GINAと共に

第181回(2021年7月) 急増するノンバイナリー

 「ノンバイナリー」という言葉が日本で一気にメジャーになったのは宇多田ヒカルさんの影響でしょう。報道によれば、6月26日のインスタライブ中に自身がノンバイナリーであることを宣言したそうです。この「カミングアウト」を巡って、ネット上では様々な意見が飛び交いました。好意的な声が多いなか、「いちいち言わなくてもいい」などといった否定的な意見もあるようです。

 性の多様性を表す言葉でもっとも人口に膾炙しているのは「LGBT」でしょうが、過去にも述べたように、私自身は「セクシャルマイノリティ」が一番いいと思っています。その理由についてはいろんなところで繰り返し述べていますが、今回は「ノンバイナリー」についての話になりますから、もう一度触れておきたいと思います。

 LGBTという表現が不適切だと私が考える最大の理由は、ストレートの人以外全員がLかGかBかTのいずれかに「分類」され、しかも「固定」されているという誤解を与えかねないからです。実際には、ストレート→レズビアン→バイセクシャル→ストレートのように自身の性自認が入れ替わる人も珍しくありません。これらのどこにも分類されない人もいますし、そもそも分からない人だって少なくありません。また、エイセクシャル(なぜかネットではアセクシャルと書かれていることが多いのですが、asexualを素直に発音すればエイセクシャルになると思います。少なくとも私は英語ネイティブの人からアセクシャルと聞いたことは一度もありません)の人たちもいます。

 ですから、まだ自分の性自認あるいは性的指向が決まっていない(分からない)人たちやエイセクシャルの人たちもひっくるめてセクシャルマイノリティと呼べばいいのではないか、というのが私の考えです。

 今回述べる「ノンバイナリー」もまさに、自身の性自認が決まっていない人たちのことを指します。似たような言葉に「Xジェンダー」と呼ばれるものもあり、これら2つは異なるとする意見もあるようですが、実際にはさほど区別しなくてもいいのではないかと個人的には考えています。また、Xジェンダーという表現は日本特有のものとする話を聞いたことがありますが、英語ネイティブの人にも通じます(少なくとも通じることも少なくありません)。ただ、海外ではノンバイナリー(nonbinary)の方が普及しているのは事実です。

 他に似た表現としてジェンダーレスというものもありますが、これは性自認を示すときには使いません。「わたしはノンバイナリーです」と言うことはできますが、「わたしはジェンダーレスです」は言いません。「わたしはジェンダーレスなファッションが好きです」はOKです。
 
 ノンバイナリーとは性自認を表す表現であり、性的指向については様々なパターンがあります。例えば、生物学的に男性のノンバイナリーの性的指向が男性であることも女性であることも、双方である場合もあります。生物学的に女性のノンバイナリーでも同じです。

 ではノンバイナリーは、日本中に、あるいはあなたの周りにはどれくらいいるでしょうか。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんでいえば、私にカミングアウトしてくれる人は年に数人です。もっとも、わざわざ私に言う必要もないと考えている人の方がずっと多いでしょうから、それなりの人がノンバイナリーなのかもしれません。また、自身がノンバイナリーであることに気付いていない人もいるでしょう。宇多田ヒカルさんも、デビューした10代の頃にはそう思っていなかったかもしれません。

 ここで問題提起をしたいと思います。もしもノンバイナリーをカミングアウトしても不利益を被るようなことがなく、さらに自身がノンバイナリーであることに気付く人が増えたときにどのようなことが起こるでしょうか。

 そうなれば、「そもそも男性・女性と区別する意味があるのか」という問題がでてきます。役所に届ける書類やパスポートに性別を記載する意味があるのか、という議論にもつながるでしょう。そもそも、書類作成時に男性と女性しかないことで様々な問題が生じているわけです。ちなみに谷口医院の問診表は「男・女・その他(   )」としています。

 男女の区別がなくなったときに、スポーツの世界では確実に問題が起こります。ジェンダーの区別がなくなれば、多くの競技でほとんどの選手が男性(シス男性)だけとなるに違いありません。ちなみに、「トランス男性」というのは生物学的な性は女性で性自認が男性のトランスジェンダーのことで、「シス男性」は生物学的な性、性自認共に男性のことです。

 現在開催中の東京オリンピックに出場が決まっているニュージーランドの重量挙げ選手Laurel Hubbardさんはトランス女性です。トランス女性が重量挙げに女性選手として出場するのは生物学的に有利で不公平だという声があります。他方、Hubbardさんの権利を擁護する人たちは、定期的にテストステロン(男性ホルモン)の数値を計測しており、一定以下であるから問題がないと主張します。しかし、その数値が妥当なのかといった意見もあり、現在も決着がついているとはいえません。いくらノンバイナリーの人が増えたとしてもスポーツの世界で男女の区別が完全になくなることはないでしょう。

