GINAと共に

第126回(2016年12月) これからの「大麻」の話をしよう~その2~

 2016年11月8日の米国での出来事と言えば「次期アメリカ大統領の選挙」であり、翌日の世界中の新聞はトランプ氏一色でした。一方、同日に米国のいくつかの州でおこなわれた住民投票についてはほとんど報じられることがありませんでした。しかし、この住民投票の結果が日本を含む世界に与える影響は決して小さくありません。

 その「住民投票」は大麻の合法化を問うもので、結果を言えば「医療用大麻」が4州で、「嗜好用大麻」も4州で合法化が決まりました。これにより、米国では「医療用大麻」は合計28州+ワシントンD.C.で、「嗜好用大麻」は合計8州+ワシントンD.C.で合法化されたことになります(注1)。

 嗜好用大麻は今世紀に入ってから合法化する国が多く、所持・栽培できる量の制限や公共の施設での使用禁止などルールは設けられているものの、ヨーロッパではいくつかの国で事実上解禁されています。20世紀には「大麻ならオランダ」というイメージがありましたが、現在は、UK、スペイン、ポルトガル、ベルギー、スイス、チェコスロバキアなどでも嗜むことが可能です。(ただし外国人は違法である地域も多い)

 中南米でもメキシコやジャマイカなど事実上合法の国が多いのですが、ウルグアイについては2013年から「完全合法」です。つまり、個人使用だけでなく生産や売買までOKとなった世界初の国となったのです。世界初というイメージがあるオランダは、いわゆる「コーヒーショップ」と呼ばれる一部の店での個人使用はOKですが、個人所持や売買は現在も違法です。

「完全合法」の2番目の国はカナダになりそうです。2017年には法律が制定される予定です。ちなみに、カナダ政府の報告書によると、25歳以上のカナダ人のうち1割が1年以内に大麻を使用し、3分の1以上が「これまでに使ったことがある」と調査に答えているそうです。

 日本はどうでしょうか。2016年に日本の大麻関連で最も話題となったのは、7月の参議院議員選挙に立候補していた元女優の高樹沙耶氏の逮捕・起訴でしょう。大麻取締法違反で逮捕された高樹氏は、参議院選挙の公約として「医療用大麻の研究推進」を掲げていました。

 高樹氏の逮捕ほどは大きく報道されませんでしたが、長野県池田町の過疎化した集落で形成されていた大麻コミュニティが2016年11月に摘発されました。このコミュニティは県内外からの移住者が集まってできたものらしく、大麻を所持していたなどの理由で合計22人が逮捕されています。この地域の山中で大麻を栽培していたそうです。

 これは私の推測に過ぎませんが、おそらく同じようなコミュニティは日本にまだまだあると思います。また、大麻は室内でも温度、湿度、光線量などの環境を整えれば栽培することが可能です。表に出てこないだけで使用している日本人は少なくありません。実際に若者の間で大麻愛好家が増えているというデータもあります。

 警察庁組織犯罪対策部が公表している2015年の報告(注2)によると、薬物事犯の検挙人員は13,524人(前年比3.1%増)であり、覚醒剤は11,022人(前年比0.6%増)とほぼ前年並み。一方、大麻は2,101人(前年比19.3%増)と2割近くも増加しています。同庁の分析では「若年層による大麻の乱用傾向が増大している」とされています。

 一方、日本では従来より"敷居"の低い覚醒剤(2015年の検挙人員の8割以上)は中高年での使用が問題となっています。警察庁によれば、「第3次乱用期」と呼ばれた1997年は摘発者約2万人の50%が20代以下で、40代以上は23%。しかし2008年にはこれが逆転し、2015年には40代以上が6割近くを占めるまでになっています(注3)。

 大麻に話を戻します。過去にこのサイトで何度も指摘しているように、日本の報道は誤解を招きやすくなっています。最も問題なのは、日本のメディアの多くが大麻も覚醒剤もコカインも麻薬も同じように扱っているということです。これらは危険性も依存性もまったく異なります。大麻の危険性を強調しすぎることにより、他の違法薬物との違いが認識されなくなってしまうことが問題である、ということを過去に何度も指摘しました。

 今回はもうひとつの問題を挙げたいと思います。逮捕された高樹氏が参議院選挙出馬時に強調していたことが「医療用大麻の合法化」です。(しかし、高樹氏は「嗜好品」として大麻を嗜んでいたことが後に報道されました) 大麻は薬品としても使えるが嗜好品でもある、と考えている人がいますが、ここは厳密に区別した方がいいと思います。

 大麻には多くの化学物質が含まれており、総称を「カンナビノイド」と呼びます。カンナビノイドのうち重要なのがTHC(テトラヒドロカンナビノール)とCBD(カンナビジオール)です。そして、嗜好性があるのがTHCです。現在医療用大麻を推進している医療者(の大半)はCBDの有用性を訴えているのであり、THCの合法化を求めているわけではありません。

 ただし、CBDの有用性も現段階では高いエビデンス(科学的確証)があるとはいえません。症例報告ベースでは、「難治性の疾患に効いた」というものも出てきていますが、正式な薬として認められる段階には至っていません。1996年の住民投票で合法となったカリフォルニア州を筆頭に現在では合計28州(+ワシントンD.C.)で医療用大麻が使えるアメリカではどうかというと、私の知る限り、医療用大麻の研究が積極的におこなわれているとは言えません。むしろ大麻の効果に懐疑的な医師も少なくありません。

