GINAと共に

第97回(2014年7月) これからの「大麻」の話をしよう

 このコラムの2008年7月号のタイトルは「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」、2年後の2010年7月号は同じタイトルの「その2」、その2年後の2012年7月号は同じタイトルの「その3」でした。ちょうど2年ごとにタイの薬物汚染のことを取り上げているのは、特にそれを狙って書いたわけではなく、たまたま違法薬物の事件などがマスコミで取り上げられたからです。そしてさらに2年後となる今回も取り上げるのはドラッグについてです。

 今回はタイの事情ではなく日本のことを述べたいと思います。しかしその前にタイの事情を確認しておきましょう。その後のタイの薬物事情はほとんど改善しておらず、最近ではよほどの大きな事件でもない限りマスコミは取り上げることすらしていません。軍事クーデターによりインラック政権が崩壊しましたから、今後ますますタイで違法薬物を入手するのは簡単になることが予想されます。

 以前何度か述べましたが、インラックの実兄のタクシン元首相は、北部や東北部の貧困層にバラマキ政策を実施したことなどで高い人気をほこる一方で、特にバンコクの富裕層や中間層あたりからはよく思われておらず、また軍との関係もよくなかったことから軍によるクーデターにより失脚しました。妹のインラック首相も、タクシン氏と同じように軍のクーデターにより退陣させられたわけです。

 なぜ、インラック政権が崩壊すると違法薬物が流通しやすくなるのかといえば、タクシン政権時代に、かなり強固な薬物対策が実施されたからです。一時はタイは薬物に対してかなりクリーンな国になり、それまでドラッグ目的でタイに渡航していた外国人は一斉にタイを去りました。ただし、この政策はかなり強引であり、一説によりますと無実で射殺された人が数千人になるとも言われています。インラック元首相は、タクシン首相時代ほどは強引な薬物対策はおこないませんでしたが、タクシン時代の強引なやり方を知っているジャンキーたちはそれなりに警戒していたようです。

 軍によるクーデターが起こり、現在タイの政権は安定していません。欧米諸国は、民主化とは正反対の軍によるクーデターに反対の意向を示していますが、この国のクーデターというのは"普通"ではなく、例えばお隣のミャンマーの軍事クーデターとはわけが違います。実際、タイ在住の日本人や最近タイに渡航した日本人に聞いてみても、ごく一部の地域を除けば普段どおりのんびりとした空気が流れているだけ、という答えが返ってきます。

 タイのクーデターの話をしだすときりがないので、そろそろ本題に入りたいと思います。

 今回の本題は日本です。『週刊文春』の取材がきっかけで、日本の大物デュオのA氏が覚醒剤取締法違反で逮捕され、これは全国紙にも大きく報じられました。日本は諸外国に比べ、覚醒剤に対する敷居が極めて低いということはこのサイトで何度かお伝えした通りです。例えば、日本では「ヒロポン」という名前で覚醒剤が薬局で販売されていた時代があり誰もが簡単に購入できましたし、終戦間近の神風特攻隊では出撃に出る前に覚醒剤を使用していたと言われています。『サザエさん』の初期にはタラちゃんが覚醒剤を飲んでしまうシーンがあります。近所の家に預けられたタラちゃんは、その家に置いてあった覚醒剤を飲んで元気になり、タラちゃんを迎えにきたサザエさんは、「はじめてですワ。(タラちゃんが)こんなにはしゃいだこと! ありがとうございました」とお礼を言い、帰り道ではタラちゃんに「ほんとによかったネ」と言っているのです。

 日本では覚醒剤は今も簡単に入手できますから、日本の元覚醒剤中毒者の中には「日本に帰ると手を出してしまいそうで怖いから・・・」という理由で帰国を躊躇しているような人すらいます。

 有名人が覚醒剤を使用というのは大きなニュースになりますから、マスコミは積極的に取材をおこないます。『週刊文春』は独自の取材でA氏を逮捕にまで追い込んだわけですが、同誌は2012年には女優S(.E)氏がスペインで大麻を吸入していたことを報じました。また、2009年に女優S(.N)氏が覚醒剤取締法違反で逮捕されたときも積極的に報じていました。同誌は現在も元プロ野球選手のK氏に覚醒剤使用疑惑があることを報道しています。最近では東北地方のある大学医学部のW教授が、なんと外国人のホステスと一緒に覚醒剤を使用していたと報道しています。

 『週刊文春』のこの取材力は素晴らしいと思いますが、私にはどうしても見過ごせない点があります。それは、どの薬物も同じように報じているということです。先に述べた例でいえば、女優S(.E)氏が使用していたのは大麻であって覚醒剤ではありません。このあたりを同じように報道すると大きな誤解が生まれることになります。

 大麻は21世紀になってから多くの国で合法化されてきています。女優S(.E)氏が使用していたのはスペインであり、スペインでは大麻はすでに個人使用は合法です。ヨーロッパではスペインだけでなく、個人使用であればイギリスやポルトガルなどでも合法です。オランダでは前世紀から合法であったのは有名な話です。(ただし所持している量によっては何らかの罪に問われる可能性もあります)

