GINAと共に

第191回(2022年5月) 小児性愛者は悪人か

 私がM君と出会ったのは2004年の夏、タイ国のエイズホスピス「Wat Phrabhatnamphu」でした。「エイズに興味がある」とのことで、夏季休暇を利用したM君はこのホスピスまで一人でやって来たのです。

 当時私はそこでボランティア医師として働いていましたから、日本人がやって来れば、それがどのような目的であったとしても、挨拶をして世間話程度はします。なぜか初対面から妙にウマのあったM君と私はその日の夜に食事を共にすることにしました。

 中部地方出身のM君は30代半ば、タイに住んで3年目になると言います。シーラチャー(パタヤ近郊の日本企業が多いエリア)の日系企業で現地採用として働いているそうです。英語とタイ語はかなり上手で、タイ語のレベルはちょっと他に類をみないほどです。

 実は、ウマが合ったと私が感じたのはタイ語の勉強に対する考えが一致していたからです。多くの日本人はタイ文字が面倒くさいと言って文字を覚えずに会話から入ります。たしかに、冠詞も時制もなく、動詞(や形容詞)の語尾が変化せず、名詞の単数複数もないタイ語は(本当は発音と声調がすごく複雑なのですが)ちょっと勉強しただけで少しくらいなら会話ができるようになります。

 ですが、それでは上達がすぐにとまります。これは英語をアルファベットの知識がないまま勉強することを考えればすぐに理解できることだと私は思うのですが、なかなか他の日本人から同意を得られません。それどころか、文字はいまだに読めないのに驚くほど会話ができるようになる日本人(ほとんどが女性)もいます。ですが、M君は私とほぼ同じ意見でした。

 そのM君がタイにはまりタイ語を必至で勉強した理由、それは「女性」です。タイの女性と仲良くなるためにタイ語を死ぬ気で勉強したそうです。しかし、「タイ人の彼女はつくる気がない」と言います。なぜなのでしょう。

 M君は「極度のロリコン」だと言います。よくも初対面の私にそんなことが言えるな、と思いましたが、この独特の人懐っこさがM君の魅力なのでしょう。ただし、念のために聞いてみると「そのようなことは誰にも話していない」と言います。私に話してくれたのは「一緒に仕事をするわけではないし、医師だから」とのことでした。

 M君は「小学5年生くらいの女子が最高」と言います。ここまで話してタガが外れたのか、相槌すらたいしてうっていない私に対して、ひとりで「理想の女性像、というよりは理想の女子像」について語り始めました。さらに調子にのったM君は「少女を買いに行きましょう」と言い出す始末です。

 そろそろ潮時だ、と私は判断しましたが、「先生(私のこと)は表でビールを飲んでいてくれたらいいですから......」などと言って引き下がろうとしません。こういうシチュエーション、つまり一緒に女性を買いに行こうと言われた状況は、過去の私の人生で何度かあるのですが、もちろん拒否しますし、その時点で交友関係が終了することもあります。しかしこのときは、なぜかM君の"情熱"にほだされ、結局M君に付いていくことになりました。

 実はこのとき私には"免疫"がありました。2018年のコラム「忘れられないおぞましい光景」で述べたように、すでに私はタイ北部で少女売春の現場を目撃していました。そのときにタイ風の置屋について学んでいました。ドアをあけるとテーブルと椅子がありビールやジュースを飲めます。テレビの他、ジュークボックスもありました。いわば表はバーで、奥や2階に買春部屋があるのです。

 M君はバイタクをつかまえ、上手なタイ語で何やら交渉しています。M君もそういった置屋がこの土地ではどこにあるかは知らないと言います。ただ、このようにバイタクのドライバーに交渉すればどこの土地に行っても、そういった場所、つまり置屋が集まっている場所に連れて行ってくれるそうなのです。

 到着したところはまさに置屋通りという感じのところで店が5~6軒あります。北タイのときと異なるのは、どの店もドアなどなく、いわばオープンバーのような感じで、テーブルに椅子、そしてジュークボックスがおいてあります。もうひとつ、タイ北部の店と異なるのは、セックスワーカーの女性がそのあたりのテーブルでたむろしていることです。男性客は気に入った女性を見つけて声をかけ、"交渉"が成立すると奥の「部屋」に女性と共に消えていくシステムのようです。

 女性たちの年齢はM君が理想とする"小学5年生"ではありません。まだあどけない未成年だと思わしき女性もいますが子供と呼べるほどではありません。ここでM君は思いもよらない行動に出ました。その5~6軒あった置屋のなかで、平均年齢が一番若そうな店に入りジュースを注文しました。M君はお酒が飲めません。私にはビールを買ってくれました。そして、最年長の女性(セックスワーカーではなくおそらく経営者)に何やら交渉しています。

 M君は「一番若い女性を......」と言ったそうです。待つこと約20分。一人の女子を後ろに載せた一台のバイクが到着しました。その女子こそがM君が"注文"した女性です。驚いたというかなんというか......。年齢はおそらく小学6年生くらいで、セーラー服よりもランドセルが似合いそうな少女です。M君に目をやるともはや私には見向きもしません。その女子を連れて奥の部屋に消えていきました。

 残された私はひとりでビールを飲む以外にすることがなくなりました。何人かの女性(セックスワーカー)と、M君が交渉した経営者らしき中年女性が何度か話しかけてきましたが、私のタイ語のレベルでは気の利いた会話ができませんし、もちろん女性を買う気などありません。そのうち、「この日本人はケチだ」と思われたのか誰も寄って来なくなりました。

 しばらくして、満面の笑みを浮かべたM君が奥の部屋から戻ってきました。M君によると、そのあどけない女子は14歳だったとのこと。私が「もっと若いように見えた」と言うと、実はM君、"注文"したときに「一番若い女性を買いたい」ではなく「一番若く見える女性を買いたい」と交渉したことを教えてくれました。M君によると、タイでは北タイ以外では小学生のセックスワーカーはいないとのことでした。

 ここで私はM君に、少し前に経験した過去のコラムで紹介した北タイでの"経験"について話しました。M君はそういった施設の存在は知っていると言います。「知っているからこそ行かない」のだそうです。同じ理由で「カンボジアにも行かない」と言います。カンボジアは90年代後半から2000年代前半のしばらくは、少女売春の聖地のようなところで、世界中からペドファイル(小児愛者)が集まっていました。

 M君の理屈はこういうことです。自分がペドファイルであることは承知している。少女とセックスをしたいという欲求は抑えられない。しかしそれは犯罪であり少女を傷つけることはできない。だから少女が買えてしまうようなところには行かない。しかしそれでは満足できないから代わりに若く見える女性を買っている、とのことです。

 M君は犯罪者ではなく「理性の男」だったのです。その日のM君との会話はとても楽しく、M君をタイ語の先輩と仰ぎ、私もタイ語の勉強に励むことを決意しました。「一番若い」ではなく「一番若く見える」をサラっと言ってみせ、経営者の中年女性がすぐに電話でバイクのドライバーを手配したとき、M君はとても格好よく見えました。それを伝えたとき、M君は少しはにかみ、とても感じのいい笑顔を見せてくれました。

 M君とはこの場で解散することにし、私はバイタクをつかまえ定宿の名前をドライバーに告げました。その日の乾いた夜風は妙に心地よく、ドライバーにつかまりながらM君との会話を反芻していました。

 そしてその時ようやく気づきました。14歳でも犯罪だ!