GINAと共に
第153回(2019年3月) 知らない間に依存症~風邪薬と痛み止めの恐怖~
日本でHIVに感染するのは性感染が多く、麻薬や覚醒剤の静脈注射での感染というのは諸外国と比べると少ないのは事実です。では、日本では違法薬物とHIVの関連性を論じるのはナンセンスかと言えばまったくそんなことはありません。
なぜなら、実際に(私が日ごろ診ている患者さんも含めて)HIV陽性者のいくらかは薬物依存症となっているからです。典型的なのは、薬物を用いたセックスを"楽しんでいた"人たちです。性行為のときに覚醒剤を用いる「快楽」を知ってしまい(実際、患者さんは「知ってしまう」と表現します)、覚醒剤使用OKの相手を探すようになり、それが不特定多数との性交渉につながり、ついにはHIV感染というパターンです。
他にも、例えば前回紹介したベンゾジアゼピン系(以下BZ)の薬物依存症になってしまい、生活に支障をきたしてしまう人がいます。BZを大量服用すると(使用者が言うには)"ハイ"になり(確かにイヤな気持ちがふっとびます)、また、ぐっすり眠れるという理由でどんどん使用量が増えていき、やがて生活が不規則になっていき社会生活からドロップアウトします。そして性的にも奔放になってしまう、あるいは生活費を稼ぐためにセックスワークを始めてHIVのリスクに晒される、といった事態になるのです。
つまり、「針の使いまわし→HIV感染」、という海外でよくみられるパターンはさほど多くないものの、日本でも「薬物がきっかけとなったHIVの性感染」というのは決して珍しくないのです。
これまでこのサイトでは、麻薬(オピオイド)、覚醒剤、大麻などについては繰り返し述べ、前回は合法的に入手しやすいBZを紹介しました。今回は、BZよりもさらに簡単に入手できる危険な薬剤の話をします。
それは薬局やネットで簡単に入手できる風邪薬と鎮痛薬です。いわゆる総合感冒薬というのはテレビや雑誌で頻繁に宣伝されていますし、危険な薬というイメージからは程遠いでしょう。ですが、こういった薬で人生を狂わされてしまった人は決して少なくありません。違法薬物やBZの場合は、ある程度危険性を分かっていて始める人が大半ですから、ある意味では"確信犯的"ですが、風邪薬や鎮痛薬の場合は「宣伝の犠牲」とも呼べる例が少なからずあります。症例を紹介しましょう。
【症例1】20代女性
風邪を引いて近所の薬局に。咳が強いため咳によく効くという薬(ブロン錠)を購入。使用説明書に眠気が起こるかもしれないと書いてあったので寝る前のみ飲むことにした。薬はよく効き、前日まで咳でほとんど眠れなかったのが昨日は嘘のようによく効きぐっすり眠れた。安眠できたことからその後も寝る前だけこの薬を飲むようになった。気づけば3か月が経過し、なぜか寝る前以外にも飲みたいという衝動がでてきた......。
【症例2】30代女性
以前から頭痛がある。市販のものをいろいろと試したが結局「ナロンエース」が一番"合っている"ことが分かった。最初は週に2~3回しか飲んでいなかったが、最近は1日も欠かせなくなってきている。錠数がどんどん増えてきて1日に10錠以上飲むこともある。頭痛はますますひどくなり薬も増える一方となっている......。
解説していきましょう。【症例1】はエフェドリン(正確には塩酸メチルエフェドリン)とコデイン(リン酸ジヒドロコデイン)の依存症になってしまっているのはほぼ間違いありません。エフェドリンとは覚醒剤の一種、コデインは麻薬(オピオイド)です。覚醒剤には気管支拡張作用があり、麻薬には脳の咳中枢を抑制する効果がありますから双方とも咳に効果があるのは事実です(ただし最近はこれらの咳止めには有効性を示したエビデンスがなく使用すべきでないという意見が増えてきています。参照:太融寺町谷口医院ウェブサイト「はやりの病気」第178回(2018年6月)「「咳止めが効かない」ならどうすればいいのか」)。
