
【症例3】 42歳男性 インド人
先日道に落ちていたハンカチを拾った。広げると体液のようなものがついていたような気がする。後から自分の指に「さかむけ」があったことが分かった。HIVに感染していないか心配・・・
さて、彼(女)らがHIVに感染している可能性はあるでしょうか。
もちろん答えは「可能性はない」です。
しかし、彼(女)らはHIVに感染しているという可能性を"真剣に"考えてクリニックを受診しています。
クリニックでHIVの検査をおこなうと有料になります。しかも、これらは到底感染しているとは思えないケースであり、特に自覚症状もないわけですから、HIVの検査には保険適用がありません。つまり、検査をするのは自費扱いとなります。
にもかかわらず、こういったことでHIVを心配する患者さんは少なくありません。私が院長をつとめるすてらめいとクリニックでも、月に1~2名はこういったことでHIVの検査を希望される方が来られます。
もちろん、診察をした上で、「その程度のことでHIVに感染していることはありえないから検査を受ける必要がない」ことを説明します。しかし、なかには「どうしても不安をぬぐいきれないから自費でもいいから検査を受けたい」という人もいます。
私はこういったケースを「HIV恐怖症」と呼んでいます。(英語のできる外国人に説明するときは「HIV phobia」と言います)
HIV恐怖症は、理屈の上で感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できないという特徴があります。
HIVはそんなに簡単に感染する感染症ではありません。一方、HIVよりははるかに感染しやすいような感染症、例えばB型肝炎ウイルスや梅毒に対してはどうかというと、不思議なことに彼(女)らはあまり気にしていません。特に、B型肝炎は感染力が極めて強いですし(唾液から感染したという報告もあります)、感染すると命にかかわる状態になることもあるのに、なぜか「B型肝炎ウイルス恐怖症」という病は(私の知る限り)存在しません。
HIV恐怖症に罹患する人の特徴を簡単に紹介します。男女比は、圧倒的に男性に多く、私の印象では、男性:女性=8:2くらいです。年齢は10代半ばから50歳くらいまでです。興味深いのは、比較的高学歴者に多いという点です。職業でいえば、学校教師、税理士、医師、など比較的高い地位と考えられている職種に多いのが特徴です。
「医師がなぜ?」と思われるかもしれませんが、HIV恐怖症は「理屈の上では感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できない」のが特徴です。HIVについて知識のある医師でもそれは同じなのです。
彼(女)らは、少しでも感染の可能性がないかを必死で考えています。例えば、症例1では、「コンビニの店員がその日に歯の治療を受けていたということはないだろうか。治療後間もないために口腔内に出血があり、くしゃみをして自分の皮膚にかかったとすればどうだろう。自分の皮膚に傷はないが、もしかして自分でも気付いていない目に見えない小さな傷があるのではないだろうか。そういえば昨日の晩、腕がかゆくてかいたかもしれない。そこからHIVが侵入した可能性は否定できない・・・」、といった感じです。
私は、HIV恐怖症の人を診察したとき、感染の可能性はなく検査はお金の無駄であることを説明しますが、なかにはあえて検査を受けてもらう場合もあります。それは、検査の結果を示すことで不安が払拭できることを期待する場合です。しかし、なかには、検査の過程で他人の血液と入れ替わったのではないか・・・、など検査結果の信憑性に不安をもつ人もいます。
HIV恐怖症の人を診察したときに、私が最も重要視していることは、「どうやって不安を取り除くか」です。ケースによっては、不眠や頭痛、胃痛、食欲不振などが伴っていることもありますから、こういった症状についてもケアが必要になってきます。頭痛薬や胃薬が有効なこともありますし、不安をやわらげるような薬が必要になることもあります。一時的に睡眠薬を処方することもあります。
HIV恐怖症が重症化すると、ときにやっかいな事態になることがあります。それは、検査を受けてHIVが陰性であることが分かり、それを納得できるようになったとしても、今度は別のことで「不安」になるのです。HIV恐怖症という不安が別の不安に置き換わるのです。例えば、今まで思ってもみなかった仕事のことや家族のことに対する不安が出現してくるのです。
「不安」というのはある程度のところで断ち切ってあげないと、次から次へと「不安の連鎖」が起こることがあります。これは、ちょうど「痛み」や「アレルギー」に対して、適切な治療をしないと、どんどん症状が悪化していくのと似ています。
最後に、「リスクのある行為からどれくらい時間がたてば検査ができるか」について述べておきます。どのような検査をするかにもよりますが、不安が強い人は、「抗体検査」ではなく「抗原検査」を受けるべきかもしれません。
「抗原」とはHIVそのもののことで、抗原検査にも様々なものがありますが、例えば、すてらめいとクリニックでおこなっている抗原検査は9~11日程度経過していれば検査が可能です。
自分もHIV恐怖症かもしれない・・・。そのように思う方は医療機関を受診してみればいかがでしょうか。
不安が大きすぎないうちに・・・
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【症例1】 32歳男性
先日コンビニで買い物をしてレジでお釣りをもらうときに店員がくしゃみをした。そのくしゃみが自分の身体にかかったような気がする。HIVに感染していないか心配・・・
【症例2】 28歳女性
先日駅の公衆トイレを利用した。用を足した後、便器が濡れていることに気付いた。HIVに感染していないか心配・・・
【症例3】 42歳男性 インド人
先日道に落ちていたハンカチを拾った。広げると体液のようなものがついていたような気がする。後から自分の指に「さかむけ」があったことが分かった。HIVに感染していないか心配・・・
さて、彼(女)らがHIVに感染している可能性はあるでしょうか。
もちろん答えは「可能性はない」です。
しかし、彼(女)らはHIVに感染しているという可能性を"真剣に"考えてクリニックを受診しています。
クリニックでHIVの検査をおこなうと有料になります。しかも、これらは到底感染しているとは思えないケースであり、特に自覚症状もないわけですから、HIVの検査には保険適用がありません。つまり、検査をするのは自費扱いとなります。
にもかかわらず、こういったことでHIVを心配する患者さんは少なくありません。私が院長をつとめるすてらめいとクリニックでも、月に1~2名はこういったことでHIVの検査を希望される方が来られます。
もちろん、診察をした上で、「その程度のことでHIVに感染していることはありえないから検査を受ける必要がない」ことを説明します。しかし、なかには「どうしても不安をぬぐいきれないから自費でもいいから検査を受けたい」という人もいます。
私はこういったケースを「HIV恐怖症」と呼んでいます。(英語のできる外国人に説明するときは「HIV phobia」と言います)
HIV恐怖症は、理屈の上で感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できないという特徴があります。
