GINAと共に
第62回 インラック政権でタイのHIV事情は変わるか(2011年8月)
2011年8月中旬、私はGINA関連の業務のためにタイに渡航していたのですが、ちょうどインラック新政権が誕生した直後であったため、タイの報道番組では朝から晩までインラック首相の映像が流されているといった感じでした。
インラック首相(「イ」の音は「i」ではなく「yi」、「ラ」は「r」ではなく「l(エル)」です)はタイで初めての女性首相、なおかつ現在海外に亡命中のタクシン元首相の実の妹であることから、世界中のメディアで注目されています。
現地の新聞をみてみると、世論調査では軒並み7~8割の支持率を有しており、これは7月3日に実施された選挙直前のタイ貢献党の支持率よりも高いようですから、元々タイ貢献党を支持していなかった層からの支持も得ているということになるのかもしれません。
インラック首相が正式に首相に就任したのは8月7日なのですが、ちょうどその頃タイは北部と東北部を中心に洪水の被害に合っていました。インラック首相は被害にあったいくつかの地域を訪問し、それは私がタイに渡航していたときにも続けられていました。北部と東北部というのは、元々タイ貢献党の支持者が大半を占めているということもありますが、インラック首相来訪に対する歓迎ぶりは相当なもので「お祭り騒ぎ」と言ってもいいほどでした。テレビ中継されるその様子は、国民的スターを住民全員で歓迎する、といった感じでした。
インラック首相は就任したばかりで、政策に関してはまだほとんど何もおこなっていませんが、タイ国外でもインラック首相に対する注目度は高く、日本ではタクシン元首相の来日とも合わせて報道されています。(しかし、日本でのインラック首相の取り上げられ方は、政治的・経済的なことよりもその「美貌」に関することばかり、といった感じです。インラック首相の写真を集めたサイトも複数あるようです)
さて、今回私は8月11日から渡タイしたのですが、翌日の12日は「母の日」とも呼ばれている日で、タイ皇后の誕生日で国民の祝日にもなっています。この日は、皇后の演説がおこなわれ、私もニュース番組でその演説を見ていたのですが、皇后がインラック首相に何やら箴言をなさっていたシーンが印象に残りました。ニュースでのタイ語が聞き取れなかった私は翌日新聞でその様子を確認することにしました。
私はその記事を読んで大変驚いたのですが、皇后がインラック首相に「現在最も重要な課題」として話されたのは、「違法薬物の蔓延に対する危惧」だったのです。
なぜ私が驚いたかを説明したいと思います。このサイトでも何度も取り上げているように、タイは2000年代前半にいったん薬物の入手しにくい「クリーンな国」になりましたが、タクシン政権崩壊後は一気に薬物が蔓延し、再び「ドラッグ天国」に舞い戻りました。もちろんこれはタイにとって好ましいことではありませんが、では「クリーンな国」であった時代を手放しで喜べたか、と言えば決してそういうわけではありません。
タクシン元首相が政権についた2001年以降、タイ政府は「疑わしきは殺せ」と言わんばかりに徹底的に薬物に対する取締りを強化しました。一説では、冤罪で射殺された一般人が2,500人とも5,000人とも言われています。なかには、宝くじが当たって喜んでいる若い男性を、尋問した警官が違法薬物の販売で入手した大金と間違えてその場で射殺したという事件も報道されました。
タクシン元首相が薬物に対する取り締まりを徹底しすぎたことで、国民からだけでなく王室からも「ちょっとやりすぎではないか・・・」という声が上がっていたと言われています。そのことだけが理由ではありませんが、王室はタクシン政権に対して好意をもっていなかったのではないかとみられています。(これは噂ですが、軍の反タクシン派が中心となりタクシンを失脚させたクーデターは王室の承認もあったのではないかと言われているほどです)
王室はタクシンのやり方に好意を持っていなかった、そしてその政策のなかでも最も不評だったもののひとつが「いきすぎた薬物対策」であったわけです。にもかかわらず皇后はタクシンの実の妹のインラック首相に「現在のタイの最重要課題が薬物対策」と言及されたわけです。もちろん、これは皇后が「疑わしきは殺しなさい」と言っているわけではありません。しかし、母の日の演説でタクシンの実の妹のインラック首相に「最重要事項」と言わなければならないほど現在のタイの薬物の蔓延状況は切羽詰っているということです。
実際、タイの新聞では最近は薬物がらみの報道を見ない日が珍しいくらいです。しかも、新聞で取り上げられているのは、末端価格が日本円で数千万円規模の薬物押収、というものが大半ですから、小規模での薬物の取引が現在のタイで日常的におこなわれているのは自明です。タイでは、薬物の蔓延はHIVの蔓延に直結しますから、GINAとしてもインラック首相の薬物対策には注目しています。
もうひとつ、GINAがインラック首相の政策で注目していることがあります。それは、セックスワーカーに対してどのような方針をとるかということです。タクシン政権では、少なくとも未成年が働く置屋は徹底的に取り締まられ、ミャンマーやラオスからのトラフィッキングに対してもかなり厳重な対処をしていました。しかし、現在では、売買春に対する取り締まりは弱まり、未成年や隣国から連れてこられた少女がタイ国内で弄ばれているのが現実です。
インラック首相はタイ国初めての女性首相ですから、国内外のフェミニストや活動家からも注目されています。例えば、タイの英字新聞The Nationは8月10日の社説で「Will first Woman PM Be Lucky For Women?(タイ国初の女性首相は世の女性たちを救えるか?)」というタイトルでいくつかの意見を載せています。女性問題に関する意見をみてみると、「まったく期待していない」という声はないものの、インラック首相の経歴に女性の権利を意識したようなものがないことや、しょせんタクシン元首相のクローンではないかと考えられていることから、「フェミニストの救世主」とはなりえないだろうという意見が目立ちます。一部には、インラック首相の母性に期待して(インラック氏には籍を入れていない内縁の夫と子供がひとりいます)、少なくとも児童虐待と児童のトラフィッキング対策には期待したい、という声もあがっています。
タイにはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います。以前GINAが現地の公衆衛生学者と共同で調査した売春宿にもHIV陽性のセックスワーカーがいて、現地の保健師が健康相談に乗っていました。タイでは売買春は非合法ですし、HIV陽性者がセックスワークをするということにはもちろん問題がありますが、きれいごとだけでは何も解決しないというのが現実なのです。
売買春をいかにコントロールできるか、というのはHIVが蔓延するのを防げるかどうかという課題に直結します。しかし、やみくもに厳しくすれば、売買春ビジネスが地下にもぐるだけで、こうなるとかえってHIV感染の危険性が高くなりますし、未成年売買を含むいくつもの犯罪が増えることにもなりかねません。子供や女性の安全を確保し権利を保障し、なおかつHIVを含む性感染症を蔓延させないようにするのは決してやさしいことではないのです。
現在インラック首相の政策については、経済界では「一日あたりの最低賃金300バーツ」が最も話題になっていますが、GINAとしては薬物対策と売買春対策がどのようにおこなわれるのかという点に注目していきたいと思います。
インラック首相(「イ」の音は「i」ではなく「yi」、「ラ」は「r」ではなく「l(エル)」です)はタイで初めての女性首相、なおかつ現在海外に亡命中のタクシン元首相の実の妹であることから、世界中のメディアで注目されています。
現地の新聞をみてみると、世論調査では軒並み7~8割の支持率を有しており、これは7月3日に実施された選挙直前のタイ貢献党の支持率よりも高いようですから、元々タイ貢献党を支持していなかった層からの支持も得ているということになるのかもしれません。
インラック首相が正式に首相に就任したのは8月7日なのですが、ちょうどその頃タイは北部と東北部を中心に洪水の被害に合っていました。インラック首相は被害にあったいくつかの地域を訪問し、それは私がタイに渡航していたときにも続けられていました。北部と東北部というのは、元々タイ貢献党の支持者が大半を占めているということもありますが、インラック首相来訪に対する歓迎ぶりは相当なもので「お祭り騒ぎ」と言ってもいいほどでした。テレビ中継されるその様子は、国民的スターを住民全員で歓迎する、といった感じでした。
インラック首相は就任したばかりで、政策に関してはまだほとんど何もおこなっていませんが、タイ国外でもインラック首相に対する注目度は高く、日本ではタクシン元首相の来日とも合わせて報道されています。(しかし、日本でのインラック首相の取り上げられ方は、政治的・経済的なことよりもその「美貌」に関することばかり、といった感じです。インラック首相の写真を集めたサイトも複数あるようです)
さて、今回私は8月11日から渡タイしたのですが、翌日の12日は「母の日」とも呼ばれている日で、タイ皇后の誕生日で国民の祝日にもなっています。この日は、皇后の演説がおこなわれ、私もニュース番組でその演説を見ていたのですが、皇后がインラック首相に何やら箴言をなさっていたシーンが印象に残りました。ニュースでのタイ語が聞き取れなかった私は翌日新聞でその様子を確認することにしました。
私はその記事を読んで大変驚いたのですが、皇后がインラック首相に「現在最も重要な課題」として話されたのは、「違法薬物の蔓延に対する危惧」だったのです。
なぜ私が驚いたかを説明したいと思います。このサイトでも何度も取り上げているように、タイは2000年代前半にいったん薬物の入手しにくい「クリーンな国」になりましたが、タクシン政権崩壊後は一気に薬物が蔓延し、再び「ドラッグ天国」に舞い戻りました。もちろんこれはタイにとって好ましいことではありませんが、では「クリーンな国」であった時代を手放しで喜べたか、と言えば決してそういうわけではありません。
