GINAと共に

第42回 エイズ患者のミイラ展示は是か非か (2009年12月)

 パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)はかなり有名になってきたようで、GINAに対しても「見学に行きたいので訪問の仕方を教えてほしい」とか「ボランティアをしたいので紹介状を書いてほしい」といった問い合わせをときどき受けます。

 GINAの紹介で(あるいは私個人の紹介で)パバナプ寺を訪問した人のほとんどは、エイズで死亡した人の死体のミイラが展示されていることについて感想を述べられます。そのほとんどは、「驚いた」という言葉の次に、「見世物みたいでよくないことだと思う」と言います。

 パバナプ寺の敷地内には「博物館」と呼ばれる建物があります。この博物館に展示されているのは合計10体ほどの人間のミイラです。各ミイラがショーケースの中に入れられ、ショーケースの前にはその人のプロフィールと生前の写真が載せられたパネルが置かれています。プロフィールには、実名、生年月日、出身地、職業なども記載されています。

 ミイラとなる人は、エイズを発症しパバナプ寺でケアを受けた人たちです。現在エイズは死に至る病ではありませんが、それは最近になってからの話であり、まだ抗HIV薬が支給されていなかった2004年の前半くらいまでは、この寺に来ると最終的には死を待つしかありませんでした。現在でも投薬開始が遅れて、つまりエイズの末期になってから寺に来て薬の力では治らなくなった人も亡くなっていきます。

 プライバシー保護という言葉に慣れている我々日本人からすると、この死体の展示、それも実名や生前の写真入りの展示ですから大変驚かされます。もちろん、このように驚かされるのは日本人だけでなく、私の知る限りパバナプ寺を訪れたほとんどの西洋人は我々と同じように驚きます。

 一方、タイ人に意見を聞くと評価が分かれます。全員というわけではありませんが、私の聞いたところ、いわゆる高学歴者というか、例えば日本に留学に来たことのあるようなタイ人は、やはり我々と同様違和感を覚えると言います。しかし、パバナプ寺のエイズ患者さんたちに意見を聞くと、「別にいいんじゃないの」というような答えが返ってくることも少なくありません。

 この問題に対し、タイの英字新聞The Nationが興味深い報道をおこないました。

 報道(2009年9月14日)によりますと、タイの複数の市民団体が2009年9月9日、パバナプ寺が長年に渡りエイズ患者の人権を侵害しているとして、「国家人権委員会(National Human Right Commission, NHRC)」に何らかの対処をするよう要求したのです。

 実は、私もパバナプ寺でボランティアをしていた頃、寺の職員にこの件について質問したことがあります。「これは日本人的な見方でタイの文化を尊重すべきことを理解した上で質問しますが・・・」と前置きを付けた上で、「このような死体の展示は患者の人権侵害に相当しないのか」と尋ねたのです。

 すると、寺の職員は、「死体をミイラ化し展示することに対して生前に本人及び本人の親族から文書で同意を得ている」と答えました。しかし、同意書があればいいというものではないのではないか・・・、と私は感じましたが、これ以上の詰問は外国人がすべきことではないようにも思えました。ボランティアをしにきている私は「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出しました。

 上記のThe Nationの記事によりますと、「エイズ患者の権利基金(Foundation for AIDS Rights)」のスパトラ(Supatra Nakhapiew)氏は、「他に選択肢がないエイズ患者が、ケアを受けるためにパバナプ寺に来ている。そんな患者に、ミイラになってくれ、という寺の要求を断ることはできない。本人の同意があるからといって、ミイラ化した裸の遺体を晒すのは行き過ぎた行為だ」と批判しています。

 この意見ももっともだと思われます。

 さらに同記事によりますと、「タイ・HIV/AIDS患者ネットワーク(Thai Network for People Living with HIV/AIDS)」の代表者も、パバナプ寺がエイズ患者の病棟を公開して寄附金を集めていることに対して、「エイズで苦しんでいる人たちを寄附金集めに利用してはいけない。パバナプ寺のこのやり方には長年疑問を感じていた」と話しているそうです。