HIVはそんなに簡単に感染する感染症ではありません。一方、HIVよりははるかに感染しやすいような感染症、例えばB型肝炎ウイルスや梅毒に対してはどうかというと、不思議なことに彼(女)らはあまり気にしていません。特に、B型肝炎は感染力が極めて強いですし(唾液から感染したという報告もあります)、感染すると命にかかわる状態になることもあるのに、なぜか「B型肝炎ウイルス恐怖症」という病は(私の知る限り)存在しません。
HIV恐怖症に罹患する人の特徴を簡単に紹介します。男女比は、圧倒的に男性に多く、私の印象では、男性:女性=8:2くらいです。年齢は10代半ばから50歳くらいまでです。興味深いのは、比較的高学歴者に多いという点です。職業でいえば、学校教師、税理士、医師、など比較的高い地位と考えられている職種に多いのが特徴です。
「医師がなぜ?」と思われるかもしれませんが、HIV恐怖症は「理屈の上では感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できない」のが特徴です。HIVについて知識のある医師でもそれは同じなのです。
彼(女)らは、少しでも感染の可能性がないかを必死で考えています。例えば、症例1では、「コンビニの店員がその日に歯の治療を受けていたということはないだろうか。治療後間もないために口腔内に出血があり、くしゃみをして自分の皮膚にかかったとすればどうだろう。自分の皮膚に傷はないが、もしかして自分でも気付いていない目に見えない小さな傷があるのではないだろうか。そういえば昨日の晩、腕がかゆくてかいたかもしれない。そこからHIVが侵入した可能性は否定できない・・・」、といった感じです。
私は、HIV恐怖症の人を診察したとき、感染の可能性はなく検査はお金の無駄であることを説明しますが、なかにはあえて検査を受けてもらう場合もあります。それは、検査の結果を示すことで不安が払拭できることを期待する場合です。しかし、なかには、検査の過程で他人の血液と入れ替わったのではないか・・・、など検査結果の信憑性に不安をもつ人もいます。
HIV恐怖症の人を診察したときに、私が最も重要視していることは、「どうやって不安を取り除くか」です。ケースによっては、不眠や頭痛、胃痛、食欲不振などが伴っていることもありますから、こういった症状についてもケアが必要になってきます。頭痛薬や胃薬が有効なこともありますし、不安をやわらげるような薬が必要になることもあります。一時的に睡眠薬を処方することもあります。
HIV恐怖症が重症化すると、ときにやっかいな事態になることがあります。それは、検査を受けてHIVが陰性であることが分かり、それを納得できるようになったとしても、今度は別のことで「不安」になるのです。HIV恐怖症という不安が別の不安に置き換わるのです。例えば、今まで思ってもみなかった仕事のことや家族のことに対する不安が出現してくるのです。
「不安」というのはある程度のところで断ち切ってあげないと、次から次へと「不安の連鎖」が起こることがあります。これは、ちょうど「痛み」や「アレルギー」に対して、適切な治療をしないと、どんどん症状が悪化していくのと似ています。
最後に、「リスクのある行為からどれくらい時間がたてば検査ができるか」について述べておきます。どのような検査をするかにもよりますが、不安が強い人は、「抗体検査」ではなく「抗原検査」を受けるべきかもしれません。
「抗原」とはHIVそのもののことで、抗原検査にも様々なものがありますが、例えば、すてらめいとクリニックでおこなっている抗原検査は9~11日程度経過していれば検査が可能です。
自分もHIV恐怖症かもしれない・・・。そのように思う方は医療機関を受診してみればいかがでしょうか。
不安が大きすぎないうちに・・・
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第22回 タイのHIV陽性者の苦悩(2008年4月)
世界各国のエイズ状況を振り返ったとき、タイは比較的、感染者が過ごしやすい国ということになっています。抗HIV薬は無料で支給されることになっていますし、貧困層であっても必要な医療サービスは無料(2006年10月までは30バーツ)で受けられることになっています。
しかし、実際は陽性者が満足しているかというとそういうわけではありません。
まず、「適切な抗HIV薬が実際には支給されていない」という問題をとりあげてみたいと思います。
現在チェンマイでUNAIDSの定例会議が開かれています。この会議で「Violet House」というゲイの団体が、抗HIV薬が適切に支給されていない現状を報告しました。
タイでは、国内で製造されている「GPO-VIR」という抗HIV薬が広く普及しています。この薬は、HIV陽性者が抗HIV薬が必要になるとまず投与されることが多く、タイ国籍を有している者なら必要性があれば支給されないということはまずありません。
しかしながら、現在はこの「GPO-VIR」でウイルスの増殖を抑えられないケースが増えてきており、そうなればもっと新しい抗HIV薬が必要になります。
現在のタイのエイズ治療の原則は、「GPO-VIRなどの抗HIV薬(これらをファーストライン・ドラッグと言います)が効かないケースには、セカンドライン・ドラッグと呼ばれる新しい薬を使用する」ということになっています。
しかし、「Violet House」によりますと、実際はファーストライン・ドラッグが効かず、セカンドライン・ドラッグが必要な者に対して、すみやかに適切な抗HIV薬が支給されるケースは決して多くないそうです。「Violet House」のメンバーのおよそ200人がHIV陽性ですが、この半数はすでにファーストライン・ドラッグが効かない状態なのにもかかわらず、セカンドライン・ドラッグが支給されていないといいます。
「Violet House」の幹部は次のようにコメントしています。
「ほとんどの病院はセカンドライン・ドラッグを必要な患者に支給すると言うんです。でも実際は支給されるまでにどれくらい待たないといけないかさえ分からないのです」
タイでは、毎年約14,000人が新たにHIVに感染していますが、タイ保健省によりますと、ゲイの占める割合は全体の24%を占めます。これは、最大のハイリスクグループの主婦層に次いで2番目に大きなグループということになります。(何度かこのウェブサイトで紹介しましたが、タイでは自身の夫から性交渉で感染する主婦が最も多いという特徴があります)
現在のタイではおよそ10万人が抗HIV薬を必要としています。タイ疾病管理局によれば、このうち約12%の感染者が「GPO-VIR」などのファーストライン・ドラッグに耐性ができて、セカンドライン・ドラッグを必要としています。
適切な薬が支給されていないという問題は抗HIV薬に限りません。
エイズという病は、進行すると様々な感染症を発症します。感染症といっても細菌感染、真菌感染、原虫の感染、ウイルス感染と様々です。エイズを発症している人には、抗HIVを投与するだけでは不充分です。現れている感染症の治療も同時におこなわなければなりません。
