GINAと共に

第67回(2011年1月) 谷口巳三郎先生が残したもの

 2011年12月31日未明、タイ国パヤオ県で21世紀農場を営む谷口巳三郎先生が享年88歳で他界されました。

 谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)については、このサイトで過去に何度か紹介していますが、あらためてどのような先生だったのかを振り返っておきたいと思います。(尚、巳三郎先生も私も苗字は同じ「谷口」ですが血縁関係があるわけではありません)

 巳三郎先生は1923年に熊本で誕生されました。戦中は学徒動員でジャワ戦線にも参加されたそうです。戦後は鹿児島大学農学部を卒業され、県庁や熊本県立農業大学校などで農業に従事し定年退職を迎えられました。定年後、単身でタイに渡られ北部のパヤオ県で、現地の人々に農業の指導をおこなってこられました。

 巳三郎先生がエイズという病と関わりを持ち出したのは、パヤオ県というこの地域に80年代後半からHIV感染が急速に広がりだしたからです。タイ全国で最も貧しいと言われているパヤオ県は、実際に県民ひとりあたりのGDPが全国一低い県で、その額は日本円にして10万円にも満たないものです。

 そんなパヤオ県にHIVが蔓延したのは必然であったといえるでしょう。地面は赤土で農作物が育たないこの地域では産業と呼べるものがほとんどありません。このような環境でまともな教育を受けていない若者が日銭を稼げる仕事とは・・・。男性なら薬物の売買、女性なら売春に向かわざるを得ないことは容易に想像できます。

 巳三郎先生が始められた、パヤオ県に根を下ろして農業の指導をおこなう、ということは地域の住民の生活に深くかかわるということに他ならず、それはすなわちエイズという病への取り組みが必然であったのです。

 巳三郎先生はパヤオの奥地に「21世紀農場」という農場をつくり、そこで様々な農作物を作り始めました。現地の人に栽培方法を覚えてもらわなければなりませんから、農場内には家屋もつくりそこにタイ人を住まわせて指導にあたりました。巳三郎先生の目的は、農場で利益を出すことではありませんから、栽培した野菜や米はHIVに罹患して働けない人へ供給するようになりました。

 しかし、HIVに罹患していて働けないから(当事は今よりもはるかに差別がありました)という理由でいつまでも食べ物を恵むだけでは患者さんたちの自立につながりません。そこで巳三郎先生は、HIVに罹患した人たちにも農業を教え、家畜の育て方を教え、また、日本から古いミシンを大量に購入し、女性には裁縫の指導もおこないました。

 2005年あたりからは、タイではHIVがかつてほど増加しておらずむしろ減少傾向にあると報道されることが増えていますが、巳三郎先生はそのような見方をしていませんでした。2009年に大阪でお会いしたときにも、農作物を無償で渡しているHIV陽性者は増える一方で・・・、という話をされていました。

 巳三郎先生は、医療従事者でないのにもかかわらず、農業指導を通して地域に溶け込むなかでHIVという問題を看過することができず、いつのまにか地域社会でHIV対策の中心的な役割を担うようになったのです。

 私が巳三郎先生と初めてお会いしたとき、HIVについて熱く語られていたことは印象的でしたが、21世紀農場を訪問したときにもうひとつ大変感銘を受けたことがあります。

 それは、21世紀農場で働くタイ人の現地スタッフがあまりにも礼儀正しいことでした。これは他のタイ人が礼儀正しくないという意味ではありません。タイに行ったことがある人ならわかるでしょうが、タイ人は目上の者には「ワイ」と呼ばれる独特の挨拶(両手を合わせて頭を下げる)をおこないます。21世紀農場で働くタイ人も私に対してワイをしてくれたのですが、私が感銘を受けたのはワイではありません。

 タイ人と仕事をしたことがある人ならわかると思いますが、日本人に対するのと同じような感覚でタイ人に接すると必ずといっていいほどトラブルになります。例えば、一般的なタイ人の多くは、日本人のように時間を守りませんし、言ったことをすべてやってくれません。一を聞いて十を知る、どころか、十を伝えて五をしてくれれば満足しなければならない、というのが一般的タイ人の現実なわけです。もちろん、日本人のすべてが、一を聞いて十を知る、ができるわけではありませんが、我々日本人はそのような気遣いや心配りを美徳と感じています。

 食事の仕方にも違いがあります。(今はそうでもないかもしれませんが)日本人は食事の際、全員がそろうまで待って、いただきます、と言って食べ始めます。一方、タイ人はバラバラにやってきて食べ終わった者から退席する、といった感じです。もちろんこのような習慣は文化によって異なるものですから、どちらがいいとか悪いとかいう問題ではありません。しかし、全員がそろうまで待って、一緒に食べて、一緒に後片付けをおこなう日本式の方が協調性と責任感が育まれやすいのではないでしょうか。

 私が21世紀農場で受けた感銘というのは、巳三郎先生の元で働いているタイ人の現地スタッフが、まるで古き善き時代の日本人のようだったこと、です。彼(女)らは、挨拶を大切にし、農作業をするときのみならず、食事をつくるときも掃除をするときにも強調性と責任感を発揮して効率よくおこなっていました。食事は全員そろうまで待ち、日本語で「いただきます」を言って(タイ語には「いただきます」に相当する言葉がありません)、一緒に食べ始めます。一度私が所用でテーブルにつくのが10分ほど遅れたことがあったのですが、約20人いたスタッフ全員が食事に手をつけずに私を待ってくれていました。