 中南米でも大麻を合法化する国が増えてきていますし、アメリカ(合衆国)でもワシントン州とコロラド州ではすでに合法化されています。もっとも、アメリカでは以前からカリフォルニアなどいくつかの州では「医療用大麻」は合法であり、医療機関を受診して、例えば「眠れないから大麻を処方してください」と言えば、ごく簡単に大麻が入手できていましたが。

 コロラド州周辺の州では合法化されていませんから、大麻目的でコロラドを訪れる人が増加し、一種の"観光"になっているそうです。日本人を含む外国人も大麻目的で同州を訪問するようになり、一気に外国人が増えたという話も聞きます。ただし、コロラドでは屋外では禁煙であり、またホテルの部屋も禁煙であることが多く、吸う場所に困るそうです。そこで、ホテルによっては「大麻吸入ルーム」を設けているとか。

 大麻は(異論もありますが)アルコールやタバコよりも依存性が少なく有害性も少ないと言われています。私のある知人(外国人)は、「覚醒剤はもちろん、アルコールやタバコは身体に悪いからやらないけど、大麻は安全だしリラックスさせてくれるからときどき楽しんでいる」と話しています。

 誤解を避けるためにここで述べておきますが、私は大麻解禁推進派というわけではありません。大麻を使用すると数時間あるいは翌日まで平和的な気分になり(これはいいのですが)、身体が言うことをきかなくなることもあります。元気になり寝なくても平気な覚醒剤とは正反対というわけです。私の個人的な意見をいえば、大麻を日本人が日常的に使用すると、勤勉さが失われ生産性が低下するのではないかと思うのです。それでもいいではないか、という意見もあるでしょうが、外国人が日本人の誠実さや勤勉さをほめてくれたことを思い出す度に、やはり私個人としては、それが日本人のいいところだ、と思わずにはいられないのです。

 大麻を日本で合法化するとなると運転の問題もあります。大麻はアルコールと同様(あるいはそれ以上に)運転するのは危険です。アルコールなら検問で呼気アルコール濃度を簡単に測定することができますが、大麻はそういうわけにはいきません。尿検査では調べられますが、検問の場で尿を採取するのは現実的ではないでしょう。大麻合法化を推進する意見は日本でもでてくるべきだと思うのですが、検討しなければならない事案はたくさんあるというわけです。

 私は大麻解禁主義者ではありませんが、大麻と覚醒剤、あるいはそれ以外の違法薬物の危険性はまったく異なることをしっかりと国民全員が認識すべき、ということは強く主張したいと思います。日本で覚醒剤や脱法ドラッグがこれだけ簡単に蔓延する理由のひとつが、大麻との垣根がないに等しい、というものです。大麻は多くの国が合法化していることからも分かるように有害性は強くありません。一方、覚醒剤やほとんどの脱法ドラッグはいずれ身を滅ぼすことになります。ここをきちんと理解しておかないと、「日本では違法の大麻」から「日本でも違法の覚醒剤」へ一気に進むことになりかねないのです。

 そろそろ大麻解禁について日本でも議論を進める時期にきています。


GINAと共に
第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」 
第73回(2012年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その3)」
(医)太融寺町谷口医院 
マンスリーレポート2012年6月号「酒とハーブと覚醒剤」

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第96回 「行政がホモの指導の必要ない」という発言 2014年6月号

  「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」「この人たちは、啓発しても、好きでやっている話だから放っておいてくれ、という世界だ」

 2014年5月16日、兵庫県の県議会常任委員会で、井上英之議員(加古川市)がこのような発言をおこない、翌日の神戸新聞と朝日新聞が報道しています。

 この日の議会では、HIVの予防に向けての兵庫県の啓発活動についての議論がおこなわれていたそうです。その議論のなかで、井上議員がこのような発言をおこない、他の議員から批判の声が相次ぎ、マスコミが報道しました。

 朝日新聞によると、井上議員は「発言の撤回などは考えていない」そうです。

 さて、この報道を受けて複数の団体が抗議を表明し、井上議員に対して謝罪を要求しています。激しく抗議をおこなっている団体から、話し合いをして同性愛者に関する正確な知識を持ってもらうのにいい機会ではないか、と考える穏健な団体まであるようです。

 また公衆衛生に携わる医師や役人たちからは、「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループであり、行政がそのグループに対する予防啓発をおこなわなければ医療費が抑制できずに大変なことになるのにこの議員はそんなことも知らないのか」、という意見が出ています。

 たしかに、公衆衛生学的にはこの点は大変重要です。HIV感染が発覚すればいずれ抗HIV薬を服用しなければならなくなります。そして、HIV陽性者ひとりが生涯に必要とする医療費は1億~2億円と言われています。これだけの費用がかかるわけですから、財政的なことを考えれば、最善なのが「予防啓発」であるのは明らかなのです。井上議員はそんな常識的なことも理解せずに発言していることを自ら暴露したわけです。

 同性愛者に対する啓発をしなければ医療費が高騰し続けるという自明の事実を無視して、いったい井上議員はその財源をどうするつもりなのでしょうか。まさか、同性愛者には医療保険を使う資格がない、とでも考えているのでしょうか・・・。