比較的安価な抗生物質で治癒するような細菌感染症もありますが、実際にはそうでないケースも多々あります。私がボランティア医師をつとめていたパバナプ寺では、薬が入手できなくて特に問題になっていたのが抗真菌薬とサイトメガロウイルスというウイルスに対する薬です。これらは、一人当たり月に数万円から10万円以上もするために、病院を受診しても保険診療の枠では処方されません。ボランティアがお金をだしあっても全員に行き渡りません。私は何度か日本から送付したり持ち込んだりもしましたがとてもひとりの力では追いつきません。(私ひとりの力が微々たるものであると感じた想いがGINA設立につながりました)
このように、適切な抗HIV薬(セカンドライン・ドラッグ)や適切な感染症の薬が実際には必要とする人々に行き渡っていないのが現状なのです。
さらに、もうひとつ、注目すべき現在のタイのエイズに関する問題があります。
それは移民や少数民族は治療を受けられないということです。このウェブサイトでも何度か指摘していますが、無料の診療や無料の抗HIV薬が支給される対象となるのは「タイ国籍を有している人」です。
北タイには多数の山岳民族(少数民族)が存在し、彼(女)らにはタイ国籍がありません。また、ラオス、ミャンマー、中国雲南省などから職を求めて不法に入国してくる人たちにもタイ国籍は与えられず医療は受けることができません。
そして、少数民族や不法入国者は、リスクの高い仕事をすることが少なくありません。リスクの高い仕事、すなわち遺法薬物や売春に携わる仕事にはHIV感染というリスクも伴います。
例えば、ミャンマーからタイに売春婦として出稼ぎに来て、タイ国内でHIVに感染、その後エイズを発症というケースがよくあります。こういう人たちは、自国に帰ることもできず(エイズを発症した状態で帰国すれば当局に抹殺されるという噂もあります)、タイ国内でも適切な治療を受けることができません。
チェンマイで開かれているUNAIDSの定例会議では、200人を超える活動家や患者が会場の外に列をつくりました。少数民族や外国人にもエイズの治療が受けられるようにUNAIDSに訴えることを目的とした抗議の列です。
供給されないセカンドライン・ドラッグ、抗真菌薬など入手困難な高価な薬剤、治療を受けられない少数民族や外国人、・・・、と、表向きはエイズ対策に成功しているとみられがちなタイでは、実際は問題が山積みです。
現在、国連やWHOなどの公的機関や大きなNPOは、エイズ患者の支援先をタイではなく、他のアジアやアフリカ諸国にシフトしています。実際、北タイのエイズ関連施設は数年前に比べて減少傾向にあります。
GINAのミッションは"草の根(grass roots)レベル"の活動です。現在のタイのHIV陽性者が直面している問題に積極的に取り組んでいきたいと思います。
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しかし、実際は陽性者が満足しているかというとそういうわけではありません。
まず、「適切な抗HIV薬が実際には支給されていない」という問題をとりあげてみたいと思います。
現在チェンマイでUNAIDSの定例会議が開かれています。この会議で「Violet House」というゲイの団体が、抗HIV薬が適切に支給されていない現状を報告しました。
タイでは、国内で製造されている「GPO-VIR」という抗HIV薬が広く普及しています。この薬は、HIV陽性者が抗HIV薬が必要になるとまず投与されることが多く、タイ国籍を有している者なら必要性があれば支給されないということはまずありません。
しかしながら、現在はこの「GPO-VIR」でウイルスの増殖を抑えられないケースが増えてきており、そうなればもっと新しい抗HIV薬が必要になります。
現在のタイのエイズ治療の原則は、「GPO-VIRなどの抗HIV薬(これらをファーストライン・ドラッグと言います)が効かないケースには、セカンドライン・ドラッグと呼ばれる新しい薬を使用する」ということになっています。
しかし、「Violet House」によりますと、実際はファーストライン・ドラッグが効かず、セカンドライン・ドラッグが必要な者に対して、すみやかに適切な抗HIV薬が支給されるケースは決して多くないそうです。「Violet House」のメンバーのおよそ200人がHIV陽性ですが、この半数はすでにファーストライン・ドラッグが効かない状態なのにもかかわらず、セカンドライン・ドラッグが支給されていないといいます。
「Violet House」の幹部は次のようにコメントしています。
「ほとんどの病院はセカンドライン・ドラッグを必要な患者に支給すると言うんです。でも実際は支給されるまでにどれくらい待たないといけないかさえ分からないのです」
タイでは、毎年約14,000人が新たにHIVに感染していますが、タイ保健省によりますと、ゲイの占める割合は全体の24%を占めます。これは、最大のハイリスクグループの主婦層に次いで2番目に大きなグループということになります。(何度かこのウェブサイトで紹介しましたが、タイでは自身の夫から性交渉で感染する主婦が最も多いという特徴があります)
現在のタイではおよそ10万人が抗HIV薬を必要としています。タイ疾病管理局によれば、このうち約12%の感染者が「GPO-VIR」などのファーストライン・ドラッグに耐性ができて、セカンドライン・ドラッグを必要としています。
適切な薬が支給されていないという問題は抗HIV薬に限りません。
エイズという病は、進行すると様々な感染症を発症します。感染症といっても細菌感染、真菌感染、原虫の感染、ウイルス感染と様々です。エイズを発症している人には、抗HIVを投与するだけでは不充分です。現れている感染症の治療も同時におこなわなければなりません。
比較的安価な抗生物質で治癒するような細菌感染症もありますが、実際にはそうでないケースも多々あります。私がボランティア医師をつとめていたパバナプ寺では、薬が入手できなくて特に問題になっていたのが抗真菌薬とサイトメガロウイルスというウイルスに対する薬です。これらは、一人当たり月に数万円から10万円以上もするために、病院を受診しても保険診療の枠では処方されません。ボランティアがお金をだしあっても全員に行き渡りません。私は何度か日本から送付したり持ち込んだりもしましたがとてもひとりの力では追いつきません。(私ひとりの力が微々たるものであると感じた想いがGINA設立につながりました)
このように、適切な抗HIV薬(セカンドライン・ドラッグ)や適切な感染症の薬が実際には必要とする人々に行き渡っていないのが現状なのです。
さらに、もうひとつ、注目すべき現在のタイのエイズに関する問題があります。
それは移民や少数民族は治療を受けられないということです。このウェブサイトでも何度か指摘していますが、無料の診療や無料の抗HIV薬が支給される対象となるのは「タイ国籍を有している人」です。
北タイには多数の山岳民族(少数民族)が存在し、彼(女)らにはタイ国籍がありません。また、ラオス、ミャンマー、中国雲南省などから職を求めて不法に入国してくる人たちにもタイ国籍は与えられず医療は受けることができません。
そして、少数民族や不法入国者は、リスクの高い仕事をすることが少なくありません。リスクの高い仕事、すなわち遺法薬物や売春に携わる仕事にはHIV感染というリスクも伴います。
例えば、ミャンマーからタイに売春婦として出稼ぎに来て、タイ国内でHIVに感染、その後エイズを発症というケースがよくあります。こういう人たちは、自国に帰ることもできず(エイズを発症した状態で帰国すれば当局に抹殺されるという噂もあります)、タイ国内でも適切な治療を受けることができません。