タクシン元首相が政権についた2001年以降、タイ政府は「疑わしきは殺せ」と言わんばかりに徹底的に薬物に対する取締りを強化しました。一説では、冤罪で射殺された一般人が2,500人とも5,000人とも言われています。なかには、宝くじが当たって喜んでいる若い男性を、尋問した警官が違法薬物の販売で入手した大金と間違えてその場で射殺したという事件も報道されました。
タクシン元首相が薬物に対する取り締まりを徹底しすぎたことで、国民からだけでなく王室からも「ちょっとやりすぎではないか・・・」という声が上がっていたと言われています。そのことだけが理由ではありませんが、王室はタクシン政権に対して好意をもっていなかったのではないかとみられています。(これは噂ですが、軍の反タクシン派が中心となりタクシンを失脚させたクーデターは王室の承認もあったのではないかと言われているほどです)
王室はタクシンのやり方に好意を持っていなかった、そしてその政策のなかでも最も不評だったもののひとつが「いきすぎた薬物対策」であったわけです。にもかかわらず皇后はタクシンの実の妹のインラック首相に「現在のタイの最重要課題が薬物対策」と言及されたわけです。もちろん、これは皇后が「疑わしきは殺しなさい」と言っているわけではありません。しかし、母の日の演説でタクシンの実の妹のインラック首相に「最重要事項」と言わなければならないほど現在のタイの薬物の蔓延状況は切羽詰っているということです。
実際、タイの新聞では最近は薬物がらみの報道を見ない日が珍しいくらいです。しかも、新聞で取り上げられているのは、末端価格が日本円で数千万円規模の薬物押収、というものが大半ですから、小規模での薬物の取引が現在のタイで日常的におこなわれているのは自明です。タイでは、薬物の蔓延はHIVの蔓延に直結しますから、GINAとしてもインラック首相の薬物対策には注目しています。
もうひとつ、GINAがインラック首相の政策で注目していることがあります。それは、セックスワーカーに対してどのような方針をとるかということです。タクシン政権では、少なくとも未成年が働く置屋は徹底的に取り締まられ、ミャンマーやラオスからのトラフィッキングに対してもかなり厳重な対処をしていました。しかし、現在では、売買春に対する取り締まりは弱まり、未成年や隣国から連れてこられた少女がタイ国内で弄ばれているのが現実です。
インラック首相はタイ国初めての女性首相ですから、国内外のフェミニストや活動家からも注目されています。例えば、タイの英字新聞The Nationは8月10日の社説で「Will first Woman PM Be Lucky For Women?(タイ国初の女性首相は世の女性たちを救えるか?)」というタイトルでいくつかの意見を載せています。女性問題に関する意見をみてみると、「まったく期待していない」という声はないものの、インラック首相の経歴に女性の権利を意識したようなものがないことや、しょせんタクシン元首相のクローンではないかと考えられていることから、「フェミニストの救世主」とはなりえないだろうという意見が目立ちます。一部には、インラック首相の母性に期待して(インラック氏には籍を入れていない内縁の夫と子供がひとりいます)、少なくとも児童虐待と児童のトラフィッキング対策には期待したい、という声もあがっています。
タイにはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います。以前GINAが現地の公衆衛生学者と共同で調査した売春宿にもHIV陽性のセックスワーカーがいて、現地の保健師が健康相談に乗っていました。タイでは売買春は非合法ですし、HIV陽性者がセックスワークをするということにはもちろん問題がありますが、きれいごとだけでは何も解決しないというのが現実なのです。
売買春をいかにコントロールできるか、というのはHIVが蔓延するのを防げるかどうかという課題に直結します。しかし、やみくもに厳しくすれば、売買春ビジネスが地下にもぐるだけで、こうなるとかえってHIV感染の危険性が高くなりますし、未成年売買を含むいくつもの犯罪が増えることにもなりかねません。子供や女性の安全を確保し権利を保障し、なおかつHIVを含む性感染症を蔓延させないようにするのは決してやさしいことではないのです。
現在インラック首相の政策については、経済界では「一日あたりの最低賃金300バーツ」が最も話題になっていますが、GINAとしては薬物対策と売買春対策がどのようにおこなわれるのかという点に注目していきたいと思います。
第61回(2011年7月) 緊急避妊と抗HIV薬予防投与
2011年5月、日本でも1回飲み切り型の緊急避妊薬ノルレボ(一般名はレボノルゲストレル)が発売となり、マスコミで大きく取り上げられました。通常のピル(oral contraceptive、略してOCとも呼ばれる)が毎日服用しなければならないのに対し、緊急避妊薬というのは通称「モーニングアフターピル」とも呼ばれ、妊娠したかもしれない性交渉(unprotected vaginal sex)の後に内服する避妊薬のことです。
このノルレボという緊急避妊薬は海外では数年前から一般的になってきており、国によってはごく簡単に購入することができます。インターネットでも買えるようで、日本からでも個人輸入というかたちで、非常に安くすごく簡単に入手することができるようです。(ただし、個人輸入ではニセモノをつかまされるリスクがあります)
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院にも、ときどき緊急避妊薬を求めて受診される方がいます。特に土曜日の午後は、開いているクリニックが少ないこともあり、他府県から車を飛ばしてやって来る人もいます。
ノルレボ発売によりようやく日本でも緊急避妊がおこなわれるようになったのか、と言えばそういうわけではなく、これまでも一部の中用量ピルを2回にわけて内服するという方法がありましたし、ノルレボが発売になってからもその方法を選択する人もいます。というのは、ノルレボは非常に高価であるからです(海外の5倍以上もします!)。しかし、ノルレボの方が従来の中用量ピルを2回内服するという方法よりも成功率が高いことが報告されており、値段と効果を天秤にかけて選ぶことになります。
緊急避妊に関して私が最も主張したいことは、「緊急避妊は100%成功するわけではない!」ということです。この点を誤解している人がいて驚かされることがあります。なかには、「コンドームなしの性交渉をしてもその度に緊急避妊をしているから大丈夫」と言う若い女性もいます。
ノルレボの販売元であるあすか製薬から入手したデータによりますと、ヤッペ法といって2回内服する方法での妊娠率は3.2%、ノルレボを使っても妊娠率は1.1%となっています。太融寺町谷口医院の症例でみても、2回内服する方法で妊娠してしまった人は過去に数人います。ノルレボではまだ妊娠した例がありませんが、使用者が増えてくればやがて避妊に失敗する人もでてくるでしょう。
婦人科専門のクリニックでない太融寺町谷口医院にすら、大勢の患者さんが緊急避妊目的で受診されるわけですから、日本全国でみればかなりの日本人女性が緊急避妊を経験しているのは間違いないでしょう。年間でいったいどれくらいの日本人女性が緊急避妊を実施しているのかというのはデータがなく分からないのですが、興味深いことに、タイではそのデータがあります。
2011年7月11日のタイの英字新聞「The Nation」によりますと、タイでは年間800万セットもの緊急避妊薬(おそらくノルレボだと思われます)が消費されているそうです。しかも、タイでは普通の薬局で医師の処方箋なしで買えてしまうのです。報道によりますと、緊急避妊薬を求める多くは10代の未成年で、なかには何度も購入する女子もいるそうです。当局としてはこの事態に危機感を抱いており、緊急避妊薬は低用量ピル(OC)よりも多くのホルモンが使われており身体に負担がかかること、安易に性交渉を持つべきでないことなどを女子生徒に教育していくことを検討しているそうです。
私はエイズ関連の講演やセミナーをおこなうときには、「大切なパートナーができれば性交渉を持つ前にお互いがすべての性感染症について検査をすべきです」と話しています。そして、「お互いが性感染症に感染していないことを確かめれば(感染していれば治療して治ったことを確認すれば)、あなたはこれから性感染症にかかるリスクはゼロになります。ただしあなた自身もあなたのパートナーも誠実であることが必要ですが・・・」、と続けるようにしています。この私の主張は、エイズに携わる活動家からは不評なのですが(理想論に過ぎず現実的でないと言われるのです)、それでも真実には変わりないわけで、これからも主張し続けるつもりです。
さて、私の主張を受け入れてもらって(かどうかは分かりませんが)、新しいパートナーができたとき性交渉を持つ前に二人そろってすべての性感染症の検査を受けるという人は着実に増えてきています。数年前までは、太融寺町谷口医院をこの目的で受診して検査を受けるカップルは、西洋人カップル、西洋人と日本人のカップル、日本人同士であれば男性同性愛者、にほぼ限られていたのですが、最近では、日本人の男女のカップルも増えてきています。日本人の男女のカップルに話を聞くと、性感染症の話をしたときに避妊はどうすべきか、という話にもなると言います。当然のことですが、このようにきちんと話をしているカップルの避妊に「危なくなったら緊急避妊に頼ればいいや」という考えはありません。(ただし、コンドームが破れるというアクシデントが起こったときは緊急避妊が必要となることもあります)
