GINAと共に

第98回 エイズ差別だけではない差別の実情 2014年8月号

   私がエイズという疾患を初めてみたのが2002年、研修医1年目の頃です。かねてからエイズという病に関心があったため、夏休みを利用してタイのエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)を訪問し、そこで初めてエイズを患った人たちを診ることになったのです。

 まだ抗HIV薬が普及していなかった当時のタイのエイズの現場は壮絶なもので、毎日数人が他界していました。命はまだ残されているもののやせ細り呼吸をするのも辛そうにしている寝たきりの人、全身が皮膚の炎症におかされどす黒く腫れ上がっている人、脳症を発症し夜間に徘徊する人なども少なくなく、改めてエイズという病の困難さを知るに至りました。

 当時のパバナプ寺には、親戚を名乗る人がエイズの子どもを連れてきて逃げるように帰っていったり、病院から追い出され行き場をなくしてやってきた人がいたり(当時のタイではHIVに感染していることが判ると病院から放り出されていたのです)、敷地の外に赤ちゃんが置き去りにされていたり(おそらくエイズの親が捨てていったのでしょう)、といった見るも聞くも無惨な現実が至るところにありました。

 また、比較的元気な患者さんから話を聞くと、村を追い出された、バスに乗ろうとすると住民から石を投げられた、食堂から追い出された、学校を退学させられた、など許しがたい差別の数々を思い知るに至りました。

 こういった差別の現状を知ると、単に抗HIV薬を処方するのが医師の仕事ではなく、抗HIV薬で改善しない日頃の痛みや痒み、他の苦痛を取り除き、さらに心理的・社会的な観点からも患者さんに貢献しなければならない、と感じるようになりました。

 そこで私はタイの貧困問題、薬物問題、売買春の問題、少数民族の問題などにも関心をもつようになり、タイに渡航する度に、多くの人から話を聞くことに努め、一種のフィールドワークを重ねていきました。

 タイ人といってもいろんな人がいます。例えば医療者であれば、特に医師のほとんどは、バンコクなど都会で生まれ、高等教育を受けていて、比較的色が白い中華系タイ人が多く、エイズ患者に多い北タイや東北のタイ(イサーン人)とは"人種"が異なります。また、一般にバンコク生まれの都会人は比較的裕福であり、東北地方とは同じ国と思えないほどの所得格差がありますし、高校進学率には雲泥の差があります。タイ人には「平等」という観念が日本ほどはなく(というより、日本人ほど「平等」という言葉に敏感な国民はいないのではないかと私は思っています)、タイ国内での「人種差別」や「貧困者に対する差別」、「学歴差別」などがあるのは歴然としています(注1)。

 当時のタイでHIVに感染し、エイズを発症していた人は、バンコク人よりも北タイや東北タイ(イサーン地方)に圧倒的に多く、エイズという病気による差別に「地域差別」というかバンコク人からみた北部や東北部への差別がオーバーラップしているような印象を次第に持つようになっていきました。
 
 もう少し正確に言うと、北部と東北部でも異なります。北部と東北部を比べると、圧倒的に東北部の方が差別を受けているのは間違いありません。これは、当時首相だったタクシン氏が北部のチェンマイ出身だったこと、さらにチェンマイが外資系企業の誘致などで驚異的なスピードで発展していたこと、北部の人たちの多くは色が白く東北人とは"人種"が異なること、などがその理由です。ちなみに東北人(イサーン人)の容貌は色が黒く鼻が低いのが特徴で、ラオス人によく似ています。

 私が興味を持ったことはまだあります。では、東北人たちは差別されるだけなのか、といえばそういうわけではなく、露骨に口にすることは少ないですが、ラオス人やミャンマー人、あるいは国境付近に在住しどこの国にも属さない山岳民族などを下にみているきらいがあります。また、タイ人のなかには(バンコク人もイサーン人も)白人には羨望のような感情がある一方で黒人のことはあまりよく思っていない人が少なくありません。

 では、タイ人は欧米人が大好きなのかと言えばそういうわけでもなく、例えばタイのある施設で働くタイ人のベテラン看護師は「欧米人は我が強すぎてタイ人には合わない。あたしは欧米人の医者の指示を聞きたくないから、日本人のあんたの指示に従う」と言っていました。このサイトでも述べたことがありますが、タイ人の多くは日本人が大好きで日本を憧れの国と思っています。(とはいえ、最近は素行の悪い日本人が増えたからなのか日本が嫌いというタイ人が増えてきているような気がします。また、私個人の体験を言えば、ある施設で働いていた薬剤師が日本人大嫌いと公言しており、ついに私は一度も口をきいてもらえませんでした)

 当時の私はタイ渡航時、時間に余裕があれば夜の繁華街にも繰り出していました。そこで欧米人の男性(ときには女性も)と仲良くなり話をするわけですが、「差別」という観点から話しを振り返ってみると、彼(女)らは、日本人がタブーとしているような差別的な発言をけっこう平気でおこないます。彼(女)らは、同性愛についてはおそらく日本人よりも偏見がありませんし、エイズを含めて病気に対する差別感もほとんどありません。しかし、人種、民族、国民などについては平気で悪口を言うのです。