 嗜好品としての大麻推進派の人たちのなかに、大麻を「医薬品にもなる良いもの」という言い方をする人がいますが、彼(女)らが求めているのはCBDでなくTHCです。現在の科学技術をもってすれば、大麻からCBDとTHCを分離することは困難ではありません。ですから、大麻の議論をするときには、それがCBDなのかTHCなのかを分けて考えるべきです。高樹氏のように、選挙活動で「医療用大麻(CBD)」と言っておきながら、自分自身はTHCを嗜んでいた、という話を聞くと、CBDがダシに使われているように思えます。今後、有識者会議や国会でも大麻が議論になる機会が増えると思います。そのときにその大麻がTHCなのかCBDなのか(あるいは他のカンナビノイドなのか)をはっきりと区別して論じる必要がありますし、マスコミにもその点を考えて報道してもらいたいというのが私の意見です。

 次に、嗜好品としての大麻を日本でも認めるべきか、という問題を改めて考えてみましょう。私個人の考えとしては、ウルグアイやカナダのような全面解禁には反対です。両国とも未成年への使用は禁じるそうですが、私は健康な成人にも禁止すべきという考えを持っています。以前にも述べましたが、(THCとしての)大麻は多幸感が得られるという長所がありますが、ダラダラと寝そべり、身体を動かすのもおっくうになります。こんな状態では勉強も仕事もできません。この点、覚醒剤とは正反対です。覚醒剤をキメて勉強すれば徹夜も平気になりますし、一晩中トラックを運転していても疲れませんから、ワーカホリックの日本人には覚醒剤が適していたと言えなくもないのです。
 
 大麻には依存性が少ないと言われていますが、まったくないわけではありません。大麻を若いときに覚えてしまったがゆえに、多幸感に耽り努力を怠ってしまう、というのは避けるべきではないでしょうか。大麻(THC)推進派はよく「タバコやアルコールより依存性が少ない」と言いますが、タバコは多幸感が続くわけではありませんし、アルコールも度を越さなければ翌日には持ち越しません。一方、大麻は(もちろん程度にもよりますが)「翌日も何もする気が起こらない...」ほど持続することもしばしばあります(注4)。

 しかし、リタイヤ後の高齢者はどうでしょう。あるいは若年者でも難治性の疾患を患っている場合はどうでしょう。大麻を摂取すれば(それがTHCの影響なのかCBDによるものなのか私には分かりませんが)食欲が大幅に亢進します。私の知人の大麻愛好家(外国人)は「大麻の最大の欠点は太ること」と言います。高齢者も難治性疾患を抱えた若年者も得てして食欲が落ちます。実際、食欲を出すために医療者は様々な工夫をしているのです。こういった人たちには嗜好品としての大麻(THC)を解禁してもいいのではないかと私は考えています。

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注1:2016年12月現在、医療用大麻が合法化の州は下記の通り(アイウエオ順)。(新)は、2016年11月8日の住民投票で新たに合法化された州です。

アラスカ州、アリゾナ州、アーカンソー州(新)、イリノイ州、オハイオ州、オレゴン州、カリフォルニア州、コロラド州、コネティカット州、デラウェア州、ニュージャージー州、ニューハンプシャー州、ニューメキシコ州、ニューヨーク州、ネバダ州、ノースダコタ州(新)、ハワイ州、バーモント州、フロリダ州(新)、ペンシルバニア州、ミシガン州、ミネソタ州、メイン州、メリーランド州、モンタナ州(新)、ルイジアナ州、ロードアイランド州、ワシントン州、ワシントンD.C.

嗜好用大麻が合法の州は下記です。

アラスカ州、オレゴン州、カリフォルニア州(新)、コロラド州、ネバダ州(新)、マサチューセッツ州(新)、メイン州(新)、ワシントン州、ワシントンD.C.
追記(2019年9月1日):下記2つの州でも合法化されました。
バーモント 2018年1月
ミシガン州:2018年11月

カリフォルニア州は、2010年11月2日の住民投票では大麻合法化が否決されました。詳しくは下記を参照ください。

GINAと共に第53回(2010年11月)「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」

全米で最も早く嗜好用大麻が合法化されたのはコロラド州で2014年の1月です。下記も参照ください。

GINAと共に第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」

注2:下記を参照ください。

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/yakujyuu/yakujyuu1/h27_yakujyuu_jousei.pdf


注3:覚醒剤が最も入手しやすい国は、まず間違いなく日本であることを過去に指摘してきました。90年代にはタイの方が容易だったという意見もありましたが、2002年あたりから当時のタクシン政権が検挙に力を入れ一気に入手できない国となりました。一説によれば冤罪も多く合計数千人が覚醒剤所持などの疑いで射殺されたと言われています。(このあたりはGINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」で詳しく述べています)

その後タクシン政権がクーデターで失脚し、一時はタクシンの娘のインラックが首相となりましたが、現在タイは軍事政権です。軍事政権と聞くと薬物の取り締まりが厳しそうなイメージがありますが、実態はその逆です。すでに、90年代と同じくらいに薬物入手が簡単になっている上に、2016年6月には法務大臣が驚くべき発表をおこないました。なんと、「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言したのです。下記URLを参照ください。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-3645552/Thailand-considering-legalising-CRYSTAL-METH-ruling-junta-s-general-admits-world-lost-war-drugs.html

