GINAと共に
第141回(2018年3月) 美しき同性愛~その2~
今から12年前の2006年、私はこの「GINAと共に」の第3回で「美しき同性愛」と題したコラムを公開しました。チャイコフスキーをはじめとする優れた芸術家に同性愛者が多いことを紹介し、同性愛者というだけで社会から差別や偏見を受けるのはおかしい、ということを主張しました。
その後12年の月日が流れ時代は変わりました。オバマ前大統領は2012年11月7日、再選時のスピーチで、誰にでもチャンスがあるという文脈のなかで、「ゲイでもストレートでも...」と発言しました。自身がLGBTであることをカムアウトする政治家や企業家が次々と現れました。ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相は男性パートナーと結婚、アップル社のCEO(最高経営責任者)であるティム・クック氏は自らがゲイであることを公表しました。
米国連邦最高裁は2015年6月、「全米のすべての州で同性婚を合法化する」と明言し、事実上米国では同性婚が認められたことになります。世界中の先進国の多くが、同性婚もしくはPACS(詳しくは「GINAと共に」第71回「オバマの同性婚支持とオランドのPACS」参照)を認めるなか、アジアは遅れていましたが、台湾では事実上ほぼ同性婚が合法化されました。
日本も動きました。2015年度から東京都渋谷区が「パートナーシップ証明書」を発行し、同性のパートナーが保証人になれないなどの不利益を被らないような措置がとられるようになりました。その後、世田谷区、伊賀市、宝塚市、那覇市、札幌市、福岡市と続き、なんと大阪市までもがこの制度の導入を検討していることが報道されました。(大阪は革新的な街のように言われることがありますが、30年以上住んでいる私の"実感"としては保守的で排他的な部分も多く、大阪でパートナーシップ制度が導入されるとは思っていませんでした)
先日、自らのセクシャリティをカムアウトしLGBTのための社会活動をおこなっている人と話す機会があり、最近の動向を聞いてみると、やはり一部では「LGBTブーム」とも呼べる現象が起こっているとのことです。ですが、一方では、まだまだ根強い偏見があり、日々傷ついているLGBTも多くいます。
一方「傷つけている側」も意図的に差別的な言動をしているわけではなく、どのように接していいかわからない、と感じている人が多いと聞きます。今まで周りにLGBTの人たちがいなかったからどうしていいか分からない、というコメントはおそらくホンネでしょう。実際には周囲にLGBTの人たちがいなかったのではなく、その人が気づかなかっただけなのですが...。
今回のコラムは、12年ぶりに世界の有名人、特にミュージシャンにLGBTが多いという事実を振り返り、同性愛を身近なものに考えてもらうことを目的としています。ただし、音楽には私の個人的偏りがあることをあらかじめ断っておきます。
あのアーティストも?、えっ、彼らも?!、と、こんなにもLGBTのアーティストが多いということを私が知ったのは90年代前半からです。80年代後半からディスコやクラブに入りびたり、一時はDJを目指すことも考えたことのある私は、当時必死でレコードを集めていました。そのなかで、「〇〇はゲイ、△△はレズビアン」という話をよく耳にするようになったのです。
私が知る限り、最も古いゲイのメンバーからなるユニットは「ヴィレッジピープル(Village People)」です。この名前でピンとこないという人も、西城秀樹さんがカバーした「ヤングマン(YMCA)」を知っている人は多いでしょう。その原曲「YMCA」がヴィレッジピープルのものです。80年代のディスコに通っていた人は、YMCA以外に、「Go West」「In The Navy」「Can't Stop The Music」「Macho Man」あたりを聞けばなつかしくなるはずです。「In The Navy」は日本のピンクレディがカバーしました。「Go West」は、やはりゲイであることをカムアウトした「ペットショップボーイズ(Pet Shop Boys)」がカバーしています。Go Westは、保守的で同性愛に寛容でない米国東部からリベラルな西海岸を目指せ、という意味があると言われています。
80年代にマハラジャに入り浸っていた人は、ブロンスキー・ビート(Bronski Beat)の「Hit That Perfect Beat」を懐かしく感じるはずです。サビの部分が「ビンボー、ビンボー、イタカジビンボー」と聞こえるあの曲です。彼は早くから自身がゲイであることを公表していました。
ディスコサウンドで言えば、当時ハイエナジーと呼ばれていたジャンルにシルヴェスター(Sylvester)の「Do you wanna funk」という有名な曲があります。シルヴェスターも早くからゲイであることを公表し、1988年にエイズで他界しました。
