GINAと共に

第197回(2022年11月) HIVのPrEP(曝露前予防)を安易に始めてはいけない

 「毎日1錠の薬を飲むだけでHIVには感染しない」「毎日飲まなくても性行為の前後に4錠飲むだけで感染を防げる」というのは非常に魅力であり、私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にもほぼ毎日HIVのPrEPに関する問い合わせがあります。

 しかし、誰もが気軽に始められる予防法ではありません。過去のコラム「PrEPについての2つの誤解」で述べたように、B型肝炎ウイルスのワクチンは接種しておくべきですし、オンデマンドPrEP(性行為の前後に合計4錠だけ飲む方法)は、ストレートの男性や女性では効果が期待できません。ゲイの男性であっても米国FDAは推奨していないことは知っておくべきです。

 今回は私が患者さんを診察していて気付いた新たな危険性を紹介したいと思います。実際に受診した2人の事例を紹介しましょう(ただしプライバシー確保の観点から詳細にはアレンジを加えています。あなたの周りに似たような人がいたとしてもそれは偶然と考えてください)。

 1人目は「PrEPのせいで急性腎不全を起こし入院を余儀なくされた」40代の男性です。男性は東京のクリニックでPrEPの処方を1年ほど前から受けていました。本当は谷口医院での処方を希望していたのですが、他府県に住んでいて2時間近くかかるために東京のオンライン診療を利用していたそうです(谷口医院でもオンライン診療を実施していることは知らなかったそうです)。

 倦怠感と微熱が取れず、谷口医院を受診しました。近くの医療機関を受診しなかったのは、数年前にも同様のことがあり、そのときも結局谷口医院で診断がつき、治療を受けたことがあったからだと言います。

 容態はあきらかにおかしく、採血をすると腎臓の機能が大幅に悪化していました。比較的全身状態は落ち着いていましたが、結局翌日から入院することになりました。腎臓が悪くなった原因としてPrEP(ツルバダの後発品)内服以外には考えられず、ただちにPrEPを中止してもらいました。すると、入院後特に何もしていないのに日に日に腎臓の数字は改善し、10日後にはほぼ正常値に戻り事なきを得ました。

 結果的にはよかったのですが、腎機能障害はある程度進行するともう元には戻せません。あと1週間受診が遅れ、そしてPrEPを継続していれば......、と考えると恐ろしくなります。

 ところで、この男性はPrEPの処方をオンライン診療で受けている医療機関から「どこかで採血してもらって腎臓の機能をチェックするように」、という指示を聞いていなかったのでしょうか。男性によると、「初回に聞いたような気がするが、それからは一切腎臓の話はなかった。だからそんなに重要なものとは考えていなかった」とのことです。

 この男性はPrEPを開始しだして徐々に腎臓の機能が低下したのでしょうか。そういう場合もありますが、急激に倦怠感が出現したことから考えて、ある日突然悪化し始めた可能性が高そうです。というのは、予防ではなくHIVの治療でツルバダを内服していて、最初の1~2年は何の問題もなく、突然腎機能低下が始まるケースがしばしばあるからです。

 ちなみに谷口医院では、PrEPを実施している人には、最初の1年間は3か月に一度、それ以降は半年に一度程度採血をおこない腎機能をチェックしています。

 そして、副作用に注意しなければならないのは腎臓だけではありません。もうひとりの事例を紹介しましょう。今度は20代の女性で、職業はセックスワーカーです。最近まで東京に住んでいたためにHIVのPrEPを東京のクリニックで受けていたそうです。この度、"拠点"を替えることを決めて大阪にやってきたと言います。

 この女性は先述の男性と異なり、HIVのPrEPは腎機能障害のリスクがあることを知っていました。そこで定期的にそのクリニックで血液検査を受けていたそうです。谷口医院を初めて受診したとき、「そろそろ検査しなければならない時期です」と話したため、採血をおこないました。結果、腎機能は正常でした。ところが血中蛋白濃度が6.2mg/dLに低下していたのです。

 6.2mg/dLというこの数値、治療をしなければならないレベルではありません。もしもPrEPを実施していなければ「蛋白質が豊富なものを食べましょう」といった食事指導で経過観察となります。問題はこの女性の体形です。身長が約160cmなのに対し、体重は45kg程度しかありません。この女性にとっては理想の体型かもしれませんが、筋肉量は明らかに少なそうです。

 いったいこの女性の何が問題なのか。これだけ痩せている女性はまず間違いなく骨量も低下しています。そして、このまま月日が経てばやがて骨折や骨粗しょう症のリスクを抱えることになります。その状態でHIVのPrEPをおこなえば何が起こるか。ますます骨折や骨粗しょう症のリスクが上昇するのです。

 ならば蛋白質をプロテインパウダーで摂ればいいか、というと、まったくそうではありません。プロテインパウダーは腎臓を傷めることが多々ありますし、蛋白質が多ければ骨が丈夫になるわけでもありません。骨を強くするには、それ相応の負荷をかけねばなりません。つまり、運動をして筋肉量そしてある程度体重を増やしていかねばならないのです。

 HIVの(予防ではなく)治療をおこなうとき、抗HIV薬の副作用として骨が脆くなり骨粗しょう症のリスクが上がることは必ず伝えます。PrEPの場合も抗HIV薬を継続して内服するのですから、必ずこの副作用については伝えておかねばなりません。ところが、不思議なことに、この女性だけではなく「これまでは他院でPrEPを処方してもらっていた」という人のほとんどがこのリスクについて聞いていない、というのです。

 では、HIVのPrEPのせいでどれくらい骨が脆くなるか(特に
痩せていれば)を数字でみてみましょう。医学誌「International Journal of STD & AIDS」2022年10月11日号に掲載された論文「HIVのPrEPに対するTDF/FTC療法における骨量減少のレトロスペクティブ分析(A retrospective analysis of bone loss in tenofovir-emtricitabine therapy for HIV PrEP)」によると、ツルバダでHIVのPrEPを実施している7,698人のうち、3%に骨減少症/骨粗鬆症(osteopenia/osteoporosis)が認められました。

 体重ごとにも評価されていて、標準体重(BMI 18.5-24.9)の場合、骨量が低下していたのは2.92%でした。そして、体重が少なければさらにリスクが上昇します。やせ型(BMI<18.5)の場合、標準体重の人に比べてなんとリスクは3.95倍にも上昇します。逆に、体重過多の場合(BMI 25-29.9)は標準体重に比べてリスクは0.82倍と減少します。肥満(BMI ≥30)の場合は0.43倍とさらにリスクが低下します。

 一般に肥満は健康上よくないのですが、ひとつだけ「いいこと」があります。それは「骨が強くなること」です。つまり、骨の"立場"からみれば、体重が多いほど(それが筋肉であっても脂肪であっても)その体重が負荷となり丈夫な骨がつくられるのです。

 件の女性のBMIは約17.5しかありません。この女性はしばらくセックスワーカーを続けると言いますが、この体重で長期間骨をイジメ続けるのでしょうか。そういった話をすると、結局PrEPは中止することになりました。

 骨が脆くなり、骨折したり骨粗しょう症を発症したりしてからではもう遅いのです。「そんな話は聞いていなかった」と言ってPrEPを処方した医師に責任をとってもらおうと思っても後の祭りです。

 HIVのPrEPには他にも中止しなければならない副作用が起こり得ます。始めるのなら、PrEPだけでなく日頃からHIVの「治療」を実施している経験豊富な医師の元でおこなうべきです。