エフェドリンとコデインを双方摂取するとどうなるか。現在40代後半以上の人はエスエス製薬の咳止めシロップ「ブロン」が社会問題になったことを覚えているのではないでしょうか。ちょうど私がひとつめの大学(関西学院大学)の学生だった1980年代後半、この「ブロン」が大流行し、社会復帰できなくなり退学した奴がいる、という噂も何度か聞きました。真偽は定かではありませんが、当時「ブロン中毒専門の矯正施設がある」と(私の周囲では)言われていました。
それだけ問題になったのですから、製薬会社は当然製品を販売中止するなり成分変更したりすべきです。そして、たしかにこのシロップは成分が変わりエフェドリンが含まれなくなりましたが、コデインはそのままです。そして、(私は、これは問題だと思うのですが)「ブロン錠」という錠剤が登場し、こちらはシロップと同様エフェドリンとコデインの双方が含まれているのです。【症例1】はそのブロン錠を飲み始めて知らぬまに依存症になってしまった例ですが、なかには初めから"トリップ"することを目的としてブロン錠を大量に(なかには一晩で数百錠も!)飲む人もいます。
では販売元のエスエス製薬だけが問題なのかと言えば、そういうわけではなく、メジャーな風邪薬のいくらかはエフェドリンとコデインの双方が含まれています。例えば、パブロンゴールドA、新ルルA、カイゲン感冒錠、ベンザブロックS、エスタックイブなどです。
私自身は、少なくとも医学部に入学してからは市販の感冒薬や咳止めを一度も飲んでいませんし、こういった薬を飲んでいる医師を見たことがありません。はっきり言えば、こういった感冒薬は一生飲むべきでないのです。
【症例2】は2つの問題があります。ひとつはイブプロフェン中毒、もうひとつはブロムワレリル尿素(ブロムバレリル尿素とも呼ばれる)中毒です。前者は「薬物乱用頭痛」と呼ばれるやっかいな頭痛を引き起こすことがよくあり、そもそもすべての痛み止めには依存性・中毒性があると考えなければなりません。ですが、その何倍も問題なのが後者の「ブロムワレリル尿素」であり、これがどれくらい問題かというと、90年代に社会問題となった『完全自殺マニュアル』でも紹介されている危険な薬物なのです。そもそもこのような薬剤が薬局で買えること自体が問題です。
ブロムワレリル尿素の致死量は15gと言われています。ナロンエース1錠に100mgのブロムワレリル尿素が含まれていますから150錠飲めば(体重にもよりますが)死んでしまうわけです。しかも『完全自殺マニュアル』には、他に「首吊り」「飛び降り」「ガス中毒」などの自殺方法が紹介されていますが、ブロムワレリル尿素を用いた「クスリ」による自殺は「安らかな眠りの延長上にある死、これが最も理想的な自殺手段だ」と書かれているのです。こんなもの、販売してもいいのでしょうか。ウルグアイやカナダに負けまいと、多くの州で娯楽用大麻が合法化されている米国でさえ、ブロムワレリル尿素を薬局で販売することは禁じられています。
いったん、ブロムワレリル尿素依存症になってしまうと、これがないと眠れなくなり、切れると頭痛がひどくなってきます。服薬量がどんどん増えていき、こうなると自分自身の力ではもはや離脱することができません。尚、ナロンエース以外にブロムワレリル尿素を含む薬剤にウット、奥田脳神経薬があります。
私が院長を務める太融寺町谷口医院では、過去12年間の間に100人以上の「風邪薬・鎮痛薬依存症」になった(知らない間になってしまった)人たちに、危険性を伝え、止めることができるよう支援してきました。幸いなことに無事離脱できた人もいますが、止めるように言っても理解が得られず受診しなくなった人も少なくないのが実情です......。
