GINAと共に
第216回(2024年6月) フーゾク嬢に恋しなくなった男性たち
前回のGINAと共に「セックスワーカーは変遷した」では、過去20年間でタイと日本のセックスワーカーがどのように変化してきたのかを、GINAの活動や私自身が診察室で見聞きしてきたことから考察しました。両国ともに、以前にように「貧困からやむを得ず春を鬻(ひさ)ぐことになり......」というケースは大きく減少し、セックスワークが気軽なものとなり、さらに手っ取り早く大金を稼ぐ手段と考えられていることについても述べました。日本のメディアでは、海外でセックスワークをする日本人女性は「ホストクラブで借金を背負わされた挙句に......」というステレオタイプのストーリーで語られますが、実際には「月収2千万円」(「年収」ではなく「月収」)につられて海外に渡るケースも少なくないことを紹介しました。
今回はその続編で、「セックスワーカーと顧客のロマンスがなくなってきている」ことを述べたいと思います。しかし、これは私の印象にすぎず、実際にはそのような「恋愛」は今も珍しくはないのかもしれません。特にタイについては、最近はさほどその手の情報が入って来なくなったために実際のところはよく分かりません。ですが、私の知る範囲で言えば、セックスワーカーと顧客が交際、さらには結婚に至る話はほとんど聞かなくなりました。その反対に、「セックスは短時間で済ませるのが一番」という、いわば「セックスのファストフード化」が進んでいるような印象があります。具体例を挙げましょう。
私がタイを頻繁に訪れていた2004年から2006年の3年間で、「元々はセックスワーカーと顧客の関係、今は仲睦まじいカップル」を何十組とみてきました。取材というほどのものではありませんが、私はこのケースにいたった何人もの男性(最多は日本人で、英国人、ベルギー人、米国人、ドイツ人などもいました)から話を聞きました。たいていはパートナーの女性はタイの東北地方(イサーン)か北タイの貧しい家庭の出身でした。最初は、美しさに惹かれ、次いでその境遇に同情し、そして「自分が守らねばならない」という気持になったと言います。
「自分が守らねば......」というのは男側からみた勝手な理屈というか、そういう"言い訳"が必要なのでは?と感じなかったわけではないのですが、美しい話に釘を刺すようなことはしたくありませんから、「いい話ですね」などと言いながら聞くことになります(ちなみに「相手を否定しない」は私が他人から話を聞くときのポリシーです)。
日本人の場合、タイ人女性を日本に連れて帰る予定という話もありましたし、二人でタイ国内で日本人向けのタイ料理屋をオープンさせたカップルもいました。西洋人の場合は、すでにそれなりの貯蓄を蓄えて引退している50代以上が多く、パートナーの名義で家を買って(タイは外国人が家を買えない)、若いタイ人女性と共に暮らしているケースがそこそこありました。私が知る範囲では、タイ人女性にそのままセックスワークをさせて自分はいわゆる「ヒモ」になる、というケースは皆無でした。
タイではセックスワーカーと顧客が容易に恋に落ちてロマンスが生まれるというのは私一人だけが主張しているわけではありません。2006年にはこのサイトで「なぜ西洋人や日本人はタイでHIVに感染するのか」というレポートを書き、西洋人がタイでHIVに感染するのは、西洋人の男性がタイ人の女性セックスワーカーをセックスワーカーではなく"intimate friends(親密な友達)"とみなしているとする医学誌「BMJ」の論文「Sex, Sun, Sea, and STIs」を紹介しました。ちなみに、2006年の私のこのレポートは英語版も作成し、意外にも18年が経過した現在でも海外から感想メールが届きます。
では、タイではこのような現象、タイの女性セックスワーカーと外国人男性の顧客が恋に落ちるというストーリーはすっかり鳴りを潜めているのでしょうか。タイに住む私の知人からの情報によると、こういう"ロマンス"は今もあるものの、二人で女性の故郷を訪れて親族に挨拶をしたり、実際に結婚に至ったりという話はほとんど聞かなくなったそうです。ただ、互いに割り切った「1週間のみの疑似恋人」のような関係は今でも少なくないとか。
