GINAと共に
第77回 注目されない世界エイズデイ(2012年11月)
前回のこのコラムでは、FDA(米国食品医薬品局)が、抗HIV薬のツルバダを世界初の「HIV予防薬」として承認したのにもかかわらず日本ではほとんど話題になっていない、ということを述べましたが、日本では、HIV予防薬が注目されないというよりも、HIVやエイズそのものに対する世間の関心が薄れてきています。
12月1日は世界エイズデイです。毎年この日に向けて、各市町村や各種団体がイベントを開催したり無料検査をしたりするのですが、今年はその数が全国的に少なく盛り上がりにも欠けているようです。日本では秋から冬にかけてが学園祭のシーズンですから、数年前には多くの大学や短大でエイズ関連のイベントがおこなわれていましたが、現在はかなり下火になっているようです。
保健所ではHIVの無料検査がおこなわれていますが、数年前なら世界エイズデイのことがマスコミで取り上げられる11月頃に検査を受ける人が増えてきていたのに、ここ数年はそのようなことがなく今年も検査数は増えていないそうです。
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、HIVの検査目的で受診する人は年々減少しています。2008年には、HIVの検査目的の人が診療所にひっきりなしにやって来られ、一般の患者さんの待ち時間が大幅に長くなってしまったほどです。
2008年には行政も予算をつぎ込んで検査を促しました。大阪市の地下鉄には「大阪では2日に1人が感染している」といったキャッチコピーが書かれたポスターが大量に掲示されました。これは前年の大阪府のHIVに新規に感染が発覚した人が190人近くいましたから、年間365日であることから、「2日に1人」という表現が生まれたのでしょう。しかし、これを見た一般の人のなかには「2人に1人」と見誤る人が続出したのです。当時この現象をみかねた私は、行政関係者に、このような誤解を招くようなポスターはつくらないでほしい、と苦情を呈したほどです。
しかし、不安を煽り過ぎる行政の姿勢やマスコミの報道を心配する必要は翌年からまったくなくなりました。2009年から一気にHIVやエイズに関する世間の注目が薄れたのです。当初は新型インフルエンザの流行のせいで、インフルエンザが落ち着いたら再びHIVに関心が向かうのではないか、とも言われていましたが、そのようなことはありませんでした。そしてこの傾向は年々顕著になってきています。私が日本のHIVの検査に何らかのかたちで関わりだしたのは2004年頃からですが、今年(2012年)はこれまでで最も世間の関心が低いような印象があります。
HIVへの関心が低下する理由が、HIV感染者が減っているから、ということであれば問題ないでしょう。しかし、実際はその逆です。谷口医院では、今年(2012年)にHIVが新たに発覚した人は2007年の開院以来過去最高レベルとなっています。しかも、以前にもお伝えしまたが(下記コラムも参照ください)「いきなりHIV」の割合が今年は、なんと9割にものぼるのです。
「いきなりHIV」というのは私が勝手に考えた造語で正式な言い方ではありません。意味は、「発熱や皮疹、下痢などで受診して診療をすすめていくなかでHIVが発覚した。患者さんはまさかそれらの原因がHIVであるとは考えていなかった」というケースのことです。
谷口医院の数字だけで日本全体の状況を推測するには無理がありますが、もう一度谷口医院の状況をみてみると、2007年の開院以来HIV感染が発覚する人が今年(2012年)は、11月中旬の数字でみると過去最多の勢いで、なおかつ「いきなりHIV」が約9割を占めているのです。これを額面どおりに読めば、HIVに感染していることに気づいていない人がたくさんいる、ということに他なりません。
HIVやエイズに無関心になっているのは日本だけではありません。タイでもHIVに対する関心は急激に低下しています。この理由は、母子感染が減り、エイズ孤児が減り、薬がいきわたるようになったからであり、これらはもちろん歓迎すべきことですが、成人の新規感染が減っているわけではありません。ここ数年は新規に感染が発覚した人が12,000人から15,000人で推移しています。
タイで特に問題になっているのが、男性同性愛者の感染率です。以前からタイの男性同性愛者の陽性率は2割もしくはそれ以上ではないか、と言われていましたが、最近の調査では、一部のマスコミによりますと、男性同性愛者の31.3%がHIV陽性、としているものもあります。いくらなんでも男性同性愛者の3人に1人がHIV陽性、というのはにわかには信じがたいのですが、ウボンラチャタニ県など一部の県では、こういった調査の結果を受けて、男性同性愛者を対象とした無料の検査と無料の治療の政策が実施されているようです。
実は私は日本でも同じような状況に近づいているのではないかと感じています。日本では以前から、HIVが新規に発覚する人の多くは男性同性愛者でしたが、2008年頃からは異性愛者や女性の感染者の占める割合が増加してきていたのも事実です。それが、ここに来て再び男性同性愛者の比率が増えてきています。谷口医院の数字から日本全体の状況を推測するにはやはり無理がありますが、2012年に谷口医院でHIVが新規に発覚した人の8割以上は男性同性愛者なのです。
「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループ」という言い方は、私としては好きではありません。なぜなら男性同性愛者の中には、性感染症の予防に非常に詳しい人が少なくなく、HIVの啓蒙活動をされているような人も大勢いるからです。ストレートの人たちよりも男性同性愛者の方が性感染の予防をしっかりしているのではないか、とすら感じることもあります。実際、谷口医院に「僕たち付き合うことになったので初めてセックスをする前に性感染症の検査に来ました」と言ってやってこられるのは男性同性愛者の方が圧倒的に多いのです。男性と男性のカップルに次いで多いのが、男性は外国人(白人もしくは黒人でアジア人は稀)で女性は日本人というカップルです。残念ながら日本人どうしの男女のカップルの比率は非常に少ないというのが現実です。
どこの国や地域でも、HIVの蔓延には、まず男性同性愛者間でのアウトブレイクがあり、一定数を超えるとストレートの人たちに広がり始めます。日本ではHIVの新規感染が増えているとはいえ、諸外国に比べればまだアウトブレイクしているという状況にはありません。この理由として、私は日本の男性同性愛者は海外の男性同性愛者に比べて、きちんとした知識を持っていて感染予防に努めているからではないか、と考えています。日本の同性愛者は(他国の状況にそれほど詳しいわけではありませんが)知的レベルが高く社会的階層が高い人が多いのが特徴ではないか、という印象が私にはあります。しかし、最近の谷口医院の傾向をみていると、男性同性愛者間の新規感染が最大の問題と考えざるを得ないのです。
あらためて言うことではありませんが、HIVには感染しない方がいいにきまっています。偏見やスティグマは依然存在していますし、治療に要する費用も大変です。HIVの治療のガイドラインは高頻度に改訂されているのですが、改訂される度に抗HIV薬の開始の時期が早くなる傾向にあります。現在HIV感染者はその程度に応じて医療費の負担が変わってきます。抗HIV薬の投薬を受けるようになれば障害者医療の扱いとなりますが、程度によって認定される障害の級数に差があり、個人負担の割合が大きく変わってきます。早期発見され症状がでておらず検査値にも異状がない場合はそれなりの負担が強いられることになります。
HIV感染は、一生薬を飲み続けなければならないのだから「難病」指定すべきだ、という声も一部にはありますが、今のところ「難病」に指定されるような流れにはありません。もしも「難病」(正確には「特定疾患治療研究事業対象疾患」といいます)に指定されれば、感染者の医療費の負担はほとんどゼロになりますから随分と検査や治療がおこないやすくなりますから、もちろん私としては大賛成なのですが、実現にはいくつもの壁があると思われます。
世間の関心が低下し、検査を受ける人が減っている、しかし「いきなりHIV」が増えている、というこの現実を考えたとき、我々ひとりひとりは何をすべきでしょうか。
参考:GINAと共に第64回(2011年10月)「増加する「いきなりHIV」
12月1日は世界エイズデイです。毎年この日に向けて、各市町村や各種団体がイベントを開催したり無料検査をしたりするのですが、今年はその数が全国的に少なく盛り上がりにも欠けているようです。日本では秋から冬にかけてが学園祭のシーズンですから、数年前には多くの大学や短大でエイズ関連のイベントがおこなわれていましたが、現在はかなり下火になっているようです。
保健所ではHIVの無料検査がおこなわれていますが、数年前なら世界エイズデイのことがマスコミで取り上げられる11月頃に検査を受ける人が増えてきていたのに、ここ数年はそのようなことがなく今年も検査数は増えていないそうです。
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、HIVの検査目的で受診する人は年々減少しています。2008年には、HIVの検査目的の人が診療所にひっきりなしにやって来られ、一般の患者さんの待ち時間が大幅に長くなってしまったほどです。
2008年には行政も予算をつぎ込んで検査を促しました。大阪市の地下鉄には「大阪では2日に1人が感染している」といったキャッチコピーが書かれたポスターが大量に掲示されました。これは前年の大阪府のHIVに新規に感染が発覚した人が190人近くいましたから、年間365日であることから、「2日に1人」という表現が生まれたのでしょう。しかし、これを見た一般の人のなかには「2人に1人」と見誤る人が続出したのです。当時この現象をみかねた私は、行政関係者に、このような誤解を招くようなポスターはつくらないでほしい、と苦情を呈したほどです。
