GINAと共に
第105回 ポリティカル・コレクトネスのつまらなさ 2015年3月号
2015年2月11日の産経新聞に掲載された曽野綾子さんのコラムが大変な物議をかもし国際問題にまで発展しました。
黒人を差別するのか!という怒りの声がネット上にあふれていますが、私はこのような意見を目にする度に辟易します。こういった"正論"を振りかざす人たちに一言いってやりたいのですが、まずはなぜこのような問題にまで発展したのか経過を振り返ってみたいと思います。
曽野さんのコラムは、日本の高齢者の介護のために外国人を受け入れる必要がある、というところから始まっています。現在、フィリピンやインドネシアから日本で介護の仕事をするために来日して研修を受けている人はいますが、語学の問題もあり資格を取得するのがむつかしいのが現状です。曽野さんはそういったバリアを取り除かなければならない、と主張されています。
一方後半では、仕事は外国人と一緒にすべきだが外国人と一緒に住むのは困難であることを自身の体験から話されています。この部分が問題になっているので、少し長くなりますが省略せずに紹介したいと思います。
************
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
************
これが後に国際問題にまで発展し、『Japan Times』や『New York Times』は黒人の居住地をわけろというのはアパルトヘイトではないかと問題提起をしました。その後、日本の(左寄りの)マスコミはこれに便乗し「黒人差別」と言いだしました。すると、やはり左寄りのネットユーザーたちが騒ぎ出し曽野さんを糾弾しはじめたのです。
ここまで騒ぎが大きくなれば、南アフリカ共和国の大使館は放っておくわけにはいきません。曽野さんが大使館を訪問し説明することになったそうです。一部で誤解されているようですが、これは曽野さんが謝罪に行くことを強要されたわけではなく、大使の方から曽野さんに会いに伺いたいという申し入れがあったそうです。
曽野さんはその申し入れを「それはいけません。大使閣下はそのお国を代表していらっしゃるのですから、私が参上するのが礼儀です」と言って自身から大使館を訪問されています(注1)。
南ア大使と曽野さんが話をするとすぐに誤解は解けたようです。これは私の推測ですが、南アの大使は、曽野さんがどのような人物であり、これまでどれほど南アを含むアフリカ諸国に貢献されてきたのかを知っていたに違いありません。ですから大使は初めから曽野さんに苦情を言うつもりなど一切なかったはずです。ただ、国内外のマスコミが騒ぎ出し収拾が付かなくなったために、話をしておく方がいいと考えた、あるいはこの機会を利用してこれまで南アにも貢献されている曽野さんにお礼が言いたかったのではないでしょうか。
曽野さんは、南アの大使との話し合いについて下記のように述べています(注2)。
*************
大使は実に見事な女性で、私と友情を築いてくださった。私は遠慮して、もしお望みなら「南アのことは以後書かないようにいたします」とも申し上げたのだが、南アのことは今後も書いて欲しい、とお手紙までくださった。
*************
曽野さんのアフリカでの活躍はここで述べるときりがありませんので省略しますが、南アのエイズホスピスにも多大なる貢献をされています。このホスピスに霊安室を建てられたのも曽野さんの功績です。
エイズ関連の活動をしているグループからも、マスコミの報道に便乗し曽野さんをバッシングする意見が出ており、私は大変残念に思いました。彼(女)らは曽野さんの南アのエイズに対する貢献を知っているのでしょうか。
若い学生の団体が、曽野さんのコラムを読んで「黒人差別だ!」と感じるのは自由ですし、意見を言えばいいと思います。しかし、反対意見を述べるなら、将来是非とも外国人との共存を体験すべきです。
という私自身も黒人と居住地を共にしたことはありません。しかし、同じような体験をタイでしたことがあり、私が曽野さんのコラムを読んだときにそのときのことを思い出しました。
あれはたしか2004年。私が定期的にタイのエイズ施設を訪問していた頃のことです。バンコクで仲良くなったタイ人の夫婦がいて、親戚が田舎から来てパーティをするから参加しないか、と誘われたのです。タイ人は男性でも女性でも少し仲良くなるとすぐに、親を紹介したい、親戚と一緒にご飯を食べよう、泊まりに来い、などと言ってきます。このような国民性に私はとても好感をもっていて、この夫婦に誘われたときも二つ返事で「伺います」と答えました。
その夫婦の住む地域は、スラム街とまではいいませんが、明らかに貧困層が住むエリアで、バンコク人ではなく東北地方(イサーン地方)から出稼ぎに来た人たちが大勢住んでいるところです。
お世辞にもきれいとはいえないアパートの2階にその夫婦の部屋はありました。階段で2階にあがって驚いたのが「やかましさ」です。このようなアパートでクーラーをもっている世帯はまずありませんから、暑さをしのぐためにどの部屋も扉を開けています。どこの部屋からも大声や笑い声が聞こえてきます。日本ではこのような光景はちょっと想像できません。
夫婦の部屋を訪れて驚いたのは人の多さです。6畳ほどのワンルームに、下は1歳くらいの赤ちゃんから上は70代くらいの高齢者まで合計10人が騒いでいるのです。私が顔を見せると「よく来た、よく来た」と言って歓迎してくれるのは嬉しいのですが、座る場所もありません。それに、たしかに床は丁寧に拭いてあるのですが、毛布や枕などはきれいには見えません。
「ご飯食べたか?(ギンカーオ・ルヤン・カー?)」と聞かれて「まだです(ヤンマイギン・クラップ)」と答えると、「食べろ食べろ」と言って食事を出してくれるのですが、アリの卵、いろんな昆虫が混ざった素揚げ、腐敗臭にしか感じられないソムタム(パパイヤサラダ)など、イサーン料理のオンパレードです。
「ソムタム」と言えばタイ料理を代表するパパイヤサラダですが、これは主にバンコク人の食べるもので正確には「ソムタム・タイ」と言います。一方、イサーン人の食べる「ソムタム・プララ」や「ソムタム・プー」というのは発酵させた魚やサワガニが入っていて、日本人からすれば発酵ではなく腐敗臭にしか感じられません。しかし、この体験も含めて何度かイサーン人と行動を共にしたおかげで、私は今ではほとんどのイサーン料理が食べられるようになりました。
話を戻しましょう。苦労したのは食事だけではありません。この部屋には台所というものがありません。水道はトイレの便器の横にひとつあるだけです。ではどうやって調理をするのかというとその便器の横の水道で水をくむのです。タイでは水道水は飲めませんからペットボトルの水を使いますが、食器を洗うのも、トイレをした後にお尻を洗うのも、その後手を洗うのも、入浴(「水浴び」といった方が正確ですが)もすべてその1つの水道でおこなわなければなりません。この部屋には私をいれて11人がいるのです。11人全員がトイレでお尻を洗うのも手を洗うのも、身体や頭を洗うのもすべてその1本の水道で済まさねばならず、食器の洗浄も、もちろん衣服の洗濯も、その1つの水道だけが頼りなのです。
「遠慮するな、泊まっていけ」と皆が言いますが、この部屋で私はどうやって眠ればいいのでしょう。しかし、外国人の私はスペシャルゲストのようで一番いい毛布を渡してくれました・・・。
この家族は比較的早く全員が寝ましたが、アパートの住民のなかには朝まで騒いでいた者も大勢いたようで、いい睡眠がとれたとはとても言えませんでした・・・。
翌朝私は何度も礼を言い、その部屋を出るときには「またいつでも泊まりに来てね」と言われました。私はその後もその夫婦にバンコクで何度か会っていて、今もときどき連絡をとりますが、あの部屋にもう一度行こうとは思いません・・・。
黒人と一緒に住むことはできないだと! それは黒人差別じゃないか! そんな発言はけしからん! ・・・! たしかにこういう意見は間違ってはいないでしょう。政治的には"正しい"からです。「ポリティカル・コレクトネス」というやつです。
いくら正しくても、私はポリティカル・コレクトネスにはうんざりします・・・。
注1注2:『新潮45』2015年4月号に掲載されている曽野綾子さんのコラム「人間関係愚痴話」(第47回)に詳しく書かれています。
黒人を差別するのか!という怒りの声がネット上にあふれていますが、私はこのような意見を目にする度に辟易します。こういった"正論"を振りかざす人たちに一言いってやりたいのですが、まずはなぜこのような問題にまで発展したのか経過を振り返ってみたいと思います。
曽野さんのコラムは、日本の高齢者の介護のために外国人を受け入れる必要がある、というところから始まっています。現在、フィリピンやインドネシアから日本で介護の仕事をするために来日して研修を受けている人はいますが、語学の問題もあり資格を取得するのがむつかしいのが現状です。曽野さんはそういったバリアを取り除かなければならない、と主張されています。
一方後半では、仕事は外国人と一緒にすべきだが外国人と一緒に住むのは困難であることを自身の体験から話されています。この部分が問題になっているので、少し長くなりますが省略せずに紹介したいと思います。
************
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
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これが後に国際問題にまで発展し、『Japan Times』や『New York Times』は黒人の居住地をわけろというのはアパルトヘイトではないかと問題提起をしました。その後、日本の(左寄りの)マスコミはこれに便乗し「黒人差別」と言いだしました。すると、やはり左寄りのネットユーザーたちが騒ぎ出し曽野さんを糾弾しはじめたのです。
ここまで騒ぎが大きくなれば、南アフリカ共和国の大使館は放っておくわけにはいきません。曽野さんが大使館を訪問し説明することになったそうです。一部で誤解されているようですが、これは曽野さんが謝罪に行くことを強要されたわけではなく、大使の方から曽野さんに会いに伺いたいという申し入れがあったそうです。
曽野さんはその申し入れを「それはいけません。大使閣下はそのお国を代表していらっしゃるのですから、私が参上するのが礼儀です」と言って自身から大使館を訪問されています(注1)。
南ア大使と曽野さんが話をするとすぐに誤解は解けたようです。これは私の推測ですが、南アの大使は、曽野さんがどのような人物であり、これまでどれほど南アを含むアフリカ諸国に貢献されてきたのかを知っていたに違いありません。ですから大使は初めから曽野さんに苦情を言うつもりなど一切なかったはずです。ただ、国内外のマスコミが騒ぎ出し収拾が付かなくなったために、話をしておく方がいいと考えた、あるいはこの機会を利用してこれまで南アにも貢献されている曽野さんにお礼が言いたかったのではないでしょうか。
曽野さんは、南アの大使との話し合いについて下記のように述べています(注2)。
*************
大使は実に見事な女性で、私と友情を築いてくださった。私は遠慮して、もしお望みなら「南アのことは以後書かないようにいたします」とも申し上げたのだが、南アのことは今後も書いて欲しい、とお手紙までくださった。
*************
曽野さんのアフリカでの活躍はここで述べるときりがありませんので省略しますが、南アのエイズホスピスにも多大なる貢献をされています。このホスピスに霊安室を建てられたのも曽野さんの功績です。
