GINAと共に
第215回(2024年5月) セックスワーカーは変遷した
GINAを立ち上げたのは今から20年前の2004年で、法人化したのは2006年です。当時は取り組まねばならない課題がたくさんありました。その課題のひとつが、セックスワーカーに対する偏見や差別で、彼(女)らが社会的な不利益を被っていたのは明らかでした。ところが、GINAの活動を開始しておよそ20年が経過した今、セックスワーカーの社会的な"地位"は随分と"向上"しています。今回は私が経験してきたことを振り返りながら、セックスワーカーの変遷について述べてみたいと思います。
セックスワーカーはタイにも日本にも昔から多数いますが、いずれの国においてもその"背景"が大きく変わりました。2000年代のタイでセックスワーカーと言えば、大半はイサーン地方(東北地方)や北タイの貧困な家庭の出身で、親が娘(息子)を売り飛ばすケースがまったく珍しくありませんでした。10代なかば(ときには前半、ときにはさらに若いことも)でセックスワークを強いられ、運がよければ(と言っていいのかどうか分かりませんが)純情な彼女らの一部は欧米や日本の中年男性に見初められ、雇用主にそれなりの大金(これを日本語では「水揚げ料」と呼ぶそうです)が支払われ、自由になった彼女らは妾、あるいは本妻として迎えられることもありました。
しかし、私が(当時の)GINAのタイ人スタッフと共に調査した結果、私にはタイのセックスワーカーに明るい印象は持てませんでした。2000年代当時はセックスワーカーという言葉も日本語としては定着しておらず、「売春婦」の方が一般的でした。そのため、GINAのサイトや他の場所でも学術的な場面を除き、私は「売春婦」を使っていました。
一方、日本では私はセックスワーカーの存在をほとんど知りませんでしたが(個人的に知っているセックスワーカーはほぼ皆無でしたが)、2007年に大阪市北区に私が院長を務める谷口医院を開院してから、少しずつセックスワーカーを診察する機会が増えていきました。開院当初からHIV陽性者を積極的に診察していましたから、HIVを心配して性感染症の検査を希望する女性(一部は男性)がいたのです。
この当時、自らがセックスワーカーであることを初診時にカミングアウトする女性はごく少数で、たいていは何度か通院するうちに、「実は......」と話してくれるというパターンでした。彼女らはたとえ表面上は明るく振舞っていても、どこか心に闇を抱えているというか、瞳の奥にはもの悲しさが漂っているようでした。
その当時から「最近のフーゾク嬢には悲壮感なんかない。楽しんどる女も多い」という声はありましたが、私にはそのようには思えませんでした。その逆に、たとえ性感染症の検査や治療の目的の受診であったとしても、そのうちに心に抱えた苦しみを聞く役割を私が担うようになっていきました。
そんな状況が変わり始めたのはおそらく2010年代初頭です。リーマンショックが完全に終焉し、世界は好景気に向かいました。タイは日本を凌ぐ勢いで発展し、もはや貧困から女衒に売り飛ばされる少女の話など、2010年代の中頃には遠い過去の時代のものとなったかのようでした。2000年代には大学生のセックスワーカーなどあり得ず、高校どころか中学も卒業していない女子も少なくありませんでした。そのため、タイ語が書けないセックスワーカーもいたほどです。これは2005年にGINAがタイのセックスワーカー200人に聞き取り調査をおこなったときに知ることになり大変驚きました。
ところがタイ滞在の長い日本人によると、現在のタイでは大学生が小遣い稼ぎにセックスワークをすることがまったく珍しくないと言います。彼らによると、2000年代当時の私が「こんな残酷な環境に置かれている彼女たちを助けなければ......」と感じた境遇にいるようなセックスワーカーは"絶滅"したそうです。
一方、日本でも世間の女性のセックスワーカーに対する考えは2010年代初頭から確実に変わってきました。診察室では、堂々と「私はフーゾクで働いてます」と言う女性もいるほどです。もちろん彼女らは誰にでもそのようなカミングアウトをしているわけではないでしょうが、セックスワークの敷居が下がっているのは間違いありません。この頃に谷口医院に通い始めた30代のある女性は「フツーの子らってこんなに稼げないでしょ」と、上から目線であくせくする同世代の女性を蔑んだような発言をしていました。