しかし、不安を煽り過ぎる行政の姿勢やマスコミの報道を心配する必要は翌年からまったくなくなりました。2009年から一気にHIVやエイズに関する世間の注目が薄れたのです。当初は新型インフルエンザの流行のせいで、インフルエンザが落ち着いたら再びHIVに関心が向かうのではないか、とも言われていましたが、そのようなことはありませんでした。そしてこの傾向は年々顕著になってきています。私が日本のHIVの検査に何らかのかたちで関わりだしたのは2004年頃からですが、今年(2012年)はこれまでで最も世間の関心が低いような印象があります。
HIVへの関心が低下する理由が、HIV感染者が減っているから、ということであれば問題ないでしょう。しかし、実際はその逆です。谷口医院では、今年(2012年)にHIVが新たに発覚した人は2007年の開院以来過去最高レベルとなっています。しかも、以前にもお伝えしまたが(下記コラムも参照ください)「いきなりHIV」の割合が今年は、なんと9割にものぼるのです。
「いきなりHIV」というのは私が勝手に考えた造語で正式な言い方ではありません。意味は、「発熱や皮疹、下痢などで受診して診療をすすめていくなかでHIVが発覚した。患者さんはまさかそれらの原因がHIVであるとは考えていなかった」というケースのことです。
谷口医院の数字だけで日本全体の状況を推測するには無理がありますが、もう一度谷口医院の状況をみてみると、2007年の開院以来HIV感染が発覚する人が今年(2012年)は、11月中旬の数字でみると過去最多の勢いで、なおかつ「いきなりHIV」が約9割を占めているのです。これを額面どおりに読めば、HIVに感染していることに気づいていない人がたくさんいる、ということに他なりません。
HIVやエイズに無関心になっているのは日本だけではありません。タイでもHIVに対する関心は急激に低下しています。この理由は、母子感染が減り、エイズ孤児が減り、薬がいきわたるようになったからであり、これらはもちろん歓迎すべきことですが、成人の新規感染が減っているわけではありません。ここ数年は新規に感染が発覚した人が12,000人から15,000人で推移しています。
タイで特に問題になっているのが、男性同性愛者の感染率です。以前からタイの男性同性愛者の陽性率は2割もしくはそれ以上ではないか、と言われていましたが、最近の調査では、一部のマスコミによりますと、男性同性愛者の31.3%がHIV陽性、としているものもあります。いくらなんでも男性同性愛者の3人に1人がHIV陽性、というのはにわかには信じがたいのですが、ウボンラチャタニ県など一部の県では、こういった調査の結果を受けて、男性同性愛者を対象とした無料の検査と無料の治療の政策が実施されているようです。
実は私は日本でも同じような状況に近づいているのではないかと感じています。日本では以前から、HIVが新規に発覚する人の多くは男性同性愛者でしたが、2008年頃からは異性愛者や女性の感染者の占める割合が増加してきていたのも事実です。それが、ここに来て再び男性同性愛者の比率が増えてきています。谷口医院の数字から日本全体の状況を推測するにはやはり無理がありますが、2012年に谷口医院でHIVが新規に発覚した人の8割以上は男性同性愛者なのです。
「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループ」という言い方は、私としては好きではありません。なぜなら男性同性愛者の中には、性感染症の予防に非常に詳しい人が少なくなく、HIVの啓蒙活動をされているような人も大勢いるからです。ストレートの人たちよりも男性同性愛者の方が性感染の予防をしっかりしているのではないか、とすら感じることもあります。実際、谷口医院に「僕たち付き合うことになったので初めてセックスをする前に性感染症の検査に来ました」と言ってやってこられるのは男性同性愛者の方が圧倒的に多いのです。男性と男性のカップルに次いで多いのが、男性は外国人(白人もしくは黒人でアジア人は稀)で女性は日本人というカップルです。残念ながら日本人どうしの男女のカップルの比率は非常に少ないというのが現実です。
どこの国や地域でも、HIVの蔓延には、まず男性同性愛者間でのアウトブレイクがあり、一定数を超えるとストレートの人たちに広がり始めます。日本ではHIVの新規感染が増えているとはいえ、諸外国に比べればまだアウトブレイクしているという状況にはありません。この理由として、私は日本の男性同性愛者は海外の男性同性愛者に比べて、きちんとした知識を持っていて感染予防に努めているからではないか、と考えています。日本の同性愛者は(他国の状況にそれほど詳しいわけではありませんが)知的レベルが高く社会的階層が高い人が多いのが特徴ではないか、という印象が私にはあります。しかし、最近の谷口医院の傾向をみていると、男性同性愛者間の新規感染が最大の問題と考えざるを得ないのです。
あらためて言うことではありませんが、HIVには感染しない方がいいにきまっています。偏見やスティグマは依然存在していますし、治療に要する費用も大変です。HIVの治療のガイドラインは高頻度に改訂されているのですが、改訂される度に抗HIV薬の開始の時期が早くなる傾向にあります。現在HIV感染者はその程度に応じて医療費の負担が変わってきます。抗HIV薬の投薬を受けるようになれば障害者医療の扱いとなりますが、程度によって認定される障害の級数に差があり、個人負担の割合が大きく変わってきます。早期発見され症状がでておらず検査値にも異状がない場合はそれなりの負担が強いられることになります。
HIV感染は、一生薬を飲み続けなければならないのだから「難病」指定すべきだ、という声も一部にはありますが、今のところ「難病」に指定されるような流れにはありません。もしも「難病」(正確には「特定疾患治療研究事業対象疾患」といいます)に指定されれば、感染者の医療費の負担はほとんどゼロになりますから随分と検査や治療がおこないやすくなりますから、もちろん私としては大賛成なのですが、実現にはいくつもの壁があると思われます。
世間の関心が低下し、検査を受ける人が減っている、しかし「いきなりHIV」が増えている、というこの現実を考えたとき、我々ひとりひとりは何をすべきでしょうか。
参考:GINAと共に第64回(2011年10月)「増加する「いきなりHIV」
第76回 注目されないHIV予防薬(2012年10月)
2012年7月16日、FDA(米国食品医薬品局)は、世界初のHIVの予防薬として「テムトリシタビン・テノホビル ジソプロキシルフマル」(商品名はツルバダ(Truvada)、以下「ツルバダ」とします)を承認しました。ツルバダは現在もHIVの「治療薬」としては世界中で用いられていますが、「予防薬」としては承認されていませんでした。
このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、日本でも一般紙を含むメディアで報道されました。FDA長官のMargaret A. Hamburg氏は、ツルバダのHIV予防薬としての承認は「HIVとの戦いにおける記念すべきマイルストーン(an important milestone in our fight against HIV)」との声明を発表しました。
マイルストーンというのは、元々は「道しるべ」のことですが、「画期的な出来事」とか「節目」といった意味です。しかし、FDA長官がマイルストーンという言葉を使った割には、その後の報道をほとんど聞きませんし、これに対するコメントを発表した日本人の識者も私の知る限りほとんどいません。特に、日本では、この発表の直後には確かに一般紙でも報じられましたが、その後週刊誌に取り上げられたり、エイズ関連のウェブサイトやメーリングリストで活発な討論が繰り広げられたり、といったこともありませんでした。
私自身はこの報道を聞いたときに感じたことは、「予防薬として承認されたのはよかったけれど、コストを誰がどのように負担するかは論じられていない。高いコストが問題になるのは必然であり、コスト問題を解決しない限り、HIV予防薬などというのは<絵に描いた餅>である」、というものでした。
いずれ、医師を含む識者や、HIV陽性の人のパートナーなどがコスト問題について何らかのコメントを発表していき世間の関心を呼ぶことになるだろう、と私はみていたのですが、意外なことに、私の知る限り、日本においてはほとんどこの件に関する意見を聞きません。
さて、今後ツルバダがHIV予防薬として普及していくかどうかを論じる前に、まずは、どのような経緯でFDAがツルバダを予防薬として承認したか、についてみておきたいと思います。
今回ツルバダが予防薬として承認されることになった、有効性と安全性に対する調査は2つあります。1つは「iPrEx試験」、もうひとつは「Partners PrEx試験」と命名されています。
iPrEX試験は、不特定多数との相手との性交渉がある2,499人を対象とし、ツルバダとプラセボ(偽薬)を投与したそれぞれのグループでHIV感染の有無を比較しています。その結果、ツルバダを投与したグループは、プラセボを投与したグループに比べて42%の感染リスク低下が認められたそうです。
Partners PrEx試験では、HIV陽性のパートナーをもつ4,758人を対象とし、ツルバダを投与したグループはプラセボを投与したグループに比べ、感染リスクが75%低下していたそうです。
安全性については、両方の調査で、下痢、悪心、腹痛、頭痛、体重減少などの報告がありましたが、これらは従来から報告されている軽症の副作用であり、重篤な有害事象の発現はごくわずかだったそうです。
