GINAと共に
第152回(2019年2月) アダム・リッポンも飲むベンゾジアゼピンの恐怖
タイのエイズ問題に私が初めて触れたのは2002年のタイです。そのときに接した患者さんのいくらかがセクシャルマイノリティであったこともあり、LGBTの人たちへの関心がますます深くなり、医師として接するときには"逆差別"をしないように気を付けることもあります。
このサイトでも繰り返しお伝えしているように、LGBTの人たちには音楽やビジネス、政治の世界で世界的に有名な人たちも少なくありません。2018年の1年間を振り返って、私が個人的に最も注目したLGBTの人は、平昌オリンピックのフィギュアスケートで銅メダルを獲得した米国のアダム・リッポン(以下「アダム」)です。
特にLGBTに興味がないという人も、アダムの話題は至るところで見聞きしたのではないでしょうか。しかし、2018年がスタートした時点では(少なくとも日本では)ほとんど無名だったと思います。
そのアダムが一躍有名になったのが、ペンス副大統領が平昌オリンピック開会式の米国選手団の団長となることが決まったときに放った言葉です。アダムは、副大統領が同性愛矯正治療をおこなっている施設に資金提供したことを引き合いに出して糾弾し、そして副大統領との面談を拒否したのです(参考:The story behind Olympic figure skater Adam Rippon's feud with Vice President Pence)。
このような発言をおこなったことで、プレッシャーがかかり競技に悪影響がでるのではないかと心配する声もありましたが、結果は見事団体で銅メダル。これで一躍スターとなりました。元々目立つキャラクターなのでしょう。メダル獲得後、派手な衣装を身にまとい次々とメディアに登場するアダムは正真正銘のスターと呼んでいいでしょう。2018年4月に発表された『TIME』の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。ところが、2018年11月、突然引退を表明し世界を驚かせました。
さて、そのアダムを私が注目していたのはゲイだからという理由だけではありません。実は、ペンス副大統領との"事件"が報道されている頃、たまたま読んだ記事がひっかかりました。それは「USA TODAY SPORTS」が報じた「アダム・リッポン、気持ちを落ち着かせるためにザナックスと水を求めた(Adam Rippon wanted a 'Xanax and a quick drink' to calm nerves)」というタイトルの記事です。
「ザナックス」というのはベンゾジアゼピン系(以下「BZ」)(注1)に分類される抗不安薬で、一般名は「アルプラゾラム」、日本の商品名は「ソラナックス」や「コンスタン」が有名です。BZは、日本で最も"乱用"されている薬物で、医療機関でしか処方されないということになっていますが、実際は「友達にわけてもらった」とか、なかには「ネットで買った」などという人もいます。
飲めばすぐに効くのが最大の特徴でしょう。人によって言葉は変わりますが、飲んでいる人は「飲めばすーっとする」「心のモヤモヤが一気に消える」「すぐにリラックスできる」「眠れないときに飲めばすぐに熟睡できる」などと言います。こういった言葉だけを聞くと、いい薬のように思えなくもありませんが、これだけ「すぐによく効く薬」だからこそ「依存」を生みだすのです。
「日本ほどBZが気軽に使われている国はない」、とよく言われます。実際、日本人の薬物依存は米国のような麻薬は現時点では大きな問題となっていません(しかし、今後変わる可能性がありそれを前回のコラム「本当に危険な麻薬(オピオイド)」で述べました)。
日本では過去に合法だったことから覚醒剤依存症が大きな問題であり、このサイトでも何度か紹介しています(例えば「GINAと共に」第116回(2016年2月)「「盗聴」に苦しむ覚醒剤中毒者」)。大麻については、ウルグアイに次ぎカナダで嗜好用が合法化されたこともあり、今後日本で(違法のままでも)使用者が増えるだろうということも何度も述べました(例えば「GINAと共に」第143回(2018年5月)「これからの「大麻」の話をしよう~その3~」)。
ですが、日本の薬物依存をきたす薬剤としては覚醒剤や大麻よりもBZの方がずっと多いのです。なにしろ覚醒剤・大麻と異なり、BZは一部の医療機関で"簡単に"処方されているようなのです。ちなみに、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でもBZを処方することはありますが頻度はかなり稀です。ですが、初診時に「前のクリニックでは出してもらった。だから出してほしい」と繰り返し言われ、対応に苦労することがしばしばあります。時には"暴言"を吐いて帰る人もいます。
では、BZは日本でのみ問題なのかというと、どうもそういうわけではなさそうです。アダムのザナックスの件があってから、米国のBZの蔓延状況を調べていると論文がみつかりました。医学誌『Psychiatric Services』2018年12月号に掲載された論文「米国におけるBZ系の使用と誤用について(Benzodiazepine Use and Misuse Among Adults in the United States)」で報告されています。
論文によると、米国の年間のBZ使用者はなんと12.6%に相当する3,060万人。そのうち医師から処方されているのが2,530万人、(違法に入手した)不適切使用者が530万人です。「乱用」が認められたのが使用者全体の17.2%にも相当します。乱用者を年齢ごとにみると、最も多いのが18~25歳、最も少ないのが65歳以上です。乱用者の最も多い入手方法は「友人や親族から」でした。そして、とても重要なことは「麻薬(オピオイド)や覚醒剤の乱用・依存と、BZ系の乱用との関連性が強い」ということです。