 誤解を恐れずに言えば、私は日本ほど人種差別・民族差別のない国はない、と思っています。このサイトで何度もお伝えしているようにこの国のHIV陽性者に対する社会的な差別は一向に改善されていません。男女差別もないとはいいきれないでしょう。地域差別(被差別部落やアイヌ、サンカなどへの差別)は随分と解消されてきているのは事実ですが今もまったくないとは言えません。しかし、人種差別・民族差別は、少なくとも他国と比べると非常に少ないように思えます。日本人で黒人やヒスパニックに差別的な感情を持っている人を私はほとんど知りませんし、在日韓国人や中国人に対する「在日差別」があることには同意しますが、数十年前に比べると随分改善されてきていますし、他国のものとはレベルが異なります。

 一方、欧米人は平気で、例えば、「俺は黒人やヒスパニックが大嫌いだ」と言います。これを発言した白人男性に「日本人も有色だよ」と言うと、「日本人は好きだ」とその男性は言っていましたが、これが本心であったとしても日本人を差別する白人がいるのも事実です。私自身は経験がありませんがヨーロッパに留学経験などのある日本人の多くは男女とも差別的な扱いを受けたことがある、と言います。

 欧米人からもアジア人からも最も嫌われているのは私の印象でいえばユダヤ人です。我々日本人がユダヤ人と聞けば、『アンネの日記』にあるようなナチスに迫害された悲惨な姿を思い出し同情の感情が出てきますが、世界の目は冷たいようです。なぜユダヤ人が嫌われるのかと言えば、多くの人が口をそろえていうのは「理屈っぽい」と「ケチ」です。アジアの安食堂や安宿などでも、難癖をつけて金を値切ろうとする輩が多いという話をよく聞きます。私は直接見たことはありませんが、アジアのゲストハウスのなかには、入り口に「ユダヤ人お断り」と書いてあるところもあるそうです(注2)。

 ユダヤ人とエイズは関係ありませんが、私がタイのエイズの現状をみて、まずエイズという病に対する差別を見聞きし、次いで貧困やタイのなかの人種差別を知るようになり、同性愛に対する差別を目の当たりにし(タイでは同性愛への差別が日本と比べれば少ないのは事実ですが、ないわけではありません)、世界中の人々から人種差別や民族差別の発言を聞くと、人類から差別はなくなることはないのでないか、と思わずにはいられません。

 最近私が特に気になるのが黒人に対する差別です。ネルソン・マンデラ氏らの貢献により1990年代にはアパルトヘイトが撤廃され、21世紀には南北戦争という暗い歴史を持つアメリカでついに黒人の大統領が登場したのです。にも関わらず、黒人差別は、事件の件数は減っているのかもしれませんが、悪質度においては何も改善していません。つい先日(2014年8月9日)も米国ミズーリ州で18歳の黒人青年が白人の警官に射殺されたことが報道されました。

 これと同じような事件がアメリカでは過去にもありました。2009年の元日、米国サンフランシスコのフルートベール駅のホームで22歳の黒人青年が警官に射殺されたのです。この現場はその場にいた乗客らがスマホなどで撮影しており、この事件は後に『フルートベール駅で』というタイトルの映画(注3)にもなりました。

 話をエイズに戻します。日本ではHIV陽性者に対する差別が厳然と存在しますし(タイやアメリカでも日本よりはマシという程度で差別はあります)、ハンセン病(注4)に対しては日本には恥ずべき歴史があります。私はまず医師として病気の差別をなくしたいと考え、次に、GINAとしてHIV/エイズに伴う社会的な差別(同性愛差別、セックスワーカーへの差別など)に取り組みたいと考えるようになりました。そして、なくすことは無理だとしても、この「差別」という、わかりやすいようで実は根が深く複雑な「人間の性」と言えなくもない現象について生涯を通して取り組んでいきたいと考えています。



注1:バンコク人とイサーン人の対立については下記コラムも参照ください。
GINAと共に第31回(2009年1月)「バンコク人 対 イサーン人」

注2:ユダヤ人に対する差別は「人種差別」でなく「民族差別」です。ユダヤ人は人種としては他国の白人と同様「コーカサイド」です。「人種差別」と「民族差別」は言葉の意味としては異なりますが、私自身は同じように考えていいのではないかと思っています。つまり、ヨーロッパ人からユダヤ人が差別的な扱いを受けるのと、アメリカで黒人が白人から受けている差別との間に本質的な差というものはないのではないかと現在の私は考えています。

注3:『フルートベール駅で』は2014年に日本でも公開されました。映画には乗客がスマホで撮影したと思われる映像も使われており、黒人に対する差別・偏見の実情がわかりやすく描かれています。白人警察に殺される主人公の黒人が少し美化されすぎていないか、という印象も持ちましたが、一見の価値ある映画だと私は思いました。

注4:タイのハンセン病に関するGINAのレポートは「タイのハンセン病とエイズ」として公開しています。
http://www.npo-gina.org/hansenbyou/