GINAと共に
第159回(2019年9月)タイの平和度指数が低い理由と現代史
世界平和度指数が162ヵ国中126位の国の実態を想像できるでしょうか。治安が悪く、犯罪率が高く、若い女性がひとりで街を歩くことができない国を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ですが、これはタイのことです。シドニーに本部のある世界規模のシンクタンクIEP(The Institute for Economics and Peace)が2014年にまとめたランキングです。
バンコクの繁華街やプーケットを訪れたことがある人なら分かると思いますが、女性が街を歩けないどころか真夜中でも一人で歩いている女性はいくらでもいます(お勧めはしませんが)。「微笑みの国」と言われるだけあり、人々は優しく強盗の被害に会うことは稀です。では、なぜ平和のランキングがこんなにも低いのでしょうか。ちなみに日本は第8位、世界一治安が悪い都市と言われているヨハネスブルグを抱える南アフリカ共和国が122位ですからタイがどれだけ危険と考えられているかがわかるでしょう。
今回は先に私見を述べておきます。タイはいくつかの特徴を知っておけばまあまあ安全な国でありそれほど心配はいりません。ですが、知っておくべきこともありますのでそれらを述べてみたいと思います。
まず客観的にみて危険性が高いのは南部の3つの県、パタニ県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラティワート県です。歴史的にみてこの3県及びマレーシア北部の一部は、かつてはイスラム教のパタニ王国でした。以前から独立を求める声があり、2004年に武装勢力が軍の施設から武器を略奪し4名の兵士を殺害しました。これを受けて当時の政権は3県に戒厳令を布告。その後武力衝突が頻繁に起こっています。2014年の時点で死者6,000人、負傷者10,000人以上。爆破事件は年間数百例と言われています(これ以降の数字は収集できませんでした)。
爆破事件はショッピングセンターやオフィスビルでも起こっているで、やはりこの地域への渡航は避けた方が無難でしょう。私は一度これら3県に隣接するソンクラー県を訪れたことがあります。同県でも夜間には戒厳令がひかれ、日中も含めて日本人には一人も会いませんでした。私は知人の医師と食事に出かけましたが特に危険な雰囲気は感じませんでした。ですがその医師によれば南部3県では注意した方がいいとのことでした。
南部3県以外の地域、特にバンコクの状況をみていきましょう。通称「暗黒の土曜日」と呼ばれる、一説には2千人以上の死者を出したといわれる軍による一般市民の弾圧事件が2010年4月10日に起こりました。この事件では日本人のカメラマンも犠牲になりました。2千人規模の犠牲者を出した軍による弾圧となると天安門事件と変わりません。では、なぜ「暗黒の土曜日」は天安門事件ほど知名度が高くないのでしょうか。
それを考える前にタイの現代史を簡単に振り返っておきましょう。現代史といっても学者が考えたものではなく、私がこれまでにタイ人やタイをよく知る外国人から聞いた情報をまとめたものですから信頼性が乏しくエビデンスの高いものではありません。それをお断りした上で進めていきます。
まずおさえておきたいのがプミポン国王による「暗黒の5月事件」の終焉です。1992年、軍派のスチンダー首相と市民が対立し、バンコクでの市民によるデモを軍が鎮圧し300人以上の死者が出ました。これを見かねたプミポン国王が登場。スチンダー首相と民主化運動の指導者チャムロン氏の二人を呼びつけ正座させ「国民のことを考えろ!」と一喝、この瞬間に双方の対立がなくなったのです。
タイの社会を考える上で王室の存在を抜きにすることはできません。私の経験上、どこの家族に招かれてもプミポン国王の写真を掲げていなかった家は一軒もありません。タイの映画館では上映前に必ず国王賛歌が流れます。このときには(外国人も含めて)全員が起立しなければなりません。これをしなければ不敬罪で逮捕されます。しかもこれに対する不満の声を聞いたことがありません。日本でも皇室は多くの国民に支持されていますが、タイとは比較にならないと思います。