エイズ関連の活動をしているグループからも、マスコミの報道に便乗し曽野さんをバッシングする意見が出ており、私は大変残念に思いました。彼(女)らは曽野さんの南アのエイズに対する貢献を知っているのでしょうか。
若い学生の団体が、曽野さんのコラムを読んで「黒人差別だ!」と感じるのは自由ですし、意見を言えばいいと思います。しかし、反対意見を述べるなら、将来是非とも外国人との共存を体験すべきです。
という私自身も黒人と居住地を共にしたことはありません。しかし、同じような体験をタイでしたことがあり、私が曽野さんのコラムを読んだときにそのときのことを思い出しました。
あれはたしか2004年。私が定期的にタイのエイズ施設を訪問していた頃のことです。バンコクで仲良くなったタイ人の夫婦がいて、親戚が田舎から来てパーティをするから参加しないか、と誘われたのです。タイ人は男性でも女性でも少し仲良くなるとすぐに、親を紹介したい、親戚と一緒にご飯を食べよう、泊まりに来い、などと言ってきます。このような国民性に私はとても好感をもっていて、この夫婦に誘われたときも二つ返事で「伺います」と答えました。
その夫婦の住む地域は、スラム街とまではいいませんが、明らかに貧困層が住むエリアで、バンコク人ではなく東北地方(イサーン地方)から出稼ぎに来た人たちが大勢住んでいるところです。
お世辞にもきれいとはいえないアパートの2階にその夫婦の部屋はありました。階段で2階にあがって驚いたのが「やかましさ」です。このようなアパートでクーラーをもっている世帯はまずありませんから、暑さをしのぐためにどの部屋も扉を開けています。どこの部屋からも大声や笑い声が聞こえてきます。日本ではこのような光景はちょっと想像できません。
夫婦の部屋を訪れて驚いたのは人の多さです。6畳ほどのワンルームに、下は1歳くらいの赤ちゃんから上は70代くらいの高齢者まで合計10人が騒いでいるのです。私が顔を見せると「よく来た、よく来た」と言って歓迎してくれるのは嬉しいのですが、座る場所もありません。それに、たしかに床は丁寧に拭いてあるのですが、毛布や枕などはきれいには見えません。
「ご飯食べたか?(ギンカーオ・ルヤン・カー?)」と聞かれて「まだです(ヤンマイギン・クラップ)」と答えると、「食べろ食べろ」と言って食事を出してくれるのですが、アリの卵、いろんな昆虫が混ざった素揚げ、腐敗臭にしか感じられないソムタム(パパイヤサラダ)など、イサーン料理のオンパレードです。
「ソムタム」と言えばタイ料理を代表するパパイヤサラダですが、これは主にバンコク人の食べるもので正確には「ソムタム・タイ」と言います。一方、イサーン人の食べる「ソムタム・プララ」や「ソムタム・プー」というのは発酵させた魚やサワガニが入っていて、日本人からすれば発酵ではなく腐敗臭にしか感じられません。しかし、この体験も含めて何度かイサーン人と行動を共にしたおかげで、私は今ではほとんどのイサーン料理が食べられるようになりました。
話を戻しましょう。苦労したのは食事だけではありません。この部屋には台所というものがありません。水道はトイレの便器の横にひとつあるだけです。ではどうやって調理をするのかというとその便器の横の水道で水をくむのです。タイでは水道水は飲めませんからペットボトルの水を使いますが、食器を洗うのも、トイレをした後にお尻を洗うのも、その後手を洗うのも、入浴(「水浴び」といった方が正確ですが)もすべてその1つの水道でおこなわなければなりません。この部屋には私をいれて11人がいるのです。11人全員がトイレでお尻を洗うのも手を洗うのも、身体や頭を洗うのもすべてその1本の水道で済まさねばならず、食器の洗浄も、もちろん衣服の洗濯も、その1つの水道だけが頼りなのです。
「遠慮するな、泊まっていけ」と皆が言いますが、この部屋で私はどうやって眠ればいいのでしょう。しかし、外国人の私はスペシャルゲストのようで一番いい毛布を渡してくれました・・・。
この家族は比較的早く全員が寝ましたが、アパートの住民のなかには朝まで騒いでいた者も大勢いたようで、いい睡眠がとれたとはとても言えませんでした・・・。
翌朝私は何度も礼を言い、その部屋を出るときには「またいつでも泊まりに来てね」と言われました。私はその後もその夫婦にバンコクで何度か会っていて、今もときどき連絡をとりますが、あの部屋にもう一度行こうとは思いません・・・。
黒人と一緒に住むことはできないだと! それは黒人差別じゃないか! そんな発言はけしからん! ・・・! たしかにこういう意見は間違ってはいないでしょう。政治的には"正しい"からです。「ポリティカル・コレクトネス」というやつです。
いくら正しくても、私はポリティカル・コレクトネスにはうんざりします・・・。
注1注2:『新潮45』2015年4月号に掲載されている曽野綾子さんのコラム「人間関係愚痴話」(第47回)に詳しく書かれています。
第104回 それでも危険地域に行かねばならない理由 2015年2月号
2015年1月、「イスラム国」と呼ばれるテロ組織に捉えられた日本人二人が殺害され、専門家から一般のネットユーザまでが様々な意見を述べているようです。
二人の日本人のうち、先に拘束された湯川氏に対しては同情的な意見はあまり聞こえてきませんが、ジャーナリストの後藤健二氏が殺害されたときには、氏を悼む声が日本中から上がりました。
私自身は後藤氏とは面識がありませんが、報道を聞いて「悼みたい」という気持ちが出てきましたし、全国から氏の行動を讃える声が大勢寄せられているという報道を聞いて安心した気持ちになりました。
今回の事件、つまりテロ集団に日本人2名が捉えられたことが報道されたとき、私は2004年にイラクで拘束された日本人女性との対比がなされるに違いないと思っていました。その女性、ここからはT氏としましょう、そのT氏が日本全国から激しいバッシングにあったことは多くの人の記憶に残っているはずです。しかし、今回なぜかほとんどのマスコミはT氏のことを取り上げていません。
当時、T氏は政府からもマスコミからも一般人からも強烈なバッシングをあびました。退避勧告が出ていたにもかかわらず"勝手に"イラクにおしかけて"勝手に"捉えられて、税金を使って救出することなど許されない、という世論が大半だったのです。
このときに「自己責任」という言葉が何度も登場しました。私はこの点に異論があるのですが、このT氏の事件がややこしいのは、T氏の家族が記者会見で自衛隊派遣反対とか憲法9条を守るべきといった、T氏の拘束に何ら関係のないことを主張したことや、T氏自身が10代の男の子限定で支援をしていたことなどが(この真偽は分りません)報道されたからです。
しかし、これらの要因を切り離して改めて考え直してみても、「自己責任」という大義名分で凄まじいバッシングがあったのは事実です。T氏の話を元につくられた映画が2006年に公開された小林政広監督の『バッシング』です。映画ではT氏をモデルとした主人公の女性の父親が世間のバッシングに耐えきれずに自殺にまで追い込まれます。
「自己責任」と言えるかどうかの根拠を「退避勧告」が出ていたかどうかとする、という考えがあります。T氏の場合は退避勧告を無視してイラクに入ったわけですが、では、退避勧告が出ていなかったとしたら、あるいは退避勧告が出ていたことを知らなかったとしたら世間はどのような見方をするのでしょう。
これをテーマにしたのが水谷豊さん主演の2008年の映画『相棒・劇場版』です。ある日本人の青年が退避勧告を無視してボランティア活動のために危険地域に入りテロ集団に殺害され、それがきっかけで、後に複数の殺人事件が起こるというストーリーですが、実は退避勧告はそのときには出ていなかったことがラストシーンで判明します。この映画では、まさに「退避勧告の有無」がストーリーの鍵になっています。
けれども、退避勧告の有無というのは、そんなにも絶対的なものでしょうか。この映画は大変完成度が高く私は二度も観たくらいです。この映画が名作という感想に変わりはないのですが、しかし退避勧告をあたかも金科玉条のようにしている構成には少し違和感を覚えます。
私が言いたいのは、「退避勧告を無視して危険地域に入る日本人がいてもいいではないか」、ということです。後藤氏は政府から危険地域に入らないよう再三勧告を受けていたのにもかかわらず湯川氏を救済することを主目的として現地入りしたことが報道されました。
ということは、日本人の多くは、退避勧告を無視して危険地域に入った同国の国民を批判したいわけではない、ということになります。
しかし、です。世の中にはそう思わない人もいるようです。例えば、タレントのD夫人は自身のブログで、「(後藤氏の母親が)自分の息子が日本や、ヨルダン、関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていることを・・・」と表現し、「いっそ(後藤氏に)自決してほしいと言いたい。」と述べています。
D夫人は身体的にも金銭的にも立派に自立なさった方で国に迷惑をかけるようなことはされないのでしょうが、では、すべての日本国民は国に迷惑をかけてはいけないのでしょうか。かけてはいけないのだとしても、それは「大・大・大・大迷惑」と言われなければならないものなのでしょうか。もっと言えば、湯川氏というひとりの同胞を救いに行くことなど考えもせず、現地で困窮している難民のことを直接知ろうとしないD夫人に「大・大・大・大迷惑」などと言う資格はあるのでしょうか。
ある雑誌に一般の読者からの意見が載せられていました。その読者(40代男性)は「(前略)二人は自業自得なのではと思ってしまいます。(中略)この件で日本がテロの対象になるのかと思うと納得いきません」と述べています。
この意見を聞いて寂しい気分になるのは私だけでしょうか。報道によると、後藤氏は湯川氏の救出以外にも、現地で虐げられている女性や子どもを含む難民を報道したいと考えていたそうです。この40代男性がどのような生活をされているのかは分りませんし、様々な苦労を抱えて生きられているのだとは思いますが、日本に住み、雑誌に自分の意見を投稿するくらいですから、その日に帰ることのできる住居があり、その日に食べるものはあるに違いありません。
後藤氏のようなインディペンデントのジャーナリストという職業は世の中に必要であると私は考えています。日本の新聞はどこも同じような内容で本当に正しいことを報道しているのか疑いたくなることがありますし、日本人に直接関係ないことはほとんど伝えません。
しかし、現在中東ではイスラム国というテロ組織により(「イスラム国」と日本の新聞は命名していますが、これは「国」ではなく「テロ組織」です)、その日の住居も食べ物も確保できない難民が多数存在していると言われています。こういった人たちの状態を我々に知らせてくれるのが後藤氏のようなジャーナリストであり、一般のマスコミにはここまでの報道はできません。
私自身は難民について昔から詳しいわけではなく、GINAの関連でタイに渡航したときに、貧困から薬物の売買や売春をせざるを得ない人たちと出会うことになり(少数民族に多いですが、タイの東北部にもこのような人たちは少なくありません)、国籍を持たない人やミャンマーからタイに渡ってきた難民と知り合ったことで、ほんの少しだけ実情が理解できるようになりました。
