GINAと共に
第144回(2018年6月) 米国の梅毒増加は日本にも波及するか
1年ほど前からジャーナリストの人たちから「梅毒は中国人が持ち込んだというのは本当か」という質問をよく受けるようになりました。おそらくその理由のひとつは毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」で私が連載している「実践!感染症講義 -命を救う5分の知識」で梅毒を取り上げたことだと思います。
この連載では連続5週にわたり梅毒を解説しました。そのなかで私が主張したことのひとつは「統計上は梅毒が増えていることになっているが、実際は増えているわけではなく昔から多かった」ということです。そのコラムでも述べたように、例えば2007年にHIV新規発覚が約1,500例なのに対し、梅毒はわずか750例です。キスやささいなスキンシップでも感染する梅毒がHIVの半分なんてこと、あるはずがないわけです。HIVだけでなく、クラミジアや性器ヘルペスといった性感染症の届出が10年以上ずっと横ばいなのに対し、梅毒だけが数字の上で急上昇しているのですから、これにはトリックがあると考えなければなりません。
しかし、世間ではそうは解釈されておらず、梅毒が上昇している「原因」があるに違いないと考え、なかにはそれを自分の都合のいいように"利用"する人もいるようです。あるジャーナリストに教えてもらった情報によると、東京都のある右派の区議会議員が、訪日中国人が梅毒を日本に持ち込んでいると主張しているとか。そのジャーナリストは「その区議会議員の考えをどう思うか」、と私に取材に来たわけです。もちろん、「訪日中国人のせいで梅毒が増えているわけではない」というのが私の回答です。
訪日外国人が増加しているのは事実で、たしかに中国人の比率が最も多いわけですが、例えばタイから日本を訪れる人たちも過去数年で急増しています。そして、私が本格的にタイでHIVに関連する活動をしていた2000年前半にも、タイでは梅毒はよくある感染症でした。HIVとは感染者数も感染力もレベルがまったく違います。そして、今でもタイで梅毒に感染している人は外国人も含めて大勢います。タイ人が日本を訪れる人数が年々増えているわけですから、この区議会議員の考えに従うとするなら、タイ人も批判されないと辻褄が合わないわけです。
そもそも少し科学的に考えると、①梅毒罹患者のグラフが右肩上がり、②訪日中国人の数も右肩上がり、③よって中国人が梅毒を持ち込んでいる、と単純に考えるのはナンセンス極まりない話で、これが区議会議員の発言というのが信じられません。
それならば、例えば、①景気がよくなり求人が増え就職率が上昇し賃金も増えた、②そして若者に恋愛する余裕がでてきた、③その結果、梅毒の罹患者が増えた、とする方がまだ説得力があるのではないでしょうか。ただし、区議会議員の説も、私が今述べた「好景気原因説」も、なぜ他の性感染症の感染者数が増えていないのか、という点を説明できません。
さて、これから国内での梅毒の感染者数は増えていくのでしょうか。そして、他の性感染症はどうなのでしょうか。私は梅毒も含めて、国内での性感染症は増加していく可能性があるとみています。その理由を述べます。
米国では梅毒を含む性感染症が急激に増えています。カリフォルニア当局の発表によると、カリフォルニア州では、2013年に報告された先天性梅毒(死産含む)が58例、その後一貫して上昇傾向にあり、2017年には278例にもなっています。まるで、日本の梅毒「の報告」と同じようなグラフです。
注目すべきは他の性感染症です。人口10万人あたりの同州での淋病罹患者数は2013年が99.9なのに対し2017年は190.5と1.9倍上昇しています。同様に、クラミジアの人口10万人あたりの罹患者数は2013年が437.5、2017年が552.1と1.26倍に増加しています。
ここでもう一度日本の梅毒が「増加している本当の理由」について考えてみましょう。先述の毎日新聞のコラムにも書いたように、私は日本の梅毒が急増している主な理由として次のことを考えています。
・単に医師が届けていなかっただけ
・梅毒と診断されず抗菌薬が処方され結果として治っていたケースが多い
・診断がつく前に自然治癒していた
私は米国の医療事情にさほど詳しいわけではなく、しっかりとした根拠があるわけではありませんが、これまでの米国の医師との会話から受ける印象として、感染症に関しては米国の医師の方が日本の医師よりも診断能力が高く、また届け出義務を遵守していると感じています。その米国で、クラミジアや淋病と同じように梅毒が増加してきているわけです。