これら2つの調査結果を検討した上で、FDAはツルバダの予防的投与を承認したわけですが、承認されたからといって、誰もがツルバダを予防的に服用できるわけではありません。予防内服ができるのは、(当たり前ですが)HIVに感染していないことが条件です。ですから使用開始前にはHIVに感染していないかどうかの検査をしなければならないことになっています。さらに、ツルバダの投薬が開始された後も、少なくとも3ヶ月に一度程度は感染していないかどうかを確認しなければならないことになっています。また、ツルバダの副作用がでていないかどうかを確認するための採血も定期的に必要になります。
コストに関しては、2012年7月20日付けのReutersの記事を読むと、ツルバダの予防内服には年間14,000USドル(約1,100,000円)の費用が必要になるとされています。アメリカでこれだけの費用を負担してHIVの予防ができる人がどれだけいるのだろう・・、と感じます。
日本では、他の多くの薬と同様、抗HIV薬も諸外国よりも高価であり、ツルバダの薬価(薬1錠あたりの公定価格)は3,756.30円です。日本ではツルバダが予防薬として承認されたとしても保険適用となることはまずありえないでしょうから、まるまる自己負担となります。さらに診察代、検査代も自費となり、自費診療では消費税などもかかってくるでしょうから、年間150万前後の費用がかかることが予想できます。果たして、HIV陽性のパートナーを持つ日本人でこの金額を負担できる人はどれだけいるのでしょうか。
米国(FDA)がツルバダの予防投与を認めた理由は、「感染者を増やさないため」ですが、もう少し"泥臭く"考えてみたいと思います。どこの国でもそうですが、国は国のことを考えているのであって、個人のことを考えているわけではありません。おそらくFDAは次のように考えているはずです。
米国ではHIV予防や教育をこれまでおこなってきたが、それでもなお毎年約5万人の成人や思春期の子どもが新たにHIVに感染している。毎年5万人がHIVに感染することで必要になる医療費は相当な額になる。ツルバダは高価な薬だが、HIVの治療をおこなうことを考えれば随分と安くつく。(ツルバダはHIVの治療としては単独で用いられることはなく他のHIV薬と組み合わせて用います) つまり、国全体でみたときには、ツルバダをリスクのある人たちに予防的に内服してもらうのが結果として医療費を削減することになる。と、このようにFDAは判断しているわけです。
さらに、もう少し"きなくさい"観点から推論してみたいと思います。FDAの承認というのは世界中に影響を与えます。FDAが承認したなら、金銭的な問題がクリアできれば、例えばアフリカの貧しい国でも使うべき、ということに世論は納得します。しかし、当然アフリカの国々の政府には高価な薬を大量に購入する余裕はありませんし、ODAとして先進国から受ける支援も抗HIV薬のみに向けることもできません。では、金銭的な問題はどうしようもないのか、というとそういうわけでもありません。例えばゲイツ財団などは(私の知る限り「噂」の域を出ませんが)アフリカでのエイズ支援を積極的に考えており、ツルバダを大量購入することに前向きなのではないかと言われています。一方、ツルバダの製造元のGilead社としては、特許が切れて安い後発品(ジェネリック薬品)が登場する前に大量にさばいて在庫を処分してしまいたいと考えているのではないか、と指摘する声があります。
しかし、たとえ製造元の在庫処分という目的があったとしても、結果としてアフリカの必要としている人々にツルバダが行き渡り、HIVの新規感染が減少すれば、先にアメリカの話で述べたようにトータルでみた医療費が安くつくのは事実なわけです。
残念ながら日本では、HIV陽性者の(パートナーの)立場に立った議論も上がってこなければ、公衆衛生学的な観点からの議論も聞かれません。いったいこの国は、HIVの新規感染に対してどのように考えているのでしょうか。「だったらお前が立ち上がって世間の関心を高めるような努力をやれ!」と言われそうですが、私も実際そう思います。
これから私はこの問題を多くの人に問いかけていきたいと考えています。これを読まれたあなたも、「もしも自分のパートナーがHIV陽性だったら予防薬を使うべきか」という観点で考えてもらえれば、と思います。
参考:GINAと共に第61回(2011年7月) 「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」
このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、日本でも一般紙を含むメディアで報道されました。FDA長官のMargaret A. Hamburg氏は、ツルバダのHIV予防薬としての承認は「HIVとの戦いにおける記念すべきマイルストーン(an important milestone in our fight against HIV)」との声明を発表しました。
マイルストーンというのは、元々は「道しるべ」のことですが、「画期的な出来事」とか「節目」といった意味です。しかし、FDA長官がマイルストーンという言葉を使った割には、その後の報道をほとんど聞きませんし、これに対するコメントを発表した日本人の識者も私の知る限りほとんどいません。特に、日本では、この発表の直後には確かに一般紙でも報じられましたが、その後週刊誌に取り上げられたり、エイズ関連のウェブサイトやメーリングリストで活発な討論が繰り広げられたり、といったこともありませんでした。
私自身はこの報道を聞いたときに感じたことは、「予防薬として承認されたのはよかったけれど、コストを誰がどのように負担するかは論じられていない。高いコストが問題になるのは必然であり、コスト問題を解決しない限り、HIV予防薬などというのは<絵に描いた餅>である」、というものでした。
いずれ、医師を含む識者や、HIV陽性の人のパートナーなどがコスト問題について何らかのコメントを発表していき世間の関心を呼ぶことになるだろう、と私はみていたのですが、意外なことに、私の知る限り、日本においてはほとんどこの件に関する意見を聞きません。
さて、今後ツルバダがHIV予防薬として普及していくかどうかを論じる前に、まずは、どのような経緯でFDAがツルバダを予防薬として承認したか、についてみておきたいと思います。
今回ツルバダが予防薬として承認されることになった、有効性と安全性に対する調査は2つあります。1つは「iPrEx試験」、もうひとつは「Partners PrEx試験」と命名されています。
iPrEX試験は、不特定多数との相手との性交渉がある2,499人を対象とし、ツルバダとプラセボ(偽薬)を投与したそれぞれのグループでHIV感染の有無を比較しています。その結果、ツルバダを投与したグループは、プラセボを投与したグループに比べて42%の感染リスク低下が認められたそうです。
Partners PrEx試験では、HIV陽性のパートナーをもつ4,758人を対象とし、ツルバダを投与したグループはプラセボを投与したグループに比べ、感染リスクが75%低下していたそうです。
安全性については、両方の調査で、下痢、悪心、腹痛、頭痛、体重減少などの報告がありましたが、これらは従来から報告されている軽症の副作用であり、重篤な有害事象の発現はごくわずかだったそうです。
これら2つの調査結果を検討した上で、FDAはツルバダの予防的投与を承認したわけですが、承認されたからといって、誰もがツルバダを予防的に服用できるわけではありません。予防内服ができるのは、(当たり前ですが)HIVに感染していないことが条件です。ですから使用開始前にはHIVに感染していないかどうかの検査をしなければならないことになっています。さらに、ツルバダの投薬が開始された後も、少なくとも3ヶ月に一度程度は感染していないかどうかを確認しなければならないことになっています。また、ツルバダの副作用がでていないかどうかを確認するための採血も定期的に必要になります。
コストに関しては、2012年7月20日付けのReutersの記事を読むと、ツルバダの予防内服には年間14,000USドル(約1,100,000円)の費用が必要になるとされています。アメリカでこれだけの費用を負担してHIVの予防ができる人がどれだけいるのだろう・・、と感じます。
日本では、他の多くの薬と同様、抗HIV薬も諸外国よりも高価であり、ツルバダの薬価(薬1錠あたりの公定価格)は3,756.30円です。日本ではツルバダが予防薬として承認されたとしても保険適用となることはまずありえないでしょうから、まるまる自己負担となります。さらに診察代、検査代も自費となり、自費診療では消費税などもかかってくるでしょうから、年間150万前後の費用がかかることが予想できます。果たして、HIV陽性のパートナーを持つ日本人でこの金額を負担できる人はどれだけいるのでしょうか。
米国(FDA)がツルバダの予防投与を認めた理由は、「感染者を増やさないため」ですが、もう少し"泥臭く"考えてみたいと思います。どこの国でもそうですが、国は国のことを考えているのであって、個人のことを考えているわけではありません。おそらくFDAは次のように考えているはずです。
米国ではHIV予防や教育をこれまでおこなってきたが、それでもなお毎年約5万人の成人や思春期の子どもが新たにHIVに感染している。毎年5万人がHIVに感染することで必要になる医療費は相当な額になる。ツルバダは高価な薬だが、HIVの治療をおこなうことを考えれば随分と安くつく。(ツルバダはHIVの治療としては単独で用いられることはなく他のHIV薬と組み合わせて用います) つまり、国全体でみたときには、ツルバダをリスクのある人たちに予防的に内服してもらうのが結果として医療費を削減することになる。と、このようにFDAは判断しているわけです。
