GINAと共に

第223回(2025年1月) 鈴木真実さんはもう「いない」のか

 私がタイのエイズ患者やエイズ孤児支援に携わり始めて20年以上経過します。これまでに大勢の心優しい献身的な人たちと関わってきましたが、そんななかでもひときわ高い人格を持ち合わせ、そして大勢の患者さんから慕われていたのが鈴木真実さんです。ですが、その鈴木真実さんはもうこの世に存在しないのかもしれません......。

 私が鈴木真実さんと初めて出会ったのは2011年の8月、このサイトで紹介しているタイ・ロッブリー県にある通称「エイズホスピス」のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)です。この寺に私が初めて訪れたのは2002年の10月で、当時のタイではまだ抗HIV薬が使えず、この寺に入所することは「死へのモラトリアム」を意味していました。あるいは、やっとのことでたどり着いたその日に他界する人や、HIVに感染した赤ちゃんが寺の前に捨てられていて寺の職員が気付いたときにはすでに死亡していた、といったことも頻繁に起こっていました。

 その当時から世界の多くの国からこの寺にボランティアや単なる見学でやってくる人たちがいて、日本人も次第に増え始めていました。私自身は2004年に数か月ボランティア医師として働き、その後NPO法人GINAを立ち上げ、タイのエイズ事情を大勢の人に知ってもらうことに努めました。パバナプ寺にはその後、コロナ禍が始まるまでは年に1~2回は訪れていました。訪問の目的は寄付金や薬を届けることや治療に難渋している患者さんを診察することなどでしたが、寺でボランティアをしている日本人と話をすることも楽しみのひとつでした。

 「楽しみ」といってもボランティアなら誰でも話していて楽しいわけではなく、「この人、何のためにここに来ているのだろう......」と感じてしまう人も少なくなく、例えば"自分探し"の一環でこの寺にたどり着いた、という感じの人もいました。なかには怪しげな健康食品の販売を目的にはるばるやってきた風変わりな日本人の自称大学講師もいました。そんななか、他のボランティア達とは異なる雰囲気で患者さんたちに手厚いケアをしていたのが鈴木真実さんでした。

 日本の病院には患者さんたちからすごく人気のある看護師がいることがあって、彼女たちは例外なく患者さんの話をしっかり聞いて、ケアも丁寧なのですが、鈴木真実さんの場合はそういう日本でよくみる看護師とはちょっと違います。鈴木さんが看護師でないから私の目にはそう映ったのかもしれませんが、私がまず驚いたのは鈴木さんが患者さんたちのベッドに近づいただけで患者さんに笑顔が戻ることでした。流暢なタイ語で語り掛け、ときには共に笑い、ときには共に涙を流し、丁寧に身体を拭くこともあります。

 どこでそんなに上手なタイ語を学んだのかが気になって尋ねてみると、なんと「ここに来てから」と言います。患者さんの何割かは身体が弱り、まともな発声ができないこともあります。しかし鈴木真実さんは、テキストも使わず、ただ患者さんとの会話だけでタイ語を覚えたと言うのです。患者さんにジョークを連発することもある、と言えばその実力が分かるでしょう。驚くべきことに鈴木さんはタイ語の読み書きは一切できないそうです。私は2011年のその当時にはタイ語はある程度読み書きができるようになっていましたが、とても鈴木さんのように流暢に話すことはできません。困窮している患者さんに笑顔をもたらすことなどとてもできません。

 GINAとしても私個人としても鈴木真実さんの活動を支援することにしました。その後、鈴木さんは支援の幅を広げ、タイ国内の他の施設にもボランティア活動に出向いていました。「HUG & SMILE Foundation」という財団法人をつくり、さらに活動を広げ、賛同する仲間も増えていました。