 巳三郎先生は、パヤオ県の奥地で農業指導をおこなうと同時に古き善き日本の伝統も伝えられたのです。日本式の農業技術をマスターするためには日本の文化や慣習を覚えてもらう必要があったために必然的に日常の行動にも指導がいきわたったのかもしれませんし、もしかすると初めから農業だけでなく日本の善き慣習を広めようと考えられていたのかもしれません。

 しかし巳三郎先生は、日本の良さだけではなくタイの良さについても実感されていました。私に対して優秀な現地スタッフの話をされていましたし、日本にはないタイの農作物の利点についても語られていました。巳三郎先生は日本にいる間、難治性の高血圧に悩まされていたそうなのですが、タイに来てしばらくすると身体が動かしやすくなり頭痛が解放されたといいます。日本在住時には手放せなかった3種類の血圧の薬はとうの昔に切れているというのに。巳三郎先生によると、タイの野菜のおかげだとのこと。

 巳三郎先生が残したものは農業技術だけではありません。勤勉に働くこと、協調性を持ち仲間を大切にすること、責任を持って仕事に取り組むこと、困っている人を助けること、そういった精神を現地に残されました。また現地のタイ人に対してだけではありません。21世紀農場には毎年大勢の日本人が訪れていました。はるばるやってきた日本人もまた巳三郎先生の精神に感動し、古き善き日本の伝統をタイの奥地で体験したのではないでしょうか。

 巳三郎先生の娘さんである谷口とも子さんからいただいた手紙によりますと、巳三郎先生が21世紀農場のなかで住まわれていた部屋は「記念館」となりこれからも残されるそうです。我々は、巳三郎先生のタイでの貢献に改めて思いをめぐらせて、これからも巳三郎先生から学んでいくことを続けるべきでしょう。

 最後に巳三郎先生の奥様の谷口恭子さんからいただいた手紙にあった一文を紹介したいと思います。

  夫は常に個人の為でなく、世の中の人の為に精一杯頑張っておりました

参考:GINAと共に第33回(2009年3月) 「私に余生はない・・・」

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第66回 性教育が上手くいかない本当の理由(2011年12月)

 若者の性感染症が増えていると言われて久しくなります。数字の上ではここ数年はやや減少傾向にあるのですが、数字がどれだけ実態を反映しているかという問題がありますし、大幅に増えているということはないにしても依然危機的なレベルで性感染症が若者の間で蔓延しているのは間違いありません。

 若者の性感染症をいかに減らすか、この議論になったときに必ず出てくるのが「性教育をしっかりおこなおう」という意見です。この考えはもちろん間違ってはおらず、実際、中高で保健を担当する教師のなかにはかなり熱心に取り組んでいる人もいますし、性感染症に携わる医療者のなかにも性教育を徹底させるべき、という考えを持っている人は少なくありません。

 学校で性教育をおこなうというのは簡単なことではなく、内容や表現には細心の注意を払わなければなりませんし、注意をしていても右翼系の団体などから抗議を受けることもあります。そんななかで、熱心に生徒たちに性教育をおこなっている人たちは本当に大変だと思います。

 しかしながら、性教育にがんばっている人たちには敬意を払いたいと思いますが、その性教育にどれだけ効果がでているのか、ということを考えたときに私はどうしても疑問をぬぐえません。

 私は、教育者や医療者が生徒たちにおこなっている性教育の方法に問題があると言いいたいわけではありません。そうではなく、せっかく熱心におこなっている教育がどこかで空回りしているのではないか、と感じずにはいられないのです。

 実際、よく指摘されるように性行動の低年齢化がおこっているのは事実であり、少し古いデータですが、平成12年に発表された厚労省の「日本人のHIV/STD関連知識、性行動、性意識についての全国調査」によると、現在45~54歳の人が16~19歳に性経験があった割合が16.2%なのに対して、現在18歳~24歳の層では79.2%にも上ります。

 ただし、初交年齢が低下することと性感染症の罹患率との間には、たとえ数字の上で相関がみられたとしても、あまり関連付けるべきではないと私は考えています。初交年齢が低くても性感染症を防いでいる若いカップルはいくらでもいますし、そもそも私個人としては、初交年齢の低下を問題にすることに疑問であり、愛し合う10代の性行動を抑制する権限は親にも教師にもなく、むしろ抑制することが有害であると考えています。(例えば、愛し合う若いカップルには、性行動を抑制させるのではなく、避妊の方法が理解できているかどうかを確認すべきです)

 私が問題だと思うのは、若い世代の間で性感染症が蔓延しているという事実、さらに誠実さに欠けた性行為がはびこっているということです。

 では、なぜ熱心な教育者や医療者がいるのにもかかわらず、若い男女は安易に性交渉をもち、簡単に性感染症に罹患してしまうのでしょうか。

 私はこの原因のひとつが情報化社会にあるとみています。インターネットや携帯電話がこれだけ普及している社会では情報を隠すことはできません。学校で教師がいくら性道徳について熱心に語ろうが、携帯のサイトに「昨日ウリをした相手は隣町の中学の教頭だった・・・」などという書き込みをしている女子高生がいるのも事実なわけで、すでに10代の若者たちは、大人たちがいかにいい加減でずるくて無責任かということを知っているわけです。