チェンマイで開かれているUNAIDSの定例会議では、200人を超える活動家や患者が会場の外に列をつくりました。少数民族や外国人にもエイズの治療が受けられるようにUNAIDSに訴えることを目的とした抗議の列です。
供給されないセカンドライン・ドラッグ、抗真菌薬など入手困難な高価な薬剤、治療を受けられない少数民族や外国人、・・・、と、表向きはエイズ対策に成功しているとみられがちなタイでは、実際は問題が山積みです。
現在、国連やWHOなどの公的機関や大きなNPOは、エイズ患者の支援先をタイではなく、他のアジアやアフリカ諸国にシフトしています。実際、北タイのエイズ関連施設は数年前に比べて減少傾向にあります。
GINAのミッションは"草の根(grass roots)レベル"の活動です。現在のタイのHIV陽性者が直面している問題に積極的に取り組んでいきたいと思います。
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第21回(2008年3月) 院内感染のリスク
病院でHIVに感染したかもしれない・・・
こう言って、HIVの検査を受けに来られる方がいます。しかし、実際にこのようなことがあるのでしょうか。
たしかに、このウェブサイトでも何度か紹介してきたように、リビアの病院での大規模HIV感染やカザフスタンでのHIV院内感染は世界中のマスコミで報道され、一部の国での不衛生な院内環境が浮き彫りになっていますが、日本を含めた先進国ではHIVの院内感染などは到底考えられないことです。
しかしながら、最近、この「先進国では院内感染はありえない」という"神話"が崩れつつあります。
まずは日本の話です。2007年12月、神奈川県茅ヶ崎市のある病院で、心臓カテーテル検査を受けた患者5人が相次いでC型肝炎を発症したことが明らかとなりました。2008年3月5日、茅ヶ崎市は、注射筒などの使いまわしが原因となった可能性があることを発表しました。
この病院は、この5人と同じ日に心臓カテーテル検査を受けた18人、さらに過去に検査を受けた約600人を調べたところ、C型肝炎の感染はなかったことを発表しています。
通常、注射筒はディスポーザブル(使い捨て)のものを使うか、患者ごとに新たに滅菌したものを使用しますから、もしも注射筒の使いまわしで感染させたのであれば病院の責任が厳しく追求されることになるでしょう。
もうひとつ、院内感染の例をみてみましょう。今度は、アメリカのラスベガスです。
「2004年3月から2008年1月の間に、南ネヴァダの内視鏡センターで麻酔の注射を受けた人は全員、HIV、C型肝炎ウイルス、B型肝炎ウイルスの検査を受けてください」
これは、ラスベガス当局が2008年2月に発表した市民への案内です。この病院(内視鏡センター)で、麻酔の注射を受けた患者6人がC型肝炎ウイルスに感染していることが発覚し、当局では他にも被害があるとみて、およそ4万人の該当者に検査を呼びかけています。
この病院では、医師がバイアル(薬液の入っている小さなビン)から薬液を引き抜く際に、針を交換せずに作業をしていた可能性が強いそうです。その作業のせいでC型肝炎ウイルスの院内感染がおこったとみられています。
医療先進国であるアメリカと、先進国とは言えないにしても安全対策はしっかりとしていると思われている日本で、立て続けにこのような事件が起こったのは、私にとって大変ショックでした。
ところで、これら2つの事件をよくみたときに、内容は同じようなものですが、事件発覚後の対応は大きく異なっています。
茅ヶ崎市のケースでは、感染の疑いがあるとみて過去に受診した約600人の患者に対してC型肝炎ウイルスの検査のみをおこなっています。一方、ラスベガスのケースでは、当局が約4万人の患者に検査を呼びかけ、検査項目には、C型肝炎ウイルスだけでなくB型肝炎ウイルスとHIVを加えています。
まったく同じようなC型肝炎ウイルスの院内感染発覚に対し、アメリカと日本で対応が異なるのは興味深いと言えるでしょう。
どちらの対応が適切か、という点については議論が分かれるでしょうが、私はアメリカの対応がすぐれている、言い換えれば、茅ヶ崎市の対応が不充分だと感じています。
なぜなら、C型肝炎ウイルスを院内感染させてしまうような環境をつくっていた現場であれば、同じような感染ルートのB型肝炎ウイルスやHIVの院内感染が起こっていてもおかしくないからです。
特にB型肝炎ウイルスについては、日本人のワクチン接種率は他の先進国に比べて驚くほど低いという事実があります。一方、アメリカではアメリカ生まれの人であれば成人するまでに通常はB型肝炎ウイルスのワクチンを接種していますから、一部の移民の人や、ワクチン接種が始まる前の世代の高齢者を除けばB型肝炎ウイルスに感染する可能性のある人はほとんどいないのです。ワクチン接種率が極めて低い日本だからこそ、院内感染の可能性があるときには、積極的にB型肝炎ウイルスの検査をすべきなのです。(もちろん検査よりも大切なことは、まだ接種していない人は早急にワクチンをうつということです)
HIVについては、感染者の数はアメリカの方がはるかに多いですが、日本でも毎年増えているのは事実ですし、献血された血液のなかにもHIVがみつかることがあるのです。C型肝炎ウイルスの院内感染が発覚した以上は、HIVも合わせて調べるべきでしょう。(もちろん対象者の同意があってのことですが・・・)
さて、問題は、今回院内感染が発覚した日米の2つの病院が特殊なのか、あるいはこれら2病院が「氷山の一角」なのかということです。心情的には、これら2病院が極めて特殊なケースであると信じたいのですが、これらの病院は地域からの信頼が厚い大病院であることを考えると、同じような事件をおこす可能性を孕んでいる医療機関は少なくないのかもしれません・・・。
患者さんからときどき言われる冒頭の言葉、「病院でHIVに感染したかもしれない・・・」に対して、私はこれまで、「日本も含めて先進国ではそのようなことはあり得ないですよ。だから検査の必要はありませんよ」と説明してきました。
しかし、これからは、検査結果をみるまでは患者さんを安心させることはできないと考えるべきなのかもしれません・・・。
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こう言って、HIVの検査を受けに来られる方がいます。しかし、実際にこのようなことがあるのでしょうか。
たしかに、このウェブサイトでも何度か紹介してきたように、リビアの病院での大規模HIV感染やカザフスタンでのHIV院内感染は世界中のマスコミで報道され、一部の国での不衛生な院内環境が浮き彫りになっていますが、日本を含めた先進国ではHIVの院内感染などは到底考えられないことです。
しかしながら、最近、この「先進国では院内感染はありえない」という"神話"が崩れつつあります。
まずは日本の話です。2007年12月、神奈川県茅ヶ崎市のある病院で、心臓カテーテル検査を受けた患者5人が相次いでC型肝炎を発症したことが明らかとなりました。2008年3月5日、茅ヶ崎市は、注射筒などの使いまわしが原因となった可能性があることを発表しました。
この病院は、この5人と同じ日に心臓カテーテル検査を受けた18人、さらに過去に検査を受けた約600人を調べたところ、C型肝炎の感染はなかったことを発表しています。
