GINAと共に

第221回(2024年11月) PrEPは気軽に始めてはいけない

 過去2ヶ月連続でHIVのPrEPを取り上げましたが、今回もPrEPをクローズアップします。最近、ある意味でPrEPが"危機的な"状態になっています。あまりにも気軽に始める人が増加し、そして次々にトラブルが起こっています。GINAとしても「この事態は看過できない」と考え、今月(2024年11月)末に東京で開催される第38回日本エイズ学会で報告をすることにしました。今回は、HIVのPrEPによくみられる「間違い」「誤解」について改めてまとめてみたいと思います。

 まず、HIVのPrEPの基本事項をおさえておきましょう。

・U=Uの概念があるわけだから、パートナーがHIV陽性という理由ではPrEPは不要

・PrEPが必要なのはsexual activityが高い人、複数のsex partnerを持つ人、sex workerまたはsex workerの顧客など

・PrEPで防げるのはHIVのみ(HBVは必ずしも予防できるとは限らない)

・PrEPでHCV感染が増えたという報告がある

・PrEPを継続すれば腎機能低下、骨密度低下のリスクが上昇する

・HBV既感染の人がPrEPを開始すると、de novo肝炎が生じるリスクがある

・on demand PrEPは100%成功するわけではない

 と、こんな感じです。ではHIVを予防するのにPrEPはどれくらい有効なのでしょうか。この問いに対する答えは誰を"主語"にするかによって変わってきます。もしも「社会」を主語にすると、すなわち「HIVのPrEPが普及することによって社会が利益を得るか」という問いであれば「イエス」です。実際、PrEPが普及すればするほどHIVの新規感染者は減少し、結果として医療費を抑制することができます。

 では主語を「あなた」とすればどうでしょう。あなたにとって大切なのは「あなたがHIVに感染しない」であって、「社会全体での感染率を減らす」ではないはずです。例えば、「PrEPをしていない集団では人口千人あたり10人が感染して、PrEPをしている集団では1人しか感染しなかった」として、「しかしあなた自身がその1人だった」という結果であれば、あなたにはとってはPrEPの意味がないわけです。

 一般に「予防」を考えるときにこの視点は極めて重要です。ここを曖昧にすると、誤解、対立、さらに分断が生じます。「その予防法についての話は"誰"が主語なのか」をはっきりさせないことには話が噛み合わなくなってくるのです。

 例えば、新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)のワクチンを考えたとき、主語を「社会」とすれば、コロナワクチンは極めて有効です。もしもワクチンがなければ世界の1千万人以上が亡くなっていた(ワクチンは1千万人以上の命を救った)とする報告は多数あります。しかし、主語が「あなた」または「あなたにとって大切な人」だったとき、いくらワクチンのおかげで何千万人の命が救われたと言われようが、もしもあなたやあなたにとって大切な人がワクチンのせいで重篤な後遺症が出たり死んでしまったりすればワクチンの有効性にはまったく意味がなくなるわけです。

 HIVのPrEPも同様です。そして、HIVの場合、コロナやインフルエンザよりも"厳格に"考えなければなりません。コロナやインフルエンザは「感染してもワクチンのおかげで軽症で済む」という利点があります。他方、HIVの場合は"軽症"はありません。「いったん感染すると生涯にわたりウイルスは消えず、感染には軽症も重症もない」のです。つまり、HIVのPrEPの有効率を「あなた」を主語に考えるときには「100%成功しなければ意味がない」のです。

 副作用についても同様です。「社会」を主語にすれば「HIVのPrEPが普及した結果、重篤な腎機能障害を起こした人が1%、骨粗しょう症を発症した人が2%いた」であれば、この程度ならOKなのです。なぜなら、HIV感染を大きく防ぐことができてHIV感染にかかる社会全体の医療費が大幅に抑えられるからです。生活に大きく支障のでる腎機能障害や骨粗しょう症の患者が少々現れたくらいでは、HIVの医療費抑制のメリットの方がはるかに大きいわけです。

 しかしながら、やはり主語を「あなた」とした場合、HIV感染は防げたけれど、重篤な腎機能障害が起こり生涯にわたり人工透析が必要になった、とすればどうでしょう。あるいは骨粗鬆症を患い転倒して股関節を骨折しそのまま寝たきりになった、とすればどうでしょう。それでも「PrEPのおかげでHIVに感染しなかった。自分は幸せだ!」と言えるでしょうか。