失敗のリスクや身体に負担がかかるリスクなどを考えれば、「緊急避妊薬があるから大丈夫」などという考えが大間違いであることは自明ですが、患者さんからときどき言われるのが「危険な性交渉を持ってしまったから抗HIV薬を処方してほしい」というものです。
たしかに我々医療従事者は、HIV陽性(かもしれないケースも含めて)の患者さんに対し針刺し事故を起こした場合、直ちに抗HIV薬を内服して感染を防いでいます(注1)。また、HIV陽性者(かもしれない人も含めて)からレイプをされた場合などには抗HIV薬を予防的に内服してもらうことが必要になる場合もあります。けれども、次のように考えている人がいて困ることがあります。それは、「危険な性交渉をしてもその後に抗HIV薬を飲めば問題ないんでしょ」、というものです。
この考えは完全に誤りです。HIV以外の感染症に対してはどのように考えているのか、性交渉の後どうやって速やかに抗HIV薬を入手するのか、100%の確率で感染予防できるわけではないことが理解できているのか、コストのことは考えているのか、などといった問題があるからです。
しかし、最近、「抗HIV薬の感染予防目的の服用が有効」という研究がそろってきているのは事実です。医学誌『THE LANCET』2011年7月18日号に掲載された論文(注2)で3つの研究が紹介されています。その3つの研究とは、いずれもHIV陽性者とHIVに感染していないカップルに対し、感染していない人に予防的に抗HIV薬を飲んでもらうことによって感染を予防できることが実証された、というものです。
この論文で言いたいことは、抗HIV薬はHIV感染者に対してエイズ発症を防ぐことができる治療薬のみならず、HIVに感染することを防ぐ予防薬にもなる、というもので、この発表を受けて、今後のHIV感染予防対策が大きく変わるのではないか、とみる向きが増えてきています。
けれども、ことは慎重にすすめなければなりません。抗HIV薬は決して気軽に内服するようなものではありませんから、服用していいのは「HIV陽性者のパートナー」に限定されることにはなるでしょう。しかし、そのパートナーの定義はどうするのか、という問題があります。結婚していることを条件にすれば、同性愛者には認められなくなる国や地域は少なくありませんし、男女間のカップルにおいても「抗HIV薬を服用したいから結婚する」という考え方には違和感があります。
さらに、抗HIV薬にはコストの問題、副作用の問題などがあります。特にコストについて考えると、予防的投与というのは現実的でなくなってきます。現在、日本ではひとりのHIV陽性者に必要な医療費が生涯で1億円は超えると言われています。若い時期に感染し生涯抗HIV薬を内服し続けると2億円になるとの試算もあります。予防的投与に使う抗HIV薬が1種類のみで安いものが選ばれたとしてもかなりの金額になるのは自明です。このコストを誰が負担するのだ、という問題があり、保険適用にはならないでしょうから、おそらく予防的投与が認められたとしても、そのコストはHIV陽性+HIV陰性のカップルが負担しなければならなくなるでしょう。すると「HIV陽性者と交際もしくは結婚できるのは金持ちだけ」という事態になってしまいます。
今確実に言えることは、相手がHIV陽性であろうがなかろうが、性感染症のリスクを減らすために、また、望まない妊娠を防ぐためにも、カップル間でしっかり話をする、そしてお互いが誠実になり信頼し合う、ということだと私は考えています。
注1 どこの医療機関でも、というわけではありませんが、最近では多くの医療機関で医療者が針刺し事故などを起こしたときのために抗HIV薬を常備しています。針刺しをしてから何時間以内に飲むべき、ということには様々な議論がありましたが、現在は「できるだけ早く」というのが共通のコンセンサスとなっています。(太融寺町谷口医院にも針刺し事故を起こしたときのために抗HIV薬を置いています。しかし、「危険な性交渉があったから処方してほしい」という患者さんからの要望に対しては、レイプがあった、など特殊な状況を除いては応じていません)
注2 この論文のタイトルは、「Antiretroviral prophylaxis: a defining moment in HIV control」で、下記のURLで全文を読むことができます。全文を読むにはregistration(登録)が必要ですが無料でできます。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961136-7/fulltext
このノルレボという緊急避妊薬は海外では数年前から一般的になってきており、国によってはごく簡単に購入することができます。インターネットでも買えるようで、日本からでも個人輸入というかたちで、非常に安くすごく簡単に入手することができるようです。(ただし、個人輸入ではニセモノをつかまされるリスクがあります)
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院にも、ときどき緊急避妊薬を求めて受診される方がいます。特に土曜日の午後は、開いているクリニックが少ないこともあり、他府県から車を飛ばしてやって来る人もいます。
ノルレボ発売によりようやく日本でも緊急避妊がおこなわれるようになったのか、と言えばそういうわけではなく、これまでも一部の中用量ピルを2回にわけて内服するという方法がありましたし、ノルレボが発売になってからもその方法を選択する人もいます。というのは、ノルレボは非常に高価であるからです(海外の5倍以上もします!)。しかし、ノルレボの方が従来の中用量ピルを2回内服するという方法よりも成功率が高いことが報告されており、値段と効果を天秤にかけて選ぶことになります。
緊急避妊に関して私が最も主張したいことは、「緊急避妊は100%成功するわけではない!」ということです。この点を誤解している人がいて驚かされることがあります。なかには、「コンドームなしの性交渉をしてもその度に緊急避妊をしているから大丈夫」と言う若い女性もいます。
ノルレボの販売元であるあすか製薬から入手したデータによりますと、ヤッペ法といって2回内服する方法での妊娠率は3.2%、ノルレボを使っても妊娠率は1.1%となっています。太融寺町谷口医院の症例でみても、2回内服する方法で妊娠してしまった人は過去に数人います。ノルレボではまだ妊娠した例がありませんが、使用者が増えてくればやがて避妊に失敗する人もでてくるでしょう。
婦人科専門のクリニックでない太融寺町谷口医院にすら、大勢の患者さんが緊急避妊目的で受診されるわけですから、日本全国でみればかなりの日本人女性が緊急避妊を経験しているのは間違いないでしょう。年間でいったいどれくらいの日本人女性が緊急避妊を実施しているのかというのはデータがなく分からないのですが、興味深いことに、タイではそのデータがあります。
2011年7月11日のタイの英字新聞「The Nation」によりますと、タイでは年間800万セットもの緊急避妊薬(おそらくノルレボだと思われます)が消費されているそうです。しかも、タイでは普通の薬局で医師の処方箋なしで買えてしまうのです。報道によりますと、緊急避妊薬を求める多くは10代の未成年で、なかには何度も購入する女子もいるそうです。当局としてはこの事態に危機感を抱いており、緊急避妊薬は低用量ピル(OC)よりも多くのホルモンが使われており身体に負担がかかること、安易に性交渉を持つべきでないことなどを女子生徒に教育していくことを検討しているそうです。
私はエイズ関連の講演やセミナーをおこなうときには、「大切なパートナーができれば性交渉を持つ前にお互いがすべての性感染症について検査をすべきです」と話しています。そして、「お互いが性感染症に感染していないことを確かめれば(感染していれば治療して治ったことを確認すれば)、あなたはこれから性感染症にかかるリスクはゼロになります。ただしあなた自身もあなたのパートナーも誠実であることが必要ですが・・・」、と続けるようにしています。この私の主張は、エイズに携わる活動家からは不評なのですが(理想論に過ぎず現実的でないと言われるのです)、それでも真実には変わりないわけで、これからも主張し続けるつもりです。
さて、私の主張を受け入れてもらって(かどうかは分かりませんが)、新しいパートナーができたとき性交渉を持つ前に二人そろってすべての性感染症の検査を受けるという人は着実に増えてきています。数年前までは、太融寺町谷口医院をこの目的で受診して検査を受けるカップルは、西洋人カップル、西洋人と日本人のカップル、日本人同士であれば男性同性愛者、にほぼ限られていたのですが、最近では、日本人の男女のカップルも増えてきています。日本人の男女のカップルに話を聞くと、性感染症の話をしたときに避妊はどうすべきか、という話にもなると言います。当然のことですが、このようにきちんと話をしているカップルの避妊に「危なくなったら緊急避妊に頼ればいいや」という考えはありません。(ただし、コンドームが破れるというアクシデントが起こったときは緊急避妊が必要となることもあります)
失敗のリスクや身体に負担がかかるリスクなどを考えれば、「緊急避妊薬があるから大丈夫」などという考えが大間違いであることは自明ですが、患者さんからときどき言われるのが「危険な性交渉を持ってしまったから抗HIV薬を処方してほしい」というものです。
たしかに我々医療従事者は、HIV陽性(かもしれないケースも含めて)の患者さんに対し針刺し事故を起こした場合、直ちに抗HIV薬を内服して感染を防いでいます(注1)。また、HIV陽性者(かもしれない人も含めて)からレイプをされた場合などには抗HIV薬を予防的に内服してもらうことが必要になる場合もあります。けれども、次のように考えている人がいて困ることがあります。それは、「危険な性交渉をしてもその後に抗HIV薬を飲めば問題ないんでしょ」、というものです。
この考えは完全に誤りです。HIV以外の感染症に対してはどのように考えているのか、性交渉の後どうやって速やかに抗HIV薬を入手するのか、100%の確率で感染予防できるわけではないことが理解できているのか、コストのことは考えているのか、などといった問題があるからです。