注4:もっとも私のこの理論はあまり説得力がないかもしれません。アルコールの方が大麻よりも依存性が強いのは事実ですし、本文には「アルコールは翌日に持ち越さないが大麻は続く」と書きましたが、これも程度によりますから、一概には言えません。ただ、私が知る大麻愛好者(ほとんどが外国人)は、大麻をキメすぎて翌日の予定をキャンセルしたり、一日中寝そべっていたり、とそういった体験を頻繁にしています。

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第125回(2016年11月) 既存の「性風俗」に替わるもの

 私がタイのHIV/AIDS事情を知るようになり、HIVの差別解消に取り組み、新たな感染者を生み出さないような努力をしなければならないと考えてからおよそ15年が経過しました。最初の頃は、無我夢中でいろんなところに足を運び、いろんな人に話を聞きました。

 タイでは、感染者のみならず、HIV/AIDSのホスピスやシェルターに関わっている人たちから話を聞き、さらに薬物依存症の患者、(元)セックスワーカー、未成年で親に売られHIVに感染した若い女性、男性からのレイプ被害に幼少児に合いいまだに自身の「性」が分からないという人などとも知り合いました。

 日本でも、感染者、LGBTの人たち、(元)セックスワーカー、性依存症の人、薬物依存症の人などいろんな人たちと話をしてきました。

 それで、GINAのミッションである「HIV感染を予防するための啓発活動」がどれだけできたのかと問われると、「社会に貢献できている」とまでは言えないと感じています。実際、日本の感染者はいまだに減少傾向にはなっていません。個人レベルでみたときには、例えば私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診された患者さんで、「自分のとっていた行動がとてもリスキーであることが分かりました」と言ってくれる人も少なからずいますし、GINAのサイトからメールで質問された人から後日感謝メールをいただくこともありますから、少しくらいは貢献できているのかもしれません。しかし、まだまだだ、と感じています。

 これまでの私の経験を振り返って、最も痛烈に感じるのは「正しい知識が普及すればHIVを含む性感染症は間違いなく激減する」ということです。これは断言できます。なぜなら、ほんの遊び心からもってしまった性的接触でその後の人生を大きく変えることになる性感染症に罹患した人は、全員が、「そんなに簡単に感染するとは知らなかった」「今なら絶対にあんなことはしない」などと口をそろえて言うからです。

 例えば、一般に「HIVはオーラルセックスで感染する可能性は極めて低い」と言われていますが、谷口医院の患者さんのなかにはオーラルセックスでHIVに感染した人も複数人います。なかには、生まれて初めて交際した相手からオーラルセックスで感染したという人もいます。彼(女)らは、「あんなことで感染するなんて・・・」と言います。

 HIVの前に、B型肝炎ウイルス(以下HBV)の対策を先におこなうべき、というのは私が言い続けていることですが、このことがまだまだ世間に浸透していません。HBVは汗や唾液から感染することもありますから、谷口医院の患者さんのなかにも、キスやハグ(裸で抱き合う)といった行為で感染した例もあります。彼(女)らは「まさか、その程度で感染するなんて」あるいは「なぜワクチンをうっておかなかったんだろう」「ワクチンがあるなんて知らなかった」と言います。

 HIVやHBVといった生涯消えることのないウイルスでなくても、例えば、淋病やクラミジアに罹患し、自覚症状がないために自分の大切な人に感染させてしまい後悔してもしきれないという人達も何人もみてきました。なかには大切な家庭を失った、という人もいます。こういった人たちも「そんなことで感染するなんて・・・」と必ず言います。

 性感染症に罹患した大半の人は、「もしも時計の針を巻き戻せるなら・・・」と、考えても仕方がないことを何度も考えてしまうに違いありません。

 性感染症に罹患しない最善の方法は「危険な性接触を避ける」となります。そして、これを実践するには「正しい知識をもつ」ことが必要です。GINAや私自身はこのことに取り組んできたつもりです。しかし「正しい知識を持とうね」と言っても「はい、わかりました。では講義をしてください」と言う人はそういません。では、どうすればいいか。いくつか案があるのですが、これまで10年以上、性感染症に苦しんでいる人たちを診てきた私が、最も主張したいことのひとつが「性風俗産業をなくすべきでは」ということです。

 これが非現実的な暴論と非難されるのは覚悟しています。例えば法律で「性風俗店」をすべて違法にしてしまうと、同じようなサービス業が地下に潜むだけですから、セックスワーカーも顧客も、今よりもかえって危険性が増すのは自明です。また、現実的に恋愛を楽しむのにハンディキャップがある人、例えば身体障がい者の人たちは、性風俗産業がなければ射精ができず身体的苦痛を負うことになります。

 またこのような「反論」もあるでしょう。HBVとHPVのワクチンを接種し(HPVの4価ワクチンを接種していれば尖圭コンジローマのリスクが激減します)、オーラルセックスを含めてコンドーム(やデンタルダム)をしていればセックスワーカーも顧客も安全じゃないのか、という反論です。しかしこの考えは不十分です。まず梅毒は防げません。梅毒はたしかに「治癒」する疾患ですが、治療に難渋することも最近は増えてきており、「安易な行為」に後悔する人が後を絶ちません。また性器ヘルペスも防げません。性器ヘルペスは命にかかわる感染症ではありませんが、一度感染すると病原体は生涯消えず、何度も再発に悩まされることもあります。私が診た患者さんでも精神的に病んでいき、家庭が崩壊してしまった人もいます。

