GINAと共に

第96回 「行政がホモの指導の必要ない」という発言 2014年6月号

  「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」「この人たちは、啓発しても、好きでやっている話だから放っておいてくれ、という世界だ」

 2014年5月16日、兵庫県の県議会常任委員会で、井上英之議員(加古川市)がこのような発言をおこない、翌日の神戸新聞と朝日新聞が報道しています。

 この日の議会では、HIVの予防に向けての兵庫県の啓発活動についての議論がおこなわれていたそうです。その議論のなかで、井上議員がこのような発言をおこない、他の議員から批判の声が相次ぎ、マスコミが報道しました。

 朝日新聞によると、井上議員は「発言の撤回などは考えていない」そうです。

 さて、この報道を受けて複数の団体が抗議を表明し、井上議員に対して謝罪を要求しています。激しく抗議をおこなっている団体から、話し合いをして同性愛者に関する正確な知識を持ってもらうのにいい機会ではないか、と考える穏健な団体まであるようです。

 また公衆衛生に携わる医師や役人たちからは、「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループであり、行政がそのグループに対する予防啓発をおこなわなければ医療費が抑制できずに大変なことになるのにこの議員はそんなことも知らないのか」、という意見が出ています。

 たしかに、公衆衛生学的にはこの点は大変重要です。HIV感染が発覚すればいずれ抗HIV薬を服用しなければならなくなります。そして、HIV陽性者ひとりが生涯に必要とする医療費は1億~2億円と言われています。これだけの費用がかかるわけですから、財政的なことを考えれば、最善なのが「予防啓発」であるのは明らかなのです。井上議員はそんな常識的なことも理解せずに発言していることを自ら暴露したわけです。

 同性愛者に対する啓発をしなければ医療費が高騰し続けるという自明の事実を無視して、いったい井上議員はその財源をどうするつもりなのでしょうか。まさか、同性愛者には医療保険を使う資格がない、とでも考えているのでしょうか・・・。

 また時代錯誤の「ホモ」という言葉にもあきれます。今どき、議会という公の場でこのような言葉を使うこと自体がにわかには信じられません。無神経であり、勉強不足であるのは自明であり、どう考えてもこの議員がHIVに関する議論に参加する資格はありません。

 政治家に求められる資質、というのはいろいろとあるでしょう。強いリーダーシップは不可欠でしょうし、交渉力や決断力、また明晰な頭脳、強靱な体力や精神力も求められるでしょう。政治家は世論の意向を知り、期待に応える義務を背負っています。しかし、マイノリティの声に耳を傾けることも必要です。

 そもそも何かを決めるときには、相手がどのようなことを考えているかを理解しない限りは議論が前に進みません。自分の常識は他人の常識ではないのです。日本は(一応は)単一民族とされていますから、議員の先生方もあまり気にならないのかもしれませんが、他民族からなる国家であれば様々な意見や考えがありますから、それらを理解しないことには議論が成り立ちません。(もっとも、日本の人類学や民俗学などの世界では、日本も単一民族ではない、という考えが主流になっていますが)

 このサイトで何度も述べていますが、現在の日本の同性愛者は社会保障を充分に享受できていません。同性のパートナーは、入籍できないだけでなく手術や入院の保証人にさえなれないのです。遺産を相続することもできません。これは明らかな差別だと私には思えますが、井上議員はどのように考えているのでしょう。「ホモ」などという言葉を使うくらいですから、おそらく考えたこともないのでしょう。

 それに、果たして同性愛者が「マイノリティ」と言えるでしょうか。最近はLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)という言葉も随分と普及してきていますが、LGBTは実際には日本の人口のどれくらいに相当するのでしょう。いくつもの研究がありますが、日本ではだいたい4~5%程度が相当するのではないかとみられています。40人のクラスに2人くらいいる計算になります。クラスで2人は無視できるようなマイノリティと言えるでしょうか。

 ちなみにタイに行けば、集団によってはマイノリティが逆転しています。例えば、文化系の優秀な大学であれば男子生徒のほとんどがゲイです。私は以前、タマサート大学(日本でいえば京都大学のようなところ)の外国語学部の女子学生から、「あたしのクラスの男子生徒は9割がゲイで、残りの1割はすでに(男性から女性に)性転換をしているか、恋愛ができないようなブサイクな男」という話を聞いたことがあります。(ブサイクな男、などとよくそんなひどいことが言えるな、と感じますが、タイ人は日本人なら言わないような身体的な欠点をわりと平気で口にします)

 タイでは、優秀な、というか偏差値の高い大学になればなるほど文化系の学部の男子学生のゲイの割合が増えるという話はこの女子学生以外からも何度か聞いたことがあります。(ちなみにタイは日本では考えられないくらいの偏差値社会です) これが不思議なことに理科系になれば、なぜかゲイの学生は一気に減ります。しかしこれまた不思議なことに理系であっても医歯薬系はゲイが多いようです。

 以前も述べたことがありますが、私は以前ロンドンでとても洒落たカフェにたまたま入り、そこにいた男性がほぼ全員とてもハイセンスでかっこいいことに驚きました。そして、その後そこがゲイだけが集まるスポットであることに気付いたのです。こういう経験をしてみると、センスの悪い中年のオヤジ議員が議会で「ホモ」などと発言しているという話を聞くと、腹が立つというよりも哀れさを感じます。

 ゲイやレズビアンには、著名な学者、俳優、芸術家などが多いという話を以前しましたが、数年前から、私は同性愛者に対する差別問題のことを考えると、いつも頭の中で流れ出す音楽があります。それは、ジュディ・ガーランドの「Somewhere Over the Rainbow」(邦題は「虹の彼方に」)です。

 ジュディ・ガーランドといっても若い人は分からないかもしれませんが、『オズの魔法使い』という映画のタイトルは聞いたことがあるでしょう。ジュディ・ガーランドはこの映画の主役で「Somewhere Over the Rainbow」は主題歌です。この曲は大変有名で、旋律が大変美しく印象に残りますから、タイトルを知らなくても聞いたことがあるという人も多いはずです。実は、この曲は世界中の同性愛者のイベントなどでよく使われる定番なのですが、その理由はジュディ・ガーランド自身が同性愛者だからです。もしも可能なら、井上議員とこの曲を聴きながら、今回の問題発言について話をしてみたいものです。そしてこの曲の感想も聞いてみたいものです。

 井上議員に、というより同性愛に偏見のあるすべての人に、というよりは同性愛者に偏見のないすべての人にも観てほしい映画もあります。それは今年(2014年)の春に公開された『チョコレート・ドーナツ』です。実話に基づいたこの映画は観る人すべてを感動の渦に包みます。私はある学会に参加しているときに夕方少し早く抜け出してこれを観に行ったのですが、なんと「立ち見」でした。それほどの人気映画なのです。映画の後半には劇場の至るところから涙をすする音が聞こえてきました。ネタバレになるといけませんから詳しいストーリーはここでは述べませんが、これほど素晴らしい映画はめったにありません。まず実話に基づいたストーリーが完璧で、キャスティングが素晴らしい。ついでに言うと音楽も映像もパーフェクトです。

 もしも可能なら、次回の兵庫県議会は開始時間を2時間早めて、会議場でこの映画を上映し議員全員に観てもらいたいものです。その後、井上議員に、同性愛者についての意見を尋ねてみたいものです。

参考:GINAと共に
第3回(2006年9月)「美しき同性愛」
第93回(2014年3月)「同性愛者という理由で終身刑」
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」
第71回(2012年5月)「オバマの同性婚支持とオランドのPACS」
第60回(2011年6月)「同性愛者の社会保障」