通常、注射筒はディスポーザブル(使い捨て)のものを使うか、患者ごとに新たに滅菌したものを使用しますから、もしも注射筒の使いまわしで感染させたのであれば病院の責任が厳しく追求されることになるでしょう。
もうひとつ、院内感染の例をみてみましょう。今度は、アメリカのラスベガスです。
「2004年3月から2008年1月の間に、南ネヴァダの内視鏡センターで麻酔の注射を受けた人は全員、HIV、C型肝炎ウイルス、B型肝炎ウイルスの検査を受けてください」
これは、ラスベガス当局が2008年2月に発表した市民への案内です。この病院(内視鏡センター)で、麻酔の注射を受けた患者6人がC型肝炎ウイルスに感染していることが発覚し、当局では他にも被害があるとみて、およそ4万人の該当者に検査を呼びかけています。
この病院では、医師がバイアル(薬液の入っている小さなビン)から薬液を引き抜く際に、針を交換せずに作業をしていた可能性が強いそうです。その作業のせいでC型肝炎ウイルスの院内感染がおこったとみられています。
医療先進国であるアメリカと、先進国とは言えないにしても安全対策はしっかりとしていると思われている日本で、立て続けにこのような事件が起こったのは、私にとって大変ショックでした。
ところで、これら2つの事件をよくみたときに、内容は同じようなものですが、事件発覚後の対応は大きく異なっています。
茅ヶ崎市のケースでは、感染の疑いがあるとみて過去に受診した約600人の患者に対してC型肝炎ウイルスの検査のみをおこなっています。一方、ラスベガスのケースでは、当局が約4万人の患者に検査を呼びかけ、検査項目には、C型肝炎ウイルスだけでなくB型肝炎ウイルスとHIVを加えています。
まったく同じようなC型肝炎ウイルスの院内感染発覚に対し、アメリカと日本で対応が異なるのは興味深いと言えるでしょう。
どちらの対応が適切か、という点については議論が分かれるでしょうが、私はアメリカの対応がすぐれている、言い換えれば、茅ヶ崎市の対応が不充分だと感じています。
なぜなら、C型肝炎ウイルスを院内感染させてしまうような環境をつくっていた現場であれば、同じような感染ルートのB型肝炎ウイルスやHIVの院内感染が起こっていてもおかしくないからです。
特にB型肝炎ウイルスについては、日本人のワクチン接種率は他の先進国に比べて驚くほど低いという事実があります。一方、アメリカではアメリカ生まれの人であれば成人するまでに通常はB型肝炎ウイルスのワクチンを接種していますから、一部の移民の人や、ワクチン接種が始まる前の世代の高齢者を除けばB型肝炎ウイルスに感染する可能性のある人はほとんどいないのです。ワクチン接種率が極めて低い日本だからこそ、院内感染の可能性があるときには、積極的にB型肝炎ウイルスの検査をすべきなのです。(もちろん検査よりも大切なことは、まだ接種していない人は早急にワクチンをうつということです)
HIVについては、感染者の数はアメリカの方がはるかに多いですが、日本でも毎年増えているのは事実ですし、献血された血液のなかにもHIVがみつかることがあるのです。C型肝炎ウイルスの院内感染が発覚した以上は、HIVも合わせて調べるべきでしょう。(もちろん対象者の同意があってのことですが・・・)
さて、問題は、今回院内感染が発覚した日米の2つの病院が特殊なのか、あるいはこれら2病院が「氷山の一角」なのかということです。心情的には、これら2病院が極めて特殊なケースであると信じたいのですが、これらの病院は地域からの信頼が厚い大病院であることを考えると、同じような事件をおこす可能性を孕んでいる医療機関は少なくないのかもしれません・・・。
患者さんからときどき言われる冒頭の言葉、「病院でHIVに感染したかもしれない・・・」に対して、私はこれまで、「日本も含めて先進国ではそのようなことはあり得ないですよ。だから検査の必要はありませんよ」と説明してきました。
しかし、これからは、検査結果をみるまでは患者さんを安心させることはできないと考えるべきなのかもしれません・・・。
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第20回 医療機関でHIV検査を受ける意義 (2008年2月)
日本の厚生労働省のエイズ動向委員会は、2008年2月12日、2007年に日本で新たに報告されたHIV感染者及びエイズ発症者の数を発表しました。
発表によりますと、2007年に新規にHIV感染がわかった人が1,048人、すでにエイズを発症していた人が400人で、合計1,448人となります。これは過去最多であり、感染者・発症者の合計報告数は2003年以降、5年連続で最多を更新し続けています。
これだけ多くの人が新たに感染が判った理由のひとつとして、厚生労働省は「検査を受ける人が増えたからではないか」と分析しています。
たしかに、保健所など公的機関で検査を受ける人は増えていますし、すてらめいとクリニック(私が院長をつとめるクリニック)にもHIVの検査目的で受診される方がおられます。
HIVの検査は保健所で受けるべきか、それとも医療機関で受けるべきか・・・。
この点で悩まれている方は少なくないのではないでしょうか。今回は、どういった方が保健所に行くべきで、どういった方が医療機関を受診すべきなのか、について述べてみたいと思います。
まず、「何の症状もないけど、念のために検査しておきたい」、「何の症状もないけど、記念検査としてHIVを調べたい」、などといった「何の症状もない」人は保健所で充分だと思います。
ただし、多くの保健所などの公的機関では、結果が出るまでに1週間程度かかりますから、「何の症状もないんだけど、どうしても結果をすぐに知りたい」、という人は、医療機関を受診すればいいかもしれません。(ただし、医療機関のなかにも検査結果がすぐに出ないところもあります)
一方、何か症状のある人は医療機関を受診する方が賢明でしょう。
例えば、こういうケースを考えてみましょう。
******
1ヶ月前にタイ旅行をした30歳の男性。現地で仲良くなったタイ女性と性交渉をもってしまった。腟交渉のときはコンドームを使ったけど、フェラチオではコンドームを使わなかった。帰国後1ヶ月してから身体がだるくなって熱が出てきたので突然HIVが心配になった。
******
この人は、HIVの急性症状を心配しています。急性症状とは、HIVに感染後、数週から数ヶ月以内に生じる倦怠感や発熱などをいいます。この人がHIVのみを心配して保健所を受診したとします。そして結果は陰性だったとします。さて、これで問題は解決したでしょうか。
答えは否です。
通常、我々医師は、キケンな性行為(unprotected sex)の後に発熱や倦怠感を認めた場合は、まずB型肝炎とC型肝炎を疑います。(さらに同性愛者の場合はこれにA型肝炎を加えます)
また、このケースでは、東南アジアから帰国後の発熱ですから、下痢や体重減少、腹痛、嘔気などの有無を問診で確認した後に、時間をかけて身体の診察をおこないます。考えるべき疾患として、マラリアやデング熱、結核、場合によってはアメーバ赤痢やランブル鞭毛虫なども検討するかもしれません。