 私は恋愛を否定する者ではありません。特定のパートナーがいるのに、別の人と恋に落ちる行為については、私個人としては賛成しませんが、世の中にはいくらでもあるということは理解できます。今述べているのは、「性欲」を満たす目的で性風俗産業を利用するのはやめるべきではないか、ということです。

 セックスワーカーの大半は生活のために働いているわけで、そういう人たちの保証はどうするんだ、という声もあると思いますが、少なくともセックスワークをするリスクについては再考すべきだと思います。私が日本で診てきた大変な性感染症に罹患したセックスワーカーから「初めから知識があればあんな仕事しなかったのに・・・」という言葉をこれまで何度聞いたことか・・・。

 私個人の意見を言えば、パートナーがいる人はパートナーとのセックスを楽しむべきだと考えています。「愛情はあるけれど、長年一緒にいすぎてそんな気になれない」あるいは「すでに愛情も冷めている」という声もあるかと思います。しかし、そんなときこそ、パートナーを「改めて愛するチャンス」だとは言えないでしょうか。

 では、パートナーがいない人が「有り余る性欲」で苦しんでいるときはどうすればいいか。突拍子もない意見と思われるでしょうが、私の考えは「恋人ロボット」です。これだけIT産業が発達し、家庭用のロボット登場も間近になった時代です。すでにITは、チェスや将棋で人間を凌駕し、作曲をおこない、小説も書いているのです。「見た目」のみならず「感情」も人間に近いロボットが登場するのも時間の問題でしょう。ならば恋人ロボットの登場も可能ではないでしょうか。私個人の印象を言えば、技術はすでにあるのではないか、と思っています。ただ、倫理的な問題が伴うために、本格的な実用化、普及化に至っていないだけではないでしょうか。

 すでに一部の愛好家の間では、高性能の「ダッチワイフ」を恋人にし、服を買ってあげたり、一緒に旅行に行ったりしているそうです。今はこのようなことをすれば他人の目が憚られると思われますが、ロボットの性能が上がり、多くの人がこういった行動をとるようになると、やがて「当たり前」のことになるかもしれません。そして、恋人ロボットの需要が増えると、女性ロボットだけでなく、男性ロボットも登場することになるでしょう。

 性依存症の人たちも、複数のロボットを持つ(あるいは滅菌済のロボットをレンタルする)ことによって「性欲」を満たせることになるでしょう。日本のロボット工学は世界に誇れるはずです。そして日本のアニメーションは世界中で評価されています。これらのことを考えると、例えば日本政府が恋人ロボットの開発・製造を奨励すれば、一気に高性能の"恋人"が世界中に現れて、日本経済は潤い、性感染症は激減します。

 いいことづくしの対策だと思うのですが、やはり突拍子もない考えなのでしょうか・・・。

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第124回(2016年10月) レイプ事件にみる日本の男女不平等

 大学生による集団レイプ事件が立て続けに起こりました。それも、1つは東京大学、もうひとつは慶応大学のエリート男子学生によるものです。2つの事件ともさんざんメディアが報道しましたが、ここでも簡単に振り返っておきましょう。

 2016年5月11日未明、東京大学の「東大誕生日研究会」なるサークルの主要メンバーが、都内のマンションで女子大学生に暴行を加え、強制わいせつや暴行の罪で逮捕・起訴されました。

 2016年9月2日、慶応大学の「広告学研究会」というサークルのメンバー5人が、神奈川県葉山町にあるこのサークルが運営しているとされる海の家のそばの合宿所で18歳の女子大学生を集団レイプし撮影までおこないました。

 これら2つの事件を聞いて、過去の大学生による集団レイプ事件を思い出した人も多いのではないでしょうか。90年代後半以降、大々的に報道された事件を確認しておきたいと思います。

 1997年11月、当時19歳の女子大学生が帝京大学ラグビー部らの大学生合計8人に集団レイプされました。

 1999年7月、慶応大学の(なんと)医学部の学生5人が、当時20歳の女子大学生を集団レイプしました。

 早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーの大学生らが、1999年頃から常習的に集団レイプを繰り返していたことが発覚し、2001年12月、2003年4月及び5月の合計3件の事件で起訴されました。2004年に制定された「集団強姦罪・集団強姦致死傷罪」はこの事件がきっかけと言われています。

 こういった事件を聞いて加害者の男たちに憤りを感じない人はいないと思いますが、私は加害者だけでなく、大学の対応がいい加減ではないか、と感じます。本来なら、刑事事件を起こした学生を直ちに退学にし、大学が被害者に何らかの対応をすべきではないでしょうか。もちろん入学時に加害者の「罪を犯す潜在性」を見抜くことは現実的にはできないでしょうが、やはり大学は警察任せにすべきではないと思います。

 なぜ、大学は被害者の立場に立った対応をしないのか。私にはその理由が、女性を軽視しているからではないかと思わずにはいられません。おそらく被害にあった女性は生涯この忌々しい事件を忘れることができません。実際、先に述べた帝京大学ラグビー部事件の被害者の女性はその後精神症状に苦しまれているそうです(注1)。(尚、映画「さよなら渓谷」で描かれた集団レイプ事件の被害者のモデルが帝京大学事件の被害者と言われています)