「オーストラリアに行けば月収2千万は稼げるらしいんですけど、やめた方がいいですかね......」と元セックスワーカーの女性から相談されたのは昨年(2023年)の秋でした。以前セックスワークで荒稼ぎし、現在は事務職をしているこの女性、昔の仲間から「月収2千万円」と聞いて心が揺れたそうです。年収でなくて「月収」が2千万円なのですからセックスワークの経験がなくても考える女性がいるかもしれません。その後、複数の女性からセックスワーカーとしての海外"勤務"の相談を受けました。彼女らの情報をまとめると、現在、"斡旋業者"が、日本人女性がセックスワーカーとして働ける勤務地を紹介していて、オーストラリア、カナダ、マカオ、タイ、韓国がポピュラーで、もっとも稼げるのがオーストラリアとカナダで月収2千万円も難しくはないそうです。
この問題というか、この現象をメディアが報じていることを私が知ったのは今年(2024年)の3月でした。出処は忘れてしまいましたが、その記事では「日本人の女性が騙されて海外に売られている。そして危険な目に遭っている」という、女性たちを悲劇のヒロインにするようなニュアンスで書かれていました。もちろん危険な目に遭う女性もいるでしょうが、この記事から受けるイメージは私の印象とは異なります。
その記事では、ホストクラブで多額の借金を背負わされた若い女子が借金返済のために身を売られるという悲劇が述べられていて、もちろんそのようなケースもあるのでしょうが、私に相談してくる女性からの話を聞くとそういう事例ばかりではありません。マカオやタイに出稼ぎにいくとなると、まるで「令和版からゆきさん」ですが、おそらく彼女らの何割かは「からゆきさん」の存在などつゆ知らず(参考「からゆきさんを忘るべからず」)、もしかすると稼いだ上に観光も楽しむつもりなのではないか、とすら思えてきます。
日本人女性が韓国にセックスワーカーで出稼ぎ、となると慰安婦問題で社会活動をしている韓国人が放っておくはずがありません。おそらく「現在の日本社会からドロップアウトして貧困に喘ぐ若い女性を日本社会は見捨てた。弱い者から搾取する日本人の薄汚い根性は昔から変わっていない」という議論に持っていき、その"不幸"(彼女らが不幸とは限らないわけですが)を戦中日本人に蹂躙された自国の慰安婦のイメージと重ね合わせようとするでしょう。もしかすると、「日本から見捨てられた日本人の女性を救おう!」と謳うデモを従軍慰安婦の像の前でおこなうかもしれません。
日本でのセックスワーカーの"地位"が"向上"したと感じるのは彼女らが堂々としているからだけではありません。医療機関の態度をみてもそれはあきらかです。谷口医院を開院した2007年当時、セックスワーカーの女性たち(男性も)の大半は「他に診てもらえるところがない」あるいは「フーゾクをしていることを前の病院で告白すると医者や看護師からイヤなことを言われた」と嘆いていたのですが、いつのまにかこのようなことを口にする女性は皆無となりました。
それどころか、「性病検査はカネになる」と考えたのか、性感染症の自費の検査を積極的に実施するクリニックがいつのまにか増えているようなのです。今や谷口医院に性感染症の検査を主目的として初診で受診する患者さんのほとんどは「前のクリニックの診断に不信をもっている」というもので、以前のように「前のクリニックではイヤなことを言われて、もう二度と行きたくありません......」と訴える女性は皆無となりました。
私が「性感染症を診なければならない」と考えたのはタイのエイズ施設でのボランティアの経験がきっかけですが、日本で影響を受けた先生もいます。故・大国剛先生です。大国先生は性感染症の他に、昔からハンセン病の患者さんを積極的に診察し、亡くなる直前までハンセン病を患った人たちの悩みを聞いていました。私自身もタイ及び日本のハンセン病の施設に何度も訪れています。私は「社会からだけでなく医療機関からも差別される病」として、ハンセン病と同じカテゴリーにHIVや他の性感染症を捉えています。そして、この私の思いが大国先生の考えに重なっていたのです。
