GINAと共に
第181回(2021年7月) 急増するノンバイナリー
「ノンバイナリー」という言葉が日本で一気にメジャーになったのは宇多田ヒカルさんの影響でしょう。報道によれば、6月26日のインスタライブ中に自身がノンバイナリーであることを宣言したそうです。この「カミングアウト」を巡って、ネット上では様々な意見が飛び交いました。好意的な声が多いなか、「いちいち言わなくてもいい」などといった否定的な意見もあるようです。
性の多様性を表す言葉でもっとも人口に膾炙しているのは「LGBT」でしょうが、過去にも述べたように、私自身は「セクシャルマイノリティ」が一番いいと思っています。その理由についてはいろんなところで繰り返し述べていますが、今回は「ノンバイナリー」についての話になりますから、もう一度触れておきたいと思います。
LGBTという表現が不適切だと私が考える最大の理由は、ストレートの人以外全員がLかGかBかTのいずれかに「分類」され、しかも「固定」されているという誤解を与えかねないからです。実際には、ストレート→レズビアン→バイセクシャル→ストレートのように自身の性自認が入れ替わる人も珍しくありません。これらのどこにも分類されない人もいますし、そもそも分からない人だって少なくありません。また、エイセクシャル(なぜかネットではアセクシャルと書かれていることが多いのですが、asexualを素直に発音すればエイセクシャルになると思います。少なくとも私は英語ネイティブの人からアセクシャルと聞いたことは一度もありません)の人たちもいます。
ですから、まだ自分の性自認あるいは性的指向が決まっていない(分からない)人たちやエイセクシャルの人たちもひっくるめてセクシャルマイノリティと呼べばいいのではないか、というのが私の考えです。
今回述べる「ノンバイナリー」もまさに、自身の性自認が決まっていない人たちのことを指します。似たような言葉に「Xジェンダー」と呼ばれるものもあり、これら2つは異なるとする意見もあるようですが、実際にはさほど区別しなくてもいいのではないかと個人的には考えています。また、Xジェンダーという表現は日本特有のものとする話を聞いたことがありますが、英語ネイティブの人にも通じます(少なくとも通じることも少なくありません)。ただ、海外ではノンバイナリー(nonbinary)の方が普及しているのは事実です。
他に似た表現としてジェンダーレスというものもありますが、これは性自認を示すときには使いません。「わたしはノンバイナリーです」と言うことはできますが、「わたしはジェンダーレスです」は言いません。「わたしはジェンダーレスなファッションが好きです」はOKです。
ノンバイナリーとは性自認を表す表現であり、性的指向については様々なパターンがあります。例えば、生物学的に男性のノンバイナリーの性的指向が男性であることも女性であることも、双方である場合もあります。生物学的に女性のノンバイナリーでも同じです。
ではノンバイナリーは、日本中に、あるいはあなたの周りにはどれくらいいるでしょうか。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんでいえば、私にカミングアウトしてくれる人は年に数人です。もっとも、わざわざ私に言う必要もないと考えている人の方がずっと多いでしょうから、それなりの人がノンバイナリーなのかもしれません。また、自身がノンバイナリーであることに気付いていない人もいるでしょう。宇多田ヒカルさんも、デビューした10代の頃にはそう思っていなかったかもしれません。
ここで問題提起をしたいと思います。もしもノンバイナリーをカミングアウトしても不利益を被るようなことがなく、さらに自身がノンバイナリーであることに気付く人が増えたときにどのようなことが起こるでしょうか。
そうなれば、「そもそも男性・女性と区別する意味があるのか」という問題がでてきます。役所に届ける書類やパスポートに性別を記載する意味があるのか、という議論にもつながるでしょう。そもそも、書類作成時に男性と女性しかないことで様々な問題が生じているわけです。ちなみに谷口医院の問診表は「男・女・その他( )」としています。
男女の区別がなくなったときに、スポーツの世界では確実に問題が起こります。ジェンダーの区別がなくなれば、多くの競技でほとんどの選手が男性(シス男性)だけとなるに違いありません。ちなみに、「トランス男性」というのは生物学的な性は女性で性自認が男性のトランスジェンダーのことで、「シス男性」は生物学的な性、性自認共に男性のことです。
現在開催中の東京オリンピックに出場が決まっているニュージーランドの重量挙げ選手Laurel Hubbardさんはトランス女性です。トランス女性が重量挙げに女性選手として出場するのは生物学的に有利で不公平だという声があります。他方、Hubbardさんの権利を擁護する人たちは、定期的にテストステロン(男性ホルモン)の数値を計測しており、一定以下であるから問題がないと主張します。しかし、その数値が妥当なのかといった意見もあり、現在も決着がついているとはいえません。いくらノンバイナリーの人が増えたとしてもスポーツの世界で男女の区別が完全になくなることはないでしょう。