歴史を進めましょう。1997年のアジア通貨危機の翌年、(このサイトで何度も紹介している)タクシン氏がタイ愛国党を設立し、2001年に首相に就任しました。そして30バーツ医療(その後無料に変わる)を開始し、国民の誰もが医療を受けることができるようになりました。これをバラマキと非難する人もいるのですが、特に北部や東北部ではそれまで病院には行けなかった人たちがこの制度のおかげで医療機関を受診できるようになったのは事実です。タイでは医師も含めて特にバンコク在住の知識人の多くが「反タクシン派」なのですが、大勢のエイズ患者と接してきた私からすると30バーツ医療を開始したタクシン氏を擁護したくなるのが本音です。
これもこのサイトで何度も紹介したようにタクシン政権は違法薬物に強行な姿勢をとり、その結果多数の冤罪者も殺害されました。これは国際的にも非難されていますが、結果としてタクシン政権時代にタイがそれまでの「違法薬物汚染国」から「クリーンな国」に生まれ変わったのは事実です。そして、タクシン(及びインラック)政権終了後、タイは再び薬物汚染国に戻ってしまいました。
2006年9月、タクシン政権に不満を持つ軍がクーデターを起こします。タイは一応民主国家ですから軍によるクーデターなどあってはならないのですが、このクーデターによりタクシン首相が失脚します。ですが、タクシン氏が大勢の市民から支持されていることには変わりがありません。実際、その後何度か選挙がおこなわれましたがいつもタクシン派の政党が勝利するのです。
先述したように反タクシン派は軍だけでなく若い世代の知識人にも少なくありません。2008年11月、バンコクの若者を中心とした反タクシン派が黄色いシャツを着てデモをおこないスワンナプーム空港を占拠しました。これを機に反タクシンの民主党アピシット氏が首相となるのですが、これは選挙を経たものではありません。
こうなると逆に市民デモを開始したのがタクシン派の市民です。黄シャツに対抗して赤シャツを身にまといデモを繰り返しました。そして2010年4月10日、先述の「暗黒の土曜日」事件が起こり2千人もの犠牲者が出てしまったのです。ある程度の外圧もあったからだと思われますが、その翌年再び選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派の圧勝。このときにタクシンの妹のインラックが首相となります。その後も何度か選挙がおこなわれましたが、いつも勝利するのはタクシン派です。
そんななか業を煮やした軍が再びクーデターを起こします。2014年2月、選挙がおこなわれタクシン派が圧勝したのにもかかわらず、軍がなんとインラック首相を拘束し軍事政権樹立宣言をしたのです。選挙で圧勝した首相を拘束し軍事政権を樹立......。こんなことが民主国家で許されるのが不思議なのですが、その後5年間は選挙もおこなわれませんでした。
そして今年(2019年)3月、ようやく選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派(タイ貢献党)が第一党となりました。しかし多数の党が議席を確保しており、タクシン派を支持する政党では過半数に届かず、かたちとしては「軍事政権が民主的に勝利」しました。しかしこれにはトリックがあり、タクシン派によれば選挙方法がタクシン派に非常に不利なものに設定されています。実際、結果の内訳をみてみると小選挙区では圧倒的に第1党となっているタイ貢献党が、比例代表ではなんと「ゼロ」なのです。ここまで極端になるとやはり選挙制度が公平なものなのかどうか疑問が残ります。
さて、これだけの「史実」があるのにもかかわらずタイが"平和"なのはなぜでしょうか。ひとつは先にのべた国王の存在です。いざとなったら国王にお出ましいただければ......、という気持ちがタイ人にあるのは間違いないでしょう。ただ、プミポン国王は2016年10月に崩御されています。現在のワチラーロンコーン王(ラーマ10世)はプミポン国王ほど尊敬されていないという話を至るところで聞きます。
もうひとつ、タイが"平和"な理由として私が思うのは、タイ人はデモをどこかで"楽しんでいる"ということです。楽しむとは不謹慎な、という声もあるでしょうが、デモに参加すれば弁当が配られお小遣いももらえるそうで「お祭り」みたいなもんだ、と言っていたタイ人もいました。多数の犠牲者が出ていることはもちろん大問題ですが、デモに慣れてくると危険度がわかるようになるそうです。ただ、外国人は近づかない方がいいと言われることが多く、この点は現地の人の意見を聞くべきでしょう。
