GINAと共に
第172回(2020年10月) タイ王国の"崩壊"
現在のタイはもはや私が知っているタイではなくなってしまったのかもしれません。
新型コロナで経済が停滞し観光客が入国できなくなったことを言っているわけではありません。新型コロナは世界を大きく変えましたが、タイはたかがコロナにやられてしまうような国ではありません。実際、厳しい外出制限がおこなわれても、マスクが供給不足になったとしても、人々は「和」を乱すことなく助け合っていると聞きます。
では何がタイを変えてしまったのか。連日報道されている若い世代が中心となって引き起こしている「デモ」です。
しかし、デモはタイにはよくある"光景"です。2000年代後半以降も数多くのデモが再三起こっていたこと、特に「赤シャツ」と「黄シャツ」の対立についてはこのサイトで繰り返し述べてきました。ここで簡単に振り返っておきましょう。
2000年代前半、東北地方(イサーン地方)及び北部の多数の層からの支持を得、圧倒的な強さを誇っていた当時のタクシン首相は、いくつかの不正を指摘され、特にバンコクに住む知識階級の層からは批判が相次いでいました。そして「反タクシン」の流れを汲む人たちが民主市民連合(PAD)を立ち上げて各地でデモを始めました。参加者は黄色のシャツを着るようになり次第に大きな組織となっていきました。そして、2008年11月、デモはスワンナプーム空港のターミナルビルを占拠し空港が閉鎖され、一時は9万人が足止めとなりました。
一方、タクシン派も黙っていませんでした。黄シャツに対抗し赤シャツを身に纏い各地でデモをおこないました。タクシン派は選挙ではいつも圧勝するのですが、タイ国軍はタクシンを失脚させ、その後も何かとタクシン派をつぶしにかかっていました。そんな軍に抗議することを主な目的として「赤シャツ」が各地でデモを繰り広げたのです。そして、2010年4月10日、加速化するデモの勢いを静観してられないと判断した軍は弾圧にかかりました。犠牲となった赤シャツの人たちは2千人を超えると言われています。
これらを振り返ると、デモ隊が空港を占拠、軍がデモ隊を弾圧し2千人以上が犠牲と、民主主義国家では到底起こりえないような事態が生じています。しかし、私は、そしてタイをよく知る大勢の外国人は「それでもタイは変わらない」と考えていました。
なぜでしょうか。その答えは「王の存在」です。
私がタイと深く関わるようになって驚いたことのひとつが「国民の誰もが国王を心から尊敬している」ことです。日本でも皇室は人気があり、皇室の番組は常に高視聴率を稼ぐと聞きますが、皇室を批判するジャーナリストはいくらでもいますし、一般市民が日常会話のなかで皇室に対してネガティブな発言をすることも珍しくありません。
ところがタイはまったく異なるのです。まず、私が知る限り、ほとんど誰の家を訪問しても国王の写真が壁に掲げられています。家だけではなく、食堂、クリーニング屋、自転車の修理屋など、小さな店舗でも壁にかかった国王の写真を目にしないことはほとんどありません。都心部では街の至るところで国王の大きな写真を見ることができます。
タイでは午前8時と午後6時に各地で国歌が流れます。この光景を始めてみたとき、私はいったい何が起こったのか分からずに恐怖すら感じました。ちょうどその時、フォアランポーン駅にたどり着いた私は、そこにいるすべての人がピタッと動きを止めたことに驚き、何が起こったのか分からずに立ちすくんでしまったのです。駅の構内に大音量で流れていたのが国歌であること、国歌が終わるまで国王に敬意を払うために動いてはいけないことをその場にいたタイ人から学びました。
それからしばらくして、タイで映画を観に行く機会がありました。タイではすべての映画館ですべての映画が始まる前に国王賛歌が流されます。そして、その賛歌が流れている間は起立していなければなりません。郷に入っては郷に従え、という諺を持ち出すまでもなく、その場にいれば全員が起立しますから、たいていの外国人は雰囲気につられて自然に起立します。ところが、たまに起立しない外国人がいて不敬罪で逮捕されます。タイの現地新聞でときどき報道されています。
タイの国王がほとんどの国民から敬愛されていることが安定の理由であるという私の意見は過去のコラム「タイの平和度指数が低い理由と現代史」でも指摘しました。そして、そのコラムで私は、「2016年にプミポン国王が崩御され、新たに王となったワチラーロンコーン王(ラーマ10世)は国民から支持されておらず今後のタイが不安」と述べました。
そして、現在バンコクを中心に連日おこなわれているデモはまさに私が懸念していたことです。大学生を中心とするデモ参加者は現在の国王を不満に思っています。では、国王はなぜ国民から慕われないのでしょうか。
