GINAと共に

第116回(2016年2月) 「盗聴」に苦しむ覚醒剤中毒者

 2016年2月3日、元プロ野球選手のKK氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された事件が大きく報道されました。報道によれば、2014年3月に『週刊文春』が覚醒剤使用疑惑を報じたことがきっかけで警視庁組織犯罪対策課が内偵捜査を開始したようです。常識的に考えれば、週刊誌が報じた時点で覚醒剤を断ち切っていれば逮捕に至らなかった可能性もあるわけです。捜査がおこなわれているかもしれない、と、どこかで感じながらもやめることができなかったことに覚醒剤の恐ろしさがあります。

 報道によればKK氏の自宅から注射器も押収されています。ということは覚醒剤を吸入(アブリ)だけでなく静脈注射(ポンプ)で摂取していたということです。一般に、静脈注射までおこなうようになればかなり依存度が強くなっています。吸入だけなら断ち切れるというわけでは決してありませんが、静脈注射にまで進んでしまっていれば、有罪判決を受け罪を償ったとしても再び覚醒剤に手を出す可能性は否定できません。覚醒剤の依存性はタバコやアルコールの比ではないのです。

 KK氏の一連の報道で一気にかき消されてしまいましたが、KK氏逮捕の直前に、2014年に同じく覚醒剤取締法で逮捕された人気デュオA氏の異様なブログが週刊誌などで取り上げられていました。現在はすでに消去されてしまっていますが、別のサイトなどで閲覧することができ、私も一部を読んでみました。興味深いと言えば失礼ですが、その文章は「覚醒剤中毒者の妄想」そのものです。

 一部のネット情報では専門家のコメントとして「A氏は統合失調症の疑いがある」などと言われているようですが、私は違うと思います。たしかに統合失調症の患者も似たような「妄想」を口にすることがあります。教科書には、統合失調症の患者は「電波がとんでくる」「FBIに監視されている」といったことを言う、と書かれています。実際、多くの患者さんが申し合わせたように「電波」「FBI」などという単語を口にします。

 一方、覚醒剤中毒者の「妄想」は、もう少し「整合性がある」というか、一見本当のことを言っているように思えます。多くの場合、家族や身近な者は、最初はこの「妄想」を妄想でなく事実と捉えます。統合失調症の患者が言う「電波」「FBI」などは、家族の者でも聞いた瞬間に「あり得ないこと」と判断しますし、よく聞いていると内容が辻褄の合わないことに気づきます。それに対して、覚醒剤中毒者の「妄想」では、「FBI」などとはいいません。代わりによく使う言葉が「盗聴器をしかけられている」「集団ストーカーに狙われている」などです。

 A氏のブログでは、盗聴器の存在を信じて疑わなかったA氏が自分の部屋の盗聴器を見つけるように業者に依頼していることが書かれています。そして、多少の誤字はあるものの、文章自体は読みやすく文法も正しく使われており、ファンの人ならすべて事実と思うかもしれません。統合失調症の場合は、これほどきちんとした文章にならないのが普通です。

 過去に私が診察した(元)覚醒剤中毒者のなかにも同じようなことを言っている人が何人かいました。なかには、部屋にあるすべてのコンセントを分解し、壁を壊したとう人もいました。カメラがしかけられているに違いないと考えて天井に穴をあけて探したという人もいました。四六時中監視されていることに耐えられなくなり「出てこい!コラッ!」などと大声で叫ぶということもよくあります。A氏のブログにも「オマエら、いい加減にしろ!何が楽しいんだ!」と怒鳴ったというエピソードが出てきます。

「自分の悪口や自分しか知らないことが筒抜けになっている。ネット上に書き込まれているに違いない」と言いだすこともよくあります。そして、本人だけでなく、最初はそれを「妄想」でなく事実と考える友人知人たちが必死にそういったサイトを探そうとします。A氏のブログには、自分の声が組織にキャッチされ、「その叫び声はサンプリングされて、大手ゲーム会社のゲームで使われている」と書かれています。

 A氏のように高級マンションに住んでいる場合は住人に気づかれることはないでしょうが、一般人の住むアパートで大声を出したり、壁や天井を蹴飛ばしたりしていると、そのうち警察を呼ばれることになります。

 中毒者本人は「妄想」などとは微塵も思っていませんから、法的手段に訴えようとします。実際に、盗聴されていることや集団で監視されストーカーの被害に遭っていることを警察や弁護士に相談することもあります。A氏のブログにも「知人の警察官に事実を伝え相談した」と書かれています。興味深いのは、中毒者自身で証拠を集められると信じていることです。私が診た症例では、「自分の悪口が書かれたビラを大量にまかれている。そのビラは街中に散乱しているはずだから見つけるのは簡単だ」と考え、実際に街のゴミ箱などを探し回ったそうです。しかしもちろん見つかるはずもなく「組織的にビラが撤収された」という結論になっていました。A氏は「証拠はCD-Rに30枚ほどになっていた」と書いています。証拠があるに違いないと信じて疑わなかったことを示しています。