 ちなみに、今回のコラムの趣旨から外れますが、セクシャルマイノリティのオリンピックと呼ばれている「ゲイゲームズ」が非常事態となっています。2022年に香港で開催予定なのですが、報道によれば、昨今の中国との関係による政情不安から開催が危ぶまれています。

 芸能の世界はどうでしょうか。音楽の世界ではすでにジェンダーの区別がなくなる方向に進んでいます。グラミー賞は2012年からジェンダーの区別を撤廃しています。その5年後の2017年、MTVも男女の区別をなくしました。

 一方、映画演劇界はそこまで進んでいません。オスカー(アカデミー賞)もバフタ賞(英国アカデミー章)もトニー賞も従来の男女別のままです。他方、2021年3月に発表されたベルリン国際映画祭の演技賞は「ジェンダーニュートラルな演技賞(gender-neutral acting prize)」と呼ばれるようになりました(授賞はドイツのMaren Eggert)。

 エミー賞では、今年の授賞式から、演技部門にエントリーすると「男」「女」だけでなく、男女の区別のない「パフォーマー」という表記も選択できるようになりました。これは、2017年、ノンバイナリーであることをカミングアウトしている俳優のAsia Kate Dillonが、エミー賞に異議を唱えたことがきっかけと言われています。しかし、2021年の時点でも男女で分ける方針には変わりなく、エミー賞も「女優賞」「男優賞」のままです。

 しかし、New York Timesによると、オビー賞では男女の区別をすでに撤廃しており、過去数年では、フィラデルフィア、サンフランシスコ、シアトル、シカゴなどの劇場が主催する賞(アワード)でも、ジェンダーの区分を撤廃しているようです。

 どうやら音楽業界のみならず映画・演劇の世界でもジェンダーの区別をなくす方向に進んでいるようです。では、一般社会ではどうでしょうか。ひとつ言えることは、完全に性の区別がなくなることはないということです。例えば、トイレや銭湯、あるいは更衣室に男女の区別がなくなることはあり得ません。それに、ノンバイナリーであることを宣言すれば男女どちらのトイレを使ってもいいということにはなりません。

 しかしながら、トイレ、銭湯、更衣室などを除けば、一般社会でジェンダーの区別が必要なのは体育の時間くらいではないでしょうか。つまり、これら以外ではジェンダーを区別する意味がなくなり、誰もがノンバイナリーである可能性があることを前提とした社会になっていくのではないかと私はみています。

 ちなみに、UCLAによると、米国ではノンバイナリーはセクシャルマイノリティ(成人のLGBTQ)の11%に相当し、人数では120万人に昇るそうです。

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注:本サイトではこれまで、自身の秘密を打ち明けることを「カムアウト」と表現してきましたが、「カミングアウト」の方が一般的だというご意見を複数いただいたこともあり、今後は「カミングアウト」で統一していきます。
 

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第180回(2021年6月) 「差別」についての初歩的な勘違い

 2021年5月31日、与野党を超えた超党派で合意したはずのセクシャルマイノリティの課題に関する「理解増進法案」が、自民党保守派から反対意見が出て見送られることになりました。

 その理由として、「差別は許されない」という表現が自民党保守派の人たちに受け入れられなかったから、と報じられています。報道を何度読んでも私にはこの内容がよく理解できません。

 「差別は許されない」が許されないなら、「差別は許される」のでしょうか。もちろん、そういうわけではないでしょう。例えば、被差別部落出身者には大学受験の資格がない、などといった差別が許されるはずがありません。

 では、自民党保守派の人たちからみて「差別は許されない」の何がいけないのでしょうか。各紙の報道をよく読むと、「行き過ぎた差別禁止の政治運動につながる」から「差別は許されない」そうです。「行き過ぎた差別禁止の政治運動」とは何なのでしょうか。

 私には、皆目見当がつきません。差別は禁止しなければならないものであり、許されないものです。おっと(この言葉、文章のなかでは使いたくなかったのですが他に適当な表現がみあたりませんでした......)、思わず「差別は許されない」と言ってしまいました。

 「差別は許されない」が許されないとは何を意味するのかを理解するには、まずは自民党保守派の人たちの立場に立つのがいいでしょう。「差別が許されない」という表現を認めないということは、自民党保守派にとっては「許される差別」があるはずです。まず、それについて考えてみましょう。

