GINAと共に
第47回 タイの政治動乱の行方(2010年5月)
私自身は特にタイの政治に詳しいわけではないのですが、これだけデモが過激化し、多数の死傷者がでることになりましたから、「タイは大丈夫なの?」という質問を受ける機会が増えてきました。
デモはバンコクだけでなく、北タイやイサーン地方(東北地方)にも波及しており、GINAが支援しているいくつかの施設がある県でも過激な衝突がおこっています。しかし、GINAが支援しているHIV関連の施設には、今のところ被害は出ていません。(しかし、バンコクでデモの拠点になっていたラートプラソン交差点近くのパトゥムワラナム寺院内で、5月19日に死亡が確認されたタイ人のなかには3人の医療ボランティアが含まれていたという報道もあり、そういう意味では、今後施設や寺院の中にいても、政治的に活動していないボランティアに危険が及ぶ可能性があるかもしれません)
デモ隊(UDD、赤シャツ)と政府の機動隊の衝突はエスカレートし、約90人の死者、2,000人近くの負傷者をだし、地下鉄やBTS(高架鉄道)も運行休止となりました。5月19日には、政府は非常事態宣言を発令し、ついにデモ隊の強制排除を施行しました。デモ隊(UDD)の幹部は投降し、デモ自体は一気に沈静化しましたが、デモ終息後も、夜間外出禁止令は引き続き継続しています。日本企業もオフィスを市街地から離れたところにうつしたり、社員に自宅待機を命じたり、社員の家族は帰国させたり、といった対策を講じています。
5月24日の時点では、治安は徐々に改善しているようですが、夜間外出禁止令は、時間は短縮されたものの(24日より午後11時から午前4時まで)、依然これまでの活気のある歓楽街としてのバンコクの夜には戻っていないようです。
日本人街として知られるタニヤは、今回デモの拠点となった場所から比較的近いところにあり、普段は銀座や北新地と変わらないような賑やかさをみせていますが、現在は空いている店はほとんどなくひっそりとしているそうです。タニヤの日本料理屋で夫婦で働く私の知人のタイ人に連絡をとってみたのですが、「いつ店が再開するかの目処がたたない、ヒマだ、ヒマだ・・・」と言っていました。
UDD(赤シャツ)のみならず、2008年12月にスワンナプーム空港を占拠したPAD(黄シャツ)について、そしてタクシン元首相のことについては、以前も述べましたので(下記参照)、ここでは詳しくは繰り返しませんが、その後の動きについて簡単にまとめておきたいと思います。
まずタクシン元首相は、2006年9月19日の軍事クーデターにより失脚します。タイ軍部のなかにはタクシン派、反タクシン派の双方がいますが、主流は反タクシン派だと言われています。その後タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますが、彼らはいずれもタクシン派です。
このあたりを理解するのは少しむつかしいかもしれません。タクシンが軍にクーデターを起こされたのは、政治的理念が相容れなかったというよりも、タクシン個人の株式売買を巡っての不正や、過去の汚職に対する反発が強かったからということと、タクシンが国民の大半に支持されているのは明らかであり、民主党など反タクシン派の政党が小さかったため、反タクシン派の首相を新しい首相にすることは現実的ではなかったからではないかと私は考えています。
さて、首相が次々と代わってもタクシン時代と何ら変わらない政策を続けていたタイ政府に不満を募らせていたPAD(黄シャツ)は、2008年12月、ついに空港占拠という暴挙にでます。そして、この行動が結果としてPADの勝利となり、当時の首相ソムチャイは失脚し、民主党のアピシットが新たな首相となりました。
このあたりが日本人や西洋人には理解しがたいところです。タクシンが不正や汚職をはたらいたことは司法の判決に従うべきではありますが、軍によるクーデターでのタクシンの失脚や、民間の政治団体であるPAD(黄シャツ)の空港占拠でソムチャイが失脚し、新たな首相が任命される、などということは民主主義ではあり得ないこと(あってはならないこと)ではなかったでしょうか。
そもそも反タクシン派は選挙でタクシン派に勝っていないのです。2007年12月の下院選挙ではタクシン派が勝利をおさめています。なぜ、選挙で勝っていない反タクシン派が政権をとっているのかというと、それは軍の主流派、経済界の主流派、そして王族が反タクシンだからです。政権というのは民意を反映すべきであり、それが民主主義なのですが、そういう意味では、タイには本当の民主主義がないと言われても仕方がないかもしれません。
さて、多数の死傷者をだした今回のデモを通して、私がひとつ興味深く感じていることがあります。それは、過激な行動にでたUDD(赤シャツ)に対し、外国人からは非難の声が多く、これは当然なのですが、その一方で賛同する声も少しずつ増えているということです。
私はこれまで日本人を含む外国人から、タクシンを支持するという声をほとんど聞いたことがありません。私が初めてタイを訪れたのは2002年ですが、この頃はタクシンの政策によってタイが変わりつつありました。(タクシンは2001年に政権についています)
私は海外に行くとどこの国の人ともよく話すのですが、なぜか「不良外国人」からよく声をかけられます。「不良外国人」というのは、タイにとって来てもらいたくない外国人(西洋人)、率直に言えば、仕事をするわけでもなくブラブラとし、そのうち薬物や買春に手を出すような外国人です。2002年当時、不良外国人たちはやたらとタクシンの悪口を言っていました。違法DVD(特にポルノ)が手に入らなくなった、売春施設がつぶされた、違法薬物の値段が高騰した・・・。どう考えてもタイにとってはいいことなのですが・・・。
一方、その後タイのエイズ事情を目の当たりにし、GINAを設立するに至った私はボランティアに来ている西洋人の知人が増えていきました。便宜上彼(女)らを「奉仕系外国人」とすると、奉仕系外国人もまたほとんどすべての人が反タクシンなのです。タクシンは「30バーツ医療」という、誰もが医療を受けることのできる政策をとったことで貧困層の医療機関へのアクセスは格段によくなったわけで、奉仕系外国人もそのあたりは評価しているのですが、やはり「不正や汚職は許せない」という西洋の公正感が反タクシン派となるのでしょう。
また、不良系でも奉仕系でもない、ビジネスや留学でタイに来ている日本人のほとんどの人も反タクシンであったように思います。これは、タクシンが日本嫌いであることと無関係でないでしょう。タクシン政権となってから日本企業は他の国の企業と比べて不利になったと何人かのビジネスマンから聞いたことがあります。また、これは噂ですが、ある会議でタクシンが自ら「私は日本が嫌いです」とコメントしたとも言われています。
今回の一連のデモの期間、私自身はタイには渡航していませんが、電話やメールでタイ人や西洋人から集めた情報によりますと、外国人の間にUDD(赤シャツ)を支持する声が少しずつではありますが確実に増えてきています。タクシン派となるにはいろんな経緯があるようですが、典型的パターンにこういうケースがあるそうです。
まず、イサーン人(女性)を恋人に持つ西洋人(男性)が恋人と共にデモに加わり(バンコクに出稼ぎにきているイサーン人の大半はタクシン派です)、初めは面白半分でデモに加わっただけで、デモの意味が分からなかったけれど、恋人があまりにも熱心なので関心を持つようになり、そしてタクシンのおかげで恋人の故郷が貧困から抜け出せたことや、現在のアピシット首相が選ばれたのは民主主義的でないことなどに気づき、選挙をやり直すべきだという考えに至る・・・。
アピシット首相は5月3日に下院解散総選挙を実施することを、UDD(赤シャツ)に約束したのにもかかわらず、5月12日にはこれを撤回しています。北タイとイサーン地方では圧倒的にタクシン派が優勢なのですが、これら2つの地域を合わせるとタイ人の過半数を超えます。もしも解散総選挙がおこなわれるとすると、前回と同様、タクシン派の勝利となる見込みが大きいと言えるでしょう。
私個人の意見としては、デモがこれほどまで大きくなり、多数の死傷者を出している現状を考えると、やはり解散総選挙をすべきなのではないか感じています。あるいは、後に「暗黒の5月事件」と呼ばれるようになった、1992年5月に300名以上の死者が出た事件が幕を下ろしたときのようにプミポン国王の登場を待つべきなのでしょうか・・・。
参考:GINAと共に第31回「バンコク人対イサーン人」
デモはバンコクだけでなく、北タイやイサーン地方(東北地方)にも波及しており、GINAが支援しているいくつかの施設がある県でも過激な衝突がおこっています。しかし、GINAが支援しているHIV関連の施設には、今のところ被害は出ていません。(しかし、バンコクでデモの拠点になっていたラートプラソン交差点近くのパトゥムワラナム寺院内で、5月19日に死亡が確認されたタイ人のなかには3人の医療ボランティアが含まれていたという報道もあり、そういう意味では、今後施設や寺院の中にいても、政治的に活動していないボランティアに危険が及ぶ可能性があるかもしれません)