 これが1980年代前半までならまだ説得力はありました。なぜなら、思春期の子供たちに入ってくる情報は、親や教師の話、家族と一緒にみるテレビ、同じ学校の同級生や先輩からの口コミ情報などに限られていたからです。この頃は、インターネットや携帯だけではなく、レディコミもコンビニもなく自分専用のテレビがある子供もほとんどいませんでした。夜中にこっそり部屋を抜け出してコンビニでレディコミを立ち読みして、大人の醜い実態を知る・・・、ということもなかったわけです。

 ですから、「気軽に性交渉を持つのはやめましょう」「ウリをして傷つくのはあなたたちですよ」などと言ってみても、すでに大人の実態を知っている10代の生徒たちにはまるで説得力がないわけです。

 また、性感染症の怖さを強調しすぎるのも問題です。例えば進行した梅毒やエイズの写真をスライドで見せて「性感染症とはこんなに怖いんですよ~」と視覚に訴えるのは止めるべきです。(そんなことをすれば感染者に対する差別・偏見につながりかねません) それに、性感染症の細かい知識を生徒に教えることにどれだけ意味があるのかも疑問です。

 一方で、知識がないまま気軽な性交渉をおこない、取り返しのつかない性感染症に罹患する若者がいるのも事実であり、このようなことは避けなければなりません。では、どうすればいいのかというと、実は簡単な話で、若者に覚えてほしいポイントはたった3つだけです。

 ひとつめは「不誠実な性交渉をしない」ということです。性感染症の各論についてはここでは述べませんが、コンドームがあれば大丈夫、というのも誤りです。性器ヘルペスやB型肝炎といった、その後の人生を大きく変えることもある性感染症にコンドームは無力です。

 2つめは、交際相手ができれば「初めて性交渉を持つ前にお互いの性感染症のチェックをする」、ということです。性感染症のやっかいなところは感染していることに本人が気づいていない、ということです。これはHIVや梅毒を含むほとんどの性感染症にあてはまります。

 そして3つめは、(特にHIVに対して)すでに感染している人に対する偏見を持つことはおかしい、ということです。

 これら3つを遵守していれば、性感染症の心配はもはや不要であり、性教育についても(避妊の問題を除けば)おこなう必要はありません。では、なぜこんなにも簡単なことが生徒たちに伝わらないのでしょうか。

 それは、「大人たちが守っていないから」に他なりません。今述べた3つのポイントをよくみてもらえれば分かりますが、これらは別段、生徒たちをターゲットにしているわけではなく誰にでもあてはまることばかりです。

 性教育に従事する人のなかにはいないでしょうが、世間には<不誠実な性交渉>をしている大人たちが少なくありません。そして、性感染症に罹患する10代の若者がいるのは問題ですが、罹患する大人がいるのはある意味ではもっと問題です。性感染症が原因で破局した(大人の)カップルは枚挙に暇がありませんし、なかには離婚にいたった夫婦、さらに裁判へと進み悲惨な顛末をたどったケースもあります。

 最も効果的な性教育、それは、生徒に対する教育ではなく、周りの大人たちに対する性教育ではないかと私は考えています。親が子供にいくら「勉強しなさい」と言っても、その親が勉強嫌いであれば子供はしません。その逆に、「勉強しなさい」などと言わなくても、親が当たり前の習慣として日々何らかの勉強をしていれば、子供は自然に勉強するようになります。

 性教育に従事する人たちは、生徒たちに対してではなく、まずは周囲の大人に目を向けるべきです。教育者においてさえ<不誠実な性交渉>をしている者がまったくいないとは言い切れないでしょう。教育者によるわいせつ犯罪がときおり報道されていますし、犯罪ではないにせよ不貞行為をおこなっている教育者は探せばみつかるに違いありません。

 周りの教育者の次は、生徒の両親、さらに地域社会と広げていき、「特定の相手とのみの誠実さを伴う性交渉が最も幸せであること」を社会に浸透させ若者に伝えていくことが、我々大人の義務ではないでしょうか。私のこの意見が「つまらない正論」に聞こえる人もいるでしょう。しかし、それでも私はこのことを言い続けていくつもりです。

 若者に誠実になってもらいたいのであれば、まずは大人たちが誠実にならなければならないのです。

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第65回 HIV陽性者に対する就職差別(2011年11月)

「先生、もう疲れました。先週正式に退職しました。明日実家のある宮崎に帰ります・・・」

 これはあるHIV陽性の30代男性の患者さん(仮にAさんとしておきます)が診察室で私に話された言葉です(注1)。Aさんは、元々じんましんや風邪などのプライマリケアで、ときどき私のもとを受診していましたが、あるとき、1週間も下痢と発熱が続いている、と言って来られました。診察の結果、Aさんの診断は「急性HIV感染症」。HIVに感染し、2週間ほどたったときに下痢や発熱などが生じた、というわけです。