その実情は、日本の新聞を読んでいるだけでは分らないことばかりです。一般の新聞記者などが入らない地域、つまり自身の安全が脅かされるかもしれない危険な地域の状態を伝えるジャーナリストも必要なのです。そして、そのような危険な状態で困窮にあえいでいる人たちの存在を知ることによって、平和な日本に住んでいる我々が何をすべきかを考えることができるわけです。
今、私が気がかりなのは、亡くなられた二人を悼む声が一時的なもので忘れ去られてしまうのではないかということと、政治家や知識人で二人の行動を支持するようなコメントを発している人が(私の知る限り)それほど多くないことです。
個人的に私は、元JICA理事長の緒方貞子氏が何らかのコメントを発してくれるのではないかと期待しているのですが、今のところ報道はされていません。ちなみに後藤氏の奥さんは元JICA職員で、緒方貞子氏の部下として働かれていたことがあったそうです。
最後に、緒方貞子氏が先に述べたイラク拘束事件の後に話されたコメントを紹介しておきます。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
参考:GINAと共に
第43回(2010年1月)「危険地域にボランティアに行くということ」
二人の日本人のうち、先に拘束された湯川氏に対しては同情的な意見はあまり聞こえてきませんが、ジャーナリストの後藤健二氏が殺害されたときには、氏を悼む声が日本中から上がりました。
私自身は後藤氏とは面識がありませんが、報道を聞いて「悼みたい」という気持ちが出てきましたし、全国から氏の行動を讃える声が大勢寄せられているという報道を聞いて安心した気持ちになりました。
今回の事件、つまりテロ集団に日本人2名が捉えられたことが報道されたとき、私は2004年にイラクで拘束された日本人女性との対比がなされるに違いないと思っていました。その女性、ここからはT氏としましょう、そのT氏が日本全国から激しいバッシングにあったことは多くの人の記憶に残っているはずです。しかし、今回なぜかほとんどのマスコミはT氏のことを取り上げていません。
当時、T氏は政府からもマスコミからも一般人からも強烈なバッシングをあびました。退避勧告が出ていたにもかかわらず"勝手に"イラクにおしかけて"勝手に"捉えられて、税金を使って救出することなど許されない、という世論が大半だったのです。
このときに「自己責任」という言葉が何度も登場しました。私はこの点に異論があるのですが、このT氏の事件がややこしいのは、T氏の家族が記者会見で自衛隊派遣反対とか憲法9条を守るべきといった、T氏の拘束に何ら関係のないことを主張したことや、T氏自身が10代の男の子限定で支援をしていたことなどが(この真偽は分りません)報道されたからです。
しかし、これらの要因を切り離して改めて考え直してみても、「自己責任」という大義名分で凄まじいバッシングがあったのは事実です。T氏の話を元につくられた映画が2006年に公開された小林政広監督の『バッシング』です。映画ではT氏をモデルとした主人公の女性の父親が世間のバッシングに耐えきれずに自殺にまで追い込まれます。
「自己責任」と言えるかどうかの根拠を「退避勧告」が出ていたかどうかとする、という考えがあります。T氏の場合は退避勧告を無視してイラクに入ったわけですが、では、退避勧告が出ていなかったとしたら、あるいは退避勧告が出ていたことを知らなかったとしたら世間はどのような見方をするのでしょう。
これをテーマにしたのが水谷豊さん主演の2008年の映画『相棒・劇場版』です。ある日本人の青年が退避勧告を無視してボランティア活動のために危険地域に入りテロ集団に殺害され、それがきっかけで、後に複数の殺人事件が起こるというストーリーですが、実は退避勧告はそのときには出ていなかったことがラストシーンで判明します。この映画では、まさに「退避勧告の有無」がストーリーの鍵になっています。
けれども、退避勧告の有無というのは、そんなにも絶対的なものでしょうか。この映画は大変完成度が高く私は二度も観たくらいです。この映画が名作という感想に変わりはないのですが、しかし退避勧告をあたかも金科玉条のようにしている構成には少し違和感を覚えます。
私が言いたいのは、「退避勧告を無視して危険地域に入る日本人がいてもいいではないか」、ということです。後藤氏は政府から危険地域に入らないよう再三勧告を受けていたのにもかかわらず湯川氏を救済することを主目的として現地入りしたことが報道されました。
ということは、日本人の多くは、退避勧告を無視して危険地域に入った同国の国民を批判したいわけではない、ということになります。
しかし、です。世の中にはそう思わない人もいるようです。例えば、タレントのD夫人は自身のブログで、「(後藤氏の母親が)自分の息子が日本や、ヨルダン、関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていることを・・・」と表現し、「いっそ(後藤氏に)自決してほしいと言いたい。」と述べています。
D夫人は身体的にも金銭的にも立派に自立なさった方で国に迷惑をかけるようなことはされないのでしょうが、では、すべての日本国民は国に迷惑をかけてはいけないのでしょうか。かけてはいけないのだとしても、それは「大・大・大・大迷惑」と言われなければならないものなのでしょうか。もっと言えば、湯川氏というひとりの同胞を救いに行くことなど考えもせず、現地で困窮している難民のことを直接知ろうとしないD夫人に「大・大・大・大迷惑」などと言う資格はあるのでしょうか。
ある雑誌に一般の読者からの意見が載せられていました。その読者(40代男性)は「(前略)二人は自業自得なのではと思ってしまいます。(中略)この件で日本がテロの対象になるのかと思うと納得いきません」と述べています。
この意見を聞いて寂しい気分になるのは私だけでしょうか。報道によると、後藤氏は湯川氏の救出以外にも、現地で虐げられている女性や子どもを含む難民を報道したいと考えていたそうです。この40代男性がどのような生活をされているのかは分りませんし、様々な苦労を抱えて生きられているのだとは思いますが、日本に住み、雑誌に自分の意見を投稿するくらいですから、その日に帰ることのできる住居があり、その日に食べるものはあるに違いありません。
後藤氏のようなインディペンデントのジャーナリストという職業は世の中に必要であると私は考えています。日本の新聞はどこも同じような内容で本当に正しいことを報道しているのか疑いたくなることがありますし、日本人に直接関係ないことはほとんど伝えません。
しかし、現在中東ではイスラム国というテロ組織により(「イスラム国」と日本の新聞は命名していますが、これは「国」ではなく「テロ組織」です)、その日の住居も食べ物も確保できない難民が多数存在していると言われています。こういった人たちの状態を我々に知らせてくれるのが後藤氏のようなジャーナリストであり、一般のマスコミにはここまでの報道はできません。
私自身は難民について昔から詳しいわけではなく、GINAの関連でタイに渡航したときに、貧困から薬物の売買や売春をせざるを得ない人たちと出会うことになり(少数民族に多いですが、タイの東北部にもこのような人たちは少なくありません)、国籍を持たない人やミャンマーからタイに渡ってきた難民と知り合ったことで、ほんの少しだけ実情が理解できるようになりました。
その実情は、日本の新聞を読んでいるだけでは分らないことばかりです。一般の新聞記者などが入らない地域、つまり自身の安全が脅かされるかもしれない危険な地域の状態を伝えるジャーナリストも必要なのです。そして、そのような危険な状態で困窮にあえいでいる人たちの存在を知ることによって、平和な日本に住んでいる我々が何をすべきかを考えることができるわけです。
今、私が気がかりなのは、亡くなられた二人を悼む声が一時的なもので忘れ去られてしまうのではないかということと、政治家や知識人で二人の行動を支持するようなコメントを発している人が(私の知る限り)それほど多くないことです。
個人的に私は、元JICA理事長の緒方貞子氏が何らかのコメントを発してくれるのではないかと期待しているのですが、今のところ報道はされていません。ちなみに後藤氏の奥さんは元JICA職員で、緒方貞子氏の部下として働かれていたことがあったそうです。
最後に、緒方貞子氏が先に述べたイラク拘束事件の後に話されたコメントを紹介しておきます。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
参考:GINAと共に
第43回(2010年1月)「危険地域にボランティアに行くということ」
第102回 2015年はLGBTが一気にメジャーに 2014年12月号
2014年を振り返ったとき、これほど同性愛者が差別や偏見から解放される出来事が相次いだ年もなかったのではないかと思えます。
もちろん今も同性愛者が異性愛者と同じような扱いを社会から受けているわけではありませんし、特に社会保障の面では不利益を被っています。しかし、世界的にみて同性愛者への偏見は勢いをましてなくなってきているように思えます。
2014年に同性愛者を差別から解放する決定的な出来事があったとまでは言えないかもしれません。しかし次に挙げることは小さくない出来事だと私は考えています。
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8月14日、米国の地方銀行のCEO(最高経営責任者)であるTrevor Burgess氏が自らがゲイであることをカムアウトしました。『New York Times』が写真入りで報道し、このニュースは世界中に流れました(注1)。
10月6日、米国連邦最高裁は、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持しました。アメリカでは同性婚の合法性について州ごとに異なり、これまでは同性婚を目的に移住する人も少なくなかったのですが、この連邦最高裁の判決で、アメリカでは事実上すべての州で同性婚が認められることになるはずです。
10月30日、アップル社のCEO(最高経営責任者)のティム・クック氏が自らがゲイであることを公表しました。アメリカの米主要500社のトップが同性愛者であることをカムアウトしたのは初めてです。先に紹介したTrevor Burgess氏も銀行のCEOで世界初のカムアウトでしたから世界中で話題になりましたが(なぜか日本ではそれほど報道されませんでしたが・・)、ティム・クック氏のカムアウトはそれ以上に世界に衝撃を与えています。ロイター社が報じた記事のタイトルは「I'm proud to be gay.(ゲイであることを誇りに思う)」です(注2)。
*******
IT関係に同性愛者が多いことは以前から指摘されていましたが、さすがにアップル社のCEOが自らゲイであることを公表したことには私も驚きました。一部には、これで保守的な層がiPhoneを手放すのではないかという噂もあるようですが、今のところそのような動きはないようです。同性愛に批判的な人や、もっと言えば法律で同性愛を禁じている国の人たちがiPhoneやiPADを使うとき、同性愛がなぜいけないのかを考えてもらいたいと思います。
これら3つの出来事以外にも、任天堂がアメリカで発売した「トモダチライフ」というゲームソフトに「同性婚の設定がない」との批判が殺到し謝罪に追い込まれた、というニュースも注目に値します。