まず、女性関係が派手であることが以前から指摘されていました。三度の離婚歴があり、常に多数の愛人がいると言われています。王室でも自由恋愛を認めるべきという考えは支持されるかもしれませんが、3番目の妻シーラット妃はナイトクラブの元ダンサー(ストリッパーという噂もあります)で、結婚後に素っ裸で踊っているところを撮影され、その場に国王もいたことが報じられています。
国王は数年前から大半の時間をドイツの別荘で過ごしています。これ自体にタイ国民の大多数が不満を感じているわけですが、さらに"奇行"が世界中のメディアで報道されています。なかでも、クロップトップを着て偽タトゥーを入れた格好でモールを歩いている姿が報じられたときには信頼度が大きく低下しました。最近も、陸軍の看護師に「高貴な配偶者」の称号を与えたり、愛犬のプードルに「空軍大将」を任命したりと、奇行が目立ちます。
ここまでくれば私が過去のコラムで「国王の交代が不安」と述べた理由を分かってもらえると思います。他国の国王を批判するようなことは慎むべきですが、タイ人の気持ちになって考えると、プミポン前国王とはまったく異なる性格で奇行を繰り返すワチラーロンコーン国王を前国王と同じように崇拝できるでしょうか。
とうてい民主主義とは呼べない軍事政権に対して、新型コロナウイルスに対する厳しい行動制限に対して、経済の停滞化に対して、など、いろんな理由で国民の不満は高まっているわけですが、もしもプミポン前国王がご健在ならこのようなかたちのデモは起こっていなかったでしょう。たとえ、起こったとしても、心のどこかで「いざとなれば国王がなんとかしてくれる」という安心感があったのではないかと思えます。
ワチラーロンコーン国王が大きく変わらない限り、タイの社会や文化が大きく変わってしまうのではないかと私はみています。おそらく、国王という"共同幻想"をなくした国民はバラバラになっていきます。南部では独立の動きが強まるでしょう。信じるものをなくした国民は非道徳的・非倫理的な行動をとりやすくなるでしょう。そういった国民をまとめるためにポピュリズムの政党が誕生するかもしれません。人は他人を信用しなくなり、困っている人に手を差し伸べることをしなくなっていくかもしれません。
私がもどかしいのはそういった変化が起こりつつある空気を直接感じられないことです。現在、ビジネス渡航や配偶者がタイ人といった理由を除けばタイへの入国許可がおりません。GINAが支援しているタイ人の患者さんが気がかりです。
新型コロナで経済が停滞し観光客が入国できなくなったことを言っているわけではありません。新型コロナは世界を大きく変えましたが、タイはたかがコロナにやられてしまうような国ではありません。実際、厳しい外出制限がおこなわれても、マスクが供給不足になったとしても、人々は「和」を乱すことなく助け合っていると聞きます。
では何がタイを変えてしまったのか。連日報道されている若い世代が中心となって引き起こしている「デモ」です。
しかし、デモはタイにはよくある"光景"です。2000年代後半以降も数多くのデモが再三起こっていたこと、特に「赤シャツ」と「黄シャツ」の対立についてはこのサイトで繰り返し述べてきました。ここで簡単に振り返っておきましょう。
2000年代前半、東北地方(イサーン地方)及び北部の多数の層からの支持を得、圧倒的な強さを誇っていた当時のタクシン首相は、いくつかの不正を指摘され、特にバンコクに住む知識階級の層からは批判が相次いでいました。そして「反タクシン」の流れを汲む人たちが民主市民連合(PAD)を立ち上げて各地でデモを始めました。参加者は黄色のシャツを着るようになり次第に大きな組織となっていきました。そして、2008年11月、デモはスワンナプーム空港のターミナルビルを占拠し空港が閉鎖され、一時は9万人が足止めとなりました。
一方、タクシン派も黙っていませんでした。黄シャツに対抗し赤シャツを身に纏い各地でデモをおこないました。タクシン派は選挙ではいつも圧勝するのですが、タイ国軍はタクシンを失脚させ、その後も何かとタクシン派をつぶしにかかっていました。そんな軍に抗議することを主な目的として「赤シャツ」が各地でデモを繰り広げたのです。そして、2010年4月10日、加速化するデモの勢いを静観してられないと判断した軍は弾圧にかかりました。犠牲となった赤シャツの人たちは2千人を超えると言われています。
これらを振り返ると、デモ隊が空港を占拠、軍がデモ隊を弾圧し2千人以上が犠牲と、民主主義国家では到底起こりえないような事態が生じています。しかし、私は、そしてタイをよく知る大勢の外国人は「それでもタイは変わらない」と考えていました。
なぜでしょうか。その答えは「王の存在」です。
