GINAと共に
第195回(2022年9月) タイのコロナの終焉とタイ人の死生観
タイの新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)が間もなく"終焉"します。
まずは過去2年9ヶ月のコロナに関するタイの歴史を私の記憶をたどってまとめてみます。
タイでコロナ第1号の患者が報告されたのは2020年1月、その後すぐにかなり厳しい外出制限(ロックダウン)が敷かれました。外国人の場合、出国はできても再入国は認められず、いつ戻って来られるのかはまったくわからない状態でした。国内でも県境を越えることが容易でなくなり、検問が始まりました。
海外に在住しているタイ人に対しては、2020年3月(だったと記憶しています)から、「Fit-to-Fly certificate」と呼ばれる、いわゆる「健康証明書」を海外の医療機関で搭乗前に取得すれば帰国が認められるようになりました。
日本人を含む外国人が再びタイに入国できるようになったのは2020年7月頃でした。ただし、誰もが入国できるわけではなく、申請して許可を取らねばなりませんでした。駐在員及びその家族の場合は比較的スムースに許可が出ましたが、現地採用の場合はそうではありませんでした。駐在員は再入国できて現地採用はできない、というタイでよく見聞きする「駐在とゲンサイの差別」がコロナによってももたらされたのです。
「なんとかならないか」と私が不条理を感じたのは「配偶者がタイ人」という日本人です。入籍していない、例えば「内縁の妻」という関係なら分からなくもありませんが、正式に籍を入れている場合でも日本人はタイ入国の許可がなかなかおりなかったのです。
興味深いことに、その一方で「手術予定者」は簡単に許可をもらえました。「手術」というのは性別適合手術(性転換手術)や美容外科の手術です。どう考えても、手術予定者よりも配偶者がタイ人の日本人の方が先だろ、と思えますが、このあたりは「やっぱりタイ......」という感じです。
その後、申請が通りやすくなり、そのうちに現地採用者やタイの大学に留学する人たちにも許可がおりるようになりました。不思議なのは、同じ現地採用組でもビザが比較的簡単におりる場合とそうでない場合があって、このあたりのからくりは今もよく分かりません。
しかし、外国人であれば、駐在員であろうが、手術予定者であろうが、あるいは現地採用組であっても、渡航72時間前のPCR検査は必ず求められていました。
そして2022年4月1日、ワクチン接種を完了していれば渡航時のPCR検査が不要になりました。さらに7月1日、渡航前の「事前申請」が廃止され、これにより単なる旅行者であっても、ワクチンさえ接種していれば(あるいはPCR検査を受ければ)コロナ前の頃のように簡単に入国できるようになったのです。ただし、そうはいっても「緊急事態宣言(state of emergency)」下であることは変わっていません。外国人は入国時にコロナの検査を受けることを義務付けられ、感染すれば隔離される政策は維持されたままでした。
そしてついにコロナが"終焉"する日がやってきます。来たる2022年9月30日、「緊急事態宣言」が解除され、コロナ前の世界が戻って来ることが決まったのです。報道によると、タイは国として「ワクチン接種証明書」を不要とし、入国者の検査を終了します。感染しても軽症であれば隔離されなくなります。
さて、ここで「疑問」が出てきます。タイでもオミクロン株以降は全体では「軽症化」していますから、若者の大半はこの「終焉」を歓迎しているに違いありません。特に外国人を顧客にしている人たちは、これで経済が復活すると考えているはずです。
では、この政策に反対する人はいないのでしょうか。例えばタイの医療者はどのように考えているのでしょうか。
9月18日、米国CBSの番組「60 Minutes」で、バイデン大統領が「コロナは終わった(the pandemic is over)」とコメントしたことが放送されました。放送直後から全米でこの発言に対する反対コメントが飛び交いました。翌日には、コロナ後遺症に悩む人たちがホワイトハウスに集合し抗議をおこないました。医師たちはSNSを使って反対意見を表明しました。