デモ隊(UDD、赤シャツ)と政府の機動隊の衝突はエスカレートし、約90人の死者、2,000人近くの負傷者をだし、地下鉄やBTS(高架鉄道)も運行休止となりました。5月19日には、政府は非常事態宣言を発令し、ついにデモ隊の強制排除を施行しました。デモ隊(UDD)の幹部は投降し、デモ自体は一気に沈静化しましたが、デモ終息後も、夜間外出禁止令は引き続き継続しています。日本企業もオフィスを市街地から離れたところにうつしたり、社員に自宅待機を命じたり、社員の家族は帰国させたり、といった対策を講じています。
5月24日の時点では、治安は徐々に改善しているようですが、夜間外出禁止令は、時間は短縮されたものの(24日より午後11時から午前4時まで)、依然これまでの活気のある歓楽街としてのバンコクの夜には戻っていないようです。
日本人街として知られるタニヤは、今回デモの拠点となった場所から比較的近いところにあり、普段は銀座や北新地と変わらないような賑やかさをみせていますが、現在は空いている店はほとんどなくひっそりとしているそうです。タニヤの日本料理屋で夫婦で働く私の知人のタイ人に連絡をとってみたのですが、「いつ店が再開するかの目処がたたない、ヒマだ、ヒマだ・・・」と言っていました。
UDD(赤シャツ)のみならず、2008年12月にスワンナプーム空港を占拠したPAD(黄シャツ)について、そしてタクシン元首相のことについては、以前も述べましたので(下記参照)、ここでは詳しくは繰り返しませんが、その後の動きについて簡単にまとめておきたいと思います。
まずタクシン元首相は、2006年9月19日の軍事クーデターにより失脚します。タイ軍部のなかにはタクシン派、反タクシン派の双方がいますが、主流は反タクシン派だと言われています。その後タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますが、彼らはいずれもタクシン派です。
このあたりを理解するのは少しむつかしいかもしれません。タクシンが軍にクーデターを起こされたのは、政治的理念が相容れなかったというよりも、タクシン個人の株式売買を巡っての不正や、過去の汚職に対する反発が強かったからということと、タクシンが国民の大半に支持されているのは明らかであり、民主党など反タクシン派の政党が小さかったため、反タクシン派の首相を新しい首相にすることは現実的ではなかったからではないかと私は考えています。
さて、首相が次々と代わってもタクシン時代と何ら変わらない政策を続けていたタイ政府に不満を募らせていたPAD(黄シャツ)は、2008年12月、ついに空港占拠という暴挙にでます。そして、この行動が結果としてPADの勝利となり、当時の首相ソムチャイは失脚し、民主党のアピシットが新たな首相となりました。
このあたりが日本人や西洋人には理解しがたいところです。タクシンが不正や汚職をはたらいたことは司法の判決に従うべきではありますが、軍によるクーデターでのタクシンの失脚や、民間の政治団体であるPAD(黄シャツ)の空港占拠でソムチャイが失脚し、新たな首相が任命される、などということは民主主義ではあり得ないこと(あってはならないこと)ではなかったでしょうか。
そもそも反タクシン派は選挙でタクシン派に勝っていないのです。2007年12月の下院選挙ではタクシン派が勝利をおさめています。なぜ、選挙で勝っていない反タクシン派が政権をとっているのかというと、それは軍の主流派、経済界の主流派、そして王族が反タクシンだからです。政権というのは民意を反映すべきであり、それが民主主義なのですが、そういう意味では、タイには本当の民主主義がないと言われても仕方がないかもしれません。
さて、多数の死傷者をだした今回のデモを通して、私がひとつ興味深く感じていることがあります。それは、過激な行動にでたUDD(赤シャツ)に対し、外国人からは非難の声が多く、これは当然なのですが、その一方で賛同する声も少しずつ増えているということです。
私はこれまで日本人を含む外国人から、タクシンを支持するという声をほとんど聞いたことがありません。私が初めてタイを訪れたのは2002年ですが、この頃はタクシンの政策によってタイが変わりつつありました。(タクシンは2001年に政権についています)
私は海外に行くとどこの国の人ともよく話すのですが、なぜか「不良外国人」からよく声をかけられます。「不良外国人」というのは、タイにとって来てもらいたくない外国人(西洋人)、率直に言えば、仕事をするわけでもなくブラブラとし、そのうち薬物や買春に手を出すような外国人です。2002年当時、不良外国人たちはやたらとタクシンの悪口を言っていました。違法DVD(特にポルノ)が手に入らなくなった、売春施設がつぶされた、違法薬物の値段が高騰した・・・。どう考えてもタイにとってはいいことなのですが・・・。
一方、その後タイのエイズ事情を目の当たりにし、GINAを設立するに至った私はボランティアに来ている西洋人の知人が増えていきました。便宜上彼(女)らを「奉仕系外国人」とすると、奉仕系外国人もまたほとんどすべての人が反タクシンなのです。タクシンは「30バーツ医療」という、誰もが医療を受けることのできる政策をとったことで貧困層の医療機関へのアクセスは格段によくなったわけで、奉仕系外国人もそのあたりは評価しているのですが、やはり「不正や汚職は許せない」という西洋の公正感が反タクシン派となるのでしょう。
また、不良系でも奉仕系でもない、ビジネスや留学でタイに来ている日本人のほとんどの人も反タクシンであったように思います。これは、タクシンが日本嫌いであることと無関係でないでしょう。タクシン政権となってから日本企業は他の国の企業と比べて不利になったと何人かのビジネスマンから聞いたことがあります。また、これは噂ですが、ある会議でタクシンが自ら「私は日本が嫌いです」とコメントしたとも言われています。
今回の一連のデモの期間、私自身はタイには渡航していませんが、電話やメールでタイ人や西洋人から集めた情報によりますと、外国人の間にUDD(赤シャツ)を支持する声が少しずつではありますが確実に増えてきています。タクシン派となるにはいろんな経緯があるようですが、典型的パターンにこういうケースがあるそうです。
まず、イサーン人(女性)を恋人に持つ西洋人(男性)が恋人と共にデモに加わり(バンコクに出稼ぎにきているイサーン人の大半はタクシン派です)、初めは面白半分でデモに加わっただけで、デモの意味が分からなかったけれど、恋人があまりにも熱心なので関心を持つようになり、そしてタクシンのおかげで恋人の故郷が貧困から抜け出せたことや、現在のアピシット首相が選ばれたのは民主主義的でないことなどに気づき、選挙をやり直すべきだという考えに至る・・・。
アピシット首相は5月3日に下院解散総選挙を実施することを、UDD(赤シャツ)に約束したのにもかかわらず、5月12日にはこれを撤回しています。北タイとイサーン地方では圧倒的にタクシン派が優勢なのですが、これら2つの地域を合わせるとタイ人の過半数を超えます。もしも解散総選挙がおこなわれるとすると、前回と同様、タクシン派の勝利となる見込みが大きいと言えるでしょう。
私個人の意見としては、デモがこれほどまで大きくなり、多数の死傷者を出している現状を考えると、やはり解散総選挙をすべきなのではないか感じています。あるいは、後に「暗黒の5月事件」と呼ばれるようになった、1992年5月に300名以上の死者が出た事件が幕を下ろしたときのようにプミポン国王の登場を待つべきなのでしょうか・・・。
参考:GINAと共に第31回「バンコク人対イサーン人」
第46回 ある慈善団体の無意味な施策(2010年4月)
「せんせー、また眠れなくなっちゃった・・・」
診察室に入ってくるなり、少し甘えたような声で不眠を訴えるのは相良美香(仮名)である。美香がこのクリニックに初めて来たのは3年前の春、そのときはまだ30代だった。たしか「風邪が治らない」というのが最初の受診目的だったはずだ。
その後、あるときは便秘、あるときは円形脱毛症、またあるときは「オリモノの臭いがおかしい」と言ってやって来た。毎週のように受診するようになったかと思えば、3ヶ月くらいばったり来なくなることもあった。
「せんせい、実はね、あたしフーゾクの仕事をしているの・・・」
美香がそう言ったのは、最初に受診してからおよそ1年が過ぎる頃だった。医師と患者の信頼関係というのは比較的すぐにできることもあれば、何年たっても壁を壊さない患者もいる。美香が僕にフーゾクの仕事をしていることを打ち明けるまでには何度も葛藤を繰り返していたのかもしれない。
「そうなんですか。いろいろと大変そうですね・・・」