日本をみていきましょう。前回のコラムでも述べたように、谷口医院を開院した最初の頃は、セックスワーカーの患者さんというのは自分がその仕事をしていることを隠して受診していました。何回か通ううちに、性感染症の検査を続けて希望するのは不自然ですから、「実は、フーゾクの仕事をしていて......」と言いにくそうにカミングアウトするというのが一般的なパターンでした。
そして、当時の男性患者のパターンとして、「フーゾク通いがやめられない」がありました。これは正確に言えば今も「あります」。このサイトで何度も取り上げているいわゆる性依存症です(参考:第135回(2017年9月)「性風俗がやめられない人たち」)。性依存症を患う人は世間で思われているよりもずっと多く、私の印象でいえば以前よりも増加しています。ですから、最近よく言われる「最近の若い男性は草食系で性欲が減少している」には私は同意できません(これについては後述します)。
話を戻すと、2000年代当時の「フーゾク通いがやめられない」男性のひとつの特徴に「彼女(セックスワーカー)に恋をしている」があったのです。彼らはひとりのセックスワーカーの元にマメに通い出します。給料の大半をそのお金、さらには女性へのプレゼント代に費やします。そこまでやっても恋は実らないケースも多いわけですが、なかには女性がセックスワークをやめて正式に交際を始めることになったカップルもいました。さらに、結婚にまでいたった二人も何組かいました。つまり、私がタイでみてきたタイ人の女性セックスワーカーと男性顧客と同じ事象が、タイよりもずっと頻度は低いとはいえ日本にもあったのです。ところが、2010年代の半ばあたりからこのような話はほぼ聞かなくなりました。
これは何を意味するのか。私の分析では、その原因は「ロマンスには関心を持たなくなり単純なセックスに重きを置く男性の増加」です。あきらかに性依存症を患ったある男性患者は「セックスは短くていい。その前の会話など余計なことに時間を使いたくない」と言います。彼の理想は「出会った瞬間に始まるセックス」だそうで、言葉もいらないと言うのです。従来の(という表現もおかしいかもしれませんが)気に入った女性がいれば、なんとか話をする機会をみつけて、電話番号を聞き出して、デートに誘って、事前にレストランを調べて......、などというようなことは面倒くさくてやる気が起こらないと言います。フーゾクは必ずしも満足度が高くないため、出会い系アプリをどんどんスクロールして、とにかく「すぐにヤレる」女性を探すのだそうです。私の印象に過ぎませんが、最近このような考えをもつ男性が急増しています。
では女性はどうか。おそらく女性も同様です。診察室で「セフレは定期的に変える必要があって......」などと発言する女性は過去には皆無でした。現在でもここまであけっぴろげに「性」を語る女性は少数ではありますが、それでも確実に増えています。つまり、男女とも「セックスのファストフード化」が進んでいる、あるいは「インスタントセックスが普及」しているのです。私は以前から性感染症の最大の予防法は「信頼できるパートナーを見つけること」と言ってきたわけですが、こんな主張は虚しく響くだけになってしまいました......。
セックスに関して、医師として私が社会から求められていることは、そしてこれはGINAのミッションでもあるのですが、「性感染症の予防」です。ですが、セックスのファストフード化が進行すれば性感染症はどんどんと増えるでしょう。ファストフードが流行したせいで、伝統的な栄養ある食事を摂らなくなり肥満や生活習慣病が増えている現象とどこか似ているように思えてきます。
では、セックスのファストフード化が止まらないなかで性感染症を防ぐにはどうすればいいか。決してベストの解決法ではありませんが、私が提唱する対策は「いわゆるラブドール(かつて「ダッチワイフ」と呼ばれていたもの)に頼る」です。このことについては2016年のコラム「既存の『性風俗』に替わるもの」にも書いたのですが、そのコラムでは「(ラブドール相手にセックスをするなどということは)突拍子もない考えなのでしょうか」という言葉で締めました。