個人的には大国先生や私と同じ考えを持った医師に性感染症を診てもらいたいと思うのですが、もはやそういう時代ではないのかもしれません。今の私は、セックスワークや性感染症に関するこれまでの経験に縛られることを避け、先入観をもたないように注意しながら、他の疾患と同じように「前のクリニック/病院では診てもらえなかった」という患者さんの力になることを考えるようにしています。
セックスワーカーはタイにも日本にも昔から多数いますが、いずれの国においてもその"背景"が大きく変わりました。2000年代のタイでセックスワーカーと言えば、大半はイサーン地方(東北地方)や北タイの貧困な家庭の出身で、親が娘(息子)を売り飛ばすケースがまったく珍しくありませんでした。10代なかば(ときには前半、ときにはさらに若いことも)でセックスワークを強いられ、運がよければ(と言っていいのかどうか分かりませんが)純情な彼女らの一部は欧米や日本の中年男性に見初められ、雇用主にそれなりの大金(これを日本語では「水揚げ料」と呼ぶそうです)が支払われ、自由になった彼女らは妾、あるいは本妻として迎えられることもありました。
しかし、私が(当時の)GINAのタイ人スタッフと共に調査した結果、私にはタイのセックスワーカーに明るい印象は持てませんでした。2000年代当時はセックスワーカーという言葉も日本語としては定着しておらず、「売春婦」の方が一般的でした。そのため、GINAのサイトや他の場所でも学術的な場面を除き、私は「売春婦」を使っていました。
一方、日本では私はセックスワーカーの存在をほとんど知りませんでしたが(個人的に知っているセックスワーカーはほぼ皆無でしたが)、2007年に大阪市北区に私が院長を務める谷口医院を開院してから、少しずつセックスワーカーを診察する機会が増えていきました。開院当初からHIV陽性者を積極的に診察していましたから、HIVを心配して性感染症の検査を希望する女性(一部は男性)がいたのです。
この当時、自らがセックスワーカーであることを初診時にカミングアウトする女性はごく少数で、たいていは何度か通院するうちに、「実は......」と話してくれるというパターンでした。彼女らはたとえ表面上は明るく振舞っていても、どこか心に闇を抱えているというか、瞳の奥にはもの悲しさが漂っているようでした。
その当時から「最近のフーゾク嬢には悲壮感なんかない。楽しんどる女も多い」という声はありましたが、私にはそのようには思えませんでした。その逆に、たとえ性感染症の検査や治療の目的の受診であったとしても、そのうちに心に抱えた苦しみを聞く役割を私が担うようになっていきました。
そんな状況が変わり始めたのはおそらく2010年代初頭です。リーマンショックが完全に終焉し、世界は好景気に向かいました。タイは日本を凌ぐ勢いで発展し、もはや貧困から女衒に売り飛ばされる少女の話など、2010年代の中頃には遠い過去の時代のものとなったかのようでした。2000年代には大学生のセックスワーカーなどあり得ず、高校どころか中学も卒業していない女子も少なくありませんでした。そのため、タイ語が書けないセックスワーカーもいたほどです。これは2005年にGINAがタイのセックスワーカー200人に聞き取り調査をおこなったときに知ることになり大変驚きました。
ところがタイ滞在の長い日本人によると、現在のタイでは大学生が小遣い稼ぎにセックスワークをすることがまったく珍しくないと言います。彼らによると、2000年代当時の私が「こんな残酷な環境に置かれている彼女たちを助けなければ......」と感じた境遇にいるようなセックスワーカーは"絶滅"したそうです。
一方、日本でも世間の女性のセックスワーカーに対する考えは2010年代初頭から確実に変わってきました。診察室では、堂々と「私はフーゾクで働いてます」と言う女性もいるほどです。もちろん彼女らは誰にでもそのようなカミングアウトをしているわけではないでしょうが、セックスワークの敷居が下がっているのは間違いありません。この頃に谷口医院に通い始めた30代のある女性は「フツーの子らってこんなに稼げないでしょ」と、上から目線であくせくする同世代の女性を蔑んだような発言をしていました。