一方、タイではそのような動きが聞こえてきません。現地の英字新聞にもそういった記事は見当たりませんし、私が個人的に交流のあるタイ人に聞いてみても「コロナが終わることはみんなが歓迎している」と言います。タイ人の医療者に聞いてみても「自分の知る限り、緊急事態宣言の終焉に反対している医師はいない」と言います。
しかし、タイにも高齢者はもちろんいますし、免疫能の低下した疾患の罹患者や免疫抑制剤を使用している人、つまりコロナの重症化リスクが高い人もいます。日本や米国に比べると、重症化リスクを有する人の割合は高くありませんが、それでも、完全にコロナ前の社会に戻せば、こういった人たちが感染し重症化するリスクは上昇します。ちなみに、タイの平均年齢は39.0歳、日本は世界第一位の48.6歳です。
日頃、コロナの重症化リスクが高い人たちを診ている医療者がなぜ反対の声を上げないのか......。それはタイ人の死生観に関係があると私は思います。過去の「GINAと共に」で、結核で他界した10代の女性の話をしました(「第127回(2017年1月)こんなにもはかない命・・・」)。もしも日本で10代の女子が結核で死亡となると、少なくない人たちが長期に渡り悲しみに暮れ、その気持ちを表明するでしょうが、タイではそうではありません。
タイ人の性格や考え方には今でも度々驚愕しますが、私が最も驚かされるのは「死生観」です。バンコクの料理屋で働くタイ人夫婦と知り合ったことをきっかけに、私は長年その家族(大家族です)の他のメンバーとも仲良くしています。ある日、この夫婦の妻の兄と母親から日本にいる私に電話がかかってきました。そして、妹(母親の娘)の娘(母親の孫)が小学校に入学したという話を始めました。
「祝い金をくれ」ということかな、と思って話を聞いていると、やはりその通りだったのですが、電話の終わりの方で「そう言えば妹(その子の母親)は交通事故で死んだ」と言うのです。それもつい最近の話だと言います。ならば電話をしてきてまず私に伝えるのは妹の死だろう!と思うわけですが、これがタイ人なのです。しかも、あまりの突然の知らせに言葉をなくしている私に対し「マイペンライ、〇〇(その妹の名前)サバーイ・ナ(大丈夫、妹は元気だ)」と言うのです。
マイペンライは「大丈夫」「問題ない」「気にしない」などの意味で、どのタイ人も口癖のように日に何度も使う言葉で、日本人が最も早く覚えるタイ語と言ってもいいでしょう。しかし、身内の死に対しても使うとは......。それに「サバーイ」が分かりません。死んだのに元気って、いったい何を言っているのでしょうか。もしかして、と思って「彼女は天国で元気にしているってこと?(カオ・サバーイディー・ティー・サワン・マイ?)」と尋ねてみると、やはり「そうだ」とのこと。
私はタイ人の知らない人の葬式に参加したことがあります。故人と面識がない私がなんで?と思いましたが、人が多い方が故人も喜ぶとのことで、故人の知り合いに連れていかれました。そんなものか、と思って参加すると、日本の葬式との違いに愕然としました。タイ人は仏教徒ですから葬式はお寺でおこないます。さすが「微笑みの国」と呼ばれているだけあり、葬式でも泣いている人は皆無で、みんな勝手な会話を楽しんでいるようです。大きな笑い声が聞こえるな、と思って振り返ると、すでに酒盛りが始まっています。その後は飲めや歌えやの大宴会。そのうち博打まで始まり、子供たちはおもちゃの奪い合いをしています。
どうもタイ人というのはある意味で「死」を恐れていないようです。仏教が教える輪廻転生を信じているからかもしれませんが、とにかく生きている間に「タンブン」(徳を積むこと)をたくさん行えば来世で利益を得られると言います。
そういう死生観を有しているのなら、コロナに感染してもそれを「運命」と受け止められるのでしょうか。私がタイ人と親しくなってから20年以上が経ちます。これまで多くのタイ人とたくさんの会話をしてきましたが、いまだに私にはタイ人がよく分かっていません。