つまるところ、患者さんの側からみたときにはHIVしか思いつかなくても、我々医師からみたときには鑑別しなければならない疾患がたくさんあるのです。ですから、HIVが陰性であったとしても何も解決はしていないのです。上にあげた疾患には治る病気もありますが、B型肝炎やC型肝炎は"治る病気"とは言いがたい疾患です。
このように何か症状のある人は医療機関を受診すべきと言えます。
"何か症状のある"は発熱や倦怠感といった身体症状でなくてもかまいません。「不安が強い」「眠れない」などといった精神症状が強い場合でも医療機関を受診する方が賢明な場合があります。
その理由として、ひとつは、保健所などの検査では結果が出るまでに1週間ほどかかり、感染の不安に耐え切れないという問題があります。一方、医療機関であればすぐに結果が出ますから不安にさいなまれる時間が短くてすみます。(ただし、地域によっては保健所などで即日検査を実施しているところもありますし、逆に医療機関でも1週間程度待たなければならないところもあります)
もうひとつの理由として、そしてこちらの方が重要なのですが、医療機関を受診すれば、「不安」や「不眠」に対する治療をおこなうことができるという点があげられます。「不安」や「不眠」は放っておかない方が賢明な場合が少なくありません。特に「不安」は無治療でいると、「不安」が「不安」を引き起こし、どんどん深みにはまっていくことがあります。こんなときは、早い段階で「不安」を断ち切ってあげることが大切です。
「不安」をとめるのには何も「抗不安薬」だけではありません。場合によっては、漢方薬も有効ですし、カウンセリングが著効することもあります。こういった「不安」や「不眠」に対し、より適切に対応できるのが医療機関だというわけです。
ただ、カウンセリングに関していえば、保健所やその他検査機関でも、相談員は通常こういったケースに対応できるようにトレーニングを受けていますから、まずは保健所などで話を聞いてもらうのが有効なこともあります。
最後になりますが、保健所など検査機関と医療機関の違いとして重要なのが、無料か有料かということです。
検査機関での検査は通常無料です。これは国や地方自治体などがお金を出しているからです。なぜ、お金を出すかというと、公衆衛生学的にHIVを考えたとき、行政にはHIVの蔓延を阻止する義務があるからです。
現在のところ、日本という国は、HIV感染が他に例をみないくらい低頻度におさえられています。ただ、少しずつ増えているのも事実であり、このまま進めば日本でのHIV感染が爆発的に増加するおそれがあります。もしも日本でHIV感染が一気に広まれば、急速に医療費が増加することになり、日本の医療が崩壊しかねません。これをくいとめるためには、予防にお金をつぎこんで、新規感染を防がなければならないのです。
これが、行政がHIV検査に費用をかける最大の理由です。しかしながら、一個人でみたときには少し事情が異なります。HIVだけに気をとられてしまって、他の疾患が見逃されるようなことがあれば、不利益を被ってしまいます。
保健所などの検査機関がいいか、医療機関がいいかは個々のケースによって異なります。
どちらを受診する方がいいかについてよく考える必要があるでしょう。
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発表によりますと、2007年に新規にHIV感染がわかった人が1,048人、すでにエイズを発症していた人が400人で、合計1,448人となります。これは過去最多であり、感染者・発症者の合計報告数は2003年以降、5年連続で最多を更新し続けています。
これだけ多くの人が新たに感染が判った理由のひとつとして、厚生労働省は「検査を受ける人が増えたからではないか」と分析しています。
たしかに、保健所など公的機関で検査を受ける人は増えていますし、すてらめいとクリニック(私が院長をつとめるクリニック)にもHIVの検査目的で受診される方がおられます。
HIVの検査は保健所で受けるべきか、それとも医療機関で受けるべきか・・・。
この点で悩まれている方は少なくないのではないでしょうか。今回は、どういった方が保健所に行くべきで、どういった方が医療機関を受診すべきなのか、について述べてみたいと思います。
まず、「何の症状もないけど、念のために検査しておきたい」、「何の症状もないけど、記念検査としてHIVを調べたい」、などといった「何の症状もない」人は保健所で充分だと思います。
ただし、多くの保健所などの公的機関では、結果が出るまでに1週間程度かかりますから、「何の症状もないんだけど、どうしても結果をすぐに知りたい」、という人は、医療機関を受診すればいいかもしれません。(ただし、医療機関のなかにも検査結果がすぐに出ないところもあります)
一方、何か症状のある人は医療機関を受診する方が賢明でしょう。
例えば、こういうケースを考えてみましょう。
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1ヶ月前にタイ旅行をした30歳の男性。現地で仲良くなったタイ女性と性交渉をもってしまった。腟交渉のときはコンドームを使ったけど、フェラチオではコンドームを使わなかった。帰国後1ヶ月してから身体がだるくなって熱が出てきたので突然HIVが心配になった。
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この人は、HIVの急性症状を心配しています。急性症状とは、HIVに感染後、数週から数ヶ月以内に生じる倦怠感や発熱などをいいます。この人がHIVのみを心配して保健所を受診したとします。そして結果は陰性だったとします。さて、これで問題は解決したでしょうか。
答えは否です。
通常、我々医師は、キケンな性行為(unprotected sex)の後に発熱や倦怠感を認めた場合は、まずB型肝炎とC型肝炎を疑います。(さらに同性愛者の場合はこれにA型肝炎を加えます)
また、このケースでは、東南アジアから帰国後の発熱ですから、下痢や体重減少、腹痛、嘔気などの有無を問診で確認した後に、時間をかけて身体の診察をおこないます。考えるべき疾患として、マラリアやデング熱、結核、場合によってはアメーバ赤痢やランブル鞭毛虫なども検討するかもしれません。
つまるところ、患者さんの側からみたときにはHIVしか思いつかなくても、我々医師からみたときには鑑別しなければならない疾患がたくさんあるのです。ですから、HIVが陰性であったとしても何も解決はしていないのです。上にあげた疾患には治る病気もありますが、B型肝炎やC型肝炎は"治る病気"とは言いがたい疾患です。
このように何か症状のある人は医療機関を受診すべきと言えます。
"何か症状のある"は発熱や倦怠感といった身体症状でなくてもかまいません。「不安が強い」「眠れない」などといった精神症状が強い場合でも医療機関を受診する方が賢明な場合があります。
その理由として、ひとつは、保健所などの検査では結果が出るまでに1週間ほどかかり、感染の不安に耐え切れないという問題があります。一方、医療機関であればすぐに結果が出ますから不安にさいなまれる時間が短くてすみます。(ただし、地域によっては保健所などで即日検査を実施しているところもありますし、逆に医療機関でも1週間程度待たなければならないところもあります)