 私が院長を務める谷口医院では2012年からHIVのPrEPに関する相談が増え始めました。最初の頃は、「パートナーがHIV陽性」、または「自身がHIV陽性でパートナーにPrEPを考えている」という人がほとんどで、過半数は外国人でした。2015年9月にWHOがPrEPのガイドラインを発表し、その頃からパートナーが、または自身がHIVという人以外の希望者が増えました。2018年7月20日にUNAIDSがU=Uを発表し、谷口医院では「PrEPはもう不要ですよ」と伝えていたのですが、2019年あたりから「東京のクリニックでは希望すればPrEPが処方してもらえるのになんで谷口医院ではできないの?」という"クレーム"が増え始めました。結局、その"クレーム"に押し切られるようなかたちで2021年から海外後発品を用いたPrEPを始めました。

 しかし、上述したような、あるいはこれまでこのGINAのサイトで述べてきたようなPrEPの注意点を説明すると、「見合わせます」という結論を出す人も少なくありません。ところが、昨年(2023年)あたりから、「他院でPrEPを処方されたけれど不安になって......」と訴えて谷口医院を受診する人が増え始めました。詳しく話を聞いてみると、彼(女)らはきちんと説明を聞いていないままPrEPを処方されているのです。

 例えば「骨が脆くなるなんて一度も聞いたことがありません」と言う人は非常に多く驚かされます。PrEPによる骨密度低下は特に体重の少ない人は注意しなければなりません。「PrEP実施の7,698人の3%に骨減少症/骨粗鬆症が起こり、やせ型(BMI<18.5)の場合、標準体重に比べてリスクは3.95倍にもなる」とする報告もあります。

 他にも、HBV既感染者のde novo肝炎(いったんおさまっていたウイルスが再び活性化すること)のリスクを知らされていなかったり、HCV感染のリスクがPrEPによって上昇することを知らされていなかったり、腎機能低下についてはなんとなく知っていてもどの程度のリスクがあるのかを聞いていなかったり(1年間ツルバダでPrEPを実施すれば腎機能障害のリスクが5%上昇するという報告があります)、と枚挙に暇がありません。

 最も問題だと思われるのが「on demand PrEPの失敗例」についての話がほとんどされていないことです。ツルバダ(TDF/FTC)によるon demand PrEPはきちんと服用しても失敗することがあり、正式に報告されています。こういう報告があることを隠して(あるいは知らずに)「on demand PrEPでも100%成功します」などと医師が言ったとすればこれは問題です。

 さらに驚かされるのが、「デシコビ(TAF/FTC)のon demand PrEPでも成功する」と言われた、という人が過去に数人いたことです。繰り返しますが、on demand PrEPの成功率は100%ではありません。ツルバダを使用してさえ失敗例があるのです。デシコビのon demand PrEPとなると、推奨している国は世界のどこにもなくエビデンスも皆無です。にもかかわらずデシコビ(TAF/FTC)でon demand PrEPがこの国ではおこなわれているのはもはや異常事態とも言える魔訶不思議な現象です。もっとも、理論的にはツルバダで防げるならデシコビでも大丈夫だろうと考えたくなります。しかし、医療の世界では理論と実際は異なります。エビデンスがなく世界のどの国もどの機関も勧めていないものを推奨するのは極めて危険です。

 HIVのPrEPを始めるのなら、そのリスクについてしっかりと理解しなければならないのです。


参考:
TIC谷口医院の<PrEP(曝露前予防)について>
GINAと共に
第61回(2011年7月)「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」
第113回(2015年11月)「HIV治療の転換~直ちに投薬、PEP、PrEP~後編」
第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」
第174回(2020年12月)「PrEPとU=Uは矛盾するのか」
第175回(2021年1月)「ついに日本でもPrEPが普及する兆し」
第184回(2021年10月)「PrEPについての2つの誤解」
第214回(2024年4月)「HIVのPrEPの失敗例」
第219回(2024年9月)「ツルバダのPrEP認可でPrEPはかえって普及しなくなった」
第220回(2024年10月)「新しいPrEPと世界から取り残される日本」