GINAと共に

第142回(2018年4月) 忘れられないおぞましい光景

 私がタイのエイズ事情に本格的に関わっていた2004年、複数のエイズ施設や病院のみならず、様々な関係者の"つて"をたどって、違法薬物のユーザーや売買春に詳しい人たちから積極的に話を聞いていました。違法薬物についても、ちょっとここには書けないような想像を絶する話もあるのですが、私がこうした「闇の世界」でみたシーンのなかで忘れたくても忘れられない光景は「売春」のものです。

 その光景を私が目にしたのはほんの1秒程度です。正確に言えば、直視ができずに瞬間的に目をそらしてしまいました。

 こみ上げてくる吐き気をこらえながら、案内してくれた日本人男性のK氏に何も言わず、私は上がったばかりの階段をそのまま降り、1階で何かわめいていた中年のタイ人女性も無視して外に出ました。後から出てきたK氏に「すみません」と詫びましたが、私にはそう言うのが精一杯でした......。

 2004年8月下旬のある日、私はチェンマイの安食堂で、知人から紹介してもらったK氏からタイの売買春事情について話を聞いていました。K氏は当時40代半ばの日本人。タイで何をやっているのかは最後までよく分からずK氏という名前も本名かどうか定かではありません。30代半ばに日本を離れ、世界を転々としているそうです。高校時代までは甲子園を目指す野球少年だったと話していましたが、その後何をしていたかについてはあまり語ろうとしません。おそらく話したくない理由があるのでしょう。

 その当時、タイのエイズ事情を調べているなかで私が混乱していたのは、「タイでは買春でHIVに感染する外国人が日本人も含めて非常に多い。しかし、日本を含む先進国の人間は、コンドームでHIV感染が防げることは知っている。にもかかわらず感染者が後をたたないのはなぜか」、ということでした。私はK氏と出会う前に、すでに複数のヨーロッパ人と日本人へのインタビューを終えていて、初めはセックスワーカーと顧客の関係であってもそのうちに本物の恋愛、そして結婚に至ることもあるという話を繰り返し聞いていました。

 しかしK氏は「そんな美談ばかりじゃない」と言います。そして、「明日、面白いところに連れて行ってあげよう」と言われ、私はどこに行くのかよく知らされないまま、翌日の昼過ぎ、待ち合わせ場所に指定されたチェンマイのバスターミナルを訪れました。K氏と共にバスで向かったのはチェンマイからバスで3時間ほどのある小さな町です。バスで山を越え、二人で安いゲストハウスに投宿し、軽い夕食を摂った後、向かったのは路地裏にある一見ただの"民家"です。

 しかし、入口に立った瞬間、そこが普通の民家とはまるで雰囲気が違うのが分かります。ドアをあけると殺風景な土間にテーブルとイスが何個か置いてあり、国籍もよく分からない怪しげな中年男性二人がビールを飲んでいます。その奥には50代と思われる少し太ったタイ人の女性がいます。

 K氏は早口のタイ語でその女性に話しかけ、私はK氏の後について2階に上がることになりました。階段を上った先にあったものは「牢屋」でした。私はそれまで牢屋というものをテレビや映画でしか見たことがありませんでしたが、その怪しげな家屋で見たものは鉄の縦の棒が10cm間隔くらいに取り付けられ、頑丈そうな大きな鍵がかけられている紛れもない牢屋です。

 そしてその牢屋の中に閉じ込められていたのは、年齢でいえば8~10歳くらいの少女たちです。K氏と私がその牢屋の前に立つと、少女たちはそれまでしていたままごとなどをやめて静かになり、我々の方を見つめます。"微笑み"はあるのですが、けなげなかわいい笑顔ではなく、どこか媚をうったような"女の笑み"です。私はその光景に耐えられず、K氏に無言で階段を下り、外に飛び出しました...。