 さて、私の知る限り、パバナプ寺の職員のほとんどは、看護師も事務員も患者さん想いのいい方々です。The Nationのこの記事を読んで、再びこのミイラの展示のことが気になり、職員に尋ねてみることにしました。上に述べた私が質問した職員は、当時(2004年)のパバナプ寺で比較的高い役職にある人だったため、いわば寺の公式見解であり、その職員のホンネではない可能性があります。

 そう考えた私は、今度はもう少しホンネで話してくれそうな職員にGINAのタイ駐在スタッフを通じて質問してみました。その職員の意見をまとめると次のようになります。

・いたずらに訪問者(見学者)の恐怖心をかきたてたり、ショービジネスであるかのように遺体を陳列したりすることには(個人的には)同意できない。

バナプ寺がエイズ患者さんのケアをおこない、それを訪問者(見学者)に公開している目的は、患者さんが普通に働いている(お寺の中の諸業務にさまざまに携わっている)のを見てもらい、エイズ患者さんも一般社会で働き(普通に)生活出来ることを理解してもらうこと。

・一部の人権団体から死体の展示に関して指摘を受けたことがある。しかし、同団体は一度批判を放ったきりで、以後音沙汰がない。(一度批判を言っただけでその後の連絡がなければ意味がない) そして公的な調査は一度もおこなわれていない。

・(個人的には)一度然るべき(公的)機関からの査察を受けるべきだと考えている。しかしそのような様子は現在のところまったくない。


 パバナプ寺が有名になり、同時にこの「死体博物館」も世に知れ渡るようになってきています。この職員が提言しているように、私も「然るべき機関による査察」に賛成です。

 けれども、どこの機関が査察をおこなってもきっと一筋縄にはいかないでしょう。私が最後にパバナプ寺を訪問したのは2009年8月ですが、そのときには「死体博物館」とは別の建物に、臓器ごとの展示がおこなわれていました。心臓、脳、肝臓、腸管、陰茎などがホルマリンにつけられ展示されているのです。

 査察が入り、仮に死体のミイラはNGとなったとして、ではこれら臓器の展示はどうするのかという問題が残ります。また、そもそも重症病棟に一般の見学者を入れることはどうなのか(多い日は千人近くの観光客が重症病棟に入るのです!)という問題もあります。

 一方で、もしも死体の展示も重症病棟の見学もなくせば、寄附金が集まらず患者さんのケアができなくなってしまう可能性があるのもまた事実なのです。

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第41回 HIVワクチンに無関心なタイ人(2009年11月)

 2009年9月24日、タイのウィタヤ・ケオパラダイ(Witthaya Kaewparadai)保健大臣が、HIVワクチンの臨床試験で、感染リスクの低減を示す結果が得られたことを発表しました。

 このニュースは翌日(9月25日)のBangkok Postで報道され、さらに世界中のマスコミで取り上げられています。日本のマスコミでも扱いはさほど大きくありませんでしたが、一部の報道機関で伝えられたようです。さらに、医学誌『New England Journal of Medicine』電子版の2009年10月20日号にはこのワクチンについての論文が掲載されています。

 このワクチンの臨床試験の結果について簡単にまとめておきましょう。

 2003年10月、タイ東部のチョンブリー県とラヨン県の16,402人を対象として臨床試験が開始されました。対象者を半分に分け、1つのグループにはワクチンを接種し、もう1つのグループには偽ワクチンを接種して、3年間にわたり追跡調査が実施されました。尚、対象者は調査開始時点でHIVに感染していない18~30歳の健康な男女で、多くが異性愛者とされています。

 追跡調査の結果、偽ワクチンを接種したグループでは74人がHIVに感染し、ワクチンを接種したグループで感染したのは51人でした。この数字を統計学的に分析すると、「感染率が31%軽減した」、という結果となっています。