 また時代錯誤の「ホモ」という言葉にもあきれます。今どき、議会という公の場でこのような言葉を使うこと自体がにわかには信じられません。無神経であり、勉強不足であるのは自明であり、どう考えてもこの議員がHIVに関する議論に参加する資格はありません。

 政治家に求められる資質、というのはいろいろとあるでしょう。強いリーダーシップは不可欠でしょうし、交渉力や決断力、また明晰な頭脳、強靱な体力や精神力も求められるでしょう。政治家は世論の意向を知り、期待に応える義務を背負っています。しかし、マイノリティの声に耳を傾けることも必要です。

 そもそも何かを決めるときには、相手がどのようなことを考えているかを理解しない限りは議論が前に進みません。自分の常識は他人の常識ではないのです。日本は(一応は)単一民族とされていますから、議員の先生方もあまり気にならないのかもしれませんが、他民族からなる国家であれば様々な意見や考えがありますから、それらを理解しないことには議論が成り立ちません。(もっとも、日本の人類学や民俗学などの世界では、日本も単一民族ではない、という考えが主流になっていますが)

 このサイトで何度も述べていますが、現在の日本の同性愛者は社会保障を充分に享受できていません。同性のパートナーは、入籍できないだけでなく手術や入院の保証人にさえなれないのです。遺産を相続することもできません。これは明らかな差別だと私には思えますが、井上議員はどのように考えているのでしょう。「ホモ」などという言葉を使うくらいですから、おそらく考えたこともないのでしょう。

 それに、果たして同性愛者が「マイノリティ」と言えるでしょうか。最近はLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)という言葉も随分と普及してきていますが、LGBTは実際には日本の人口のどれくらいに相当するのでしょう。いくつもの研究がありますが、日本ではだいたい4~5%程度が相当するのではないかとみられています。40人のクラスに2人くらいいる計算になります。クラスで2人は無視できるようなマイノリティと言えるでしょうか。

 ちなみにタイに行けば、集団によってはマイノリティが逆転しています。例えば、文化系の優秀な大学であれば男子生徒のほとんどがゲイです。私は以前、タマサート大学(日本でいえば京都大学のようなところ)の外国語学部の女子学生から、「あたしのクラスの男子生徒は9割がゲイで、残りの1割はすでに(男性から女性に)性転換をしているか、恋愛ができないようなブサイクな男」という話を聞いたことがあります。(ブサイクな男、などとよくそんなひどいことが言えるな、と感じますが、タイ人は日本人なら言わないような身体的な欠点をわりと平気で口にします)

 タイでは、優秀な、というか偏差値の高い大学になればなるほど文化系の学部の男子学生のゲイの割合が増えるという話はこの女子学生以外からも何度か聞いたことがあります。(ちなみにタイは日本では考えられないくらいの偏差値社会です) これが不思議なことに理科系になれば、なぜかゲイの学生は一気に減ります。しかしこれまた不思議なことに理系であっても医歯薬系はゲイが多いようです。

 以前も述べたことがありますが、私は以前ロンドンでとても洒落たカフェにたまたま入り、そこにいた男性がほぼ全員とてもハイセンスでかっこいいことに驚きました。そして、その後そこがゲイだけが集まるスポットであることに気付いたのです。こういう経験をしてみると、センスの悪い中年のオヤジ議員が議会で「ホモ」などと発言しているという話を聞くと、腹が立つというよりも哀れさを感じます。

 ゲイやレズビアンには、著名な学者、俳優、芸術家などが多いという話を以前しましたが、数年前から、私は同性愛者に対する差別問題のことを考えると、いつも頭の中で流れ出す音楽があります。それは、ジュディ・ガーランドの「Somewhere Over the Rainbow」(邦題は「虹の彼方に」)です。

 ジュディ・ガーランドといっても若い人は分からないかもしれませんが、『オズの魔法使い』という映画のタイトルは聞いたことがあるでしょう。ジュディ・ガーランドはこの映画の主役で「Somewhere Over the Rainbow」は主題歌です。この曲は大変有名で、旋律が大変美しく印象に残りますから、タイトルを知らなくても聞いたことがあるという人も多いはずです。実は、この曲は世界中の同性愛者のイベントなどでよく使われる定番なのですが、その理由はジュディ・ガーランド自身が同性愛者だからです。もしも可能なら、井上議員とこの曲を聴きながら、今回の問題発言について話をしてみたいものです。そしてこの曲の感想も聞いてみたいものです。

 井上議員に、というより同性愛に偏見のあるすべての人に、というよりは同性愛者に偏見のないすべての人にも観てほしい映画もあります。それは今年(2014年)の春に公開された『チョコレート・ドーナツ』です。実話に基づいたこの映画は観る人すべてを感動の渦に包みます。私はある学会に参加しているときに夕方少し早く抜け出してこれを観に行ったのですが、なんと「立ち見」でした。それほどの人気映画なのです。映画の後半には劇場の至るところから涙をすする音が聞こえてきました。ネタバレになるといけませんから詳しいストーリーはここでは述べませんが、これほど素晴らしい映画はめったにありません。まず実話に基づいたストーリーが完璧で、キャスティングが素晴らしい。ついでに言うと音楽も映像もパーフェクトです。

 もしも可能なら、次回の兵庫県議会は開始時間を2時間早めて、会議場でこの映画を上映し議員全員に観てもらいたいものです。その後、井上議員に、同性愛者についての意見を尋ねてみたいものです。