私がタイと深く関わるようになって驚いたことのひとつが「国民の誰もが国王を心から尊敬している」ことです。日本でも皇室は人気があり、皇室の番組は常に高視聴率を稼ぐと聞きますが、皇室を批判するジャーナリストはいくらでもいますし、一般市民が日常会話のなかで皇室に対してネガティブな発言をすることも珍しくありません。
ところがタイはまったく異なるのです。まず、私が知る限り、ほとんど誰の家を訪問しても国王の写真が壁に掲げられています。家だけではなく、食堂、クリーニング屋、自転車の修理屋など、小さな店舗でも壁にかかった国王の写真を目にしないことはほとんどありません。都心部では街の至るところで国王の大きな写真を見ることができます。
タイでは午前8時と午後6時に各地で国歌が流れます。この光景を始めてみたとき、私はいったい何が起こったのか分からずに恐怖すら感じました。ちょうどその時、フォアランポーン駅にたどり着いた私は、そこにいるすべての人がピタッと動きを止めたことに驚き、何が起こったのか分からずに立ちすくんでしまったのです。駅の構内に大音量で流れていたのが国歌であること、国歌が終わるまで国王に敬意を払うために動いてはいけないことをその場にいたタイ人から学びました。
それからしばらくして、タイで映画を観に行く機会がありました。タイではすべての映画館ですべての映画が始まる前に国王賛歌が流されます。そして、その賛歌が流れている間は起立していなければなりません。郷に入っては郷に従え、という諺を持ち出すまでもなく、その場にいれば全員が起立しますから、たいていの外国人は雰囲気につられて自然に起立します。ところが、たまに起立しない外国人がいて不敬罪で逮捕されます。タイの現地新聞でときどき報道されています。
タイの国王がほとんどの国民から敬愛されていることが安定の理由であるという私の意見は過去のコラム「タイの平和度指数が低い理由と現代史」でも指摘しました。そして、そのコラムで私は、「2016年にプミポン国王が崩御され、新たに王となったワチラーロンコーン王(ラーマ10世)は国民から支持されておらず今後のタイが不安」と述べました。
そして、現在バンコクを中心に連日おこなわれているデモはまさに私が懸念していたことです。大学生を中心とするデモ参加者は現在の国王を不満に思っています。では、国王はなぜ国民から慕われないのでしょうか。
まず、女性関係が派手であることが以前から指摘されていました。三度の離婚歴があり、常に多数の愛人がいると言われています。王室でも自由恋愛を認めるべきという考えは支持されるかもしれませんが、3番目の妻シーラット妃はナイトクラブの元ダンサー(ストリッパーという噂もあります)で、結婚後に素っ裸で踊っているところを撮影され、その場に国王もいたことが報じられています。
国王は数年前から大半の時間をドイツの別荘で過ごしています。これ自体にタイ国民の大多数が不満を感じているわけですが、さらに"奇行"が世界中のメディアで報道されています。なかでも、クロップトップを着て偽タトゥーを入れた格好でモールを歩いている姿が報じられたときには信頼度が大きく低下しました。最近も、陸軍の看護師に「高貴な配偶者」の称号を与えたり、愛犬のプードルに「空軍大将」を任命したりと、奇行が目立ちます。
ここまでくれば私が過去のコラムで「国王の交代が不安」と述べた理由を分かってもらえると思います。他国の国王を批判するようなことは慎むべきですが、タイ人の気持ちになって考えると、プミポン前国王とはまったく異なる性格で奇行を繰り返すワチラーロンコーン国王を前国王と同じように崇拝できるでしょうか。
とうてい民主主義とは呼べない軍事政権に対して、新型コロナウイルスに対する厳しい行動制限に対して、経済の停滞化に対して、など、いろんな理由で国民の不満は高まっているわけですが、もしもプミポン前国王がご健在ならこのようなかたちのデモは起こっていなかったでしょう。たとえ、起こったとしても、心のどこかで「いざとなれば国王がなんとかしてくれる」という安心感があったのではないかと思えます。
ワチラーロンコーン国王が大きく変わらない限り、タイの社会や文化が大きく変わってしまうのではないかと私はみています。おそらく、国王という"共同幻想"をなくした国民はバラバラになっていきます。南部では独立の動きが強まるでしょう。信じるものをなくした国民は非道徳的・非倫理的な行動をとりやすくなるでしょう。そういった国民をまとめるためにポピュリズムの政党が誕生するかもしれません。人は他人を信用しなくなり、困っている人に手を差し伸べることをしなくなっていくかもしれません。
私がもどかしいのはそういった変化が起こりつつある空気を直接感じられないことです。現在、ビジネス渡航や配偶者がタイ人といった理由を除けばタイへの入国許可がおりません。GINAが支援しているタイ人の患者さんが気がかりです。