僕がそう言うと、自分がフーゾクの仕事を打ち明けても一向に驚かない僕に対し美香は意外そうな顔をした。当たり前のことだが病気は患者の属性を選ばない。どのような仕事をしていようが、どのような趣味をもっていようが、お金があろうがなかろうが、病気は誰にでも訪れる可能性がある。だから医療機関にはどのような人もやってくる。有名人も来れば政治家も来る。パスポートを持っているかさえ疑わしい外国人もやって来れば、凶悪犯罪者だって来ることもある。だから、医師は目の前の患者がどんな仕事をしていてもどんな経歴があっても診療とは関係がないと考える。医療行為はあらゆる患者に平等におこなわれなければならないからだ。
僕は患者である美香に感情移入をしたわけではないし、したように見せかけたわけでもないのだが、思い切って自分の秘密を打ち明けたことで僕との距離が近づいたと感じたのであろう。これまでの生い立ちを話し出した。
美香は現在42歳。今は他人に言えないような暮らしをしているが、30代の初めあたりまでは順風満帆の人生を歩んでいたようだ。関西ではかなりの難関とされている有名私立大学を4年で卒業し、その後は都市銀行に就職。職場の同僚との社内恋愛の末、27歳で結婚。結婚後は銀行を退職し専業主婦になった。しかしタイミングが悪くその頃から景気が悪化。美香が勤務していた都市銀行も合併を余儀なくされ、美香の旦那はリストラの対象に。なんとかリストラは免れたものの社内での立場が悪くなり、そのストレスが酒と女に向かったようだ。ついに美香に暴力をふるうようになり離婚・・・。美香が33歳のときである。
その後美香は転職を繰り返したが市場は厳しかった。有名大学を卒業しているとはいえ、特に技術があるわけでもなく銀行時代にしていた仕事は実社会で役に立たない。そのうち30代後半になり、面接にさえたどり着けなくなった。そして、フーゾクの世界へ・・・。
「あれほどほしかった子供ができなかったことが今となってはせめてもの救いよ・・・」
たしかに、今小さな子供がいれば身動きがとれなくなるだろう。鹿児島の母親は5年前に父が他界してから元気をなくし、現在は寝たきりの状態だそうだ。田舎に残った妹が面倒をみてくれているのは安心できるが、近況を詳しく話せない美香は最近妹とも連絡を取らないようにしているという。離婚後は新しい恋愛相手もみつからず、心を開いて話せる友人もいない。もしかすると主治医である僕が最もホンネをさらけだせる相手なのかもしれない。
「先生、やっぱりハワイはいいよ~。先生も仕事ばっかりしてないで、たまにはハワイでのんびりしてきたら~」
2週間前にやってきた美香はこう言っていた。日本ではイヤなことばかりだけど、ハワイに行って本来の元気な自分を取り戻せた、この次ハワイに行くことを考えれば、日常で少々の辛いことがあってもお金をかせぐためにがんばれる・・・。笑顔で美香はそう話していたのだ。
しかし、2週間がたった今日、「眠れない」と言ってやってきた美香は、なんとか笑顔をつくろうとはするものの、不安と疲れが蓄積したその表情はSOSのサインを発しているようだ。
現在の美香にはそれなりのお金がある。着ている服も使っている化粧品もそれなりの高級品のようだし、実際にひとりでハワイ旅行にも行っているのだ。しかし、美香の表情からは不安が隠せない。なぜか・・・。
それは、このような生活が、お金があったとしても幸せでないことに気づいている、という話だけではない。最大の原因は、このような生活が長続きしないことを美香はよく知っているということだ。フーゾクという仕事がそれほど続けられないことにはすでに気づいているし、この仕事を隠し通したとしてもこれから恋愛や結婚ができる保証はない。今からやりがいと高収入を約束された仕事が舞い込んでくることなどあり得ない。お金がない、頼れる人がいない、将来への希望がまったくない・・・。このような現実に目を向けると眠れないのも当然なのかもしれない・・・。
長くなりましたが、これは私が過去に診察した複数の患者さんをヒントにつくりあげた架空のストーリーです。
登場人物の「美香」を不安にしているのは、現在恋人や友達がいないということもありますが、最たる原因は「将来の希望がない」ということです。将来の希望があれば少々のことではへこたれない、それが人間ではないでしょうか。
2010年4月20日のSydney Morning Herald(オーストラリアの英字新聞)に興味深い記事が掲載されました。国際的な慈善団体の「サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール・ソサイエティ」のオーストラリア支部が、ホームレス問題を理解してもらうために、企業のトップらに6月の真冬の路上で寝てもらう企画をたてているというのです。昨年も同じ企画をおこない213人の企業のトップが集まったそうです。
この記事を読んで違和感を覚えるのは私だけでしょうか。この慈善団体はこのようなことをおこなって、企画に参加する企業のトップたちがホームレスの苦しみが理解できると考えているのでしょうか。企業のトップたちが実際に路上で寝るのは一晩だけです。朝になりその企画が終われば、暖かいマイホームに帰れることが保証されているのです。しかも、報道によりますと企画に参加する人たちは睡眠薬を準備しているそうです。睡眠薬を飲んで、わずか一泊路上で寝て、それでホームレスの人たちの気持ちが理解できると本気で考えているのでしょうか。
ホームレスの人たちは、なかには陽気な人もいるかもしれませんが、大半は苦悩と共に生きています。ある調査によればホームレスの約6割はうつ病などの精神疾患を抱えているそうです。そして、ホームレスが苦悩を抱える最大の理由は、「その日に路上で寝なければならない」ではなく「将来の希望がない」ということです。もしも、翌朝には暖かい家に帰れることが分かっているなら、どんな寒さにも絶えてその夜を"喜んで"過ごすことでしょう。
この慈善団体がこの企画をおこなうのは、「ホームレスになるのは個人ではなく社会全体の問題」と考えているからだといいます。であるならば、このような企画ではなく、「将来の希望がまったく見出せない状況に置かれたとしたら・・・」という状況を大勢の人に考えてもらう機会をつくるべきではないでしょうか。
注:上に述べた「美香」と「僕」のストーリーはフィクションであり、もしも身近に似ている境遇の人がいたとしてもそれは単なる偶然であるということをお断りしておきます。
診察室に入ってくるなり、少し甘えたような声で不眠を訴えるのは相良美香(仮名)である。美香がこのクリニックに初めて来たのは3年前の春、そのときはまだ30代だった。たしか「風邪が治らない」というのが最初の受診目的だったはずだ。
その後、あるときは便秘、あるときは円形脱毛症、またあるときは「オリモノの臭いがおかしい」と言ってやって来た。毎週のように受診するようになったかと思えば、3ヶ月くらいばったり来なくなることもあった。
「せんせい、実はね、あたしフーゾクの仕事をしているの・・・」
美香がそう言ったのは、最初に受診してからおよそ1年が過ぎる頃だった。医師と患者の信頼関係というのは比較的すぐにできることもあれば、何年たっても壁を壊さない患者もいる。美香が僕にフーゾクの仕事をしていることを打ち明けるまでには何度も葛藤を繰り返していたのかもしれない。
「そうなんですか。いろいろと大変そうですね・・・」
僕がそう言うと、自分がフーゾクの仕事を打ち明けても一向に驚かない僕に対し美香は意外そうな顔をした。当たり前のことだが病気は患者の属性を選ばない。どのような仕事をしていようが、どのような趣味をもっていようが、お金があろうがなかろうが、病気は誰にでも訪れる可能性がある。だから医療機関にはどのような人もやってくる。有名人も来れば政治家も来る。パスポートを持っているかさえ疑わしい外国人もやって来れば、凶悪犯罪者だって来ることもある。だから、医師は目の前の患者がどんな仕事をしていてもどんな経歴があっても診療とは関係がないと考える。医療行為はあらゆる患者に平等におこなわれなければならないからだ。
僕は患者である美香に感情移入をしたわけではないし、したように見せかけたわけでもないのだが、思い切って自分の秘密を打ち明けたことで僕との距離が近づいたと感じたのであろう。これまでの生い立ちを話し出した。
美香は現在42歳。今は他人に言えないような暮らしをしているが、30代の初めあたりまでは順風満帆の人生を歩んでいたようだ。関西ではかなりの難関とされている有名私立大学を4年で卒業し、その後は都市銀行に就職。職場の同僚との社内恋愛の末、27歳で結婚。結婚後は銀行を退職し専業主婦になった。しかしタイミングが悪くその頃から景気が悪化。美香が勤務していた都市銀行も合併を余儀なくされ、美香の旦那はリストラの対象に。なんとかリストラは免れたものの社内での立場が悪くなり、そのストレスが酒と女に向かったようだ。ついに美香に暴力をふるうようになり離婚・・・。美香が33歳のときである。