 ん?(この言葉も使いたくなかったのですが......、以下同文)「許される差別」とはどのようなものなのでしょう。「許された差別」なら分かります。男女雇用機会均等法の前の男女差別、黒人に選挙権がなかった頃の人種差別、あるいは江戸時代の身分差別なども該当するでしょう。しかし、それらは現在の基本的な人権の視点からみて「あってはならない差別」であり、過去には「許された」のだとしても、現在では許されません。

 2021年のこの時代においても「許される差別」にはどのようなものがあるのでしょう。そして、「行き過ぎた差別禁止の政治運動」とは何なのでしょうか。

 これは皮肉で言っているのではなく、いったいどんな「差別」が「許される差別」になるのか私にはまるで見当がつきません。そこで、ネット検索してみました。しかし、どれだけ調べても「許される差別」が何なのかがまったく分からず、ただひとつの例も見つかりません。

 「許される差別」の定義がはっきりしない以上は、「許されない差別」の定義も定めることができません。「差別=すべて許されない」なら筋が通りますが、論理的に「許されない差別」の存在を認めるには「許される差別」の存在を証明しなければならないからです。

 「許される差別」......、いったいそんな差別がどこにあるのでしょうか。もしかすると自民党保守派の人たちが読むメディアを読めば分かるかも。そう考えて調べてみると、見つかりました!

 「週刊新潮」2021年6月10日号に「マイノリティ擁護のあまり「不寛容」を招く「LGBT法案」」というタイトルの記事がありました。執筆したのは自民党保守派の西田昌司氏です。この記事で西田氏は「許される差別」について2つの例を挙げて示しています。それらを紹介しましょう。

1例目:ある男性国会議員の話

学生の頃、同姓の同級生から「好きだ」と恋愛感情を打ち明けられた男性。彼は戸惑って、その同級生と少し距離ができた。「差別は許されない」と法律で縛ると、この違和感を覚えたことがダメとなりかねない。(違和感を覚えるのは「許される差別」だ)

2例目:女性トイレに先に入っていた女性の話

見た目が男性の(トランスジェンダー女性の)人が女性トイレに入って来たとき、先にトイレに入っていた女性はその人を見て「えっ」を不安に感じるかもしれない。もしも「差別は許されない」という法律ができたら、この「不安」が許されないことになる恐れが出てくる。(不安を感じるのは「許される差別」だ)

 「週刊新潮」という週刊誌、歴史のある超一流の雑誌だと私は思っています。私は、この雑誌の記事自体はあまり読まないのですが、いくつかの連載コラムや小説を楽しみにしています。いくつかのコラムは超一流のコラムニストたちによるものでとても読み応えがあります。ちなみに、知人のジャーナリストによると、週刊誌の読者は大きく2つの層に分かれるそうです。私のように連載コラムを中心に読む層と、特集記事を楽しみにしている層です。
 
 話を戻しましょう。日本を代表する週刊誌にこんな記事が載せられたことが私には残念でなりません。この文章、少し読めば理論的におかしいことがすぐに分かります。

 西田議員が言っている「差別」とは、その人が「何を感じたか」に過ぎません。1例目の男性が男性から告白されて違和感を覚えるのはその男性にとって「自然なこと」です。同じようにトイレに先に入っていた女性がトランスジェンダーの人をみて「不安」に思うのもやはり「自然なこと」です。

 ちなみに、私が初めて黒人をみたのは18歳の夏、1987年の沖縄のコザ(現・沖縄市)でした。当時の私はアルバイトで沖縄に駐在しており、ある日の日が暮れかけた時間帯にコザの細い道をひとりで歩いていると、いきなり黒人がその道に面した店から出てきました。生まれて初めて見た黒人は米兵で、身長は190cm以上、体重も優に100kgを超えていました。その黒人に至近距離で睨みつけられた私は恐怖で足がすくみました。さて、女子トイレの女性が「差別」をしたのなら、このとき私も「差別」をしたのでしょうか。

 西田氏が完全に勘違いをしているのは(もしくは分かっていて詭弁を宣っているのは)「差別は言動・行動にうつして初めて差別になるわけで、人が何を感じるかはその人の自由」という基本を無視していることです。

 例えば、憎らしいと感じる同僚がいたとして、「憎らしい」と感じるのも「辞めてほしい」と考えるのも、あるいは「殺したい」と思ったとしてもこれは罪にはならないどころか、他人が干渉できない「自由」です。殺す計画を立てるのも自由ですし、殺すための包丁を買っても行動にうつさなければ罪にはなりません。

 もう一例挙げましょう。ペドフィリアの小学校教師がいたとして、生徒の更衣を覗くのは犯罪ですが、自宅で生徒の裸を想像して自慰行為に耽るのは罪にはなりません(やめてほしいですが)。
 