参考:GINAと共に
第3回(2006年9月)「美しき同性愛」
第93回(2014年3月)「同性愛者という理由で終身刑」
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」
第71回(2012年5月)「オバマの同性婚支持とオランドのPACS」
第60回(2011年6月)「同性愛者の社会保障」

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第95回 HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院 2014年5月号

 2014年5月8日、高知新聞は、県内の歯科医院がHIV陽性者の診療を拒否したという事件を報道しました。同じ日には朝日新聞もこの事件を取り上げていますから、この事件は高知県内のみならず全国的に知れ渡ることになりました。

 まずはこの事件を高知新聞の報道から簡単にまとめてみましょう。

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 件のHIV陽性者(年齢・性別は不明)は数年前にHIV感染が判り、現在高知大学医学部附属病院に通院中。抗HIV薬が奏功し、現在は「感染前と同じように働いている」そうです。

 2013年のある日、HIV感染が判る前からかかっていた歯科医院を受診し、HIV陽性であることを伝えました。その歯科医師とは<長い付き合い>だったそうです。〈ごまかして治療を受けることは自分の責任として納得がいかない〉〈(歯科医師が)驚くとは思うが、どんな病気かは理解しているだろう〉。そう信じたそうです。

 ところが返ってきたのは、なんと「外に知れる可能性がある」という言葉・・・。

 高知新聞はこのときの患者さんの思いを次のように報道しています。

〈私の方向性も至らなかったのかもしれませんが、その場での露骨な話し方に正直、パニックになりました。自尊心をえぐられた気がしました。なぜ、別の部屋で話を聞いたり、高知大病院に問い合わせるなどしてくれなかったのか...〉

 高知新聞はこの事件を受けて、高知大学医学部附属病院のHIVを診療する医師にも取材をしています。取材に応じた医師のコメントは、〈県内での診療拒否は「把握している限り初めて」。「あってはならないこと」〉だったそうです。

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 この事件は、診療を拒否したことももちろん問題ですが、私が気になったのは「外に知れる可能性がある」というこの言葉です。この言葉が本当にこの歯科医師から発せられたのだとすると、相当いい加減な歯科医院ということになります。

 HIV陽性の患者さんがその歯科医院で治療を受けていることが判る、つまり「外に知れる」原因は次の3つしかありません。

①強盗が入りカルテが奪われて患者情報が流出する
②スタッフの誰かがこの歯科医院にHIV陽性者がいることを外部に吹聴する
③この患者さん自らがHIV感染をカムアウトし、かかりつけの歯科医院を公表する

 このなかで①はまあ考えにくいでしょう。③についてはどうでしょうか。私の知る限りHIV感染を堂々とカムアウトしてさらに歯科医院まで公表する人は聞いたことがありません。東京や大阪などの都心部ならまだしも、高知県で感染をカムアウトするとは到底考えられません。というわけで「外に知れる」のは②ということになります。つまり、この歯科医師はクリニックの職員が守秘義務を守らないおそれがあると考えている、ということになります。

 とすると、こんな歯科医院は信用できません。外に知られたくないのは、HIVだけではありません。他の感染症だってそうですし、例えば若くして総入れ歯の女性なども知られたくないと思っているでしょう。一般に、医療機関で受診者が話すことや疾患の内容などについては他人に知られたくないものが多いのです。守秘義務というのは何を差し置いても優先されなければなりません。この歯科医師は、自分のクリニックではその自信がないということを露呈しているようなものです。(ただし、守秘義務を徹底的に遵守する、ということは一般の方が想像するよりも大変なものです。興味のある方は下記コラムを参照ください)

 次に、この歯科医院はなぜ「(HIV陽性者が受診していることを)外に知れる」と困るのでしょうか。その理由は、きちんと感染予防対策をおこなっていないから、ではないかと私には思えます。

 HIVの院内感染は、きちんとした感染予防対策をおこなっていれば完全に防ぐことができます。HIVに限らず、どのような感染症の患者さんが受診してもきちんとした対策をしていれば何も問題はないわけです。推測の域を出ませんが、この歯科医院は感染予防対策をおざなりにしているのではないでしょうか。医療機関で働く者には患者情報に関する守秘義務はありますが、勤務先の不備についての守秘義務はありません。また、この歯科医院に出入りする業者(製薬会社や医療機器関連のメーカーや卸業者)にも歯科医院の不備に対する守秘義務はありません。

 つまり、この歯科医院のスタッフや出入りする業者が、この歯科医院が感染予防対策をいい加減にしていることを外部に漏らし、なおかつスタッフによりHIV陽性者が受診していることが外に知れたら大変なことになる、このようなことを懸念してこの歯科医師はHIV陽性者の診察を拒否したのではないかと私には思えるのです。

 感染予防対策をしていない歯科医院なんてあるの?と感じる人もいるでしょう。私は医学部入学前に歯科医療器具を取り扱う商社で働いていたのですが、ときどき歯科医院を訪問する機会がありました。滅菌器具を見せてもらいスタッフと話をすると、5分もあればきちんと感染予防対策ができているかどうかが判ります。そして、残念なことに当時は感染予防をいい加減にしていた歯科医院があったのです。しかし、これは90年代前半の話ですから、今はどこもきちんとしているだろう・・・。私はそのように漠然と考えていました。