 このワクチンは2種類のワクチンを混合し合計6回接種することになっています。ワクチンの副作用はほとんどなく安全なワクチンであるということは言えそうですが、有効率が3割というのは、他の感染症のワクチンと比較すると少し物足りない感じがします。

 実際、ウィタヤ保健大臣は、「ワクチンはまだ実用レベルには達していない」とコメントしています。しかしながら、HIVのワクチンはこれまでも多くの地域で研究されてきましたが、わずかとはいえ有効性が確認されたのは今回が初めてですから、今後のワクチン開発に希望を与えるものであるという言い方はできるでしょう。

 さて、上でも述べましたように、このHIVワクチンについてのニュースは一部の日本のマスコミでも報道されましたが、残念ながら日本人にはあまり関心のないことなのか、大きく報道されることは(私の知る限り)ありませんでした。

 現在、日本ではHIV感染が増加しているのにもかかわらず、無関心さは感染者の増大よりもはるかに大きな勢いで増してきているようで、検査を受ける人も減ってきているようです。先日、公衆衛生関係のある学者に尋ねたところ、大阪では去年に比べ、保健所にHIV検査に来る人が半数程度に落ち込んでいるそうです。

 日本人のHIVに対する無関心さは今に始まったことではありませんから、HIVのワクチン開発が話題にならないのは驚くに値することではないのかもしれません。

 ではタイではどうでしょう。タイは90年代半ばに感染者が急増し、一時はHIV感染症の抑制が国の最優先事項と考えられていましたが、現在では新規感染者は急減し、世界的にはタイは「エイズ撲滅に成功した国」とみられています。実際、大手のNPOなどの支援団体はタイからアフリカなどの他国に支援の矛先をシフトさせています。

 しかし、実際のところはこういった認識とは随分と異なります。タイで新規感染者が減ったといっても、今でも年間約1万8千人が新たに感染しておりここ数年は横ばいです。しかも感染者の層が低年齢化しており、さらに最大のハイリスクグループが主婦になっているため新たな対策が必要になってきています。エイズ患者やエイズ孤児は、今でも生活に苦労しており支援が必要でないわけではありません。GINAがタイから離れられないのもこのような現実を目の当たりにしているからです。

 さて、年間1万8千人が新たにHIVに感染しており(タイの人口は約6千万人です)、若い層での感染者の増加が問題になっているタイで、ワクチンが開発されたわけです。ウィタヤ保健大臣の発表の翌日には、Bangkok Postがこのニュースを大きく取り上げました。私としては、きっとタイ人の多くがこのワクチンのことを話題にし、大きな期待を持っているのではないか、と考えました。

 ところが、です。電話やメールでタイ人何人かに聞いてみても、まずこのニュースを知っているタイ人がほとんどいません。「タイでHIVのワクチンが開発されたよ。有効率は3割程度だけどすごいことだと思わない? もし実用化されて値段が安ければ接種する?」という質問をしてみたのですが、ほとんどの人が、「HIVのワクチン? 興味ないね・・・」という態度なのです。

 そこで私はタイ駐在のGINAのスタッフに調査を依頼することにしました。タイ人数十人に、ワクチンが自国で開発されたことを知っているか、ワクチンが実用化されれば接種したいか、などのアンケートをするように依頼しました。

 その結果は、結論から言えば「調査の価値なし」というものでした。本格的な調査を始める前に、そのスタッフは周りのタイ人何人かに意見を聞いたそうなのですが、ほとんどのタイ人は、私が電話などで直接タイ人と話したときのように、HIVそのものに無関心であり、ワクチンのことまで話が進まないそうなのです。

 そのスタッフによれば、もしも調査をするのであれば、タイ人のなかでも上層階級に入るような人に限定しなければまともな回答が得られないであろう、とのことでした。私が知りたいのはHIV感染のリスクがあると思われる一般的なタイ人を対象とした調査ですから、これでは意味がないと判断し、結局調査は中止することにしました。