ディスコ/クラブサウンド以外のいわゆる「ポップス」と呼ばれるジャンルのアーティストにも80年代からゲイは少なくありません。カルチャークラブのボーイ・ジョージ(Boy George)は有名ですし、カジャグーグーのヴォーカリスト、リマール(Limahl)もゲイであることを公表しました。2016年に自宅で他界したワムのジョージ・マイケル(George Michael)もゲイであることを公表していました。ワムの代表曲のひとつ「Last Christmas」はこれからも全世界のクリスマスで流されるでしょう。そして、ジョージ・マイケルが他界したのはクリスマスの日です。
私にはあまり馴染みのないジャンルでよく知っているわけではないのですが、45歳という若さで1991年にエイズで他界したフレディ・マーキュリー、グラミー賞を受賞し俳優としても有名で2016年に亡くなったデヴィッド・ボウイ、UKの国民的スターともいえるエルトン・ジョン、現在世界の誰もが知る2015年にグラミー賞4部門を受賞しアルバムの売り上げでギネスブックにも載ったサム・スミスらがゲイであることは有名です。
話をディスコ/クラブシーンに戻します。80年代のディスコシーンを語るとき、デッド・オア・アライブは外せません。代表曲を5つ挙げるとすれば、「Brand New Lover」「Something in My House」「You Spin Me Round」「My Heart Goes Bang」「Turn Around And Count 2 Ten」あたりでしょうか。今も、これらのサウンドのイントロが流れただけで、当時のミラーボールや「お立ち台」を思い出すという人は少なくないはずです。私は那覇のディスコ「スクランブル」とコザ(沖縄市)の「ピラミッド」が蘇ります。ヴォーカルのピート・バーンズ(Pete Burns)は、当時から美しいファッションとメイクアップに身をまとった美しい男性でした。女性との噂が絶えず、また実際に女性と結婚しましたからゲイではないと思われていましたが、その後離婚し、男性パートナーとの同居を始めました。しかし、全盛期のような華やかな暮らしに戻ることはなく、最期には金銭的にも困窮し、2016年に自宅で他界しました。
ペットショップボーイズのニール・テナント(Neil Tennant)がゲイであることをカムアウトしたのは90年代半ばです。私はこのニュースを聞いたときに、次々と懐かしいダンスフロアのシーンが蘇ってきました。「Suburbia」は那覇の「コナ・ガーデン」、「Always on My Mind」は大阪ミナミのダイヤモンドビルのマハラジャ、「It's a Sin」はヨーロッパ通りの「マハラジャ・ウエスト」...、といった感じです。「Go West」が流行ったのは私が医学部の受験勉強をしていた頃で、クラブシーンではなく勉強ばかりの日々を思い出します。
ペットショップボーイズの「New York City Boy」が流行った99年は、医学部の学生時代でクラブに行く時間はありませんでしたが、レコードを買い自宅で他のハウスサウンドとミックスして楽しんでいました。そういえば、「New York City Boy」のRemixを手掛けた一人がデビッド・モラレス(David Morales)。彼もカムアウトはしていないもののゲイという噂があります。この頃のハウスサウンドで、私がよくレコードをつないでいた(といっても自宅で、ですが)アーティスト(Remixer)にフランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)がいます。彼もまたゲイで2014年に他界しました。2000年前後の当時、私はハウスサウンドに馴染みがないという友人たちに、自分でミックスしたオリジナルMDを聞かせていました。自分の好きな音楽の"押し売り"はやめるべきですが、当時のハウスサウンドの重低音に美しいピアノの旋律が重なるあの"興奮"を多くの人に体験してもらいたかったのです。
当時のハウスサウンドが好きでたまらないという人は、ニューヨークやシカゴのクラブを「聖地」のように言います。残念ながら私は訪れたことがありませんが、実際にそういった経験のある人達から聞いたのは「有名なクラブに集まるのはほとんどゲイ、レズビアン(か黒人)でストレートはわずかしかいない」ということです。ロンドン好きの人たちからも同じことを聞きましたし、12年前のコラムで述べたように、すごく洒落たロンドンのカフェに入ったとき、ほぼ全員がゲイであったことに驚いた経験が私にもあります。
私は今も数百枚のダンスミュージック関連のアナログレコードを保有しています。そして、それらの半数以上はLGBTの人たちに手掛けられたものかもしれません。こんな私がLGBTを悪くいう意見に反発したくなるのは当然ですが、今回のコラムで取り上げたミュージシャンに思い出があるという人もLGBTをよりフレンドリーに感じてもらえれば書き手の私としてはとても嬉しく思います。