 ところが、最近読売新聞(2014年5月19日オンライン版)に驚くべき記事が掲載されました。記事を抜粋してみます。
 
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歯削る機器 7割使い回し...院内感染懸念

歯を削る医療機器を滅菌せず使い回している歯科医療機関が約7割に上る可能性のあることが国立感染症研究所などの研究班の調査でわかった。(中略)調査は、特定の県の歯科医療機関3,152施設に対して実施した。2014年1月までに891施設(28%)から回答を得た。
(中略)
滅菌した機器に交換しているか聞いたところ、「患者ごとに必ず交換」との回答は34%だった。一方、「交換していない」は17%、「時々交換」は14%、「感染症にかかっている患者の場合は交換」は35%で、計66%で適切に交換しておらず、指針を逸脱していた。
(中略)
別の県でも同じ調査を2007~2013年に4回行い、使い回しは平均71%だった。
(中略)
感染症に詳しい浜松医療センターの矢野邦夫副院長は「簡単な消毒では、機器を介して患者に感染する恐れのあるウイルスもある。十分な院内感染対策を取ってほしい」と話している。
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 大変衝撃的な記事ですが、私が最も驚かされたのが「感染症にかかっている患者の場合は交換」と答えた歯科医院が35%にも昇るということです。HIVは世間で正しく認識されておらず偏見の目で見られることがあるために、感染の事実を隠して歯科医院を受診する人が多いですし、そもそも検査を受けておらず感染していることに気付いていない人が大勢います。先日公表された2013年の新規エイズ発症者(いきなりエイズ、つまりエイズを発症して初めてHIV感染が判る人)の人数が過去最高を記録しています。感染していることに気付いていない人が大勢いることを示しているわけです。

 どうも歯科医院の多くは、脳天気というかおめでたいというか、自分たちが診療している患者さんのなかには本人も気付いていないHIV陽性者がいる、という単純なことに気付いていないようです。あるいは、HIVの院内感染など起こしてもかまわない、と考えているのでしょうか。

 さて、HIV陽性者を拒否する歯科医院があるということ、日本の7割の歯科医院が感染予防をきちんとしていないこと、この2つを考えたときに、あなた自身やあなたの家族が、HIVに感染しているかどうかに関わりなく、どのような歯科医院を受診すればいいのでしょうか。

 答えは簡単です。HIV陽性者を拒否しない歯科医院を受診すればいいのです。つまり、HIVを拒否する歯科医院などはこちらから願い下げて、HIV陽性者もきちんと診療してくれる歯科医院を受診すればいいのです。HIV陽性者を拒否しないところであればきちんと感染予防対策をしていますし、スタッフは守秘義務を守っています。つまり、正確な医学の知識を持ち、HIVのみならず、HIVよりも強い感染力を持つ感染症に対しても適切な対策をおこなっており、あなたが話したことのすべてに対して守秘義務を遵守してくれるのです。

 実際、私自身が患者として通院している歯科医院は、感染予防対策をきちんとおこなっており、もちろんHIV陽性の患者さんも丁寧に診療されています。


参考
(医)太融寺町谷口医院マンスリーレポート2012年8月号「簡単でない守秘義務の遵守」
GINAと共に
第82回(2013年4月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(前編)」
第83回(2013年5月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(後編)」

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第94回 『ダラス・バイヤーズクラブ』と抗HIV薬の歴史 2014年4月号

  世界中の医療者に「過去四半世紀でもっとも進歩した薬は?」と尋ねれば、最も多い答えが「抗HIV薬」となるでしょう。薬剤の過去25年間の経緯をみてみると、スタチンを初めとする生活習慣病のすぐれた薬剤の普及があり、すぐれた抗ガン剤が使われるようになり、最近では分子標的薬と呼ばれる画期的なガン治療薬も注目をあびています。認知症の薬が登場しましたし、骨粗鬆症の治療も随分おこないやすくなりました。以前は打つ手がなかったリウマチなどの自己免疫疾患に対しても生物学的製剤が普及したことで患者さんのQOLが大きく改善したのは間違いありません。

 しかし、すべての疾患を見渡したとき、過去四半世紀の薬の歴史のなかで抗HIV薬の発展ほどめざましいものは他に見当たりません。

 80年代前半に急増したHIVは当初治療薬がまったくなく「死に至る病」でした。当初は男性同性愛者と薬物常用者(注射針の使い回し)に限定されていましたが、その後母子感染や男女間の性交渉でも感染するケースが急増し、一時は「エイズが世界を滅ぼす」とまで言われていました。これは何も悲観的な観測ではなく、冷静に分析したとしても、このまま治療薬が現れず予防措置が取られなければ数十年後には世界の人口が半減することも充分に考えられたのです。

 そんななか、当初は抗ガン剤として開発されていたAZT(アジドチミジン、別名をZDV、またはジドブジンとも呼びます)に抗HIV作用があることが発見され(ちなみにこれを発見したのは元熊本大学医学部教授(現在国立国際医療研究センター臨床研究センター長)の満屋裕明氏です)、1987年に世界初の抗HIV薬として米国で処方がおこなわれるようになりました。日本は新薬の承認が世界に遅れがちですがAZTに関しては米国と同様1987年に処方が開始されています。