 国会議員の先生方にはまず「差別」の定義からおさらいしていただきたいと思います。細部については辞書を見てもらうこととして、ここでは最重要事項を確認しておきます。「差別」とは「思うこと」ではありません。そうではなく「差別」とは「行為」を指します。セクシャルマイノリティが嫌いであったとしてもそれは差別ではありません。セクシャルマイノリティであることを理由に、平等に付与されなければならない権利を奪う行動が差別になるわけです。

 最後に一点補足しておきます。週刊新潮の記事で、西田議員は故・西部邁氏の言葉を引き合いに出し、自身の説を正当化しようとしています。私自身も西部氏の影響を大きく受けていますが、私の場合は氏の思想に共鳴するからこそセクシャルマイノリティの人権を擁護せねばならないと考えています。

参考:(医)太融寺町谷口医院マンスリーレポート2018年3月「無意味な「保守」vs「リベラル」」

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第179回(2021年5月) コンドームを外せば強姦罪、レイプ後の結婚で無罪

 GINAのサイトでは「レイプ(性暴力)」に伴う諸問題を何度も取り上げてきました。「GINAと共に」第173回(2020年11月)「「性暴力」が日本でこれだけ蔓延るのはなぜか」では、加害者側に罪の意識がないことを指摘しました。また、日本では(おそらく他国でも)知らない間に「セカンドレイプ」の加害者になってしまう問題も2013年のコラム「レイプに関する3つの問題」で指摘しました。

 日本でレイプの被害が多く、加害者意識が低いことの理由として、先述のコラムでは女性の地位が低いから、すなわちジェンダーギャップが大きいからではないかという私見を述べました。そして、2020年のWorld Economic Forumのデータを紹介しました。世界ランキングでは、日本はジャンダーギャップが少ない国(つまり男女差別がない国)の第121位です。

 男女差別がない国のトップ3はアイスランド、ノルウェー、フィンランドです。アジアで最高位にランクされているのはフィリピンで16位。タイは75位、中国106位、韓国108位、インド112位です。いくらなんでもレイプが日常茶飯時となっているインドに日本が負けているということはないと思うのですが、World Economic Forumのランキングでは、日本に厳しい評価が下されています。

 もっとも、どのような視点から統計をとるかで結果は大きく異なってきます。タイを考えると、たしかに女性の方がよく働くのは間違いなく、役所や一般企業で役職の付いている女性は間違いなく日本よりも多いでしょう。そもそも一般のタイ人男性はあまり働きませんから(そんな失礼なこと言うな!という意見もあるでしょうが、タイをよく知る人なら同意してくれるのではないでしょうか。ただしもちろん勤勉なタイ人男性もいます)、昼間の世界では女性の地位が日本より高いのは間違いありません。

 では、本当にタイは日本よりも女性差別が少ないのでしょうか。

 英紙「The Guardian」2021年4月14日に興味深い記事が掲載されました。タイトルは「「レイプ犯と結婚法」は依然として20か国に存在('Marry your rapist' laws in 20 countries still allow perpetrators to escape justice)」です。タイトル通り、レイプの加害者がその女性と結婚すれば罪が帳消しになる国が世界に20か国もあるという話です。

 その20か国のなかのひとつがタイです。タイでは、レイプの加害者が18歳以上、被害者が15歳以上の場合、女性が犯罪に「同意」し、裁判所が結婚の許可を与えれば、結婚はレイプの和解と見なされるのです。

 私自身は実際にこのようにして"結婚"したタイ人の夫婦を見たことはありませんが、英国の一流紙に掲載されたわけですからこれは事実でしょう。ちなみに、記事によれば、タイ以外にこのような制度のある国はロシア、ベネズエラ、クウエート、マリ、ニジェール、セネガルなどです。

 一方、かつては同様の法律があったモロッコでは、若い女性が自分を犯したレイプ犯との結婚を余儀なくされたことを苦痛に自殺し、これがきっかけとなりこの悪しき法律は廃止されました。ヨルダン、パレスチナ、レバノン、チュニジアもモロッコに続いて法改正をしたそうです。

 レイプの加害者になったとしても、その被害者と結婚すれば罪が消えるなら、そもそも「罪」の意識が起こらないでしょう。加害者の男性の視点で言えば、気に入った女性が見つかれば「女性から気に入られること」ではなく「まずレイプ」となることが容易に想像できます。「あの女性、かわいいからライバルが出現する前にレイプしてしまって結婚しよう」と考える男性が出てくるかもしれません。こうなれば、女性の人権などまるでありません。