つまり、きっかけはBZ、そしてその後覚醒剤や麻薬に移行していく可能性が強いわけです。このサイトで、「大麻はたとえそれ自体の有害性がなかったとしても覚醒剤や麻薬といったハードドラッグの入り口になるから危険」ということを繰り返し伝えてきました。どうやらBZも同じように考えた方がよさそうです。
BZが恐ろしい理由は他にもあります。お酒と併用すると(あるいはしなくても)記憶がなくなりその間に恐ろしい行動に出ることがあるのです。「朝起きたら台所で大量の食事をした形跡があったが記憶にない」というのは比較的よく聞く言葉です。「記憶がないけど上司に暴言のメールを送っていた」という人もいます。記憶がないままわが子を殺めた母親もいます(参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト「はやりの病気」第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」)。
まだあります。反対意見もあるものの最近ではBZは認知症のリスクになるという意見が強くなってきています。BZを使用していると認知症のリスクがおよそ1.5倍となり、作用時間の長いBZの使用者(ちなみにアダムの服用しているアルプラゾラムの作用時間は「中くらい」です)、長期間BZを使用している者でリスクが上昇することがわかっています(参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト「医療ニュース」(2019年2月23日)「やはりベンゾジアゼピンは認知症のリスク」)。
では、どんな人がBZに手を出しやすいのでしょうか。興味深い報告があります。医学誌『 American Journal of Public Health』2018年8月18日号に掲載された論文「仕事のストレスがベンゾジアゼピン長期使用のリスクを増やす(Work-Related Stressors and Increased Risk of Benzodiazepine Long-Term Use: Findings From the CONSTANCES Population-Based Cohort )」によれば、タイトル通り仕事のストレスを感じている人はあまり感じない人に比べて、BZ長期使用のリスクが男性で2.2倍、女性で1.6倍に上昇します。
有名人が堂々と使用している(しかも一応は"合法")と聞き、インタビューを受ける前に緊張をほぐすために気軽に飲んでいると言われれば、試したくなる人もいるかもしれません。ですが、決して安易に手を出すようなものではありません。仕事のストレスが多い人は特に注意を。
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注1:ベンゾジアゼピンの英語表記はbenzodiazepineです。私の感覚としては略すならBDにした方がいいと思うのですが、なぜか一般的にはBZとされています。
参考:
はやりの病気
第164回(2017年4月)「本当に危険なベンゾジアゼピン依存症」
このサイトでも繰り返しお伝えしているように、LGBTの人たちには音楽やビジネス、政治の世界で世界的に有名な人たちも少なくありません。2018年の1年間を振り返って、私が個人的に最も注目したLGBTの人は、平昌オリンピックのフィギュアスケートで銅メダルを獲得した米国のアダム・リッポン(以下「アダム」)です。
特にLGBTに興味がないという人も、アダムの話題は至るところで見聞きしたのではないでしょうか。しかし、2018年がスタートした時点では(少なくとも日本では)ほとんど無名だったと思います。
そのアダムが一躍有名になったのが、ペンス副大統領が平昌オリンピック開会式の米国選手団の団長となることが決まったときに放った言葉です。アダムは、副大統領が同性愛矯正治療をおこなっている施設に資金提供したことを引き合いに出して糾弾し、そして副大統領との面談を拒否したのです(参考:The story behind Olympic figure skater Adam Rippon's feud with Vice President Pence)。
このような発言をおこなったことで、プレッシャーがかかり競技に悪影響がでるのではないかと心配する声もありましたが、結果は見事団体で銅メダル。これで一躍スターとなりました。元々目立つキャラクターなのでしょう。メダル獲得後、派手な衣装を身にまとい次々とメディアに登場するアダムは正真正銘のスターと呼んでいいでしょう。2018年4月に発表された『TIME』の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。ところが、2018年11月、突然引退を表明し世界を驚かせました。
さて、そのアダムを私が注目していたのはゲイだからという理由だけではありません。実は、ペンス副大統領との"事件"が報道されている頃、たまたま読んだ記事がひっかかりました。それは「USA TODAY SPORTS」が報じた「アダム・リッポン、気持ちを落ち着かせるためにザナックスと水を求めた(Adam Rippon wanted a 'Xanax and a quick drink' to calm nerves)」というタイトルの記事です。
「ザナックス」というのはベンゾジアゼピン系(以下「BZ」)(注1)に分類される抗不安薬で、一般名は「アルプラゾラム」、日本の商品名は「ソラナックス」や「コンスタン」が有名です。BZは、日本で最も"乱用"されている薬物で、医療機関でしか処方されないということになっていますが、実際は「友達にわけてもらった」とか、なかには「ネットで買った」などという人もいます。