しかし、最近、「抗HIV薬の感染予防目的の服用が有効」という研究がそろってきているのは事実です。医学誌『THE LANCET』2011年7月18日号に掲載された論文(注2)で3つの研究が紹介されています。その3つの研究とは、いずれもHIV陽性者とHIVに感染していないカップルに対し、感染していない人に予防的に抗HIV薬を飲んでもらうことによって感染を予防できることが実証された、というものです。
この論文で言いたいことは、抗HIV薬はHIV感染者に対してエイズ発症を防ぐことができる治療薬のみならず、HIVに感染することを防ぐ予防薬にもなる、というもので、この発表を受けて、今後のHIV感染予防対策が大きく変わるのではないか、とみる向きが増えてきています。
けれども、ことは慎重にすすめなければなりません。抗HIV薬は決して気軽に内服するようなものではありませんから、服用していいのは「HIV陽性者のパートナー」に限定されることにはなるでしょう。しかし、そのパートナーの定義はどうするのか、という問題があります。結婚していることを条件にすれば、同性愛者には認められなくなる国や地域は少なくありませんし、男女間のカップルにおいても「抗HIV薬を服用したいから結婚する」という考え方には違和感があります。
さらに、抗HIV薬にはコストの問題、副作用の問題などがあります。特にコストについて考えると、予防的投与というのは現実的でなくなってきます。現在、日本ではひとりのHIV陽性者に必要な医療費が生涯で1億円は超えると言われています。若い時期に感染し生涯抗HIV薬を内服し続けると2億円になるとの試算もあります。予防的投与に使う抗HIV薬が1種類のみで安いものが選ばれたとしてもかなりの金額になるのは自明です。このコストを誰が負担するのだ、という問題があり、保険適用にはならないでしょうから、おそらく予防的投与が認められたとしても、そのコストはHIV陽性+HIV陰性のカップルが負担しなければならなくなるでしょう。すると「HIV陽性者と交際もしくは結婚できるのは金持ちだけ」という事態になってしまいます。
今確実に言えることは、相手がHIV陽性であろうがなかろうが、性感染症のリスクを減らすために、また、望まない妊娠を防ぐためにも、カップル間でしっかり話をする、そしてお互いが誠実になり信頼し合う、ということだと私は考えています。
注1 どこの医療機関でも、というわけではありませんが、最近では多くの医療機関で医療者が針刺し事故などを起こしたときのために抗HIV薬を常備しています。針刺しをしてから何時間以内に飲むべき、ということには様々な議論がありましたが、現在は「できるだけ早く」というのが共通のコンセンサスとなっています。(太融寺町谷口医院にも針刺し事故を起こしたときのために抗HIV薬を置いています。しかし、「危険な性交渉があったから処方してほしい」という患者さんからの要望に対しては、レイプがあった、など特殊な状況を除いては応じていません)
注2 この論文のタイトルは、「Antiretroviral prophylaxis: a defining moment in HIV control」で、下記のURLで全文を読むことができます。全文を読むにはregistration(登録)が必要ですが無料でできます。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961136-7/fulltext
第60回 同性愛者の社会保障(2011年6月)
来たる2011年7月3日はタイの総選挙の投票日で、目下バンコクのみならずタイ全域で選挙活動が大変盛り上がっています。今回の選挙は大変わかりやすい構造で、現与党党首(現首相)である民主党のアピシット氏と、タイ貢献党(Pheu Thai)のインラック・シナワット氏の事実上の一騎打ちとなります。インラック氏は、現在海外に亡命中のタクシン元首相の妹です(注1)。
アピシット首相は現在46歳ですが、実年齢よりも若く見え、インテリ風の美男子ですが、対するインラック氏も43歳の美形であり、このあたりも選挙戦が盛り上がっている理由のひとつかもしれません。現在の世論調査ではインラック氏が一歩リードしているようですが、タイ貢献党の単独過半数は困難という見方も強く、タイのみならず全世界から注目されている選挙といえます。
さて、今回お話したいのはタイの政治についてではありません。今回取り上げたいのは「同性婚」についてです。意外に思われるかもしれませんが、タイでは同性婚がいまだに認められていません。現在、同性愛を擁護する団体が、同性婚を認可するよう現与党の民主党及びタイ貢献党に公約を求めています。
2011年5月31日のThe Nation(タイの英字新聞)によりますと、同性愛者の団体のリーダーであるナティー氏(Natee Teerarojjanapongs)と、性転換をしている歌手のジム・サラ氏(Jim Sarah)らが、5月30日、民主党とタイ貢献党の双方に「政権与党となれば、同性婚を認可してもらいたい。同性愛者は、有権者の10%に相当する約400万人に上る。我々にも法的保護、社会保障を受ける権利があるはずだ」と訴えたそうです。
さて、多くの人が感じるものと思われますが、タイほど同性愛に寛容な国は他に見当たりません。なにしろ、中学生くらいから男子生徒の1~2割は、いかにもゲイ、という格好をしていますし、そのような生徒と普通の(ストレートの)女子生徒が普通に会話をしているシーンは電車や街の中でよく見かけます。
日本では、学生はもちろん、社会人でも同性愛者であることをカムアウトしている人はそれほど多くはありません。私の知る限り、日本の大企業の社員や公務員で同性愛者であることを職場でカムアウトしている人はほぼ皆無ですし、(おそらく他の職種よりも同性愛者の比率が多いと思われる)医療者でさえ、勤務先でカムアウトしている人をほとんど知りません。患者として私の診察を受けている医療者に同性愛者は少なくありませんが、これまで私が勤務してきた医療機関で、つまり同僚として接する医療者のなかには、同性愛者であることを私にカムアウトした人はひとりもいません。外資系の航空会社の男性フライト・アテンダントにゲイが多いというのは多くの人が感じていることだと思いますが、日本ではあまり聞きません。
私の知る限り、日本で同性愛者であることを職場でカムアウトしているのは、例えば社長がゲイであることを公言している比較的小さなデザイン会社とか、同性愛者が集まる飲食店の店員とか、あるいは同性愛者であることを売りにしている芸能人などに限られます。
本当は、同性愛者であることは恥ずかしいことでもなんでもないわけで、堂々としていればいいのですが、それができないところに日本社会の閉鎖性を見て取れるように感じます。
話をタイに戻しましょう。タイでは、中学生くらいから同性愛者であることをカムアウトしている人は非常に多いですし、一般企業で働く人もごく普通にカムアウトしています。私も、タイ人の知り合いで男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者(バイセクシャアル)などがいますが、みんな普通に仕事をして普通に恋愛を楽しんでいます。最も驚かされるのは大学生でしょう。タイの大学では、それも一流であればあるほど、男性の同性愛者の比率が増えます。大学や学部によっては9割の男子学生が同性愛者なんてところもあります。(理系はそうでもありませんが、医療系はやはり同性愛者が多いようです)
ただ、タイの同性愛者の全員が同性愛者であることのハンディを感じていないか、と言えばそういうわけではなく、なかには同性愛者であることを隠している人もいますし、同性愛者であることが周囲に知られて職場で差別的な扱いを受けるようになったという人がいるのも事実です。
同性愛のかたちのひとつにレディボーイ(日本風に言えばニューハーフ)がありますが、彼女(彼?)らは、女装していないゲイに比べると幾分社会で生きにくさを感じているようです。(下記コラムも参照ください) しかし、特殊な例かもしれませんが、フライト・アテンダントにレディボーイを登用するという新興航空会社も登場しました。この会社は「PCエアー」といい(PCはPhuket Carrierの略)、当初の発表では、2011年2月から、バンコクと関西・成田、及びバンコクと(韓国の)仁川を結ぶ路線に就航する予定でした。しかし、現時点(2011年6月)でも就航決定の案内がされておらず、(タイのことですから・・・)このまま消えていくのかもしれません。(注2)
先に述べたThe Nationの報道によりますと、2つの政党に嘆願に出向いたナティー氏は「パートナーとは17年間も夫婦同然に暮らしているが、男女の夫婦のように社会的保護を受けることができない。例えば、もし私に緊急手術が必要となったとしても、パートナーは手術同意書に署名することすらできない」とコメントしています。
タイでは男女のカップルで子供が数人いたとしても、籍を入れていない、なんてこともよくありますし、元々社会保障が手厚い国ではありませんから、同性婚を認可する・しない、というのはそれほど問題にならないのかな、と私は感じていたのですが、たしかにナティー氏が主張するような問題は切実と言えるでしょう。
タイという国は、東北地方(イサーン)に行けば、地域あたりの一人あたりのGDPが日本円で年間10万円程度であり、先進国との格差を強く感じますが、バンコクやパタヤ・プーケットなど一部のリゾート地をみていると、先進国との差はありません。特に、都心に住む同性愛者の人たちからみれば、同性婚が認可されなければ社会保障の観点からハンディを背負うことになるのかもしれません。