 他方、2016年のコラム「レイプ事件にみる日本の男女不平等」で紹介したように、米国では性行為に合意がなければレイプと見なされる可能性があり、その「合意」を証明するためのアプリまで存在します。そのアプリの名は「YES to SEX」。パートナーが合意を示す音声を最大25秒間記録できて、セキリュティ管理された専用サーバーに1年間無料で保管してもらえます。

 付き合い始めたパートナーと誰もいないところで見つめ合ったまま無口になり、そのまま自然な流れでキスを......、という流れが"レイプ"になる可能性があるというわけです。

 もうひとつ、興味深い"レイプ"を紹介しましょう。ニュージーランドの日刊紙「The New Zealand Herald」に2021年4月13日に掲載された記事「セックスの途中でコンドームを外す「stealthing」で有罪判決を受けたウェリントンの男(Wellington man convicted of rape after 'stealthing' - removing the condom during sex)」です。

 stealthingという単語を私は初めて見ましたが、これは「steal」+「thing」の造語ではなく、「stealth」のing形でしょう。stealthとは、イメージとしては「こっそり何かをする」という感じで、例えばネコがゆっくりとネズミに近づくときなどに使います。しかし、stealthingという単語は、私が愛用している二つの辞書(「愛用」といってもどちらも無料のオンライン版ですが)「Longman」と「Oxford dictionary」には載っていません。しかし、「stealthing」というキーワードで論文を探すとみつかりました。

 医学誌「PLoS ONE」2018年12月26日号に「メルボルンのセクシャルヘルスクリニックの患者から報告された合意に基づかないコンドームの除去 (Non-consensual condom removal, reported by patients at a sexual health clinic in Melbourne, Australia)」というタイトルの論文が掲載されています。やはりstealthingとは、論文のタイトルにある通り「合意に基づかないコンドームの除去」のことです。

 論文によれば、このクリニックを訪れた女性の32%およびゲイの男性の19%は、stealthingの経験があるそうです。被害者の女性はセックスワーカーに多い傾向があり、ゲイの男性は不安またはうつ病を報告する可能性がstealthingのないゲイ男性に比べて2.13倍高いことが分かりました。

 stealthingは罪であるけれども、性行為には同意があるのなら、コンドームなしでの性行為をするのにはその"同意"も必要ということになります。先述のアプリ「YES to SEX」では現時点ではそこまでの対応はしていないようですが、いずれ近いうちに、その"同意"はコンドームありかなしかを区別できるようになるのかもしれません。

 おそらく、日本ではstealthingで加害者を有罪に問うことはかなり困難でしょう。ただし、先述の論文にあるようにゲイ男性が不安・うつを発症する可能性が高いことには注目すべきです。これはおそらくHIVや他の性感染症に罹患したのではないかという不安が原因ではないでしょうか。そして実際、stealthingによりHIVのリスクは急増するわけです。そう考えると、stealthingという犯罪がもっと注目されるべきということになります。

 レイプをしても結婚で帳消しになる国でstealthingが議論される日は訪れるのでしょうか。

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第178回(2021年4月) これからの「大麻」の話をしよう~その4~

 久しぶりに大麻の話をします。「これからの「大麻」の話をしよう~その3~」を公開したのは3年前の2018年5月。医療用大麻がいよいよ使われるようになってきたことにも触れました。「サティベックス(Sativex)」というカンナビノイド口腔スプレーはTHCとCBDが1:1で配合されたもので、多発性硬化症(難治性の神経疾患)やがんの症状緩和に対して使われます。「エピディオレックス(Epidiolex)」はCBDのみの製剤で、難治性のてんかん「レノックス・ガストー症候群」に用いられます。

 治療に使われているといってもそれは海外の話であって、日本では非合法であり、治療目的で医師が輸入することもできません。もちろん個人輸入も違法であり、もしも試みれば大麻取締法で逮捕されることになります。

 一般に大麻自由化の流れは南米と欧米諸国が先行していて、過去に述べたように、これらの地域では医療用大麻はもちろん、嗜好用大麻(娯楽用大麻)ですら合法な国や地域も増えてきています。医療用大麻は、いくつかの疾患においてはもはや治療のありふれた選択肢と言ってもいいかもしれません。

 一方、アジア諸国ではほとんどの国が嗜好用はもちろん医療用も厳しく禁じています。ただし、動きがないわけではなく、現在ではタイ(及び韓国)で医療用大麻が合法化されています。今回はそれらについての話をしますが、まずは「アジアでの大麻はどのような位置づけか」について確認しておきましょう。