 私はフェミニストではありませんが、レイプの加害者に対する日本の社会の対応は甘すぎるのではないかと常々感じています。私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院にもときにレイプの被害者が訪れます。初めから「レイプの被害にあって・・・」と申告する人はわずかであり、たいていは何度か通院し、医師・患者関係が築けてからそれをカムアウトされます。受診のきっかけは、めまい、動悸、嘔気、不眠などいろいろです。なかには事件の後、リストカットを繰り返すようになったという人もいます。

 レイプ被害者への不充分な対応と直接関係があることを証明はできませんが、世界経済フォーラムが公表している「ジェンダー・ギャップ指数2015」が興味深いデータを示しています(注2)。男女差別が「ない」順にランキングがおこなわれているのです。1位はアイスランド、2位はノルウェー、3位以降にフィンランド、スウェーデン、アイルランドと続きます。日本はなんと101位です。(ちなみに米国は28位、中国91位、韓国115位)

 このデータは、レイプ被害者への対応が考慮されているわけではなく、経済、教育、政治、保健の4つの分野のデータから分析されたものです。しかし、総合的に男女差別のない国であれば、自然にレイプ被害者に対する手厚い対応がとられるでしょうし、それ以前にレイプそのものに対する世間の見方が日本とは異なるでしょう。

 男女差別がなく、女性の権利が最も認められる国といえば、私にはアメリカのイメージが強いのですが(注3)、意外にも、このランキングで米国は28位です。しかし、その米国では私の知る限り、レイプに対する制度が大変厳しく定められています。

 日本とは大きく異なり、米国の大学では、性交渉におよぶときはパートナーからの正式な「合意」を得られなければ、なんと大学から除名されるそうなのです。オンラインマガジンの『クーリエ・ジャポン』が伝えています(注4)。

 報道によれば、現在米国の多くの大学では、キャンパス内でのレイプや男女間のトラブルを避けるための性交渉のルールが作られています。例えば、ニューヨーク州では、州内の大学に対し、性交渉におよぶときには「積極的合意」を事前に得ることを義務付けているそうです。さらに、規約には、「沈黙や我慢、静観は、"同意をしている"とは見なさない」と定められているのです。

 つまり、性行為に及ぶときは互いの「合意」が必要であり、例えば見つめ合ったまま言葉もなくキスをするのは「合意なし」とされ、レイプとして訴えられるかもしれない、ということになります。

 まだあります。「合意」は、自発的なものでなければならず、それもはっきりと示さなければならないそうです。しかも、その「合意」は、いつでも取り消し可能であることが必要であるとまで定められているそうです。

 いまや米国の1,500以上もの大学で似たようなルールが設けられているそうです。

 そして、性行為の「合意」を証明するためのアプリまで存在するというから驚かされます。このアプリ、その名も『YES to SEX』といい、パートナーが合意を示す音声を最大25秒間記録し、それをセキリュティ管理された専用サーバーに1年間無料で保管してもらえるというものです。その音声は、訴訟になった場合にのみアクセスができる仕組みになっているそうです。

 私は過去に何人か、レイプの被害で性感染症に罹患したという患者さんを診察しています。タイではレイプでHIVに感染したという未成年に遭遇したこともあります。日本の患者さんでレイプでHIVに感染したという症例は診たことがありませんが、レイプの被害にあい、「HIVに感染したかもしれない・・」という不安に駆られ、何日も眠れない夜を過ごし、感染していなかったことが判ってからも精神症状に苦しんでいる患者さんを複数診ています。そして、以前のコラムでも述べたように(注5)、レイプの加害者は、まったくの見ず知らずの男よりも、(元)配偶者からのものが多く、また(元)恋人、友人、知人、上司などが加害者のケースも少なくないのです。これを「デートレイプ」と呼び、日本では軽視され過ぎていることをそのコラムで問題提起しました。デートレイプが軽視できない以上は、先に述べた『YES to SEX 』は日本でも必要なツールかもしれません。

 しかし、一方では、最近の若い男女(特に男性)は性に消極的という話もよく聞きます。性行為前の「合意」をアメリカと同じように義務付けるなら、日本の若者はさらに性から遠ざかってしまうのではないでしょうか。けれども、レイプの被害者のことを考えると・・・。むつかしい問題です。

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注1:下記が参考になります。
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2013/06/-20111212.html

注2:内閣府の下記ページで詳しく紹介されています。

http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2015/201601/201601_03.html

注3:私はアメリカ人女性と交際したことはありませんが、アメリカ人女性の強いフェミニズムに辟易としたという男性(日本人もアメリカ人も)の話は過去に何度か聞いたことがあります。そして、こういう話を外国人とおこなうと、よく話題になる「世界三大不幸」というものがあります。イギリスの料理を食べて、日本の家に住んで、アメリカ人の妻を持つ、というものです。一方、「世界三大幸福」は、中国の料理を食べて、アメリカの(大きな)家に住んで、日本人の妻をもつ、というものです。(これ以外にも、ドイツの車に乗る、イタリアの服を着る、フランスの愛人を持つなどのバリエーションがあります) この手の話は男性どうしの会話ではたいてい盛り上がりますが、「アメリカ人の妻をもつ」も「日本人の妻をもつ」も女性蔑視に違いありません。