その後美香は転職を繰り返したが市場は厳しかった。有名大学を卒業しているとはいえ、特に技術があるわけでもなく銀行時代にしていた仕事は実社会で役に立たない。そのうち30代後半になり、面接にさえたどり着けなくなった。そして、フーゾクの世界へ・・・。
「あれほどほしかった子供ができなかったことが今となってはせめてもの救いよ・・・」
たしかに、今小さな子供がいれば身動きがとれなくなるだろう。鹿児島の母親は5年前に父が他界してから元気をなくし、現在は寝たきりの状態だそうだ。田舎に残った妹が面倒をみてくれているのは安心できるが、近況を詳しく話せない美香は最近妹とも連絡を取らないようにしているという。離婚後は新しい恋愛相手もみつからず、心を開いて話せる友人もいない。もしかすると主治医である僕が最もホンネをさらけだせる相手なのかもしれない。
「先生、やっぱりハワイはいいよ~。先生も仕事ばっかりしてないで、たまにはハワイでのんびりしてきたら~」
2週間前にやってきた美香はこう言っていた。日本ではイヤなことばかりだけど、ハワイに行って本来の元気な自分を取り戻せた、この次ハワイに行くことを考えれば、日常で少々の辛いことがあってもお金をかせぐためにがんばれる・・・。笑顔で美香はそう話していたのだ。
しかし、2週間がたった今日、「眠れない」と言ってやってきた美香は、なんとか笑顔をつくろうとはするものの、不安と疲れが蓄積したその表情はSOSのサインを発しているようだ。
現在の美香にはそれなりのお金がある。着ている服も使っている化粧品もそれなりの高級品のようだし、実際にひとりでハワイ旅行にも行っているのだ。しかし、美香の表情からは不安が隠せない。なぜか・・・。
それは、このような生活が、お金があったとしても幸せでないことに気づいている、という話だけではない。最大の原因は、このような生活が長続きしないことを美香はよく知っているということだ。フーゾクという仕事がそれほど続けられないことにはすでに気づいているし、この仕事を隠し通したとしてもこれから恋愛や結婚ができる保証はない。今からやりがいと高収入を約束された仕事が舞い込んでくることなどあり得ない。お金がない、頼れる人がいない、将来への希望がまったくない・・・。このような現実に目を向けると眠れないのも当然なのかもしれない・・・。
長くなりましたが、これは私が過去に診察した複数の患者さんをヒントにつくりあげた架空のストーリーです。
登場人物の「美香」を不安にしているのは、現在恋人や友達がいないということもありますが、最たる原因は「将来の希望がない」ということです。将来の希望があれば少々のことではへこたれない、それが人間ではないでしょうか。
2010年4月20日のSydney Morning Herald(オーストラリアの英字新聞)に興味深い記事が掲載されました。国際的な慈善団体の「サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール・ソサイエティ」のオーストラリア支部が、ホームレス問題を理解してもらうために、企業のトップらに6月の真冬の路上で寝てもらう企画をたてているというのです。昨年も同じ企画をおこない213人の企業のトップが集まったそうです。
この記事を読んで違和感を覚えるのは私だけでしょうか。この慈善団体はこのようなことをおこなって、企画に参加する企業のトップたちがホームレスの苦しみが理解できると考えているのでしょうか。企業のトップたちが実際に路上で寝るのは一晩だけです。朝になりその企画が終われば、暖かいマイホームに帰れることが保証されているのです。しかも、報道によりますと企画に参加する人たちは睡眠薬を準備しているそうです。睡眠薬を飲んで、わずか一泊路上で寝て、それでホームレスの人たちの気持ちが理解できると本気で考えているのでしょうか。
ホームレスの人たちは、なかには陽気な人もいるかもしれませんが、大半は苦悩と共に生きています。ある調査によればホームレスの約6割はうつ病などの精神疾患を抱えているそうです。そして、ホームレスが苦悩を抱える最大の理由は、「その日に路上で寝なければならない」ではなく「将来の希望がない」ということです。もしも、翌朝には暖かい家に帰れることが分かっているなら、どんな寒さにも絶えてその夜を"喜んで"過ごすことでしょう。
この慈善団体がこの企画をおこなうのは、「ホームレスになるのは個人ではなく社会全体の問題」と考えているからだといいます。であるならば、このような企画ではなく、「将来の希望がまったく見出せない状況に置かれたとしたら・・・」という状況を大勢の人に考えてもらう機会をつくるべきではないでしょうか。
注:上に述べた「美香」と「僕」のストーリーはフィクションであり、もしも身近に似ている境遇の人がいたとしてもそれは単なる偶然であるということをお断りしておきます。
第45回 長崎のコンドーム論争(2010年3月)
「避妊用品を販売することを業とする者は、避妊用品を少年に販売し、また贈与しないよう努めるものとする」
これは、長崎県の少年保護育成条例、第9条第2項の文言です。要するに、長崎県では、未成年に対してコンドームを売ってはいけません、という規定があるのです。
コンドームを未成年に販売できないような規定がある地域など長崎県以外にはありません。長崎県の「こども未来課」によりますと、この条例は1978年に改正され、そのときに「青少年を取り巻く社会環境を向上させようと条文を盛り込んだ」そうです。
では、長崎県では実際にコンドームはどのように販売されているのでしょうか。県の「こども未来課」によれば、「未成年がこっそり買えないようにコンドームの自販機は屋内への設置が義務づけられ、またドラッグストアやコンビニなどでは、未成年の疑いがある場合には身分証の提示を求めるように指導している。市町村単位で少年補導員が巡回し、違法な自販機や販売方法がないかもチェックしている」とのことです。
県がコンドーム販売を規制する目的は、要するに未成年に性行為をさせないようにしましょう、ということです。では、実際にどうなのかといえば、考えるまでもなく、このような規制があろうがなかろうが、性交渉をもちたいと考えている未成年は性交渉をおこなうわけです。
あくまでも参考にですが、平成15年の人口妊娠中絶の実施率(15~49歳の女子人口千人に対する人数)は、全国平均が11.2なのに対し、長崎県は15.9もあります。この数字は未成年に限った数字ではありませんが、他の都道府県と比較しても、長崎県の未成年の人口妊娠中絶数が少ないわけでは決してありません。ということは、このような条例があるから、未成年の性交渉の件数が少なくなっているとはいえないわけです。
この条例が形骸無形化しているのは、このようなデータからも自明だと思われますが、条例存続を強く支持する人が多いようで、県少年保護育成審議会でも「(条例を見直せば)性非行を助長する」などといった意見が過半数を占めるそうです。
一方、このような条例はあっても意味がないどころか、条例のせいで望まない妊娠や性感染症が増える可能性もあるわけですから、条例撤廃を求める意見もあります。長崎県内の医療関係者などがつくる「性感染症予防啓発のための連絡会議」は、2005年に「性感染症が低年齢層にも広がっており、規制の撤廃を」という申し入れをおこなっています。
しかしこのような申し入れに対して、県の審議会は、条例存続を決定し続けています。何度も各団体から条例見直しの要望が相次いでいるようで、2009年の8月から再び審議がおこなわれたそうですが、いまだに条例が見直しされる見込みは立っていないようです。
さて、私個人の意見を言えば、未成年の(望まない)妊娠や性感染症が少なくとも減少はしていない状況を考えると、やはりコンドームの存在を未成年から隠すようなことはすべきでないと考えています。これだけ情報が簡単に入手できる時代では、コンドームを隠し通すことは不可能です。
しかし、その一方で、長崎県民の「(未成年にコンドームを販売できないようにして)性モラルを維持する」という考え方は嫌いではありません。というより、これだけ(性に限らず)モラルの低下した現代社会で、倫理や道徳を大切にし、全国唯一の条例を維持させようとするその県民を大切に思う気持ちに対しては敬意を払いたいと思います。
ところで、これを読まれているあなたには長崎県出身の知人がいるでしょうか。
個人的な話になりますが、私の友人、知人、親戚などで長崎県出身の人を思い出してみると、老若男女問わず、ほぼ全員が強い倫理観を持っています。そして長崎県の人は、他人、特に弱者に対して優しいのです。
もちろん、例外もありますし、そもそも私は「○○県民の人は~」という言い方が好きではないのですが、私自身の経験に照らし合わせて考えると、大枠ではこのように感じるのです。