 後から振り返ってみれば、思い当たることがないわけではありませんでしたが、Aさんにしてみると、「まさかそんなことでHIVに感染するなんて・・・」という気持ちだったようです。Aさんは、感染当初、自分がHIVに感染したという事実を受け入れることができませんでした。診察室でのAさんの様子は、ときには泣き崩れ、ときにはうつ状態となりため息をつくばかり、またときにやり場がなく矛先をどこに向けていいか分からない怒りに苦しんでいる、といったような感じでした。

 感染が判って2ヶ月ほどたった頃、私がすすめたこともありAさんは抗うつ薬を飲みだしました。この薬がAさんには合ったようで、特に副作用もなく、多少のアップダウンはあるものの、何とか日常生活は問題なく営めるようになりました。

 AさんにHIV感染を伝えたとき、私はひとつのことを約束してもらっていました。それは、「HIVに感染していることを職場には言わない」ということです。残念ながら、現在の日本ではHIVに対する偏見が根強く、HIV陽性であることをカムアウトすれば不利益を被ることが少なくありません。これまで、職場でHIV陽性であることを伝えて退職を余儀なくされた患者さんを何人もみてきている私は、Aさんに同じ体験をしてほしくなかったのです。

 ところがある日、Aさんは職場でHIV陽性であることを伝えてしまったのです。Aさんは最後まで「職場に伝えたことを後悔していない」と言っていましたが、主治医である私は非常に複雑な気持ちです。

 HIV感染がわかると、Aさんがそうであったように、悲しみや怒り、抑うつ気分が出現しますが、ときに躁(そう)状態となりハイテンションになることもあります。そして、このときに他人にHIV陽性であることをカムアウトする人がいるのです。しかし、Aさんの場合はそうではありませんでした。抗うつ薬の効果もあったのかもしれませんが、Aさんの精神状態は安定しており、一次的な躁気分から職場にカムアウトしたわけではありません。

 Aさんの職場は中規模の工場で、Aさんがフォークリフトを操縦することもあります。Aさんが所属している班でフォークリフトの免許を持っているのはAさんだけ、ということもあり、Aさんがその班では要となる存在です。実は1ヶ月程前に、その工場で事故があり、従業員のひとりが怪我を負いました。怪我自体はたいしたことがなくてかすり傷程度だったそうなのですが、それを見たAさんは、「自分も同じように怪我をすれば、心配して駆けつけてくれた同僚に自分の血液を触れさせてしまうことになるかもしれない。そうなる前に持ち場を代えてもらうべきだ・・・」と考えました。

 数日間考えた末、Aさんは人事部長に直接話し合いすることを申し入れました。Aさんには勝算がありました。入社時からその人事部長には目をかけてもらっていますし、二人で飲みにいったことも何度かあります。親子ほど年齢は離れていますが話しにくい相手ではありません。いえ、それ以前にAさんは誰の目からみても職場では厚い信頼を得ています。上司から気に入られ部下からも慕われ、誰からも仕事ができると認められています。同期で係長の役職が付いているのはAさんだけです。「事情を話して配置転換を申し入れればきっと受け入れてくれるだろう・・・」、Aさんはそのように考えていました。

 Aさんが人事部長に直接希望を伝えたとき、人事部長はしばらく黙った後、「検討する」とだけ言ってその場を立ち去りました。そして1週間後、人事部長から呼び出しがかかり、言われた言葉が「現在どこの部署も新たな人員の募集はしておらず、君が今の職場を離れたいなら辞めてもらうしかない。今の職場もね~、これから度々休まれるようなことがあるとうちも困るんでね~」、というものでした。

 HIV陽性を告げられたときよりも大きなショックだった、とAさんは言います。その会社は新たな人員を募集していないどころか、人手不足が慢性化しているのです。「キツイ・キタナイ・キケンに給料が安いとくれば誰も来てくれんわなぁ」と口癖のように人事部長が話していたことをAさんはこれからも忘れることはないでしょう。

 結局Aさんはその日のうちに荷物をまとめ会社を去りました。送別会もなく、13年間勤めた会社だというのにとてもあっけなかったそうです。何人かの同僚や後輩からその日の夜に電話がありましたがAさんは誰の電話も取らなかったそうです。そして翌日、受診というよりも挨拶に私の元を訪れて、話した言葉が冒頭のものだったのです。

 ***

 少し古いデータですが、2008年8月から2009年1月にかけて、薬害エイズの被害者団体「はばたき福祉事業団」が実施した調査によりますと、HIV陽性者のおよそ4人に1人が、感染を理由に離職した経験があるそうです。「4人に1人」と聞くと、たったそれだけ?、と感じますが、これはおそらく「HIV陽性であることをカムアウトしていない人も含めて」の数字だと思います。私の知る限りで言えば、HIV陽性であることを堂々と話して仕事をしている人はほとんどいません。(特に、大企業や官公庁では皆無です)

 また、Aさんとは逆のケース、つまりHIV陽性者が就職活動をおこなうのも極めて困難です。現在の医療保険システムでは抗HIV薬の服薬が開始となれば、障がい者の扱いとなり障がい者手帳が交付されます。HIVは他の障がいと少し異なる点があります。それは精神的にも肉体的にも健常者とほぼ変わらない、ということです。それでも障がい者雇用の対象(注2)になるわけですから、企業にとってみれば、むしろHIV陽性者というのは「採用しやすい障がい者」であるように思えるのですが、実際は正反対なのです。

