GINAと共に

第217回(2024年7月) 「ゲイは無料」のHIV検査は不平等ではないのか

 私が院長を務める谷口医院を開院したのは2007年の1月で、はや17年半が過ぎました。途中、三度も名称変更をし、2023年の夏からは新しい地に移転しましたが、診療内容はまったく変わっておらず「総合診療」のクリニックを続けています。「どのような方のどのような悩みもお聞きします」と言い続けていますから、実にいろんな訴えで様々な患者さんが受診されています。

 私が総合診療医を目指したきっかけは、研修医1年目のときに訪れたタイのエイズホスピスです。その施設でボランティアとして働いていたベルギー人の総合診療医(general practitioner)の診療する姿勢に感銘を受けたのです。日本では「それはうちの科ではありませんから」「専門外ですから」などと言って診療を断る医師が多いことに違和感を覚えていた私は、総合診療という臨床スタイルに魅せられました。
 
 2年後に再びタイのそのホスピスを訪れた私は、今度は米国人の総合診療医から約半年間総合診療の基礎を学びました。この頃の体験が現在の医師としての私の礎となっています。私、そして谷口医院は一貫して「どのような症状でも断らない。自分よりも専門医の診療が適しているときは速やかに紹介する。そして必要なら専門医の治療後再び自分で診る」という方針を維持しています。

 HIVについては、感染すると実に様々な症状がでますから、感染者は総合診療医にかかるのが賢明です。より専門的な治療が必要な場合は信頼できる専門医を総合診療医から紹介してもらえます。総合診療医の存在は日本のHIV陽性者にも役に立つようで、大勢のHIV陽性の患者さんから「健康のことで気になることがあれば谷口医院に相談すればよい」と考えてもらえるようになりました。

 抗HIV薬の処方については、「自立支援医療」という複雑な事務手続きが必要になるため、当初は自費診療の外国人のみを対象としていたのですが、現在ではその複雑な手続きも事務員を増員したおかげでできるようになり、今ではどのような抗HIV薬の処方も谷口医院でできるようになっています。

 このように、谷口医院は総合診療科のクリニックとして、HIV診療にも17年半携わり、そしてこれからも続ける予定です。しかし、2007年の開院当初からHIVに関して疑問に感じていたことがあります。「HIVに感染しているかどうかを調べる検査」です。

 私の個人的見解としては、HIVの検査については、他諸国がそうであるように、「保健所などの公的機関が無料で実施すべき」です。タイでも無料で受けられるところが多数あります。これは行政側からみても、「HIVを早期発見できれば結果として大勢に広がることを阻止できて医療費も安くなる」わけですからお金を使うことに意義があるはずです。

 ところが日本のシステムはそうはなっていません。たしかに各地域の保健所でも無料検査は受けられるのですが、時間が制限されていたり、他の感染症が同時に受けられなかったり、と何かと不便です。そこで、保健所などの検査では満足できない人たちが谷口医院のようなクリニックを受診するわけですが、彼(女)らの多くは「保健所では十分な相談ができない」「保健所の職員に知識がない」、あるいは「保健所ではプライバシーが確保されない」などと言います。

 ならば、まず保健所での検査を受け付ける時間を増やし、職員を増員し、職員に受検者に伝える知識を増やしてもらうのがあるべき姿のはずです。しかし、そうはならず、大阪府の方針は「保健所では限界があるから医療機関での検査を充実させよう」となってしまっているのです。

 そこで大阪府が開始したプログラムの1つが「ゲイだけを対象としたクリニックでの無料検査」です。私が大阪府の公的機関からこのキャンペーンに参加してもらえないかと依頼されたのは開院した初年の2007年です。大阪府がお金を出すから検査をしてほしいと依頼されたのです。日頃お世話になっている機関からの依頼ですから検討はしましたが、「お断り」しました。その理由はいくつかありますが、最大の理由は「ゲイだけを逆差別するようなキャンペーンは不平等だ。女性やストレートの人たちは受けられないのは差別ではないか」と考えたからです。以降、毎年のように「今年こそお願いできないか」と依頼され続けていたのですが、その都度お断りしてきました。

