GINAと共に

第154回(2019年4月) 性にまつわる"秘密"を告白された時

 私が院長を務める太融寺町谷口医院では、過去約12年の間におよそ100人の患者さんにHIV陽性であることを伝えてきました。そのなかの半数以上が「まさか自分がHIVだなんて夢にも思っていなかった」という人たちです(私はこれを「いきなりHIV」と呼んでいます)。

 感染していることを伝えるときは、たとえ他の患者さんの待ち時間が長くなったとしても充分な時間をとって伝えます。そしていくつかの重要な点を説明します。そのなかで最も重要であると私が考えているのは、「感染の事実をパートナー以外の他人に話すべきでない」ということです。

 HIVに感染していることは恥ずかしいことではありません。ですが現実には、感染を知られたが故に、仕事を失った、友達を失った、なかには家族との関係が絶たれた、という人すらいます。一度、他人に伝えてしまえばそれを取り消すことはできません。どうしても冷静さを欠いてしまう感染発覚間もない時期には判断を正確におこなうことが困難ですから、しばらくの間はパートナー以外には言わないのが賢明なのです。

 そして、これはHIV感染だけではありません。セクシャル・マイノリティであることを他人に伝えることにも充分に慎重になるべきです。LGBTという言葉が随分と人口に膾炙してきているのは事実ですが、だからといって彼(女)らに対する偏見がなくなったわけではありません。実際、自分の「性」を他人に知られることで不利益を被ったという人は枚挙に暇がありません。私が診ている患者さんのなかにも、これが理由で職を失ったという人もいます。

 他人の「性」(性指向や性自認)を、本人の許可なく曝露することは「アウティング」と呼ばれます。アウティングされた当事者は不利益を被ることがよくありますから、この行為が(少なくとも民事上は)「罪」であることは自明ですが、損害賠償が請求できたとしても、いったん失った社会的信用などを元に戻すことはできません。

 アウティングを防ぐには、余程のことがない限り他人に自身の「性」については話さないのが一番ということになります。ですが、実際には場合によってはそういうわけにもいかないでしょうし、特に「好きになった人」には話さざるを得ません。今回は、「他人から性についてカムアウトされたときにどうすればいいか」、つまり「自身がアウティングをしないようにするにはどうすればいいか」ということを考えたいと思います。というのは、この「他人の"秘密"を守ること」は世間一般で考えられているよりも遥かにむつかしいからです。

 ここでおそらくアウティング関連では最も有名な事件である「一橋大学法科大学院アウティング事件」を当時の報道などから振り返ってみたいと思います。被害者をA君とします。

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 2015年4月、一橋大学法科大学院の男子学生A君は、同級生の男子学生B君に対しLINEにて「好きだ。付き合いたい」というメッセージを送ったところ、B君は「付き合うことはできないが、これからも良い友達でいたい」と返信。その約3ヶ月後の6月24日、B君は他の同級生も見ているLINEグループに「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と実名を入れて投稿、つまりアウティングをおこなった。その後A君はパニック障害を発症するようになり、アウティングからちょうど2カ月後の8月24日、大学構内の6階ベランダから飛び降り自殺を完遂。報道によれば、身を投げる直前にクラス全員のLINEに「(B君の実名)が弁護士になるような法曹界なら、もう自分の理想はこの世界にない。いままでよくしてくれてありがとう」というメッセージを残していた。

 A君の遺族はB君と大学を提訴。遺族とB君の間は2018年1月に和解が成立(内容は公表されず)。大学に対しては、遺族は大学が適切な措置を取らなかったと主張したが、2019年2月27日、東京地裁は「大学に落ち度はなかった」とし、遺族側の訴えを棄却(この原稿を書いている2019年4月時点では遺族側が控訴するという報道はないようです)。
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 A君の自殺に対しては多くのメディアがセンセーショナルな報道をおこないました。LGBTを擁護する団体はもちろん、そういったことに関心がないという人たちからも「B君はひどい」という声が上がっていました。

 ではB君のとった行動はどの程度"罪"と呼べるのでしょうか。ここからは当時の報道などからB君の立場になって考えてみたいと思います。

 B君がA君の告白を断り「良い友達で...」と返信した後も、A君は、食事に誘ったり、モーニングコールを頼んだり、(他の友人も交えて)ハイキングに行こうと誘ったり、とB君を"諦めて"いません。5月下旬、学校でB君はA君から話しかけられた時に曖昧な返事をすると、突然A君は頭を抱えて「うあー」と大声を出し、腕に触れてきました。B君はA君を避けるよう努めましたが、周囲の者はその理由が分かりません。しかたなくB君は他の友人とも距離を取ることになります。そして件のアウティングに踏み切りました。

 このようにB君の「言い分」を聞くと、一方的にB君を責められないのでは、と感じる人もいるでしょう。しかし別の報道では、件のLINEでのアウティングの前から、B君は3人の同級生にすでにアウティングをしていた、とするものもあります。

 実際のことはB君に聞いてみないとわかりませんが、私が言いたいことは「他人の秘密を守るのは決して簡単ではない」ということです。特に共通の知人がいる場合にはものすごく困難なのです。なぜ、私がこういうことを"偉そうに"言えるかというと、医師の守秘義務遵守が実は簡単ではないことを知っているからです。

 医師や看護師が診察で知り得たことを他人に言わない、とする「守秘義務」は当然であり異論はないでしょう。では、例えばこういうケースはどうでしょう。

 あなたには小学校から高校までずっと仲がよかった幼馴染のX君とYさんがいます。彼(女)らとはもう10年以上も会っておらず、あなたはある地方都市の病院で看護師をしています。ある日Yさんがその病院を受診し偶然再会することになりました。Yさんは東京で会社員をしていますが、この日は出張でこの地に来ていたのです。その1週間後、あなたが旅行で北海道にでかけたとき、偶然X君に空港で再会しました。思い出話に花が咲き、X君は「そういえばYさん、どうしているかな」と言いました。このときあなたは「先週10年ぶりにYさんと会った」ということを黙っていられるでしょうか。

 法律上守秘義務が課せられている医療職は、医師、看護師などだけで、例えば受付スタッフには(「プライバシー保護法」を守る義務はありますが)、医師(刑法)や看護師(保健師助産師看護師法)ほどの重みのある義務はありません。ですから、私が院長を務める太融寺町谷口医院では、受付スタッフにも守秘義務の"教育"をしています。「院内で知り得たことは退職してからも他言せず文字通り棺桶まで持って行くこと。たとえ家族やパートナーにも一切のことを話さないこと」を徹底しています。守秘義務を守らない受付なんているの?と思う人がいるかもしれませんが、例えば「有名人の〇〇がこの前うちの病院に来た」と話した(当院以外の)受付を私は何人か知っています。

 診察室以外で、つまりプライベートで知人からセクシャル・マイノリティであることをカムアウトされることが私にはしばしばあります。そんなときは「あなたが今話したことは死ぬまで誰にも言いません」と、少々大げさに"宣言"します。

 結論です。もしもあなたが他人から"秘密"を告白されたときは、私が実践しているようにその場で「守秘宣言」することを勧めます。

 2018年4月、一橋大学のある国立市は全国初の「アウティング禁止条例」を施行しました(注)。

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注:一般社団法人「社会的包摂サポートセンター」にアウティング被害の電話相談が2012年3月以降の6年間に少なくとも110件寄せられているそうです。2019年4月3日の日経新聞が報道しています。

参考:太融寺町谷口医院マンスリーレポート2012年8月号「簡単でない守秘義務の遵守」