 覚醒剤中毒者の妄想がやっかいなのは、覚醒剤を完全に断ち切った後から出てくることもあるからです。きちんとしたデータは見たことがありませんが、私の経験からいっても完全に断ち切って5年以上もたってから出現したケースがありました。摂取しているときにどの程度の頻度でおこなっていたのか、また摂取の期間がどれくらいだったかにもよるでしょうが、いったん一定の閾値を超えてしまうと、数年後に「妄想」に苦しめられる可能性があります。そして、こういった「妄想」には薬がありますが、やめると元の木阿弥になることも多く、かなり長期間にわたり服用しなければなりません。ちなみに、この「妄想」に用いる薬は統合失調症の治療に使うものです。

 KK氏の一連の報道で久しぶりにテレビに登場するようになったのは元歌手でタレントのTM氏です。TM氏は覚醒剤取締法以外にコカイン所持や盗撮などでも複数回逮捕されています。2015年7月には駅のホームで盗撮したとの容疑で書類送検されています。(ただし、TM氏自身は容疑を認めておらず、また証拠も見つかっていません)

 実際に盗撮したかどうかは別にして、「そう思われてもしかたない行動をとった」ことは認めているそうです。これは私の推測ですが、TM氏は日頃からA氏と同じように「盗撮」「集団ストーカー」などの"被害"に遭っていたのではないでしょうか。これらが進行すると"声"が聞こえることがあります。自分の悪口を言われたり、何かを命令されたりするのです。そしてその"声"がTM氏に誤解を招くような行動を促したのではないかと私は推測しています。

 以前に紹介した「恐怖のCM」(注1)は、覚醒剤に蝕まれている主婦の姿をブラウン管に映し出し、見る者に恐怖を植え付けました。そのCMから受けるイメージは、その主婦はすでに"廃人"と呼べるほどに荒んでおり長生きできないだろう・・、というものです。

 覚醒剤に依存すると短期間で命を失うこともあります。しかし、完全に断ち切って何年もしてから「盗聴」「集団ストーカー」などの"被害"に遭う場合もあり、こうなるとまともな日常生活が送れなくなります。

 薬物依存が進行し、まともな思考回路が破壊されると、「針の使い回し」など彼(女)らにとっては「どうでもいい関心のないこと」になります。それでHIVに感染し・・・、というのが"以前は"大きな問題でした。HIVや他の感染症が薬物依存者にとって今も問題であることには変わりないのですが、HIVについては随分薬が進歩しました。

 覚醒剤で最も問題なのはもはやHIVではなく「覚醒剤の後遺症」なのかもしれません。


注1:下記を参照ください。
GINAと共に第13回(2007年7月号)「恐怖のCM」

参考:GINAと共に
第99回(2014年9月号)「薬物密輸の罠と罪」

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第115回(2016年1月) 悲しき日本人女性

 これは私が実際にフィリピン人女性から聞いた話です。(本人が特定されないように詳細はアレンジしています)

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 ルソン島北部の小さな集落で生まれ育ったジョアンナ(仮名)は現在25歳。マニラのオフィス街に位置する英会話学校の講師だ。

 マニラというと「治安が悪い」というイメージが多いようだが、マニラのすべてがそういうわけではない。たしかに、ゴミでできた有名なスモーキーマウンテンがあるトンドなどはスラムそのものだが、近代的なビルが立ち並び、外国人が泊まるホテルが集中している地域もある。ジョアンナが働く、日本人を対象とした英会話学校もそのような少し高級な地域のビルの中にある。

 ジョアンナの学校の生徒は全員日本人。近年、韓国人と日本人を対象とした英会話学校がマニラに乱立している。フィリピン人の安い人件費で、外国では考えられないような低価格でマンツーマンレッスンが受けられるのが人気の理由だ。フィリピンではタガログ語が標準語と思っている日本人が多いが、実際の公用語は英語である。発音も決して悪くない。アジアではおそらく最もきれいな英語を話す。

 マンツーマンレッスンの英会話学校流行の発端はセブ島のようで、現在もセブの方が人気があるそうだ。しかし、日本人の長期滞在者が多いマニラでも当然需要があり、セブでは韓国人対象のところの方が多いらしいが、マニラでは日本人向けの学校の方が多い。

 片岡理恵(仮名)がジョアンナの働く英会話学校に入学したのは2年前の12月30日。この日はフィリピンの祝日。英雄ホセ・リサールが処刑された日だ。本当は祝日は休みたいのだが、日本人経営者がそれを許さない。ジョアンナの休みは月に1~2回。それも希望日に取れるわけではない。外国には労働法がありこんな働き方は許されないはずだし、本当はフィリピンにも法律があるのだが、はなから誰も守ろうとしていない。もっとも、自称「風邪」や「腹痛」などで突然休む者も多く、それに対して咎める者もいない。フィリピンとはそういう国なのだ。