ちなみに、今回のコラムの趣旨から外れますが、セクシャルマイノリティのオリンピックと呼ばれている「ゲイゲームズ」が非常事態となっています。2022年に香港で開催予定なのですが、報道によれば、昨今の中国との関係による政情不安から開催が危ぶまれています。
芸能の世界はどうでしょうか。音楽の世界ではすでにジェンダーの区別がなくなる方向に進んでいます。グラミー賞は2012年からジェンダーの区別を撤廃しています。その5年後の2017年、MTVも男女の区別をなくしました。
一方、映画演劇界はそこまで進んでいません。オスカー(アカデミー賞)もバフタ賞(英国アカデミー章)もトニー賞も従来の男女別のままです。他方、2021年3月に発表されたベルリン国際映画祭の演技賞は「ジェンダーニュートラルな演技賞(gender-neutral acting prize)」と呼ばれるようになりました(授賞はドイツのMaren Eggert)。
エミー賞では、今年の授賞式から、演技部門にエントリーすると「男」「女」だけでなく、男女の区別のない「パフォーマー」という表記も選択できるようになりました。これは、2017年、ノンバイナリーであることをカミングアウトしている俳優のAsia Kate Dillonが、エミー賞に異議を唱えたことがきっかけと言われています。しかし、2021年の時点でも男女で分ける方針には変わりなく、エミー賞も「女優賞」「男優賞」のままです。
しかし、New York Timesによると、オビー賞では男女の区別をすでに撤廃しており、過去数年では、フィラデルフィア、サンフランシスコ、シアトル、シカゴなどの劇場が主催する賞(アワード)でも、ジェンダーの区分を撤廃しているようです。
どうやら音楽業界のみならず映画・演劇の世界でもジェンダーの区別をなくす方向に進んでいるようです。では、一般社会ではどうでしょうか。ひとつ言えることは、完全に性の区別がなくなることはないということです。例えば、トイレや銭湯、あるいは更衣室に男女の区別がなくなることはあり得ません。それに、ノンバイナリーであることを宣言すれば男女どちらのトイレを使ってもいいということにはなりません。
しかしながら、トイレ、銭湯、更衣室などを除けば、一般社会でジェンダーの区別が必要なのは体育の時間くらいではないでしょうか。つまり、これら以外ではジェンダーを区別する意味がなくなり、誰もがノンバイナリーである可能性があることを前提とした社会になっていくのではないかと私はみています。
ちなみに、UCLAによると、米国ではノンバイナリーはセクシャルマイノリティ(成人のLGBTQ)の11%に相当し、人数では120万人に昇るそうです。
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注:本サイトではこれまで、自身の秘密を打ち明けることを「カムアウト」と表現してきましたが、「カミングアウト」の方が一般的だというご意見を複数いただいたこともあり、今後は「カミングアウト」で統一していきます。
性の多様性を表す言葉でもっとも人口に膾炙しているのは「LGBT」でしょうが、過去にも述べたように、私自身は「セクシャルマイノリティ」が一番いいと思っています。その理由についてはいろんなところで繰り返し述べていますが、今回は「ノンバイナリー」についての話になりますから、もう一度触れておきたいと思います。
LGBTという表現が不適切だと私が考える最大の理由は、ストレートの人以外全員がLかGかBかTのいずれかに「分類」され、しかも「固定」されているという誤解を与えかねないからです。実際には、ストレート→レズビアン→バイセクシャル→ストレートのように自身の性自認が入れ替わる人も珍しくありません。これらのどこにも分類されない人もいますし、そもそも分からない人だって少なくありません。また、エイセクシャル(なぜかネットではアセクシャルと書かれていることが多いのですが、asexualを素直に発音すればエイセクシャルになると思います。少なくとも私は英語ネイティブの人からアセクシャルと聞いたことは一度もありません)の人たちもいます。
ですから、まだ自分の性自認あるいは性的指向が決まっていない(分からない)人たちやエイセクシャルの人たちもひっくるめてセクシャルマイノリティと呼べばいいのではないか、というのが私の考えです。
今回述べる「ノンバイナリー」もまさに、自身の性自認が決まっていない人たちのことを指します。似たような言葉に「Xジェンダー」と呼ばれるものもあり、これら2つは異なるとする意見もあるようですが、実際にはさほど区別しなくてもいいのではないかと個人的には考えています。また、Xジェンダーという表現は日本特有のものとする話を聞いたことがありますが、英語ネイティブの人にも通じます(少なくとも通じることも少なくありません)。ただ、海外ではノンバイナリー(nonbinary)の方が普及しているのは事実です。
他に似た表現としてジェンダーレスというものもありますが、これは性自認を示すときには使いません。「わたしはノンバイナリーです」と言うことはできますが、「わたしはジェンダーレスです」は言いません。「わたしはジェンダーレスなファッションが好きです」はOKです。
ノンバイナリーとは性自認を表す表現であり、性的指向については様々なパターンがあります。例えば、生物学的に男性のノンバイナリーの性的指向が男性であることも女性であることも、双方である場合もあります。生物学的に女性のノンバイナリーでも同じです。