注4:下記を参照ください。

https://courrier.jp/news/archives/58348/2/

注5:GINAと共に第81回(2013年3月)「レイプに関する3つの問題」

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第123回(2016年9月) タイでLGBT対策が不要な理由

 LGBTという言葉が知名度を得るようになってきましたが、まだまだ問題は山積みです。これは日本だけでなく、比較的急進的な考えを持つ人も多いアメリカでも同様です。

 例えば、アメリカでは2016年5月、政府(オバマ政権)は、全米の公立学校に対し、生徒が自ら望む性別のトイレ使用を認めるよう通達しました。ところがテキサス州など13の州が、この政府の通達を「認められない」としてテキサス州の連邦地裁に提訴し、地裁は「必要な手続きを経ていない」といった理由で政府の通達を「差し止め」としたのです。また、ノースカロライナ州では州政府が「出生証明証に書かれた性別のトイレを使う」と義務付けた州法を制定しており、米国政府と対立しています。

 建築上の観点から学校などではむつかしいでしょうが、トランスジェンダー対策に積極的な企業や自治体は「多目的トイレ」を利用しているようです。日本でも、例えばいち早くLGBT支援宣言をおこなった大阪市淀川区では、区役所内の多目的トイレがトランスジェンダーの人に使ってもらえるよう工夫がされています(私も見学しました)。

 しかし、全体でみれば日米とも問題は多数あります。以前お伝えしたように(注1)、日本ではLGBTが働きやすい職場づくりを目指す任意団体「work with Pride」が、企業のLGBT施策を評価し優秀企業を表彰する事業を始めることを発表しました。しかし、各企業・団体を、ゴールド企業、シルバー企業、ブロンズ企業と「認定」するとしたこの企画は、LGBTのためではなく、企業のイメージアップを目的としたものとならないかを私は懸念しています。

 実際、「LGBTに優しい」というイメージを打ち出そうとしているある企業で働く私のゲイの知人は、「とても会社でカムアウトできる雰囲気じゃないし、実際にカムアウトしたなんて話は聞いたことがない」と言います。その企業の規模を考えると、少なく見積もっても数百人のLGBTの人たちがいるはずなのですが、まだまだ実態はこのようなものです。

 では、LGBTの先進国(と、言ってもいいでしょう)のタイではどうでしょうか。タイではLGBT(を含むセクシャル・マイノリティ)の割合は、2割とも3割とも、あるいはそれ以上とも言われています。もしも、タイにはよく訪問するがそういったことは感じられないという人がいれば、観光地ではなく、中学校(それは公立でも私立でも)の周囲を訪れてみればすぐにわかります。化粧を上手にした男子生徒と女子生徒が楽しく歓談している風景が当たり前のようにあります。

 デパートに行く機会があれば、化粧品売り場を覗いてみてください。私が以前訪れたある地方都市のデパートでは、美容部員(カウンセラー)の半数以上がトランスジェンダー(男性から女性)でした。タイでは男性から女性のトランスジェンダーのことを「カトゥーイ」と呼び(ただし日本語にない母音があるためこのまま発音しても通じません)、英語では最近は「レディボーイ」と言われることが増えてきました。(日本風にいえば「ニューハーフ」でしょうか) 

 そのレディボーイをPCエアーというタイの航空会社がフライトアテンダントとして大々的に募集した、ということを過去にこのサイトで紹介しました(注2)。その後この話も聞かなくなり、うやむやになったのかと思っていたのですが、当初の予定より規模は小さくなったものの、数名のレディボーイのフライトアテンダントが誕生し、現在も勤務されているようです(注3)。

 ただ、私の知る限り、トランスジェンダーの人たちは、就職で不利になることが一切ないとまでは言い切れないと思います。実際にそのような声を聞いたことがあるからです。しかし、ゲイ、レズビアン、バイセクシャルの人たちは、ほとんど差別はないと言いますし、職場でもカムアウトしていることが非常に多いと言えます。もしもタイ人に友達ができれば聞いてみるといいでしょう。どこの職場でもカムアウトしているLGBTの人が当たり前のようにいます。

 2016年8月15日、私は、タイ国パヤオ県プーサーン郡のエイズ自助グループ「ハック・プーサーン」の会議に参加しました。この会議では、グループのメンバーが問題なく生活できているか、新たにメンバーになってもらう人はいないか、などを検討します。その会議の終了後、私はタイのLGBT対策について尋ねてみました。

 その答えは、「そんなものはない」でした。

 つまり、そんなものは必要ない、というのです。私が、日本ではLGBTの医師や看護師の99%以上はカムアウトしていない(できない)ということを話すと、「信じられない。タイでは医療者のLGBTはみんなカムアウトしている」と言います。そして、タイ東北地方のウボンラチャタニ県にある大きな病院の話をしてくれました。この病院の院長がレディボーイで、長い髪を束ね、毎日きれいないメイクを欠かさないとのこと。「腕がいい」との評判で遠くから多くの患者さんが集まってくるそうです。

 私はLGBT対策が大変なのは日本だけではなくアメリカにも問題があることを話し、冒頭で紹介したトイレのことを説明しました。すると、一笑され、「タイ人はそんなことを考えない」との答え。「プーチャイ・コ・ダーイ、プーイン・コ・ダーイ」(男用でも女用でもどちらでもかまわない)と言われ、この言い方が可笑しくて思わず笑ってしまいました。「まったく、日本人もアメリカ人もいったい何を考えてるの?」というのが彼(女)らの意見なのです。