しかし、AIの発展でこれがいよいよ本格的になってきました。実物の人間とあまり差がないAIロボットがすでに誕生しています。カタール航空が発表したAIロボットのフライトアテンダントをみれば、人間と区別のつかないほどに洗練されたラブドールの誕生まであと少しという気がします。そして、これが普及すれば性感染症の罹患率は激減するでしょう。それが人類にとっていいことなのかどうかはまた別の話ですが......。
今回はその続編で、「セックスワーカーと顧客のロマンスがなくなってきている」ことを述べたいと思います。しかし、これは私の印象にすぎず、実際にはそのような「恋愛」は今も珍しくはないのかもしれません。特にタイについては、最近はさほどその手の情報が入って来なくなったために実際のところはよく分かりません。ですが、私の知る範囲で言えば、セックスワーカーと顧客が交際、さらには結婚に至る話はほとんど聞かなくなりました。その反対に、「セックスは短時間で済ませるのが一番」という、いわば「セックスのファストフード化」が進んでいるような印象があります。具体例を挙げましょう。
私がタイを頻繁に訪れていた2004年から2006年の3年間で、「元々はセックスワーカーと顧客の関係、今は仲睦まじいカップル」を何十組とみてきました。取材というほどのものではありませんが、私はこのケースにいたった何人もの男性(最多は日本人で、英国人、ベルギー人、米国人、ドイツ人などもいました)から話を聞きました。たいていはパートナーの女性はタイの東北地方(イサーン)か北タイの貧しい家庭の出身でした。最初は、美しさに惹かれ、次いでその境遇に同情し、そして「自分が守らねばならない」という気持になったと言います。
「自分が守らねば......」というのは男側からみた勝手な理屈というか、そういう"言い訳"が必要なのでは?と感じなかったわけではないのですが、美しい話に釘を刺すようなことはしたくありませんから、「いい話ですね」などと言いながら聞くことになります(ちなみに「相手を否定しない」は私が他人から話を聞くときのポリシーです)。
日本人の場合、タイ人女性を日本に連れて帰る予定という話もありましたし、二人でタイ国内で日本人向けのタイ料理屋をオープンさせたカップルもいました。西洋人の場合は、すでにそれなりの貯蓄を蓄えて引退している50代以上が多く、パートナーの名義で家を買って(タイは外国人が家を買えない)、若いタイ人女性と共に暮らしているケースがそこそこありました。私が知る範囲では、タイ人女性にそのままセックスワークをさせて自分はいわゆる「ヒモ」になる、というケースは皆無でした。
タイではセックスワーカーと顧客が容易に恋に落ちてロマンスが生まれるというのは私一人だけが主張しているわけではありません。2006年にはこのサイトで「なぜ西洋人や日本人はタイでHIVに感染するのか」というレポートを書き、西洋人がタイでHIVに感染するのは、西洋人の男性がタイ人の女性セックスワーカーをセックスワーカーではなく"intimate friends(親密な友達)"とみなしているとする医学誌「BMJ」の論文「Sex, Sun, Sea, and STIs」を紹介しました。ちなみに、2006年の私のこのレポートは英語版も作成し、意外にも18年が経過した現在でも海外から感想メールが届きます。
では、タイではこのような現象、タイの女性セックスワーカーと外国人男性の顧客が恋に落ちるというストーリーはすっかり鳴りを潜めているのでしょうか。タイに住む私の知人からの情報によると、こういう"ロマンス"は今もあるものの、二人で女性の故郷を訪れて親族に挨拶をしたり、実際に結婚に至ったりという話はほとんど聞かなくなったそうです。ただ、互いに割り切った「1週間のみの疑似恋人」のような関係は今でも少なくないとか。
日本をみていきましょう。前回のコラムでも述べたように、谷口医院を開院した最初の頃は、セックスワーカーの患者さんというのは自分がその仕事をしていることを隠して受診していました。何回か通ううちに、性感染症の検査を続けて希望するのは不自然ですから、「実は、フーゾクの仕事をしていて......」と言いにくそうにカミングアウトするというのが一般的なパターンでした。