さらに、もう少し"きなくさい"観点から推論してみたいと思います。FDAの承認というのは世界中に影響を与えます。FDAが承認したなら、金銭的な問題がクリアできれば、例えばアフリカの貧しい国でも使うべき、ということに世論は納得します。しかし、当然アフリカの国々の政府には高価な薬を大量に購入する余裕はありませんし、ODAとして先進国から受ける支援も抗HIV薬のみに向けることもできません。では、金銭的な問題はどうしようもないのか、というとそういうわけでもありません。例えばゲイツ財団などは(私の知る限り「噂」の域を出ませんが)アフリカでのエイズ支援を積極的に考えており、ツルバダを大量購入することに前向きなのではないかと言われています。一方、ツルバダの製造元のGilead社としては、特許が切れて安い後発品(ジェネリック薬品)が登場する前に大量にさばいて在庫を処分してしまいたいと考えているのではないか、と指摘する声があります。
しかし、たとえ製造元の在庫処分という目的があったとしても、結果としてアフリカの必要としている人々にツルバダが行き渡り、HIVの新規感染が減少すれば、先にアメリカの話で述べたようにトータルでみた医療費が安くつくのは事実なわけです。
残念ながら日本では、HIV陽性者の(パートナーの)立場に立った議論も上がってこなければ、公衆衛生学的な観点からの議論も聞かれません。いったいこの国は、HIVの新規感染に対してどのように考えているのでしょうか。「だったらお前が立ち上がって世間の関心を高めるような努力をやれ!」と言われそうですが、私も実際そう思います。
これから私はこの問題を多くの人に問いかけていきたいと考えています。これを読まれたあなたも、「もしも自分のパートナーがHIV陽性だったら予防薬を使うべきか」という観点で考えてもらえれば、と思います。
参考:GINAと共に第61回(2011年7月) 「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」
第75回 恥ずべき北タイのロングステイヤー達(2012年9月)
退職後は海外でのんびり過ごしたい。タイはどうなんでしょう・・・。
数年前からこのような質問をしばしば受けるようになりました。円高の影響もあってなのか、定年退職後に海外在住を希望する人は年々増えてきているようです。そのなかでも東南アジアは治安がいいことや食事が美味しいことなどに加え、物価が安いことから人気が高いそうで、その東南アジアのなかでも、タイはマレーシアと並ぶ人気国だそうです。
タイで日本人のロングステイヤーが最も多いのはバンコクですが、バンコクは好きでない、という人もいます。あの空気の悪さと喧騒が、のんびりと老後を過ごしたい、という人達から不人気なのは頷けます。数年くらい前までは、ハジャイ(ハットヤイ)などの南タイもそこそこ人気があったようですが、イスラム系のテロが一向に収まらないことから治安の悪さを懸念する人が増えて日本人は減ってきているそうです。
一方、北タイの最大都市であるチェンマイは、ここ数年間の発展で外国人が随分と過ごしやすくなっています。英語表記(日本語表記も珍しくありません)の看板が増え、レストランのメニューも英語版が用意され、タクシー、インターネットカフェなども増えて、生活に不便を感じることが次第になくなってきています。
日本人が増えている北タイはチェンマイだけではありません。チェンライにもここ数年で日本人が増えて、日本人のコミュニティや日本人が経営する食堂などもあるそうです。
チェンマイやチェンライを含む北タイの魅力として、まず気候がいいことがあげられます。真夏でもバンコクほど気温が上がりませんし、乾いた風が心地よいためにクーラーをそれほど必要としません。公害や空気汚染はほとんどありませんから空気がおいしく静かです。海が好き、という人には物足りないかもしれませんが、きれいな山がたくさんあるためにハイキングやトレッキングを楽しむこともできます。その上、物価がバンコクよりも安く、食べ物はバンコクよりも塩味がきいていて日本人好みの味付けと言えるでしょう。改めて考えてみても北タイはロングステイに理想的な地域といえます。
北タイがロングステイに向いている理由はまだあります。それは「多くの現地のタイ人が日本人に対して好意的」ということです。タイに行ったことのある人なら体感されたことがあると思いますが、多くのタイ人は日本人に好感を持っています。1970年代には一時的に反日感情から日本製品不買運動などがおこった時代もありましたが、現在では多くのタイ人が親日なのは間違いありません。今でも北タイを含めタイの地方に日本人(の男性)が行くと「コボリ、コボリ」と言って歓迎されます。これは何度も映画化されているタイの国民的小説『クーカム』(日本語版は『メナムの残照』)の主人公が「コボリ」という名の日本人で、今でも「タイで最も有名な日本人は?」とタイ人に質問すると「コボリ」という答えが返ってくることもあります。
さて、そろそろ本題に入りましょう。日本人にとって北タイが理想のロングステイ先であるのは間違いないのですが、実際のロングステイヤー達の評判が最近すこぶる悪いのです。
現地の声をまとめてみると、日本人の評判が悪い理由はいくつもあります。「食堂などで大声をだして他人の迷惑を顧みない」「日本人どうしが仲が悪く諍いやけんかが絶えない」「日本人が日本人をだます詐欺が少なくない」「タイ語どころか英語もできない日本人がいて語学を勉強する気すらない」・・・、と同じ日本人として恥ずかしくなる声が後を絶ちません。
しかし、日本人に対するクレームのなかで最も多いもの、そして最も悪質と思われるものは「恋愛」に絡んだものです。いえ、「恋愛」というよりは「性(セックス)」と言うべきでしょう。
恋愛をする間もなく仕事一筋でやってきて、独り身のまま気がつけば定年退職、という人や、何らかの事情で離婚をしており現在は独り身、という人が北タイという新天地で新しいパートナーを見つける、ということにはまったく問題ないと思います。問題ないどころか、私は個人的に日本人とタイ人の仲むつまじきカップルを何組も知っていますから、日本で「恋人がいなくて・・」という中高年にタイ行きをすすめることすらあります。
しかし、北タイで、タイ人やまともに生活している日本人から聞くのは、「カネでセックスを買う日本人のロングステイヤーに辟易している」というものです。例をあげましょう。
北タイのある地域でエイズ患者のケアをおこなっている日本人の元には定期的にロングステイの日本人男性がやってくるそうです。彼らは、エイズという病やボランティア活動に興味があるわけではありません。「この地に長いことすんでいるなら現地女性と仲良くなる方法を知っているでしょ。若くて美人のタイ人を紹介してください」というものだそうです。もちろん彼らが真剣にパートナーを探しているならば問題はないでしょう。
けれども、えてしてこうやって「女性を紹介してほしい」と訪ねてくる日本人男性というのは、傲慢で、カネさえ払えば何とでもなると思っているケースが多いそうです。タイ語もまったくできずに、そのことに対して質問すると「これからもタイ語を勉強するつもりはない」と答えるそうなのです。これでは、パートナーを探しているのではなく、「女性を買いに来ている」というべきでしょう。
もっとひどい例もあります。ロングステイをしている日本人男性のなかには「買春」を繰り返している者もいるというのです。カネを払って買春するのに何か問題があるのか?、という意見もあるかもしれませんが、このようなことをする日本人が増えれば、日本人の好感度が下がるのは間違いありません。いえ、もうすでに日本人が好意的にみられていた時代は過去のものなのかもしれません。
私は2012年8月にチェンマイに渡航し、複数のエイズ関係者と話をしましたが、日本人の好感度が以前に比べて随分と落ちている、という意見がありました。「買春」目的の日本人が増え、そのせいで、まともな理由で北タイにロングステイする人たちも住みにくくなっているというのです。
買春を繰り返した結果、HIVに感染した日本人もいるそうです。しかも、その日本人は医療費が払えず治療を受けず、かといって日本に帰る気もないそうなのです。買春でHIVに感染しエイズを発症する、ここまでは他人に迷惑をかけていないかもしれませんが、エイズで身体が衰退してくれば他人のケアがどうしても必要になってきます。
困っている人が身近にいた場合、タイ人は必ず助けてくれます。身の回りのことをしてくれて食事も分けてくれるのが普通のタイ人です。タイをよく知る人ならば、タイ人が困っている人を放っておかないことを示す例をいくつも知っているでしょう。
しかしながら、カネに物をいわせ買春を繰り返した結果、HIVに感染した日本人に同情するタイ人がどれだけいるかは疑問です。また、このようなかたちでHIVに感染した日本人は、同胞の日本人からも相手にされないでしょう。
このような悲劇を避けるためには、HIVを含む性感染症に対する正しい知識を持つということ、恋愛は問題ないがカネにものをいわせた「買春」が与える影響(日本人の評判を落とすのは必至!)をよく考えること、恋愛をするしないに関わらず異国の地に行くからには現地の言葉を勉強すること、などをよく考える必要があります。
数年前からこのような質問をしばしば受けるようになりました。円高の影響もあってなのか、定年退職後に海外在住を希望する人は年々増えてきているようです。そのなかでも東南アジアは治安がいいことや食事が美味しいことなどに加え、物価が安いことから人気が高いそうで、その東南アジアのなかでも、タイはマレーシアと並ぶ人気国だそうです。
タイで日本人のロングステイヤーが最も多いのはバンコクですが、バンコクは好きでない、という人もいます。あの空気の悪さと喧騒が、のんびりと老後を過ごしたい、という人達から不人気なのは頷けます。数年くらい前までは、ハジャイ(ハットヤイ)などの南タイもそこそこ人気があったようですが、イスラム系のテロが一向に収まらないことから治安の悪さを懸念する人が増えて日本人は減ってきているそうです。
一方、北タイの最大都市であるチェンマイは、ここ数年間の発展で外国人が随分と過ごしやすくなっています。英語表記(日本語表記も珍しくありません)の看板が増え、レストランのメニューも英語版が用意され、タクシー、インターネットカフェなども増えて、生活に不便を感じることが次第になくなってきています。