 タイ人は、会話のなかでよく「ニサイ・ディー(性格が良い)」「ニサイ・マイディー(性格が悪い)」という表現を使います。日本でも、他人の話をするときに、「あの人は性格が・・・」という会話になりますが、タイ人の方がはるかに他人の性格のことを話題に取り上げるような気がします。つまり、タイ人にしてみれば、大切なのは「性格」であり、生まれたときの性別がどちらであろうと、その人の性の対象がどちらであろうと、どのような格好をしていようが、化粧をしていようがしてなかろうが、そんなものは対人関係に何ら問題がないと考えているのです。

 私が参加したこの会議でもうひとつ興味深いことがありました。それは、「タイではこれだけLGBTが暮らしやすいのになぜ同性婚が認められないのか」という私の質問に対し、「同性婚?そんなものとっくに認められているよ」という答えが返ってきたからです。その後私は、タイの比較的知識階級が高いと思われる人たちに同じ質問をしてみましたが、けっこうな確率で「同性婚は合法」と言われました。

 タイでは同性婚は法的に認められていません。では、なぜ世間の人たちは合法と考えているのでしょうか。それは、全員ではないものの多くの人たちが「籍を入れることにこだわっていない」からです(注4)。考えてみると、元首相のインラック女史は、パートナーと子供がいますが入籍はしていません。(ですから、おそらく世界初の「事実婚の国家元首」となるはずです) つまり、同性で一緒に暮らしている人が周りにいくらでもいることと、異性どうしでも「入籍」することにあまり価値を置いていないことから、彼(女)らは「同性婚は合法」と思い込んでいるというわけです。

 どこの国でもそうですが、タイにもいい人もいれば悪い人もいます。おしなべて言えば、タイ人の長所は他人に優しくて細かいことを気にしない、となりますが、短所として、いい加減、時間を守らない、約束をすぐ反故にする、などがあります。タイ人のすべてがいいわけではもちろんありませんが、ことLGBT対策については学べるところがたくさんあるのではないか。私はそう考えています。


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注1:下記を参照ください。
GINAと共に第121回(2016年7月)「時期尚早のLGBT対策」

注2:下記を参照ください。
GINAと共に第60回(2011年6月)「同性愛者の社会保障」

注3:下記の新聞記事を参照ください。
https://www.theguardian.com/world/2012/jan/17/pc-air-transgender-flight-attendants

注4:LGBTの権利について法整備をすべきという声も一部にはあります。

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第122回(2016年8月) ボランティアに生命を賭すひとりの女性

 医療の現場では医療者から「感動」をもらうことがしばしばあります。熟練の外科医の執刀を見学してその正確さと迅速さに感動するということもありますが、感動を与えるのはベテランの医師だけではありません。研修医や若い看護師のひたむきさに感銘を受けることもありますし、思いやりのある介護士に感心させられることもあります。医師や看護師には話してくれないことを信頼できる介護士には話すという患者さんもいるのです。

 この「感動」は、医師であれば、医学部の病院実習で初めて経験することになり、研修医となりいろんな現場に出るとこの「感動」の連続であり、おそらくほとんどの医師は人生観が変わります。私は医学部に入る前に社会人の経験もありますからその頃との比較をよくおこなうのですが、医療現場で得られる「感動」は通常の社会人生活では得られないものです。死期が迫っている患者さんは信頼できる医療者には家族にも言えない本音を話します。リスクの高い手術を受ける患者さんが医療者に見せる素顔は、きっと会社では見せないものでしょう。

 ただ、この「感動」にも慣れてしまうのか、毎日が「感動」の連続だった研修医の頃に比べると、最近は心を動かされることが少なくなってきました。しかし最近、「そうだ! これが医療現場で体験する本物の"感動"だったんだ・・・」と感じることがありました。私にその"感動"を与えてくれたのは、医師でも看護師でも介護士でもなく、ひとりのボランティアの女性です。

 千葉県出身の鈴木真実さんは2年前までタイを拠点に、孤児、エイズ患者、障がい者などに対するボランティア活動をおこなっていました。精力的に活動される鈴木さんはタイでの活動をおこないやすくするために財団法人「HUG & SMILE」を立ち上げました。「財団法人」といっても利益を出す団体ではなく、日本で言えばNPO法人のようなものです。タイではNPOに法人格が与えられないために、財団法人というかたちで法人をつくったのです。法人であれば何かと費用はかかりますが、現地での活動がおこないやすくなります。

 しかし、現在の鈴木さんの住所はタイではなく実家の千葉県です。そして、タイに渡航するのは月に1週間だけです。もちろん、鈴木さんにはやりたいことが山のようにありますから、本当はタイにずっと滞在していたいはずです。財団法人を設立した目的のひとつは長期滞在できるビザが取得できることです。

 鈴木さんがタイに長期滞在できない理由、それは持病があるからです。2014年の夏、体調不良を自覚した鈴木さんはHUG &SMILEの事務所の近くにあるバンコクの病院を受診しました。診断は「再生不良性貧血」。極めて難治性の疾患で、有効な治療法があるとは言えないものです。

