GINAと共に
第222回(2024年12月) 「50人の男に妻をレイプさせた事件」が仏国のあの場所で起こった"因縁"
長年に渡り自身の妻を睡眠薬で眠らせて自宅に招いた50人以上の男にレイプさせていたフランスの事件は、日本のメディアではあまり見かけないのですが、海外メディアでは2021年頃より衝撃的な事件として報道されてきました。このおぞましい事件の報道は、加害者たちへの非難と法廷で証拠のビデオを流すことに同意した被害者の勇気に焦点が注がれていますが、私自身はこの土地でこの事件が起こったことに対し、因縁めいたものを感じずにはいられません。
まずは事件を振り返っておきましょう。
事件の主犯格の男は現在72歳のDominique Pelicot(以下「ドミニク・ぺリコ」)、フランス南東部のマザン(Mazan)という名の小さな村の住人です。マザンの人口はわずか6,300人ですから村民の多くが顔見知りでしょう。ドミニク・ぺリコはかつては不動産の代理店を営み営業をしていたと報道されています。尚、ドミニク・ペリコは、1991年に23歳の女性を強姦して殺害した容疑と、1999年に19歳の女性を強姦しようとした容疑でも捜査を受けています。
「妻を大勢の男性にレイプさせた事件」が発覚したのは「小さな犯罪」がきっかけでした。2020年、ドミニク・ぺリコがスーパーマーケットで3人の女性のスカートの中を盗撮しようとしていたことが女性らにバレて通報されました。警察がドミニク・ぺリコの捜査を開始し、パソコンやその他の電子機器を調べると、レイプや性的虐待を示唆する数千枚の写真や動画が発見されました。動画や写真の多くには、現在72歳のドミニク・ぺリコの妻Gisele Pelicotさん(以下「ペリコ夫人」)が意識を失い、複数の男に性的に弄ばれている姿が映し出されていました。結婚して50年になる夫のドミニク・ぺリコが密かにペリコ夫人を薬物で眠らせ、その後、ドミニク・ぺリコが自宅に招き入れた数十人の男性とともに夫人をレイプするという異常事態が10年近くも続いていたことが明らかとなりました。
地元警察は本格的な捜査を開始し、2020年11月にドミニク・ぺリコは起訴されました。誰がレイプに関わったのかを特定し、起訴するのにはほぼ2年の月日が費やされました。告発された男性のほとんどは「ウェブサイトを通してドミニク・ぺリコと知り合った」と法廷で述べています。
2024年12月19日、仏国プロヴァンス地方の都市アヴィニョン(Avignon)の法廷で、ドミニク・ぺリコに懲役20年の実刑判決が言い渡されました。
他の50人の容疑者全員にも大半は6年から9年程度の有罪判決が下されました。50人は26歳から74歳で、14人は雇用されておらず、残り(36人)は職業を持っています。トラック運転手、大工、貿易労働者、看守、看護師、消防士、銀行で働くIT専門家、地元のジャーナリストなどです。50人のうち約15人は有罪を認めています。残りの被告は性交したことは認めたものの、レイプするつもりはなかったと主張しました。しかし、捜査で押収されたビデオには、薬物で眠らされ反応のないペリコ夫人に男たちが"侵入"(penetrating)する様子が映っていました。尚、このビデオを証拠として法廷で流すことをペリコ夫人が同意した勇気に対し、世界中から賞賛の声が上がっています。
50のうち3人は実名で報道されていますので簡単に紹介しておきましょう。
Charly Arbo: 初めてドミニク・ぺリコの自宅を訪れたのは2016年。当時は22歳だった。合計6回ドミニク・ぺリコの自宅に行っている。懲役13年の判決
Jean-Pierre Marechal: ドミニク・ペリコに教唆され、自分の妻に薬物を投与しドミニク・ペリコを誘ってレイプした。懲役12年の判決
Joseph Cocco: ペリコ夫人に謝罪した数少ない被告の1人。懲役4年の判決
匿名(実名は報道されず):ドミニク・ぺリコの自宅に6回訪れた。HIV陽性を隠し、さらにコンドームを使わなかった。懲役15年の判決(ドミニク・ペリコを除く加害者で最も重い判決)
さて、フランス中を震撼させたこの事件、フランスという国だからこそ起こったのでしょうか。「そんなはずはない」と答える人が大半でしょうが、誤解を恐れずに言えば、私はこの事件の報道を初めて読んだとき「なるほど、そういうことか......」と思わずにはいられませんでした。非科学的な話になりますが、私の心に浮かんだことを正直に告白しておきましょう。