 世界初の抗HIV薬ということで当時はマスコミもこぞってこのAZTという薬を取り上げていました。これでエイズの恐怖から解放されるかという期待が大きかったのですが、発売からそれほど時間がたっていない頃から、すべての人に効くわけではないこと、副作用で続けられない人がいること、最初は効いていてもそのうちに耐性ができて効かなくなることも多いこと、などが取り上げられるようになっていきました。

 しかし、HIVの治療に成功すれば、世界の何十億という人の命を救うことができますし、巨額の富を手にすることもできるわけです。世界中の製薬会社が色めきたってAZTに続く抗HIV薬の開発に力を入れることになります。そしてその結果、様々な有効な抗HIV薬が登場し、それらを組み合わせることで耐性をおこりにくくすることにも成功し、その後のさらなる発展で、1日1回1錠のみでコントロールできる薬まで登場したのです。

 と、ここまでが私が最近まで認識していた抗HIV薬の歴史なのですが、実情はこれほど単純な話でもないようです。製薬会社が使命と金銭的魅力から開発に積極的になった、というそれだけの話ではなく、開発や普及には患者側の強い社会活動及び社会運動があった、ということを私は最近ある映画を観て初めて知りました。

 その映画とは『ダラス・バイヤーズクラブ』です。これはHIV陽性のある男性患者が抗HIV薬を密輸し密売する話なのですが実話に基づいているそうです。あらすじを簡単に紹介しておくと次のようになります。(ただし映画の話を詳しく書きすぎると「ネタバレ」とレッテルを貼られ一部の人から非難されるようですので、おおまかな流れだけを紹介しておきます。それでも「先に映画を観たい」という人は次のパラグラフはとばしてください)

 マシュー・マコノヒー演じる主人公のロン・ウッドルーフは実在した人物。1985年ダラス、仕事中の事故で救急搬送されそこでHIV陽性であることが判明します。「余命30日」と宣告され最初はそれに反発しますがやがて感染したことを受け入れます。当時有効な薬はありませんでしたがAZTという新薬が治験中であることを知り不正な方法で入手します。しかしそれができなくなったために国境を越えてメキシコの医師を訪ねます。そこですぐれた抗HIV薬があることを知りますが米国では承認されていないことから密輸を試みます。そして自分が助かるだけでなく他人も助けるために(というより金儲けのために)「ダラス・バイヤーズクラブ」(以下DBC)という会員制のクラブをつくり会費を払った患者に薬を支給します。これが大盛況で連日DBCには行列ができます。薬の種類を広げるためにロンは世界各国に薬の買い付けに出かけ密輸を重ねていきます。映画では日本も登場します。ロンに大金を積まれた日本の悪徳医師は不正にインターフェロンを横流しします。(インターフェロンがHIVに効くわけではないのですが当時は有効である可能性が指摘されていたのです) DBCは有名になり多くの患者さんに喜ばれていましたが違法行為であることには変わりありません。そこで司法が介入することになります・・・。

 と、あらすじはこんな感じです。この映画の前半では抗HIV薬のことよりも、当時のHIVの社会状況の描かれ方が興味深いと思います。冒頭のシーンで、主人公のロンが、新聞に載っていたあるゲイの有名人がエイズで死亡したニュースについて差別的なコメントをします。当時のアメリカ(というよりは世界中)ではエイズとは「ゲイの病」だったのです。そして少なくとも当時はゲイとは「差別される対象」だったのです。ロンはストレートであり、かつゲイフォビア(ゲイを差別する人)です。

 ロンは感染の事実を周囲の男友達に伝えるのですが、「お前はゲイだったのか」となじられ、男友達から嫌がらせを受けるようになります。80年代のこの当時、ゲイは社会的に相当生きにくい世の中であったことが分かります。(ちなみに2014年4月現在、アメリカでは18の州と地域(ワシントンD.C.)で同性婚が認められていますが、ダラスのあるテキサス州では今も認められていません)

 ロンは電気技師であり、HIVの宣告を受けてすぐに図書館で医学論文を検索していることからも知的レベルは低くないことが分かります。ドラッグには耽溺していますが針の使い回しはしていません。(映画ではアルコールとタバコに加え、コカインを吸入するシーンが登場します。ちなみにマシュー・マコノヒー自身はマリファナ所持で逮捕歴があります) 注射針の痕がある女性(セックスワーカー)とセックスをしている回想シーンがでてきますから、おそらくロンはその女性から感染したのでしょう。

 映画ではAZTの製薬会社や治験をおこなっている病院が「悪」のように描かれていますが、余命30日と宣告されたロンがメキシコに渡航するまでの数ヶ月生き延びたのはAZTのおかげです。一方で、ロンがメキシコから密輸したddCやペプチドTが「副作用のないすぐれた薬」であるかのように扱われていますから、ここは制作の仕方に偏りがあると言わざるを得ません。ロンが税関で薬について尋問を受けるシーンでは、あるときは神父になりすまし、あるときは医師の演技をするわけですが、密輸がこんなに簡単にできてしまうということが信じられません。またロンの主治医の女医がロンから影響を受け、個人的に食事を共にしたりDBCのチラシを病院に置いたりして病院を解雇されるのですが、医師がこのような行為にでるとは到底思えません。この映画は「実話に基づいて」とされていますが、どこまで実話に近いのか疑問が残ります。
 