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参考:厚労省の資料「濫用等のおそれのある医薬品の成分・品目及び数量について」
なぜなら、実際に(私が日ごろ診ている患者さんも含めて)HIV陽性者のいくらかは薬物依存症となっているからです。典型的なのは、薬物を用いたセックスを"楽しんでいた"人たちです。性行為のときに覚醒剤を用いる「快楽」を知ってしまい(実際、患者さんは「知ってしまう」と表現します)、覚醒剤使用OKの相手を探すようになり、それが不特定多数との性交渉につながり、ついにはHIV感染というパターンです。
他にも、例えば前回紹介したベンゾジアゼピン系(以下BZ)の薬物依存症になってしまい、生活に支障をきたしてしまう人がいます。BZを大量服用すると(使用者が言うには)"ハイ"になり(確かにイヤな気持ちがふっとびます)、また、ぐっすり眠れるという理由でどんどん使用量が増えていき、やがて生活が不規則になっていき社会生活からドロップアウトします。そして性的にも奔放になってしまう、あるいは生活費を稼ぐためにセックスワークを始めてHIVのリスクに晒される、といった事態になるのです。
つまり、「針の使いまわし→HIV感染」、という海外でよくみられるパターンはさほど多くないものの、日本でも「薬物がきっかけとなったHIVの性感染」というのは決して珍しくないのです。
これまでこのサイトでは、麻薬(オピオイド)、覚醒剤、大麻などについては繰り返し述べ、前回は合法的に入手しやすいBZを紹介しました。今回は、BZよりもさらに簡単に入手できる危険な薬剤の話をします。
それは薬局やネットで簡単に入手できる風邪薬と鎮痛薬です。いわゆる総合感冒薬というのはテレビや雑誌で頻繁に宣伝されていますし、危険な薬というイメージからは程遠いでしょう。ですが、こういった薬で人生を狂わされてしまった人は決して少なくありません。違法薬物やBZの場合は、ある程度危険性を分かっていて始める人が大半ですから、ある意味では"確信犯的"ですが、風邪薬や鎮痛薬の場合は「宣伝の犠牲」とも呼べる例が少なからずあります。症例を紹介しましょう。
【症例1】20代女性
風邪を引いて近所の薬局に。咳が強いため咳によく効くという薬(ブロン錠)を購入。使用説明書に眠気が起こるかもしれないと書いてあったので寝る前のみ飲むことにした。薬はよく効き、前日まで咳でほとんど眠れなかったのが昨日は嘘のようによく効きぐっすり眠れた。安眠できたことからその後も寝る前だけこの薬を飲むようになった。気づけば3か月が経過し、なぜか寝る前以外にも飲みたいという衝動がでてきた......。
【症例2】30代女性
以前から頭痛がある。市販のものをいろいろと試したが結局「ナロンエース」が一番"合っている"ことが分かった。最初は週に2~3回しか飲んでいなかったが、最近は1日も欠かせなくなってきている。錠数がどんどん増えてきて1日に10錠以上飲むこともある。頭痛はますますひどくなり薬も増える一方となっている......。
解説していきましょう。【症例1】はエフェドリン(正確には塩酸メチルエフェドリン)とコデイン(リン酸ジヒドロコデイン)の依存症になってしまっているのはほぼ間違いありません。エフェドリンとは覚醒剤の一種、コデインは麻薬(オピオイド)です。覚醒剤には気管支拡張作用があり、麻薬には脳の咳中枢を抑制する効果がありますから双方とも咳に効果があるのは事実です(ただし最近はこれらの咳止めには有効性を示したエビデンスがなく使用すべきでないという意見が増えてきています。参照:太融寺町谷口医院ウェブサイト「はやりの病気」第178回(2018年6月)「「咳止めが効かない」ならどうすればいいのか」)。