 しかし2024年のこの夏、ついに当院もこのキャンペーンに参加することにしました。最大の理由は、府の担当者から「今までこのキャンペーンの中心的な役割を担っていたクリニックが閉院することになった。谷口医院は参加しないという意思表示を続けていることは知っているが再検討してもらえないか」とお願いされたからです。

 私は、一人で叫んだところで微力であることを認識しながらも「行政が主導するHIVの無料検査を充実させるべきだ」と17年以上に渡り言い続けてきました。しかし、現実には何も変わっていません。ならばこれから変わることもないでしょう。ということは、いつまでも理想論を口にするだけでは何の意味もなく、自分が動くしかありません。

 ここで、なぜ行政は「税金を使ってでもゲイを対象としたHIV検査の特別なキャンペーンを実施すべきと考えているのか」を考えてみましょう。我々医師の役割は「目の前の
困っている患者さんを助ける」ですが、行政の視点は異なります。行政は公衆衛生学的な観点から「社会全体としてHIVが蔓延することを防ぐ。そのために早期発見につとめる」をミッションとしています。すでに感染したひとりひとりの患者さんには目を向けていません。つまり、私のような医師と行政は別の方向を向いているわけです。

 けれども、谷口医院も私も行政の考えが理解できないわけではありません。目の前の患者さんに尽力することには変わりはないけれど、「公衆衛生学的な早期発見のために(保健所の現在の体制では不十分なのだから)我々も協力する」という考えは成り立ちます。

 しかし、ここに矛盾が生まれます。「ゲイのみを対象」とするのは「(日本では)ゲイにHIV陽性者が多いから」で、これは理解できるのですが、検査を受ける側の立場からみれば「なんでゲイは無料で受けられるのに、あたしたち(ストレートの男性や女性、あるいはゲイ以外のセクシャルマイノリティ)は有料なの?」という声が当然出てきますし、この疑問に納得できる答えを用意できる人はいないでしょう。

 ではどうすべきか。谷口医院では次のように案内する予定です。

・ゲイだけ無料なのはたしかに「逆差別」に他ならないことは我々も認識している

・行政がゲイだけを対象とするのは公衆衛生学的に有効と考えられる対策だからであり、行政側の視点に立てば理解できる。これを(ゲイ以外の)一般市民に理解してほしいと言っても無理があるのは承知しているが、理解いただけるとありがたい

・ゲイのみならず他のセクシャルマイノリティ(バイセクシャル、レズビアン、トランス男性、トランス女性、ノンバイナリーなど)も当院では無料の対象とする(これについては府に了解をとっています)(注1)

・男性から性被害を受けたストレートの男性(や生物学的に男性のノンバイナリーやエイセクシャル)も対象とする(これも府に了解を得ています)

・上記に当てはまらない人(ストレートの男女など)は無料では受けられないが、クリニックが補填した「格安検査」を提供する
http://www.stellamate-clinic.org/STI/

 上記の「格安検査」は格安といってもそれなりにしますが(HIV抗原抗体検査は2,200円)、谷口医院ではこれを恒常的に続けていく予定です。無料にはなりませんが、やはり早期発見は重要であり、この値段なら受けたいと考える人もいると思われるからです。ただし、我々が重要だと考えるのは「社会全体での感染者を増やさない」ではなく、もしもHIVに感染しているかもしれないと不安に感じている人がいるのだとすれば「その人にとって」発見は早い方がいいからです。

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注1(2024年8月10日追記):大阪府が「レズビアンは無料検査を受けられない」と通達してきました。納得いきませんが、府の意向には従うしかありません。

注2(2024年8月17日追記):上記「
府に了解をとっています」という表現を削除するよう大阪府から抗議がありました。現在、その理由を確認しているところです。