GINAと共に

第131回(2017年5月) ボランティアの地に辿り着くまでのリスク~タイの場合~

 タイ国ロッブリー県にあるエイズ施設「パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)」は、世界最大のエイズホスピスとも呼ばれていて、これまで日本人を含む多くの外国人が訪れています。

 GINAのサイトを見て興味をもったという人も少なくなく、「ボランティアに行きたい。方法を教えてほしい」という問合せは過去10年間で数十件に上ります。ですが、そのなかで実際に訪問した人はほんの一握りに過ぎません。計画を断念した理由は様々ですが、最も多い理由のひとつが「とても辿り着ける自信がない...」というものです。

 世界にはタイよりも遥かに危険な地域がいくらでもあります。退避勧告が出ているような地域にボランティアに行きたいという人はそれほど多くなく、当たり前ですが、自分自身が無事に帰国することを前提にしなければなりません。そういう意味で、治安のいいタイは世界を見渡しても日本人が海外ボランティアとして最初に選択肢に挙がりやすい地域なのでしょう。よくタイと比較されるフィリピンは(地域にもよりますが)総じて治安が悪く、安全性を重視するならタイが選ばれることになります。(ただし、フィリピンにはタイにない利点があります。それは「英語が通じる」ということです。タイでは英語が絶望的なほど役に立ちません)

 タイにボランティアに行きたいという人のいくらかは観光でバンコクやプーケットに行ったことがあると言います。「前に行ったときは自然と料理を楽しんだ。今度は大好きなタイで困っている人にボランティアをしよう」と思うのです。私自身はこういう考えが嫌いではありません。ボランティアはしょせん自己満足、とうそぶく人が多いことを私は知っていますが、そんな意見は放っておけばいいのです。

 さて、それなりにタイを知っているがパバナプ寺のあるロッブリー県には行ったことがないという人は、GINAにどのようにして行けばいいのかを尋ねてきます。私自身がパバナプ寺に行くときは、バンコクから「ロット・トゥー」と呼ばれるワゴン車の乗り合いバスを利用します。大型バスもあるのですが時間がかかるのが難点です。その点ロット・トゥーは猛スピードで向かいますから(これが危険なのですが)あっという間に目的地まで着きます。それに運がよければ、ドライバーに交渉してパバナプ寺のすぐ近くまで行ってもらえることもあります。

 ですが、よほどタイに慣れていてある程度タイ語ができる人以外にはロット・トゥーを勧めることはできません。その最大の理由は、そもそもこのロット・トゥー、合法的な乗り物かどうかがよく分からないということです。元々は違法の乗り物でした。タイの大型バスは時間がかかり融通が利かないために、最初は誰かがワゴン車に人を乗せてお金をとって数時間の距離の運転をしたことが始まりのようです。これは儲かる!ということが分かると同じことをおこなう人が増え、バンコクのアヌサーワリーチャイ(戦勝記念塔)というところが自然発生的にロット・トゥーのターミナルとなりました。そして一気に普及し、「近距離県への移動はロット・トゥーが常識」となってしまったのです。もう後には戻れなくなってしまったために、当局は渋々合法にしたと言われています。タイとはそういう国なのです。しかし、アヌサーワリーチャイのターミナルは違法ですから、ここでの発着は禁止され、現在は他のところに移動させられています。

 しかしタイはタイです。当局が決めたターミナルではなく、そのうちにもっと便利なところから発着するようになる可能性は充分にあります。それに、現在でもどのロット・トゥーが認可を受けた合法なものでどれが違法かということは、外国人のみならずタイ人にも分からないようです。最近になってガイドブックなどにもロット・トゥーの存在が記述されるようになりましたが、少し前までは(違法ですから当たり前ですが)存在そのものが無いものとされていました。GINAとしてはそんな乗り物を紹介するわけにはいかないのです。それに細かい交渉をしたり、荷物が多いときは二人分の料金を払ったりと、タイ語がある程度できなければそれなりにハードルが高い乗り物です。

 さて、ロット・トゥーを使わずにロッブリー県に行く場合、大型バスよりも電車(国鉄)が便利です。バンコクのフォワランポーン駅からロッブリー駅までの切符を買えば1本で着きます。言葉に不自由するタイでも駅の切符売り場では英語でOKです。ロッブリー県に初めて行くという人には私は電車を勧めています。

 ですが、問題はロッブリー駅に着いてからです。駅からパバナプ寺までは車で15~20分程度はかかります。ここで、タイと聞いてバンコクやプーケットを思い浮かべる人は、タクシーかトゥクトゥクに乗ればいい、と考えます。ですが、そのような便利な乗り物はそういった観光地にしかありません。タイに慣れていて、タイ語ができる人は「ソーンテウ」と呼ばれるトラックの荷台のような乗り物(うまく説明できません。興味がある人は「ソーンテウ」で画像検索してください)を利用します。ロッブリーにもこれはありますが、パバナプ寺まではめったに行ってくれません。