もうひとつ、タイの危険性を語る上で外せない事件があります。2015年8月17日18時55分、バンコクのラチャプラソン交差点近くのエラワンの祠の構内で爆発が起こり、20人が死亡しました。この事件は犯行声明が出されておらず、犯人は逮捕されたものの国籍不明、トルコのパスポートを多数保持していたことが伝えられています。ちなみに私はこの事件のちょうど12時間前の早朝にこの付近をジョギングしており、事件を聞いてぞっとしました。その後小規模ではあるものの似たような爆破事件が何度か起こっており、今後はこういったリスクを重視すべきかもしれません。
今回はかなり長くなったので最後にポイントをまとめておきます。
#1 タイは国際的には平和指数の低い国(126位/162か国)と考えられている。
#2 市民デモのみならず軍事クーデターも繰り返し起こり多数の犠牲者がでている。
#3 タイ国民には、いざとなれば王がなんとかしてくれるという期待がある。
#4 ただし2016年に王が替わってからはその期待を危ぶむ声もある。
#5 タイの政権は現在も軍事政権。ただし2019年3月の選挙では"民主的に"勝利した。
#6 ただしその選挙で第一党となったのはタクシン派。同派は選挙制度が公平でないと主張している。
#7 2001年以降、選挙で勝利するのは毎回タクシン派。
#8 外国人はデモに近づかない方が無難。できれば現地の人から情報を収集すべき。
#9 南部3県は宗教的なテロのリスクが高い。外国人の渡航は推薦できない。
#10 2016年8月に起こった爆破事件と同様のリスクに今後注意が必要。
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注:念のため補足しておくと、タイでは苗字ではなく名前を呼ぶのが一般的です。本文に登場するタクシン、インラック、アピシット、チャムロン、スチンダーなどはすべてファーストネームです。おそらくこの人たち全員の苗字を正確に言えるタイ人はそう多くないと思います。そもそもタイ人は友達の苗字も知らないということがよくあります。さらに補足すると、タイ人は友達の苗字のみならず名前も知らないこともよくあります。通常タイ人は生涯変わらないニックネーム(チュー・レン)を持っており、家族からも友達からもこのニックネームで呼ばれており、正式な名前(ファーストネーム)を知らなくても事足りるのです。
バンコクの繁華街やプーケットを訪れたことがある人なら分かると思いますが、女性が街を歩けないどころか真夜中でも一人で歩いている女性はいくらでもいます(お勧めはしませんが)。「微笑みの国」と言われるだけあり、人々は優しく強盗の被害に会うことは稀です。では、なぜ平和のランキングがこんなにも低いのでしょうか。ちなみに日本は第8位、世界一治安が悪い都市と言われているヨハネスブルグを抱える南アフリカ共和国が122位ですからタイがどれだけ危険と考えられているかがわかるでしょう。
今回は先に私見を述べておきます。タイはいくつかの特徴を知っておけばまあまあ安全な国でありそれほど心配はいりません。ですが、知っておくべきこともありますのでそれらを述べてみたいと思います。
まず客観的にみて危険性が高いのは南部の3つの県、パタニ県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラティワート県です。歴史的にみてこの3県及びマレーシア北部の一部は、かつてはイスラム教のパタニ王国でした。以前から独立を求める声があり、2004年に武装勢力が軍の施設から武器を略奪し4名の兵士を殺害しました。これを受けて当時の政権は3県に戒厳令を布告。その後武力衝突が頻繁に起こっています。2014年の時点で死者6,000人、負傷者10,000人以上。爆破事件は年間数百例と言われています(これ以降の数字は収集できませんでした)。
爆破事件はショッピングセンターやオフィスビルでも起こっているで、やはりこの地域への渡航は避けた方が無難でしょう。私は一度これら3県に隣接するソンクラー県を訪れたことがあります。同県でも夜間には戒厳令がひかれ、日中も含めて日本人には一人も会いませんでした。私は知人の医師と食事に出かけましたが特に危険な雰囲気は感じませんでした。ですがその医師によれば南部3県では注意した方がいいとのことでした。