ちなみに私が院長をつとめるクリニック(太融寺町谷口医院)では、2007年に開院したときから、問診票の性別記載欄には「男、女、( )」としていましたが、クリニックのウェブサイトのメール質問のページでは「男性」と「女性」の設定しかできませんでした。この任天堂のニュースを受けてなのかどうかは分かりませんが、改めてウェブサイト作成業者に聞いてみると「その他」の設定も加えられることになったようで、早速変更してもらいました。(ただし「性自認」というのは大変複雑であり、単に「その他」を設ければ解決するというものでもありません)
日本では『チョコレート・ドーナツ』という映画が大ヒットしたことも特筆すべきだと私は思います。同性愛者が主人公の映画でこれほど流行したものを私は思いつきません。この映画はいわゆる「単館系」で比較的小さな劇場でのみの公開でしたが、全国で延長、さらに再上映が相次いで記録的なヒットとなりました。
『チョコレート・ドーナツ』はすべての人に見てもらいたいためにここでストーリーを言及することは避けたいのですが、簡単に述べると、ゲイのカップルが育児を放棄している母親からダウン症の子どもを引き取るものの法律上その男の子を手放さなければならなくなり・・・、というものです。ストーリーのみならず、主役のゲイの男性(実生活でもゲイだそうです)とダウン症の男の子の演技が最高で、これほどの映画はめったにないと思います。
2014年にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)という言葉が大きく普及したような印象もあります。この言葉は昔からありましたが、GINAを設立した2006年には一般のマスコミのみならず、同性愛について触れているウェブサイトなどでも見かけることはほとんどありませんでした。それが今では、一般の雑誌や新聞にも載せられるようになっています。
LGBTという言葉は最近ビジネス誌でもよく見かけます。これは先に述べたアップル社のティム・クック氏らの影響もあるでしょうが、マーケットを考えたときにLGBTの存在を無視できない、というよりも、むしろLGBTのマーケットはかなり大きい、もっと言えば、LGBTは人数も少なくないだけでなくお金持ちが多い、という現実があるからだと私はみています。
2013年に発表されたアメリカの国勢調査によりますと、全米での同性婚世帯は25万以上でこれは2010年の13万の倍近くになります。もっとも、これは急増したのではなくカムアウトする人が増えたということだと思います。注目すべきは世帯の平均年収で、なんと約115,000ドル(約1,400万円)もあり、これは全米世帯平均の2倍以上になります。アメリカは高学歴者が高収入者となる国ですから、こういったデータは、米国の同性婚のカップルは高学歴で高収入であることを示しています。マーケティング担当者がLGBTを重要なマーケットと考えるのも当然だというわけです。
翻って日本ではどうかというと、今のところLGBTであることをカムアウトした上場企業のトップはいません。しかし、以前にも述べたように(注3)、日本にも例えば「大阪ガス」のようにLGBTの権利を認める企業が増えつつあります。
日本の行政はどうかというと、世界的には大きく遅れをとり同性婚が国会で議題に上がることさえほとんどありません。それどころか、以前にも述べたように(注4)、 2014年5月には兵庫県議会常任委員会で「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」と発言した県会議員もいるほどです。
このような言葉を聞くと絶望的な気持ちになりますが、日本の行政もすてたものではありません。県議会議員が「ホモの指導をする必要が・・・」と発言する兵庫県の隣の大阪に注目すべき自治体があります。
それは大阪市淀川区で、2013年9月になんと公的に「LGBT支援宣言」をおこなったのです(注5)。公的に宣言するだけでも画期的なことですが、活動内容が大変充実しています。専用のホームページが公開され(注6)、2014年7月からは週に2回の電話相談と月に2回のコミュニティスペースが開催されています。しかも、電話相談は17:00~22:00、コミュニティスペースは途中参加自由で平日は20:00まで、さらに日曜や祝日にも開催という、お役所仕事とは思えない柔軟性のある現実的な対応をされています。
ところで、実際にLGBTの人たちはどれくらい存在するのでしょうか。同性愛に関しては世界で多くの報告があり、だいたい人口の3~12%程度が同性愛者とされています。アメリカのキンゼイ報告によりますと「全体の37%は少なくとも1度以上の同性愛の経験があり、20~35歳の白人男性の11.6%は同性愛と異性愛の両方を経験している」そうです。キンゼイ報告はかなり有名で同性愛の話になるとよく引き合いに出されるのですが、統計の取り方に問題があるのでは、という指摘もあります。また、日本人からすると国民性の違いがあるのでは、と考えたくなります。
日本では、最近よく引き合いに出される調査に2012年の電通総研によるものがあります(注7)。この調査によりますとLGBTは5.2%(20~59歳の日本人男女約7万人が対象)となっています。
日本の人口の5.2%がLGBTであることが発表され、「LGBT支援宣言」をおこなう自治体が登場し、大阪ガスなどのようにLGBTの権利を認める宣言をおこなう企業が相次いできているこの状況を考えたとき、今後の展開はどのように推測すべきでしょうか。
2015年はLGBTをターゲットとしたマーケティング活動が広がり、行政はLGBTを支援する活動を繰り広げ、同性のパートナーシップ制度や同性婚についての議論が盛んになる。そしてLGBTという言葉が流行語となり、LGBTを差別する人間が逆に差別されるようになる・・・。少々楽観的ではありますが、これが私の2015年の予測です。
しかし一方では、世界ではいまだに同性愛者というだけで終身刑や死刑が課せられる国があること、差別や偏見でみられている人たちが大勢いること、公衆衛生学的にはLGBTがHIVのハイリスクグループと見なされていること、なども忘れてはいけません。
注1:「GINAと共に」第100回(2014年10月号)「ゲイを公表する社長(Openly Gay CEO)」を参照ください。
注2:この記事のタイトルは「Apple's Cook: 'I'm proud to be gay'」で、下記URLで閲覧することができます。
http://www.reuters.com/article/2014/10/31/us-apple-ceo-idUSKBN0IJ19P20141031
注3:注1の「GINAと共に」で紹介しています。
注4:「GINAと共に」第96回(2014年6月号)「行政がホモの指導の必要ない」を参照ください。
注5:大阪市淀川区の「LGBT支援宣言」は下記URLを参照ください。
http://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000232949.html
注6:大阪市淀川区のLGBT支援事業のホームページは下記URLを参照ください。ホームページのタイトルは「レインボー、はじめました」です。レインボー(虹)とLGBTの関係が知りたい方は注4の「GINAと共に」を参照ください。
http://niji-yodogawa.jimdo.com/
注7電通総研の調査は下記URLを参照ください。
http://dii.dentsu.jp/project/other/pdf/120701.pdf
もちろん今も同性愛者が異性愛者と同じような扱いを社会から受けているわけではありませんし、特に社会保障の面では不利益を被っています。しかし、世界的にみて同性愛者への偏見は勢いをましてなくなってきているように思えます。
2014年に同性愛者を差別から解放する決定的な出来事があったとまでは言えないかもしれません。しかし次に挙げることは小さくない出来事だと私は考えています。
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8月14日、米国の地方銀行のCEO(最高経営責任者)であるTrevor Burgess氏が自らがゲイであることをカムアウトしました。『New York Times』が写真入りで報道し、このニュースは世界中に流れました(注1)。
10月6日、米国連邦最高裁は、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持しました。アメリカでは同性婚の合法性について州ごとに異なり、これまでは同性婚を目的に移住する人も少なくなかったのですが、この連邦最高裁の判決で、アメリカでは事実上すべての州で同性婚が認められることになるはずです。
10月30日、アップル社のCEO(最高経営責任者)のティム・クック氏が自らがゲイであることを公表しました。アメリカの米主要500社のトップが同性愛者であることをカムアウトしたのは初めてです。先に紹介したTrevor Burgess氏も銀行のCEOで世界初のカムアウトでしたから世界中で話題になりましたが(なぜか日本ではそれほど報道されませんでしたが・・)、ティム・クック氏のカムアウトはそれ以上に世界に衝撃を与えています。ロイター社が報じた記事のタイトルは「I'm proud to be gay.(ゲイであることを誇りに思う)」です(注2)。
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IT関係に同性愛者が多いことは以前から指摘されていましたが、さすがにアップル社のCEOが自らゲイであることを公表したことには私も驚きました。一部には、これで保守的な層がiPhoneを手放すのではないかという噂もあるようですが、今のところそのような動きはないようです。同性愛に批判的な人や、もっと言えば法律で同性愛を禁じている国の人たちがiPhoneやiPADを使うとき、同性愛がなぜいけないのかを考えてもらいたいと思います。
これら3つの出来事以外にも、任天堂がアメリカで発売した「トモダチライフ」というゲームソフトに「同性婚の設定がない」との批判が殺到し謝罪に追い込まれた、というニュースも注目に値します。
ちなみに私が院長をつとめるクリニック(太融寺町谷口医院)では、2007年に開院したときから、問診票の性別記載欄には「男、女、( )」としていましたが、クリニックのウェブサイトのメール質問のページでは「男性」と「女性」の設定しかできませんでした。この任天堂のニュースを受けてなのかどうかは分かりませんが、改めてウェブサイト作成業者に聞いてみると「その他」の設定も加えられることになったようで、早速変更してもらいました。(ただし「性自認」というのは大変複雑であり、単に「その他」を設ければ解決するというものでもありません)
日本では『チョコレート・ドーナツ』という映画が大ヒットしたことも特筆すべきだと私は思います。同性愛者が主人公の映画でこれほど流行したものを私は思いつきません。この映画はいわゆる「単館系」で比較的小さな劇場でのみの公開でしたが、全国で延長、さらに再上映が相次いで記録的なヒットとなりました。
『チョコレート・ドーナツ』はすべての人に見てもらいたいためにここでストーリーを言及することは避けたいのですが、簡単に述べると、ゲイのカップルが育児を放棄している母親からダウン症の子どもを引き取るものの法律上その男の子を手放さなければならなくなり・・・、というものです。ストーリーのみならず、主役のゲイの男性(実生活でもゲイだそうです)とダウン症の男の子の演技が最高で、これほどの映画はめったにないと思います。