 片岡理恵に対するジョアンナの第一印象は「フィリピンが似合わない日本人」だった。ジョアンナはマニラの大学を卒業している。大学時代に国際関係を学んでいたジョアンナは、留学に来ていた多くの日本の大学生と仲良くなった。日本人の印象を一言でいえば「シャイ」だが、それでも次第に打ち解けるようになり1ヶ月もすればすっかりフィリピン文化に溶け込む者が多い。「ほほえみの国」といえばタイのことを指すらしいが、フィリピン人もタイ人に負けていない。留学に来た日本人もいつのまにかフィリピン・スマイルに感化され、いつしか笑顔が絶えないようになるのだ。

 しかし、最後まで本当の笑みをみせず、何を考えているのか分からないままの留学生も一部いる。ジョアンナはそんな日本人を「フィリピンが似合わない日本人」と呼んでいる。そして片岡理恵の第一印象からそれを感じたのだ。

 片岡理恵は英語はよくできた。文法はかなりできるし発音も悪くない。レスポンスがいささか遅いのは、頭の中で文章を組み立ててから発言するからだろう。あとは、もう少し聞き取りができるようになって、語彙を増やし、自分の意見を主張できるようになれば日常レベルの会話は合格になる。これだけの英語力があれば、普通はもっと講師と仲良くなるものだが、片岡理恵の場合はプライベートな会話が弾まない。

 この学校は生徒どうしの仲が良く、特に若者は行動を共にして頻繁にパーティを開いている。ジョアンナの大学時代の留学生だけでなく、英会話学校の日本人もいつの間にかフィリピン文化に溶け込んでいるのだ。日本でそのようなことはあまりないらしいが、日本人の生徒は講師をパーティによく誘う。参加費は生徒持ちだ。ジョアンナの月給はわずか8千ペソ、日本円で2万円程度だ。これで日本人の飲み食いに参加できるわけがない。ただし、フィリピンではこれでも給与はいい方だ。幼なじみのスーザン(仮名)は看護師になったというのに給与はこの半分ほどしかないらしい。

 この学校では、こういう非公式のパーティが好評で、口コミでこのことを知って入学する日本人もいると聞く。日本人どうしが仲良くなれて、講師からは「生きた英語」が学べることが人気の秘訣らしく、講師陣もタダで食事がとれて日本人のことを知ることができる上、何よりも楽しい。ジョアンナは典型的なフィリピン人なのだ。そして、このパーティに片岡理恵が参加したことはない。

 片岡理恵が問題発言をおこなったのは去年の2月25日。やはり祝日だったのでよく覚えている。この日はコラソン・アキノ氏がフィリピン大統領に就任した日だ。

 この日、片岡理恵を担当した講師は、この学校の人気講師ジェームス(仮名)だ。ジェームスはゲイでそれをカムアウトしている。日本でこのようなことはあり得ないらしいがフィリピンではよくあることで誰も珍しがりはしない。このあたりもタイと似ているようだ。バンコクやパタヤのゲイストリートほど有名でないが、マニラのゲイスポットもそれなりには知られている。もっとも、双方に詳しい者によれば、規模の大きさでタイに軍配が上がるようだが。

 ジェームスが人気講師なのは、話題が豊富で他人を笑わせるのが得意だからだけではない。この学校で唯一大学院を出ているエリートで、英語力も最上級だ。学生時代にスピーチコンテストで賞を取ったこともある。しかし、フィリピンの不況は深刻でこれだけ優秀な若者でも安定した企業への就職は極めて困難なのである。それで給料の安い英会話学校で働いているというわけだ。一方、そのおかげで優秀な講師から低価格で日本人が英語を学べるのである。

 片岡理恵はプライベートは無口であり、何を考えているのか分からないというのが講師陣の一致した印象なのだが、この日は違った。「ゲイから学びたくない。ゲイと同じ空間にいるのが不快(discomfort)。あたしはゲイを生理的に(instinctively)受け付けないの!」と、何と本人の前で発言し、さらに事務室に飛び込み日本人の事務員に抗議したのだ。

 結局この件で片岡理恵、ジェームスの双方が学校を去ることになった。片岡理恵はしばらく学校に来ていたが、ジョアンナを含む講師陣や日本人の生徒からの視線に耐えられなくなったのだろう。ジェームスは全員で引き留めたのだがショックが大きかったようだ。もう日本人には関わりたくない、と言って学校を去って行った・・・。

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 この話をジョアンナ(仮名)から聞くまで、私はゲイを否定する発言は日本人の中年男性または高齢者男性からしか聞いたことがありませんでした。「あのゲイ、ムカつく!!」といった言葉は、日本人の女性からもタイ人の女性からも聞いたことがありますが、これはゲイを否定しているのではなく、その人間に対する嫌悪感を表しているだけです。