 この光景は今もはっきりと脳裏に蘇ります。忘れようとしても忘れられないのです。その4年後、私は日本の映画館でフラッシュバックを起こしたような感覚に襲われました。梁石日氏原作で、阪本順治氏が監督の映画『闇の子供たち』です。映画では、たしか少女ではなく少年だったと思うのですが、似たようなシーンが出てきたのです。私は梁石日氏の原作も読みましたが、この牢屋のシーンは記憶にありません。私の推測ですが、監督の阪本氏が現地を調査するなかで、私が見たのと同じような売春をさせられる子供が閉じ込められた牢屋を目撃したのではないでしょうか。

 2004年のその日に話を戻します。その数日前まで私はタイのあるエイズ施設でボランティアをしていました。そして、収容されている患者さんのなかには何人かの少女たちもいました。私は、てっきり母子感染でHIVに感染したのだろうと思っていました。しかし、先ほどの「光景」と合わせて考えると、あの少女たちも、性感染、というよりも性的虐待で感染させられたのかもしれません。

 こんなことが許されていいのか。おぞましい光景をみてしばらくすると、私の感情はショックから怒りに変わりました。現実をもっと知らねばならない...。そう考えた私は、その日の夜、K氏から「タイの闇買春事情」について講義を受けることになりました。

 K氏によると、私が懸念したような少女たちが売春でHIVに感染させられる事例はそう珍しくないようです。そして、数日前まで私が施設でみていたような少女たちは「母子感染だろう」とK氏は言います。他方、牢屋に監禁されて体を弄ばれているような少女たちは客からHIVをうつされ、体調がおかしくなると施設には連れて行ってもらえず、そのうちに"闇"に葬られるというのです。そういえば、映画『闇の子供たち』では、エイズを発症した少女がゴミ袋に入れられて捨てられるシーンがあります。つまり、性感染でHIVをうつされる少女たちは始めから治療を受けることができないのです。

 今なら、HIVに対する偏見も大きく軽減されていますし、何よりも治療できるようになりましたから、このようなことはほぼありえません。ですが、2004年当時といえばタイではようやく抗HIV薬が普及し始めた頃で、ほとんどの病院はエイズ患者を門前払いしていました。ですから、K氏の推察はおそらく正しいだろうと感じました。

 K氏の話でもうひとつ驚かされたことがあります。なんと、さっきの「牢屋」で少女たちを買っているのはほとんどが日本人だというのです。もっとも、小児愛者(ペドファイル)は他国にもいるはずです。実際90年代に少女買春で有名になったカンボジアのスワイパー村では、世界中のNGOなどが介入し、買春をしていた大勢の大人たちが逮捕されました。彼らの多くは西洋人だったはずです。尚、「小児愛」は英語でpedophiliaと言い、カタカナにすると「ペドフィリア」が一番近いともいますが、「小児愛者」は英語で
pedophileで、これをカタカナにすると「ペドファイル(もしくはピドファイル)」が近いと思います。

 K氏によればスワイパー村の「壊滅」以降、小児愛者(ペドファイル)たちの"桃源郷"はなくなったものの、彼(女)らの「欲求」がおさまるわけではなく、アジア各地にそういった少女(少年)買春ができるところはあるそうです。たまたま、さきほど見た「牢屋」は日本人男性がよく訪れるスポットだというわけです。

 結局、K氏の「正体」は最後まで分かりませんでしたが、日本人からの"要望"に応えて「スポット」を紹介することでいくらかの報酬を得ているのかもしれません。だとすると、K氏も買春する日本人と「同じ穴のムジナ」ということになります。私は目の前のK氏を糾弾すべきなのでしょうか。

 私にはそのような気持ちになれませんでした。私が正義を振りかざしたところで何も解決しないからです。K氏に正論を説き、先ほどの「牢屋」に戻り、少女たちを解放するだけのお金をあの中年タイ人女性に渡して、私が少女たちのこれからの面倒をみればいいのでしょうか。そもそもそんなお金はありませんし、あったとしてもそれが私のとるべき行動とも思えません。

 あれから14年がたちました。タイも大きく変わりましたから、もはやあのようなおぞましい光景はなくなっているでしょう。ですが、あの日私が見た光景は脳裏から消えず、おそらく生涯苦しめられることになります...。

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参考:GINAと共に第27回(2008年9月)「幼児買春と臓器移植」