 では、どうすればいいか。事実上バイクタクシーが唯一の交通手段となります。このバイクタクシー、タイ人は「モータサイ」と呼びます。モーターサイクルを略した英語由来のタイ語です。タクシーと言えば聞こえはいいですが、要するにバイクの二人乗りです。ドライバーの背中につかまって目的地まで乗せてもらうのです。

 そんなの危険で乗りたくない、と思う人は観光地以外のタイには行かない方がいいでしょう。郷に入っては郷に従え、ゆっくり走ってもらえばいいのでは、と柔軟に考える人ももちろんいます。その程度の柔軟性がなければそもそもパバナプ寺でのボラティアなど考えないでしょう。ですが、まだ問題はあります。

 私も最初は知らなかったのですが、どうもこのモータサイも違法のようなのです。モータサイのドライバー(ライダー)は、全員が同じオレンジ色のゼッケンを付けています。(「モータサイ タイ」で画像検索してみてください) 常識的に考えて、ライセンスをとってタクシー営業の認可を取得した者だけにこのゼッケンが渡されるのだろうと考えたくなりますが、そこはタイ。どうもこのようなゼッケンは自分たちで勝手に作ってしまうそうなのです。ただ、このあたりの真相はよく分からず、一部は合法だという声もありますし、警察や軍に賄賂を渡しているから広い意味では"合法"という意見もあります。

 少し脱線しますが、このモータサイ、バンコクにいるときはなくてはならない乗り物です。BTS(高架鉄道)と地下鉄ができて随分緩和されたとは言え、バンコクの渋滞はひどいものです。タクシーでは時間が読めません。そこで重宝するのがこのモータサイです。なにしろ、他人の敷地に勝手に入っていくのは当たり前、一方通行の逆走など朝飯前、ありとあらゆる方法を使って「最短距離」を走ってくれます。しかもリーズナブルな価格でOK、トゥクトゥクのように高額料金をふっかけられません。ドライバーも皆、田舎からでてきた好青年という感じです。

 話を戻しましょう。ロッブリーの駅前からパバナプ寺までの移動は「つて」がなければ事実上モータサイしかありません。この話をすると、ボランティア志望の大半の女性(そもそもボランティアを希望して連絡してくるのは女性がほとんど)は躊躇しはじめます。たしかにそれはそうかもしれません。タイ語ができない日本人女性が見知らぬタイ人男性のバイクにまたがるわけですから、どこに連れていかれるかわからない恐怖があるに違いありません。私も「タイ人は悪い人も多いけど、モータサイのドライバーなら大丈夫」などと気軽に言うわけにはいきません。

 交通事故の頻度という問題もあります。日本という国はまず間違いなく「ドライバー紳士度アジア第1位」です。タイは、最低国とは言いませんが、日本とは雲泥の差があります。数字でみてもそれはあきらかです。例えば年末年始の交通事故での死亡者数は日本が72人(2016年12月29日~1月3日)なのに対し、タイでは同時期に426人が死亡しています(交通事故は3,579件)。タイの人口は日本のおよそ半分であることを考慮するといかに危険かがわかるでしょう。しかも、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティがなんと"ディスカウント"されるのです!(注1) 私はこれを新聞で読んだとき「自分は永遠にタイを理解できない...」と思いました。

 もしも私がタイについて詳しくなく、今ここに書いたことを初めて知り、年頃の娘がいたとして、その娘から「タイにボランティアに行こうと思うの」と言われればきっと全力で阻止するでしょう。ですから、私自身は、タイでのボランティアを希望していて「やっぱりやめます」という人に対して否定的な感情を持ったことはありません。

 世界には日本からは考えられないような危険な国が多数あること、タイは(私は多くの国を知っているわけではありませんが)比較的治安がよくインフラも整っている方であること、そのタイで困っている人が大勢いること、パバナプ寺を代表とするいくつかのエイズ施設では行き場をなくしいまだに差別や偏見の被害に苦しんでいる人が多数いることなどを知ってもらえればそれで充分だと考えています。

 それでもやっぱりタイで困っている人に直接何かしたい、という人がいればいつでもGINAのサイトから私にメールをください。わずかでも力になれることがあるかもしれません。

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注1:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。

http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount

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第130回(2017年4月) LGBTを理解するのにお勧めの方法

 2017年2月に授賞式がおこなわれた第89回アカデミー賞で作品賞を受賞した『ムーンライト』は、前評判が高すぎたことも原因なのか、日本ではいまひとつ評価が高くないようです。残念なことに、なかには「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という声もあるとか...。

 ですが、一方では絶賛する声も少なくなく、「もう一度観たくなる」という意見も多く私自身もそう思います。背景、音楽、話の展開のテンポなど、どこをとっても申し分なく、純粋なラブストーリーに、イジメ、売春、ドラッグなどの社会問題が関わった、観る者の心の奥深くに訴えかけてくるような映画です。どちらかというとハリウッド系というよりはフランス映画に近い感じがします。