同性婚は現在では多くの国や地域で認められています。また、「同性婚」そのものが認められなかったとしても従来の夫婦と同様の権利を認める「パートナーシップ法」が施行されている国や地域も多数あります。というより、イスラム社会を除けば、先進国で同性愛者が法的に擁護されない国は、シンガポール、ロシア、日本、韓国くらいに限定されます。ちなみに、中国は法律そのものはありませんが一度全国人民代表会議で同性婚が提案されたことがありますし、カンボジアでも、シアヌーク国王が同性婚を支持すると発表したことがあるそうです。日本では同性婚どころか、同性愛者の社会保障が国会で議論されたことすらほとんどないのではないでしょうか。(注3)
最後に再びタイの話に戻します。マスコミの報道によりますと、ナティー氏らの「同性婚認可を公約に入れてほしい」という申し入れに対し、両政党とも「党内で検討する」という回答はしたものの、「同性婚を公約する」とは言及していないようです。
しかし、あらためて考えてみると、有権者の10%に相当する約400万人が同性愛者であるということは、同性愛者の存在が政権維持に大きな影響を与えるのは間違いないでしょう。
同性愛者におけるHIVの新規感染は、90年代ほどではないにせよ、下げ止まりの状態が続いており、タイでは「同性愛者」は「主婦」と並んでHIVの最たるハイリスクグループとなっています。同性愛者に対するHIV対策を効果的におこなうためにも、同性愛者の団体の意向を政府が尊重すべきではないかと思われます。
注1:インラックは名、シナワットが姓ですが、タイでは通常姓ではなく名が使われます。このためマスコミ報道などでも姓ではなく名が伝えられますし、長年連れ添っている友達同士でも互いに姓を知らないということがよくあります。
注2:PCエアーの今後の就航がどうなるかは現時点では未定ですが、興味のある方は同社のウェブサイトをチェックしてみてください。
http://www.pcairline.com/
注3:日本の興味深いところは、同性愛者のタレントが多く、テレビにもよく登場するということです。タイのテレビにも同性愛者はよく登場しますが、私の知る限りタイと日本を除く国では、これほどテレビに同性愛者が出演しません。そもそも西洋諸国で同性婚の議論が起こり、認められるようになったのは、実際には差別や偏見が根強く存在するからであり、現在でもテレビに堂々と同性愛者が登場するということはあまりありません。この点に関して、私は日本の同性愛事情のユニークさに関心を持っているのですが、今回の議論とは離れますのでこれ以上は述べないでおきます。
参考:GINAと共に第12回(2007年6月)「レディボーイの苦悩」
アピシット首相は現在46歳ですが、実年齢よりも若く見え、インテリ風の美男子ですが、対するインラック氏も43歳の美形であり、このあたりも選挙戦が盛り上がっている理由のひとつかもしれません。現在の世論調査ではインラック氏が一歩リードしているようですが、タイ貢献党の単独過半数は困難という見方も強く、タイのみならず全世界から注目されている選挙といえます。
さて、今回お話したいのはタイの政治についてではありません。今回取り上げたいのは「同性婚」についてです。意外に思われるかもしれませんが、タイでは同性婚がいまだに認められていません。現在、同性愛を擁護する団体が、同性婚を認可するよう現与党の民主党及びタイ貢献党に公約を求めています。
2011年5月31日のThe Nation(タイの英字新聞)によりますと、同性愛者の団体のリーダーであるナティー氏(Natee Teerarojjanapongs)と、性転換をしている歌手のジム・サラ氏(Jim Sarah)らが、5月30日、民主党とタイ貢献党の双方に「政権与党となれば、同性婚を認可してもらいたい。同性愛者は、有権者の10%に相当する約400万人に上る。我々にも法的保護、社会保障を受ける権利があるはずだ」と訴えたそうです。
さて、多くの人が感じるものと思われますが、タイほど同性愛に寛容な国は他に見当たりません。なにしろ、中学生くらいから男子生徒の1~2割は、いかにもゲイ、という格好をしていますし、そのような生徒と普通の(ストレートの)女子生徒が普通に会話をしているシーンは電車や街の中でよく見かけます。
日本では、学生はもちろん、社会人でも同性愛者であることをカムアウトしている人はそれほど多くはありません。私の知る限り、日本の大企業の社員や公務員で同性愛者であることを職場でカムアウトしている人はほぼ皆無ですし、(おそらく他の職種よりも同性愛者の比率が多いと思われる)医療者でさえ、勤務先でカムアウトしている人をほとんど知りません。患者として私の診察を受けている医療者に同性愛者は少なくありませんが、これまで私が勤務してきた医療機関で、つまり同僚として接する医療者のなかには、同性愛者であることを私にカムアウトした人はひとりもいません。外資系の航空会社の男性フライト・アテンダントにゲイが多いというのは多くの人が感じていることだと思いますが、日本ではあまり聞きません。
私の知る限り、日本で同性愛者であることを職場でカムアウトしているのは、例えば社長がゲイであることを公言している比較的小さなデザイン会社とか、同性愛者が集まる飲食店の店員とか、あるいは同性愛者であることを売りにしている芸能人などに限られます。
本当は、同性愛者であることは恥ずかしいことでもなんでもないわけで、堂々としていればいいのですが、それができないところに日本社会の閉鎖性を見て取れるように感じます。
話をタイに戻しましょう。タイでは、中学生くらいから同性愛者であることをカムアウトしている人は非常に多いですし、一般企業で働く人もごく普通にカムアウトしています。私も、タイ人の知り合いで男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者(バイセクシャアル)などがいますが、みんな普通に仕事をして普通に恋愛を楽しんでいます。最も驚かされるのは大学生でしょう。タイの大学では、それも一流であればあるほど、男性の同性愛者の比率が増えます。大学や学部によっては9割の男子学生が同性愛者なんてところもあります。(理系はそうでもありませんが、医療系はやはり同性愛者が多いようです)
ただ、タイの同性愛者の全員が同性愛者であることのハンディを感じていないか、と言えばそういうわけではなく、なかには同性愛者であることを隠している人もいますし、同性愛者であることが周囲に知られて職場で差別的な扱いを受けるようになったという人がいるのも事実です。
同性愛のかたちのひとつにレディボーイ(日本風に言えばニューハーフ)がありますが、彼女(彼?)らは、女装していないゲイに比べると幾分社会で生きにくさを感じているようです。(下記コラムも参照ください) しかし、特殊な例かもしれませんが、フライト・アテンダントにレディボーイを登用するという新興航空会社も登場しました。この会社は「PCエアー」といい(PCはPhuket Carrierの略)、当初の発表では、2011年2月から、バンコクと関西・成田、及びバンコクと(韓国の)仁川を結ぶ路線に就航する予定でした。しかし、現時点(2011年6月)でも就航決定の案内がされておらず、(タイのことですから・・・)このまま消えていくのかもしれません。(注2)
先に述べたThe Nationの報道によりますと、2つの政党に嘆願に出向いたナティー氏は「パートナーとは17年間も夫婦同然に暮らしているが、男女の夫婦のように社会的保護を受けることができない。例えば、もし私に緊急手術が必要となったとしても、パートナーは手術同意書に署名することすらできない」とコメントしています。
タイでは男女のカップルで子供が数人いたとしても、籍を入れていない、なんてこともよくありますし、元々社会保障が手厚い国ではありませんから、同性婚を認可する・しない、というのはそれほど問題にならないのかな、と私は感じていたのですが、たしかにナティー氏が主張するような問題は切実と言えるでしょう。
タイという国は、東北地方(イサーン)に行けば、地域あたりの一人あたりのGDPが日本円で年間10万円程度であり、先進国との格差を強く感じますが、バンコクやパタヤ・プーケットなど一部のリゾート地をみていると、先進国との差はありません。特に、都心に住む同性愛者の人たちからみれば、同性婚が認可されなければ社会保障の観点からハンディを背負うことになるのかもしれません。
同性婚は現在では多くの国や地域で認められています。また、「同性婚」そのものが認められなかったとしても従来の夫婦と同様の権利を認める「パートナーシップ法」が施行されている国や地域も多数あります。というより、イスラム社会を除けば、先進国で同性愛者が法的に擁護されない国は、シンガポール、ロシア、日本、韓国くらいに限定されます。ちなみに、中国は法律そのものはありませんが一度全国人民代表会議で同性婚が提案されたことがありますし、カンボジアでも、シアヌーク国王が同性婚を支持すると発表したことがあるそうです。日本では同性婚どころか、同性愛者の社会保障が国会で議論されたことすらほとんどないのではないでしょうか。(注3)
最後に再びタイの話に戻します。マスコミの報道によりますと、ナティー氏らの「同性婚認可を公約に入れてほしい」という申し入れに対し、両政党とも「党内で検討する」という回答はしたものの、「同性婚を公約する」とは言及していないようです。
しかし、あらためて考えてみると、有権者の10%に相当する約400万人が同性愛者であるということは、同性愛者の存在が政権維持に大きな影響を与えるのは間違いないでしょう。
同性愛者におけるHIVの新規感染は、90年代ほどではないにせよ、下げ止まりの状態が続いており、タイでは「同性愛者」は「主婦」と並んでHIVの最たるハイリスクグループとなっています。同性愛者に対するHIV対策を効果的におこなうためにも、同性愛者の団体の意向を政府が尊重すべきではないかと思われます。
注1:インラックは名、シナワットが姓ですが、タイでは通常姓ではなく名が使われます。このためマスコミ報道などでも姓ではなく名が伝えられますし、長年連れ添っている友達同士でも互いに姓を知らないということがよくあります。