ただ、どこかで「そんなタイ人がうらやましい」と感じているのは事実です......。
まずは過去2年9ヶ月のコロナに関するタイの歴史を私の記憶をたどってまとめてみます。
タイでコロナ第1号の患者が報告されたのは2020年1月、その後すぐにかなり厳しい外出制限(ロックダウン)が敷かれました。外国人の場合、出国はできても再入国は認められず、いつ戻って来られるのかはまったくわからない状態でした。国内でも県境を越えることが容易でなくなり、検問が始まりました。
海外に在住しているタイ人に対しては、2020年3月(だったと記憶しています)から、「Fit-to-Fly certificate」と呼ばれる、いわゆる「健康証明書」を海外の医療機関で搭乗前に取得すれば帰国が認められるようになりました。
日本人を含む外国人が再びタイに入国できるようになったのは2020年7月頃でした。ただし、誰もが入国できるわけではなく、申請して許可を取らねばなりませんでした。駐在員及びその家族の場合は比較的スムースに許可が出ましたが、現地採用の場合はそうではありませんでした。駐在員は再入国できて現地採用はできない、というタイでよく見聞きする「駐在とゲンサイの差別」がコロナによってももたらされたのです。
「なんとかならないか」と私が不条理を感じたのは「配偶者がタイ人」という日本人です。入籍していない、例えば「内縁の妻」という関係なら分からなくもありませんが、正式に籍を入れている場合でも日本人はタイ入国の許可がなかなかおりなかったのです。
興味深いことに、その一方で「手術予定者」は簡単に許可をもらえました。「手術」というのは性別適合手術(性転換手術)や美容外科の手術です。どう考えても、手術予定者よりも配偶者がタイ人の日本人の方が先だろ、と思えますが、このあたりは「やっぱりタイ......」という感じです。
その後、申請が通りやすくなり、そのうちに現地採用者やタイの大学に留学する人たちにも許可がおりるようになりました。不思議なのは、同じ現地採用組でもビザが比較的簡単におりる場合とそうでない場合があって、このあたりのからくりは今もよく分かりません。
しかし、外国人であれば、駐在員であろうが、手術予定者であろうが、あるいは現地採用組であっても、渡航72時間前のPCR検査は必ず求められていました。
そして2022年4月1日、ワクチン接種を完了していれば渡航時のPCR検査が不要になりました。さらに7月1日、渡航前の「事前申請」が廃止され、これにより単なる旅行者であっても、ワクチンさえ接種していれば(あるいはPCR検査を受ければ)コロナ前の頃のように簡単に入国できるようになったのです。ただし、そうはいっても「緊急事態宣言(state of emergency)」下であることは変わっていません。外国人は入国時にコロナの検査を受けることを義務付けられ、感染すれば隔離される政策は維持されたままでした。
そしてついにコロナが"終焉"する日がやってきます。来たる2022年9月30日、「緊急事態宣言」が解除され、コロナ前の世界が戻って来ることが決まったのです。報道によると、タイは国として「ワクチン接種証明書」を不要とし、入国者の検査を終了します。感染しても軽症であれば隔離されなくなります。
さて、ここで「疑問」が出てきます。タイでもオミクロン株以降は全体では「軽症化」していますから、若者の大半はこの「終焉」を歓迎しているに違いありません。特に外国人を顧客にしている人たちは、これで経済が復活すると考えているはずです。
では、この政策に反対する人はいないのでしょうか。例えばタイの医療者はどのように考えているのでしょうか。
9月18日、米国CBSの番組「60 Minutes」で、バイデン大統領が「コロナは終わった(the pandemic is over)」とコメントしたことが放送されました。放送直後から全米でこの発言に対する反対コメントが飛び交いました。翌日には、コロナ後遺症に悩む人たちがホワイトハウスに集合し抗議をおこないました。医師たちはSNSを使って反対意見を表明しました。