私がこの事件を初めて知ったのは2021年の英国紙「Daily Mail Online」の記事で、ドミニク・ぺリコはまだ68歳と報じられていました。事件の場所を解説する地図に書かれていた「Mazan」という文字を目にした瞬間、私はハッとしました。私にとって「マザン(Mazan)と言えば、マルキ・ド・サド」なのです。
私が医学部受験をまだ考えていなかった90年代前半、社会学を本格的に学ぶためにフランスの思想や哲学に没入していた期間がありました。そのときに出会ったのが「性」の問題でした。ミシェル・フーコーから同性愛を学び、ジョルジュ・バタイユを読んで性的倒錯の世界を知り、そしてマルキ・ド・サドの異常な性への執着に関心が深まっていったのです。
マルキ・ド・サドの文学的な評価についてはここでは論じませんが、「性」を考える上では避けて通れない文学者であると私は今も考えています。いつしか、マルキ・ド・サドが避難していた邸宅を訪れたいと思うようになっていました。なぜなら、その邸宅は現在ホテルとして営業しているからです。そして、そのホテル「Le Château de Mazan」がマザンにあるのです。ちなみに、このホテルのウェブサイトにはマルキ・ド・サドが避難していた史実についても書かれています。
薬物を使い抵抗できない女性を凌辱し、それを文学作品へと昇華させ、その作品は200年以上たっても世界中で読み続けられ、他界するまで精神病院に隔離(投獄)されていたマルキ・ド・サドが居住していたその土地で、200年後に似たような事件が起こったことを単なる偶然だと片付けられないのは私だけでしょうか......。
貴族としてマルキ・ド・サドが世間からどのように見られていたのかについては諸説あるようですが、ドミニク・ぺリコは3人の子供たちから「理想の父親」とみなされていたようです。報道によると、ドミニク・ぺリコは子どもたちのために素晴らしい誕生日パーティーを主催し、スポーツイベントに一緒に参加し、娘がパーティーから無事に帰宅するのを見届け......、いつもそばにいてくれる愛情深い家族の柱だと思われていたそうです。
マルキ・ド・サドの再臨、などと言えば完全にオカルトの世界に入ってしまいますが、ついついそんなことを妄想してしまいます。ドミニク・ぺリコが起こしたこのおぞましい事件を解明するためには、もう一度マルキ・ド・サドに戻って「人間の性の本質」を掘り下げて考える必要があるのではないか。私にはそう思えてなりません。
まずは事件を振り返っておきましょう。
事件の主犯格の男は現在72歳のDominique Pelicot(以下「ドミニク・ぺリコ」)、フランス南東部のマザン(Mazan)という名の小さな村の住人です。マザンの人口はわずか6,300人ですから村民の多くが顔見知りでしょう。ドミニク・ぺリコはかつては不動産の代理店を営み営業をしていたと報道されています。尚、ドミニク・ペリコは、1991年に23歳の女性を強姦して殺害した容疑と、1999年に19歳の女性を強姦しようとした容疑でも捜査を受けています。
「妻を大勢の男性にレイプさせた事件」が発覚したのは「小さな犯罪」がきっかけでした。2020年、ドミニク・ぺリコがスーパーマーケットで3人の女性のスカートの中を盗撮しようとしていたことが女性らにバレて通報されました。警察がドミニク・ぺリコの捜査を開始し、パソコンやその他の電子機器を調べると、レイプや性的虐待を示唆する数千枚の写真や動画が発見されました。動画や写真の多くには、現在72歳のドミニク・ぺリコの妻Gisele Pelicotさん(以下「ペリコ夫人」)が意識を失い、複数の男に性的に弄ばれている姿が映し出されていました。結婚して50年になる夫のドミニク・ぺリコが密かにペリコ夫人を薬物で眠らせ、その後、ドミニク・ぺリコが自宅に招き入れた数十人の男性とともに夫人をレイプするという異常事態が10年近くも続いていたことが明らかとなりました。
地元警察は本格的な捜査を開始し、2020年11月にドミニク・ぺリコは起訴されました。誰がレイプに関わったのかを特定し、起訴するのにはほぼ2年の月日が費やされました。告発された男性のほとんどは「ウェブサイトを通してドミニク・ぺリコと知り合った」と法廷で述べています。
2024年12月19日、仏国プロヴァンス地方の都市アヴィニョン(Avignon)の法廷で、ドミニク・ぺリコに懲役20年の実刑判決が言い渡されました。