注2:PCエアーの今後の就航がどうなるかは現時点では未定ですが、興味のある方は同社のウェブサイトをチェックしてみてください。
http://www.pcairline.com/
注3:日本の興味深いところは、同性愛者のタレントが多く、テレビにもよく登場するということです。タイのテレビにも同性愛者はよく登場しますが、私の知る限りタイと日本を除く国では、これほどテレビに同性愛者が出演しません。そもそも西洋諸国で同性婚の議論が起こり、認められるようになったのは、実際には差別や偏見が根強く存在するからであり、現在でもテレビに堂々と同性愛者が登場するということはあまりありません。この点に関して、私は日本の同性愛事情のユニークさに関心を持っているのですが、今回の議論とは離れますのでこれ以上は述べないでおきます。
参考:GINAと共に第12回(2007年6月)「レディボーイの苦悩」
第59回 それでもボランティアに行こう!(2011年5月)
このコラムの前々回では、ボランティアは長期で行くべきであることを伝え、前回はボランティアが忘れてはいけない2つのルールについて述べました。とらえようによっては、私は随分とボランティアに対して厳しい意見を持っているように思われたかもしれませんが、決してそうではありません。むしろ、経験したことのない人にはボランティアの醍醐味を知ってもらいたいと考えています。今回は、どのような状況にいる人がどのようなボランティアをすべきか、について私見を述べたいと思います。
まず、東日本大震災の被害の現状を考えると、依然しなければならないことがたくさんあり、完全に慢性期に移行したとは言えない状態にあります。瓦礫の除去、泥掻き、炊出し、簡易トイレの掃除など、こういった仕事がまだまだ山積みであることが、被災地の状況が依然落ち着いていないことを示しています。
このようなときに求められるボランティアの業務というのは、被災者とじっくり向き合ってそれぞれのニーズを聞き出すことよりも、安全な場所を確保し、被災者に最低限の衣食住を供給することです。被災者との密なコミュニケーションよりもむしろ、身体を使った業務をてきぱきとこなすことの方が求められるというわけです。
そして、こういう業務が中心のボランティアであれば絶対に長期で行かなければならないわけではなく、むしろ短期の方がいいという面もあります。その理由は、まずひとつめは、短期のボランティアであれば、週末を利用するとか、1週間だけ会社を休むとかする程度で現地訪問が可能になるでしょうから、世間の関心がまだまだ高い今ならボランティアが集まりやすいというものです。3ヶ月間まるまるボランティアに行ける人をひとり探すよりも、1週間だけ参加できる人12人を探す方が現実的である、というわけです。
次に、重労働が中心のボランティア業務であれば、長期になればなるほどボランティアの身がもたない、という問題があります。瓦礫の処理を朝から晩までおこなう作業は1週間ならできても、3ヶ月となると相当しんどくなります。
3つめに、瓦礫処理や炊出しなどといった日常ではあまり体験しないようなこと(要するに「非日常」)のなかにいると、些細なことが原因で、ボランティア同士、あるいはボランティアと被災者の間に口論やいさかいがでてくることがあります。こういったトラブルは「非日常」が続いたときにうまれやすいのです。ですから、現在の東日本大震災の被災地のようにまだ現場が安定していない時期には、こういったトラブルを避けるためにも、あえて短期限定とする、というのはひとつの方法です。
実際、阪神大震災のときにもこのような事態はしばしば起こっていましたし、NGOの「ピースボート」が現在募集しているボランティアは、仕事の内容を「泥掻きや炊き出し」とし「原則1週間」をルールにしていますが、これは現実的な考えだと思われます。
しかしながら、ボランティアの内容を吟味すると、瓦礫処理や炊出しなどの他にも求められていることが多数あります。例えば、炊出しで配給されたご飯を自分で食べることのできない身体の不自由なお年寄りがいます。お年寄りでなくても身体的自由のきかない身体障害者もいます。そんな人たちに食事の介助をおこなうボランティアも必要です。また、トイレにひとりでいけない人や、おむつの交換が必要な被災者だって少なくないはずです。不安に苛まれている人に対しては、ときには手を握って話を聞くことも必要となるかもしれません。身体障害者に比べるとその苦悩が客観的にわかりにくいかもしれませんが、支援が必要な精神障害者も被災地にいます。このような支援については1週間程度では短すぎます。1週間ごとに新しいボランティアに食事介助を受けるとなると、介助される方は1週間ごとに新たなストレスを感じることになってしまいます。
被災者に対しては医療者のボランティアも必要で、実際大勢の医師が現地にボランティアに駆けつけています。東日本大震災の被災者の大半は、津波の被害者であり、求められている医療の多くは慢性疾患のケアです。しかし、あまりにも頻繁に医師が交代することで、「次々に新しい先生がやってきてその度に薬が変更になって混乱している」と話している被災者の方もいたそうです。最近では、現地では医療者のボランティアに関して長期間を求める傾向にあります。宮城県では、被災地入りする前に活動期間の予定を尋ね、長く滞在できる医師を優先的に受け入れるようにしているそうです。
被災者ひとりひとりのニーズを聞き出し、ひとりひとりに適した支援をおこなうには、ある程度長期で滞在することが不可欠となるのです。
さて、問題は、いったい誰がそんなに長期間ボランティアができるんだ、ということです。ボランティア休暇を長期でとれる職場に勤務している人、休学制度が使える大学生、定年退職して時間のある元気な高齢者の方などはうってつけかもしれません。
しかし、私が個人的にもっともすすめたいのは、現在失業中で就職の目処がたっていない人、現在の仕事に満足していない派遣社員、フリーター、あるいはニートと呼ばれている人、さらにひきこもっている人たちです。
あまり報道されなかったと思いますが、実は阪神大震災のときにもこういった人たちが大変活躍しています。それも、関西だけでなく東京から来る人もかなりの人数に昇りました。彼(女)らの多くは、東京では満足いく生活をしておらず、阪神大震災の被災地にやって来てイキイキと輝きだしたのです。「やっと自分の居場所が見つかった」と話す人もいました。やがて、復興が進みボランティアの需要も減少し彼(女)らは、東京に帰っていきました。しかし、"日常"に帰った彼(女)らのなかには、再び"輝き"を求めて被災地に戻ってくることも少なからずあったのです。
当時、こういった若者に対し世間の見方は好意的でありませんでした。「ボランティアと言っているが単なる自己満足じゃないか!」「他人を支援する前に自分が自立することを考えろ!」と言う意見が多かったのです。
たしかにボランティアは自己満足かもしれません。けれども自分自身が満足できて、結果として被災者の方に喜んでもらえればいったい誰に迷惑をかけるというのでしょうか。もちろんボランティアが独りよがりのものになったり、常に感謝を求めるようなものになったりしてはいけませんが、支援する側とされる側のお互いが満足しているなら誰も非難できないはずです。
私は、例えば社会との調和がうまくとれなくて結果としてひきこもっている人たちの多くが他人を支援したいと考えていることを確信しています。誤解している人が少なくありませんが、ひきこもっている人たちの大半は決して怠け者でもなくやる気がないわけでもありません。そうではなく、「社会のために役立ちたいのに何もできないことでフラストレーションを感じている」のです。
実際に、東北地方のひきこもりを支援しているあるNPOでは、その施設に入っているひきこもりの人たちが積極的に避難所に行き、トイレ掃除などを一生懸命やっているそうです。
人間が生きていることを実感できるのは「他人に必要とされていることを自覚するとき」です。これまでの就職活動で結果が出せなかった人たちも、被災地に行けばきっと他人の役に立てることが見つかるはずです。そこで「奉仕」や「貢献」という人間にとって最も大切な原理原則を思い起こすことができれば、これからの人生が大きく変わる、少なくともそのきっかけになるのではないかと私は考えています。
まず、東日本大震災の被害の現状を考えると、依然しなければならないことがたくさんあり、完全に慢性期に移行したとは言えない状態にあります。瓦礫の除去、泥掻き、炊出し、簡易トイレの掃除など、こういった仕事がまだまだ山積みであることが、被災地の状況が依然落ち着いていないことを示しています。
このようなときに求められるボランティアの業務というのは、被災者とじっくり向き合ってそれぞれのニーズを聞き出すことよりも、安全な場所を確保し、被災者に最低限の衣食住を供給することです。被災者との密なコミュニケーションよりもむしろ、身体を使った業務をてきぱきとこなすことの方が求められるというわけです。
そして、こういう業務が中心のボランティアであれば絶対に長期で行かなければならないわけではなく、むしろ短期の方がいいという面もあります。その理由は、まずひとつめは、短期のボランティアであれば、週末を利用するとか、1週間だけ会社を休むとかする程度で現地訪問が可能になるでしょうから、世間の関心がまだまだ高い今ならボランティアが集まりやすいというものです。3ヶ月間まるまるボランティアに行ける人をひとり探すよりも、1週間だけ参加できる人12人を探す方が現実的である、というわけです。
次に、重労働が中心のボランティア業務であれば、長期になればなるほどボランティアの身がもたない、という問題があります。瓦礫の処理を朝から晩までおこなう作業は1週間ならできても、3ヶ月となると相当しんどくなります。