 同性愛(LGBT)、人種問題、買売春、薬物問題などを扱った映画は「社会派の映画」になることが多く、例えば、罪のない黒人が駅構内で白人警官に射殺された実際の事件を描いた『フルートベール駅で』はまさに人種差別を告発する映画です。このサイトで私が過去に絶賛した『チョコレートドーナツ』はハンカチなしでは観られない映画ですが、ゲイのカップルに親権が認められない点がストーリーの鍵となっています。世界初の性転換手術を受けた男性が主人公の『リリーのすべて』は、リリーを支える元恋人の女性の感情や行動がとても繊細に描かれていて私はそこに感動しましたが、やはり社会派映画という側面があります。買売春や薬物が出てくる映画は山のようにありますが、それらが大きくクローズアップされればされるほど社会派のニュアンスが強くなります。

 一方、『ムーンライト』にはそのような要素はほとんどなく、LGBT、黒人差別、薬物や買売春を社会的な観点から描いているわけではありません。アカデミー賞受賞は、白人至上主義のトランプ大統領へのアンチテーゼだ、という声もあるようですが、私にはまったくそのように思えません。

『ムーンライト』はフィクションですが、原作者のタレル・アルヴィン・マクレイニー自身の体験がベースになっているようです。マクレイニーの母親はエイズで死亡しており、違法薬物、さらに売春の経験もあったのでは、との噂があります。

 ストーリーを紹介すると「ネタバレ」になってしまいますから、ここでは私が感動を覚えた点についてだけ述べておきます。

『ムーンライト』は三部構成になっており、主人公のゲイの少年期(小学生時代)、ティーンエイジャーの時期(高校生時代)、成人期と分かれています。人によって見方が変わるとは思いますが、私が最も印象的だったのはティーンエイジャーの時期です。

 主人公シャロンには友達がほとんどおらず唯一仲良く話してくれるのは同級生のケヴィンだけです。ある日シャロンが家に帰ると、男を連れ込んでいる母親から「出ていけ」と言われます。ドラッグジャンキーの母親はドラッグ買う金欲しさに身体を売っていたのです。母親に追い出されたシャロンは以前お世話になったことのある女性の元を訪ねます。そして家に帰ると母親から金をせびられます。唯一の身内である実の母親から家を追い出されるシーン、その母親から小遣いを巻き上げられるシーン、行き場がなくひとりで電車に乗っているシーン、細い身体と腕でバックパックを背負って弱々しく歩いているシーン、そして悪い同級生の策略からケヴィンに殴られるはめになったものの決して倒れようとしないシーン・・・、いずれも私の頭から当分の間離れないでしょう。

 シャロンのケヴィンに対する感情は「愛」となり、それは一途なものです。しかし、ケヴィンはハイスクール時代にはガールフレンドもいましたし、成人してからは結婚していたことを知らされます。そしてその後の展開は...。

 もうひとつ、同性愛を描いた映画を紹介しておきたいと思います。『キャロル』というレズビアンが主人公の映画で、日本では2016年に公開されました。主人公キャロルを演じたケイト・ブランシェットの演技力が見事なのですが、この映画もストーリーが胸をうちます。『太陽がいっぱい』の原作者トリシア・ハイスミスが別名義で1952年に発表した自伝的小説が元になっていると言われています。50年代には自らのセクシャル・アイデンティティを公表することができなかったのでしょう。

『ムーンライト』、『キャロル』に共通すること。一言で言えば「純粋な愛」となるかもしれません。そしてそこには「LGBTの権利を!」といった社会的な要素が一切ありません。行き過ぎたリベラル派が振りかざすポリティカルコレクトネスなどとはまったく縁がないものです。つまり、男性が男性を愛そうが、女性が女性に夢中になろうが、それは男女間のものと何ら変わりはないのです。

『キャロル』を観た時も、『ムーンライト』を観終わったときにも、私は旧友のあるゲイの言葉を思い出しました。彼は私にこのようなことをよく言っていました。

「ノンケの男の人が女性に恋するとき、女性を性の対象として"選択"したんですか? 自然に好きになった人が女性だったんじゃないんですか。僕も同じです。自然に好きになった人が男性だったんであり、考えて"選択"したわけじゃないんです」

 私は彼からこの言葉を聞いたとき、それまでに恋に落ちた女性たちを思い出してみました。当たり前ですが私は"選択"していません。きっかけは様々ですし、出会った瞬間から恋に落ちたケースばかりではありませんが、ひとつ確実に言えることは、私は彼女たちの性を"選択"したわけではないということです。そこには社会的な意味も、もちろんポリティカルコレクトネスもありません。

 LGBTが理解できないという人や、『ムーンライト』を「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という人は、自分の恋愛を思い出してみるのがいいでしょう。果たしてあなたは好きになった相手の性を"選択"したのでしょうか。

 過去にも述べたようにここ数年でLGBTという言葉がすっかり定着し、LGBTの権利が主張されるようになり、マスコミでも特集を組まれることが増えてきています。一部の企業は「LGBTが働きやすい」ことをPRしています。

 ですが、実際に「うちの職場は働きやすい」と感じているLGBTの人たちはどれだけいるでしょう。私の知人のあるゲイは、「LGBTに優しい」ことを訴えているある大企業に勤めていますが、「カムアウトなんてとてもできる雰囲気じゃないし、実際にカムアウトした社員の話なんて聞いたことがない」と言います。