 とはいえ、私はこの映画を批判したいわけではありません。ロンのつくった密売組織DBCは違法ではあるものの、こういった組織の社会的な影響があったからこそ、アメリカでは海外の抗HIV薬の輸入販売が促進されたのは事実でしょうし、患者が薬剤を使う権利が注目されるようになったのも間違いないでしょう。そして、このようなアメリカの動きが世界中のHIV陽性者に希望を与えることにつながったのです。ということは、元ゲイフォビアでドラッグジャンキーのロン・ウッドルーフというひとりの無法者が、世界中のHIV陽性者に間接的に希望を与えたともいえるわけです。つまり、道徳観念がまるでない自らの欲望にしか興味のない男が、ある意味では抗HIV薬の歴史に登場すべき人物、と言えなくもないのです。

『ダラス・バイヤーズクラブ』は単館系の映画館での上映であり、ハリウッド映画のように、観た者全員が感動に包まれる、というようなタイプの映画ではありません。主人公のロンには共感できる部分も多いものの、最後まで反道徳的な側面を残していますし、その反道徳的な一面はマフィア映画ややくざ映画で描かれる仁義や任侠とは質の異なるものです。

 それでも一見の価値ある映画だと私は感じました。

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第93回(2014年3月) 同性愛者という理由で終身刑

 2014年2月24日、ウガンダのムセベニ大統領は、「同性愛者に最高で終身刑を科して国民に同性愛者の告発を義務づける」という法案に署名しました。これによりこの国では同性愛者というだけで罪を着せられ、また周囲にカムアウトすることができなくなり(カムアウトすればされた方は告発しなければ罰せられます)、自分のセクシャリティを生涯隠し通さなければならないことになります。(もっとも、ウガンダの法律は以前から同性愛者の最高刑は終身刑でした。今回改めてムセベニ大統領が署名した、というだけのことだと思われます)

 この話だけを聞くと、ウガンダとは時代に逆行したとんでもない国だと感じる人もいるかもしれませんが、実はこのようなことはウガンダに限ったことではなく、アフリカや中東の多くの国では同性愛は罪であり、なかにはスーダンやナイジェリアのように死刑になる国すらあります。

 同性愛のことはこのサイトで何度も取り上げていますが、同性愛というだけで罪を背負わされる合理的な理由は一切ありません。同性愛者が異性愛者を敵対視しているわけではありませんし、テロ活動をしているわけでもありません。暴力的でもなければ反社会的な行動をとるわけでもありません。同性愛者が社会から忌避される理由などまったくないのです。ウガンダのムセベニ大統領だけでなく、同性愛に反対する人は、なぜ同性愛者が罪を問われなければならないのかを合理的に説明する義務があるはずです。

 個人的な感想を言えば、私はアフリカの多くの国で同性愛者が差別されているということに虚しさを覚えます。なぜならアフリカ人というのは、過去数百年にわたり奴隷として迫害されていた歴史があるからです。奴隷貿易の歴史を振り返ることをここではしませんが、アメリカの南北戦争が終結する1865年までの間、世界中のいくつかの地域で黒人は人とはみなされずに奴隷というモノとして扱われてきたわけです。

 今でこそ、世界の警察を気取り(最近はそのパワーを失っていますが)、平等という価値観を強引なまでに押しつけてくるアメリカですが、実は奴隷制度を世界で最後まで維持していたのがこのアメリカ合衆国という国です。偉大な業績を残したアメリカの大統領としてリンカーンはおそらく今もトップ3には入ると思いますが、これは南北戦争を勝利に導いたことがその最たる理由でしょう。南北戦争というのは簡単に言えば、奴隷制に反対するリンカーン率いる米国北部と、奴隷制度の維持を訴える南部との戦いですが、あきらかに無茶苦茶な理屈を正当化しようとしている南部がおかしいのは自明です。しかし実際は、リンカーン率いる北部が戦争の前半には劣勢だったそうです。つまり、アメリカ全体でみれば奴隷制度を維持しようとする世論の方が強かったということです。

 同性愛から少し話がそれますが、言われなき差別としての人種差別についてもう少し話を広げたいと思います。私は医学部入学前に関西学院大学で社会学を学んでいたのですが、そのときに「差別」ということにも興味を持ち少し勉強したことがあります。差別には、部落差別、外国人差別(在日問題など)、人種差別、病気による差別、女性差別、同性愛差別などいくつもありますが、1980年代後半当時は人種差別が社会的にもクローズアップされていました。ネルソン・マンデラ氏が27年間の獄中生活を終え釈放されたのが1990年で、この年にたしか来日もされたはずです。