 アジアではインドやパキスタン、あるいはカンボジアのように事実上合法(「違法」という話もあるが個人使用なら逮捕されることはまずない)の国がある一方で、シンガポール、マレーシア、インドネシアのように(一定量を)所持しているだけで死刑を宣告される国もあります。ただし、麻薬や覚醒剤ならともかく、大麻を所持しているだけで本当に死刑になるとは思えません。実際に大麻で死刑が執行されたという話を私は聞いたことがありません。

 タイではどうかというと、一応は個人所持だけでも違法です。過去にタイに沈没しているジャンキーたちにインタビューしたとき、「警察に見つかっても、たいがいは1,000バーツ紙幣数枚をパスポートにはさんでさっと渡せば見逃してもらえる」と言っていました。これが覚醒剤や麻薬ならそうはいきませんが、よほど運が悪くない限りは大麻(の個人使用)で逮捕されることはまずないようです。しかし違法は違法です。長年の沈没組のようにタイ語が堪能でタイの警察がどのようなものかわかっていれば逃れられるのでしょうが、"素人"は手を出さない方が無難です。

 また、タイはもともと薬草やハーブを用いた伝統的な医療があり、1934年に違法とされるまでは痛みや疲労感をやわらげるために大麻が使われていました。さらに、現在の軍事政権が(タクシン首相の頃とは異なり)薬物には極めて甘い政策を取っているために「アジアで大麻が全面的に合法になるのはタイだろう」と言われ続けています。

 そして2018年12月25日、ついにタイは医療用(及び研究用)の大麻を合法化することを決めました。この決定を受けて、タイ国内の大麻を推進するグループは「嗜好用大麻合法化へ向けてのステップだ」というようなコメントをしたようですが、2年以上が経過したその後もタイでは嗜好用大麻が合法化される兆しはありません。実際に医療用大麻が合法化されたのは2019年2月18日で、これはアジア全域で一番乗りとなります。

 アジアで2番目に医療大麻合法化が実現化した国は韓国です。2019年3月から合法化されています。ただし、認可されたのは4種類の輸入品に限られており、輸入手続きも大変厳しく管理されています。4種類のうち2種はサティベックスとエピディオレックスです。残り2つは「マリノール(Marinol)と「セサメット(Cesamet)」で、これらは末期がんの吐き気や痛みを抑えるときに用いられます。

 タイでの医療用大麻についての実態についてまとめていきましょう。韓国では日本人が渡航しても使用できる可能性は(私が調べた限り)ほぼゼロです。ではタイではどうかというと、以前は「日本人でも使用できる」という情報が複数の筋から入ってきていました。実は、それらの情報の裏をとった上でまとめたものをこのサイトで発表することを2年程前に考えていました。

 ところが事情が変わってしまいました。Covid-19(以下「新型コロナ」)です。実は、少し前までタイのある医療機関が日本語のサイトも立ち上げて医療用大麻を日本人に処方できることをPRしていました。その医療機関には日本語の話せる大麻に詳しい医師がいるというのがウリでした。実際、その病院のサイトを見た日本人から、「この病院を受診するのにはどうすればいいか」という問い合わせがGINAのサイトに複数寄せられていました。

 これは調べる価値があると考えたのですが、ちょうどその頃に新型コロナのせいで激務が続き、私自身がGINAに使える時間がほとんどなくなってしまいました。最近になりようやく調査を開始しようとしたところ、その病院のウェブサイトの日本語版はすでに閉鎖されていました。メールをしても返事が返って来ず、タイの知人からこの病院に連絡をしてもらうと、どうも日本人の受け入れは中止しているようだとのことでした。おそらく、新型コロナのせいでタイ渡航が極めて困難となり、日本人への治療が閉ざされてしまったようです。

 では、タイの他の医療機関はどうなのでしょう。私自身がタイに渡航できないので、タイの知人に調査を依頼するしかありません。そこで分かったことは、韓国のように4種と限定されたわけではなく、タイでは大麻そのものが研究用として栽培されており臨床研究がさかんになってきていること、タイ人に対しては一部の疾患に使われ始めているがまだまだ普及しているとはいえないこと、外国人は(日本人も含めて)治療を受けられる可能性は低いこと、などです。

 では今後の行方はどうなるのでしょうか。おそらく、新型コロナが落ち着くまでは、タイで日本人が医療用大麻の恩恵に預かれることはないでしょう。そもそも、現時点では駐在員かその家族でなければタイへの渡航が困難です。美容外科や性転換手術目的ならビザが比較的簡単におりますが、医療用大麻目的ではビザが取得できません。一部の富裕層が持つ「エリートカード」があれば入国は比較的簡単にできますから、こういった人達ならタイで医療用大麻を摂取できる可能性はあると思います(が、GINAの読者にそのような人はあまり多くありません)。