日本人が増えている北タイはチェンマイだけではありません。チェンライにもここ数年で日本人が増えて、日本人のコミュニティや日本人が経営する食堂などもあるそうです。
チェンマイやチェンライを含む北タイの魅力として、まず気候がいいことがあげられます。真夏でもバンコクほど気温が上がりませんし、乾いた風が心地よいためにクーラーをそれほど必要としません。公害や空気汚染はほとんどありませんから空気がおいしく静かです。海が好き、という人には物足りないかもしれませんが、きれいな山がたくさんあるためにハイキングやトレッキングを楽しむこともできます。その上、物価がバンコクよりも安く、食べ物はバンコクよりも塩味がきいていて日本人好みの味付けと言えるでしょう。改めて考えてみても北タイはロングステイに理想的な地域といえます。
北タイがロングステイに向いている理由はまだあります。それは「多くの現地のタイ人が日本人に対して好意的」ということです。タイに行ったことのある人なら体感されたことがあると思いますが、多くのタイ人は日本人に好感を持っています。1970年代には一時的に反日感情から日本製品不買運動などがおこった時代もありましたが、現在では多くのタイ人が親日なのは間違いありません。今でも北タイを含めタイの地方に日本人(の男性)が行くと「コボリ、コボリ」と言って歓迎されます。これは何度も映画化されているタイの国民的小説『クーカム』(日本語版は『メナムの残照』)の主人公が「コボリ」という名の日本人で、今でも「タイで最も有名な日本人は?」とタイ人に質問すると「コボリ」という答えが返ってくることもあります。
さて、そろそろ本題に入りましょう。日本人にとって北タイが理想のロングステイ先であるのは間違いないのですが、実際のロングステイヤー達の評判が最近すこぶる悪いのです。
現地の声をまとめてみると、日本人の評判が悪い理由はいくつもあります。「食堂などで大声をだして他人の迷惑を顧みない」「日本人どうしが仲が悪く諍いやけんかが絶えない」「日本人が日本人をだます詐欺が少なくない」「タイ語どころか英語もできない日本人がいて語学を勉強する気すらない」・・・、と同じ日本人として恥ずかしくなる声が後を絶ちません。
しかし、日本人に対するクレームのなかで最も多いもの、そして最も悪質と思われるものは「恋愛」に絡んだものです。いえ、「恋愛」というよりは「性(セックス)」と言うべきでしょう。
恋愛をする間もなく仕事一筋でやってきて、独り身のまま気がつけば定年退職、という人や、何らかの事情で離婚をしており現在は独り身、という人が北タイという新天地で新しいパートナーを見つける、ということにはまったく問題ないと思います。問題ないどころか、私は個人的に日本人とタイ人の仲むつまじきカップルを何組も知っていますから、日本で「恋人がいなくて・・」という中高年にタイ行きをすすめることすらあります。
しかし、北タイで、タイ人やまともに生活している日本人から聞くのは、「カネでセックスを買う日本人のロングステイヤーに辟易している」というものです。例をあげましょう。
北タイのある地域でエイズ患者のケアをおこなっている日本人の元には定期的にロングステイの日本人男性がやってくるそうです。彼らは、エイズという病やボランティア活動に興味があるわけではありません。「この地に長いことすんでいるなら現地女性と仲良くなる方法を知っているでしょ。若くて美人のタイ人を紹介してください」というものだそうです。もちろん彼らが真剣にパートナーを探しているならば問題はないでしょう。
けれども、えてしてこうやって「女性を紹介してほしい」と訪ねてくる日本人男性というのは、傲慢で、カネさえ払えば何とでもなると思っているケースが多いそうです。タイ語もまったくできずに、そのことに対して質問すると「これからもタイ語を勉強するつもりはない」と答えるそうなのです。これでは、パートナーを探しているのではなく、「女性を買いに来ている」というべきでしょう。
もっとひどい例もあります。ロングステイをしている日本人男性のなかには「買春」を繰り返している者もいるというのです。カネを払って買春するのに何か問題があるのか?、という意見もあるかもしれませんが、このようなことをする日本人が増えれば、日本人の好感度が下がるのは間違いありません。いえ、もうすでに日本人が好意的にみられていた時代は過去のものなのかもしれません。
私は2012年8月にチェンマイに渡航し、複数のエイズ関係者と話をしましたが、日本人の好感度が以前に比べて随分と落ちている、という意見がありました。「買春」目的の日本人が増え、そのせいで、まともな理由で北タイにロングステイする人たちも住みにくくなっているというのです。
買春を繰り返した結果、HIVに感染した日本人もいるそうです。しかも、その日本人は医療費が払えず治療を受けず、かといって日本に帰る気もないそうなのです。買春でHIVに感染しエイズを発症する、ここまでは他人に迷惑をかけていないかもしれませんが、エイズで身体が衰退してくれば他人のケアがどうしても必要になってきます。
困っている人が身近にいた場合、タイ人は必ず助けてくれます。身の回りのことをしてくれて食事も分けてくれるのが普通のタイ人です。タイをよく知る人ならば、タイ人が困っている人を放っておかないことを示す例をいくつも知っているでしょう。
しかしながら、カネに物をいわせ買春を繰り返した結果、HIVに感染した日本人に同情するタイ人がどれだけいるかは疑問です。また、このようなかたちでHIVに感染した日本人は、同胞の日本人からも相手にされないでしょう。
このような悲劇を避けるためには、HIVを含む性感染症に対する正しい知識を持つということ、恋愛は問題ないがカネにものをいわせた「買春」が与える影響(日本人の評判を落とすのは必至!)をよく考えること、恋愛をするしないに関わらず異国の地に行くからには現地の言葉を勉強すること、などをよく考える必要があります。
第74回 変わりつつある北タイのエイズ事情(2012年8月)
私がこれまででタイに最も長くいた年は2004年で、この年はタイ全国のいくつもの施設を訪問しました。ボランティアの体験も踏まえ、帰国後、2004年の終わりから2006年くらいまでは、高校、大学、大学院、病院、市民団体なども含めて多くの場でタイのエイズ事情について講演をおこないました。
当時おこなっていた講演では、与えられた時間にもよりますが、「北タイのエイズ事情」というサブタイトルを付けて、北タイ独特のエイズに伴う様々な特色を紹介するようにしていました。
なぜなら、北タイのエイズ事情というのは、単に「このような患者さんがいて、このように治療をしています」、だけでは済まない問題がたくさんあったからです。
2000年代前半は、まだタイ全域でエイズに伴う差別やスティグマが蔓延しており、「HIVに感染しているというだけで、病院で受診拒否をされ、家族から見放され、地域社会から追い出された・・・」、という事態が日常茶飯事にありました。北タイでも同じように家族から見放され、行き場を失った感染者がなんとか施設にたどりついて・・・、というケースが頻繁にあり、こういった事態は他の地域とそれほど変わらなかったのですが、北タイ独特の問題もいくつかあったのです。
まず筆頭に上げるべきなのは、母子感染で母親からHIVに感染した子供や、両親を共にエイズで亡くし親戚からも見放された子供たち、すなわち「エイズ孤児」が他の地域に比べて相当多かった、ということです。なぜ、北タイでは他の地域に比べてエイズ孤児が多かったのかというと、それは単純に、成人の感染者が他の地域よりも多かったから、です。もう少し詳しく述べれば、北タイはタイ全域のなかで最もHIVの感染率が高く、90年代前半には成人の4人に1人が感染しているのではないか、と推測されていました。これほどまでに感染者が増えると、当然母子感染が増えますし、子供に感染させていなくても夫婦ともどもエイズで死亡し子供は置き去りに・・・、ということが、頻繁にあったのです。
北タイはタイのなかではキリスト教徒の多い地域ということもあり、世界中からキリスト教徒が支援の手を差し伸べることになりました。このため90年代半ばあたりから、小規模なエイズホスピス、エイズシェルターなどがつくられていきました。小規模のエイズ施設がたくさんある、これが私が感じた北タイのエイズ事情の2つめの特徴です。キリスト教が他の宗教よりもすぐれているとか、困っている人を積極的に支援する宗教だとか、そういうことを私が言いたいわけではありません。しかし、キリスト教徒は世界中にいますから、世界中から支援が集まりやすい、という特徴があるのは事実です。
北タイに特徴的な3つめの点は「貧困」です。ひとりあたりのGDPをみると、北タイよりもイサーン地方(東北地方)の方が貧困度が大きいのですが、北タイの中心都市であるチェンマイには日系企業を含む外資系の企業がたくさん入っており、これら外資系企業の影響で北タイ全域でのGDPは上昇しています。庶民ひとりひとりの生活はイサーン地方とそれほど変わるわけではなく、特に僻地にいけばいくほど貧困度が増していきます。90年代後半くらいまでは小学校しか卒業できず、ひどい場合は読み書きもままならなない、という若者もいました。
北タイの4つめの特徴は、山岳民族や、さらにミャンマーや中国(雲南省)、ラオスからの移民が多い、ということです。彼(女)らがHIVに罹患すると難儀なのは、タイ国籍を持っていないために病院にかかれないということです。2004年頃は、タイ人であってもHIVに感染していると診てもらえない病院がほとんどだったわけですが、それでも受診できる病院が皆無というわけではありませんでした。一方タイ国籍を有していない者は、どこの医療機関も原則として受診できないのです。(もちろん自費診療なら可能ですが、彼(女)らは例外なく貧しいのです)