 ゲイそのものを否定するこの女性、片岡理恵(仮名)は問題ですが、おそらく説得で考えを改めることはないでしょう。なにしろ「生理的に(instinctively)」という言葉を使っているくらいですから。

 こういう人間も存在する、という前提でLGBTの諸問題を考えていくべきなのかもしれません・・・。

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第114回(2015年12月) 欺瞞と恐喝と性依存症

 2015年11月17日、ハリウッド俳優のチャーリー・シーンが米NBCテレビのインタビューで自らがHIVに感染していることをカムアウトし、日本を含む全世界で直ちに報道されました。

 世界トップクラスの俳優がHIV感染をカムアウトしたわけですから、話題にならないわけがなく、いいかげんな情報も含めて多種多様な噂が流れました。思い切ってカムアウトした勇気を賞賛する声や、「バラされたくなければカネを出せ」と恐喝され多額の金銭(一説によると12億円以上!)をむしりとられていたことに対する同情の声、つまり、チャーリー・シーンを擁護するような意見がありました。

 一方、自身がHIVに感染していることを隠して性交渉をおこなっていたという報道があり、これに対しては非難の声が少なくなく、また、数百人以上(数千人とする噂も!)と性交渉を持っていたことに対する批判もあり、チャーリー・シーンを攻撃するような意見も目立ちました。

 今回は、チャーリー・シーンに関連する一連の報道からみえてくるHIVに関する3つの問題を取り上げたいと思います。

 まずひとつめは、「自らのHIV感染を隠しておこなう性交渉」についてです。果たしてチャーリー・シーンが本当に感染を隠して性交渉をおこなったかどうかについての真偽は分かりませんが、元交際相手が「知らされていなかった」と主張していますから、仮に本当は伝えていたのだとしてもそれを実証するのは困難でしょう。

 また、米国のゴシップ誌『Radaronline』2015年11月30日号(注1)によると、チャーリー・シーンにこれまで20人ものセックス・ワーカーを紹介していた女性(記事ではマダム(madam)という言葉を使っていますが、別の部位ではsex wranglerとやや蔑んだ表現もあります)が、「チャーリーがHIVに感染していることはまったく知らされていなかった。紹介した20人が彼からHIVをうつされたかもしれない」とコメントしています。このような状況で、チャーリー・シーンが「交渉をもったすべての相手に自分がHIVに感染していることを伝えた」ということを実証するのは極めて困難です。

 有名人が自分がHIVに感染していることを隠して性交渉をおこなった事件としては、2009年に逮捕されたドイツの女性ユニット「ノー・エンジェルス」のナジャ・ベナイサが有名です。ナジャ・ベナイサは医師から「状態は安定しており他人に感染させる可能性はほとんどない」と言われていたのにもかかわらず、結果として当時の交際相手に感染させてしまい、有罪判決を受けました(注2)。

 ナジャ・ベナイサは実際に感染させていて、チャーリー・シーンの場合は感染させていない(これから感染者が出てくるかもしれませんが)のだから有罪にはならないのでは?と感じる人もいるでしょうが、感染させたかどうかに関わらず「HIV感染を知っていて性交渉」だけで有罪になる国や地域もたくさんあります。米国では州によって異なります。今後、チャーリー・シーンと関係をもった個々が訴訟を起こすことになるでしょう。

 チャーリー・シーンの一連の報道でふたつめの問題として取り上げたいのは「恐喝」です。私はここできれい事を言いたいわけではありませんが、本当に「感染をバラされたくなければカネを出せ」と言われていたのなら、それが元交際相手であったとしても決して許されることではありません。「感染を隠しておこなう性交渉」がどれだけの罪かというのは国や地域で決めることですが、「恐喝」はいかなる理由があったとしても人道にもとる行為です。

 感染を隠して性交渉を持ったことに対する負い目があったのかもしれませんが、「恐喝」に応じるというのは最悪の選択です。おそらくチャーリー・シーンの「計算」としては、「恐喝として警察に相談すれば、自分が感染を隠して性交渉を持ったことが発覚し、その罪を問われることになるだろう。ならばカネを払って自分の罪を隠す方がいい」と判断したのだと思いますが、一度恐喝に応じると要求される金額がどんどん跳ね上がっていきます。そして実際にそうなっていたようです。

 3つめの問題はチャーリー・シーン自身の「性依存症」です。性依存症というのは、定義がはっきりしておらず、きちんとした「病気」と認められているとはいえません。(たとえば「DSM-5」と呼ばれる米国精神医学会の診断基準には「性依存症」という病名はありません) ただ、近年では、性依存症は、アルコール依存症や薬物依存症、ギャンブル依存症といった依存性疾患と同じカテゴリーに属するとする意見が有力です。