 今回の臨床試験で対象となったのは、チョンブリー県とラヨン県というタイ東部です。これら2県は工業地域としても有名で日系の企業や工場もたくさん進出している地域です。実際、地域のひとりあたりのGDPは、バンコクを含むタイ中部よりもタイ東部の方が高くなっており、東部はタイの中でもかなり発展した地域なのです。チョンブリーにはタイ最大の歓楽街であるパタヤもあります。その地域で試験に参加したなかでワクチンを接種した人も含めて合計125人の若者がHIVに新たに感染しているのです。

 結局のところ、HIVに無関心なのは日本でもタイでも同じことなのではないか、と私は考えるようになりました。我々医療従事者やNPOのスタッフであれば、日々HIVに感染した患者さんがどれだけ肉体的、精神的、あるいは社会的に苦労しているかを目の当たりにしていますが、周囲に感染者がいない人にとっては、HIVとは自分とは関係のない別世界のことなのかもしれません。

 HIV検査の受検者が減っているのは、日本だけでなくタイでも同じような状況だそうです。ということは、我々GINAのようなNPOがもっともっとHIVのことを世間にアピールしなければならないのかもしれません。

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第40回 ウドンタニの売春合法化は実現するか(2009年10月)

 タイの東北地方(イサーン地方)にあるウドンタニ県をご存知でしょうか。ウドンタニはイサーン地方の中心県のひとつであり、比較的大きな空港もあります。人口はおよそ150万人で、タイの県別の人口では第8位になります。

 ウドンタニはバンコクと比べると、ずいぶんのんびりした印象を受けますが、空港やバスターミナルの付近はそれなりににぎわっています。チェンマイやプーケットに比べると、それほどリゾート地という感じはしませんが、外国人もまあまあ住んでいます。日本人は白人に比べると、それほど多くなく私はウドンタニでスーツを着た日本人を見たことはありませんが、観光(夜遊び?)に来ていると思われる日本人に何度か会ったことがあります。

 タイはどこの地方に行っても必ず売春施設がある、と言われることがありますが、このウドンタニも例外ではなく、様々な形態の売春施設があります。なかには、そういった施設に行くことを目的としてウドンタニ県まではるばるやって来る男性も(日本人も含めて!)いるようです。

 そのウドンタニ県の産業審議会(Industrial Council)のプラヨーン(Prayoon)会長が、売春合法化をタイ政府に求めています。(報道は9月15日のThe Nation)

 プラヨーン会長は次のようにコメントしています。

 「売春を一掃することは絶対にできない。ならば現実に目を向けて合法化すべきだ。売春が違法である限り性犯罪は減少しない・・・」

 同会長は、世界には売春を合法化している地域もあることを引き合いに出し、売春施設やセックスワーカーを当局が登録制にし管理すべきだと主張しています。こうすることによって、セックスワーカーが社会保障を受けられるだけでなく、政府にとっても税金を徴収できることになり、両者にとってメリットがある、というようなことを主張しています。

 プラヨーン会長のこのような発言は、特に画期的なものではなく、以前から世界中で提唱されている概念です。セックスワーカーの側からみると、非合法の状態であればいつ逮捕されるか分かりませんし、暴力やレイプといった性犯罪に巻き込まれる可能性が高いわけですが、これが当局の管理の下になるとすれば、いくぶんはこういったトラブルが避けられるかもしれません。したがって、売買春を合法化することによりセックスワーカーも安全に働けるようになるではないか、というのが売春合法提唱者の言い分です。

 同会長が指摘しているように、売買春を合法化すれば、そこから税金も徴収できるわけですから、一見合理的なシステムのように見受けられます。

 一方、当事者であるセックスワーカーは売春合法化についてどのように感じているのでしょうか。

 このニュースを報道したThe Nationは、「女性の友基金」(Friends of Women Foundation)のタナワディ(Thanavadee)代表に対して取材をしています。