2012年8月11日、私がチェンマイ空港に降り立ってまず驚いたのは人と車の多さでした。6年ぶりに訪れたチェンマイには、以前には感じることのできた、どことなくなつかしさを思い出すようなほのぼのとした空気がなくなっていました。ホテルまでタクシーで移動したのですが、その間にタクシーから眺める町並みはもはや私の知るチェンマイではありませんでした。メータータクシーが目立ち(6年前はほとんどありませんでした)、英語が使われている看板が増えています。街を歩く外国人も増えているようです。
チェンマイには1泊のみの予定だったため、それほど多くの関係者に話を聞くことはできませんでしたが、今回私が施設訪問や情報収集をして最も感じたことは「北タイのエイズ事情は劇的に変化している」というものです。前置きが随分長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「現在の北タイのエイズ事情」です。
現在の北タイのエイズ関連の最大の特徴は、感染者に対する差別やスティグマが著しく減少した、ということです。もちろんこういった問題がまったくなくなったわけではなく、感染者のほとんどは感染の事実を隠しながら生きています。しかし、(タイ国籍をもっていれば)病院で受診拒否されるということはもはやありませんし、家族から追い出される、ということもほとんどないそうです。現在の北タイでHIV陽性者が家族から追い出されたなら、それは「HIVが原因でなく、元々その人間に何らかの問題がある場合がほとんど・・・」と、ある関係者は話していました。
感染者数も減っています。先に述べたように、成人の感染者が増加するとエイズ孤児が増加するのは必然なわけですが、感染者の減少と共にエイズ孤児も大きく減少しています。実際、北タイのあるエイズ孤児の施設は、入居するエイズ孤児が定員よりも少なくなり、エイズ以外の障害を持つ子供を入居させているそうです。また、成人を対象とした職業訓練を目的としたある施設では、「自分はHIVに感染していないけれどもエイズを発症した家族を支えるために職業訓練を受けに来ている」という人もいるそうです。
貧困が減少している、というのは、私が空港からホテルまでの道のりでタクシーの窓から眺めた光景だけで実感できましたが、実際に関係者に話を聞いてみるとさらに驚かされました。なんと、現在の北タイでは、高校どころか、大学進学が珍しくなくなってきている、というのです。90年代には義務教育である中学にも貧困から進学できなかった子供たちが大勢いた、のにです。大学進学率というのは所得水準に相関しますから、このことから北タイの一般人の所得が大きく増加していることが分かります。
山岳民族や移民の問題は依然として存在するようですが、それでもHIV陽性者は増加はしていないそうです。しかし、タイ国籍を有していないために医療機関を受診できず、誰かが支援しなければ死を待つしかない、という人も依然存在しています。ある関係者は、この問題はこれからも続くだろう、と話していました。
最新の北タイのエイズ事情をまとめてみると、①感染者が減り(正確なデータは入手できませんでしたが関係者の話から確実だと思われます)、②差別やスティグマが大きく減少し、③全体の貧困度が減少したため今後の新規感染も減少していくことが予想される、④しかし依然として誰かが支援しなければ生きていけない感染者やエイズ孤児が存在することを忘れてはいけない、⑤さらに山岳民族や移民者のHIV問題は依然残存する、となると思います。
気になるのは、①と②が北タイに限局したことなのか、タイ全域でも同様なのか、ということです。それを調べるために、私はタイ渡航中に北タイ以外の地域で関係者に話を聞き、施設を訪問しました。結論を言えば、残念ながら北タイを除くタイ全域では、以前とさほど変わっていないというのが現状のようです。例えば、ロッブリー県にあるタイ最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)では、入所したくてもできない感染者が依然大勢いて、私がこの施設でボランティアをしていた2004年とほとんど状況は変わっていないそうです。差別やスティグマについても、以前に比べればましにはなっているが依然感染者が社会的不利益を被っているのは間違いない、そうです。
北タイのエイズ事情が好転しているのはもちろん歓迎すべきことです。90年代前半にタイで最もエイズが深刻化したこの地域が、現在は最も"進んだ"地域となっているということは注目に値します。GINAでは今後、各地域に応じた支援を展開していきたと考えています。
当時おこなっていた講演では、与えられた時間にもよりますが、「北タイのエイズ事情」というサブタイトルを付けて、北タイ独特のエイズに伴う様々な特色を紹介するようにしていました。
なぜなら、北タイのエイズ事情というのは、単に「このような患者さんがいて、このように治療をしています」、だけでは済まない問題がたくさんあったからです。
2000年代前半は、まだタイ全域でエイズに伴う差別やスティグマが蔓延しており、「HIVに感染しているというだけで、病院で受診拒否をされ、家族から見放され、地域社会から追い出された・・・」、という事態が日常茶飯事にありました。北タイでも同じように家族から見放され、行き場を失った感染者がなんとか施設にたどりついて・・・、というケースが頻繁にあり、こういった事態は他の地域とそれほど変わらなかったのですが、北タイ独特の問題もいくつかあったのです。
まず筆頭に上げるべきなのは、母子感染で母親からHIVに感染した子供や、両親を共にエイズで亡くし親戚からも見放された子供たち、すなわち「エイズ孤児」が他の地域に比べて相当多かった、ということです。なぜ、北タイでは他の地域に比べてエイズ孤児が多かったのかというと、それは単純に、成人の感染者が他の地域よりも多かったから、です。もう少し詳しく述べれば、北タイはタイ全域のなかで最もHIVの感染率が高く、90年代前半には成人の4人に1人が感染しているのではないか、と推測されていました。これほどまでに感染者が増えると、当然母子感染が増えますし、子供に感染させていなくても夫婦ともどもエイズで死亡し子供は置き去りに・・・、ということが、頻繁にあったのです。
北タイはタイのなかではキリスト教徒の多い地域ということもあり、世界中からキリスト教徒が支援の手を差し伸べることになりました。このため90年代半ばあたりから、小規模なエイズホスピス、エイズシェルターなどがつくられていきました。小規模のエイズ施設がたくさんある、これが私が感じた北タイのエイズ事情の2つめの特徴です。キリスト教が他の宗教よりもすぐれているとか、困っている人を積極的に支援する宗教だとか、そういうことを私が言いたいわけではありません。しかし、キリスト教徒は世界中にいますから、世界中から支援が集まりやすい、という特徴があるのは事実です。
北タイに特徴的な3つめの点は「貧困」です。ひとりあたりのGDPをみると、北タイよりもイサーン地方(東北地方)の方が貧困度が大きいのですが、北タイの中心都市であるチェンマイには日系企業を含む外資系の企業がたくさん入っており、これら外資系企業の影響で北タイ全域でのGDPは上昇しています。庶民ひとりひとりの生活はイサーン地方とそれほど変わるわけではなく、特に僻地にいけばいくほど貧困度が増していきます。90年代後半くらいまでは小学校しか卒業できず、ひどい場合は読み書きもままならなない、という若者もいました。
北タイの4つめの特徴は、山岳民族や、さらにミャンマーや中国(雲南省)、ラオスからの移民が多い、ということです。彼(女)らがHIVに罹患すると難儀なのは、タイ国籍を持っていないために病院にかかれないということです。2004年頃は、タイ人であってもHIVに感染していると診てもらえない病院がほとんどだったわけですが、それでも受診できる病院が皆無というわけではありませんでした。一方タイ国籍を有していない者は、どこの医療機関も原則として受診できないのです。(もちろん自費診療なら可能ですが、彼(女)らは例外なく貧しいのです)
2012年8月11日、私がチェンマイ空港に降り立ってまず驚いたのは人と車の多さでした。6年ぶりに訪れたチェンマイには、以前には感じることのできた、どことなくなつかしさを思い出すようなほのぼのとした空気がなくなっていました。ホテルまでタクシーで移動したのですが、その間にタクシーから眺める町並みはもはや私の知るチェンマイではありませんでした。メータータクシーが目立ち(6年前はほとんどありませんでした)、英語が使われている看板が増えています。街を歩く外国人も増えているようです。
チェンマイには1泊のみの予定だったため、それほど多くの関係者に話を聞くことはできませんでしたが、今回私が施設訪問や情報収集をして最も感じたことは「北タイのエイズ事情は劇的に変化している」というものです。前置きが随分長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「現在の北タイのエイズ事情」です。
現在の北タイのエイズ関連の最大の特徴は、感染者に対する差別やスティグマが著しく減少した、ということです。もちろんこういった問題がまったくなくなったわけではなく、感染者のほとんどは感染の事実を隠しながら生きています。しかし、(タイ国籍をもっていれば)病院で受診拒否されるということはもはやありませんし、家族から追い出される、ということもほとんどないそうです。現在の北タイでHIV陽性者が家族から追い出されたなら、それは「HIVが原因でなく、元々その人間に何らかの問題がある場合がほとんど・・・」と、ある関係者は話していました。
感染者数も減っています。先に述べたように、成人の感染者が増加するとエイズ孤児が増加するのは必然なわけですが、感染者の減少と共にエイズ孤児も大きく減少しています。実際、北タイのあるエイズ孤児の施設は、入居するエイズ孤児が定員よりも少なくなり、エイズ以外の障害を持つ子供を入居させているそうです。また、成人を対象とした職業訓練を目的としたある施設では、「自分はHIVに感染していないけれどもエイズを発症した家族を支えるために職業訓練を受けに来ている」という人もいるそうです。