他の50人の容疑者全員にも大半は6年から9年程度の有罪判決が下されました。50人は26歳から74歳で、14人は雇用されておらず、残り(36人)は職業を持っています。トラック運転手、大工、貿易労働者、看守、看護師、消防士、銀行で働くIT専門家、地元のジャーナリストなどです。50人のうち約15人は有罪を認めています。残りの被告は性交したことは認めたものの、レイプするつもりはなかったと主張しました。しかし、捜査で押収されたビデオには、薬物で眠らされ反応のないペリコ夫人に男たちが"侵入"(penetrating)する様子が映っていました。尚、このビデオを証拠として法廷で流すことをペリコ夫人が同意した勇気に対し、世界中から賞賛の声が上がっています。
50のうち3人は実名で報道されていますので簡単に紹介しておきましょう。
Charly Arbo: 初めてドミニク・ぺリコの自宅を訪れたのは2016年。当時は22歳だった。合計6回ドミニク・ぺリコの自宅に行っている。懲役13年の判決
Jean-Pierre Marechal: ドミニク・ペリコに教唆され、自分の妻に薬物を投与しドミニク・ペリコを誘ってレイプした。懲役12年の判決
Joseph Cocco: ペリコ夫人に謝罪した数少ない被告の1人。懲役4年の判決
匿名(実名は報道されず):ドミニク・ぺリコの自宅に6回訪れた。HIV陽性を隠し、さらにコンドームを使わなかった。懲役15年の判決(ドミニク・ペリコを除く加害者で最も重い判決)
さて、フランス中を震撼させたこの事件、フランスという国だからこそ起こったのでしょうか。「そんなはずはない」と答える人が大半でしょうが、誤解を恐れずに言えば、私はこの事件の報道を初めて読んだとき「なるほど、そういうことか......」と思わずにはいられませんでした。非科学的な話になりますが、私の心に浮かんだことを正直に告白しておきましょう。
私がこの事件を初めて知ったのは2021年の英国紙「Daily Mail Online」の記事で、ドミニク・ぺリコはまだ68歳と報じられていました。事件の場所を解説する地図に書かれていた「Mazan」という文字を目にした瞬間、私はハッとしました。私にとって「マザン(Mazan)と言えば、マルキ・ド・サド」なのです。
私が医学部受験をまだ考えていなかった90年代前半、社会学を本格的に学ぶためにフランスの思想や哲学に没入していた期間がありました。そのときに出会ったのが「性」の問題でした。ミシェル・フーコーから同性愛を学び、ジョルジュ・バタイユを読んで性的倒錯の世界を知り、そしてマルキ・ド・サドの異常な性への執着に関心が深まっていったのです。
マルキ・ド・サドの文学的な評価についてはここでは論じませんが、「性」を考える上では避けて通れない文学者であると私は今も考えています。いつしか、マルキ・ド・サドが避難していた邸宅を訪れたいと思うようになっていました。なぜなら、その邸宅は現在ホテルとして営業しているからです。そして、そのホテル「Le Château de Mazan」がマザンにあるのです。ちなみに、このホテルのウェブサイトにはマルキ・ド・サドが避難していた史実についても書かれています。
薬物を使い抵抗できない女性を凌辱し、それを文学作品へと昇華させ、その作品は200年以上たっても世界中で読み続けられ、他界するまで精神病院に隔離(投獄)されていたマルキ・ド・サドが居住していたその土地で、200年後に似たような事件が起こったことを単なる偶然だと片付けられないのは私だけでしょうか......。
貴族としてマルキ・ド・サドが世間からどのように見られていたのかについては諸説あるようですが、ドミニク・ぺリコは3人の子供たちから「理想の父親」とみなされていたようです。報道によると、ドミニク・ぺリコは子どもたちのために素晴らしい誕生日パーティーを主催し、スポーツイベントに一緒に参加し、娘がパーティーから無事に帰宅するのを見届け......、いつもそばにいてくれる愛情深い家族の柱だと思われていたそうです。
マルキ・ド・サドの再臨、などと言えば完全にオカルトの世界に入ってしまいますが、ついついそんなことを妄想してしまいます。ドミニク・ぺリコが起こしたこのおぞましい事件を解明するためには、もう一度マルキ・ド・サドに戻って「人間の性の本質」を掘り下げて考える必要があるのではないか。私にはそう思えてなりません。