 LGBTを理解するのに最も簡単な方法。それは実際にLGBTの人たちと仲良くなることです。特に女性の場合、ゲイの友達は男友達や女友達にも話せないことをよく理解してくれることがあるようで、私のある知人の女性は、「恋愛のことで悩んだときはまずゲイの友達に相談する」と言っていました。

 次に簡単な方法は、先述した私の知人のゲイの言葉にあるように、自分の恋愛は"選択"したものかどうか考えてみることです。自然に恋するのに男性も女性もないということが分かるでしょう。

 そしてもうひとつ推薦したいのは現在公開中の『ムーンライト』を観に行くことです。

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第129回(2017年3月) 「エイズパニック」から30年後の今考えるべきこと

 個人的な話となってしまいますが、私が高校を卒業したのは1987年の3月。翌月から関西学院大学(以下「関学」)に通うことが決まっていました。

 高校時代にろくに勉強していなかった私が高3のクリスマスイブの日に渡された河合塾の全国模試の偏差値は40。この成績で合格できる大学はほとんどありませんが、どうしても関学に行きたかった私はそれからの約1ヶ月半を1日16時間以上、一心不乱に勉強し奇跡的に合格することができました。

 受験勉強から解放された私は合格発表を受け取った日から、一切鉛筆を持たなくなり狂ったように遊びだしました。そのとき、大勢の人たち、それは同級生だけでなく、周りの大人たちも、「エイズに気を付けろ」と私に忠告してきました。

 受験勉強に没頭し、新聞もテレビも一切みないという生活をしていた私はまったく知らなかったのですが、ちょうどその頃に、神戸在住の20代の女性が性交渉でHIVに感染しエイズを発症したことが大きく報じられていたのです。

 翌月から通うことになる関学は兵庫県西宮市に位置していますが、世間一般には神戸圏の大学とみなされています。私の高校は三重県伊賀市というド田舎にあり、自宅から通える範囲に大学はありません。関西圏が最も多いものの、名古屋圏や関東の大学に進む者も少なくなく同級生は全国に散らばります。4月からの新しい生活の話題になると、神戸圏で暮らすことになる私に対して多くの人達が「エイズに注意せよ」と言うのです。

 入学後も同級生や先輩との会話でこの話題は何度か出たと思うのですが、実は当時の私はエイズという問題にほとんど興味がなくあまり覚えていません。私が医学部を目指そうと思ったのは関学を卒業し社会人になってからですし、自分がHIV陽性の女性と関係を持つなどとはまったく想像できなかったからです。今考えてみれば、検査をしてなくて感染に気付いていない人が潜在的にいるはずで、そのような相手と突然ロマンスに陥ることもないわけではない...、と考えるべきことがわかりますが、当時の私には「自分には縁のないこと」と高を括っていたのです。

 記憶は随分曖昧ですが、1987年の春に私が聞いたことで覚えているのは、神戸の若い女性が日本人女性で初めてエイズを発症した。その女性は性風俗産業に従事していた、ということくらいです。正直に言うと、その女性が気の毒とか、その女性のために何かしたい、などとはまったく思いませんでした。

 その15年後の2002年10月、大学病院で研修医をしていた私は1週間の夏休みをもらい、タイのエイズ施設にボランティア(と呼べるほどの活躍はできませんでしたが)に行きました。そこで見た光景は、さんざんいろんなところで話して書いてきましたが、想像を絶する世界で、患者さんたちは「死へのモラトリアム」を過ごしているだけでした。当時のタイでは抗HIV薬がまだ使われていなかったのです。

 彼(女)らの病状を和らげることは当時の私にはできませんでしたが、話を聞くことはできます。タイは英語がまったくといっていいほど通じない国ですが、患者さんと話したいと考えていた私はタイ語の堪能な知人を通訳として連れていきました。女性のなかには(そして男性のなかにも)性風俗というか、売春をしてHIVに感染したという人も少なからずいました。当時タイ語のまったくできなかった私は、知人の通訳に「そんなことダイレクトに尋ねて本当のことを話してくれるの?」と聞いたところ、「いや、ダイレクトな言い方はしない。ゴーゴーバーで働いていたことがあるか、とか、外国人相手の接客をしていたか、といった聞き方をすればだいたいわかる。この国の買売春のあり方は日本とはまったく異なるんだ」と教えてくれました。

 大勢のタイ人のエイズの患者さんを目の前にして、当時の私はまだ日本人のHIV陽性者をひとりも診察したことがないことを思い出しました。そして、そのとき私は1987年の日本人初の女性エイズ患者のことを考えてみたのです。その後帰国し、大勢の日本人のHIV陽性者を診察することになりますが、このときはまだ「日本人のHIV/AIDS」というものがイメージできなかったのです。

 他のところでさんざん述べているように、その後私がHIV/AIDSの諸問題に取り組みたいと考え、そしてGINA設立の動機になったのは、HIVという病原体やエイズという疾患に医学的な興味があるからというよりも、HIV感染に伴う差別や偏見に立ち向かいたいと考えたからです。