そこで、少し長崎県について調べてみたのですが、NHK世論調査によると、「うそをつくことは許せない」「賭け事は悪いことだ」と考えている人の割合は全国平均よりかなり高いそうです。また、犯罪発生率も全国で 44位という少なさです。そういえば、沖縄では米軍キャンプの軍人による犯罪がしばしば報道されますが、同じように外国人の多い佐世保での犯罪はほとんど耳にしません。
このような長崎の県民性は、歴史的な出来事と無関係ではないでしょう。16世紀から長崎にはポルトガルやスペインの伝道師や貿易商人が訪れるようになり、カトリック系のキリスト教が人々に浸透するようになりました。
江戸時代の鎖国が実施されていたときでさえも、長崎には一部で西洋の文化が伝わっていました。その結果、カトリックがもつ倫理観や道徳観が自然なかたちで人々に浸透していったのでしょう。そして、その倫理観が今も人々の間に根強く存在しているのではないでしょうか。1921年、日本で初めて共同募金が行われたのも長崎です。
また、きちんとしたデータがあるわけではありませんが、長崎県の人は「他人の意見に左右されない」、もしくは「自分の意見をはっきり主張する」人が多いように私は感じています。そして、「議論好きで物事に筋道が通っているかどうかを重要視する」ように思います。もしかすると、このような性格もキリスト教徒の西洋人と似ているのかもしれません。
さて、コンドームの話に戻したいと思います。私は、現実をみて条例撤廃を主張する意見ももっともだと思う一方で、性モラルの低下を懸念している人たちの気持ちも尊重したいと考えています。
では、このような案はどうでしょうか。
長崎の人はキリスト教の影響かどうかはともかく、強い倫理観をもっていて論理的に物事を考え個人の意見を主張することが得意なわけです。ならば、高校生全員(もしくは+中学生)に、この条例を存続させるべきか撤廃すべきかを討論してもらうのです。この時代にコンドームの存在を知らない高校生などいませんから、「学校でコンドームの存在を生徒に話した結果、性モラルが低下して・・・」などということはあり得ないでしょう。
学校のホームルームの時間を利用して、徹底的に条例について討議をおこなうのです。そして長崎県全域の高校生(もしくは+中学生)に条例存続か撤廃かの投票をおこなってもらうのです。
これをおこなうことにより、投票の結果がどちらになったとしても、セックスのこと、妊娠のこと、性感染症のこと、あるいはHIVに関する社会的諸問題などについても各自が深く考えるようになり、その結果、人工中絶や性感染症の罹患率が減少するのではないかと私は考えています。
これは、長崎県の少年保護育成条例、第9条第2項の文言です。要するに、長崎県では、未成年に対してコンドームを売ってはいけません、という規定があるのです。
コンドームを未成年に販売できないような規定がある地域など長崎県以外にはありません。長崎県の「こども未来課」によりますと、この条例は1978年に改正され、そのときに「青少年を取り巻く社会環境を向上させようと条文を盛り込んだ」そうです。
では、長崎県では実際にコンドームはどのように販売されているのでしょうか。県の「こども未来課」によれば、「未成年がこっそり買えないようにコンドームの自販機は屋内への設置が義務づけられ、またドラッグストアやコンビニなどでは、未成年の疑いがある場合には身分証の提示を求めるように指導している。市町村単位で少年補導員が巡回し、違法な自販機や販売方法がないかもチェックしている」とのことです。
県がコンドーム販売を規制する目的は、要するに未成年に性行為をさせないようにしましょう、ということです。では、実際にどうなのかといえば、考えるまでもなく、このような規制があろうがなかろうが、性交渉をもちたいと考えている未成年は性交渉をおこなうわけです。
あくまでも参考にですが、平成15年の人口妊娠中絶の実施率(15~49歳の女子人口千人に対する人数)は、全国平均が11.2なのに対し、長崎県は15.9もあります。この数字は未成年に限った数字ではありませんが、他の都道府県と比較しても、長崎県の未成年の人口妊娠中絶数が少ないわけでは決してありません。ということは、このような条例があるから、未成年の性交渉の件数が少なくなっているとはいえないわけです。
この条例が形骸無形化しているのは、このようなデータからも自明だと思われますが、条例存続を強く支持する人が多いようで、県少年保護育成審議会でも「(条例を見直せば)性非行を助長する」などといった意見が過半数を占めるそうです。
一方、このような条例はあっても意味がないどころか、条例のせいで望まない妊娠や性感染症が増える可能性もあるわけですから、条例撤廃を求める意見もあります。長崎県内の医療関係者などがつくる「性感染症予防啓発のための連絡会議」は、2005年に「性感染症が低年齢層にも広がっており、規制の撤廃を」という申し入れをおこなっています。
しかしこのような申し入れに対して、県の審議会は、条例存続を決定し続けています。何度も各団体から条例見直しの要望が相次いでいるようで、2009年の8月から再び審議がおこなわれたそうですが、いまだに条例が見直しされる見込みは立っていないようです。
さて、私個人の意見を言えば、未成年の(望まない)妊娠や性感染症が少なくとも減少はしていない状況を考えると、やはりコンドームの存在を未成年から隠すようなことはすべきでないと考えています。これだけ情報が簡単に入手できる時代では、コンドームを隠し通すことは不可能です。
しかし、その一方で、長崎県民の「(未成年にコンドームを販売できないようにして)性モラルを維持する」という考え方は嫌いではありません。というより、これだけ(性に限らず)モラルの低下した現代社会で、倫理や道徳を大切にし、全国唯一の条例を維持させようとするその県民を大切に思う気持ちに対しては敬意を払いたいと思います。
ところで、これを読まれているあなたには長崎県出身の知人がいるでしょうか。
個人的な話になりますが、私の友人、知人、親戚などで長崎県出身の人を思い出してみると、老若男女問わず、ほぼ全員が強い倫理観を持っています。そして長崎県の人は、他人、特に弱者に対して優しいのです。
もちろん、例外もありますし、そもそも私は「○○県民の人は~」という言い方が好きではないのですが、私自身の経験に照らし合わせて考えると、大枠ではこのように感じるのです。
そこで、少し長崎県について調べてみたのですが、NHK世論調査によると、「うそをつくことは許せない」「賭け事は悪いことだ」と考えている人の割合は全国平均よりかなり高いそうです。また、犯罪発生率も全国で 44位という少なさです。そういえば、沖縄では米軍キャンプの軍人による犯罪がしばしば報道されますが、同じように外国人の多い佐世保での犯罪はほとんど耳にしません。
このような長崎の県民性は、歴史的な出来事と無関係ではないでしょう。16世紀から長崎にはポルトガルやスペインの伝道師や貿易商人が訪れるようになり、カトリック系のキリスト教が人々に浸透するようになりました。
江戸時代の鎖国が実施されていたときでさえも、長崎には一部で西洋の文化が伝わっていました。その結果、カトリックがもつ倫理観や道徳観が自然なかたちで人々に浸透していったのでしょう。そして、その倫理観が今も人々の間に根強く存在しているのではないでしょうか。1921年、日本で初めて共同募金が行われたのも長崎です。
また、きちんとしたデータがあるわけではありませんが、長崎県の人は「他人の意見に左右されない」、もしくは「自分の意見をはっきり主張する」人が多いように私は感じています。そして、「議論好きで物事に筋道が通っているかどうかを重要視する」ように思います。もしかすると、このような性格もキリスト教徒の西洋人と似ているのかもしれません。
さて、コンドームの話に戻したいと思います。私は、現実をみて条例撤廃を主張する意見ももっともだと思う一方で、性モラルの低下を懸念している人たちの気持ちも尊重したいと考えています。
では、このような案はどうでしょうか。
長崎の人はキリスト教の影響かどうかはともかく、強い倫理観をもっていて論理的に物事を考え個人の意見を主張することが得意なわけです。ならば、高校生全員(もしくは+中学生)に、この条例を存続させるべきか撤廃すべきかを討論してもらうのです。この時代にコンドームの存在を知らない高校生などいませんから、「学校でコンドームの存在を生徒に話した結果、性モラルが低下して・・・」などということはあり得ないでしょう。
学校のホームルームの時間を利用して、徹底的に条例について討議をおこなうのです。そして長崎県全域の高校生(もしくは+中学生)に条例存続か撤廃かの投票をおこなってもらうのです。
これをおこなうことにより、投票の結果がどちらになったとしても、セックスのこと、妊娠のこと、性感染症のこと、あるいはHIVに関する社会的諸問題などについても各自が深く考えるようになり、その結果、人工中絶や性感染症の罹患率が減少するのではないかと私は考えています。
第44回 エイズ患者によるレイプ事件(2010年2月)