その後12年の月日が流れ時代は変わりました。オバマ前大統領は2012年11月7日、再選時のスピーチで、誰にでもチャンスがあるという文脈のなかで、「ゲイでもストレートでも...」と発言しました。自身がLGBTであることをカムアウトする政治家や企業家が次々と現れました。ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相は男性パートナーと結婚、アップル社のCEO(最高経営責任者)であるティム・クック氏は自らがゲイであることを公表しました。
米国連邦最高裁は2015年6月、「全米のすべての州で同性婚を合法化する」と明言し、事実上米国では同性婚が認められたことになります。世界中の先進国の多くが、同性婚もしくはPACS(詳しくは「GINAと共に」第71回「オバマの同性婚支持とオランドのPACS」参照)を認めるなか、アジアは遅れていましたが、台湾では事実上ほぼ同性婚が合法化されました。
日本も動きました。2015年度から東京都渋谷区が「パートナーシップ証明書」を発行し、同性のパートナーが保証人になれないなどの不利益を被らないような措置がとられるようになりました。その後、世田谷区、伊賀市、宝塚市、那覇市、札幌市、福岡市と続き、なんと大阪市までもがこの制度の導入を検討していることが報道されました。(大阪は革新的な街のように言われることがありますが、30年以上住んでいる私の"実感"としては保守的で排他的な部分も多く、大阪でパートナーシップ制度が導入されるとは思っていませんでした)
先日、自らのセクシャリティをカムアウトしLGBTのための社会活動をおこなっている人と話す機会があり、最近の動向を聞いてみると、やはり一部では「LGBTブーム」とも呼べる現象が起こっているとのことです。ですが、一方では、まだまだ根強い偏見があり、日々傷ついているLGBTも多くいます。
一方「傷つけている側」も意図的に差別的な言動をしているわけではなく、どのように接していいかわからない、と感じている人が多いと聞きます。今まで周りにLGBTの人たちがいなかったからどうしていいか分からない、というコメントはおそらくホンネでしょう。実際には周囲にLGBTの人たちがいなかったのではなく、その人が気づかなかっただけなのですが...。
今回のコラムは、12年ぶりに世界の有名人、特にミュージシャンにLGBTが多いという事実を振り返り、同性愛を身近なものに考えてもらうことを目的としています。ただし、音楽には私の個人的偏りがあることをあらかじめ断っておきます。
あのアーティストも?、えっ、彼らも?!、と、こんなにもLGBTのアーティストが多いということを私が知ったのは90年代前半からです。80年代後半からディスコやクラブに入りびたり、一時はDJを目指すことも考えたことのある私は、当時必死でレコードを集めていました。そのなかで、「〇〇はゲイ、△△はレズビアン」という話をよく耳にするようになったのです。
私が知る限り、最も古いゲイのメンバーからなるユニットは「ヴィレッジピープル(Village People)」です。この名前でピンとこないという人も、西城秀樹さんがカバーした「ヤングマン(YMCA)」を知っている人は多いでしょう。その原曲「YMCA」がヴィレッジピープルのものです。80年代のディスコに通っていた人は、YMCA以外に、「Go West」「In The Navy」「Can't Stop The Music」「Macho Man」あたりを聞けばなつかしくなるはずです。「In The Navy」は日本のピンクレディがカバーしました。「Go West」は、やはりゲイであることをカムアウトした「ペットショップボーイズ(Pet Shop Boys)」がカバーしています。Go Westは、保守的で同性愛に寛容でない米国東部からリベラルな西海岸を目指せ、という意味があると言われています。
80年代にマハラジャに入り浸っていた人は、ブロンスキー・ビート(Bronski Beat)の「Hit That Perfect Beat」を懐かしく感じるはずです。サビの部分が「ビンボー、ビンボー、イタカジビンボー」と聞こえるあの曲です。彼は早くから自身がゲイであることを公表していました。
ディスコサウンドで言えば、当時ハイエナジーと呼ばれていたジャンルにシルヴェスター(Sylvester)の「Do you wanna funk」という有名な曲があります。シルヴェスターも早くからゲイであることを公表し、1988年にエイズで他界しました。