貧困が減少している、というのは、私が空港からホテルまでの道のりでタクシーの窓から眺めた光景だけで実感できましたが、実際に関係者に話を聞いてみるとさらに驚かされました。なんと、現在の北タイでは、高校どころか、大学進学が珍しくなくなってきている、というのです。90年代には義務教育である中学にも貧困から進学できなかった子供たちが大勢いた、のにです。大学進学率というのは所得水準に相関しますから、このことから北タイの一般人の所得が大きく増加していることが分かります。
山岳民族や移民の問題は依然として存在するようですが、それでもHIV陽性者は増加はしていないそうです。しかし、タイ国籍を有していないために医療機関を受診できず、誰かが支援しなければ死を待つしかない、という人も依然存在しています。ある関係者は、この問題はこれからも続くだろう、と話していました。
最新の北タイのエイズ事情をまとめてみると、①感染者が減り(正確なデータは入手できませんでしたが関係者の話から確実だと思われます)、②差別やスティグマが大きく減少し、③全体の貧困度が減少したため今後の新規感染も減少していくことが予想される、④しかし依然として誰かが支援しなければ生きていけない感染者やエイズ孤児が存在することを忘れてはいけない、⑤さらに山岳民族や移民者のHIV問題は依然残存する、となると思います。
気になるのは、①と②が北タイに限局したことなのか、タイ全域でも同様なのか、ということです。それを調べるために、私はタイ渡航中に北タイ以外の地域で関係者に話を聞き、施設を訪問しました。結論を言えば、残念ながら北タイを除くタイ全域では、以前とさほど変わっていないというのが現状のようです。例えば、ロッブリー県にあるタイ最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)では、入所したくてもできない感染者が依然大勢いて、私がこの施設でボランティアをしていた2004年とほとんど状況は変わっていないそうです。差別やスティグマについても、以前に比べればましにはなっているが依然感染者が社会的不利益を被っているのは間違いない、そうです。
北タイのエイズ事情が好転しているのはもちろん歓迎すべきことです。90年代前半にタイで最もエイズが深刻化したこの地域が、現在は最も"進んだ"地域となっているということは注目に値します。GINAでは今後、各地域に応じた支援を展開していきたと考えています。
第73回 ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その3)(2012年7月)
このコラムの2008年7月号では「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」、2010年7月号では「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」というタイトルで、2000年代前半にはいったんクリーンになりかけたタイで再び違法薬物が蔓延しているということを述べました。
それから2年がたちましたが、この勢いはさらに加速しています。2011年8月にはタクシン元首相の実の妹であるインラック首相が就任し、これでタクシン時代ほどではないにしても、ある程度厳しい取締りがおこなわれるのではないかという期待もありましたが、現実は、違法薬物はますます大量に流通するようになっています。
現在のタイの違法薬物には3つの問題があると私は考えています。
まずひとつめは、ミャンマー、ラオス、カンボジアというタイに隣接している3つの国から陸路で薬物を持ち込むことが簡単であることがあげられます。この3つの国の薬物事情はいずれも深刻で、事実上外貨獲得の大きな手段になっていることもあり、国の体制が変わらない限りは供給量が減ることはないでしょう。
現在、タイ政府は国境の検問所での検査の強化に努めているようで、少しずつ成果を挙げているようですが(だから逮捕者の報道も増えているわけです)、さらに厳しくする必要があるでしょう。カンボジアと国境を接するチャンタブリ県やサケオ県での検問所はかなりしっかりしてきたようですが、同じくカンボジアとの間に国境を有するトラート県ではまだまだ不十分とみられています。
しかしこの点については、人員を増やす、X線装置を充実させる、などの対策で比較的簡単に解決するかもしれません。
現在のタイの違法薬物に関する2つ目の問題点は、刑務所内での使用者が多いということです。
タイの地元紙の報道によりますと、2012年5月15日、ノンタブリ県(バンコク北部に隣接する県です)のバンクワン中央刑務所で受刑者1,000人に対する薬物検査を実施したところ、なんと、200人に陽性反応が出た、というのです。
これまでも刑務所内での薬物(主に覚醒剤)使用は何度も報道されています。隠し持った携帯電話で薬物取引が指示され、受刑者の知人が差し入れたものに隠されていたり、刑務所の敷地内に投げ込まれた動物の消化管内に入れられていたりしたこともあったそうです。
タイの刑務所では、なぜこのようなことが可能なのかといえば、おそらく看守のなかに不正行為を働く者がいるからでしょう。なかには看守自らが受刑者に薬物を売っているのではないかとの指摘もあります。我々日本人の感覚からすれば、「刑務所内でこのようなことがあるなんて信じられない」、となりますが、改めて考えてみると、日本の役人というのは(アジアでの比較ですが)他国と比べると極めて真面目で公正なのです。
ちなみに、この話をフィリピンの刑務所事情に詳しい知人に話すと、タイはまだましでフィリピンではこの比ではないそうです。まず警官が薬物で犯人を捕らえ、押収した薬物を刑務所内で受刑者に売るそうなのです。また、驚くべきことに、フィリピンの刑務所内では買春が当たり前のようにおこなわれているそうです。刑務所を"職場"としているセックスワーカーがいて、事実上売春行為が公認されているというのです。もちろんセックスワーカーたちはショバ代を警官に払わなければなりません。このような構図で、警官は刑務所内で小遣いを稼ぎ、受刑者は快適に(?)「お勤め」をし、セックスワーカーは商売ができている、というわけです。そして、受刑者たちは、違法薬物(針の使い回し)や買春が原因となり刑務所内でHIVに感染していくそうです。
話をタイに戻しましょう。現在のタイの違法薬物の3つめの問題は、風邪薬から覚醒剤への合成がかなり派手におこなわれている、ということです。複数の国立病院も巻き込み、政治家や役人も関与している可能性が指摘されています。実際、ピサヌローク県の基地に勤務するピヤナット陸軍少佐は、2012年1月にこの件で逮捕され、身柄がバンコクの麻薬制圧局に拘束されました。
(あまり詳しく書きたくありませんが)風邪薬(市販のものも含めて)に含まれているエフェドリンなどの咳止めの成分は覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と類似したもので、理系の大学院生くらいの知識があれば簡単に合成することができます。設備も特別なものは不要で、高校の理科室くらいの備品があれば十分に可能です。
病院に置いてある風邪薬を右から左に流すだけで大金が入るとなれば、病院の職員のなかには犯罪に手を染める者がでてきても不思議ではありません。実際、今年(2012年)はいくつもの国公立を含む病院で風邪薬が不足し、必要な患者さんに処方できなくなっています。報道によりますと、ここ数年間で少なくとも合計4,500万錠の風邪薬が紛失しているそうです。
さらに大規模な動きもあります。法務省の調査によりますと、2012年4月、韓国から8億5千万錠もの風邪薬がタイに輸入されていたことが判りました。この輸入をおこなったのが電子部品を扱う会社と自動車販売会社であることも判明しており、民間企業が覚醒剤の製造に関与していることが明らかとなりました。さらに法務省は、中国から100億錠もの風邪薬が輸入される契約があったことをつきとめて公表しています。
私はこれまで、覚醒剤が最も深刻な国は日本であり、タイはまだましな方、ということを何度も述べてきましたが、さすがにここまでくると、覚醒剤大国の汚名を日本からタイに譲り渡すべきかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか・・・。タイのことはタイの役人や政治家が考えるべきですが、日本の深刻な覚醒剤汚染も合わせて考えたときに、私の現在の見解としては、「大麻を合法化して、覚醒剤や、さらにハードなヘロイン、コカイン、LSDなどを徹底的に取り締まる」というものです。
これまで私は何度も述べていますが、日本で覚醒剤の敷居が低い理由のひとつは、大麻も覚醒剤も同じようなイメージが植えつけられているからです。そして、現在のタイも似たような状況になってきているように思われます。(もっとも、タイでは以前から「ヤーバー」と呼ばれる純度の低い覚醒剤が大量に出回っており、日本と同じように大麻と覚醒剤の差がそれほど認識されていなかったともいえます)
欧米人の場合は、このあたりの認識がしっかりできています。オランダが大麻合法なのは昔から有名ですが、スペインでも2001年からは合法となっています。現在日本では女優Sがスペインで大麻を使用していたことが『週刊文春』で報道され話題になっていますが、同誌の取材で女優Sと一緒に大麻を摂取していたスペイン人男性が堂々と写真を撮らせているのは、同国では何ら違法行為ではないからです。21世紀を迎えてから南米でも大麻合法化を認める傾向にありますし、アメリカを含むいくつかの国では医療用大麻は(実際には医療用に用いなくても)簡単に入手できます。しかし、大麻フリークの欧米人(もちろん全員ではありませんが)は、覚醒剤を含むハードドラッグの危険性を知っています。なかには「アルコールやタバコは有害だからやらない」と言って大麻を楽しんでいる人たちもいます。