 なぜこのような現実があるのか、それはひとつには、事業主が無知だから、というものですが、それだけではありません。おそらく事業主が「鶴の一声」で、HIV陽性者を雇うな!クビにしろ!、と言っているわけではないでしょう。その企業で働く人たちの全体としての考えが「HIV陽性者と一緒に働きたくない」というものだからではないでしょうか。HIVに対する社会の関心が低下すると、検査を受ける人数が減って発見が遅れるという問題がよくクローズアップされますが、それと同じように問題なのが、関心の低下は無知を助長しその結果HIVに対する偏見が強くなる、ということです。

 HIV陽性者の雇用という点については、外資系企業の方が正しい理解をしていると言えます。障がい者の就職を支援するゼネラルパートナーズによりますと、HIV陽性者を偏見なく採用するのは外資系企業に圧倒的に多いそうです(2009年10月24日の日経新聞より)。 私の知る範囲でも、外資系企業はHIV陽性者に対して偏見がなく、むしろHIV・AIDSの支援活動をおこなっていたり、社内教育にHIVのことを取り上げていたりすることもあります。

 HIV陽性者が不当な解雇にさらされたり、就職活動に苦労したりすることがないようにまず社会がすべきことは何でしょう。ひとつには、一部の外資系企業と同じように、日本の企業もHIV陽性者に対する偏見をなくすことです。

 しかし、その前にすることがあります。それは、わたしたちひとりひとりがHIVに対する正しい知識を持つことです。「自分の横に座って仕事をしている人がHIV陽性だったら・・・」ということから考えてみてはいかがでしょうか。


注1:「Aさん」は、私が診察した複数の患者さんからヒントを得てつくりあげた架空の人物です。もしもあなたの周りにAさんと似た境遇の人がいたとしても、それは単なる偶然であるということをお断りしておきたいと思います。

注2:障がい者の雇用は、「障がい者の雇用の促進等に関する法律」(障害者雇用促進法)で定められています。一定規模以上(56人以上)の事業主は、障がい者を一定割合以上雇用しなければなりません。障がい者を雇用していない場合は、法定雇用障がい者数に応じて1人につき50,000円の「障害者雇用納付金」を納付しなければなりません。

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第64回 増加する「いきなりHIV」(2011年10月)

 「いきなりエイズ」という言葉は次第に市民権を得てきているような印象があります。HIVとエイズの言葉の違いを聞かれることも減ってきていますし、「いきなりエイズ」とはエイズを発症して初めてHIVに感染していることが発覚したケース、という説明をすることも最近はあまりありません。しかしこれは話す相手がHIVに関心を持っている人だからでしょう。

 2011年10月1~2日、京都市で「第1回AIDS文化フォーラムin京都」というエイズ関連のフォーラムが開催されました。私自身も「プライマリケア医が出会うHIV/AIDS」というタイトルで講演を依頼され、10月2日におこないました。

 私の講演の主題、というか、もっとも強く主張したのは、「いきなりHIV」が増加している、というものです。

 「いきなりHIV」などという言葉は実際には存在せずに、私が勝手につくって勝手にしゃべっているものなのですが、意味は、「エイズを発症していない段階で、発熱や下痢、皮疹などの症状から、本人が気づいておらず医療機関でHIV感染が発覚する症例」となります。

 これについて説明するには、もう一度エイズの定義をおさらいしておいた方がよさそうです。エイズの定義は「HIVに感染しており、なおかつ特定23疾患のいずれかを発症している症例」となります。「特定23疾患」というのは、結核やトキソプラズマ脳症、イソスポラ症など、免疫不全に陥ったときに発症するような疾患です。23疾患のなかには単純ヘルペスウイルス感染症というよくある感染症も含まれていますが、これは、「1か月以上持続する粘膜、皮膚の潰瘍」という注釈がついています。(ですから「HIV感染+1週間で治った口唇ヘルペス」であればエイズとは呼びません)

 私が勝手に提唱している「いきなりHIV」は、エイズを発症していないものの、何らかの症状が出現し、そこからHIVの診断がついた、そして、本人はHIVなどとは夢にも思っていなかった、というケースで、このような症例が2009年以降増加している、というのが講演で述べた主題です。

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(開院当初は「すてらめいとクリニック」)は2007年1月にオープンしました。2007年と2008年は、HIV感染が発覚した症例の大半(およそ8割)は患者さん自身がHIVに感染した可能性がある、と考えていた症例でした。「症状は何もないけれども危険な行為があったから・・・」というのが検査を受ける理由であることが大半でした。こういった場合、検査は保健所などの無料検査もありますから、あえて医療機関で受けなくてもいいようなケースが多かったわけです。

 ところが、2009年あたりからこの傾向が大きく変わりました。まず、「症状はないけれども危険な行為があるから・・・」という理由で検査を希望する人が大きく減少したのです。代わりに保健所での検査が増えれば問題ないのですが、残念ながら2009年からは保健所で検査を受ける人も大幅に減少しています。これは、HIVに対する関心が全国的に低下したことを示しています。

 2009年は新型インフルエンザが流行したからそのせいで一時的にHIVへの関心が低下したんだろう・・・、そのような声もありましたが、残念ながら2010年は検査を受ける人がさらに減少しました。2011年の現在もその傾向に変わりはありません。

