GINAと共に
第206回(2023年8月) 多くの日本人は差別されたことがないのでは?
私が「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と思ったのは、初めてエイズの患者さんを診たときで、本サイトで繰り返し紹介しているタイのロッブリー県のWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)です。2002年、当時のタイでは抗HIV薬がまだ使われておらず「HIV感染=死の宣告」でした。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。