 そういった観点から改めて1987年の神戸の女性のことを考えてみると、この「女性」は当時相当辛い思いをしたことが想像できます。可能ならこの「女性」の家族に当時の話を聞いてみたいものですがそれはできないでしょう。

 当時の「彼女」の苦しみを何とか知る方法はないか...。30年前の雑誌や新聞の入手は極めて困難ですし、当時の新聞記事のデジタル化はおこなわれていないと思われます。ですが、一部の新聞(産経新聞)の写真がネット上で公開されていることを見つけました(注1)。

「彼女」がHIVに感染していることが発覚したのは1987年1月17日。前年の夏頃から高熱に悩まされ肺炎の診断がついたものの当初は原因がわからず、最終的にカリニ肺炎と診断されようやくエイズを発症していることがわかりました。他界したのはそのわずか3日後の1月20日です。この日の記事(注2)のタイトルは「エイズの女性死ぬ」です。この「死ぬ」という表現に違和感はないでしょうか。どことなくこの「女性」を蔑んでいるように感じられないでしょうか。

 注1の産経ウエストのウェブサイトによれば、「不特定の男性100人以上を相手に7年間売春行為を続けていた」「三宮・元町で出会った男性と性交渉を持った」といった情報が飛び交っていました。なかには、「女性」のプライバシーを暴くことを試みて、実名や顔写真を載せる週刊誌まであったそうです。これでは「患者」ではなく「加害者」の扱いです。

 また、神戸市によれば、「女性」の報道を見聞きして、自分も感染したのではないかと考え、電話で相談する人が続出しました。相談件数は1日に千件を超える日もあり、1月18日~31日の2週間で合計8,400件もの問い合わせがあったそうです。なかには、ノイローゼで入院したり、血液検査を受けた後、感染したに違いないと思い込んで自殺を図ったりした男性もいたそうです。

 さて、21世紀に生きる我々がこの「女性」から学ぶべきことはどのようなことでしょうか。まずは、社会全体でこの「女性」を「加害者」のように見なしたことを反省すべきです。性風俗産業で働くことを「加害者」とみる人もいるかもしれませんが、タイで何人もの元セックスワーカーのHIV陽性者と仲良くなった私の立場からはとてもそのようには思えません。彼女らの大半は、貧困からやむを得ず春を鬻ぐようになったのであり、なかには親に売られたような女性もいるのです。日本とタイは違う、という意見もあるでしょうが、売春(セックスワーク)でHIVに感染した人に対して「加害者」のような扱いをすることを私は許しません。

 ではこの「女性」は被害者でしょうか。報道で名誉を傷つけられたことに対しては「被害者」と言えるでしょう。もしも実名が本当に掲載されたのならプライバシー侵害は自明です。また「女性」にHIVを感染させた男性が自らの感染を隠して性交渉をもったのだとしたら、男性は加害者で「女性」は被害者です。この性行為がレイプであったとすればやはり「女性」は被害者です。

 ですが、故意にうつしたのでなければ男性も「女性」も被害者でも加害者でもありません。またこの「女性」が別の男性に感染させたとしてもその男性は被害者ではありません。当時からHIVの存在は知られていたはずです。学校では習わないでしょうが、性交渉をもつ以上はそういった感染症のリスクがあることは各自の責任で学んでおくべきだと私は思います。

 30年前のエイズパニックから我々が学ぶべきこと...。それは、感染症には加害者も被害者もない、ということだと私は考えています。

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注1:下記URLを参照ください。

http://www.sankei.com/west/news/170117/wst1701170075-n1.html

注2:下記URLを参照ください。
http://www.sankei.com/west/photos/170117/wst1701170075-p2.html

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第128回(2017年2月) そろそろきちんと「難民」の話をしよう

 第45代アメリカ合衆国大統領に就任したトランプ氏は就任前からいくつもの発言で物議を醸していますが、現在最も問題になっているのは、2017年1月27日に署名した「すべての国からの難民の受け入れと、中東やアフリカの7ヵ国(イラク、シリア、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン)からの入国を一時的に禁止する」とした大統領令でしょう。

 これを聞いたとき、ほとんどの人が耳を疑ったのではないでしょうか。すでに世界中のいろんなメディアやSNSなどでこの大統領令がいかに無茶苦茶なものかということが語られています。何しろ、米国の市民権を持っている7か国の人が母国に一時帰国してアメリカに戻ってくると入国できない、というのですから現実の米国の大統領令だとは信じられません。その後、連邦裁判所が大統領令を無効とする判断を下し、ワシントン州シアトルの連邦地方裁判所が大統領令を一時差し止める命令を出しました。

 すでにいろんなところで指摘されているように、イスラム圏7か国のなかにサウジアラビアが入っていないのも筋が通りません。トランプ氏はテロを懸念して7か国を選定したとしていますが、ならば「9.11同時多発テロ事件」の実行犯19人のうち15人がサウジアラビア国籍だったことをどう説明するのでしょうか。おそらく、トランプ氏が手掛けている事業がサウジアラビアと関係が深いために同国は外されているのでしょう。