 タナワディ氏は、まず、売春施設の地域指定化については賛成しています。タイの売春施設のなかには学校や寺院の近くに位置しているところもあり、これらは誰の目からみても問題だからです。現在のように売春そのものが完全に非合法な状態であると、結局はどこにでもつくられることになります。もしも、売春施設に関する法律で地域を限定するようにすれば、このような教育上あるいは道徳上問題のある地域での売春はできないことになります。

 タナワディ代表は、セックスワーカーの社会的保護にも賛成しています。他の職業と同様の社会保障を受ける権利がある、と述べています。

 しかしながら、タナワディ代表は、セックスワーカーの登録管理制度については反対しています。社会保障が受けられるようになる可能性がある一方で、セックスワーカーにとってはマイナスの要因もあると主張し次のように述べています。

 「セックスワーカーを登録制にすれば、彼女たちがセックスワークを終えた後の人生に影響を与えることになります。登録をされることにより、彼女たちが売春婦という烙印を押されることになり、その後の人生もそのような目で見られてしまいます。将来、他の職業に就こうと思ってもその烙印のせいで他の仕事ができなくなってしまうと思われるのです」

 タナワディ氏のこの主張は、セックスワーカーの立場にたった現実的な意見と言えるでしょう。もしもセックスワーカーが登録制になれば、公的な記録として残ることになります。いくら守秘義務が守られることが約束されるとしても、当事者からみればやはり記録に残ってしまうことには抵抗があるでしょう。

 しかしながら、タナワディ氏は、セックスワーカーの社会保障は必要だと述べているわけです。

 では、「社会保障」とは何なのでしょうか。具体的にどのような社会保障があれば、セックスワーカーが安心して働けるのでしょうか。

 私が考えるセックスワーカーの保障は主に3つあります。1つは、顧客の暴力から守られること、2つめは、警察に逮捕されないこと(売春が非合法である限り、彼女らはいつ逮捕されるかわからないという恐怖心をもっています)、そして3つめは性感染症の予防です。

 もしも、セックスワーカーの施設が合法化されれば、1つめと2つめの問題はかなり解決できるのではないでしょうか。現状では、たとえセックスワーカーが顧客に暴行を加えられたとしても警察には駆け込めません。なぜなら、セックスワークという行為自体が違法だからです。施設が合法化されれば、このようなリスクは大きく減少することが期待できます。

 3つめの問題、すなわち性感染症の予防については、行政がB型肝炎ウイルスワクチンの無料接種(タイでは日本と同様、B型肝炎のワクチンが全員に接種されていません)や、性感染症の定期的な無料検査を実施し、さらに無料でコンドームを配布するのが得策だと思われます。

 そうすることによって、セックスワーカーは性感染症のリスクを大きく軽減することができます。無料で検査やワクチン接種をおこなうことで予算が必要になりますが、セックスワークを合法化することにより、売春施設やセックスワーカーから税金を徴収することができるのです。

 ウドンタニの議会で現在この件がどのように進められているのか、マスコミからの情報は伝わってきませんが、私がここで述べたような具体的な社会保障について積極的な議論を期待したいと思います。

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第39回 ひとりのHIV陽性者を支援するということ(2009年9月)

 今月(2009年9月)初旬のある日、このウェブサイトでは何度も紹介しているタイ国パヤオ県でエイズ患者及び孤児の支援をしている谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)から1通の手紙が届きました。

 便箋2枚に渡りびっしりと書かれたその手紙の内容は、最近HIV陽性であることが発覚したひとりの女性を救ってほしいというものでした。

 その女性はタイとミャンマーの国境付近で集落をつくっている少数民族(高地民族)のひとつであるアカ族の40代の女性です。縁あって巳三郎先生の知り合いの元で働いていたこともあったそうです。