 というわけで、すべては新型コロナ次第です。では、新型コロナが終息したことを想定して何が起こるかを考えていきましょう。私は、「再びタイに自由に行き来できるようになれば、大勢の日本人がタイで医療用大麻による治療を受けるようになる」と考えています。もちろん対象者は限られ、誰でもそれができるわけではありません。私の予想では、がんの宣告を受けた人とHIV陽性者にとっての「人気の治療」となります。

 多くのがんは進行すれば耐え難い疼痛が起こり食欲不振に見舞われます。抗がん剤を用いればさらに食欲不振は増します。大麻にはランダム化比較試験(RCT)などでの研究報告は(おそらく)なく、エビデンスはありませんが、おそらくがん患者のいくらかは大麻摂取で痛みが緩和されて食欲不振が改善するはずです。実際、上述のマリノールとセサメットはその目的で使われているわけです。おそらくそういった人たちを対象としたツアーも登場するでしょう。

 念のために付け加えておくと、このサイトで繰り返し述べているように私自身は日本での大麻合法化には反対です。ですが、医療用のみならず嗜好用大麻合法化の世界の流れは止められません。若者が留学時に大麻を嗜むことには反対ですが、難治性神経疾患やがん(あるいはHIV)を患った人たちが症状緩和の目的で大麻を摂取することはエビデンスがないとしても希望者には処方すべきだと私は考えています。もちろん、人生の最期をどこで誰とどのように過ごすのかはその人が決めることであり、大麻を強く勧めるようなことはしませんが、希望する人には協力したいと考えています。

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第177回(2021年3月) 日本の同性婚、米国の3人親家族

 最近、日本のセクシャルマイノリティに関する画期的な法的出来事が立て続けに起こりました。今回はまずこれら日本の出来事を振り返り、ついで米国の状況をみていきたいと思います。しかし本題に入る前に言葉の整理をしておきましょう。

 現在最も人口に膾炙しているセクシャルマイノリティを表す言葉はLGBTでしょう。ですが、他のところでもしばしば述べているように(例えばこちら)、私自身はこの表現に違和感を覚えます。なぜなら、この表現ではすべてのセクシャルマイノリティが、L、G、B、Tのいずれかに含まれてしまうという誤解を与えかねないからです。これら4つに分類されないマイノリティがはみ出ることになるのが問題だと思うのです。

 では、LGBTQIA+ならいいのかというと、そういうわけでもありません。そもそもこれでは長すぎて多くの人に覚えてもらえません。SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity)という言葉は便利なのですが、これは性的指向/性自認を表した表現であり、人そのものを指しているわけではありません。

 また、マイノリティのなかには、性自認が揺れ動く人がいます。例えば、私の知人(タイ人)に、ストレート→レズビアン→ストレート→バイセクシュアル→ストレートと変化した人がいますし、私が日頃診ている患者さんのなかにもこういった人たちはそれなりにいます。

 では、LGBTが適切でないのだとすればマイノリティを表すのにはどのような表現がいいのでしょう。私の案は、そのまま「セクシャルマイノリティ」と呼べばいいではないか、あるいは略して「セクマイ」「マイノリティ」ではどうか、というものです。というわけで、ここからはセクシャルマイノリティ(またはマイノリティ)で進めていきます。

 2021年3月17日、北海道の同性カップル3組6人が「同性どうしの結婚が認められないのは憲法で保障された婚姻の自由や平等原則に反する」として1人100万円の損害賠償を国に求めていた訴訟に対し、札幌地裁が原告の主張を認めました。つまり、「同性婚は違法ではない」という判決が日本で初めて出されたのです。正確に言えば、損害賠償請求は棄却された(100万円はもらえなかった)のですが、訴訟の目的は「同性婚が認められないのは違憲である」という判断を司法に認めてもらうことでしたから、事実上原告の「勝利」と言えるわけです。

 偶然にも同じ日の3月17日、「事実婚」が同性カップルで成立するかが争点だった損害賠償請求訴訟で、最高裁は「事実婚において同性カップルと異性カップルに差はない」という決定をしました。この訴訟のあらましは次のようなものです。

 レズビアンのカップルの一方(被告)が不貞行為(浮気)をし、もう一方(原告)が慰謝料などの支払いを求めていました。被告側は「(同性だから)事実婚ではなく浮気をしても法的責任はない(浮気をしたのは認めるけれど、慰謝料を払う必要はない)」と主張していました。これに対し、最高裁はその訴えを認めず、原告の主張どおり「同性どうしでも事実婚と認められる(だから浮気をしたのなら慰謝料を払う義務がある)」と判断したのです。