タイのイサーン地方(東北地方)の話は、このウェブサイトで何度も取り上げています。バンコク人との社会的格差や貧困について報告したこともありますし、また北部と並び高いHIV陽性率を有している地域であることをお伝えしたこともあります。そんなイサーン地方のなかでもおそらく最もマイナーな県のひとつともいえるアムナートチャルン県をご存知でしょうか。
アムナートチャルン県は、東北部のなかで比較的大きな県であるウボンラチャタニ県の北部に位置しており、東部はカンボジアとの国境となっています。私は訪問したことがありませんが、以前ウボンラチャタニ空港で地図を見ていたときにその名前を知りました。
そのアムナートチャルン県でとんでもない事件が起こりました。
2010年1月10日にアムナートチャルン県で逮捕された33歳の男は、実に50人近くの少女から金品を奪い、さらに性的暴行(レイプ)をおこなったというのです。この記事は、翌日のタイの現地新聞『タイラット』で大きく取り上げられ、容疑者の写真も公開されています。写真では、被害者の14歳の女の子が「この男に間違いありません!」と男の顔を指差しています。(下記URL参照)
50人近くの少女から金品を奪い性的暴行・・・。これだけでも極刑も考慮されるような重罪ですが、さらに驚くべきことに、この男(新聞には実名が報道されていますがここではS容疑者としておきます)はHIVに感染しており、しかも新聞では「エイズの末期」と報道されています。
S容疑者が『タイラット』の報道どおり「エイズ末期」であるなら、何人もの少女にHIVを感染させている可能性があります。今回は、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきたいと思いますが、その前にS容疑者の犯行について『タイラット』の記事を少し詳しく紹介しておきます。
S容疑者が逮捕されることとなったのは14歳の少女が被害届を出したからです。この少女はボーイフレンドと遊びに行き、深夜に二人でオートバイに乗り帰宅する途中でS容疑者に呼び止められました。S容疑者は自分が警官であると言ったそうです。
「このオートバイは盗難車の可能性がある。これが自分のものである証明書を持ってきなさい」と言い、ボーイフレンドを家に帰しました。そして、S容疑者は少女を自分のオートバイの後部座席に乗せ、そこから2~3キロ離れた農地に連れて行き、掘っ立て小屋で3回乱暴した後、少女を置き去りにして逃走したそうです。(この手の事件を詳細に報道するのがタイのマスコミの特徴です・・・)
警察の調べによりますと、S容疑者はこれまで50人近くの少女に乱暴していますが、これまで警察に被害届を出した少女はいなかったようです。今回14歳の少女が被害届を出したのは、少女はS容疑者の近所に住んでいて、もともとS容疑者の顔を知っていたからだそうです。
S容疑者は、2001年に銃器不法所持罪で5年の懲役刑を受け服役していました。出所できたのはいいものの仕事がなく、アムナートチャルン県及びコンケン県で、恐喝によってしのいでいたそうです。(コンケン県はアムナートチャルン県から地理的に随分離れていますが、なぜコンケン県で"仕事"をしていたのかは報道されていません)
S容疑者が"獲物"を探すのはだいたい午前2時から午前5時の間で、それ相応の金品を所持していた場合は、それらを奪うだけで帰していたそうです。被害者が金品を持っていない場合、あるいは少女が可愛いかった場合には乱暴していたとS容疑者は供述しているそうです。
逮捕後、取り調べによりS容疑者がHIV陽性であることが判明したと報道されています。警官が身体検査をしたところ、身体中にデキモノがありその一部は化膿しており、S容疑者自身も自らが「エイズの末期症状」であることを認めているそうです。
これを受けて地元警察では、これまで被害届を出していない被害者の少女たちがHIVに感染している可能性があり、さらに少女たちが他人に感染させている可能性も否定できないとして、容疑者が犯行を重ねていたアムナートチャルン県とコンケン県の警察を通じて、被害者に名乗り出るよう呼びかけているようです。
さて、この事件に対し、まずは医学的な観点から考えていきたいと思います。報道では、S容疑者は「エイズ末期」であったと報道されています。どこまで医学的な検証がおこなわれたのかは新聞からは伝わってきませんが、おそらく体中にできていた"デキモノ"からそのように判断されたのでしょう。
たしかに、体中に"デキモノ"ができている状態は「エイズ末期」の可能性があります。まだ抗HIV薬が普及していなかった頃のパバナプ寺では、エイズ特有の"デキモノ"を呈している患者さんが大勢おられました。
HIVは性交渉をもったからといって簡単にうつる感染症ではありません。しかし、エイズ末期となると話は異なります。よく、「HIV陽性者と性交渉をもって感染する確率は○○%・・・」という話がでますが、これはそのHIV陽性者がどのような状態にあるかによってまったく異なってきます。感染後しばらくして落ちついているときは極めて低い感染率と言えるかもしれませんが、エイズ末期となれば感染の可能性は飛躍的に高まります。ということは、何の罪もない少女たちがS容疑者の身勝手な行動によりHIVに感染している可能性は少なくないということになります。(参考までに、感染初期のまだ本人が感染に気づいていないときにも感染の可能性は高いのですが、今回の内容とは異なるため詳しくはここでは述べません)
では、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきましょう。私の知る限り、こういったことをきちんと定めた法律は日本とタイではありません。場合によっては傷害未遂の罪になるかもしれませんが、日本でもタイでもそういった罪が適応されたというケースは聞いたことがありません。
しかしながら、先進国ではHIV陽性であることを隠して性交渉をおこなえばそれだけで罪になるのが普通です。例えば、オーストラリアでは、1件につき7年程度の懲役刑となるようです。これは「1件につき」ですから、例えば7人との性交渉があれば7x7=49年の懲役ということになります。繰り返し述べますが、これは「性交渉をもっただけで」罪となるのです。もしも、HIVを感染させるようなことがあれば、さらに罪は重くなる可能性があります。
そして、性交渉で感染させる感染症はHIVだけではありません。B型肝炎やC型肝炎でも同様です。(さすがに、自らのクラミジア感染を知っていて性交渉をおこない起訴されたというケースは聞いたことがありませんが・・・)
HIVに感染していることを他人に伝えることができないのは、おそらく社会的な差別や偏見が存在することと無関係ではないでしょう。ですから、許されることではありませんが、感染を隠して性交渉をおこなってしまった人の気持ちが分からないわけでもありません。
しかし、レイプ、しかも少女たちをレイプ、となれば話はまったく異なってきます。アムナートチャルン県のS容疑者に同情の余地はありません。
注:『タイラット』2010年1月11日の記事は下記で見ることができます。
http://www.thairath.co.th/content/region/58033
参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」
アムナートチャルン県は、東北部のなかで比較的大きな県であるウボンラチャタニ県の北部に位置しており、東部はカンボジアとの国境となっています。私は訪問したことがありませんが、以前ウボンラチャタニ空港で地図を見ていたときにその名前を知りました。
そのアムナートチャルン県でとんでもない事件が起こりました。
2010年1月10日にアムナートチャルン県で逮捕された33歳の男は、実に50人近くの少女から金品を奪い、さらに性的暴行(レイプ)をおこなったというのです。この記事は、翌日のタイの現地新聞『タイラット』で大きく取り上げられ、容疑者の写真も公開されています。写真では、被害者の14歳の女の子が「この男に間違いありません!」と男の顔を指差しています。(下記URL参照)
50人近くの少女から金品を奪い性的暴行・・・。これだけでも極刑も考慮されるような重罪ですが、さらに驚くべきことに、この男(新聞には実名が報道されていますがここではS容疑者としておきます)はHIVに感染しており、しかも新聞では「エイズの末期」と報道されています。
S容疑者が『タイラット』の報道どおり「エイズ末期」であるなら、何人もの少女にHIVを感染させている可能性があります。今回は、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきたいと思いますが、その前にS容疑者の犯行について『タイラット』の記事を少し詳しく紹介しておきます。
S容疑者が逮捕されることとなったのは14歳の少女が被害届を出したからです。この少女はボーイフレンドと遊びに行き、深夜に二人でオートバイに乗り帰宅する途中でS容疑者に呼び止められました。S容疑者は自分が警官であると言ったそうです。