 一方、厚生労働省が定期的に発表する報告では「いきなりエイズ」が増加しています。2010年は、いきなりエイズが469人に昇り、これは過去最高を記録しています。そして2011年9月に公表された2011年4月~6月の第2四半期のいきなりエイズは、136人となり、これは四半期ごとの数字では過去最高となります。

 さて、「症状はないけれども危険な行為があるから・・・」という理由で検査を受ける人は全国的に減少し、いきなりエイズが増加しているということは厚労省の報告で明らかなわけですが、私が講演で述べたのは、「いきなりHIV」の増加です。

 2007年と2008年には、「いきなりHIV」の患者さんは、クリニックでHIV感染が判った人の2割程度だったのが、2009年には約半数となり、2010年にはさらに割合が増え、2011年(8月まで)は、ついに6割以上の新規HIV感染発覚者が、「まさかHIVなんて考えてもみなかった・・・」という人だったのです。

 では、どのような患者さんを診たときに我々医師はHIV感染を疑うのでしょうか。

 頻度として多いのは「急性HIV感染症」です(注1)。発熱、倦怠感、リンパ節腫脹、皮疹などからHIV感染が発覚するというケースです。ただし、こういった症状をみてすぐにHIV感染を疑うわけではありません。「この症状があれば必ず急性HIV感染症を疑うべき」という指標はひとつもありません。最初は頻度の高い感染症、例えばインフルエンザとかそのときに流行っている感染症(2011年であれば手足口病、マイコプラズマ肺炎、リンゴ病など)をまずは疑います。リンパ節腫脹が顕著なら、伝染性単核球症やサイトメガロウイルス感染なども鑑別にいれます。もちろん溶連菌による咽頭感染や、下痢を伴っている場合であれば病原性大腸菌やサルモネラによる消化器感染症も考えます。そして、こういったよくある感染症(common infectious disease)を否定したときにHIVも鑑別に入れることになります。

 もしも患者さんの方から、「実は薬物の針の使いまわしがあって・・・」とか、「危険な性交渉があって・・・」といった申告があれば、初めからHIVも疑うことになりますが、通常このようなカムアウトを自ら診察室でおこなう患者さんというのは自分でもHIV感染を疑っていますから、こういうケースは「いきなりHIV」には含めません。

 急性HIV感染症以外で、いきなりHIVが発覚するケースは大きく2つに分類できます。1つは、"特殊な"感染症があるときです。どのようなものがあてはまるかというと、梅毒、(難治性の)尖圭コンジローマ、帯状疱疹、B型肝炎などです。梅毒や尖圭コンジローマは珍しい感染症ではありませんが、我々の経験上、HIVを合併していることがときおりあるのです。

 帯状疱疹は、最近では若い人にもよくみられますが(過労や睡眠不足で出現します)、複数回発症している人や、初発であったとしても高熱や倦怠感を伴う重症の場合はHIVを鑑別に入れることになります(注2)。

 B型肝炎は、感染力が強く性的接触などがあれば誰にでも起こりうるものですが、成人になってから感染したケースで慢性化している場合は、HIVも疑うべきだと思われます。特に自覚症状はないけれども健診で肝機能低下を指摘されたからという理由で受診され、B型肝炎ウイルスに感染していることが判り、そのウイルスが慢性化するタイプのものであることが判り、それが危険な性交渉による可能性があることが判って、HIVの検査をして発覚、というケースがときどきあります。(従来、成人になってからB型肝炎ウイルスに感染するケースは、症状を発症しても自然に治ることが多く、劇症肝炎に移行しなければ後遺症もなく完治することがほとんどでした(注3)。しかし2000年代になってから慢性化するタイプのウイルスが増加し問題となっています)

 もうひとつ急性HIV感染症以外で、HIV感染を疑うのは、発熱やリンパ節腫脹、皮疹、下痢といった非特異的な症状が重なって長期で出現している場合です。例えば、単なる脂漏性皮膚炎でHIVを疑うことは通常はありませんが、脂漏性皮膚炎+長引く微熱、や、脂漏性皮膚炎+半年前から続く下痢、などでは場合によっては疑うこともあります。リンパ節腫脹も、疲れたときに出現すること(特に女性の鼡径部リンパ節)は珍しくありませんが、それが強い痛みを伴ったり、倦怠感や微熱も有していたりするような場合はHIVを疑うこともあります(注4)。

 急性HIV感染症が疑われる場合であっても、長引く慢性症状からHIVが疑われた場合でも、「いきなりHIV」は、患者さんにとっては「青天の霹靂」なわけですから、まず大変驚かれますし、これを伝えるのがとても大変なことがあります。(検査の同意を得るときも、HIV陽性であることを伝えるときも大変なのですが、ここが医師の"腕の見せ所"なのかもしれません)

 あまり不安を煽るような報道などは避けるべきですが、これほどまでにHIVに対する社会の関心が低下していることに我々は危機感を持っています。保健所や医療機関でHIVの検査を受ける人が減ったことで問題となるのは、「感染の発覚が遅れること」だけではありません。HIVの関心の低下は、危険な行為(危険な性交渉や針の使いまわし、安易なタトゥーやアートメイクなど)につながることが問題なのです。