そして、当時の男性患者のパターンとして、「フーゾク通いがやめられない」がありました。これは正確に言えば今も「あります」。このサイトで何度も取り上げているいわゆる性依存症です(参考:第135回(2017年9月)「性風俗がやめられない人たち」)。性依存症を患う人は世間で思われているよりもずっと多く、私の印象でいえば以前よりも増加しています。ですから、最近よく言われる「最近の若い男性は草食系で性欲が減少している」には私は同意できません(これについては後述します)。
話を戻すと、2000年代当時の「フーゾク通いがやめられない」男性のひとつの特徴に「彼女(セックスワーカー)に恋をしている」があったのです。彼らはひとりのセックスワーカーの元にマメに通い出します。給料の大半をそのお金、さらには女性へのプレゼント代に費やします。そこまでやっても恋は実らないケースも多いわけですが、なかには女性がセックスワークをやめて正式に交際を始めることになったカップルもいました。さらに、結婚にまでいたった二人も何組かいました。つまり、私がタイでみてきたタイ人の女性セックスワーカーと男性顧客と同じ事象が、タイよりもずっと頻度は低いとはいえ日本にもあったのです。ところが、2010年代の半ばあたりからこのような話はほぼ聞かなくなりました。
これは何を意味するのか。私の分析では、その原因は「ロマンスには関心を持たなくなり単純なセックスに重きを置く男性の増加」です。あきらかに性依存症を患ったある男性患者は「セックスは短くていい。その前の会話など余計なことに時間を使いたくない」と言います。彼の理想は「出会った瞬間に始まるセックス」だそうで、言葉もいらないと言うのです。従来の(という表現もおかしいかもしれませんが)気に入った女性がいれば、なんとか話をする機会をみつけて、電話番号を聞き出して、デートに誘って、事前にレストランを調べて......、などというようなことは面倒くさくてやる気が起こらないと言います。フーゾクは必ずしも満足度が高くないため、出会い系アプリをどんどんスクロールして、とにかく「すぐにヤレる」女性を探すのだそうです。私の印象に過ぎませんが、最近このような考えをもつ男性が急増しています。
では女性はどうか。おそらく女性も同様です。診察室で「セフレは定期的に変える必要があって......」などと発言する女性は過去には皆無でした。現在でもここまであけっぴろげに「性」を語る女性は少数ではありますが、それでも確実に増えています。つまり、男女とも「セックスのファストフード化」が進んでいる、あるいは「インスタントセックスが普及」しているのです。私は以前から性感染症の最大の予防法は「信頼できるパートナーを見つけること」と言ってきたわけですが、こんな主張は虚しく響くだけになってしまいました......。
セックスに関して、医師として私が社会から求められていることは、そしてこれはGINAのミッションでもあるのですが、「性感染症の予防」です。ですが、セックスのファストフード化が進行すれば性感染症はどんどんと増えるでしょう。ファストフードが流行したせいで、伝統的な栄養ある食事を摂らなくなり肥満や生活習慣病が増えている現象とどこか似ているように思えてきます。
では、セックスのファストフード化が止まらないなかで性感染症を防ぐにはどうすればいいか。決してベストの解決法ではありませんが、私が提唱する対策は「いわゆるラブドール(かつて「ダッチワイフ」と呼ばれていたもの)に頼る」です。このことについては2016年のコラム「既存の『性風俗』に替わるもの」にも書いたのですが、そのコラムでは「(ラブドール相手にセックスをするなどということは)突拍子もない考えなのでしょうか」という言葉で締めました。
しかし、AIの発展でこれがいよいよ本格的になってきました。実物の人間とあまり差がないAIロボットがすでに誕生しています。カタール航空が発表したAIロボットのフライトアテンダントをみれば、人間と区別のつかないほどに洗練されたラブドールの誕生まであと少しという気がします。そして、これが普及すれば性感染症の罹患率は激減するでしょう。それが人類にとっていいことなのかどうかはまた別の話ですが......。