 現在の鈴木さんは1週間に一度のペースで輸血を受けなければなりません。再生不良性貧血という疾患は、赤血球、白血球、血小板のいずれもが減少します。鈴木さんの場合、血小板の低下が顕著であり、1週間に一度のペースで血小板輸血をおこなったとしても、輸血直前には血小板の数値がなんと3千にまで下がると言います。この数字だと、もしも転倒したり、冗談であっても軽く叩かれたりすれば、出血が止まらなくなり大変なことになります。そのため、バンコクから成田空港に到着したときは空港で車いすを利用し、次の輸血を受けるために空港近くの病院を速やかに受診されるそうです。

 再生不良性貧血では白血球も低下します。これが何を意味するか。感染症に対して脆弱になるのです。ですから日頃から感染症に気を付けて、もしも発熱や咳など風邪を含む感染症の症状があれば重症化する可能性があり、重症化すれば鈴木さんがケアしている孤児に感染させる可能性が出てきますから活動は中止せざるを得ません。

 鈴木さんはエイズ施設にもボランティアに行きます。

 2016年8月18日、私は鈴木さんと共に、世界最大のエイズホスピスと言われている「パバナプ寺」、さらにそのパバナプ寺が開発した巨大な施設、通称「セカンドプロジェクト」と呼ばれるコミュニティを訪れました。これら2つの施設にはエイズ孤児、HIV陽性の患者さんが大勢暮らしています。

 現在のタイは、私が初めて訪問した2002年とは様相が全く異なります。2002年当時はタイでは抗HIV薬が使用されておらず、HIV感染は「死」を意味しました。当時のパバナプ寺の入所者は、いずれ死を避けられないことを自覚しており、特に重症病棟には微笑みも希望も一切ありませんでした。軽症病棟や寺の敷地内のバンガローのような個室で生活している人は比較的元気でしたが、死は長くても数年で必ずやってくるものであり、全員がいずれ訪れる死までのモラトリアムを過ごす施設だったのです。

 現在は抗HIV薬が使えるようになり、たとえ重症病棟に入っても社会復帰できる可能性があります。当時の「死に至る絶望」しかなかった時代とは雲泥の差なのです。しかしながら、HIVは感染初期に発見されるとは限りません。エイズを発症して初めて感染が分かるという人も依然少なくないのです。そういう人たちは、結核やカリニ肺炎などを発症している、もしくはいつ発症するか分からないという状態です。つまり、エイズ施設でのボランティアというのは、重篤な感染症のリスクにさらされることを意味します。免疫能が正常であれば問題ありませんが、再生不良性貧血を抱えた鈴木さんは白血球の数値が低下しているのです。

 パバナプ寺のスタッフが鈴木さんを見つけると「マミ、マミ」と言って寄ってきてハグしようとします。これだけならいいのですが、患者さんまでもが鈴木さんにハグしようとするのです。この光景、医師が見れば度肝を抜かれます。まともな医師なら、直ちに抱き合っている二人を離して鈴木さんに説教するでしょう。「あなた、自分の病気のことがわかっているのか!」と叱らなければならないところです。しかし、私にはそれができませんでした。

 実は、私は2014年夏の時点、つまり再生不良性貧血の診断がついた時点から鈴木さんから相談を受けていました。私の助言はもちろん「エイズ施設に出入りすべきでない」というものです。しかし私は主治医ではありませんから、これを決めるのは最終的には本人と最も助言できる立場にある血液内科の主治医です。私は、主治医がエイズ施設訪問の許可をするはずがない、と考えていました。しかし、私の予想に反して主治医は許可したのです。もちろんこれは苦渋の決断だと思います。おそらく他の医師から非難されることを覚悟で許可されたのでしょう。この決断を是とするか非とするかは意見が分かれるでしょうが、私はこの医師の決断を尊重したいと思います。そして何よりも病態の危険性を理解した上でボランティアを続けることを決意している鈴木さんに敬意を払いたいと思います。

 施設の患者さんたちは鈴木さんを見かけると突然笑顔になり「マミ、マミ」と言って近づいてきます。寝たきりの患者さんは、早くこちらにも来てよ・・・、と言いたげに鈴木さんに視線を送ってきます。重症病棟では鈴木さんは、ひとりひとりの話をよく聞いて、そしてハグをします。入所したばかりで鈴木さんと初めて会うという患者さんも、じっと鈴木さんを見ています。そしてベッドサイドにやってきた鈴木さんに、いろんなことを話します。初めての会話のはずなのに、鈴木さんはもう何年も前からその患者さんのことを知っているかのようです。

 私は鈴木さんの対応の仕方だけではなくタイ語が相当堪能なことに気づきました。しかし意外なことに、鈴木さんはタイ語の勉強を本格的にしたことがなく文字は読めないと言います。ちなみに私はタイ語の文字はある程度読めますが、会話力は鈴木さんの足元にも及びません。「それだけタイ語ができると患者さんのことが詳しく知れますね」という私の質問に対し、意外な答えが返ってきました。「そうですね。けど私はタイ語がほとんどできないときから患者さんとコミュニケーションをとるのが好きだったんです。患者さんと話しているとどんどん言葉が覚えられるんです。私のこのタイ語は患者さんのおかげなんです・・・」

 その病気が今後どのような展開となるかを「予後」と言います。鈴木さんは自分の「予後」について理解できているはずです。そして、それを踏まえた上で、現在の活動を続けるという決断をされたのです。GINAとして、そして私個人としても、可能な限り鈴木さんを支援したい・・・。それが私の考えです。


参考:HUG & SMILEのウェブサイト
http://hugandsmile.org/

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