人間はなぜ違法薬物に手を出すのか・・・。その理由のひとつは「つらくてしんどい現実から一時だけでも開放されたいから」ではないでしょうか。であるならば、大麻をその危険性(例えば大麻摂取後の運転は絶対にNGです)を理解した上で楽しみ、明日からまたがんばるようにしてみるというのはどうでしょうか。
しかし、現在は日本では(タイでも)大麻は非合法ですし、合法化されている国や地域に行ったときも外国人は非合法である場合もあります。私は法律を犯してまで大麻を試すことに賛成しているわけではありません。日本でもタイでもここまで違法薬物が深刻化しているなかで、大麻合法化に関する発言をみんながおこなっていくことが重要ではないかと思うのです。もちろん大麻合法化に反対する人もいるでしょう。反対派と賛成派で意見を交わし大勢の人に是非を検討してもらうことが必要な時期にきているのではないかと思うのです(注1)
注1:参考までにUNODC(国際連合薬物犯罪事務所)が、世界の違法薬物に関する調査をまとめた「World Drug Report 2012」を発行しています。興味のある方は下記URLを参照ください。
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2012.html
参考:
GINAと共に
第25回(2008年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」
(医)太融寺町谷口医院 マンスリーレポート(2012年6月) 「酒とハーブと覚醒剤」
それから2年がたちましたが、この勢いはさらに加速しています。2011年8月にはタクシン元首相の実の妹であるインラック首相が就任し、これでタクシン時代ほどではないにしても、ある程度厳しい取締りがおこなわれるのではないかという期待もありましたが、現実は、違法薬物はますます大量に流通するようになっています。
現在のタイの違法薬物には3つの問題があると私は考えています。
まずひとつめは、ミャンマー、ラオス、カンボジアというタイに隣接している3つの国から陸路で薬物を持ち込むことが簡単であることがあげられます。この3つの国の薬物事情はいずれも深刻で、事実上外貨獲得の大きな手段になっていることもあり、国の体制が変わらない限りは供給量が減ることはないでしょう。
現在、タイ政府は国境の検問所での検査の強化に努めているようで、少しずつ成果を挙げているようですが(だから逮捕者の報道も増えているわけです)、さらに厳しくする必要があるでしょう。カンボジアと国境を接するチャンタブリ県やサケオ県での検問所はかなりしっかりしてきたようですが、同じくカンボジアとの間に国境を有するトラート県ではまだまだ不十分とみられています。
しかしこの点については、人員を増やす、X線装置を充実させる、などの対策で比較的簡単に解決するかもしれません。
現在のタイの違法薬物に関する2つ目の問題点は、刑務所内での使用者が多いということです。
タイの地元紙の報道によりますと、2012年5月15日、ノンタブリ県(バンコク北部に隣接する県です)のバンクワン中央刑務所で受刑者1,000人に対する薬物検査を実施したところ、なんと、200人に陽性反応が出た、というのです。
これまでも刑務所内での薬物(主に覚醒剤)使用は何度も報道されています。隠し持った携帯電話で薬物取引が指示され、受刑者の知人が差し入れたものに隠されていたり、刑務所の敷地内に投げ込まれた動物の消化管内に入れられていたりしたこともあったそうです。
タイの刑務所では、なぜこのようなことが可能なのかといえば、おそらく看守のなかに不正行為を働く者がいるからでしょう。なかには看守自らが受刑者に薬物を売っているのではないかとの指摘もあります。我々日本人の感覚からすれば、「刑務所内でこのようなことがあるなんて信じられない」、となりますが、改めて考えてみると、日本の役人というのは(アジアでの比較ですが)他国と比べると極めて真面目で公正なのです。
ちなみに、この話をフィリピンの刑務所事情に詳しい知人に話すと、タイはまだましでフィリピンではこの比ではないそうです。まず警官が薬物で犯人を捕らえ、押収した薬物を刑務所内で受刑者に売るそうなのです。また、驚くべきことに、フィリピンの刑務所内では買春が当たり前のようにおこなわれているそうです。刑務所を"職場"としているセックスワーカーがいて、事実上売春行為が公認されているというのです。もちろんセックスワーカーたちはショバ代を警官に払わなければなりません。このような構図で、警官は刑務所内で小遣いを稼ぎ、受刑者は快適に(?)「お勤め」をし、セックスワーカーは商売ができている、というわけです。そして、受刑者たちは、違法薬物(針の使い回し)や買春が原因となり刑務所内でHIVに感染していくそうです。
話をタイに戻しましょう。現在のタイの違法薬物の3つめの問題は、風邪薬から覚醒剤への合成がかなり派手におこなわれている、ということです。複数の国立病院も巻き込み、政治家や役人も関与している可能性が指摘されています。実際、ピサヌローク県の基地に勤務するピヤナット陸軍少佐は、2012年1月にこの件で逮捕され、身柄がバンコクの麻薬制圧局に拘束されました。
(あまり詳しく書きたくありませんが)風邪薬(市販のものも含めて)に含まれているエフェドリンなどの咳止めの成分は覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と類似したもので、理系の大学院生くらいの知識があれば簡単に合成することができます。設備も特別なものは不要で、高校の理科室くらいの備品があれば十分に可能です。
病院に置いてある風邪薬を右から左に流すだけで大金が入るとなれば、病院の職員のなかには犯罪に手を染める者がでてきても不思議ではありません。実際、今年(2012年)はいくつもの国公立を含む病院で風邪薬が不足し、必要な患者さんに処方できなくなっています。報道によりますと、ここ数年間で少なくとも合計4,500万錠の風邪薬が紛失しているそうです。
さらに大規模な動きもあります。法務省の調査によりますと、2012年4月、韓国から8億5千万錠もの風邪薬がタイに輸入されていたことが判りました。この輸入をおこなったのが電子部品を扱う会社と自動車販売会社であることも判明しており、民間企業が覚醒剤の製造に関与していることが明らかとなりました。さらに法務省は、中国から100億錠もの風邪薬が輸入される契約があったことをつきとめて公表しています。
私はこれまで、覚醒剤が最も深刻な国は日本であり、タイはまだましな方、ということを何度も述べてきましたが、さすがにここまでくると、覚醒剤大国の汚名を日本からタイに譲り渡すべきかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか・・・。タイのことはタイの役人や政治家が考えるべきですが、日本の深刻な覚醒剤汚染も合わせて考えたときに、私の現在の見解としては、「大麻を合法化して、覚醒剤や、さらにハードなヘロイン、コカイン、LSDなどを徹底的に取り締まる」というものです。
これまで私は何度も述べていますが、日本で覚醒剤の敷居が低い理由のひとつは、大麻も覚醒剤も同じようなイメージが植えつけられているからです。そして、現在のタイも似たような状況になってきているように思われます。(もっとも、タイでは以前から「ヤーバー」と呼ばれる純度の低い覚醒剤が大量に出回っており、日本と同じように大麻と覚醒剤の差がそれほど認識されていなかったともいえます)
欧米人の場合は、このあたりの認識がしっかりできています。オランダが大麻合法なのは昔から有名ですが、スペインでも2001年からは合法となっています。現在日本では女優Sがスペインで大麻を使用していたことが『週刊文春』で報道され話題になっていますが、同誌の取材で女優Sと一緒に大麻を摂取していたスペイン人男性が堂々と写真を撮らせているのは、同国では何ら違法行為ではないからです。21世紀を迎えてから南米でも大麻合法化を認める傾向にありますし、アメリカを含むいくつかの国では医療用大麻は(実際には医療用に用いなくても)簡単に入手できます。しかし、大麻フリークの欧米人(もちろん全員ではありませんが)は、覚醒剤を含むハードドラッグの危険性を知っています。なかには「アルコールやタバコは有害だからやらない」と言って大麻を楽しんでいる人たちもいます。
人間はなぜ違法薬物に手を出すのか・・・。その理由のひとつは「つらくてしんどい現実から一時だけでも開放されたいから」ではないでしょうか。であるならば、大麻をその危険性(例えば大麻摂取後の運転は絶対にNGです)を理解した上で楽しみ、明日からまたがんばるようにしてみるというのはどうでしょうか。
しかし、現在は日本では(タイでも)大麻は非合法ですし、合法化されている国や地域に行ったときも外国人は非合法である場合もあります。私は法律を犯してまで大麻を試すことに賛成しているわけではありません。日本でもタイでもここまで違法薬物が深刻化しているなかで、大麻合法化に関する発言をみんながおこなっていくことが重要ではないかと思うのです。もちろん大麻合法化に反対する人もいるでしょう。反対派と賛成派で意見を交わし大勢の人に是非を検討してもらうことが必要な時期にきているのではないかと思うのです(注1)
注1:参考までにUNODC(国際連合薬物犯罪事務所)が、世界の違法薬物に関する調査をまとめた「World Drug Report 2012」を発行しています。興味のある方は下記URLを参照ください。
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2012.html
参考:
GINAと共に
第25回(2008年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」
(医)太融寺町谷口医院 マンスリーレポート(2012年6月) 「酒とハーブと覚醒剤」