注1:急性HIV感染症はHIVに感染するとすべての人に起こるわけではありません。報告によって異なるのですが、だいたい半数程度はなんらかの急性症状が出現するとされています。当院でHIV感染が発覚した患者さんについても、だいたい半数くらいに何らかの症状(軽症から重症まであります)がでています。そして残りの半数の患者さんは、まったく症状がなかったと言います。

注2:帯状疱疹を2回以上発症すればHIVだけが強く疑われる、という意味ではありません。特に女性の場合は、このようなケースではHIVよりも膠原病の可能性をまず鑑別に加えるべきだと思われます。また、特に基礎疾患がないのだけれど帯状疱疹を2回発症したことがある、と言う人もなかにはいます。

注3:これは厳密に言えば少し注意が必要です。最近は、リウマチの新しい治療薬(生物学的製剤)や様々な疾患に対する優れた免疫抑制剤が使われることが増えてきており、こういった薬剤を使用すると自然治癒したはずのB型肝炎ウイルス(以下HBV)が再び活性化することがあります。なぜこのようなことが起こるのかというと、HBVが逆転写酵素を持っているからです。逆転写酵素というものがあると、自分の遺伝子をヒトの遺伝子に植えつけることができるのです。ヒトの免疫で駆逐されたはずのHBVは完全に死滅したのではなく、実はヒトの遺伝子のなかに潜り込んで生きていたというわけです。ですから、従来は、「抗体(HBs抗体)が形成されれば二度とB型肝炎の心配をする必要はありませんよ」、という説明でよかったのですが、最近では、免疫を抑える薬を使用する際には、過去のHBV感染についても考慮しなければならないことになっています。尚、逆転写酵素をもつウイルスは他にHIVとHTLV-1が有名です。

注4:患者さんがどのような症状を呈していても、医師が患者さんの同意を得ることなくHIVの検査をおこなうことはありません。実際、HIV感染を強く疑っても患者さんが検査に同意されなければ、「いずれどこかで検査を受けておいてくださいね」とは言いますがそれ以上のことはおこないません。尚、これは他の感染症についても同様です。ただし、例えば救急外来などに意識消失で運ばれてきて、(例えばエイズ特定23疾患の進行性多巣性白質脳症やHIV脳症が疑われ)HIV感染の可能性があると考えられれば、同意なしで検査をされることもないわけではありません。

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第63回 暴力団排除条例に対する疑問(2011年9月)

 以前、タイのあるエイズ施設で患者さんたちと一緒に記念写真を撮ったことがあります。そのときはたまたま男性患者さんばかりが10人ほど集まって私が真ん中に位置しました。その写真を日本に帰ってからある知人に見せたときの第一声は、「ガラ悪そう・・・」というものでした。

 治療中はあまりそのようなことを意識していなかったのですが、確かに患者さんたちを写真でよくみると、全身にタトゥーがあったり、目つきに凄みがあったり、いかにもそのスジの人・・・、という感じがしてきます。

 タイでは(タイだけではありませんが)エイズは特に珍しい病気ではなく、もう20年以上も前から「誰にでも感染しうる病気」となっています。現在のタイにおけるHIVの三大ハイリスクグループは、男性同性愛者、主婦、セックスワーカーです。主婦が入っているくらいですから、エイズ(HIV感染)は、コモンディジーズ(common disease)とすら言うことができます。

 しかし、HIV感染の発見が遅れ、ある程度重症化してしまい施設に収容され、なおかつ家族に引き取ってもらえずに長期間施設に滞在せざるを得ない人たちだけをみてみると、社会からドロップアウトした人たちや犯罪歴のある人たちが少なくないのは事実です。そんなわけで、私がボランティアとして滞在していたその施設にもアウトローの患者さんが少なくなかったのです。

 当たり前の話ですが、病気は人を選びません。いかなる病気もいかなる人にもかかる可能性があります。したがって、医療者というのは、その人の属性(職業、社会的立場、国籍、宗教など)にかかわらずどのような患者さんも診なければなりません。医療というのはすべての人に平等になされなければならないのです。

 2010年4月1日、福岡県は全国に先駆けて暴力団排除条例を施行しました。その後この条例は瞬く間に全国に広がり、未施行だった東京都と沖縄県が2011年10月1日に施行されることによりすべての都道府県でそろうことになります。

 2011年8月にはタレントの島田紳助さんが暴力団と親密な関係があることを理由に芸能界から引退されることが大きく報道され(注1)、これにより暴力団排除条例が大きくクローズアップされているように思われます。
 
 例えば『週刊新潮』は2011年9月15日号で、「ケーススタディー「暴力団排除条例」」というタイトルで特集を組んでいます。この記事では、一般人がどのようなことをすれば条例に触れるか、という問いに弁護士が答えるかたちをとっています。取り上げられている例をみてみると、暴力団に葬儀場や結婚式場を貸したらダメ、お揃いのスーツを仕立てたテーラーもダメ、さらに暴力団員への電気・ガス・水道の供給もダメ、とされています。この記事によると、これらの行為はいずれも暴力団員との「密接交際者」とみなされる可能性があるそうです。

 今のところ、この暴力団排除条例に対して「断固反対する」という意見をあまり聞きませんから世間には広く受け入れられているのでしょう。しかし、私自身は、この条例に対して決して小さくない違和感を覚えます。