 性依存症として最も有名な一人としてタイガー・ウッズが挙げられます。タイガー・ウッズは性依存症の診断がつき、カウンセリングを受けていたことが報道されています。また元米国大統領のビル・クリントンも有名です。ただ、クリントンの場合は不倫相手と妻に精神的苦痛を負わせたのは事実ですが、ひとりの女性との不倫を「病気」としてしまえば、世界の多くの男性が(女性も)性依存症の診断がついてしまうかもしれません。診断がつくだけならいいですが、「病気だから仕方がないだろ」という開き直った行動にでる者が出てくれば新たな問題を生みます。

 性依存症は芸能人にも多く、ハリウッド俳優として以前から有名だったひとりがチャーリー・シーンです。他に有名なのはマイケル・ダグラス、エディ・マーフィーあたりでしょうか。チャーリー・シーンとマイケル・ダグラスは映画『ウォール街』で共演しており、その二人が映画では共に「金の亡者」、実生活では共に「性依存症」というのは、なにやら皮肉めいたものを感じます。

 私が日々診ている性依存症(疑いも含めて)の患者さんのなかには、(狭い意味の)恋愛にはまったく興味がなく「乱交や買春がやめられない」という「乱交型」(ほとんどがストレートの男性)がいます。このタイプは、性感染症に罹患したから受診した、という人が多く、ほぼ全例で病識がなく罪悪感を持っていません。

 一方、狭義の性依存症には入りませんが、性行為というより「恋愛」そのものに依存している、いわば「恋愛依存症」もあり(女性が多いが男性も少なくありません)、これは乱交型ではなく、逆に「ひとりのパートナーへの独占欲」が極めて強いことが特徴の「独占支配型」です。1日に百回以上電話やメールをおこない些細なことで猛烈に嫉妬します。男性の場合はDVの加害者になる場合も少なくありません。その恋愛の終わり方は様々ですが、すぐに新しいパートナーを見つけ、同じようなことを繰り返します。

 チャーリー・シーンの場合は、きちんとした交際歴や結婚歴もあり(ボンド・ガールのデニス・リチャーズと結婚していたこともあります)、数千人と経験があるとされていますが単純な乱交型ではありません。パートナーへの暴力が報道されていますから「乱交型」と「独占支配型」の混在といえるでしょう。

 先に紹介した『Radaronline』の記事によりますと、「マダム」の証言では、チャーリー・シーンは(普通の)女優やポルノ女優の他に性転換者も買春し、そのうちの何人かは「恋人」にしていたそうです。さらに驚かされるのは、この記事によりますと、一人あたりなんと25,000~50,000ドル(約300~600万円)という高額で「購入」していたそうです。年収4千万ドル(約48億円)ともいわれるチャーリー・シーンからすればたいしたことのない金額なのかもしれませんが、ここまでくると、単なる性依存症の一患者とはみなせません。

 これらを改めて考えてみると、チャーリー・シーンがHIVに感染するのも時間の問題だったのかもしれません・・・。しかし、定義にもよりますが、性依存症を患っている男女は決して少なくないこと、ただ一度の性行為でもHIVに感染することもあるということは忘れてはいけません。

 
注1:この記事は下記URLで読むことができます。

http://radaronline.com/celebrity-news/charlie-sheen-hiv-positive-madam-interview-hookers-exposed-virus/

注2:詳しくは下記コラムを参照ください。

GINAと共に第51回(2010年9月)「HIV感染を隠した性交渉はどれだけの罪に問われるべきか」

参照:GINAと共に第89回「性依存症という病」


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第112回(2015年10月) HIV治療の転換~直ちに投薬、PEP、PrEP~前編

 HIVに感染しても薬をすぐに飲む必要はない・・。

 これは最近までHIVに感染して間もない人に伝えていた言葉です。今ではこの言葉はもはや「過去の考え」となりました。

 2015年9月30日、WHO(世界保健機関)は、HIV感染の治療と予防に関する新しいガイドラインの一部を発表しました(注1)。そこには、「小児から成人まですべての人のHIVの治療を免疫状態にかかわらず可及的速やかに開始する」と記載されています。

 つまり、HIVに感染すると、年齢がいくつであっても、また血液検査の結果に関係なく全員が薬を飲みなさい、ということです。これは画期的なことです。

 HIVの薬をいつ開始するか。これまではCD4(正確には「CD4陽性リンパ球」)の数が指標にされていました。HIV感染が持続し、免疫状態が悪化するとCD4が下がってきます。(正確にはCD4が下がるから免疫状態が悪化するのですが) ですからCD4の数をみて、「そろそろ免疫力が低下してきた。薬をはじめなければ・・」と従来は考えられてきたのです。