3つめに、瓦礫処理や炊出しなどといった日常ではあまり体験しないようなこと(要するに「非日常」)のなかにいると、些細なことが原因で、ボランティア同士、あるいはボランティアと被災者の間に口論やいさかいがでてくることがあります。こういったトラブルは「非日常」が続いたときにうまれやすいのです。ですから、現在の東日本大震災の被災地のようにまだ現場が安定していない時期には、こういったトラブルを避けるためにも、あえて短期限定とする、というのはひとつの方法です。
実際、阪神大震災のときにもこのような事態はしばしば起こっていましたし、NGOの「ピースボート」が現在募集しているボランティアは、仕事の内容を「泥掻きや炊き出し」とし「原則1週間」をルールにしていますが、これは現実的な考えだと思われます。
しかしながら、ボランティアの内容を吟味すると、瓦礫処理や炊出しなどの他にも求められていることが多数あります。例えば、炊出しで配給されたご飯を自分で食べることのできない身体の不自由なお年寄りがいます。お年寄りでなくても身体的自由のきかない身体障害者もいます。そんな人たちに食事の介助をおこなうボランティアも必要です。また、トイレにひとりでいけない人や、おむつの交換が必要な被災者だって少なくないはずです。不安に苛まれている人に対しては、ときには手を握って話を聞くことも必要となるかもしれません。身体障害者に比べるとその苦悩が客観的にわかりにくいかもしれませんが、支援が必要な精神障害者も被災地にいます。このような支援については1週間程度では短すぎます。1週間ごとに新しいボランティアに食事介助を受けるとなると、介助される方は1週間ごとに新たなストレスを感じることになってしまいます。
被災者に対しては医療者のボランティアも必要で、実際大勢の医師が現地にボランティアに駆けつけています。東日本大震災の被災者の大半は、津波の被害者であり、求められている医療の多くは慢性疾患のケアです。しかし、あまりにも頻繁に医師が交代することで、「次々に新しい先生がやってきてその度に薬が変更になって混乱している」と話している被災者の方もいたそうです。最近では、現地では医療者のボランティアに関して長期間を求める傾向にあります。宮城県では、被災地入りする前に活動期間の予定を尋ね、長く滞在できる医師を優先的に受け入れるようにしているそうです。
被災者ひとりひとりのニーズを聞き出し、ひとりひとりに適した支援をおこなうには、ある程度長期で滞在することが不可欠となるのです。
さて、問題は、いったい誰がそんなに長期間ボランティアができるんだ、ということです。ボランティア休暇を長期でとれる職場に勤務している人、休学制度が使える大学生、定年退職して時間のある元気な高齢者の方などはうってつけかもしれません。
しかし、私が個人的にもっともすすめたいのは、現在失業中で就職の目処がたっていない人、現在の仕事に満足していない派遣社員、フリーター、あるいはニートと呼ばれている人、さらにひきこもっている人たちです。
あまり報道されなかったと思いますが、実は阪神大震災のときにもこういった人たちが大変活躍しています。それも、関西だけでなく東京から来る人もかなりの人数に昇りました。彼(女)らの多くは、東京では満足いく生活をしておらず、阪神大震災の被災地にやって来てイキイキと輝きだしたのです。「やっと自分の居場所が見つかった」と話す人もいました。やがて、復興が進みボランティアの需要も減少し彼(女)らは、東京に帰っていきました。しかし、"日常"に帰った彼(女)らのなかには、再び"輝き"を求めて被災地に戻ってくることも少なからずあったのです。
当時、こういった若者に対し世間の見方は好意的でありませんでした。「ボランティアと言っているが単なる自己満足じゃないか!」「他人を支援する前に自分が自立することを考えろ!」と言う意見が多かったのです。
たしかにボランティアは自己満足かもしれません。けれども自分自身が満足できて、結果として被災者の方に喜んでもらえればいったい誰に迷惑をかけるというのでしょうか。もちろんボランティアが独りよがりのものになったり、常に感謝を求めるようなものになったりしてはいけませんが、支援する側とされる側のお互いが満足しているなら誰も非難できないはずです。
私は、例えば社会との調和がうまくとれなくて結果としてひきこもっている人たちの多くが他人を支援したいと考えていることを確信しています。誤解している人が少なくありませんが、ひきこもっている人たちの大半は決して怠け者でもなくやる気がないわけでもありません。そうではなく、「社会のために役立ちたいのに何もできないことでフラストレーションを感じている」のです。
実際に、東北地方のひきこもりを支援しているあるNPOでは、その施設に入っているひきこもりの人たちが積極的に避難所に行き、トイレ掃除などを一生懸命やっているそうです。
人間が生きていることを実感できるのは「他人に必要とされていることを自覚するとき」です。これまでの就職活動で結果が出せなかった人たちも、被災地に行けばきっと他人の役に立てることが見つかるはずです。そこで「奉仕」や「貢献」という人間にとって最も大切な原理原則を思い起こすことができれば、これからの人生が大きく変わる、少なくともそのきっかけになるのではないかと私は考えています。
第58回 歓迎されないボランティア(2011年4月)
前回のこのコラムでは、「ボランティアは長期でおこなうべき」ということを私の経験を交えて紹介しました。東日本大震災をみても、大地震と津波が生じた3月11日直後には急性期の災害医療に長けた医療チーム(DMATが有名です)が活躍しましたが、その後は、高血圧や糖尿病など慢性の疾患に対するケアや、「眠れない」「不安がとれない」といった精神症状に対するアプローチが必要になり、現場からも「ボランティアは長期で来てもらいたい」という声が大きくなってきました。
今回は、「長期でおこなう」以外に、ボランティアにはどのようなことが求められるのか、あるいはボランティアがやってはいけないことは何なのか、といったことについて私の体験を踏まえて考察していきたいと思います。
まず、絶対に忘れてはいけない1つめのルールは、「ボランティアは謙虚な気持ちでおこなわなければならない」というものです。
ボランティアを一度でもおこなったことのある人なら分かると思いますが、ボランティアというのは<大変気持ちのいいもの>です。ときに大変な重労働を強いられ、かつ基本的に無償ですから、ボランティアが気持ちのいいものなどと言うと、経験のない人は「えっ?」と思うかもしれません。
しかし、ボランティアは大変気持ちのいいものなのです。この理由のひとつは、困っている人を支援することで「絶対的に正しいことをしている」という自負が得られることにあると思います。これは一般の仕事と比較してみるとわかりやすいでしょう。例えば、あなたが株式会社Xに勤務していて、X社製のAという商品を担当しているとしましょう。あなたの任務はAの販売促進ですが、顧客にとってAを買わなければならない絶対的な理由が果たしてあるでしょうか。顧客からすればY社製のBという商品の方がいいかもしれませんし、そもそもAもBも顧客には必要のないものかもしれません。一方、ボランティアは目の前の困っている人を支援するのがミッションですから、これが絶対的に正しいのは明らかです。
自分は絶対的に正しいことをしているんだ、しかも無償でおこなっているんだ、という意識が士気を高揚させます。そして、ハイテンションのなか、ますます重労働を率先して引き受けるようになっていきます。さらに支援を受ける人から感謝の言葉が送られ、この言葉が励みになり、高揚感が一層加速されていくのです。
もちろんいくら高揚感が強くなっても、状況を冷静に判断し、仲間との連携を上手くとり、支援を受ける人から感謝されていれば問題はありません。しかし、ときにこの高揚感が暴走してしまうことがあるのです・・・。
例えばボランティア同士で意見が対立するということがあります。こういうとき、「まずは相手の意見を聞いて、その意見を自分が理解できていることを相手に認めてもらうまでは自分の意見は言わない」という社会のルールを忘れがちになります。ハイテンションで重労働を続けているなかで冷静さを見失ってしまうのです。
また、支援を受ける側の愛想が悪かったり、感謝の言葉がなかったりすると気分を害するボランティアがいます。少し考えれば分かりますが、支援を受ける側というのは心身とも大変疲労しているわけです。たしかにボランティアに来てもらえるのはありがたいのですが、一日中笑顔で「ありがとう」を言い続けるのは疲れます。ごく一部ではありますが、「ボランティアしてあげてるのに感謝の言葉がない」という理由で不満を漏らすボランティアがいます。
「謙虚さ」というのは古今東西どこにいっても普遍的な社会の原則ではありますが、このボランティアという行為をおこなうときには特に注意しなければなりません。謙虚さを忘れたボランティアほど見苦しいものはありません。謙虚な気持ちを忘れずに、困っている人のために何ができるかを考え、実践する。もちろん、感謝の言葉などの見返りは求めない、そして、他のボランティアに敬意を払い謙虚な態度で自分がすべきことをする、このような態度が重要になります。
もうひとつ、ボランティアが忘れてはいけないルールを紹介したいと思います。それは「郷に入っては郷に従え」というものです。
これもどこででも必要な社会常識といえばその通りです。例えば、あなたが転職したとして、転職先の仕事の方法が気に入らなくて、「前の会社ではこのようにしていた・・・」などと発言すれば、その瞬間からあなたは総スカンをくらうでしょう。「じゃあ何でそんな素敵な会社を辞めちゃったの?ウチの会社がイヤならさっさと前の職場に戻ったら?」と言われるだけです。
「郷に入っては郷に従え」というルールがボランティアにとっても常識なのは少し考えればすぐに分かることかもしれませんが、それでもあえて強調したいと思います。その理由は、先にも述べたように「絶対的に正しいことをしている」という感覚が冷静さを失わせることがある、というものです。「ボランティアの行為は絶対的に正しい」から「自分の考えは絶対的に正しい」と移行してしまうことがあるのです。