 1992年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」という名前の法律(いわゆる「暴対法」)が施行されました。このときに故・遠藤誠弁護士は、この法律が憲法違反であることを主張し、山口組からの12億円余の資金提供の申出を断って、無償で弁護したことは有名です。私はこの法律の是非はよく分からなかったのですが、当時感じた率直な感想は、「暴力団員が反社会的行為をとったなら、暴対法などというよく分からない法律ではなく、刑法など既存の法律で取り締まればそれでいいではないか」、というものでした。

 暴対法に対しても疑問を感じていた私ですが、その19年後に全国あまたで施行されようとしている暴力団排除条例に関しては、はっきりと違和感を覚えます。この条例の目的は、暴力団をこの社会から完全に排除することのように思えるのです。誤解のないように言っておくと、私は暴力団が社会に必要である、と言っているわけではありません。暴力団やマフィアがまったくいない社会はたしかにユートピアではあるでしょう。しかし実際にはそのような社会は古今東西存在していませんし、これからも存在することはないのが現実というものです。(以前、作家の宮崎学氏が、「暴力団やマフィアがまったくない社会というのは今の北朝鮮くらい。日本がヤクザを消滅させたいと考えるのは北朝鮮を目指したいということなのか」という内容をどこかで書かれていましたが、私もその通りだと思います)

 現在私は個人的な暴力団員との付き合いは一切ありませんが、これまでの人生でヤクザの世界と接触しかけたことはないわけではありません。例えば、小学校には親がヤクザの同級生がいました。その同級生は私と家が近所ということもあって、よく家に遊びに行っていました。彼は小学校卒業と同時に引越しし、今はどこで何をしているのか知りませんが、もし引越ししていなかったなら同級生として今も付き合いがあったかもしれません。

 大学生の頃、あるアルバイト先に、親がヤクザで自身もいずれはその道に進むとみられていた先輩がいました。その先輩はその頃からそういう雰囲気を持ち貫禄があったのは事実ですが、後輩としての私にとっては、他の先輩たちと根本的な違いがあるわけではありませんでした。今は付き合いがありませんが、何らかの機会があれば顔を合わせることがあるかもしれません。

 暴力団排除条例などという条例を考え付く人たち(官僚や政治家)というのは、おそらく小学生時代から"優秀"であり、同じく"優秀"な生徒に囲まれており、ヤクザなどという人種とはおそらく接することなく過ごしてきたのでしょう。だから、「ヤクザ=社会の悪 → 社会から駆逐されなければならない」という図式が頭の中でできあがっているのではないでしょうか。

 私が大学病院(大阪市立大学医学部附属病院)で外来をしていた頃、地域がらもあり、患者さんのなかには暴力団構成員ではないかと思われる人がいました。あからさまにそれを言う人はいませんが、問診をしているうちに分かることがありますし、分かる人は診察室に入ってきた瞬間から分かります。大学病院の近くに位置したある救急病院で夜間当直をしているときは、あきらかにそれと分かる人が、「指つめたから出血とめてくれ~」と言って切断したばかりの小指に手ぬぐいを当ててやってきたこともありました。

 現在私が院長をつとめる太融寺町谷口医院には、あきらかにそのスジの人というのはまだ受診していませんが、これまでの受診者のなかにはひとりくらいはいたかもしれません。(実は一度だけ目つきから「そうかな」と感じたことがあるのですが、後で保険証をチェックするとその患者さんは警察官でした)

 医療者というのは、患者さんの属性で医療行為に差をつけるということはできません。ヤクザや暴力団構成員だからといって診療に手を抜くことなどは、やれと言われてもできないのです。(もちろんその逆に他の患者さんより手厚い診療をおこなうこともできません)

 電気やガスを暴力団に供給した事業者が条例違反になるなら、暴力団構成員を治療した医師も違反になるのでしょうか。私は暴力団やヤクザを美化するつもりは一切ありませんが、まもなく全国でくまなく施行されようとしている暴力団排除条例は臭い物に蓋をしようとしているように思えてならないのです。「臭い物に蓋」的政策では、いずれそのひずみがでてきます。すでにヤクザがマフィア化して犯罪が地下に潜っていることや、外国人のマフィアが台頭してきていることなどが指摘されていますが、今後新たな社会問題が生じてこないかを心配します。

 冒頭で述べたような多くのアウトローをタイで治療してきた私の立場から言えば(注2)、このような条例のせいで、アウトローの患者さんが受診するのを躊躇して診断が遅れることを危惧します。


注1 私は島田紳助さんの一連の報道についてとやかく言う立場にありませんが、素朴な疑問として、芸能人がヤクザと交流があるのは公認された事実ではなかったのか、と感じています。芸能人の地方の興行には地元のヤクザが関与するものだと思っていましたし、もっと分かりやすい例を挙げれば、美空ひばりと山口組三代目・田岡一雄組長との関係は誰もとやかく言わなかったはずです。(これを確認しようと思って田岡組長についてwikipediaを調べると、コメディアンの榎本健一が田岡組長に酒の席でキスをしている写真が公開されていました)

注2 ちなみにタイでも日本のヤクザは有名で、強くて怖いというイメージがあるそうです。「ヤクサ~」という単語はタイ語にもなっています。ただし発音は、サ(タイ語にはザの音がないため)にアクセントがあり(正確に言えば声調があります)、語尾をのばして発音するので、少し間の抜けた感じがします。

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