 80年代後半当時、文化的にも黒人によるものが注目されていました。音楽では従来のソウルやファンクといったジャンルに加え、R&B、ブラックコンテンポラリーと呼ばれる新しいタイプの黒人による音楽がヒットチャートの上位を占めるようになり、特にダンスミュージックでは黒人音楽が完全に席巻していました。スポーツではカール・ルイスやジョイナーが陸上界での話題を独占するようになり、マジック・ジョンソンをはじめバスケットボールの一流プレイヤーも黒人の割合が増えていました。(ちなみに私がこの頃よく読んでいたのは山田詠美さんの小説です)

 1988年には『ミシシッピー・バーニング』というアカデミー賞を受賞した映画が公開されました。これは1964年に米国ミシシッピ州で実際に起きた公民権運動家3人が殺害された事件を取り上げたものです。この映画ではストーリーそのものもさることながら黒人差別の実態が衝撃的に描かれています。私の第一印象は「これは本当に20世紀後半の話なのか。南北戦争以前の時代と何ら変わってないのではないのか・・・」というものです。水飲み場やトイレが白人と黒人で分けられており、黒人出入り禁止の店が公然と存在しているのです。私はこの映画で初めてKKK(クー・クラックス・クラン)(注1)の存在を知りましたが、その映像に恐怖を覚えました。

 ちなみに『風と共に去りぬ』という日本人も大好きなアメリカ映画がありますが、私はこの映画を最近になって初めて見ました。そして驚きました。私の第一印象は「これは黒人差別を正当化する映画ではないのか」というものです。設定が南北戦争時代で主人公のスカーレット・オハラがその南部の人間ですからしょうがないと言えばそうかもしれませんが、現代の価値観からすれば目を疑うような場面が少なくなく、些細な理由で腹を立てたスカーレットがメイドの黒人女子のプリシーを平手打ちするシーンなどは思わず目を背けてしまいました。しかも、スカーレットをとりまく白人男性のほとんどがKKKのメンバーだそうです。随分と古い映画ですから歴史的な価値があるとみなされているのでしょうが、このような映画がもしも今つくられれば世界中どこの映画館でも上映禁止になるでしょう。

 そろそろ話を戻しましょう。ネルソン・マンデラ氏の全世界を感動させた勇気ある行動などのおかげで人種差別は世界的に大きく解消されてきました。これによりアフリカに「人権」という概念が普及してきているはずです。しかし、にもかかわらず同性愛者に対する差別は、中東と並んでアフリカ諸国で最も多く見受けられるのです。もしもマンデラ氏がまだ生きていたら、この事態に対してどのように思われるでしょう。ちなみに、マンデラ氏の南アフリカ共和国には同性愛者を罪にする法律はなかったはずです。

 さて、2014年2月24日に同性愛者を終身刑にするという法律に大統領が署名したウガンダに対して、欧米諸国は一応は抗議する姿勢をみせています。しかしその勢いは、クリミア半島を自国に編入したロシア(注2)に対する姿勢ほど強くはありません。

 また話がそれてしまいますが、欧米諸国のこのロシアに対する抗議はおかしくないでしょうか。そもそもクリミア半島住民の6割はロシア系ですし、ロシア系でない住民も、ウクライナ国民でいるよりも、ロシアに編入されれば給料や年金が増えるわけですからロシア編入に賛成してもおかしくありません。国が分割されたり編入されたりというのは冷戦後の歴史を振り返っても何も珍しいことではなく、それはヨーロッパ諸国でもいくらでもあります。クリミア半島の住民たちが自らロシアへの編入を希望していてそれをロシアが承認するといっているわけですから、これを経済制裁だのなんだのといって対抗する欧米諸国は筋違いではないでしょうか。そしてこれは日本も同様です。私の知る限り、この欧米諸国に追随している日本の外交スタンスに対して批判的なコメントを発しているマスコミもありません。

 地域住民が望んでいることをしようとしている国(ロシア)と、同性愛者というだけで終身刑を科そうとしている国(ウガンダ)の二国を比べて、経済制裁なども含めて外交的に抗議しなければならない国はどちらでしょうか。

 このような問題は外交に任せていても解決しません。今となっては必ずしも成功したとは言えないかもしれませんが、ジャスミン革命をやり遂げたチュニジアや、ムバラク大統領を辞任に追い込んだエジプト革命では、若い学生らがフェイスブックを武器に立ち上がったのです。

 同性愛差別についても政治家ではなく民衆が立ち上がり法案を変えることはできないのでしょうか。しかし、皮肉なことに、その民主革命をやり遂げたチュニジアにもエジプトにもたしか同性愛者が罪になるという法律が今もあったはずです・・・。


注1:KKK(クー・クラックス・クラン)はアメリカの秘密結社で白人至上主義団体。白装束で頭部全体を覆う独特の格好が有名。最近の映画『大統領の執事の涙』では、KKKが黒人の活動家が乗っているバスを襲撃し殺害するシーンが描かれている。

注2:2014年3月16日、ウクライナ内のクリミア自治共和国はロシアに編入されるかを決める住民投票を実施しロシアへの編入が賛成多数となった。3月18日、ロシアのプーチン大統領はクリミアのアクショーノフ首相と編入に関する条約に調印した。



参考:GINAと共に
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」
第71回(2012年5月)「オバマの同性婚支持とオランドのPACS」
第60回(2011年6月)「同性愛者の社会保障」
第3回(2006年9月)「美しき同性愛」

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