 さて、今回ここで述べたいのはトランプ氏の外交政策批判ではありません。あまりマスコミは取り上げませんが、私が注目したいのは、その7か国ではなく、件の大統領令の前半の「すべての国からの難民の受け入れ(を禁止する)」というところです。

 これが米国の大統領の発言かと思うと虚しくなるのは私だけではないでしょう。世界中から積極的に難民を含む移民を受け入れてきたのがアメリカ合衆国ではなかったでしょうか。

 そして私が失望しているのは大統領令だけではありません。なぜ、日本ではこのトランプ氏の行動に対する抗議活動が起こらないのでしょうか。あるいは起こっているのだけれど日本のマスコミが取り上げないのでしょうか。メディアの報道を通して私が感じる日本人のトランプ氏への印象はむしろ「好感」のような気すらします。トランプ氏の娘のイヴァンカさんが手掛けるファッション・ブランドは日本で最も人気があるとか・・・。

 この点で対照的なのが英国です。トランプ氏の訪英に反対する署名がすでに180万人以上集まっていると聞きます。同国では10万人以上の署名が集まれば議会で取り上げなければならないという法律があるそうです。英国に長年住んでいる人からは「この国はとても閉鎖的だよ」と聞きます。一方、米国、特に西海岸に住んでいる人からは「この国ほど人種差別のない国はない」と何度も聞いたことがあります。しかし2017年2月に起こっている現実を考えると両国がまったく逆転しているかのようです。

 そろそろ本題に入ります。今回私が言いたいことは「日本人は難民に対し無関心すぎないか」ということです。難民が急激に増えていることはほとんどの人が感じていることかと思います。アフリカから南欧にボロボロの船で大勢の難民がやってくるニュースがしばしば報道されることからもそれは分かるでしょう。どれくらい難民が増えているかをUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のウェブサイトでみてみると、2007年の時点でUNHCRは支援対象を1140万人としていました(注1)。2017年2月現在のUNHCRのサイトには、「2015年初めには、世界で6000万人に上る人が難民、国内避難民あるいは庇護申請者として避難を余儀なくされていた」と記載されています。

 アフリカから欧州に密入国を試みる難民についてもう少しみてみましょう。過去20年間で、約27,000人の難民が地中海を越えようとして亡くなったと言われています。ユニセフの報告(注2)によれば、地中海ルートで亡くなる難民の数は増加の一途をたどり、2016年11月から2017年1月末にかけて死亡した人の数は1,354人に上り、これは前年の同期間の約13倍にも膨れ上がっています。

 地中海に浮かぶ小さな島、ランペドゥーサ島にやって来る難民の姿を描いた映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」は2017年2月より日本でも公開されています。(私はまだ観ていませんが)ベルリン国際映画祭を含むさまざまな映画祭で賞を総なめにし、2017年のアカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされています。この映画の監督のジャンフランコ・ロージ氏にオンラインマガジンの「クーリエ・ジャポン」がインタビューをしています(注3)。監督は日本の難民の現状についても意見を述べています。

 日本に対し難民申請を出したのは2015年の1年間で7,586人です。この数字自体、ランペドゥーサ島に来る難民の数を考えれば微々たるものですし、難民認定を受けられた人はわずか27人。この事実を受けて、ロージ監督は「日本の社会はもっと開かれるべきだ」と主張しています。

 と、言われてもアフリカは日本から遠く現実的に考えにくいかもしれません。ではアジアはどうでしょう。アフリカの問題も大きなものですが、我々アジア人はアフリカの難民よりも先にロヒンギャのことを考えねばならないのではないでしょうか。

 ロヒンギャはミャンマーの西部に居住するアラブ系の民族ですが、国籍を持っていないこともあり人口などの実態はよく分かっていません。数年前からミャンマー軍に迫害を受け、隣国のバングラデシュに難民として数万人が亡命しているそうですが、バングラデシュ政府は正式には受け入れていません。2015年には、海沿いまで移動し海路で周辺国への流入を図るロヒンギャが急増しました。しかし、タイ、マレーシア、インドネシアのいずれの政府も入国を今も拒否しています。船上で多くの人が亡くなっていることは世界中のメディアにより伝えられているとおりです。

 日本にも難民申請をしているロヒンギャは少なくないようですが、入国管理局により強制退去される事例が多いと聞きます。ちなみに、太平洋戦争時代、日本軍がミャンマーに侵攻したことが原因でミャンマー軍によりロヒンギャが迫害された、という話もあります。ロヒンギャは、その後もミャンマー国籍を与えられず、80年代後半、アウンサンスーチー氏の民主化運動を支持すると、ミャンマー軍による弾圧を受けました。そして現在、日本人に絶大な人気があり、ノーベル平和賞も受賞している、事実上現在のミャンマーの統治者であるアウンサンスーチー氏はこのロヒンギャの窮状に対して沈黙しているのです...。