ディスコ/クラブサウンド以外のいわゆる「ポップス」と呼ばれるジャンルのアーティストにも80年代からゲイは少なくありません。カルチャークラブのボーイ・ジョージ(Boy George)は有名ですし、カジャグーグーのヴォーカリスト、リマール(Limahl)もゲイであることを公表しました。2016年に自宅で他界したワムのジョージ・マイケル(George Michael)もゲイであることを公表していました。ワムの代表曲のひとつ「Last Christmas」はこれからも全世界のクリスマスで流されるでしょう。そして、ジョージ・マイケルが他界したのはクリスマスの日です。
私にはあまり馴染みのないジャンルでよく知っているわけではないのですが、45歳という若さで1991年にエイズで他界したフレディ・マーキュリー、グラミー賞を受賞し俳優としても有名で2016年に亡くなったデヴィッド・ボウイ、UKの国民的スターともいえるエルトン・ジョン、現在世界の誰もが知る2015年にグラミー賞4部門を受賞しアルバムの売り上げでギネスブックにも載ったサム・スミスらがゲイであることは有名です。
話をディスコ/クラブシーンに戻します。80年代のディスコシーンを語るとき、デッド・オア・アライブは外せません。代表曲を5つ挙げるとすれば、「Brand New Lover」「Something in My House」「You Spin Me Round」「My Heart Goes Bang」「Turn Around And Count 2 Ten」あたりでしょうか。今も、これらのサウンドのイントロが流れただけで、当時のミラーボールや「お立ち台」を思い出すという人は少なくないはずです。私は那覇のディスコ「スクランブル」とコザ(沖縄市)の「ピラミッド」が蘇ります。ヴォーカルのピート・バーンズ(Pete Burns)は、当時から美しいファッションとメイクアップに身をまとった美しい男性でした。女性との噂が絶えず、また実際に女性と結婚しましたからゲイではないと思われていましたが、その後離婚し、男性パートナーとの同居を始めました。しかし、全盛期のような華やかな暮らしに戻ることはなく、最期には金銭的にも困窮し、2016年に自宅で他界しました。
ペットショップボーイズのニール・テナント(Neil Tennant)がゲイであることをカムアウトしたのは90年代半ばです。私はこのニュースを聞いたときに、次々と懐かしいダンスフロアのシーンが蘇ってきました。「Suburbia」は那覇の「コナ・ガーデン」、「Always on My Mind」は大阪ミナミのダイヤモンドビルのマハラジャ、「It's a Sin」はヨーロッパ通りの「マハラジャ・ウエスト」...、といった感じです。「Go West」が流行ったのは私が医学部の受験勉強をしていた頃で、クラブシーンではなく勉強ばかりの日々を思い出します。
ペットショップボーイズの「New York City Boy」が流行った99年は、医学部の学生時代でクラブに行く時間はありませんでしたが、レコードを買い自宅で他のハウスサウンドとミックスして楽しんでいました。そういえば、「New York City Boy」のRemixを手掛けた一人がデビッド・モラレス(David Morales)。彼もカムアウトはしていないもののゲイという噂があります。この頃のハウスサウンドで、私がよくレコードをつないでいた(といっても自宅で、ですが)アーティスト(Remixer)にフランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)がいます。彼もまたゲイで2014年に他界しました。2000年前後の当時、私はハウスサウンドに馴染みがないという友人たちに、自分でミックスしたオリジナルMDを聞かせていました。自分の好きな音楽の"押し売り"はやめるべきですが、当時のハウスサウンドの重低音に美しいピアノの旋律が重なるあの"興奮"を多くの人に体験してもらいたかったのです。
当時のハウスサウンドが好きでたまらないという人は、ニューヨークやシカゴのクラブを「聖地」のように言います。残念ながら私は訪れたことがありませんが、実際にそういった経験のある人達から聞いたのは「有名なクラブに集まるのはほとんどゲイ、レズビアン(か黒人)でストレートはわずかしかいない」ということです。ロンドン好きの人たちからも同じことを聞きましたし、12年前のコラムで述べたように、すごく洒落たロンドンのカフェに入ったとき、ほぼ全員がゲイであったことに驚いた経験が私にもあります。
私は今も数百枚のダンスミュージック関連のアナログレコードを保有しています。そして、それらの半数以上はLGBTの人たちに手掛けられたものかもしれません。こんな私がLGBTを悪くいう意見に反発したくなるのは当然ですが、今回のコラムで取り上げたミュージシャンに思い出があるという人もLGBTをよりフレンドリーに感じてもらえれば書き手の私としてはとても嬉しく思います。