GINAと共に
第116回(2016年2月) 「盗聴」に苦しむ覚醒剤中毒者
2016年2月3日、元プロ野球選手のKK氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された事件が大きく報道されました。報道によれば、2014年3月に『週刊文春』が覚醒剤使用疑惑を報じたことがきっかけで警視庁組織犯罪対策課が内偵捜査を開始したようです。常識的に考えれば、週刊誌が報じた時点で覚醒剤を断ち切っていれば逮捕に至らなかった可能性もあるわけです。捜査がおこなわれているかもしれない、と、どこかで感じながらもやめることができなかったことに覚醒剤の恐ろしさがあります。
報道によればKK氏の自宅から注射器も押収されています。ということは覚醒剤を吸入(アブリ)だけでなく静脈注射(ポンプ)で摂取していたということです。一般に、静脈注射までおこなうようになればかなり依存度が強くなっています。吸入だけなら断ち切れるというわけでは決してありませんが、静脈注射にまで進んでしまっていれば、有罪判決を受け罪を償ったとしても再び覚醒剤に手を出す可能性は否定できません。覚醒剤の依存性はタバコやアルコールの比ではないのです。
KK氏の一連の報道で一気にかき消されてしまいましたが、KK氏逮捕の直前に、2014年に同じく覚醒剤取締法で逮捕された人気デュオA氏の異様なブログが週刊誌などで取り上げられていました。現在はすでに消去されてしまっていますが、別のサイトなどで閲覧することができ、私も一部を読んでみました。興味深いと言えば失礼ですが、その文章は「覚醒剤中毒者の妄想」そのものです。
一部のネット情報では専門家のコメントとして「A氏は統合失調症の疑いがある」などと言われているようですが、私は違うと思います。たしかに統合失調症の患者も似たような「妄想」を口にすることがあります。教科書には、統合失調症の患者は「電波がとんでくる」「FBIに監視されている」といったことを言う、と書かれています。実際、多くの患者さんが申し合わせたように「電波」「FBI」などという単語を口にします。
一方、覚醒剤中毒者の「妄想」は、もう少し「整合性がある」というか、一見本当のことを言っているように思えます。多くの場合、家族や身近な者は、最初はこの「妄想」を妄想でなく事実と捉えます。統合失調症の患者が言う「電波」「FBI」などは、家族の者でも聞いた瞬間に「あり得ないこと」と判断しますし、よく聞いていると内容が辻褄の合わないことに気づきます。それに対して、覚醒剤中毒者の「妄想」では、「FBI」などとはいいません。代わりによく使う言葉が「盗聴器をしかけられている」「集団ストーカーに狙われている」などです。
A氏のブログでは、盗聴器の存在を信じて疑わなかったA氏が自分の部屋の盗聴器を見つけるように業者に依頼していることが書かれています。そして、多少の誤字はあるものの、文章自体は読みやすく文法も正しく使われており、ファンの人ならすべて事実と思うかもしれません。統合失調症の場合は、これほどきちんとした文章にならないのが普通です。
過去に私が診察した(元)覚醒剤中毒者のなかにも同じようなことを言っている人が何人かいました。なかには、部屋にあるすべてのコンセントを分解し、壁を壊したとう人もいました。カメラがしかけられているに違いないと考えて天井に穴をあけて探したという人もいました。四六時中監視されていることに耐えられなくなり「出てこい!コラッ!」などと大声で叫ぶということもよくあります。A氏のブログにも「オマエら、いい加減にしろ!何が楽しいんだ!」と怒鳴ったというエピソードが出てきます。
「自分の悪口や自分しか知らないことが筒抜けになっている。ネット上に書き込まれているに違いない」と言いだすこともよくあります。そして、本人だけでなく、最初はそれを「妄想」でなく事実と考える友人知人たちが必死にそういったサイトを探そうとします。A氏のブログには、自分の声が組織にキャッチされ、「その叫び声はサンプリングされて、大手ゲーム会社のゲームで使われている」と書かれています。
A氏のように高級マンションに住んでいる場合は住人に気づかれることはないでしょうが、一般人の住むアパートで大声を出したり、壁や天井を蹴飛ばしたりしていると、そのうち警察を呼ばれることになります。
中毒者本人は「妄想」などとは微塵も思っていませんから、法的手段に訴えようとします。実際に、盗聴されていることや集団で監視されストーカーの被害に遭っていることを警察や弁護士に相談することもあります。A氏のブログにも「知人の警察官に事実を伝え相談した」と書かれています。興味深いのは、中毒者自身で証拠を集められると信じていることです。私が診た症例では、「自分の悪口が書かれたビラを大量にまかれている。そのビラは街中に散乱しているはずだから見つけるのは簡単だ」と考え、実際に街のゴミ箱などを探し回ったそうです。しかしもちろん見つかるはずもなく「組織的にビラが撤収された」という結論になっていました。A氏は「証拠はCD-Rに30枚ほどになっていた」と書いています。証拠があるに違いないと信じて疑わなかったことを示しています。