文化や社会現象と同じように、米国で流行しているものはいずれ日本で流行る可能性があります。梅毒のほとんどは性感染です。米国人と日本人が恋愛関係になることももちろんありますから、やがて梅毒を含む性感染症が日本でも増加することになる可能性はあると思います。
そして性感染症が増えているのは米国だけではありません。ある論文によると、中国でも梅毒は増えています。米国人と同様、日本人が中国人と恋に落ちることもあるでしょう。ならば、先述した区議会議員の言うように、訪日中国人が増えているから梅毒も増えるのでは?と感じる人がいるかもしれませんが、そうではありません。なぜなら、日本人が米国や中国に渡航して、そこで関係をもった米国人や中国人から感染することが少なくないからです。実際、私が院長を務める太融寺町谷口医院ではこのパターンで梅毒に感染している人がたくさんいます。先述したようにタイでの感染はよくありますし、韓国、台湾、べトナム...、と特にアジア各地で感染して帰国している人は少なくありません。
もちろん、日本にやってきた外国人が日本人に梅毒を感染させることもあるでしょう。また、イヤな病気は外国から伝わってきたと思いたいという気持ちが生じることは歴史がすでに証明しています。米国の原住民からコロンブスが欧州に持ち込んだと考えられている梅毒は当時、ポルトガルではカスチリア病(カスチリアはスペインの一部)、イタリアではスペイン病、フランスではナポリ病、イギリスではフランス病、ロシアではポーランド病、琉球では南蛮病、日本では琉球病などと呼ばれていたと言われています。
重要なのは「誰と恋に落ちようが梅毒を含む性感染症のリスクはあること」を理解することです。そして、HIVはコンドームで防げ、B型肝炎ウイルスはワクチンで防ぐことができますが、「梅毒にはワクチンが存在せず、コンドームで完全に防ぐことはできないこと」をしっかりと認識しなければなりません。
梅毒は治るとはいえ治療に時間がかかることがありますから、やはり感染しないのが最善です。ではどうすればいいか。毎日新聞「医療プレミア」でも述べたように、「新しいパートナーができれば、体が触れ合うあらゆる機会の前に2人で検査を受ける」ことを実践することです。これができないなら、「感染すれば割り切って治す」と考えるしかありません。
この連載では連続5週にわたり梅毒を解説しました。そのなかで私が主張したことのひとつは「統計上は梅毒が増えていることになっているが、実際は増えているわけではなく昔から多かった」ということです。そのコラムでも述べたように、例えば2007年にHIV新規発覚が約1,500例なのに対し、梅毒はわずか750例です。キスやささいなスキンシップでも感染する梅毒がHIVの半分なんてこと、あるはずがないわけです。HIVだけでなく、クラミジアや性器ヘルペスといった性感染症の届出が10年以上ずっと横ばいなのに対し、梅毒だけが数字の上で急上昇しているのですから、これにはトリックがあると考えなければなりません。
しかし、世間ではそうは解釈されておらず、梅毒が上昇している「原因」があるに違いないと考え、なかにはそれを自分の都合のいいように"利用"する人もいるようです。あるジャーナリストに教えてもらった情報によると、東京都のある右派の区議会議員が、訪日中国人が梅毒を日本に持ち込んでいると主張しているとか。そのジャーナリストは「その区議会議員の考えをどう思うか」、と私に取材に来たわけです。もちろん、「訪日中国人のせいで梅毒が増えているわけではない」というのが私の回答です。
訪日外国人が増加しているのは事実で、たしかに中国人の比率が最も多いわけですが、例えばタイから日本を訪れる人たちも過去数年で急増しています。そして、私が本格的にタイでHIVに関連する活動をしていた2000年前半にも、タイでは梅毒はよくある感染症でした。HIVとは感染者数も感染力もレベルがまったく違います。そして、今でもタイで梅毒に感染している人は外国人も含めて大勢います。タイ人が日本を訪れる人数が年々増えているわけですから、この区議会議員の考えに従うとするなら、タイ人も批判されないと辻褄が合わないわけです。
そもそも少し科学的に考えると、①梅毒罹患者のグラフが右肩上がり、②訪日中国人の数も右肩上がり、③よって中国人が梅毒を持ち込んでいる、と単純に考えるのはナンセンス極まりない話で、これが区議会議員の発言というのが信じられません。