南部3県以外の地域、特にバンコクの状況をみていきましょう。通称「暗黒の土曜日」と呼ばれる、一説には2千人以上の死者を出したといわれる軍による一般市民の弾圧事件が2010年4月10日に起こりました。この事件では日本人のカメラマンも犠牲になりました。2千人規模の犠牲者を出した軍による弾圧となると天安門事件と変わりません。では、なぜ「暗黒の土曜日」は天安門事件ほど知名度が高くないのでしょうか。
それを考える前にタイの現代史を簡単に振り返っておきましょう。現代史といっても学者が考えたものではなく、私がこれまでにタイ人やタイをよく知る外国人から聞いた情報をまとめたものですから信頼性が乏しくエビデンスの高いものではありません。それをお断りした上で進めていきます。
まずおさえておきたいのがプミポン国王による「暗黒の5月事件」の終焉です。1992年、軍派のスチンダー首相と市民が対立し、バンコクでの市民によるデモを軍が鎮圧し300人以上の死者が出ました。これを見かねたプミポン国王が登場。スチンダー首相と民主化運動の指導者チャムロン氏の二人を呼びつけ正座させ「国民のことを考えろ!」と一喝、この瞬間に双方の対立がなくなったのです。
タイの社会を考える上で王室の存在を抜きにすることはできません。私の経験上、どこの家族に招かれてもプミポン国王の写真を掲げていなかった家は一軒もありません。タイの映画館では上映前に必ず国王賛歌が流れます。このときには(外国人も含めて)全員が起立しなければなりません。これをしなければ不敬罪で逮捕されます。しかもこれに対する不満の声を聞いたことがありません。日本でも皇室は多くの国民に支持されていますが、タイとは比較にならないと思います。
歴史を進めましょう。1997年のアジア通貨危機の翌年、(このサイトで何度も紹介している)タクシン氏がタイ愛国党を設立し、2001年に首相に就任しました。そして30バーツ医療(その後無料に変わる)を開始し、国民の誰もが医療を受けることができるようになりました。これをバラマキと非難する人もいるのですが、特に北部や東北部ではそれまで病院には行けなかった人たちがこの制度のおかげで医療機関を受診できるようになったのは事実です。タイでは医師も含めて特にバンコク在住の知識人の多くが「反タクシン派」なのですが、大勢のエイズ患者と接してきた私からすると30バーツ医療を開始したタクシン氏を擁護したくなるのが本音です。
これもこのサイトで何度も紹介したようにタクシン政権は違法薬物に強行な姿勢をとり、その結果多数の冤罪者も殺害されました。これは国際的にも非難されていますが、結果としてタクシン政権時代にタイがそれまでの「違法薬物汚染国」から「クリーンな国」に生まれ変わったのは事実です。そして、タクシン(及びインラック)政権終了後、タイは再び薬物汚染国に戻ってしまいました。
2006年9月、タクシン政権に不満を持つ軍がクーデターを起こします。タイは一応民主国家ですから軍によるクーデターなどあってはならないのですが、このクーデターによりタクシン首相が失脚します。ですが、タクシン氏が大勢の市民から支持されていることには変わりがありません。実際、その後何度か選挙がおこなわれましたがいつもタクシン派の政党が勝利するのです。
先述したように反タクシン派は軍だけでなく若い世代の知識人にも少なくありません。2008年11月、バンコクの若者を中心とした反タクシン派が黄色いシャツを着てデモをおこないスワンナプーム空港を占拠しました。これを機に反タクシンの民主党アピシット氏が首相となるのですが、これは選挙を経たものではありません。
こうなると逆に市民デモを開始したのがタクシン派の市民です。黄シャツに対抗して赤シャツを身にまといデモを繰り返しました。そして2010年4月10日、先述の「暗黒の土曜日」事件が起こり2千人もの犠牲者が出てしまったのです。ある程度の外圧もあったからだと思われますが、その翌年再び選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派の圧勝。このときにタクシンの妹のインラックが首相となります。その後も何度か選挙がおこなわれましたが、いつも勝利するのはタクシン派です。