覚醒剤中毒者の妄想がやっかいなのは、覚醒剤を完全に断ち切った後から出てくることもあるからです。きちんとしたデータは見たことがありませんが、私の経験からいっても完全に断ち切って5年以上もたってから出現したケースがありました。摂取しているときにどの程度の頻度でおこなっていたのか、また摂取の期間がどれくらいだったかにもよるでしょうが、いったん一定の閾値を超えてしまうと、数年後に「妄想」に苦しめられる可能性があります。そして、こういった「妄想」には薬がありますが、やめると元の木阿弥になることも多く、かなり長期間にわたり服用しなければなりません。ちなみに、この「妄想」に用いる薬は統合失調症の治療に使うものです。
KK氏の一連の報道で久しぶりにテレビに登場するようになったのは元歌手でタレントのTM氏です。TM氏は覚醒剤取締法以外にコカイン所持や盗撮などでも複数回逮捕されています。2015年7月には駅のホームで盗撮したとの容疑で書類送検されています。(ただし、TM氏自身は容疑を認めておらず、また証拠も見つかっていません)
実際に盗撮したかどうかは別にして、「そう思われてもしかたない行動をとった」ことは認めているそうです。これは私の推測ですが、TM氏は日頃からA氏と同じように「盗撮」「集団ストーカー」などの"被害"に遭っていたのではないでしょうか。これらが進行すると"声"が聞こえることがあります。自分の悪口を言われたり、何かを命令されたりするのです。そしてその"声"がTM氏に誤解を招くような行動を促したのではないかと私は推測しています。
以前に紹介した「恐怖のCM」(注1)は、覚醒剤に蝕まれている主婦の姿をブラウン管に映し出し、見る者に恐怖を植え付けました。そのCMから受けるイメージは、その主婦はすでに"廃人"と呼べるほどに荒んでおり長生きできないだろう・・、というものです。
覚醒剤に依存すると短期間で命を失うこともあります。しかし、完全に断ち切って何年もしてから「盗聴」「集団ストーカー」などの"被害"に遭う場合もあり、こうなるとまともな日常生活が送れなくなります。
薬物依存が進行し、まともな思考回路が破壊されると、「針の使い回し」など彼(女)らにとっては「どうでもいい関心のないこと」になります。それでHIVに感染し・・・、というのが"以前は"大きな問題でした。HIVや他の感染症が薬物依存者にとって今も問題であることには変わりないのですが、HIVについては随分薬が進歩しました。
覚醒剤で最も問題なのはもはやHIVではなく「覚醒剤の後遺症」なのかもしれません。
注1:下記を参照ください。
GINAと共に第13回(2007年7月号)「恐怖のCM」
参考:GINAと共に
第99回(2014年9月号)「薬物密輸の罠と罪」
報道によればKK氏の自宅から注射器も押収されています。ということは覚醒剤を吸入(アブリ)だけでなく静脈注射(ポンプ)で摂取していたということです。一般に、静脈注射までおこなうようになればかなり依存度が強くなっています。吸入だけなら断ち切れるというわけでは決してありませんが、静脈注射にまで進んでしまっていれば、有罪判決を受け罪を償ったとしても再び覚醒剤に手を出す可能性は否定できません。覚醒剤の依存性はタバコやアルコールの比ではないのです。
KK氏の一連の報道で一気にかき消されてしまいましたが、KK氏逮捕の直前に、2014年に同じく覚醒剤取締法で逮捕された人気デュオA氏の異様なブログが週刊誌などで取り上げられていました。現在はすでに消去されてしまっていますが、別のサイトなどで閲覧することができ、私も一部を読んでみました。興味深いと言えば失礼ですが、その文章は「覚醒剤中毒者の妄想」そのものです。
一部のネット情報では専門家のコメントとして「A氏は統合失調症の疑いがある」などと言われているようですが、私は違うと思います。たしかに統合失調症の患者も似たような「妄想」を口にすることがあります。教科書には、統合失調症の患者は「電波がとんでくる」「FBIに監視されている」といったことを言う、と書かれています。実際、多くの患者さんが申し合わせたように「電波」「FBI」などという単語を口にします。
一方、覚醒剤中毒者の「妄想」は、もう少し「整合性がある」というか、一見本当のことを言っているように思えます。多くの場合、家族や身近な者は、最初はこの「妄想」を妄想でなく事実と捉えます。統合失調症の患者が言う「電波」「FBI」などは、家族の者でも聞いた瞬間に「あり得ないこと」と判断しますし、よく聞いていると内容が辻褄の合わないことに気づきます。それに対して、覚醒剤中毒者の「妄想」では、「FBI」などとはいいません。代わりによく使う言葉が「盗聴器をしかけられている」「集団ストーカーに狙われている」などです。