「このオートバイは盗難車の可能性がある。これが自分のものである証明書を持ってきなさい」と言い、ボーイフレンドを家に帰しました。そして、S容疑者は少女を自分のオートバイの後部座席に乗せ、そこから2~3キロ離れた農地に連れて行き、掘っ立て小屋で3回乱暴した後、少女を置き去りにして逃走したそうです。(この手の事件を詳細に報道するのがタイのマスコミの特徴です・・・)
警察の調べによりますと、S容疑者はこれまで50人近くの少女に乱暴していますが、これまで警察に被害届を出した少女はいなかったようです。今回14歳の少女が被害届を出したのは、少女はS容疑者の近所に住んでいて、もともとS容疑者の顔を知っていたからだそうです。
S容疑者は、2001年に銃器不法所持罪で5年の懲役刑を受け服役していました。出所できたのはいいものの仕事がなく、アムナートチャルン県及びコンケン県で、恐喝によってしのいでいたそうです。(コンケン県はアムナートチャルン県から地理的に随分離れていますが、なぜコンケン県で"仕事"をしていたのかは報道されていません)
S容疑者が"獲物"を探すのはだいたい午前2時から午前5時の間で、それ相応の金品を所持していた場合は、それらを奪うだけで帰していたそうです。被害者が金品を持っていない場合、あるいは少女が可愛いかった場合には乱暴していたとS容疑者は供述しているそうです。
逮捕後、取り調べによりS容疑者がHIV陽性であることが判明したと報道されています。警官が身体検査をしたところ、身体中にデキモノがありその一部は化膿しており、S容疑者自身も自らが「エイズの末期症状」であることを認めているそうです。
これを受けて地元警察では、これまで被害届を出していない被害者の少女たちがHIVに感染している可能性があり、さらに少女たちが他人に感染させている可能性も否定できないとして、容疑者が犯行を重ねていたアムナートチャルン県とコンケン県の警察を通じて、被害者に名乗り出るよう呼びかけているようです。
さて、この事件に対し、まずは医学的な観点から考えていきたいと思います。報道では、S容疑者は「エイズ末期」であったと報道されています。どこまで医学的な検証がおこなわれたのかは新聞からは伝わってきませんが、おそらく体中にできていた"デキモノ"からそのように判断されたのでしょう。
たしかに、体中に"デキモノ"ができている状態は「エイズ末期」の可能性があります。まだ抗HIV薬が普及していなかった頃のパバナプ寺では、エイズ特有の"デキモノ"を呈している患者さんが大勢おられました。
HIVは性交渉をもったからといって簡単にうつる感染症ではありません。しかし、エイズ末期となると話は異なります。よく、「HIV陽性者と性交渉をもって感染する確率は○○%・・・」という話がでますが、これはそのHIV陽性者がどのような状態にあるかによってまったく異なってきます。感染後しばらくして落ちついているときは極めて低い感染率と言えるかもしれませんが、エイズ末期となれば感染の可能性は飛躍的に高まります。ということは、何の罪もない少女たちがS容疑者の身勝手な行動によりHIVに感染している可能性は少なくないということになります。(参考までに、感染初期のまだ本人が感染に気づいていないときにも感染の可能性は高いのですが、今回の内容とは異なるため詳しくはここでは述べません)
では、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきましょう。私の知る限り、こういったことをきちんと定めた法律は日本とタイではありません。場合によっては傷害未遂の罪になるかもしれませんが、日本でもタイでもそういった罪が適応されたというケースは聞いたことがありません。
しかしながら、先進国ではHIV陽性であることを隠して性交渉をおこなえばそれだけで罪になるのが普通です。例えば、オーストラリアでは、1件につき7年程度の懲役刑となるようです。これは「1件につき」ですから、例えば7人との性交渉があれば7x7=49年の懲役ということになります。繰り返し述べますが、これは「性交渉をもっただけで」罪となるのです。もしも、HIVを感染させるようなことがあれば、さらに罪は重くなる可能性があります。
そして、性交渉で感染させる感染症はHIVだけではありません。B型肝炎やC型肝炎でも同様です。(さすがに、自らのクラミジア感染を知っていて性交渉をおこない起訴されたというケースは聞いたことがありませんが・・・)
HIVに感染していることを他人に伝えることができないのは、おそらく社会的な差別や偏見が存在することと無関係ではないでしょう。ですから、許されることではありませんが、感染を隠して性交渉をおこなってしまった人の気持ちが分からないわけでもありません。
しかし、レイプ、しかも少女たちをレイプ、となれば話はまったく異なってきます。アムナートチャルン県のS容疑者に同情の余地はありません。
注:『タイラット』2010年1月11日の記事は下記で見ることができます。
http://www.thairath.co.th/content/region/58033
参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」
第43回 危険地域にボランティアに行くということ(2010年1月)
もう6年ほどたちますが、2004年4月、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告が出ていたのにも関わらず、日本人3人が武装グループに拉致され人質となった事件がありました。
この事件は、自衛隊派遣の是非、ボランティアとは何か、自己責任という問題、行き過ぎた報道、など多くの社会問題を引き起こしました。
特に拉致された3人のうちの1人、自称ボランティアの北海道出身の30代女性は、家族がマスコミに登場し自衛隊の撤退要求を強く訴えたこと、この家族が共産党を支援していたこと、ボランティアの内容が10代の男の子限定の物資の提供との噂があったこと、などから特に批判が強く、自宅に苦情の手紙やFAX、電話などが大量に寄せられたと報道されています。
また、世論だけでなく、この頃のメディアのほとんどは拉致された彼女らに対して批判的で「自己責任」という言葉が何度もメディアを駆け巡りました。一方、本来異国の地で生命の危険に脅かされている自国民を助けるべき立場の政府までもが、「頭を冷やしてよく考えろ」(福田康夫官房長官、当時)、「自己責任で解決を図るのは当然。救出にかかった費用は堂々と本人に請求すべきだ」(田村公平副幹事長、当時)、などの発言をおこなっています。
この事件は、時間が立つにつれて次第に忘れられているように思いますが、ボランティアをおこなう人間にとっては大変大きな問題でありますのでこの場で取り上げてみたいと思います。
まず、2004年のこの事件はいくつかの議論すべき点がごちゃ混ぜになっているので、それらを整理することから始めてみたいと思います。
1つは、拉致された30代女性(以下Tさんとします)が、共産党を支持しており自衛隊の海外派遣に反対の立場だったこと、10代の男の子限定の物資をつくっていたと噂されていたこと、現地でおこなっていたボランティアの内容がはっきりしないことなどがあって、こういった点は危険地域に出向くことの是非とは分けて考えなければいけません。
もちろん、共産党を支持するのは個人の自由ですし、ボランティアの内容については一方的なマスコミの報道だけでは分かりませんから、私個人としてはTさんをこの点で非難する気にはなれません。このような、拉致とは関係のない点が非難の対象となってしまえば事の本質が見えなくなってしまいます。
2つめは、「退避勧告」がでていたかどうか、あるいはそれを知っていたかどうか、という点です。Tさんを含む拉致された3人は退避勧告を無視したと報道されています。そして、この点が「自己責任」という言葉につながっていったのだと思われます。
おそらく日本政府から退避勧告が出ていなければ、Tさんらに対する世間からのバッシングはこれほど強くなかったのではないでしょうか。
水谷豊さん主演の映画『相棒・劇場版』では、この点がストーリーの焦点になっています。この映画では、南米の紛争地域にボランティアに行っていた日本人の青年が武装グループに殺害されたことで、家族に対し世間からのバッシングがおこり、これが後の事件につながります。そして、当初は「武装グループに殺害された青年は退避勧告を無視して・・・」とされていたのですが、実はそうではなかったことがラストシーンで判明します。
では、退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。
もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょうが、果たして自己責任という言葉のもとに、まるで犯罪者のような扱いを受けることには問題がないのでしょうか。