 前夫との間にできた男の子は小学4年生、1年ほど前に新しい夫ができてその夫は現在台湾に出稼ぎに出ているそうです。この女性は数ヶ月前から体調がすぐれないため病院を受診したところ、HIV陽性であることが判明しました。この女性がHIVに感染したのは、この新しい夫からなのか、前夫からなのかは分からないといいます。けれども、今は誰から感染したかということは問題ではありません。

 この女性はHIV陽性であるということよりも体調が芳しくないことから仕事を失い、絶望のどん底にいると言います。台湾に出稼ぎに行った新しい夫は、帰ってこないばかりか連絡もとれないそうです。

 自分ひとりなら迷わず死を選ぶ、しかし小学4年生の男の子を置き去りにはできない、けれどもこの子を預けるあてもない・・・。ひとりの女性の失望の様子が、巳三郎先生の手紙から伝わってきます。

 タイの医療情勢に詳しい人ならこのように思うかもしれません。すなわち、タイは低所得者に対しては無料医療制度(昔は「30バーツ医療」)があるじゃないか、仕事はできないかもしれないけれどまずは治療に専念すればいいのでは、と。

 しかし、無料で抗HIV薬が支給されるのは「タイ人」だけです。この女性のように少数民族の人には無料で支給されるわけではありません。HIVに関わらずタイの医療機関で少数民族が治療を受けるには、保険制度というものはなく全額自己負担となります。

 我々GINAのスタッフは、巳三郎先生からのこの手紙を受け取ったとき、支援すべきかどうかを悩みました。

 私財をなげうって1983年からタイの貧困を救うために人生を費やしている巳三郎先生からの依頼を断ることは簡単にはできません。谷口巳三郎先生は、農業支援など幅広い活動をされていて、現在では日本政府からもタイ政府からも一切の援助がないなかで、活動資金の大半が寄附金によるものです。けれども、26年間の支援活動のなかで、谷口巳三郎先生は、一度たりとも特定の個人に寄附のお願いをしたことがありません。その先生が、GINAの代表である私に、特別の依頼をされているのです。この依頼を断れるでしょうか・・・。

 しかしながら、たったひとりのHIV陽性者を支援するということを、公的機関であるべきNPOがしてもいいものか・・・。しかも、この女性は現在住むところもない状況であり、いくら簡素にしたとしても新しく住居をつくり、今後の生活費及び医療費を捻出しなければなりませんから、少なくないお金が必要になります。

 この女性のように少数民族であるがゆえに医療を受けられないという人はいくらでもいます。また、小学生の子供を養わなければならないけれども体力が低下していて働けないという人もいくらでもいます。

 この女性のための支援、それも少なくない額の支援をおこなってしまえば、他の似たような境遇の人に対してGINAはどういうスタンスをとるべきなのか、という問題が出てきます。

 我々が悩んだ結果・・・、結局この女性を支援することにしました。

 しかし、私は今月タイに渡航しましたが、日頃から集めた寄附金はWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)を中心に施設に寄附することがすでに決まっていました。少数民族や北タイのエイズ患者・孤児に対しては奨学金などを含めて定期的に金銭的な支援をしていますが、追加の支援をする余裕はありません。

 そこで、緊急支援を知人にお願いしたり、GINAのウェブサイトで広く閲覧者に訴えかけるなどをしたりして多くの方に支援を依頼しました。その結果、なんとか必要な金額を集めることができました。(緊急支援してくださった皆様には深くお礼申し上げます)

 私がタイのエイズ問題に関わりだしたのは2002年ですが、その頃は国全体に差別やスティグマがはびこっていました。まだ抗HIV薬が支給されていなかったその頃は、HIV陽性者は、地域社会からも家族からも、そして医療機関からも拒絶されていたのです。