 さらにもうひとつ、興味深い司法のニュースがあります。3月23日、三重県県議会で「アウティング」を禁止する条例が全会一致で可決されたのです。アウティングとは過去のコラム(参照:「性にまつわる"秘密"を告白された時」)で紹介したように、性的指向や性自認を本人の許可なく他言することで、そのコラムでは被害者が自殺した「一橋大学法科大学院アウティング事件」について紹介しました。

 その忌々しい事件のあった一橋大学が位置する東京都国立市では、日本の自治体初の「アウティング禁止条例」が2018年に制定されました。国立市に続き条例が成立したという話はその後聞きません。今回条例が制定された三重県は(市町村でなく)「県」ですから、このニュースはもっと注目されていいと思います。ただし、三重県のこの条例には罰則はありません。

 さて、では日本社会も、性自認や性的指向に寛容になり多様な「性」を受け入れるようになってきているのでしょうか。私個人としてはそのようには感じていません。それどころか日本は世界から取り残されているような印象を持っています。アジアだけをみてみても、同性婚が完全に合法化されている台湾との隔たりが目立ちます。

 一方、米国では同性婚どころか「3人親」がすでに当たり前になっています。3人親のことを英語では「トリ・ペアレンティング(tri-parenting)」と呼びます。全米のすべての州で、というわけではありませんが、カリフォルニア州、ワシントン州、メイン州などいくつかの州ではすでに「3人親」が合法化されています。つまり、3人の親それぞれに親権が保障されているのです。

 米国の月刊誌「Atlanta」2020年9月4日号に掲載された記事「3人親家族の増加(The Rise of the 3-Parent Family)」によると、両親はストレートの夫婦が当たり前という考えはもはや時代遅れで、そのような家族は今日のアメリカの典型的な家庭ではないそうです。

 同誌によると、米国の「ピュー研究所(Pew Research)」の報告では、2014年の時点で初婚の2人親を持つ子供(つまり、両親がストレートの夫婦で離婚していない)はすでに半数以下となっています。

 では、どのような「3人親」が一般的なのでしょうか。同誌によれば、「レズビアンのカップルと精子ドナーの男性」というパターンが最多です。男性は2人の女性とはプラトニックな(つまり性行為のない)関係で、子供は共同で養育するようです。

 おそらく現在の日本では3人親の家族はほとんどないと思います。ですが、私自身は今後日本でも(合法化され親権が認められることは当分の間ないにせよ)増えてくるのではないか、とみています。少なくとも求めている人たちがいるのは確実です。なぜ、そんなことが言えるのか。それは日本でもエイセクシャル(asexual)の人がそれなりにいるからです。私の元にもときどき相談が寄せられます。尚、エイセクシャルを「アセクシャル」と呼ぶ人がいますが、普通に発音すれば(少なくとも私がこれまでネイティブの人たちから聞いた発音では)「エイセクシャル」が近いですから、ここではエイセクシャルで統一します。

 エイセクシャルとは男性に対しても女性に対しても性的指向をもたない人のことです。性自認はたいていははっきりしていて、私の知る限り生物学的な性と一致していることが多いと言えます。性行為には関心がなくリビドー(性欲)というものを感じませんが、他人と一緒に過ごしたいという気持ちを持っている場合が多く、子供がほしいと考えている人もいます。

 先述の「Atlantic」の記事でもエイセクシャルの男性が紹介されています。この男性は結婚しているストレートの夫婦と一緒に住み、2017年8月に元々の夫婦の間にできた子供が生まれるときには分娩室にいたそうです。この家族は3人親が合法のカリフォルニアに居住しており、男性は誕生した女の子の「3人目の親」となり、3人で子育てをしています。親権は残りの2人(つまりストレートの元々の夫婦)とまったく同じです。
 
 現在その女児は生物学的な父親を「ダディ」、エイセクシャルの"父親"を「ダダ」と呼んでいるそうです。近所には、母親2人と父親1人の3人親家族や、両親が同姓の家族が住んでいるために、まだ3歳のこの女児も、家族のかたちはいろいろで、自分の家族はいろいろな家族のなかの一つだと認識しているそうです。

 インディアナ大学の社会学者Pamela Braboy Jacksonは、「家庭で大切なのは互いの関係やコミュニケーションが良好かどうかということであって、そこに何人いるかは関係ない」と同誌の取材に答えています。

 米国では連邦最高裁が2015年6月、「全米の全ての州で同性婚を合法化する」と明言し、現在では同性婚はもはや常識で、今や3人親も当然となりつつあります。一方、日本はようやく「同性婚を禁じるのは違憲」という初の判決が出たばかりです。今後もこの「差」に注目していきたいと思います。

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