2014年にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)という言葉が大きく普及したような印象もあります。この言葉は昔からありましたが、GINAを設立した2006年には一般のマスコミのみならず、同性愛について触れているウェブサイトなどでも見かけることはほとんどありませんでした。それが今では、一般の雑誌や新聞にも載せられるようになっています。
LGBTという言葉は最近ビジネス誌でもよく見かけます。これは先に述べたアップル社のティム・クック氏らの影響もあるでしょうが、マーケットを考えたときにLGBTの存在を無視できない、というよりも、むしろLGBTのマーケットはかなり大きい、もっと言えば、LGBTは人数も少なくないだけでなくお金持ちが多い、という現実があるからだと私はみています。
2013年に発表されたアメリカの国勢調査によりますと、全米での同性婚世帯は25万以上でこれは2010年の13万の倍近くになります。もっとも、これは急増したのではなくカムアウトする人が増えたということだと思います。注目すべきは世帯の平均年収で、なんと約115,000ドル(約1,400万円)もあり、これは全米世帯平均の2倍以上になります。アメリカは高学歴者が高収入者となる国ですから、こういったデータは、米国の同性婚のカップルは高学歴で高収入であることを示しています。マーケティング担当者がLGBTを重要なマーケットと考えるのも当然だというわけです。
翻って日本ではどうかというと、今のところLGBTであることをカムアウトした上場企業のトップはいません。しかし、以前にも述べたように(注3)、日本にも例えば「大阪ガス」のようにLGBTの権利を認める企業が増えつつあります。
日本の行政はどうかというと、世界的には大きく遅れをとり同性婚が国会で議題に上がることさえほとんどありません。それどころか、以前にも述べたように(注4)、 2014年5月には兵庫県議会常任委員会で「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」と発言した県会議員もいるほどです。
このような言葉を聞くと絶望的な気持ちになりますが、日本の行政もすてたものではありません。県議会議員が「ホモの指導をする必要が・・・」と発言する兵庫県の隣の大阪に注目すべき自治体があります。
それは大阪市淀川区で、2013年9月になんと公的に「LGBT支援宣言」をおこなったのです(注5)。公的に宣言するだけでも画期的なことですが、活動内容が大変充実しています。専用のホームページが公開され(注6)、2014年7月からは週に2回の電話相談と月に2回のコミュニティスペースが開催されています。しかも、電話相談は17:00~22:00、コミュニティスペースは途中参加自由で平日は20:00まで、さらに日曜や祝日にも開催という、お役所仕事とは思えない柔軟性のある現実的な対応をされています。
ところで、実際にLGBTの人たちはどれくらい存在するのでしょうか。同性愛に関しては世界で多くの報告があり、だいたい人口の3~12%程度が同性愛者とされています。アメリカのキンゼイ報告によりますと「全体の37%は少なくとも1度以上の同性愛の経験があり、20~35歳の白人男性の11.6%は同性愛と異性愛の両方を経験している」そうです。キンゼイ報告はかなり有名で同性愛の話になるとよく引き合いに出されるのですが、統計の取り方に問題があるのでは、という指摘もあります。また、日本人からすると国民性の違いがあるのでは、と考えたくなります。
日本では、最近よく引き合いに出される調査に2012年の電通総研によるものがあります(注7)。この調査によりますとLGBTは5.2%(20~59歳の日本人男女約7万人が対象)となっています。
日本の人口の5.2%がLGBTであることが発表され、「LGBT支援宣言」をおこなう自治体が登場し、大阪ガスなどのようにLGBTの権利を認める宣言をおこなう企業が相次いできているこの状況を考えたとき、今後の展開はどのように推測すべきでしょうか。
2015年はLGBTをターゲットとしたマーケティング活動が広がり、行政はLGBTを支援する活動を繰り広げ、同性のパートナーシップ制度や同性婚についての議論が盛んになる。そしてLGBTという言葉が流行語となり、LGBTを差別する人間が逆に差別されるようになる・・・。少々楽観的ではありますが、これが私の2015年の予測です。
しかし一方では、世界ではいまだに同性愛者というだけで終身刑や死刑が課せられる国があること、差別や偏見でみられている人たちが大勢いること、公衆衛生学的にはLGBTがHIVのハイリスクグループと見なされていること、なども忘れてはいけません。
注1:「GINAと共に」第100回(2014年10月号)「ゲイを公表する社長(Openly Gay CEO)」を参照ください。
注2:この記事のタイトルは「Apple's Cook: 'I'm proud to be gay'」で、下記URLで閲覧することができます。
http://www.reuters.com/article/2014/10/31/us-apple-ceo-idUSKBN0IJ19P20141031
注3:注1の「GINAと共に」で紹介しています。
注4:「GINAと共に」第96回(2014年6月号)「行政がホモの指導の必要ない」を参照ください。
注5:大阪市淀川区の「LGBT支援宣言」は下記URLを参照ください。
http://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000232949.html
注6:大阪市淀川区のLGBT支援事業のホームページは下記URLを参照ください。ホームページのタイトルは「レインボー、はじめました」です。レインボー(虹)とLGBTの関係が知りたい方は注4の「GINAと共に」を参照ください。
http://niji-yodogawa.jimdo.com/
注7電通総研の調査は下記URLを参照ください。
http://dii.dentsu.jp/project/other/pdf/120701.pdf
第99回 薬物密輸の罠と罪 2014年9月号
イスタンブール、バンコク、マルティニーク。これら3つの街の共通点は何?、と問われれば何と答えればいいでしょうか。
いずれも異文化が混ざり合った魅力的な街、というのは正しいでしょうがこれでは面白みに欠けますし、そのような街なら他にもいくらでもあります。この設問の答えは「空港で薬物所持で逮捕された悲劇を描いた映画に登場する街」です。もっとも、この設問は「私が知っている映画で」、という条件つきで、他にも同じような映画やドラマがあるかもしれませんから、あまりいい設問ではありません。
有数の傑作とまでは言えず何度も観たいとは思わないものの、なんとなく心にひっかかっていて忘れられない映画、というのは誰にでもあると思いますが、私にとってそんな映画のひとつが『ブロークダウン・パレス』です。
この映画は卒業旅行にバンコクに出かけたアメリカの女子高生2人が、現地で知り合った(たしか)オーストラリア人の男性に騙されてヘロインをスーツケースの中に入れられて空港で逮捕、終身刑(だったと思います)を言い渡されるというストーリーです。途中から敏腕弁護士が登場していいところまでいくのですが、最終的には後味の悪い映画でした。
なぜこの映画が私の心の中でひっかかっているのかというと、この映画が公開された90年代後半に、似たような話を実世界でしばしば耳にしていたからです。実は私もこのような話を持ちかけられたことがあります。当時の私は医学部の学生であり、とにかくお金がなくて教科書を買うのにも苦労をしていました。そんな私に目をつけたのか、ある知人が「いいバイトがあるんだけど・・・」と近づいてきたのです。
その知人がいうバイトとは、「香港に行ってある人物から荷物を受け取ってほしい。それを持って帰ってくるだけで10万円もらえる。もちろん旅費は負担しなくていい」というものでした。当時の私の身分は医学部の一学生に過ぎませんでしたが、医学部入学前には社会人の経験もありますし、さらにその前の大学生時代には水商売も含めて様々なアルバイトの経験がありましたから、いろんな世界の人からこういう話はすでに聞いて知っていました。
それが「偽ブランド物」か「違法薬物」の運び屋のバイトであることがすぐに分った私は、その話を断り、その知人に「違法だと思うよ」と言うと、その知人は意外そうな顔をして、「そうだったのか。誰でもいいから香港に1泊で行ける人間を探してほしいってある人に言われたんだけど、そういうことだったのか・・・」と驚いていました。
また、当時はこのようなバイトで稼いでいる輩が少なくない、という話もしばしば耳にしていました。そんななか、この映画『ブロークダウン・パレス』が公開されたものですから妙に説得力があったのです。
『ミッドナイト・エクスプレス』というのは1970年代のアカデミー賞受賞作です。イスタンブールでハシシ(大麻樹脂)を身体に巻き付けて持ち帰ろうとしたアメリカ人男性が空港で逮捕され長期間牢獄に入れられるというストーリーで、実話に基づいているとされています。ヘロインや覚醒剤ならともかく、なんでハシシで長期間?、と思われますが、これは当時のトルコとアメリカの二国間関係が険悪であったことが原因とされています。この映画では無事脱獄(脱獄の隠語が「ミッドナイト・エクスプレス」だそうです)を果たします。
『ブロークダウン・パレス』は、私自身は有数の傑作とまでは言えないと感じていますし、アカデミー賞受賞の『ミッドナイト・エクスプレス』も何度も観たいとは思いません。しかし、多くの人にすすめたい「絶対に見逃せない名作」として『マルティニークからの祈り』をあげたいと思います。
韓国映画の良さが今ひとつ分からない私もこの映画には胸を打たれました。実話に基づいたストーリー、キャスティング、音楽、いずれを取り上げてもほぼ完璧な映画です。これほどの名作はめったにないと思います。
この映画は現在公開中ですから、ストーリーを詳述すると「ネタバレ」になってしまいますので、触りだけを紹介しておきます。ソウル在住の海外旅行の経験のない主婦が夫の友人から「アフリカから金の原石をフランスに運ぶバイトがある」、という話を持ちかけられます。少し怪しいとは感じたものの、まさかそれがコカインであるとは思いもしなかったその主婦は儲け話に乗ります。お金に困っていたのは夫の事業(車の修理屋)が上手くいかず家賃も滞納しており、ひとり娘にも苦労させていたからです。
フランスのオルリー空港で大量のコカインがスーツケースの中から見つかり、この主婦は言葉も通じないまま連行され、初めはフランス国内の刑務所に、その後カリブ海のマルティニーク島(仏領)の施設にうつされます。この映画が最高傑作と言える理由のひとつはキャスティングにあります。主演の女優チョン・ドヨンの演技はパーフェクトといっていいでしょう。娘と離れ離れにさせられた苦悩がよく伝わってきますし、フランス語どころか英語もほとんどできないこの主婦は「I... go.... Korea...」などと拙い表現で必死に訴えます。
夫役のコ・スの演技も抜群です。娘を思いやる姿も印象的ですが、最も圧巻されるのは、冤罪でマルティニーク島の収容所に投獄されている妻に対して何も行動しない役人たちの前で灯油をかぶり自殺を図ろうとするシーンです。ときどき報道される反日感情から焼身自殺をする韓国人の心理は私には理解できませんが、この映画のこのシーンを私は忘れることができません。