 ミャンマー軍のロヒンギャに対する弾圧は想像を絶する悲惨な状況となっています。世界の人権問題にかかわる非営利組織「Human Right Watch」の報告(注4)によれば、ミャンマー政府の治安部隊は2016年後半からロヒンギャの成人女性と少女にレイプを繰り返し、わずか13歳の少女も犠牲になっています。治安部隊が大勢でロヒンギャの避難所に押しかけて、男性を皆殺し女性をレイプという事件が次々に起こっているそうです。

 私自身は直接ロヒンギャに会ったことはありません。ですが、北タイでは少数民族(山岳民族)やミャンマーから逃れてきた難民に何度か会ったことがあります。女性のなかには10代前半で売られて売春をさせられていたという例もありました。2002年、私が初めてタイのエイズに関わったとき、そのような話を繰り返し聞きました。当時は、女子の難民が強制売春させられHIV感染、そしてエイズで死亡、という事例が珍しくなかったのです。ちなみに、抗HIV薬が無料で支給される現在のタイでもタイ国籍を持たない難民には治療がおこなわれません。

 さて、我々日本人は難民に対してどのように考えればいいのでしょうか。最後に、ロージ監督が「クーリエ・ジャポン」のインタビューに答えた言葉を引用しておきます。

「もしいま7000人の(日本での難民)申請者がいるのなら、その倍の1万4000人は受け入れるべきです。それを実行したとしても東京の人口が1200万人であることを考えれば、大勢に影響はないでしょう。(2015年に認定された)27人から1万4000人に受け入れを増やせば、世界に素晴らしい変化を示すことができます。それに、その1万4000人の人々は危険から命がけで逃れてきた心に傷を持つ人々です。日本にはそういった人たちに、未来を与えるチャンスがあるのです」

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注1:GINAと共に第24回(2008年6月)「6月20日は何の日か知っていますか? 2008年度版

注2:http://www.unicef.or.jp/news/2017/0024.html

注3:https://courrier.jp/news/archives/75574/

注4:https://www.hrw.org/news/2017/02/06/burma-security-forces-raped-rohingya-women-girls

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第127回(2017年1月) こんなにもはかない命・・・

 医師である限り患者さんの死に遭遇することは避けられません。現在の私の勤務はほぼ太融寺町谷口医院だけで、大きな病院で働くことはなくなりましたから、患者さんが他界する瞬間に立ち会うことはなくなりました。しかし、難病で大きな病院に紹介した患者さんが、死を避けられない運命にあり、亡くなられたという報告が届くことはしばしばあります。

 救急病院に勤務していた頃は、交通事故や自殺、ときには他殺などで搬送されてくる若い患者さんの命を助けられなかったこともあり、そのときにはしばらく気分が沈んだままになります。救急搬送されてその数日以内に亡くなられるということは珍しくはないのですが、患者さんが若い場合には、なんとかできなかったのか......、という気持ちが拭えないのです。「命は平等」であるのは事実だとしても、私自身の心情としては、若い人の命は何としても救いたい......、というのが正直な気持ちです。

 最近、ひとりの10代半ばの女子が他界した、という話を聞きました。私は一度しか会ったことがありませんが、愛くるしい瞳をした笑顔が素敵な女の子です。名前はマリ(仮名)。タイ語でマリはジャスミンのこと。そう、この女の子は10代半ばのタイ人です(注1)。

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 マリが生まれたのはタイ東北部の貧しい家庭。タイは貧富の差が激しく、マリの生まれた家庭が貧しいことは特筆するようなものではないが、マリには少し複雑な事情があった。父親はすでに他界し、母親はHIV陽性。マリはこの世に生を受けたときからHIV陽性。つまり「エイズ孤児」なのだ。

 マリの母親はHIV感染が発覚するのが遅れ、判ったときにはすでにエイズを発症していた。当時は医療者の間でも差別意識が強く、病院で診てもらうことができず、タイ中部のロッブリー県にある世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)にやって来た。入所時からすでに免疫能が相当低下しており、あてがわれた部屋は最も重症の患者が入る病棟。ひとりで歩くこともままならずほぼ一日中寝たきりの状態であった。

 マリには身寄りがない。いや、本当はないことはなく親戚はいるのだが、母親がエイズを発症し、本人もHIV陽性である子供の面倒をみようという者がいないのだ。タイでは以前に比べるとエイズに対する差別・偏見が随分と減ったと言われるが、それはタイ全域では決してない。マリが生まれた地域では根強い偏見が残っている。しかし、マリの親戚だけを責めれば解決する問題でもない。理解ある親戚がマリを引き取ったとしても、地域社会ですでにエイズ孤児であることが知られている現状を考えると学校でイヤな思いをすることはあきらかなのだ。

 行く当てのないマリは、パバナプ寺に住ませてもらうことになった。この寺には世界中からボランティアが集まってきている。寺の近くの小学校に通い、将来きちんとした仕事ができるようにとボランティアが勉強の面倒をみることもあった。中学にも進級したが、学校ではエイズ孤児であることを隠し通した。

