GINAと共に

第122回(2016年8月) ボランティアに生命を賭すひとりの女性

 医療の現場では医療者から「感動」をもらうことがしばしばあります。熟練の外科医の執刀を見学してその正確さと迅速さに感動するということもありますが、感動を与えるのはベテランの医師だけではありません。研修医や若い看護師のひたむきさに感銘を受けることもありますし、思いやりのある介護士に感心させられることもあります。医師や看護師には話してくれないことを信頼できる介護士には話すという患者さんもいるのです。

 この「感動」は、医師であれば、医学部の病院実習で初めて経験することになり、研修医となりいろんな現場に出るとこの「感動」の連続であり、おそらくほとんどの医師は人生観が変わります。私は医学部に入る前に社会人の経験もありますからその頃との比較をよくおこなうのですが、医療現場で得られる「感動」は通常の社会人生活では得られないものです。死期が迫っている患者さんは信頼できる医療者には家族にも言えない本音を話します。リスクの高い手術を受ける患者さんが医療者に見せる素顔は、きっと会社では見せないものでしょう。

 ただ、この「感動」にも慣れてしまうのか、毎日が「感動」の連続だった研修医の頃に比べると、最近は心を動かされることが少なくなってきました。しかし最近、「そうだ! これが医療現場で体験する本物の"感動"だったんだ・・・」と感じることがありました。私にその"感動"を与えてくれたのは、医師でも看護師でも介護士でもなく、ひとりのボランティアの女性です。

 千葉県出身の鈴木真実さんは2年前までタイを拠点に、孤児、エイズ患者、障がい者などに対するボランティア活動をおこなっていました。精力的に活動される鈴木さんはタイでの活動をおこないやすくするために財団法人「HUG & SMILE」を立ち上げました。「財団法人」といっても利益を出す団体ではなく、日本で言えばNPO法人のようなものです。タイではNPOに法人格が与えられないために、財団法人というかたちで法人をつくったのです。法人であれば何かと費用はかかりますが、現地での活動がおこないやすくなります。

 しかし、現在の鈴木さんの住所はタイではなく実家の千葉県です。そして、タイに渡航するのは月に1週間だけです。もちろん、鈴木さんにはやりたいことが山のようにありますから、本当はタイにずっと滞在していたいはずです。財団法人を設立した目的のひとつは長期滞在できるビザが取得できることです。

 鈴木さんがタイに長期滞在できない理由、それは持病があるからです。2014年の夏、体調不良を自覚した鈴木さんはHUG &SMILEの事務所の近くにあるバンコクの病院を受診しました。診断は「再生不良性貧血」。極めて難治性の疾患で、有効な治療法があるとは言えないものです。

 現在の鈴木さんは1週間に一度のペースで輸血を受けなければなりません。再生不良性貧血という疾患は、赤血球、白血球、血小板のいずれもが減少します。鈴木さんの場合、血小板の低下が顕著であり、1週間に一度のペースで血小板輸血をおこなったとしても、輸血直前には血小板の数値がなんと3千にまで下がると言います。この数字だと、もしも転倒したり、冗談であっても軽く叩かれたりすれば、出血が止まらなくなり大変なことになります。そのため、バンコクから成田空港に到着したときは空港で車いすを利用し、次の輸血を受けるために空港近くの病院を速やかに受診されるそうです。

 再生不良性貧血では白血球も低下します。これが何を意味するか。感染症に対して脆弱になるのです。ですから日頃から感染症に気を付けて、もしも発熱や咳など風邪を含む感染症の症状があれば重症化する可能性があり、重症化すれば鈴木さんがケアしている孤児に感染させる可能性が出てきますから活動は中止せざるを得ません。

 鈴木さんはエイズ施設にもボランティアに行きます。

 2016年8月18日、私は鈴木さんと共に、世界最大のエイズホスピスと言われている「パバナプ寺」、さらにそのパバナプ寺が開発した巨大な施設、通称「セカンドプロジェクト」と呼ばれるコミュニティを訪れました。これら2つの施設にはエイズ孤児、HIV陽性の患者さんが大勢暮らしています。