 2000年代半ば頃まではその基準が200/uLでした。つまり血液検査でCD4が200/uLになって初めて「では薬をはじめましょうか」となっていたわけです。2000年代半ば頃から、その基準を350/uL程度にするようになってきました。より早い段階で薬を開始することになったのです。さらにその後は500/uL程度であっても開始しようということになり、数に関わらず本人が希望する場合や、体調が悪いのであれば500/uL以上であっても薬を開始してもかまわない、という流れになってきていました。

 今回のWHOの改定は、CD4の数にも他の検査値にも関係なく、年齢がいくつであっても、まったく無症状で体調不良がなくても、全員が薬を直ちに開始しなさい、ということですからHIV治療の歴史に残る大きな転換点になります。

 ところで、普通は何らかの病気に罹患すれば早く薬を飲むのが基本です。「早期治療」というやつです。そういう観点で考えると、ずっと昔から、HIV感染が判った時点で薬を開始すべきではなかったの?という疑問がでてきます。

 少し前まで、HIVの患者さんの多くは「できることなら治療開始を遅らせたい」という人がほとんどでした。「早期治療」のまったく反対のことを希望されるのです。これはなぜなのでしょう。

 その理由は5つほどあります。ひとつめが「副作用」です。HIVの薬は、もちろんその種類にもよりますが、古くに登場した薬であれば、吐き気、下痢、だるさなどが比較的高頻度に起こっていました。自覚症状がなくても肝機能、腎機能が悪化することもありますし、貧血が生じることもあります。そんなに副作用のリスクがあるなら、できるなら飲みたくない、あるいは飲むにしても少しでも遅らせたいと感じるのは理解できることです。

 2つめの理由として「面倒くさい」というのがあります。今でこそHIVの薬は1日1回でよくなりましたが、以前は数種類もの薬を、たとえば「これは食後に飲んで、これは食事に関係なく12時間ごとに飲まなければならない・・・」といった感じで毎日薬をきちんと飲むのが大変なのです。ずっと家にいる高齢者であればできないことはないでしょうが、HIV陽性の人の多くは仕事を持っていますし、忙しい生活のなかで薬の管理は困難なのです。

 3つめの理由は「他人にみつかるリスク」です。先に述べたように12時間毎とか食後とか言われると、職場に持って行かなければならないこともあるわけです。そして、HIVの薬というのはたいてい普通の薬よりも大きくてなぜかけばけばしい色をしています。珍しい色と形の薬がみつかれば、当然「その薬何?」と同僚から問われるリスクがあります。

 4つめの理由は「飲み合わせ」です。HIVの薬は飲み合わせが非常にむつかしく、比較的よく使われる鎮痛剤、抗菌薬、睡眠薬、あるいは低容量ピルなどとの相性が悪いのです。このため近くのクリニックや診療所を受診したときに処方される薬、あるいは薬局の薬を気軽に飲めなくなるという問題があります(注2)。もちろん、HIV陽性であり薬を飲んでいることをきちんと医師に伝えれば問題ないわけですが、なかには思い切ってそれを伝えたとたんに医師の態度が豹変し「来ないでくれ」と言われたという人もいます(注3)。

 ですから、いまだにHIV陽性であることを医療機関を受診する際に隠している人もいるのが実情です。こういう人たちは、飲み合わせの関係からせっかく飲んでいるHIVの薬が効かなくなるというリスクを抱えているのです。

 HIVの薬を少しでも遅らせたいと感じる5つめの理由は「費用」です。HIVの薬はものすごく高く、生涯必要となる薬代は若いときに発覚したとすれば1億円を超えます。もちろんこのような費用を全額負担することはできませんから保険や他の公的扶助を用いることになります。実際には、日本に済んでいる限りお金がないからHIVの薬を飲めないということは(日本国籍があれば)ありません。日本はHIVの治療を受けるということにおいて恵まれた国といっていいでしょう。

 さて、WHOの今回のガイドラインの影響で、現在まだ薬を開始していないHIV陽性の人も投薬開始を検討することになります。すでに私が診ているHIV陽性の患者さんも今月(2015年10月)から投薬開始が決まった人が何人かいます。(私が院長をつとめる太融寺町谷口医院ではHIVの薬の処方ができないために、実際の処方はエイズ拠点病院でおこなってもらっています)

 では、これからHIVの薬を開始するとして、先にあげた5つの問題にはどのように対処すればいいのでしょうか。順にみていきましょう。

 まず1つめの「副作用」については、「副作用ゼロではないが以前に比べると大幅に減っている」というのが実情です。起こりうる副作用は一時的なものが多いですし、定期的に血液検査をおこなっていれば特に心配する必要はありません。

 HIVの薬には多数のものがあり、どのようなものをどのように飲み合わせるかはケースバイケースです。しかし、最近では1日1回2種類の薬を飲むだけというパターンが増えてきており、職場に持って行く必要もなくなっています。したがって先に挙げた「面倒くさい」と「他人にみつかるリスク」はかなり低くなっています。