触りだけ、を紹介するつもりが少し踏み込んでしまいました。映画を離れて、現実的な話にうつりたいと思います。
日本人が薬物所持で空港で逮捕された最も有名な事件は「メルボルン事件」でしょう。1992年、メルボルンに観光目的で入国しようとした日本人の男女5人がヘロイン所持で逮捕され懲役15~20年の実刑判決が下されました。彼(女)らは、トランジット先のクアラルンプールでスーツケースが盗まれるというアクシデントに見舞われ、ガイドが用意した新しいスーツケースを持っていたのですが、そのスーツケースの底にヘロインが隠されていたのです。この事件ではスーツケースを用意したこのガイドが怪しそうですが、裁判にはそのガイドはなぜか出廷されず、また通訳が不充分で被疑者の日本人たちの言葉がうまく伝わらずに裁判が不利に運ばれたと言われています。
メルボルン事件はマスコミの報道などから冤罪であることは間違いなさそうですが、この男女5人のなかに元暴力団員で前科のある男性がいたことなどから裁判官の心証がよくなかったのかもしれません。
メルボルン事件ほど大きくは取り上げられていませんが、薬物所持で海外の空港で逮捕という事件は国内外の新聞でときどき報道されています。私が注目しているのは2009年10月にドバイからクアラルンプールに覚醒剤3.5kgを運んだとされている日本人の30代T看護師です。一審の判決は「死刑」、2013年3月に下された二審の判決も「死刑」でした。今後三審で覆るかどうかは分りません。T看護師は「頼まれて運んだだけで中身を知らなかった」と主張しているそうですが、30代の看護師ということはそれなりの知識や経験があるとみなされるでしょうから「知らなかった」は通用しないかもしれません。
一般にアジア諸国は死刑を科している国が多く、欧米諸国では死刑を廃止する傾向にあり、アジア諸国との間に齟齬がでてきます。分りやすい例を挙げれば、数年前にUKの女性がタイでタイ人男性に強姦・殺害され、タイの司法で死刑が命じられたもののUKの当局が減刑を申し出たという事例がありました。これはタイ人にしてみれば、自国の若い女性が弄ばれて殺されたというのにタイ人の犯人をなぜかばうのか、と不可解だったようです。
薬物の例でいえば、2008年8月にUKの女性がラオスでヘロイン所持で逮捕されました。この女性は妊娠しており、人道的に解放すべきでないかという議論が起こりましたが、私が知る限り結局そのときは釈放されませんでした。(その後、ラオスで無事出産できたのかどうか、司法判決がどのようなものになったのかなどは不明です)
先に述べたように、90年代後半に私はこのような密輸の話をよく聞いたわけですが、当時の私の知人(男性)から、「コンドームに大麻を入れて飲み込んで運べば安心らしいね。僕の知人は一度関西空港で不審に思われて腹のレントゲン撮影をされたけどスルーできたようだ。レントゲンでコンドームはうつらないんだね」という話を聞いたことがあります。
この知人は、私が医学生だから、レントゲンにうつるうつらないの話をしたかったのでしょう。確かにこの男性が言うようにコンドーム自体はレントゲンにうつりませんが、腸管の通過障害などが起こればレントゲンで異常所見がでますし、もしも機内でコンドームが破れれば危険な状態になります。大麻では「立ち上がれない」くらいですむかもしれませんが、覚醒剤やコカイン、ヘロインなどなら命に直結する可能性もあります。
薬物の危険性についてはこのサイトで繰り返し訴えていますが、その重要性に気付いていない日本人は残念ながら少なくありません。なかには「自分は薬物はやらない。運ぶだけ」などとうそぶく者もいるようですが、上に述べた数々の事件を思い出してみるとこのような「アルバイト」が割に合わないことは自明です。ちなみに、外務省はこのような日本人を助けることはありません。メルボルン事件のときも冤罪であったのにもかかわらず内政干渉になるという理由で日本政府は何もしませんでしたし、現在クアラルンプールで勾留されているT看護師にも政府からの支援は何もないそうです。
私はこれまで違法薬物が原因でHIVに感染した人をたくさんみてきましたし、違法薬物で人生を棒に振った日本人の患者さんも多数みてきました。もしも薬物やあやしい高額バイトの誘惑に駆られたら・・・、そのときは、まず『マルティニークからの祈り』を観てみてください。きっと人生観が変わるでしょう・・・。
GINAと共に
第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第73回(2012年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その3)」
いずれも異文化が混ざり合った魅力的な街、というのは正しいでしょうがこれでは面白みに欠けますし、そのような街なら他にもいくらでもあります。この設問の答えは「空港で薬物所持で逮捕された悲劇を描いた映画に登場する街」です。もっとも、この設問は「私が知っている映画で」、という条件つきで、他にも同じような映画やドラマがあるかもしれませんから、あまりいい設問ではありません。
有数の傑作とまでは言えず何度も観たいとは思わないものの、なんとなく心にひっかかっていて忘れられない映画、というのは誰にでもあると思いますが、私にとってそんな映画のひとつが『ブロークダウン・パレス』です。
この映画は卒業旅行にバンコクに出かけたアメリカの女子高生2人が、現地で知り合った(たしか)オーストラリア人の男性に騙されてヘロインをスーツケースの中に入れられて空港で逮捕、終身刑(だったと思います)を言い渡されるというストーリーです。途中から敏腕弁護士が登場していいところまでいくのですが、最終的には後味の悪い映画でした。
なぜこの映画が私の心の中でひっかかっているのかというと、この映画が公開された90年代後半に、似たような話を実世界でしばしば耳にしていたからです。実は私もこのような話を持ちかけられたことがあります。当時の私は医学部の学生であり、とにかくお金がなくて教科書を買うのにも苦労をしていました。そんな私に目をつけたのか、ある知人が「いいバイトがあるんだけど・・・」と近づいてきたのです。
その知人がいうバイトとは、「香港に行ってある人物から荷物を受け取ってほしい。それを持って帰ってくるだけで10万円もらえる。もちろん旅費は負担しなくていい」というものでした。当時の私の身分は医学部の一学生に過ぎませんでしたが、医学部入学前には社会人の経験もありますし、さらにその前の大学生時代には水商売も含めて様々なアルバイトの経験がありましたから、いろんな世界の人からこういう話はすでに聞いて知っていました。
それが「偽ブランド物」か「違法薬物」の運び屋のバイトであることがすぐに分った私は、その話を断り、その知人に「違法だと思うよ」と言うと、その知人は意外そうな顔をして、「そうだったのか。誰でもいいから香港に1泊で行ける人間を探してほしいってある人に言われたんだけど、そういうことだったのか・・・」と驚いていました。
また、当時はこのようなバイトで稼いでいる輩が少なくない、という話もしばしば耳にしていました。そんななか、この映画『ブロークダウン・パレス』が公開されたものですから妙に説得力があったのです。
『ミッドナイト・エクスプレス』というのは1970年代のアカデミー賞受賞作です。イスタンブールでハシシ(大麻樹脂)を身体に巻き付けて持ち帰ろうとしたアメリカ人男性が空港で逮捕され長期間牢獄に入れられるというストーリーで、実話に基づいているとされています。ヘロインや覚醒剤ならともかく、なんでハシシで長期間?、と思われますが、これは当時のトルコとアメリカの二国間関係が険悪であったことが原因とされています。この映画では無事脱獄(脱獄の隠語が「ミッドナイト・エクスプレス」だそうです)を果たします。
『ブロークダウン・パレス』は、私自身は有数の傑作とまでは言えないと感じていますし、アカデミー賞受賞の『ミッドナイト・エクスプレス』も何度も観たいとは思いません。しかし、多くの人にすすめたい「絶対に見逃せない名作」として『マルティニークからの祈り』をあげたいと思います。
韓国映画の良さが今ひとつ分からない私もこの映画には胸を打たれました。実話に基づいたストーリー、キャスティング、音楽、いずれを取り上げてもほぼ完璧な映画です。これほどの名作はめったにないと思います。
この映画は現在公開中ですから、ストーリーを詳述すると「ネタバレ」になってしまいますので、触りだけを紹介しておきます。ソウル在住の海外旅行の経験のない主婦が夫の友人から「アフリカから金の原石をフランスに運ぶバイトがある」、という話を持ちかけられます。少し怪しいとは感じたものの、まさかそれがコカインであるとは思いもしなかったその主婦は儲け話に乗ります。お金に困っていたのは夫の事業(車の修理屋)が上手くいかず家賃も滞納しており、ひとり娘にも苦労させていたからです。
フランスのオルリー空港で大量のコカインがスーツケースの中から見つかり、この主婦は言葉も通じないまま連行され、初めはフランス国内の刑務所に、その後カリブ海のマルティニーク島(仏領)の施設にうつされます。この映画が最高傑作と言える理由のひとつはキャスティングにあります。主演の女優チョン・ドヨンの演技はパーフェクトといっていいでしょう。娘と離れ離れにさせられた苦悩がよく伝わってきますし、フランス語どころか英語もほとんどできないこの主婦は「I... go.... Korea...」などと拙い表現で必死に訴えます。
夫役のコ・スの演技も抜群です。娘を思いやる姿も印象的ですが、最も圧巻されるのは、冤罪でマルティニーク島の収容所に投獄されている妻に対して何も行動しない役人たちの前で灯油をかぶり自殺を図ろうとするシーンです。ときどき報道される反日感情から焼身自殺をする韓国人の心理は私には理解できませんが、この映画のこのシーンを私は忘れることができません。
触りだけ、を紹介するつもりが少し踏み込んでしまいました。映画を離れて、現実的な話にうつりたいと思います。
日本人が薬物所持で空港で逮捕された最も有名な事件は「メルボルン事件」でしょう。1992年、メルボルンに観光目的で入国しようとした日本人の男女5人がヘロイン所持で逮捕され懲役15~20年の実刑判決が下されました。彼(女)らは、トランジット先のクアラルンプールでスーツケースが盗まれるというアクシデントに見舞われ、ガイドが用意した新しいスーツケースを持っていたのですが、そのスーツケースの底にヘロインが隠されていたのです。この事件ではスーツケースを用意したこのガイドが怪しそうですが、裁判にはそのガイドはなぜか出廷されず、また通訳が不充分で被疑者の日本人たちの言葉がうまく伝わらずに裁判が不利に運ばれたと言われています。
メルボルン事件はマスコミの報道などから冤罪であることは間違いなさそうですが、この男女5人のなかに元暴力団員で前科のある男性がいたことなどから裁判官の心証がよくなかったのかもしれません。
メルボルン事件ほど大きくは取り上げられていませんが、薬物所持で海外の空港で逮捕という事件は国内外の新聞でときどき報道されています。私が注目しているのは2009年10月にドバイからクアラルンプールに覚醒剤3.5kgを運んだとされている日本人の30代T看護師です。一審の判決は「死刑」、2013年3月に下された二審の判決も「死刑」でした。今後三審で覆るかどうかは分りません。T看護師は「頼まれて運んだだけで中身を知らなかった」と主張しているそうですが、30代の看護師ということはそれなりの知識や経験があるとみなされるでしょうから「知らなかった」は通用しないかもしれません。