 その後私は年に何度かタイを訪問するようにして、多くのHIV陽性者・エイズ発症者、またボランティアを含めた支援者と関わるようになりましたが、訪タイする度に、差別やスティグマがなくなってきていることを実感しています。(といってもまだまだ根強い偏見がありますが・・・)

 以前に比べると、タイのHIV陽性者が社会である程度受け入れられるようになってきていますし、タイのエイズ患者を支援する団体や個人は減少してきているように見受けられます。おそらく世界規模で活動している支援団体は、タイよりも事態が深刻である他のアジア諸国やアフリカに支援の矛先を転換しているのでしょう。

 しかし、GINAはそのような大きな団体とはミッションが異なります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援」という言葉があります。

 最終的に、このアカ族のHIV陽性の女性を支援することを決断したのは、「今この女性を救えるのはGINAしかない」と判断したからです。この次同じような境遇のHIV陽性者が現れたときにどうするんだ、という問題が残りますが、今支援を躊躇すればこの女性と小学生の子供が生きる術を絶たれることが明らかな状況を無視することができなかったのです。

 見方によっては不公平感が払拭できないこのような支援をした以上はGINAにも責任があります。GINAとしては、これからこの女性がどのように貧困やHIVを克服し、男の子が成長していくかを見守っていきたいと考えています。そして、その内容はこのウェブサイトを通して広く社会に訴えていきたいと考えています。

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第38回 なぜカウンセリングが重要なのか(2009年8月)  

 VCTという言葉をご存知でしょうか。VCTとは、voluntary counseling and testing (programs)の略で、直訳すると「自発的な検査とカウンセリング」となるかと思います。

 要するに、「HIVの検査は強制されるものであってはならず、被検者主体(client-initiated)でなくてはならない、そして、検査の前後には充分なカウンセリングが必要である」、といったものです。

 当たり前じゃないの?、と感じる人もおられるでしょうから少し説明を加えておきます。まず、HIVは、以前はかなり社会的偏見やスティグマに満ちた感染症でした。もちろん、今でもそういった偏見などは残っていますが、90年代の半ばには現在の比ではないほどでした。

 例えば、タイでは多くの外資系工場でタイ人の労働者全員にHIV検査を強制していたことがありました。「外資系」にはもちろん日系の企業も含まれています。当時のタイでは、中学を卒業していない人も多く、一応1991年には法的には中学も義務教育となってはいましたが、実際には中学を卒業しないで工場などで働いている未成年も大勢いたというわけです。未成年を含む工場労働者に対し、雇用者側は、強制的に、性交渉の経験のない未成年も含めて、HIVの検査をおこなっていたのです。

 通常、HIVを含めて感染症の検査というのは、医療機関でおこなうときは必ず患者さんの同意を得てからおこないます。(意識がないときなどは例外的に同意なしでおこなうこともあります) 感染症の検査をしてもいいかどうかを患者さんに尋ねて、そこで患者さんが「拒否します」と言えば、医師はその感染症を疑っても検査をすることは原則としてできません。(検査の必要性を再度訴えることはありますが)

 話を戻しましょう。工場などで強制的にHIVの検査がおこなわれ、そこで陽性反応が出たとすれば、問答無用で解雇されるというケースがあったのです。

 もちろん、このようなことは許されるはずがありません。そこで、WHOを含む公的保健機関や保健関連のNPO・NGOは、検査は「自発的(voluntary)なものでなければならない」としたのです。

 そこで、自発的に検査を受けてもらうために、公的機関・民間機関、あるいは個人の活動家たちも、HIVの検査を受けるように呼びかけるようになりました。こういった運動が功を奏し、それまでHIVを他人事と考えていたような人たちも関心を持つようになり、検査を受ける人が次第に増えるようになりました。国や地域によっては、HIVの検査がかなり普及したといってもいいでしょう。

 しかしながら、世界に目を向けると、"自発的な"検査だけでは、受検率がそれほど伸びていない国や地域もあります。まだまだHIVに関心が向いていない地域も少なくないというわけです。