 現在のタイは、私が初めて訪問した2002年とは様相が全く異なります。2002年当時はタイでは抗HIV薬が使用されておらず、HIV感染は「死」を意味しました。当時のパバナプ寺の入所者は、いずれ死を避けられないことを自覚しており、特に重症病棟には微笑みも希望も一切ありませんでした。軽症病棟や寺の敷地内のバンガローのような個室で生活している人は比較的元気でしたが、死は長くても数年で必ずやってくるものであり、全員がいずれ訪れる死までのモラトリアムを過ごす施設だったのです。

 現在は抗HIV薬が使えるようになり、たとえ重症病棟に入っても社会復帰できる可能性があります。当時の「死に至る絶望」しかなかった時代とは雲泥の差なのです。しかしながら、HIVは感染初期に発見されるとは限りません。エイズを発症して初めて感染が分かるという人も依然少なくないのです。そういう人たちは、結核やカリニ肺炎などを発症している、もしくはいつ発症するか分からないという状態です。つまり、エイズ施設でのボランティアというのは、重篤な感染症のリスクにさらされることを意味します。免疫能が正常であれば問題ありませんが、再生不良性貧血を抱えた鈴木さんは白血球の数値が低下しているのです。

 パバナプ寺のスタッフが鈴木さんを見つけると「マミ、マミ」と言って寄ってきてハグしようとします。これだけならいいのですが、患者さんまでもが鈴木さんにハグしようとするのです。この光景、医師が見れば度肝を抜かれます。まともな医師なら、直ちに抱き合っている二人を離して鈴木さんに説教するでしょう。「あなた、自分の病気のことがわかっているのか!」と叱らなければならないところです。しかし、私にはそれができませんでした。

 実は、私は2014年夏の時点、つまり再生不良性貧血の診断がついた時点から鈴木さんから相談を受けていました。私の助言はもちろん「エイズ施設に出入りすべきでない」というものです。しかし私は主治医ではありませんから、これを決めるのは最終的には本人と最も助言できる立場にある血液内科の主治医です。私は、主治医がエイズ施設訪問の許可をするはずがない、と考えていました。しかし、私の予想に反して主治医は許可したのです。もちろんこれは苦渋の決断だと思います。おそらく他の医師から非難されることを覚悟で許可されたのでしょう。この決断を是とするか非とするかは意見が分かれるでしょうが、私はこの医師の決断を尊重したいと思います。そして何よりも病態の危険性を理解した上でボランティアを続けることを決意している鈴木さんに敬意を払いたいと思います。

 施設の患者さんたちは鈴木さんを見かけると突然笑顔になり「マミ、マミ」と言って近づいてきます。寝たきりの患者さんは、早くこちらにも来てよ・・・、と言いたげに鈴木さんに視線を送ってきます。重症病棟では鈴木さんは、ひとりひとりの話をよく聞いて、そしてハグをします。入所したばかりで鈴木さんと初めて会うという患者さんも、じっと鈴木さんを見ています。そしてベッドサイドにやってきた鈴木さんに、いろんなことを話します。初めての会話のはずなのに、鈴木さんはもう何年も前からその患者さんのことを知っているかのようです。

 私は鈴木さんの対応の仕方だけではなくタイ語が相当堪能なことに気づきました。しかし意外なことに、鈴木さんはタイ語の勉強を本格的にしたことがなく文字は読めないと言います。ちなみに私はタイ語の文字はある程度読めますが、会話力は鈴木さんの足元にも及びません。「それだけタイ語ができると患者さんのことが詳しく知れますね」という私の質問に対し、意外な答えが返ってきました。「そうですね。けど私はタイ語がほとんどできないときから患者さんとコミュニケーションをとるのが好きだったんです。患者さんと話しているとどんどん言葉が覚えられるんです。私のこのタイ語は患者さんのおかげなんです・・・」

 その病気が今後どのような展開となるかを「予後」と言います。鈴木さんは自分の「予後」について理解できているはずです。そして、それを踏まえた上で、現在の活動を続けるという決断をされたのです。GINAとして、そして私個人としても、可能な限り鈴木さんを支援したい・・・。それが私の考えです。


参考:HUG & SMILEのウェブサイト
http://hugandsmile.org/