それならば、例えば、①景気がよくなり求人が増え就職率が上昇し賃金も増えた、②そして若者に恋愛する余裕がでてきた、③その結果、梅毒の罹患者が増えた、とする方がまだ説得力があるのではないでしょうか。ただし、区議会議員の説も、私が今述べた「好景気原因説」も、なぜ他の性感染症の感染者数が増えていないのか、という点を説明できません。
さて、これから国内での梅毒の感染者数は増えていくのでしょうか。そして、他の性感染症はどうなのでしょうか。私は梅毒も含めて、国内での性感染症は増加していく可能性があるとみています。その理由を述べます。
米国では梅毒を含む性感染症が急激に増えています。カリフォルニア当局の発表によると、カリフォルニア州では、2013年に報告された先天性梅毒(死産含む)が58例、その後一貫して上昇傾向にあり、2017年には278例にもなっています。まるで、日本の梅毒「の報告」と同じようなグラフです。
注目すべきは他の性感染症です。人口10万人あたりの同州での淋病罹患者数は2013年が99.9なのに対し2017年は190.5と1.9倍上昇しています。同様に、クラミジアの人口10万人あたりの罹患者数は2013年が437.5、2017年が552.1と1.26倍に増加しています。
ここでもう一度日本の梅毒が「増加している本当の理由」について考えてみましょう。先述の毎日新聞のコラムにも書いたように、私は日本の梅毒が急増している主な理由として次のことを考えています。
・単に医師が届けていなかっただけ
・梅毒と診断されず抗菌薬が処方され結果として治っていたケースが多い
・診断がつく前に自然治癒していた
私は米国の医療事情にさほど詳しいわけではなく、しっかりとした根拠があるわけではありませんが、これまでの米国の医師との会話から受ける印象として、感染症に関しては米国の医師の方が日本の医師よりも診断能力が高く、また届け出義務を遵守していると感じています。その米国で、クラミジアや淋病と同じように梅毒が増加してきているわけです。
文化や社会現象と同じように、米国で流行しているものはいずれ日本で流行る可能性があります。梅毒のほとんどは性感染です。米国人と日本人が恋愛関係になることももちろんありますから、やがて梅毒を含む性感染症が日本でも増加することになる可能性はあると思います。
そして性感染症が増えているのは米国だけではありません。ある論文によると、中国でも梅毒は増えています。米国人と同様、日本人が中国人と恋に落ちることもあるでしょう。ならば、先述した区議会議員の言うように、訪日中国人が増えているから梅毒も増えるのでは?と感じる人がいるかもしれませんが、そうではありません。なぜなら、日本人が米国や中国に渡航して、そこで関係をもった米国人や中国人から感染することが少なくないからです。実際、私が院長を務める太融寺町谷口医院ではこのパターンで梅毒に感染している人がたくさんいます。先述したようにタイでの感染はよくありますし、韓国、台湾、べトナム...、と特にアジア各地で感染して帰国している人は少なくありません。
もちろん、日本にやってきた外国人が日本人に梅毒を感染させることもあるでしょう。また、イヤな病気は外国から伝わってきたと思いたいという気持ちが生じることは歴史がすでに証明しています。米国の原住民からコロンブスが欧州に持ち込んだと考えられている梅毒は当時、ポルトガルではカスチリア病(カスチリアはスペインの一部)、イタリアではスペイン病、フランスではナポリ病、イギリスではフランス病、ロシアではポーランド病、琉球では南蛮病、日本では琉球病などと呼ばれていたと言われています。
重要なのは「誰と恋に落ちようが梅毒を含む性感染症のリスクはあること」を理解することです。そして、HIVはコンドームで防げ、B型肝炎ウイルスはワクチンで防ぐことができますが、「梅毒にはワクチンが存在せず、コンドームで完全に防ぐことはできないこと」をしっかりと認識しなければなりません。
梅毒は治るとはいえ治療に時間がかかることがありますから、やはり感染しないのが最善です。ではどうすればいいか。毎日新聞「医療プレミア」でも述べたように、「新しいパートナーができれば、体が触れ合うあらゆる機会の前に2人で検査を受ける」ことを実践することです。これができないなら、「感染すれば割り切って治す」と考えるしかありません。