「オーストラリアに行けば月収2千万は稼げるらしいんですけど、やめた方がいいですかね......」と元セックスワーカーの女性から相談されたのは昨年(2023年)の秋でした。以前セックスワークで荒稼ぎし、現在は事務職をしているこの女性、昔の仲間から「月収2千万円」と聞いて心が揺れたそうです。年収でなくて「月収」が2千万円なのですからセックスワークの経験がなくても考える女性がいるかもしれません。その後、複数の女性からセックスワーカーとしての海外"勤務"の相談を受けました。彼女らの情報をまとめると、現在、"斡旋業者"が、日本人女性がセックスワーカーとして働ける勤務地を紹介していて、オーストラリア、カナダ、マカオ、タイ、韓国がポピュラーで、もっとも稼げるのがオーストラリアとカナダで月収2千万円も難しくはないそうです。
この問題というか、この現象をメディアが報じていることを私が知ったのは今年(2024年)の3月でした。出処は忘れてしまいましたが、その記事では「日本人の女性が騙されて海外に売られている。そして危険な目に遭っている」という、女性たちを悲劇のヒロインにするようなニュアンスで書かれていました。もちろん危険な目に遭う女性もいるでしょうが、この記事から受けるイメージは私の印象とは異なります。
その記事では、ホストクラブで多額の借金を背負わされた若い女子が借金返済のために身を売られるという悲劇が述べられていて、もちろんそのようなケースもあるのでしょうが、私に相談してくる女性からの話を聞くとそういう事例ばかりではありません。マカオやタイに出稼ぎにいくとなると、まるで「令和版からゆきさん」ですが、おそらく彼女らの何割かは「からゆきさん」の存在などつゆ知らず(参考「からゆきさんを忘るべからず」)、もしかすると稼いだ上に観光も楽しむつもりなのではないか、とすら思えてきます。
日本人女性が韓国にセックスワーカーで出稼ぎ、となると慰安婦問題で社会活動をしている韓国人が放っておくはずがありません。おそらく「現在の日本社会からドロップアウトして貧困に喘ぐ若い女性を日本社会は見捨てた。弱い者から搾取する日本人の薄汚い根性は昔から変わっていない」という議論に持っていき、その"不幸"(彼女らが不幸とは限らないわけですが)を戦中日本人に蹂躙された自国の慰安婦のイメージと重ね合わせようとするでしょう。もしかすると、「日本から見捨てられた日本人の女性を救おう!」と謳うデモを従軍慰安婦の像の前でおこなうかもしれません。
日本でのセックスワーカーの"地位"が"向上"したと感じるのは彼女らが堂々としているからだけではありません。医療機関の態度をみてもそれはあきらかです。谷口医院を開院した2007年当時、セックスワーカーの女性たち(男性も)の大半は「他に診てもらえるところがない」あるいは「フーゾクをしていることを前の病院で告白すると医者や看護師からイヤなことを言われた」と嘆いていたのですが、いつのまにかこのようなことを口にする女性は皆無となりました。
それどころか、「性病検査はカネになる」と考えたのか、性感染症の自費の検査を積極的に実施するクリニックがいつのまにか増えているようなのです。今や谷口医院に性感染症の検査を主目的として初診で受診する患者さんのほとんどは「前のクリニックの診断に不信をもっている」というもので、以前のように「前のクリニックではイヤなことを言われて、もう二度と行きたくありません......」と訴える女性は皆無となりました。
私が「性感染症を診なければならない」と考えたのはタイのエイズ施設でのボランティアの経験がきっかけですが、日本で影響を受けた先生もいます。故・大国剛先生です。大国先生は性感染症の他に、昔からハンセン病の患者さんを積極的に診察し、亡くなる直前までハンセン病を患った人たちの悩みを聞いていました。私自身もタイ及び日本のハンセン病の施設に何度も訪れています。私は「社会からだけでなく医療機関からも差別される病」として、ハンセン病と同じカテゴリーにHIVや他の性感染症を捉えています。そして、この私の思いが大国先生の考えに重なっていたのです。
個人的には大国先生や私と同じ考えを持った医師に性感染症を診てもらいたいと思うのですが、もはやそういう時代ではないのかもしれません。今の私は、セックスワークや性感染症に関するこれまでの経験に縛られることを避け、先入観をもたないように注意しながら、他の疾患と同じように「前のクリニック/病院では診てもらえなかった」という患者さんの力になることを考えるようにしています。