もうひとつの理由として、そしてこちらの方が重要なのですが、医療機関を受診すれば、「不安」や「不眠」に対する治療をおこなうことができるという点があげられます。「不安」や「不眠」は放っておかない方が賢明な場合が少なくありません。特に「不安」は無治療でいると、「不安」が「不安」を引き起こし、どんどん深みにはまっていくことがあります。こんなときは、早い段階で「不安」を断ち切ってあげることが大切です。
「不安」をとめるのには何も「抗不安薬」だけではありません。場合によっては、漢方薬も有効ですし、カウンセリングが著効することもあります。こういった「不安」や「不眠」に対し、より適切に対応できるのが医療機関だというわけです。
ただ、カウンセリングに関していえば、保健所やその他検査機関でも、相談員は通常こういったケースに対応できるようにトレーニングを受けていますから、まずは保健所などで話を聞いてもらうのが有効なこともあります。
最後になりますが、保健所など検査機関と医療機関の違いとして重要なのが、無料か有料かということです。
検査機関での検査は通常無料です。これは国や地方自治体などがお金を出しているからです。なぜ、お金を出すかというと、公衆衛生学的にHIVを考えたとき、行政にはHIVの蔓延を阻止する義務があるからです。
現在のところ、日本という国は、HIV感染が他に例をみないくらい低頻度におさえられています。ただ、少しずつ増えているのも事実であり、このまま進めば日本でのHIV感染が爆発的に増加するおそれがあります。もしも日本でHIV感染が一気に広まれば、急速に医療費が増加することになり、日本の医療が崩壊しかねません。これをくいとめるためには、予防にお金をつぎこんで、新規感染を防がなければならないのです。
これが、行政がHIV検査に費用をかける最大の理由です。しかしながら、一個人でみたときには少し事情が異なります。HIVだけに気をとられてしまって、他の疾患が見逃されるようなことがあれば、不利益を被ってしまいます。
保健所などの検査機関がいいか、医療機関がいいかは個々のケースによって異なります。
どちらを受診する方がいいかについてよく考える必要があるでしょう。
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第19回 美しきイサーン地方(2008年1月)
年末年始に久しぶりにタイに渡航してきました。
日本と同様、タイでも年末年始は帰省のシーズンで家族が集まる貴重な季節です。会社や店も休みになりますし、みんなが休暇をとる機会ということもあって、私は今回の渡航では、GINA関連の関係者と会う時間を最低限におさえました。
いえ、というより、昨年(2007年)はクリニックをオープンさせたこともあって、休みなく働き続けることになり、精神的にけっこうまいってしまっていたので、私自身が仕事ではなく休暇としてタイでのんびりしたかったのです。
私は、個人的にバンコクがあまり好きではありません。空気が汚い、人が多すぎる、物価が高い(といってもしれてますが)、といったこともありますが、最大の理由は「私の思うタイらしさがない」からです。
私が思うタイらしい町というのは、人があまりいなくて、自然の美しい、南部や北部、そして東北地方(イサーン地方)です。
南部は今現在も治安が悪いですし、北部は、チェンマイは最近都心化がすすんで空気が汚くなっていますし、チェンマイ以外の北部はアクセスが悪く到着するのに時間がかかりますし・・・、ということで、私はひとりでイサーン地方(タイ語の発音では"イサーン"より"イーサーン"の方が適していると思うのですが、日本語のほとんどの出版物が"イサーン"となっているので、ここでも"イサーン"としておきます)に行くことにしました。
深夜バスでウドンタニ県まで移動し、のんびりしようと思っていたときに、偶然タイの知人から電話がありました。ウドンタニ県に来ていることを告げると、その知人(タイ人夫婦)はウドンタニ県の近くのサコンナコン県に帰省しているから、家まで遊びに来い、と言います。彼らは、ふだんはバンコクで共働きしているのですが、正月の間は奥さんの実家に里帰りしているそうなのです。
私はその申し入れにふたつ返事をして、サコンナコン県に向かいました。到着したのは、1月1日のお昼頃で、彼らはこれから親戚を集めてパーティをおこなうと言います。
パーティ会場(そこは田んぼの横の広場でした)に到着すると、村の若い男性数人が飼っているブタを1匹殺しているとこでした。暴れるブタを数人で押さえつけて、頚動脈をナイフでひとつきすると、ブヒと最後の叫び声をあげて死に絶えました。
彼らは慣れた手つきでブタの毛をそいでいきます。焚き火でわかした湯をブタにかけ、器用なナイフさばきで毛を落としていくのです。私も少し手伝わせてもらいましたが、彼らがおこなうようにはうまくいきません。
皮をはぎ終わると、4つの足を関節から外し(外された足は豚足として食べます)、さらに耳としっぽ、舌を切り落とし(これらも後に串焼きにして食べます)、そしておなかをあけて内蔵を取り出しました。
解剖実習や、研修医時代の腹部の手術で人のおなかをあけることには慣れているつもりでしたが、そんな私からみても彼らの包丁さばきには見とれてしまいました。腸をとりだし、肝臓を丁寧に摘出し(もちろん後に食べます)、さらに胃や肺、心臓をとりだします。タイではブタの血も料理に使いますから、大動脈を切断しそこから器用に血液を容器に入れます。残った部分が筋肉と脂肪で普通に食べられる部分です。
足を落とされ、内蔵を取り出されたブタは竹にさされて焚き火であぶられます。少し時間がたつと、いい具合に焼けてきて周囲にいい香りが充満してきました。
この作業をしながら、すでに容易されているソムタム・プララー(イサーン風パパイヤサラダのこと。バンコクなどで食べられるソムタム・タイは日本人にも人気のメニューだが、プララーと呼ばれる醗酵させた魚が入っているこのソムタムはかなりクセのある料理)と、お酒をみんなで楽しんでいます。
ブタが焼けると、これをスライスして、文字通りできたてのブタの丸焼きをみんなで食べました。このブタがどれだけ美味しかったか! 私には形容する言葉が見つかりません。
翌日は、そのタイ人夫婦とともに、ローイ県(正しい発音は"ローイ"と"ルーイ"の中間のような音です)に行きました。ローイ県はイサーン地方のなかで最北部に位置し山の上にある県です。ピックアップトラックの後ろに乗せてもらい、この県に向かったのですが、この時間が私にはとてつもなく苦痛でした。
日本ではピックアップトラックの後ろに乗る経験はできませんから(もちろん日本では違法です)、きっと貴重な楽しい体験になると思っていたのですが、私はイサーン地方の冬は寒いということをすっかり忘れていた、というかなめていたのです。
タイ人が寒いといってもしれてるだろう・・・、そのように考えていたのです。ところが、真冬のイサーン地方、それも標高が最も高い地方にピックアップトラックの後ろに乗って行くというのは苦痛以外の何ものでもありません。
けれども、その寒さに耐えてたどり着いたローイ県は本当に美しい地域でした。きれいな山に囲まれて、美しい花にめぐまれたその地域は、そこにいるだけで心が癒されるようなユートピアだったのです。人々も大変親切で、ほとんどの人が日本人と話すのは初めてだったということもあるでしょうが、誰と接してもほんとに優しくしてくれたのです。
*******
今回、私が訪ねたサコンナコン県、ローイ県とも、日本人どころか外国人もほとんど住んでいません。住むどころか、旅行で訪れる外国人もほとんどいないでしょう。