一般にアジア諸国は死刑を科している国が多く、欧米諸国では死刑を廃止する傾向にあり、アジア諸国との間に齟齬がでてきます。分りやすい例を挙げれば、数年前にUKの女性がタイでタイ人男性に強姦・殺害され、タイの司法で死刑が命じられたもののUKの当局が減刑を申し出たという事例がありました。これはタイ人にしてみれば、自国の若い女性が弄ばれて殺されたというのにタイ人の犯人をなぜかばうのか、と不可解だったようです。
薬物の例でいえば、2008年8月にUKの女性がラオスでヘロイン所持で逮捕されました。この女性は妊娠しており、人道的に解放すべきでないかという議論が起こりましたが、私が知る限り結局そのときは釈放されませんでした。(その後、ラオスで無事出産できたのかどうか、司法判決がどのようなものになったのかなどは不明です)
先に述べたように、90年代後半に私はこのような密輸の話をよく聞いたわけですが、当時の私の知人(男性)から、「コンドームに大麻を入れて飲み込んで運べば安心らしいね。僕の知人は一度関西空港で不審に思われて腹のレントゲン撮影をされたけどスルーできたようだ。レントゲンでコンドームはうつらないんだね」という話を聞いたことがあります。
この知人は、私が医学生だから、レントゲンにうつるうつらないの話をしたかったのでしょう。確かにこの男性が言うようにコンドーム自体はレントゲンにうつりませんが、腸管の通過障害などが起こればレントゲンで異常所見がでますし、もしも機内でコンドームが破れれば危険な状態になります。大麻では「立ち上がれない」くらいですむかもしれませんが、覚醒剤やコカイン、ヘロインなどなら命に直結する可能性もあります。
薬物の危険性についてはこのサイトで繰り返し訴えていますが、その重要性に気付いていない日本人は残念ながら少なくありません。なかには「自分は薬物はやらない。運ぶだけ」などとうそぶく者もいるようですが、上に述べた数々の事件を思い出してみるとこのような「アルバイト」が割に合わないことは自明です。ちなみに、外務省はこのような日本人を助けることはありません。メルボルン事件のときも冤罪であったのにもかかわらず内政干渉になるという理由で日本政府は何もしませんでしたし、現在クアラルンプールで勾留されているT看護師にも政府からの支援は何もないそうです。
私はこれまで違法薬物が原因でHIVに感染した人をたくさんみてきましたし、違法薬物で人生を棒に振った日本人の患者さんも多数みてきました。もしも薬物やあやしい高額バイトの誘惑に駆られたら・・・、そのときは、まず『マルティニークからの祈り』を観てみてください。きっと人生観が変わるでしょう・・・。
GINAと共に
第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第73回(2012年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その3)」
第98回 エイズ差別だけではない差別の実情 2014年8月号
私がエイズという疾患を初めてみたのが2002年、研修医1年目の頃です。かねてからエイズという病に関心があったため、夏休みを利用してタイのエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)を訪問し、そこで初めてエイズを患った人たちを診ることになったのです。
まだ抗HIV薬が普及していなかった当時のタイのエイズの現場は壮絶なもので、毎日数人が他界していました。命はまだ残されているもののやせ細り呼吸をするのも辛そうにしている寝たきりの人、全身が皮膚の炎症におかされどす黒く腫れ上がっている人、脳症を発症し夜間に徘徊する人なども少なくなく、改めてエイズという病の困難さを知るに至りました。
当時のパバナプ寺には、親戚を名乗る人がエイズの子どもを連れてきて逃げるように帰っていったり、病院から追い出され行き場をなくしてやってきた人がいたり(当時のタイではHIVに感染していることが判ると病院から放り出されていたのです)、敷地の外に赤ちゃんが置き去りにされていたり(おそらくエイズの親が捨てていったのでしょう)、といった見るも聞くも無惨な現実が至るところにありました。
また、比較的元気な患者さんから話を聞くと、村を追い出された、バスに乗ろうとすると住民から石を投げられた、食堂から追い出された、学校を退学させられた、など許しがたい差別の数々を思い知るに至りました。
こういった差別の現状を知ると、単に抗HIV薬を処方するのが医師の仕事ではなく、抗HIV薬で改善しない日頃の痛みや痒み、他の苦痛を取り除き、さらに心理的・社会的な観点からも患者さんに貢献しなければならない、と感じるようになりました。
そこで私はタイの貧困問題、薬物問題、売買春の問題、少数民族の問題などにも関心をもつようになり、タイに渡航する度に、多くの人から話を聞くことに努め、一種のフィールドワークを重ねていきました。
タイ人といってもいろんな人がいます。例えば医療者であれば、特に医師のほとんどは、バンコクなど都会で生まれ、高等教育を受けていて、比較的色が白い中華系タイ人が多く、エイズ患者に多い北タイや東北のタイ(イサーン人)とは"人種"が異なります。また、一般にバンコク生まれの都会人は比較的裕福であり、東北地方とは同じ国と思えないほどの所得格差がありますし、高校進学率には雲泥の差があります。タイ人には「平等」という観念が日本ほどはなく(というより、日本人ほど「平等」という言葉に敏感な国民はいないのではないかと私は思っています)、タイ国内での「人種差別」や「貧困者に対する差別」、「学歴差別」などがあるのは歴然としています(注1)。
当時のタイでHIVに感染し、エイズを発症していた人は、バンコク人よりも北タイや東北タイ(イサーン地方)に圧倒的に多く、エイズという病気による差別に「地域差別」というかバンコク人からみた北部や東北部への差別がオーバーラップしているような印象を次第に持つようになっていきました。
もう少し正確に言うと、北部と東北部でも異なります。北部と東北部を比べると、圧倒的に東北部の方が差別を受けているのは間違いありません。これは、当時首相だったタクシン氏が北部のチェンマイ出身だったこと、さらにチェンマイが外資系企業の誘致などで驚異的なスピードで発展していたこと、北部の人たちの多くは色が白く東北人とは"人種"が異なること、などがその理由です。ちなみに東北人(イサーン人)の容貌は色が黒く鼻が低いのが特徴で、ラオス人によく似ています。
私が興味を持ったことはまだあります。では、東北人たちは差別されるだけなのか、といえばそういうわけではなく、露骨に口にすることは少ないですが、ラオス人やミャンマー人、あるいは国境付近に在住しどこの国にも属さない山岳民族などを下にみているきらいがあります。また、タイ人のなかには(バンコク人もイサーン人も)白人には羨望のような感情がある一方で黒人のことはあまりよく思っていない人が少なくありません。
では、タイ人は欧米人が大好きなのかと言えばそういうわけでもなく、例えばタイのある施設で働くタイ人のベテラン看護師は「欧米人は我が強すぎてタイ人には合わない。あたしは欧米人の医者の指示を聞きたくないから、日本人のあんたの指示に従う」と言っていました。このサイトでも述べたことがありますが、タイ人の多くは日本人が大好きで日本を憧れの国と思っています。(とはいえ、最近は素行の悪い日本人が増えたからなのか日本が嫌いというタイ人が増えてきているような気がします。また、私個人の体験を言えば、ある施設で働いていた薬剤師が日本人大嫌いと公言しており、ついに私は一度も口をきいてもらえませんでした)
当時の私はタイ渡航時、時間に余裕があれば夜の繁華街にも繰り出していました。そこで欧米人の男性(ときには女性も)と仲良くなり話をするわけですが、「差別」という観点から話しを振り返ってみると、彼(女)らは、日本人がタブーとしているような差別的な発言をけっこう平気でおこないます。彼(女)らは、同性愛についてはおそらく日本人よりも偏見がありませんし、エイズを含めて病気に対する差別感もほとんどありません。しかし、人種、民族、国民などについては平気で悪口を言うのです。
誤解を恐れずに言えば、私は日本ほど人種差別・民族差別のない国はない、と思っています。このサイトで何度もお伝えしているようにこの国のHIV陽性者に対する社会的な差別は一向に改善されていません。男女差別もないとはいいきれないでしょう。地域差別(被差別部落やアイヌ、サンカなどへの差別)は随分と解消されてきているのは事実ですが今もまったくないとは言えません。しかし、人種差別・民族差別は、少なくとも他国と比べると非常に少ないように思えます。日本人で黒人やヒスパニックに差別的な感情を持っている人を私はほとんど知りませんし、在日韓国人や中国人に対する「在日差別」があることには同意しますが、数十年前に比べると随分改善されてきていますし、他国のものとはレベルが異なります。
一方、欧米人は平気で、例えば、「俺は黒人やヒスパニックが大嫌いだ」と言います。これを発言した白人男性に「日本人も有色だよ」と言うと、「日本人は好きだ」とその男性は言っていましたが、これが本心であったとしても日本人を差別する白人がいるのも事実です。私自身は経験がありませんがヨーロッパに留学経験などのある日本人の多くは男女とも差別的な扱いを受けたことがある、と言います。
欧米人からもアジア人からも最も嫌われているのは私の印象でいえばユダヤ人です。我々日本人がユダヤ人と聞けば、『アンネの日記』にあるようなナチスに迫害された悲惨な姿を思い出し同情の感情が出てきますが、世界の目は冷たいようです。なぜユダヤ人が嫌われるのかと言えば、多くの人が口をそろえていうのは「理屈っぽい」と「ケチ」です。アジアの安食堂や安宿などでも、難癖をつけて金を値切ろうとする輩が多いという話をよく聞きます。私は直接見たことはありませんが、アジアのゲストハウスのなかには、入り口に「ユダヤ人お断り」と書いてあるところもあるそうです(注2)。
ユダヤ人とエイズは関係ありませんが、私がタイのエイズの現状をみて、まずエイズという病に対する差別を見聞きし、次いで貧困やタイのなかの人種差別を知るようになり、同性愛に対する差別を目の当たりにし(タイでは同性愛への差別が日本と比べれば少ないのは事実ですが、ないわけではありません)、世界中の人々から人種差別や民族差別の発言を聞くと、人類から差別はなくなることはないのでないか、と思わずにはいられません。
最近私が特に気になるのが黒人に対する差別です。ネルソン・マンデラ氏らの貢献により1990年代にはアパルトヘイトが撤廃され、21世紀には南北戦争という暗い歴史を持つアメリカでついに黒人の大統領が登場したのです。にも関わらず、黒人差別は、事件の件数は減っているのかもしれませんが、悪質度においては何も改善していません。つい先日(2014年8月9日)も米国ミズーリ州で18歳の黒人青年が白人の警官に射殺されたことが報道されました。
これと同じような事件がアメリカでは過去にもありました。2009年の元日、米国サンフランシスコのフルートベール駅のホームで22歳の黒人青年が警官に射殺されたのです。この現場はその場にいた乗客らがスマホなどで撮影しており、この事件は後に『フルートベール駅で』というタイトルの映画(注3)にもなりました。