飲めばすぐに効くのが最大の特徴でしょう。人によって言葉は変わりますが、飲んでいる人は「飲めばすーっとする」「心のモヤモヤが一気に消える」「すぐにリラックスできる」「眠れないときに飲めばすぐに熟睡できる」などと言います。こういった言葉だけを聞くと、いい薬のように思えなくもありませんが、これだけ「すぐによく効く薬」だからこそ「依存」を生みだすのです。
「日本ほどBZが気軽に使われている国はない」、とよく言われます。実際、日本人の薬物依存は米国のような麻薬は現時点では大きな問題となっていません(しかし、今後変わる可能性がありそれを前回のコラム「本当に危険な麻薬(オピオイド)」で述べました)。
日本では過去に合法だったことから覚醒剤依存症が大きな問題であり、このサイトでも何度か紹介しています(例えば「GINAと共に」第116回(2016年2月)「「盗聴」に苦しむ覚醒剤中毒者」)。大麻については、ウルグアイに次ぎカナダで嗜好用が合法化されたこともあり、今後日本で(違法のままでも)使用者が増えるだろうということも何度も述べました(例えば「GINAと共に」第143回(2018年5月)「これからの「大麻」の話をしよう~その3~」)。
ですが、日本の薬物依存をきたす薬剤としては覚醒剤や大麻よりもBZの方がずっと多いのです。なにしろ覚醒剤・大麻と異なり、BZは一部の医療機関で"簡単に"処方されているようなのです。ちなみに、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でもBZを処方することはありますが頻度はかなり稀です。ですが、初診時に「前のクリニックでは出してもらった。だから出してほしい」と繰り返し言われ、対応に苦労することがしばしばあります。時には"暴言"を吐いて帰る人もいます。
では、BZは日本でのみ問題なのかというと、どうもそういうわけではなさそうです。アダムのザナックスの件があってから、米国のBZの蔓延状況を調べていると論文がみつかりました。医学誌『Psychiatric Services』2018年12月号に掲載された論文「米国におけるBZ系の使用と誤用について(Benzodiazepine Use and Misuse Among Adults in the United States)」で報告されています。
論文によると、米国の年間のBZ使用者はなんと12.6%に相当する3,060万人。そのうち医師から処方されているのが2,530万人、(違法に入手した)不適切使用者が530万人です。「乱用」が認められたのが使用者全体の17.2%にも相当します。乱用者を年齢ごとにみると、最も多いのが18~25歳、最も少ないのが65歳以上です。乱用者の最も多い入手方法は「友人や親族から」でした。そして、とても重要なことは「麻薬(オピオイド)や覚醒剤の乱用・依存と、BZ系の乱用との関連性が強い」ということです。
つまり、きっかけはBZ、そしてその後覚醒剤や麻薬に移行していく可能性が強いわけです。このサイトで、「大麻はたとえそれ自体の有害性がなかったとしても覚醒剤や麻薬といったハードドラッグの入り口になるから危険」ということを繰り返し伝えてきました。どうやらBZも同じように考えた方がよさそうです。
BZが恐ろしい理由は他にもあります。お酒と併用すると(あるいはしなくても)記憶がなくなりその間に恐ろしい行動に出ることがあるのです。「朝起きたら台所で大量の食事をした形跡があったが記憶にない」というのは比較的よく聞く言葉です。「記憶がないけど上司に暴言のメールを送っていた」という人もいます。記憶がないままわが子を殺めた母親もいます(参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト「はやりの病気」第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」)。
まだあります。反対意見もあるものの最近ではBZは認知症のリスクになるという意見が強くなってきています。BZを使用していると認知症のリスクがおよそ1.5倍となり、作用時間の長いBZの使用者(ちなみにアダムの服用しているアルプラゾラムの作用時間は「中くらい」です)、長期間BZを使用している者でリスクが上昇することがわかっています(参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト「医療ニュース」(2019年2月23日)「やはりベンゾジアゼピンは認知症のリスク」)。
では、どんな人がBZに手を出しやすいのでしょうか。興味深い報告があります。医学誌『 American Journal of Public Health』2018年8月18日号に掲載された論文「仕事のストレスがベンゾジアゼピン長期使用のリスクを増やす(Work-Related Stressors and Increased Risk of Benzodiazepine Long-Term Use: Findings From the CONSTANCES Population-Based Cohort )」によれば、タイトル通り仕事のストレスを感じている人はあまり感じない人に比べて、BZ長期使用のリスクが男性で2.2倍、女性で1.6倍に上昇します。
有名人が堂々と使用している(しかも一応は"合法")と聞き、インタビューを受ける前に緊張をほぐすために気軽に飲んでいると言われれば、試したくなる人もいるかもしれません。ですが、決して安易に手を出すようなものではありません。仕事のストレスが多い人は特に注意を。
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注1:ベンゾジアゼピンの英語表記はbenzodiazepineです。私の感覚としては略すならBDにした方がいいと思うのですが、なぜか一般的にはBZとされています。
参考:
はやりの病気
第164回(2017年4月)「本当に危険なベンゾジアゼピン依存症」