 そこで、2007年にWHOとUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)は、VCTに代る概念としてPITC(provider-initiated HIV testing and counseling)を提唱しました。PITCは、被検者の自主性のみに頼るのではなく、ある程度は検査の供給者(医療機関や保健所など)が積極的にHIVの検査の必要性を訴えていこう、とするものです。もちろん、強制的なものになってはなりませんが、「なぜ今その人にとってHIVの検査が必要なのか」を理解してもらおうとする試みです。

 さて、VCT、PITCのいずれにおいても、「C」すなわちカウンセリングが大変重要とされていることには変わりありません。

 HIVという感染症は、まだまだ正しい知識が社会一般に浸透していないこと、誤解や偏見に満ちており感染者が差別的な扱いを受けることが実際にあること、検査の仕組みや結果が出るまでにすべきこと、などの説明をしなければなりません。

 また、被検者が考えていること、感じていること、悩んでいること、などはその人によって異なりますから、まずはそういった話をカウンセラーが充分に聞く必要があります。この時点で、被検者が正しい知識を持ち合わせていなかったり、不必要な心配をしていたり、HIVよりも優先して調べなければならない検査があることに気づいていなかったり、ということはしばしばあります。

 HIVの検査を受けて陽性であった場合は、もちろんカウンセリングが大変重要になってきますが、HIV陰性であったとしてもカウンセリングはかかせません。その理由はいろいろありますが、検査を受けて陰性と判ってから出てくる質問が多数あるというのもひとつです。分からないこと、気になることは、検査を受ける前に聞いておくべきかもしれませんが、実際には、結果を知った後で出てくる質問も被検者によってはたくさんあります。これは、検査前には不安が強くて、広い視点から物事が見えなくなっているせいかもしれません。

 我々検査をおこなう側からすれば、HIVに関する正しい知識を持ってもらって、同じような不安に陥らず、そしてできればもう同じような検査を受けなくてもいいようにしてもらうのがありがたいのですが、人間はそれほど理論的・理性的に行動できるわけではありませんから、実際には何度も医療機関や検査会場に足を運ぶ人もいます。

 HIVの検査を受けに来られる人で、私が多いな、と感じているのは、HIVで頭がいっぱいになって、HIVよりも感染しやすく検査が必要と思われる感染症が重要視されていないことです。これについては、何度も紹介していますので(例えば下記コラム参照)、ここでは詳しくは述べませんが、HIVの検査を受けるすべての人に再確認してもらいたいと思います。

 しかし、必ず検査の前後にカウンセリングという方法をとるべき最大の理由は、やはり精神的なケアが必要となる場合が少なくないからです。ときに、不安は加速度的に進行し、日常生活に影響を与えることすらあります。また、検査で陰性という結果がでたとしても、いったん強くなった不安は、「本当に検査結果は正しいのかな」「検査の過程で誰か他人のものと入れ替わったんじゃないかな」などと考え出す人もいます。

 最近は、インターネットなどを通して自分の血液を業者に送付して結果をネット上で知ることができる検査方法がありますが、この検査方法がやっかいなのは、かえって被検者の不安を煽ることが少なくないからです。「インターネットで検査をしたが結果は本当に信頼できるのか」、このようなことを言って、私の元(太融寺町谷口医院)を受診する人は後を絶たない、というか、益々増えてきています。これでは検査した意味がありませんし、当初は手軽に検査ができると考えたのでしょうが、費用も時間もかえって高くつくことになります。

 例えば、インフルエンザなどでこのようなサービスがあれば大変便利だとは思いますが、誤解や偏見、スティグマなどがまだまだ少なくないHIVの検査をおこなうには、WHOをはじめとする公的医療機関やNPO・NGOなどが提唱するように、検査前後のカウンセリングが不可欠だというわけです。

参照:
GINAと共に 第36回(2009年6月)「HIVを特別視することによる弊害 その1」

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