GINAと共に

第132回(2017年6月) ボランティアでの感染症のリスク~前編~

 ボランティアというものにはどこか「非日常的」な趣があり、それが海外でのボランティアとなると、非日常性は一層増します。周囲の者が「大変だね」「気を付けてね」「そんなことできるなんて偉いね」など、気遣いの言葉をかけてくれますが、当事者自身は大変どころか、これから始まる「非日常」にワクワクしている、ということがよくあります。

 ですから、一部の皮肉屋が言う「ボランティアなんてしょせん自己満足」というのは、あながち外れておらず、もしもあなたがボランティアを考えていて誰かにこのような皮肉を言われれば「そう、自己満足。で、何が悪いの?」と返せばいいのです。

 海外で医療ボランティアをしている自分をイメージするとき、見知らぬ土地や言葉に戸惑いながらも一生懸命患者さんに貢献する姿を思い浮かべることになり、人によっては悦に入ることもあるでしょう。ですが、実際にはもちろん「厳しさ」があります。前回は、ボランティアの地にたどり着くだけでも大変だ、ということを述べました。今回は感染症の話です。

 前回は、タイ最大のエイズホスピス「パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)」を訪れるときに使う交通手段として「ロット・トゥー」「モータサイ」を紹介し、これらはそれなりにハードルが高いことを述べました。そんなにリスクが伴うならやめておこう、という考えは間違っていませんし、場合によってはタイに着いてからやっぱり行けなかった、ということもあります。海外では「自分の身は自分で守る」が原則ですから、危険を察して予定を変更するのは賢明な選択です。

 感染症は知識で防ぐことができます。これは裏からみると「知識不足のせいで感染」がありえるということです。その感染症が「治る病気」であればいいでしょう。後から笑い話にでもすればいいのです。ですが、「治らない病気」あるいは「後遺症が残る病気」さらに「死に至る病」であればどうでしょう。

 はっきり言うと、私がこれまでタイで見てきた日本人のボランティアやこれから渡航予定の日本人の多くは感染症に無防備すぎます。実際、大変な感染症に罹患してしまった人もいます。ある程度勉強している人であってもどこかチグハグというか、優先順位の置き方がおかしいケースがあります。

 例を挙げましょう。「タイでは狂犬病のワクチンは必須ですよね」、と聞かれることがあります。これはたしかに間違ってはいません。タイに行ったことのある人ならわかるでしょうが、タイの犬は、昼間はまるでタイ人のように(失礼!)道端に寝そべっています。しかし夜になると文字通り「豹変」します。狂暴化し人間を襲うのです。そして犬に噛まれ狂犬病を発症すると(ほぼ)100%死亡します。しかしワクチンを適切に接種していれば100%助かります。

 ですからタイ渡航時には狂犬病ワクチンが必要という考えは間違っていないどころか、推奨されるべきものです。しかし、です。狂犬病ワクチンはワクチンのなかでは優先順位はそう高くはありません。その理由として、まず犬(だけではありませんが)は日ごろから注意していればそう恐れる必要はありません。夜間に森に行くようなことは絶対にやめなければなりませんが、夜間はホテルから出ないことなどをルールにしておけばそれほど危なくはありません。

 また、もしも噛まれたとしても速やかに救急病院を受診しワクチンを接種すれば助かります。タイはよほど辺鄙なところでない限り夜間でも受診できる病院はたいていの地域にあります。それに日本でワクチンをうつと非常に高価という問題もあります。

 狂犬病よりも優先しなければならないワクチンは何なのか。感染経路を考えることがまず必要です。そして、ワクチンのみに頼るという考えは間違いです。狂犬病でいえばワクチンより大切なことは動物に噛まれないように気を付けることです。実際、犬に噛まれれば心配しないといけないのは狂犬病だけではありません。犬の口腔内にはやっかいな細菌も多数棲息しています。

 タイではA型肝炎(以下HAV)のワクチンも必要と言われています。これは現地の人が行くような屋台で食事を摂るのであれば必須です。ですが、外国人が利用する高級なところでのみ食事する人はそこまでの心配はいりません。実際、私は観光でタイに行くという人にHAVのワクチンを勧めることはまずありません。しかし、ボランティアとなると長期になりますし、そもそもボランティア志望の人たちは現地の人たちと仲良くなることに積極的です。必ず現地の人しか行かないようなところで食事をすることになります。このときHAVのワクチンを接種していなければ危険です。ですから、HAVのワクチンはボランティアには必須と考えるべきです。

 しかし、もっと重要なものがあります。ここ数年の流れで言えば最も重要な感染症は「麻疹(はしか)」です。2016年9月、ジャカルタに出張していた30代男性の日本人が麻疹に感染し一時は意識状態が低下しました。シンガポールに搬送され、さらに日本に帰国して治療を受けましたが、現在も後遺症が残っているそうです。この男性は、渡航前にA型肝炎、B型肝炎、日本脳炎のワクチンは会社の指示で接種していたそうです。なぜ、麻疹が含まれていないのか...。この社員は会社の指示に従っていたのにもかかわらず後遺症が残る感染症に罹患してしまったのです。やはり、自分の身は自分で守る、が原則です。麻疹ワクチンは最低2回接種が必要です。

 麻疹がなぜ怖いのか。それは空気感染するからです。空気感染は「同じ教室にいるだけで感染する」と考えればいいと思います。ですから空港や駅、スーパーマーケットなど多くの人が集まる場所(これを「マスギャザリング」と呼びます)に行く機会があればリスクに晒されることになります。

 麻疹の他に空気感染する重要な感染症に「水痘(みずぼうそう)」と「結核」があります。水痘は麻疹ほど重篤ではありませんが、成人が感染すると「あばた」のような皮膚症状がかなり長期間残ることがあり、その後外出ができなくなる人もいます。

 結核は健常人であれば日常生活で感染することはあまりありませんが、ボランティアとなると話は別です。特にエイズ施設の場合、重症の患者さんは全員が結核感染の可能性がある、と考えなければなりません。結核にはワクチンはなく(乳児期に接種するBCGは結核のワクチンですが成人期に防げるわけではありません)他の方法で予防するしかありません。結核の予防には特殊なマスクを用いなければならず、実際日本の医療機関では結核陽性者と接するときはこのマスクを装着することが義務付けられています。パバナプ寺を含むエイズ施設ではここまで徹底できないのが実情ですが、それでも基礎知識は持っていなくてはなりません。

 以前、パバナプ寺である日本人のボランティア女性が、エイズ末期で声がほとんど出ず、まず間違いなく結核を有していると思われる患者さんに、マスクをせずに顔を近づけて会話をしようとしていました。私はすぐに注意しましたが、この女性は「結核のことなど考えたことがなかった」と話していました。たしかに、結核の知識は学校などでは教えてくれませんから自分で勉強するしかありません。

 ボランティアの動機がどのようなものであっても、自己満足であったとしても、私自身はボランティアをおこなう人を応援したいと考えています。ですが、「気持ち」や「勢い」だけでは後悔することになりかねません。次回も感染症のリスクの話の続きをしたいと思います。