 そんな矢先、2014年の7月、タイ滞在中の鈴木真実さんから突然メールが届きました。出血が止まらないことを不思議に思い、タイの医療機関を受診すると「再生不良性貧血」の診断が付けられたというのです。この疾患はかなりの難病であり、進行すると血液がつくられなくなります。病名には「貧血」とついていますが、生じるのは貧血だけでなく血小板も低下します。ですから少しの衝撃で出血が止まらなくなるのです。白血球も低下しますから感染症に対して防御できなくなります。治療薬はなくはありませんが、極めて高価で、また効くかどうか分かりません。当面の間は最低月に一度は輸血をせざるを得ません。また、免疫能がままならない状態ですから他人との至近距離の接触は控えるべきであり、結核やカリニ肺炎などを発症しているかもしれないエイズ患者に近づくなど医学的にはご法度です。

 しかし鈴木真実さんはそれまで通りエイズ患者や孤児を支援し続けることを決意しました。日本で輸血を受けるとすぐに渡タイし、体力が続くギリギリまで複数の施設で支援活動を続け、その後身体をひきずるように帰国するというサイクルを繰り返していました。私は一度、鈴木さんが入院する千葉県の病院に見舞いに行ったことがあります。輸血を受けた直後だったこともあり、そのときは元気でしたが、タイ滞在中に次第に輸血の効果が切れて来て、成田に帰国したときは立ちあがることすら困難になるそうです。「日本の空港は車椅子をすぐに用意してくれるから助かります」と言っていたシーンが今も私の脳裏をよぎります。

 その後コロナ禍が始まりました。体調もすぐれない鈴木真実さんはついにタイ渡航をいったん中止することにし、日本での治療に専念し始めました。しかし、今度は新たな疾患が見つかりました(再生不良性貧血を発症したことについて、ウェブサイトなどで公開することには鈴木さん本人から許可を得ていますが、新たな疾患については確認していませんのでここでは病名を伏せておきます。尚、再生不良性貧血と闘病している姿を私の毎日新聞の連載で紹介したことがあります)。

 2022年1月6日に届いたメールが最後でした。このときに薬疹が出たことや、体調がすぐれないことを書かれていたのですが、再生不良性貧血自体は落ち着いているとのことでした。私はそれに対する返信をしただけで、それ以来音信が途絶えていました。もちろんときどき気になっていたのですが、いつもしばらくすると鈴木さんの方から連絡をくれていたので、「またそのうちにメールが届くだろう」と楽観視してしまっていました。

 そしていつの間にか3年も経過し、そろそろ連絡しなければと考え私の方からメールを送信したのですが返信がきません。慌てて携帯電話に電話をすると「おかけになった電話番号は現在......」のメッセージが。この時点で絶望的な気持ちになりましたが、もしかするとすっかり元気になって日本の携帯電話を解約して今はタイで再び活動をしているのでは、とかすかな希望を抱き、鈴木さんと共通の知り合いのタイ人に連絡をとることを試みました。ところがそのタイ人からも返事が来ません。私の知り合いのタイ人のほとんどはここ数年でメールを使わなくなりSNSに移行しています。その共通の知人のSNSのアカウントを知らないために連絡がとれません。

 鈴木真実さんは幅広く活動されていましたから、2014年頃には「鈴木真実」と検索すれば多くのページが表示されました。上述の「HUG & SMILE Foundation」のサイトや、「HUG & SMILE Foundation」を紹介したサイトも多数ヒットしていたのですが、今検索をかけてみるとほとんど表示されません。唯一、鈴木さんを紹介している健康関連のサイトが見つかりましたが、鈴木さんと「HUG & SMILE Foundation」に触れたそのコラムは2013年のものでした。

 おそらく鈴木真実さんはこの世にもう「いない」のでしょう。ですが、私が死ぬまでは私の心の中に残り続けます。そういう意味では「いない」わけではありません。それに、鈴木さんの貢献の様子や写真は今も誰でも無料で見ることができるのです。このコラムを読まれた方は、是非(上述した)私が毎日新聞に書いたコラムを読んでみてください。鈴木真実さんの素敵な笑顔をご覧ください。

 R.I.P....