そんななか業を煮やした軍が再びクーデターを起こします。2014年2月、選挙がおこなわれタクシン派が圧勝したのにもかかわらず、軍がなんとインラック首相を拘束し軍事政権樹立宣言をしたのです。選挙で圧勝した首相を拘束し軍事政権を樹立......。こんなことが民主国家で許されるのが不思議なのですが、その後5年間は選挙もおこなわれませんでした。
そして今年(2019年)3月、ようやく選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派(タイ貢献党)が第一党となりました。しかし多数の党が議席を確保しており、タクシン派を支持する政党では過半数に届かず、かたちとしては「軍事政権が民主的に勝利」しました。しかしこれにはトリックがあり、タクシン派によれば選挙方法がタクシン派に非常に不利なものに設定されています。実際、結果の内訳をみてみると小選挙区では圧倒的に第1党となっているタイ貢献党が、比例代表ではなんと「ゼロ」なのです。ここまで極端になるとやはり選挙制度が公平なものなのかどうか疑問が残ります。
さて、これだけの「史実」があるのにもかかわらずタイが"平和"なのはなぜでしょうか。ひとつは先にのべた国王の存在です。いざとなったら国王にお出ましいただければ......、という気持ちがタイ人にあるのは間違いないでしょう。ただ、プミポン国王は2016年10月に崩御されています。現在のワチラーロンコーン王(ラーマ10世)はプミポン国王ほど尊敬されていないという話を至るところで聞きます。
もうひとつ、タイが"平和"な理由として私が思うのは、タイ人はデモをどこかで"楽しんでいる"ということです。楽しむとは不謹慎な、という声もあるでしょうが、デモに参加すれば弁当が配られお小遣いももらえるそうで「お祭り」みたいなもんだ、と言っていたタイ人もいました。多数の犠牲者が出ていることはもちろん大問題ですが、デモに慣れてくると危険度がわかるようになるそうです。ただ、外国人は近づかない方がいいと言われることが多く、この点は現地の人の意見を聞くべきでしょう。
もうひとつ、タイの危険性を語る上で外せない事件があります。2015年8月17日18時55分、バンコクのラチャプラソン交差点近くのエラワンの祠の構内で爆発が起こり、20人が死亡しました。この事件は犯行声明が出されておらず、犯人は逮捕されたものの国籍不明、トルコのパスポートを多数保持していたことが伝えられています。ちなみに私はこの事件のちょうど12時間前の早朝にこの付近をジョギングしており、事件を聞いてぞっとしました。その後小規模ではあるものの似たような爆破事件が何度か起こっており、今後はこういったリスクを重視すべきかもしれません。
今回はかなり長くなったので最後にポイントをまとめておきます。
#1 タイは国際的には平和指数の低い国(126位/162か国)と考えられている。
#2 市民デモのみならず軍事クーデターも繰り返し起こり多数の犠牲者がでている。
#3 タイ国民には、いざとなれば王がなんとかしてくれるという期待がある。
#4 ただし2016年に王が替わってからはその期待を危ぶむ声もある。
#5 タイの政権は現在も軍事政権。ただし2019年3月の選挙では"民主的に"勝利した。
#6 ただしその選挙で第一党となったのはタクシン派。同派は選挙制度が公平でないと主張している。
#7 2001年以降、選挙で勝利するのは毎回タクシン派。
#8 外国人はデモに近づかない方が無難。できれば現地の人から情報を収集すべき。
#9 南部3県は宗教的なテロのリスクが高い。外国人の渡航は推薦できない。
#10 2016年8月に起こった爆破事件と同様のリスクに今後注意が必要。
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注:念のため補足しておくと、タイでは苗字ではなく名前を呼ぶのが一般的です。本文に登場するタクシン、インラック、アピシット、チャムロン、スチンダーなどはすべてファーストネームです。おそらくこの人たち全員の苗字を正確に言えるタイ人はそう多くないと思います。そもそもタイ人は友達の苗字も知らないということがよくあります。さらに補足すると、タイ人は友達の苗字のみならず名前も知らないこともよくあります。通常タイ人は生涯変わらないニックネーム(チュー・レン)を持っており、家族からも友達からもこのニックネームで呼ばれており、正式な名前(ファーストネーム)を知らなくても事足りるのです。