例をあげましょう。タイ国ロッブリー県のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)での私の経験です。拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で詳しく紹介しましたが、この施設は世界的に有名で、毎日多くの観光客が訪れます。そして観光客は重症病棟にも入ってきてプライバシーのまったくない重症患者さんを見学していきます。例えば、患者さんが嘔吐していても、下着を交換していてもおかまいなしです。この光景は我々外国人からみると極めて異様であり、患者さんのために(というより常識的に)直ちに止めてもらいたいと考えます。
そして、欧米人ボランティアはそれを強く主張します。「患者の権利(patients' right)」とか「プライバシー(privacy)」という言葉を多用して、いかにこの施設が世界の常識(global standard)から逸脱しているかということを訴えます。しかし、ここはタイなのです。実際、当時の患者さんのほとんどは、その観光客の重症病棟入場に関して「マイペンライ(かまわないよ)」と言っていました。
私自身もこの光景には当初は大変驚きましたが、これがボランティアが忘れてはいけない「郷に入っては郷に従え」ということなんだ、と納得しました。もちろん、このような観光客の"見世物"のような方針に納得しない患者さんがでてくれば、それを施設側に訴えていかなければなりませんが、その場合も、ただ正論を振りかざすのではなく、相手の立場を理解したうえで(もっと言えば、「あなた方の考えを私が理解できているかどうかあなた方に確認していただきたいのです」という態度で)、自分の考えを述べていかなければなりません。
重症の患者さんのためを思って正論を主張し続けた欧米のボランティアの一部は、やがて施設を追われることになりました。出て行ったボランティア達は、正しいことを言っただけなのになんで自分達が追い出されないといけないんだ、と腑に落ちなかったに違いありません。(前回のコラムで述べたように、欧米のボランティアの多くは長期で支援するつもりで来ているのに、です)
ここに紹介したのはタイの話であり、日本人が日本人を支援するときにはここまで極端に理解しがたいことはないでしょう。しかしそれでも、「すべての共同体やコミュニティには独自のルールや考え方がある」、ということを忘れてはいけません。
もしもあなたがこれからボランティアを始めようとしているならば、自分自身がどれだけ活躍しようが、どれだけ重労働を担おうが、あるいはどれだけ困窮している人たちから感謝されようが、「謙虚さを忘れない」「郷に入っては郷に従え」という2つのルールは肝に銘じておくべきだと思います。
今回は、「長期でおこなう」以外に、ボランティアにはどのようなことが求められるのか、あるいはボランティアがやってはいけないことは何なのか、といったことについて私の体験を踏まえて考察していきたいと思います。
まず、絶対に忘れてはいけない1つめのルールは、「ボランティアは謙虚な気持ちでおこなわなければならない」というものです。
ボランティアを一度でもおこなったことのある人なら分かると思いますが、ボランティアというのは<大変気持ちのいいもの>です。ときに大変な重労働を強いられ、かつ基本的に無償ですから、ボランティアが気持ちのいいものなどと言うと、経験のない人は「えっ?」と思うかもしれません。
しかし、ボランティアは大変気持ちのいいものなのです。この理由のひとつは、困っている人を支援することで「絶対的に正しいことをしている」という自負が得られることにあると思います。これは一般の仕事と比較してみるとわかりやすいでしょう。例えば、あなたが株式会社Xに勤務していて、X社製のAという商品を担当しているとしましょう。あなたの任務はAの販売促進ですが、顧客にとってAを買わなければならない絶対的な理由が果たしてあるでしょうか。顧客からすればY社製のBという商品の方がいいかもしれませんし、そもそもAもBも顧客には必要のないものかもしれません。一方、ボランティアは目の前の困っている人を支援するのがミッションですから、これが絶対的に正しいのは明らかです。
自分は絶対的に正しいことをしているんだ、しかも無償でおこなっているんだ、という意識が士気を高揚させます。そして、ハイテンションのなか、ますます重労働を率先して引き受けるようになっていきます。さらに支援を受ける人から感謝の言葉が送られ、この言葉が励みになり、高揚感が一層加速されていくのです。
もちろんいくら高揚感が強くなっても、状況を冷静に判断し、仲間との連携を上手くとり、支援を受ける人から感謝されていれば問題はありません。しかし、ときにこの高揚感が暴走してしまうことがあるのです・・・。
例えばボランティア同士で意見が対立するということがあります。こういうとき、「まずは相手の意見を聞いて、その意見を自分が理解できていることを相手に認めてもらうまでは自分の意見は言わない」という社会のルールを忘れがちになります。ハイテンションで重労働を続けているなかで冷静さを見失ってしまうのです。
また、支援を受ける側の愛想が悪かったり、感謝の言葉がなかったりすると気分を害するボランティアがいます。少し考えれば分かりますが、支援を受ける側というのは心身とも大変疲労しているわけです。たしかにボランティアに来てもらえるのはありがたいのですが、一日中笑顔で「ありがとう」を言い続けるのは疲れます。ごく一部ではありますが、「ボランティアしてあげてるのに感謝の言葉がない」という理由で不満を漏らすボランティアがいます。
「謙虚さ」というのは古今東西どこにいっても普遍的な社会の原則ではありますが、このボランティアという行為をおこなうときには特に注意しなければなりません。謙虚さを忘れたボランティアほど見苦しいものはありません。謙虚な気持ちを忘れずに、困っている人のために何ができるかを考え、実践する。もちろん、感謝の言葉などの見返りは求めない、そして、他のボランティアに敬意を払い謙虚な態度で自分がすべきことをする、このような態度が重要になります。
もうひとつ、ボランティアが忘れてはいけないルールを紹介したいと思います。それは「郷に入っては郷に従え」というものです。
これもどこででも必要な社会常識といえばその通りです。例えば、あなたが転職したとして、転職先の仕事の方法が気に入らなくて、「前の会社ではこのようにしていた・・・」などと発言すれば、その瞬間からあなたは総スカンをくらうでしょう。「じゃあ何でそんな素敵な会社を辞めちゃったの?ウチの会社がイヤならさっさと前の職場に戻ったら?」と言われるだけです。
「郷に入っては郷に従え」というルールがボランティアにとっても常識なのは少し考えればすぐに分かることかもしれませんが、それでもあえて強調したいと思います。その理由は、先にも述べたように「絶対的に正しいことをしている」という感覚が冷静さを失わせることがある、というものです。「ボランティアの行為は絶対的に正しい」から「自分の考えは絶対的に正しい」と移行してしまうことがあるのです。
例をあげましょう。タイ国ロッブリー県のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)での私の経験です。拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で詳しく紹介しましたが、この施設は世界的に有名で、毎日多くの観光客が訪れます。そして観光客は重症病棟にも入ってきてプライバシーのまったくない重症患者さんを見学していきます。例えば、患者さんが嘔吐していても、下着を交換していてもおかまいなしです。この光景は我々外国人からみると極めて異様であり、患者さんのために(というより常識的に)直ちに止めてもらいたいと考えます。
そして、欧米人ボランティアはそれを強く主張します。「患者の権利(patients' right)」とか「プライバシー(privacy)」という言葉を多用して、いかにこの施設が世界の常識(global standard)から逸脱しているかということを訴えます。しかし、ここはタイなのです。実際、当時の患者さんのほとんどは、その観光客の重症病棟入場に関して「マイペンライ(かまわないよ)」と言っていました。
私自身もこの光景には当初は大変驚きましたが、これがボランティアが忘れてはいけない「郷に入っては郷に従え」ということなんだ、と納得しました。もちろん、このような観光客の"見世物"のような方針に納得しない患者さんがでてくれば、それを施設側に訴えていかなければなりませんが、その場合も、ただ正論を振りかざすのではなく、相手の立場を理解したうえで(もっと言えば、「あなた方の考えを私が理解できているかどうかあなた方に確認していただきたいのです」という態度で)、自分の考えを述べていかなければなりません。
重症の患者さんのためを思って正論を主張し続けた欧米のボランティアの一部は、やがて施設を追われることになりました。出て行ったボランティア達は、正しいことを言っただけなのになんで自分達が追い出されないといけないんだ、と腑に落ちなかったに違いありません。(前回のコラムで述べたように、欧米のボランティアの多くは長期で支援するつもりで来ているのに、です)
ここに紹介したのはタイの話であり、日本人が日本人を支援するときにはここまで極端に理解しがたいことはないでしょう。しかしそれでも、「すべての共同体やコミュニティには独自のルールや考え方がある」、ということを忘れてはいけません。
もしもあなたがこれからボランティアを始めようとしているならば、自分自身がどれだけ活躍しようが、どれだけ重労働を担おうが、あるいはどれだけ困窮している人たちから感謝されようが、「謙虚さを忘れない」「郷に入っては郷に従え」という2つのルールは肝に銘じておくべきだと思います。