けれども、こういうところにこそ、本来の美しいタイがあるのではないかと私は考えています。
ローイ県からサコンナコン県に戻り、深夜バスでバンコクに帰るバスのなかで感じたことがあります。
私が今回訪ねたサコンナコン県、ローイ県は、双方ともタイのなかで最も貧しいといわれているイサーン地方のなかでも特に貧しい県です。イサーン地方のなかでも比較的裕福なナコンラチャシマ県(コラート)やウボンラチャタニ県に比べると、単に田舎というだけでなく外国人も少ないという特徴があります。
そしてもうひとつの特徴は、若い女性がほとんどいないということです。
おそらく彼女らの大半はバンコクやプーケットに出稼ぎにいっているのでしょう。そしてその何割かは売春産業に関係していることが予想されます。
貧困と売春、そしてHIV・・・、美しいイサーン地方を訪れた帰りのバスのなかで、私はそんなことに思いを巡らせていました。
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日本と同様、タイでも年末年始は帰省のシーズンで家族が集まる貴重な季節です。会社や店も休みになりますし、みんなが休暇をとる機会ということもあって、私は今回の渡航では、GINA関連の関係者と会う時間を最低限におさえました。
いえ、というより、昨年(2007年)はクリニックをオープンさせたこともあって、休みなく働き続けることになり、精神的にけっこうまいってしまっていたので、私自身が仕事ではなく休暇としてタイでのんびりしたかったのです。
私は、個人的にバンコクがあまり好きではありません。空気が汚い、人が多すぎる、物価が高い(といってもしれてますが)、といったこともありますが、最大の理由は「私の思うタイらしさがない」からです。
私が思うタイらしい町というのは、人があまりいなくて、自然の美しい、南部や北部、そして東北地方(イサーン地方)です。
南部は今現在も治安が悪いですし、北部は、チェンマイは最近都心化がすすんで空気が汚くなっていますし、チェンマイ以外の北部はアクセスが悪く到着するのに時間がかかりますし・・・、ということで、私はひとりでイサーン地方(タイ語の発音では"イサーン"より"イーサーン"の方が適していると思うのですが、日本語のほとんどの出版物が"イサーン"となっているので、ここでも"イサーン"としておきます)に行くことにしました。
深夜バスでウドンタニ県まで移動し、のんびりしようと思っていたときに、偶然タイの知人から電話がありました。ウドンタニ県に来ていることを告げると、その知人(タイ人夫婦)はウドンタニ県の近くのサコンナコン県に帰省しているから、家まで遊びに来い、と言います。彼らは、ふだんはバンコクで共働きしているのですが、正月の間は奥さんの実家に里帰りしているそうなのです。
私はその申し入れにふたつ返事をして、サコンナコン県に向かいました。到着したのは、1月1日のお昼頃で、彼らはこれから親戚を集めてパーティをおこなうと言います。
パーティ会場(そこは田んぼの横の広場でした)に到着すると、村の若い男性数人が飼っているブタを1匹殺しているとこでした。暴れるブタを数人で押さえつけて、頚動脈をナイフでひとつきすると、ブヒと最後の叫び声をあげて死に絶えました。
彼らは慣れた手つきでブタの毛をそいでいきます。焚き火でわかした湯をブタにかけ、器用なナイフさばきで毛を落としていくのです。私も少し手伝わせてもらいましたが、彼らがおこなうようにはうまくいきません。
皮をはぎ終わると、4つの足を関節から外し(外された足は豚足として食べます)、さらに耳としっぽ、舌を切り落とし(これらも後に串焼きにして食べます)、そしておなかをあけて内蔵を取り出しました。
解剖実習や、研修医時代の腹部の手術で人のおなかをあけることには慣れているつもりでしたが、そんな私からみても彼らの包丁さばきには見とれてしまいました。腸をとりだし、肝臓を丁寧に摘出し(もちろん後に食べます)、さらに胃や肺、心臓をとりだします。タイではブタの血も料理に使いますから、大動脈を切断しそこから器用に血液を容器に入れます。残った部分が筋肉と脂肪で普通に食べられる部分です。
足を落とされ、内蔵を取り出されたブタは竹にさされて焚き火であぶられます。少し時間がたつと、いい具合に焼けてきて周囲にいい香りが充満してきました。
この作業をしながら、すでに容易されているソムタム・プララー(イサーン風パパイヤサラダのこと。バンコクなどで食べられるソムタム・タイは日本人にも人気のメニューだが、プララーと呼ばれる醗酵させた魚が入っているこのソムタムはかなりクセのある料理)と、お酒をみんなで楽しんでいます。
ブタが焼けると、これをスライスして、文字通りできたてのブタの丸焼きをみんなで食べました。このブタがどれだけ美味しかったか! 私には形容する言葉が見つかりません。
翌日は、そのタイ人夫婦とともに、ローイ県(正しい発音は"ローイ"と"ルーイ"の中間のような音です)に行きました。ローイ県はイサーン地方のなかで最北部に位置し山の上にある県です。ピックアップトラックの後ろに乗せてもらい、この県に向かったのですが、この時間が私にはとてつもなく苦痛でした。
日本ではピックアップトラックの後ろに乗る経験はできませんから(もちろん日本では違法です)、きっと貴重な楽しい体験になると思っていたのですが、私はイサーン地方の冬は寒いということをすっかり忘れていた、というかなめていたのです。
タイ人が寒いといってもしれてるだろう・・・、そのように考えていたのです。ところが、真冬のイサーン地方、それも標高が最も高い地方にピックアップトラックの後ろに乗って行くというのは苦痛以外の何ものでもありません。
けれども、その寒さに耐えてたどり着いたローイ県は本当に美しい地域でした。きれいな山に囲まれて、美しい花にめぐまれたその地域は、そこにいるだけで心が癒されるようなユートピアだったのです。人々も大変親切で、ほとんどの人が日本人と話すのは初めてだったということもあるでしょうが、誰と接してもほんとに優しくしてくれたのです。
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今回、私が訪ねたサコンナコン県、ローイ県とも、日本人どころか外国人もほとんど住んでいません。住むどころか、旅行で訪れる外国人もほとんどいないでしょう。
けれども、こういうところにこそ、本来の美しいタイがあるのではないかと私は考えています。
ローイ県からサコンナコン県に戻り、深夜バスでバンコクに帰るバスのなかで感じたことがあります。
私が今回訪ねたサコンナコン県、ローイ県は、双方ともタイのなかで最も貧しいといわれているイサーン地方のなかでも特に貧しい県です。イサーン地方のなかでも比較的裕福なナコンラチャシマ県(コラート)やウボンラチャタニ県に比べると、単に田舎というだけでなく外国人も少ないという特徴があります。
そしてもうひとつの特徴は、若い女性がほとんどいないということです。
おそらく彼女らの大半はバンコクやプーケットに出稼ぎにいっているのでしょう。そしてその何割かは売春産業に関係していることが予想されます。
貧困と売春、そしてHIV・・・、美しいイサーン地方を訪れた帰りのバスのなかで、私はそんなことに思いを巡らせていました。
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