 学校が終わりパバナプ寺に帰ってくると、マリは真っ先に母親のベッドに駆け寄った。そこは重症病棟だから、結核やカリニ肺炎を発症している患者も多かったのだが、幸いなことにマリは幼少児から抗HIV薬を続けていたおかげで免疫能は正常だ。重症病棟にいても、感染者に近づかなければ感染の心配はさほど強くない。

 マリはエイズ孤児の割には身体も大きくなり、日ごろ手洗いやマスクを徹底しているからか、ほとんど風邪もひかずに育っていった。身長は150cmに満たないくらいだが、タイではこれくらいの身長は普通である。いつも背筋を伸ばし愛くるしい笑顔できびきびと動くマリは、どこからみても健康優良児のようだ。

 中学を卒業する少し前、マリの母親が他界した。死因はエイズであるのは間違いないが、詳しい原因は不明だ。タイでは抗HIV薬が無料で手に入るのだが、使えるレパートリーは少ない。それらが効かなかったり、副作用が強くて飲めなくなったりすれば、もはやなす術がない。マリの母親は治療開始が遅かったということもあり、薬があまり効かなかったのだ。次第にやせ細り、食事がまったく取れなくなり、水分摂取も困難となった。

 マリの母が静かに息を引き取ったのは涼しげな冬の日の朝だった。小鳥のさえずりが最後まで生き抜いた姿を讃えているかのようであった。死に顔に悲壮感はなかったと寺のスタッフは言う。その理由はおそらくマリだろう。エイズ孤児として生まれながらも丈夫に育ち、来月からは地元のレストランでの就職が決まっているのだ。気丈なマリは母親の遺体の前でも涙を見せなかった。母の分まで生きてみせる、黒い瞳がそう物語っているようであった。

 パバナプ寺から車で30分の距離にあるタイ料理レストランがマリの勤務先だった。この近くにアパートを借りてフルタイムの勤務が始まった。働き者のマリは、仕事が早いだけでなく、持って生まれた愛嬌もあり、すぐにレストランの人気者になった。マリと写真を撮りたいという理由でレストランを訪れる者も多く、また小さい頃から欧米のボランティアと仲良くしていただけに英語が話せたことから外国人の客にも人気があった。抗HIV薬を毎日飲み続けなければならないことはこれからもかわらないが、もはや周囲にはマリがHIV陽性であることを知っている者はほとんどいなかった。

 2016年の雨季も終わりに近づいたある朝、目覚めると、身体が重たく熱があることに気づいた。たまたまこの日は仕事が休みで抗HIV薬を受け取りに病院に行く日だった。重たい身体を引きずって医師に症状を話すとレントゲンが必要だと言う。レントゲンを読影した医師の言葉は「直ちに入院が必要」。マリの母親の頃とはもはや時代が違う。世間の偏見は残っていても病院ではHIV陽性者もきちんと診てくれる。入院を拒否されるなんてことはない。医師の診断は結核だった。結核には治療薬があるという。しばらくの間仕事は休まねばならないがいずれ復帰できるであろう。入院してからもしばらくは笑顔が絶えなかった。マリはタイ人、タイは微笑みの国なのだ。

 2か月後、マリは短い生涯を閉じることになった。結核の薬が効かず、さらにそれまでは奏功していた抗HIV薬も次第に効果が出なくなっていたようだ。代わりの薬がなければもはや打つ手がない。

 マリが旅立った涼しげな冬の朝、小鳥のさえずりが止まなかったという...。


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 多剤耐性の結核は現在世界的な課題となっています。従来の薬が効かずに、治療に難渋するのです。マリの結核がどのようなものであったのかは分かりませんが、タイの結核治療が日本よりも選択肢が少ないのは事実です(注2)。日本でなら救えた、という保証はどこにもありませんが、もしも日本に呼べたなら・・・、という思いが拭えません。

 私がマリに会ったのは2016年の夏、ロッブリーのレストランでした。来年もここで会おうねと約束した私は日本からのお土産を何にするかを考えていました。けれども、今年(2017年)の初め、私に伝わってきたのはマリがすでに他界したことだったのです...。

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注1:マリ(仮名)はエイズ孤児として生まれ、レストランで勤務しているときに体調不良を自覚し10代半ばで他界したのは事実ですが、本人が特定されることを避けるために、一部をフィクションにしています。

注2:タイの医療が日本より劣っているとはいいませんが、本文で述べているように結核やHIVの治療の選択肢が少ないのは事実です。また、医療以前に、タイでは「命の重さ」が日本とは異なると感じざるを得ません。今回述べたこととは関係のないことですが、例えば、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティが"ディスカウント"されます(注3)。そしてタイでは年末年始に交通事故が急増するのです。この感覚、私には理解できません...。

 また、タイではお金さえ払えば簡単に殺人者を雇えると言われています。実際に雇って殺害を依頼した人を直接知りませんが、その報酬の噂は私がこれまで聞いた範囲で言うと、高くても5万バーツ(約15万円)、低いのは5千バーツ(約1万5千円)です。

注3:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。

http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount

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