 4つめの「飲み合わせ」についても、最近登場してよく使われるようになった薬は従来のものに比べて飲み合わせの制限が随分と少なくなっています。また、HIV陽性を診ない、という医療機関も随分減ってきています。私が大阪市北区にクリニックをオープンさせた2007年当時は、「この前受診した医療機関でHIV陽性の人は診られませんと言われた」、と私に訴えてくるHIV陽性の患者さんがけっこういました。しかし最近では、診てくれないところが皆無とは言いませんが、HIV陽性の人も他の患者さんと同じように診察する医療機関が"当たり前"になってきました。もはやHIV陽性を隠して医療機関を受診する必要が(皆無ではありませんが)なくなったのです。

 最後の「費用」の問題は、医療費自体は安くなっていませんが、先にも述べたように日本に住んでいる限り、薬代が高価すぎて治療を続けられない、ということはありません。

 HIVの薬は飲み忘れの回数が増えると効かなくなってくるというリスクがあります。そのため、決して「気軽に始めましょうよ」と言って処方するような薬ではありません。規則正しい生活をおこない、副作用に気をつけながら一生薬を飲んでいくという覚悟が必要です。しかし、副作用は大きく減り、飲み合わせの問題も減少し、HIV陽性であることを隠して医療機関を受診しなければならない時代は過去のものとなりました。

 2015年9月30日のWHOのガイドライン改訂の発表はHIVの歴史の大きな転換点になるはずです。次回は日本ではまだ馴染みのないPEPとPrEPの話をします。


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注1:この発表については下記のURLを参照ください。

http://www.who.int/hiv/en/

注2:ときどき受ける質問に「HIV陽性の人はHIV以外のことでエイズ拠点病院に相談できないの?」というものがあります。答えは「拠点病院ですべてに対応できない」です。エイズ拠点病院の仕事は「HIVのコントロール」が中心であり、単なる風邪や腹痛、不眠といったよくある疾患(コモンディジーズ)には対応できません。そもそも熱があるから仕事帰りに病院を受診しようと思っても大きな病院(拠点病院)は受診できません。したがってよくある疾患を診てくれるプライマリ・ケア(総合診療)のクリニックをかかりつけ医としてもつ必要があります。また、プライマリ・ケアのクリニック以外にも歯科、眼科など特殊な検査や治療が必要となる領域のクリニック受診も必要になります。

注3:HIV陽性者の診察拒否については下記コラムが参考になると思います。

GINAと共に第95回(2014年5月)「HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院」

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第111回(2015年9月) 洗濯物を拒否されたHIV陽性者

 前回は、HIVに感染している人もしてない人もHIV/AIDSに対する正しい知識を持ち、感染者を地域全体で支えている「理想郷」ともいえる北タイのひとつの地域社会について述べました。

 タイは1990年代に、このままでは国が崩壊するのではないかと思われるくらいHIV感染者が増加しました。しかしその後行政や様々な民間の組織による啓発活動が功を奏し、また2004年頃からは抗HIV薬が次第に無償で支給されるようになり、エイズによる死亡者は減少し感染者は増えなくなりました。

 そのため、タイは世界的にみて「エイズ撲滅に成功した国」のような扱われ方をすることがあります。たしかに近隣諸国に比べると感染者の増加率は高くはありません。しかしここはきちんとおさえておかなければなりません。感染者は「増えなくなった」だけであり、減少しているわけではないのです。実際、年間の新規感染者は15,000人程度で横ばいが続いています。

 かつては年間の新規感染が15万人近くもありましたから、それから考えると10分の1にまで減少しているわけで、これはたしかに見方によっては「成功」といえるでしょう。しかし、年間15,000人という絶対数をよく考えてみると成功ではなく「停滞」がふさわしいといえます。日本の新規感染も減少しないどころか増加傾向にありますが、それでも年間1,500人程度ですからタイは日本の10倍ということになります。タイの人口は日本の約半分ですから、単純計算で新規感染率は約20倍にもなるのです。

 マスコミや世論の関心は常に新しいものを求めます。HIV感染者が増加しているときは話題になりますが、新たに世間の注目を浴びるような出来事がなければ、誰も口にしなくなり人々の興味が失せていきます。

 HIVについていえば、新規感染が減らないことはもちろん課題ですが、それ以上に問題として取り上げたいのがHIVに対する「差別」です。

 前回HIVの「理想郷」として紹介したタイ国パヤオ県のプーサーン郡はタイ北部の最果てにあります。プーサーン郡を含めてパヤオ県はかつてタイ国でHIV陽性率が最も高い地域でした。しかし、HIV感染者が多いのはパヤオ県だけではありません。タイ北部はタイ全土のなかで最もHIV感染者が多い地域として知られていました。そして北タイの最大の都市は古都チェンマイです。