ではノンバイナリーは、日本中に、あるいはあなたの周りにはどれくらいいるでしょうか。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんでいえば、私にカミングアウトしてくれる人は年に数人です。もっとも、わざわざ私に言う必要もないと考えている人の方がずっと多いでしょうから、それなりの人がノンバイナリーなのかもしれません。また、自身がノンバイナリーであることに気付いていない人もいるでしょう。宇多田ヒカルさんも、デビューした10代の頃にはそう思っていなかったかもしれません。
ここで問題提起をしたいと思います。もしもノンバイナリーをカミングアウトしても不利益を被るようなことがなく、さらに自身がノンバイナリーであることに気付く人が増えたときにどのようなことが起こるでしょうか。
そうなれば、「そもそも男性・女性と区別する意味があるのか」という問題がでてきます。役所に届ける書類やパスポートに性別を記載する意味があるのか、という議論にもつながるでしょう。そもそも、書類作成時に男性と女性しかないことで様々な問題が生じているわけです。ちなみに谷口医院の問診表は「男・女・その他( )」としています。
男女の区別がなくなったときに、スポーツの世界では確実に問題が起こります。ジェンダーの区別がなくなれば、多くの競技でほとんどの選手が男性(シス男性)だけとなるに違いありません。ちなみに、「トランス男性」というのは生物学的な性は女性で性自認が男性のトランスジェンダーのことで、「シス男性」は生物学的な性、性自認共に男性のことです。
現在開催中の東京オリンピックに出場が決まっているニュージーランドの重量挙げ選手Laurel Hubbardさんはトランス女性です。トランス女性が重量挙げに女性選手として出場するのは生物学的に有利で不公平だという声があります。他方、Hubbardさんの権利を擁護する人たちは、定期的にテストステロン(男性ホルモン)の数値を計測しており、一定以下であるから問題がないと主張します。しかし、その数値が妥当なのかといった意見もあり、現在も決着がついているとはいえません。いくらノンバイナリーの人が増えたとしてもスポーツの世界で男女の区別が完全になくなることはないでしょう。
ちなみに、今回のコラムの趣旨から外れますが、セクシャルマイノリティのオリンピックと呼ばれている「ゲイゲームズ」が非常事態となっています。2022年に香港で開催予定なのですが、報道によれば、昨今の中国との関係による政情不安から開催が危ぶまれています。
芸能の世界はどうでしょうか。音楽の世界ではすでにジェンダーの区別がなくなる方向に進んでいます。グラミー賞は2012年からジェンダーの区別を撤廃しています。その5年後の2017年、MTVも男女の区別をなくしました。
一方、映画演劇界はそこまで進んでいません。オスカー(アカデミー賞)もバフタ賞(英国アカデミー章)もトニー賞も従来の男女別のままです。他方、2021年3月に発表されたベルリン国際映画祭の演技賞は「ジェンダーニュートラルな演技賞(gender-neutral acting prize)」と呼ばれるようになりました(授賞はドイツのMaren Eggert)。
エミー賞では、今年の授賞式から、演技部門にエントリーすると「男」「女」だけでなく、男女の区別のない「パフォーマー」という表記も選択できるようになりました。これは、2017年、ノンバイナリーであることをカミングアウトしている俳優のAsia Kate Dillonが、エミー賞に異議を唱えたことがきっかけと言われています。しかし、2021年の時点でも男女で分ける方針には変わりなく、エミー賞も「女優賞」「男優賞」のままです。
しかし、New York Timesによると、オビー賞では男女の区別をすでに撤廃しており、過去数年では、フィラデルフィア、サンフランシスコ、シアトル、シカゴなどの劇場が主催する賞(アワード)でも、ジェンダーの区分を撤廃しているようです。
どうやら音楽業界のみならず映画・演劇の世界でもジェンダーの区別をなくす方向に進んでいるようです。では、一般社会ではどうでしょうか。ひとつ言えることは、完全に性の区別がなくなることはないということです。例えば、トイレや銭湯、あるいは更衣室に男女の区別がなくなることはあり得ません。それに、ノンバイナリーであることを宣言すれば男女どちらのトイレを使ってもいいということにはなりません。
しかしながら、トイレ、銭湯、更衣室などを除けば、一般社会でジェンダーの区別が必要なのは体育の時間くらいではないでしょうか。つまり、これら以外ではジェンダーを区別する意味がなくなり、誰もがノンバイナリーである可能性があることを前提とした社会になっていくのではないかと私はみています。
ちなみに、UCLAによると、米国ではノンバイナリーはセクシャルマイノリティ(成人のLGBTQ)の11%に相当し、人数では120万人に昇るそうです。
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注:本サイトではこれまで、自身の秘密を打ち明けることを「カムアウト」と表現してきましたが、「カミングアウト」の方が一般的だというご意見を複数いただいたこともあり、今後は「カミングアウト」で統一していきます。