A氏のブログでは、盗聴器の存在を信じて疑わなかったA氏が自分の部屋の盗聴器を見つけるように業者に依頼していることが書かれています。そして、多少の誤字はあるものの、文章自体は読みやすく文法も正しく使われており、ファンの人ならすべて事実と思うかもしれません。統合失調症の場合は、これほどきちんとした文章にならないのが普通です。
過去に私が診察した(元)覚醒剤中毒者のなかにも同じようなことを言っている人が何人かいました。なかには、部屋にあるすべてのコンセントを分解し、壁を壊したとう人もいました。カメラがしかけられているに違いないと考えて天井に穴をあけて探したという人もいました。四六時中監視されていることに耐えられなくなり「出てこい!コラッ!」などと大声で叫ぶということもよくあります。A氏のブログにも「オマエら、いい加減にしろ!何が楽しいんだ!」と怒鳴ったというエピソードが出てきます。
「自分の悪口や自分しか知らないことが筒抜けになっている。ネット上に書き込まれているに違いない」と言いだすこともよくあります。そして、本人だけでなく、最初はそれを「妄想」でなく事実と考える友人知人たちが必死にそういったサイトを探そうとします。A氏のブログには、自分の声が組織にキャッチされ、「その叫び声はサンプリングされて、大手ゲーム会社のゲームで使われている」と書かれています。
A氏のように高級マンションに住んでいる場合は住人に気づかれることはないでしょうが、一般人の住むアパートで大声を出したり、壁や天井を蹴飛ばしたりしていると、そのうち警察を呼ばれることになります。
中毒者本人は「妄想」などとは微塵も思っていませんから、法的手段に訴えようとします。実際に、盗聴されていることや集団で監視されストーカーの被害に遭っていることを警察や弁護士に相談することもあります。A氏のブログにも「知人の警察官に事実を伝え相談した」と書かれています。興味深いのは、中毒者自身で証拠を集められると信じていることです。私が診た症例では、「自分の悪口が書かれたビラを大量にまかれている。そのビラは街中に散乱しているはずだから見つけるのは簡単だ」と考え、実際に街のゴミ箱などを探し回ったそうです。しかしもちろん見つかるはずもなく「組織的にビラが撤収された」という結論になっていました。A氏は「証拠はCD-Rに30枚ほどになっていた」と書いています。証拠があるに違いないと信じて疑わなかったことを示しています。
覚醒剤中毒者の妄想がやっかいなのは、覚醒剤を完全に断ち切った後から出てくることもあるからです。きちんとしたデータは見たことがありませんが、私の経験からいっても完全に断ち切って5年以上もたってから出現したケースがありました。摂取しているときにどの程度の頻度でおこなっていたのか、また摂取の期間がどれくらいだったかにもよるでしょうが、いったん一定の閾値を超えてしまうと、数年後に「妄想」に苦しめられる可能性があります。そして、こういった「妄想」には薬がありますが、やめると元の木阿弥になることも多く、かなり長期間にわたり服用しなければなりません。ちなみに、この「妄想」に用いる薬は統合失調症の治療に使うものです。
KK氏の一連の報道で久しぶりにテレビに登場するようになったのは元歌手でタレントのTM氏です。TM氏は覚醒剤取締法以外にコカイン所持や盗撮などでも複数回逮捕されています。2015年7月には駅のホームで盗撮したとの容疑で書類送検されています。(ただし、TM氏自身は容疑を認めておらず、また証拠も見つかっていません)
実際に盗撮したかどうかは別にして、「そう思われてもしかたない行動をとった」ことは認めているそうです。これは私の推測ですが、TM氏は日頃からA氏と同じように「盗撮」「集団ストーカー」などの"被害"に遭っていたのではないでしょうか。これらが進行すると"声"が聞こえることがあります。自分の悪口を言われたり、何かを命令されたりするのです。そしてその"声"がTM氏に誤解を招くような行動を促したのではないかと私は推測しています。
以前に紹介した「恐怖のCM」(注1)は、覚醒剤に蝕まれている主婦の姿をブラウン管に映し出し、見る者に恐怖を植え付けました。そのCMから受けるイメージは、その主婦はすでに"廃人"と呼べるほどに荒んでおり長生きできないだろう・・、というものです。
覚醒剤に依存すると短期間で命を失うこともあります。しかし、完全に断ち切って何年もしてから「盗聴」「集団ストーカー」などの"被害"に遭う場合もあり、こうなるとまともな日常生活が送れなくなります。
薬物依存が進行し、まともな思考回路が破壊されると、「針の使い回し」など彼(女)らにとっては「どうでもいい関心のないこと」になります。それでHIVに感染し・・・、というのが"以前は"大きな問題でした。HIVや他の感染症が薬物依存者にとって今も問題であることには変わりないのですが、HIVについては随分薬が進歩しました。
覚醒剤で最も問題なのはもはやHIVではなく「覚醒剤の後遺症」なのかもしれません。
注1:下記を参照ください。
GINAと共に第13回(2007年7月号)「恐怖のCM」
参考:GINAと共に
第99回(2014年9月号)「薬物密輸の罠と罪」