エフェドリンとコデインを双方摂取するとどうなるか。現在40代後半以上の人はエスエス製薬の咳止めシロップ「ブロン」が社会問題になったことを覚えているのではないでしょうか。ちょうど私がひとつめの大学(関西学院大学)の学生だった1980年代後半、この「ブロン」が大流行し、社会復帰できなくなり退学した奴がいる、という噂も何度か聞きました。真偽は定かではありませんが、当時「ブロン中毒専門の矯正施設がある」と(私の周囲では)言われていました。
それだけ問題になったのですから、製薬会社は当然製品を販売中止するなり成分変更したりすべきです。そして、たしかにこのシロップは成分が変わりエフェドリンが含まれなくなりましたが、コデインはそのままです。そして、(私は、これは問題だと思うのですが)「ブロン錠」という錠剤が登場し、こちらはシロップと同様エフェドリンとコデインの双方が含まれているのです。【症例1】はそのブロン錠を飲み始めて知らぬまに依存症になってしまった例ですが、なかには初めから"トリップ"することを目的としてブロン錠を大量に(なかには一晩で数百錠も!)飲む人もいます。
では販売元のエスエス製薬だけが問題なのかと言えば、そういうわけではなく、メジャーな風邪薬のいくらかはエフェドリンとコデインの双方が含まれています。例えば、パブロンゴールドA、新ルルA、カイゲン感冒錠、ベンザブロックS、エスタックイブなどです。
私自身は、少なくとも医学部に入学してからは市販の感冒薬や咳止めを一度も飲んでいませんし、こういった薬を飲んでいる医師を見たことがありません。はっきり言えば、こういった感冒薬は一生飲むべきでないのです。
【症例2】は2つの問題があります。ひとつはイブプロフェン中毒、もうひとつはブロムワレリル尿素(ブロムバレリル尿素とも呼ばれる)中毒です。前者は「薬物乱用頭痛」と呼ばれるやっかいな頭痛を引き起こすことがよくあり、そもそもすべての痛み止めには依存性・中毒性があると考えなければなりません。ですが、その何倍も問題なのが後者の「ブロムワレリル尿素」であり、これがどれくらい問題かというと、90年代に社会問題となった『完全自殺マニュアル』でも紹介されている危険な薬物なのです。そもそもこのような薬剤が薬局で買えること自体が問題です。
ブロムワレリル尿素の致死量は15gと言われています。ナロンエース1錠に100mgのブロムワレリル尿素が含まれていますから150錠飲めば(体重にもよりますが)死んでしまうわけです。しかも『完全自殺マニュアル』には、他に「首吊り」「飛び降り」「ガス中毒」などの自殺方法が紹介されていますが、ブロムワレリル尿素を用いた「クスリ」による自殺は「安らかな眠りの延長上にある死、これが最も理想的な自殺手段だ」と書かれているのです。こんなもの、販売してもいいのでしょうか。ウルグアイやカナダに負けまいと、多くの州で娯楽用大麻が合法化されている米国でさえ、ブロムワレリル尿素を薬局で販売することは禁じられています。
いったん、ブロムワレリル尿素依存症になってしまうと、これがないと眠れなくなり、切れると頭痛がひどくなってきます。服薬量がどんどん増えていき、こうなると自分自身の力ではもはや離脱することができません。尚、ナロンエース以外にブロムワレリル尿素を含む薬剤にウット、奥田脳神経薬があります。
私が院長を務める太融寺町谷口医院では、過去12年間の間に100人以上の「風邪薬・鎮痛薬依存症」になった(知らない間になってしまった)人たちに、危険性を伝え、止めることができるよう支援してきました。幸いなことに無事離脱できた人もいますが、止めるように言っても理解が得られず受診しなくなった人も少なくないのが実情です......。
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参考:厚労省の資料「濫用等のおそれのある医薬品の成分・品目及び数量について」