 感染者率ではパヤオ県の方が高かったわけですが、感染者数では人口の多いチェンマイ県の方がはるかに多かったのです。そのため、チェンマイには世界中の慈善団体やNGOが集まってきました。行き場のない感染者を保護し、世論には「HIVは差別されるような疾患ではない」ということを訴え続け、新たな感染者を生み出さないような活動をこういった団体がおこなってきました。

 そういった多数の団体の活躍もあり、北タイのHIV新規感染は減少し、かつて存在した筆舌に尽くし難い差別は急速に減少していきました。「筆舌に尽くしがたい差別」とは、たとえば、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされたとか、食堂に入ろうとすると食器を投げつけられ追い返されたとか、村人全員から石を投げられて村を追い出されたとか、そういったものです。

 こういった差別は北タイだけではなくタイ全土にありましたが、やはり感染者が多く(良くも悪くも)ムラ社会が残っている北タイでの被害の声は小さくありませんでした。私がGINA設立を決めたのは、単に困窮しているHIV/AIDSの人たちの力になりたいと考えたことだけではありません。むしろ、言われなき差別をなくすことに強い使命を自覚した、という理由の方が大きかったのです。

 2015年8月、前回述べたパヤオ県プーサーン郡を訪れる前日に、私はチェンマイの施設「バン・サーイターン」を訪問しました。施設長の早川文野さんから話を聞くためです。私が初めて早川さんにお会いしたのは2004年の夏です。それ以降、可能な限り年に一度は訪問できるように努めています。チェンマイには他にも訪れるべき施設があるのですが、チェンマイにまで足を伸ばしたときは可能な限り早川さんから話を聞く時間をつくるようにしています。

 というのは、早川さんは2002年からHIV陽性者を支援・保護する組織(当時は「バーン・サバイ」)を運営されていましたが、他の慈善団体やNGOと違うところがあり、それは、「HIV陽性者のなかでも特に"問題"のある人たちに深く関わってきている」ということです。

 特に"問題"のある人たちとは、たとえば、少数民族(山岳民族)やミャンマー(ビルマ)からの難民であったり、HIVに感染する以前から犯罪歴が多数ある人たちであったり、薬物・売買春を繰り返しおこなっていた人たちであったり、幼少時に性的虐待を受けて自身のセクシャル・アイデンティティが確立されていない(つまり自分が男か女か分からないということ)人たちであったり・・・、とこのような人たちです。早川さんの運営する組織では、常にこのような人たちを積極的に受け入れてきたのです。

 その早川さんから2015年の夏のその日に聞いたことは、翌日にパヤオの「理想郷」で見聞きしたものとはまったく異なるものでした。

 早川さんによれば、まだ統計には出てこないものの、HIVの新規感染は最近確実に増えているそうなのです。早川さんの周囲にも感染が判った人が増えてきており、1週間で3人の感染が発覚した週もあったそうです。

 それだけではありません。感染者に対する「差別」が復活してきています。たとえば、早川さんが以前から関わっているひとりのHIV陽性の人は、洗濯屋で露骨な差別を受けたそうです。なんと、持ち込んだ洗濯物を拒否されたというのです。この人はHIV陽性であることをカムアウトしているわけではありません。なぜHIV感染が疑われたのでしょうか。この人の感染を知っている人が誰かにそれを伝え噂として広まったのか、あるいはこの人は最近急激に痩せてきたために見た目からHIV感染を疑われたのかもしれません。

 HIVに感染しているからという理由で洗濯物を拒否される・・・、これがどれだけ辛いことか想像できるでしょうか。しかもこれだけでは済まなくなるかもしれません。このコミュニティでは、そのうちに食堂に入れてもらえなくなったり、乗り合いバスに乗せてもらえなくなったりと、あの90年代から2000年代半ばまで存在していた先にも述べた忌まわしき差別の数々が再び生じる可能性もあります。

 では、そうさせないためには何をすればいいのでしょうか。やはり、かつてチェンマイで活動していた慈善団体やNGOがおこなってきたことをもう一度やり直すしかないでしょう。しかし、現在は当時と状況が異なります。北タイでは新規感染が以前に比べると減少し(ただし減り続けてはいない!)、抗HIV薬が無料で支給されるようになり(ただし少数民族や難民には支給されない!)、そのためにHIV感染者を支援する団体が当時とは比べものにならないくらい減っています。小さな団体のなかには消滅したところもありますし、大きな組織のいくつかは活動の現場をタイから他国に移しています。

 前回私は、HIVに関する差別をほぼ完全に消滅させた「理想郷」であるパヤオ県プーサーン郡の自助組織「ハック・プーサーン」をGINAとして応援していく、ということを述べました。その支援のひとつとして、いったん中断していたラジオ局の復活を手伝うこととしました。

 そして、それとはまったく別の方向の支援として、洗濯物を拒否されるような忌まわしき差別をなくすために、正しい知識をどのように世間に伝えていくべきか考えていきたいと思います。

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