話をエイズに戻します。日本ではHIV陽性者に対する差別が厳然と存在しますし(タイやアメリカでも日本よりはマシという程度で差別はあります)、ハンセン病(注4)に対しては日本には恥ずべき歴史があります。私はまず医師として病気の差別をなくしたいと考え、次に、GINAとしてHIV/エイズに伴う社会的な差別(同性愛差別、セックスワーカーへの差別など)に取り組みたいと考えるようになりました。そして、なくすことは無理だとしても、この「差別」という、わかりやすいようで実は根が深く複雑な「人間の性」と言えなくもない現象について生涯を通して取り組んでいきたいと考えています。
注1:バンコク人とイサーン人の対立については下記コラムも参照ください。
GINAと共に第31回(2009年1月)「バンコク人 対 イサーン人」
注2:ユダヤ人に対する差別は「人種差別」でなく「民族差別」です。ユダヤ人は人種としては他国の白人と同様「コーカサイド」です。「人種差別」と「民族差別」は言葉の意味としては異なりますが、私自身は同じように考えていいのではないかと思っています。つまり、ヨーロッパ人からユダヤ人が差別的な扱いを受けるのと、アメリカで黒人が白人から受けている差別との間に本質的な差というものはないのではないかと現在の私は考えています。
注3:『フルートベール駅で』は2014年に日本でも公開されました。映画には乗客がスマホで撮影したと思われる映像も使われており、黒人に対する差別・偏見の実情がわかりやすく描かれています。白人警察に殺される主人公の黒人が少し美化されすぎていないか、という印象も持ちましたが、一見の価値ある映画だと私は思いました。
注4:タイのハンセン病に関するGINAのレポートは「タイのハンセン病とエイズ」として公開しています。
http://www.npo-gina.org/hansenbyou/
まだ抗HIV薬が普及していなかった当時のタイのエイズの現場は壮絶なもので、毎日数人が他界していました。命はまだ残されているもののやせ細り呼吸をするのも辛そうにしている寝たきりの人、全身が皮膚の炎症におかされどす黒く腫れ上がっている人、脳症を発症し夜間に徘徊する人なども少なくなく、改めてエイズという病の困難さを知るに至りました。
当時のパバナプ寺には、親戚を名乗る人がエイズの子どもを連れてきて逃げるように帰っていったり、病院から追い出され行き場をなくしてやってきた人がいたり(当時のタイではHIVに感染していることが判ると病院から放り出されていたのです)、敷地の外に赤ちゃんが置き去りにされていたり(おそらくエイズの親が捨てていったのでしょう)、といった見るも聞くも無惨な現実が至るところにありました。
また、比較的元気な患者さんから話を聞くと、村を追い出された、バスに乗ろうとすると住民から石を投げられた、食堂から追い出された、学校を退学させられた、など許しがたい差別の数々を思い知るに至りました。
こういった差別の現状を知ると、単に抗HIV薬を処方するのが医師の仕事ではなく、抗HIV薬で改善しない日頃の痛みや痒み、他の苦痛を取り除き、さらに心理的・社会的な観点からも患者さんに貢献しなければならない、と感じるようになりました。
そこで私はタイの貧困問題、薬物問題、売買春の問題、少数民族の問題などにも関心をもつようになり、タイに渡航する度に、多くの人から話を聞くことに努め、一種のフィールドワークを重ねていきました。
タイ人といってもいろんな人がいます。例えば医療者であれば、特に医師のほとんどは、バンコクなど都会で生まれ、高等教育を受けていて、比較的色が白い中華系タイ人が多く、エイズ患者に多い北タイや東北のタイ(イサーン人)とは"人種"が異なります。また、一般にバンコク生まれの都会人は比較的裕福であり、東北地方とは同じ国と思えないほどの所得格差がありますし、高校進学率には雲泥の差があります。タイ人には「平等」という観念が日本ほどはなく(というより、日本人ほど「平等」という言葉に敏感な国民はいないのではないかと私は思っています)、タイ国内での「人種差別」や「貧困者に対する差別」、「学歴差別」などがあるのは歴然としています(注1)。
当時のタイでHIVに感染し、エイズを発症していた人は、バンコク人よりも北タイや東北タイ(イサーン地方)に圧倒的に多く、エイズという病気による差別に「地域差別」というかバンコク人からみた北部や東北部への差別がオーバーラップしているような印象を次第に持つようになっていきました。
もう少し正確に言うと、北部と東北部でも異なります。北部と東北部を比べると、圧倒的に東北部の方が差別を受けているのは間違いありません。これは、当時首相だったタクシン氏が北部のチェンマイ出身だったこと、さらにチェンマイが外資系企業の誘致などで驚異的なスピードで発展していたこと、北部の人たちの多くは色が白く東北人とは"人種"が異なること、などがその理由です。ちなみに東北人(イサーン人)の容貌は色が黒く鼻が低いのが特徴で、ラオス人によく似ています。
私が興味を持ったことはまだあります。では、東北人たちは差別されるだけなのか、といえばそういうわけではなく、露骨に口にすることは少ないですが、ラオス人やミャンマー人、あるいは国境付近に在住しどこの国にも属さない山岳民族などを下にみているきらいがあります。また、タイ人のなかには(バンコク人もイサーン人も)白人には羨望のような感情がある一方で黒人のことはあまりよく思っていない人が少なくありません。
では、タイ人は欧米人が大好きなのかと言えばそういうわけでもなく、例えばタイのある施設で働くタイ人のベテラン看護師は「欧米人は我が強すぎてタイ人には合わない。あたしは欧米人の医者の指示を聞きたくないから、日本人のあんたの指示に従う」と言っていました。このサイトでも述べたことがありますが、タイ人の多くは日本人が大好きで日本を憧れの国と思っています。(とはいえ、最近は素行の悪い日本人が増えたからなのか日本が嫌いというタイ人が増えてきているような気がします。また、私個人の体験を言えば、ある施設で働いていた薬剤師が日本人大嫌いと公言しており、ついに私は一度も口をきいてもらえませんでした)
当時の私はタイ渡航時、時間に余裕があれば夜の繁華街にも繰り出していました。そこで欧米人の男性(ときには女性も)と仲良くなり話をするわけですが、「差別」という観点から話しを振り返ってみると、彼(女)らは、日本人がタブーとしているような差別的な発言をけっこう平気でおこないます。彼(女)らは、同性愛についてはおそらく日本人よりも偏見がありませんし、エイズを含めて病気に対する差別感もほとんどありません。しかし、人種、民族、国民などについては平気で悪口を言うのです。
誤解を恐れずに言えば、私は日本ほど人種差別・民族差別のない国はない、と思っています。このサイトで何度もお伝えしているようにこの国のHIV陽性者に対する社会的な差別は一向に改善されていません。男女差別もないとはいいきれないでしょう。地域差別(被差別部落やアイヌ、サンカなどへの差別)は随分と解消されてきているのは事実ですが今もまったくないとは言えません。しかし、人種差別・民族差別は、少なくとも他国と比べると非常に少ないように思えます。日本人で黒人やヒスパニックに差別的な感情を持っている人を私はほとんど知りませんし、在日韓国人や中国人に対する「在日差別」があることには同意しますが、数十年前に比べると随分改善されてきていますし、他国のものとはレベルが異なります。
一方、欧米人は平気で、例えば、「俺は黒人やヒスパニックが大嫌いだ」と言います。これを発言した白人男性に「日本人も有色だよ」と言うと、「日本人は好きだ」とその男性は言っていましたが、これが本心であったとしても日本人を差別する白人がいるのも事実です。私自身は経験がありませんがヨーロッパに留学経験などのある日本人の多くは男女とも差別的な扱いを受けたことがある、と言います。
欧米人からもアジア人からも最も嫌われているのは私の印象でいえばユダヤ人です。我々日本人がユダヤ人と聞けば、『アンネの日記』にあるようなナチスに迫害された悲惨な姿を思い出し同情の感情が出てきますが、世界の目は冷たいようです。なぜユダヤ人が嫌われるのかと言えば、多くの人が口をそろえていうのは「理屈っぽい」と「ケチ」です。アジアの安食堂や安宿などでも、難癖をつけて金を値切ろうとする輩が多いという話をよく聞きます。私は直接見たことはありませんが、アジアのゲストハウスのなかには、入り口に「ユダヤ人お断り」と書いてあるところもあるそうです(注2)。
ユダヤ人とエイズは関係ありませんが、私がタイのエイズの現状をみて、まずエイズという病に対する差別を見聞きし、次いで貧困やタイのなかの人種差別を知るようになり、同性愛に対する差別を目の当たりにし(タイでは同性愛への差別が日本と比べれば少ないのは事実ですが、ないわけではありません)、世界中の人々から人種差別や民族差別の発言を聞くと、人類から差別はなくなることはないのでないか、と思わずにはいられません。
最近私が特に気になるのが黒人に対する差別です。ネルソン・マンデラ氏らの貢献により1990年代にはアパルトヘイトが撤廃され、21世紀には南北戦争という暗い歴史を持つアメリカでついに黒人の大統領が登場したのです。にも関わらず、黒人差別は、事件の件数は減っているのかもしれませんが、悪質度においては何も改善していません。つい先日(2014年8月9日)も米国ミズーリ州で18歳の黒人青年が白人の警官に射殺されたことが報道されました。
これと同じような事件がアメリカでは過去にもありました。2009年の元日、米国サンフランシスコのフルートベール駅のホームで22歳の黒人青年が警官に射殺されたのです。この現場はその場にいた乗客らがスマホなどで撮影しており、この事件は後に『フルートベール駅で』というタイトルの映画(注3)にもなりました。
話をエイズに戻します。日本ではHIV陽性者に対する差別が厳然と存在しますし(タイやアメリカでも日本よりはマシという程度で差別はあります)、ハンセン病(注4)に対しては日本には恥ずべき歴史があります。私はまず医師として病気の差別をなくしたいと考え、次に、GINAとしてHIV/エイズに伴う社会的な差別(同性愛差別、セックスワーカーへの差別など)に取り組みたいと考えるようになりました。そして、なくすことは無理だとしても、この「差別」という、わかりやすいようで実は根が深く複雑な「人間の性」と言えなくもない現象について生涯を通して取り組んでいきたいと考えています。
注1:バンコク人とイサーン人の対立については下記コラムも参照ください。
GINAと共に第31回(2009年1月)「バンコク人 対 イサーン人」
注2:ユダヤ人に対する差別は「人種差別」でなく「民族差別」です。ユダヤ人は人種としては他国の白人と同様「コーカサイド」です。「人種差別」と「民族差別」は言葉の意味としては異なりますが、私自身は同じように考えていいのではないかと思っています。つまり、ヨーロッパ人からユダヤ人が差別的な扱いを受けるのと、アメリカで黒人が白人から受けている差別との間に本質的な差というものはないのではないかと現在の私は考えています。
注3:『フルートベール駅で』は2014年に日本でも公開されました。映画には乗客がスマホで撮影したと思われる映像も使われており、黒人に対する差別・偏見の実情がわかりやすく描かれています。白人警察に殺される主人公の黒人が少し美化されすぎていないか、という印象も持ちましたが、一見の価値ある映画だと私は思いました。
注4:タイのハンセン病に関するGINAのレポートは「タイのハンセン病とエイズ」として公開しています。
http://www.npo-gina.org/hansenbyou/