一方、タイではそのような動きが聞こえてきません。現地の英字新聞にもそういった記事は見当たりませんし、私が個人的に交流のあるタイ人に聞いてみても「コロナが終わることはみんなが歓迎している」と言います。タイ人の医療者に聞いてみても「自分の知る限り、緊急事態宣言の終焉に反対している医師はいない」と言います。
しかし、タイにも高齢者はもちろんいますし、免疫能の低下した疾患の罹患者や免疫抑制剤を使用している人、つまりコロナの重症化リスクが高い人もいます。日本や米国に比べると、重症化リスクを有する人の割合は高くありませんが、それでも、完全にコロナ前の社会に戻せば、こういった人たちが感染し重症化するリスクは上昇します。ちなみに、タイの平均年齢は39.0歳、日本は世界第一位の48.6歳です。
日頃、コロナの重症化リスクが高い人たちを診ている医療者がなぜ反対の声を上げないのか......。それはタイ人の死生観に関係があると私は思います。過去の「GINAと共に」で、結核で他界した10代の女性の話をしました(「第127回(2017年1月)こんなにもはかない命・・・」)。もしも日本で10代の女子が結核で死亡となると、少なくない人たちが長期に渡り悲しみに暮れ、その気持ちを表明するでしょうが、タイではそうではありません。
タイ人の性格や考え方には今でも度々驚愕しますが、私が最も驚かされるのは「死生観」です。バンコクの料理屋で働くタイ人夫婦と知り合ったことをきっかけに、私は長年その家族(大家族です)の他のメンバーとも仲良くしています。ある日、この夫婦の妻の兄と母親から日本にいる私に電話がかかってきました。そして、妹(母親の娘)の娘(母親の孫)が小学校に入学したという話を始めました。
「祝い金をくれ」ということかな、と思って話を聞いていると、やはりその通りだったのですが、電話の終わりの方で「そう言えば妹(その子の母親)は交通事故で死んだ」と言うのです。それもつい最近の話だと言います。ならば電話をしてきてまず私に伝えるのは妹の死だろう!と思うわけですが、これがタイ人なのです。しかも、あまりの突然の知らせに言葉をなくしている私に対し「マイペンライ、〇〇(その妹の名前)サバーイ・ナ(大丈夫、妹は元気だ)」と言うのです。
マイペンライは「大丈夫」「問題ない」「気にしない」などの意味で、どのタイ人も口癖のように日に何度も使う言葉で、日本人が最も早く覚えるタイ語と言ってもいいでしょう。しかし、身内の死に対しても使うとは......。それに「サバーイ」が分かりません。死んだのに元気って、いったい何を言っているのでしょうか。もしかして、と思って「彼女は天国で元気にしているってこと?(カオ・サバーイディー・ティー・サワン・マイ?)」と尋ねてみると、やはり「そうだ」とのこと。
私はタイ人の知らない人の葬式に参加したことがあります。故人と面識がない私がなんで?と思いましたが、人が多い方が故人も喜ぶとのことで、故人の知り合いに連れていかれました。そんなものか、と思って参加すると、日本の葬式との違いに愕然としました。タイ人は仏教徒ですから葬式はお寺でおこないます。さすが「微笑みの国」と呼ばれているだけあり、葬式でも泣いている人は皆無で、みんな勝手な会話を楽しんでいるようです。大きな笑い声が聞こえるな、と思って振り返ると、すでに酒盛りが始まっています。その後は飲めや歌えやの大宴会。そのうち博打まで始まり、子供たちはおもちゃの奪い合いをしています。
どうもタイ人というのはある意味で「死」を恐れていないようです。仏教が教える輪廻転生を信じているからかもしれませんが、とにかく生きている間に「タンブン」(徳を積むこと)をたくさん行えば来世で利益を得られると言います。
そういう死生観を有しているのなら、コロナに感染してもそれを「運命」と受け止められるのでしょうか。私がタイ人と親しくなってから20年以上が経ちます。これまで多くのタイ人とたくさんの会話をしてきましたが、いまだに私にはタイ人がよく分かっていません。
ただ、どこかで「そんなタイ人がうらやましい」と感じているのは事実です......。