2004年当時、日本の世論、マスコミ、政治家のほとんどが否定的な態度を示していたなかで、JICA理事長の緒方貞子さんは次のように述べています。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された小林政広氏監督の『バッシング』は、2004年のイラク日本人人質事件を題材にしており、主人公の女性はTさんがモデルであると言われています。映画では、主人公の女性は世間からバッシングを受け仕事をクビになり、父親までもがリストラにあいそして自殺をします。継母からは「あの人を返して!」と叩かれるシーンもあります。
しかし、危険地域にボランティアに出向き、拉致され政府のお金を使って救出されたということが、これほどの非難に相当するのでしょうか。紛争で多くの命の犠牲が払われていることには無関心で、危険を顧みずにボランティアに出向いた同じ国の国民に対し、匿名で誹謗中傷の電話やFAXを送りつける方がよほど罪なのではないかと私には感じられます。
私自身は退避勧告が出ている地域に出向いたことはありませんが、以前「戒厳令」がでているタイ南部に取材に行ったことがあります。このときは現地の公衆衛生学者と共に、売春施設を訪問し、セックスワーカーの健康状態の調査、コンドームの配布などを手伝いました。(今回のコラムの趣旨から外れますから詳しくは述べませんが、この地域にはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います)
では、私自身が退避勧告の出ている地域にボランティアに行きたくなったときにどうするべきか。例えば、現在GINAが支援している北タイの一部で紛争が起こることは可能性としてはあり得ます。山岳民族とミャンマーの軍事政権は今も緊張状態にあります。そしてGINAは山岳民族出身の子供たちも一部支援しています。もしも武力紛争が起こりタイの領土まで進行すればこれまでは問題なく訪問できていた地域で退避勧告が出されるかもしれません。また、先に述べた南タイの地域に出向く必要が生じ退避勧告が発令されたとすれば、私はどうすべきなのでしょうか。
現在の自分の状況を考えたとき、気軽に「退避勧告には関係なくボランティアに行く」とは決して言えませんし、また言うべきでもないでしょう。しかしながら、私にとって、というか人間にとって本質的な「貢献」や「奉仕」というのは「退避勧告」とは何ら関係がないはずです。
「自己責任」という言葉のもとに、「貢献」や「奉仕」が忘れ去れることがあってはならない・・・。これだけは真実だと思います。
参考:
映画『相棒・劇場版』和泉聖治監督2008年
映画『バッシング』小林政広監督2006年
宮崎学『法と掟と』角川文庫
この事件は、自衛隊派遣の是非、ボランティアとは何か、自己責任という問題、行き過ぎた報道、など多くの社会問題を引き起こしました。
特に拉致された3人のうちの1人、自称ボランティアの北海道出身の30代女性は、家族がマスコミに登場し自衛隊の撤退要求を強く訴えたこと、この家族が共産党を支援していたこと、ボランティアの内容が10代の男の子限定の物資の提供との噂があったこと、などから特に批判が強く、自宅に苦情の手紙やFAX、電話などが大量に寄せられたと報道されています。
また、世論だけでなく、この頃のメディアのほとんどは拉致された彼女らに対して批判的で「自己責任」という言葉が何度もメディアを駆け巡りました。一方、本来異国の地で生命の危険に脅かされている自国民を助けるべき立場の政府までもが、「頭を冷やしてよく考えろ」(福田康夫官房長官、当時)、「自己責任で解決を図るのは当然。救出にかかった費用は堂々と本人に請求すべきだ」(田村公平副幹事長、当時)、などの発言をおこなっています。
この事件は、時間が立つにつれて次第に忘れられているように思いますが、ボランティアをおこなう人間にとっては大変大きな問題でありますのでこの場で取り上げてみたいと思います。
まず、2004年のこの事件はいくつかの議論すべき点がごちゃ混ぜになっているので、それらを整理することから始めてみたいと思います。
1つは、拉致された30代女性(以下Tさんとします)が、共産党を支持しており自衛隊の海外派遣に反対の立場だったこと、10代の男の子限定の物資をつくっていたと噂されていたこと、現地でおこなっていたボランティアの内容がはっきりしないことなどがあって、こういった点は危険地域に出向くことの是非とは分けて考えなければいけません。
もちろん、共産党を支持するのは個人の自由ですし、ボランティアの内容については一方的なマスコミの報道だけでは分かりませんから、私個人としてはTさんをこの点で非難する気にはなれません。このような、拉致とは関係のない点が非難の対象となってしまえば事の本質が見えなくなってしまいます。
2つめは、「退避勧告」がでていたかどうか、あるいはそれを知っていたかどうか、という点です。Tさんを含む拉致された3人は退避勧告を無視したと報道されています。そして、この点が「自己責任」という言葉につながっていったのだと思われます。
おそらく日本政府から退避勧告が出ていなければ、Tさんらに対する世間からのバッシングはこれほど強くなかったのではないでしょうか。
水谷豊さん主演の映画『相棒・劇場版』では、この点がストーリーの焦点になっています。この映画では、南米の紛争地域にボランティアに行っていた日本人の青年が武装グループに殺害されたことで、家族に対し世間からのバッシングがおこり、これが後の事件につながります。そして、当初は「武装グループに殺害された青年は退避勧告を無視して・・・」とされていたのですが、実はそうではなかったことがラストシーンで判明します。
では、退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。
もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょうが、果たして自己責任という言葉のもとに、まるで犯罪者のような扱いを受けることには問題がないのでしょうか。
2004年当時、日本の世論、マスコミ、政治家のほとんどが否定的な態度を示していたなかで、JICA理事長の緒方貞子さんは次のように述べています。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された小林政広氏監督の『バッシング』は、2004年のイラク日本人人質事件を題材にしており、主人公の女性はTさんがモデルであると言われています。映画では、主人公の女性は世間からバッシングを受け仕事をクビになり、父親までもがリストラにあいそして自殺をします。継母からは「あの人を返して!」と叩かれるシーンもあります。
しかし、危険地域にボランティアに出向き、拉致され政府のお金を使って救出されたということが、これほどの非難に相当するのでしょうか。紛争で多くの命の犠牲が払われていることには無関心で、危険を顧みずにボランティアに出向いた同じ国の国民に対し、匿名で誹謗中傷の電話やFAXを送りつける方がよほど罪なのではないかと私には感じられます。
私自身は退避勧告が出ている地域に出向いたことはありませんが、以前「戒厳令」がでているタイ南部に取材に行ったことがあります。このときは現地の公衆衛生学者と共に、売春施設を訪問し、セックスワーカーの健康状態の調査、コンドームの配布などを手伝いました。(今回のコラムの趣旨から外れますから詳しくは述べませんが、この地域にはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います)
では、私自身が退避勧告の出ている地域にボランティアに行きたくなったときにどうするべきか。例えば、現在GINAが支援している北タイの一部で紛争が起こることは可能性としてはあり得ます。山岳民族とミャンマーの軍事政権は今も緊張状態にあります。そしてGINAは山岳民族出身の子供たちも一部支援しています。もしも武力紛争が起こりタイの領土まで進行すればこれまでは問題なく訪問できていた地域で退避勧告が出されるかもしれません。また、先に述べた南タイの地域に出向く必要が生じ退避勧告が発令されたとすれば、私はどうすべきなのでしょうか。
現在の自分の状況を考えたとき、気軽に「退避勧告には関係なくボランティアに行く」とは決して言えませんし、また言うべきでもないでしょう。しかしながら、私にとって、というか人間にとって本質的な「貢献」や「奉仕」というのは「退避勧告」とは何ら関係がないはずです。
「自己責任」という言葉のもとに、「貢献」や「奉仕」が忘れ去れることがあってはならない・・・。これだけは真実だと思います。
参考:
映画『相棒・劇場版』和泉聖治監督2008年
映画『バッシング』小林政広監督2006年
宮崎学『法と掟と』角川文庫