GINAと共に
第95回 HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院 2014年5月号
2014年5月8日、高知新聞は、県内の歯科医院がHIV陽性者の診療を拒否したという事件を報道しました。同じ日には朝日新聞もこの事件を取り上げていますから、この事件は高知県内のみならず全国的に知れ渡ることになりました。
まずはこの事件を高知新聞の報道から簡単にまとめてみましょう。
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件のHIV陽性者(年齢・性別は不明)は数年前にHIV感染が判り、現在高知大学医学部附属病院に通院中。抗HIV薬が奏功し、現在は「感染前と同じように働いている」そうです。
2013年のある日、HIV感染が判る前からかかっていた歯科医院を受診し、HIV陽性であることを伝えました。その歯科医師とは<長い付き合い>だったそうです。〈ごまかして治療を受けることは自分の責任として納得がいかない〉〈(歯科医師が)驚くとは思うが、どんな病気かは理解しているだろう〉。そう信じたそうです。
ところが返ってきたのは、なんと「外に知れる可能性がある」という言葉・・・。
高知新聞はこのときの患者さんの思いを次のように報道しています。
〈私の方向性も至らなかったのかもしれませんが、その場での露骨な話し方に正直、パニックになりました。自尊心をえぐられた気がしました。なぜ、別の部屋で話を聞いたり、高知大病院に問い合わせるなどしてくれなかったのか...〉
高知新聞はこの事件を受けて、高知大学医学部附属病院のHIVを診療する医師にも取材をしています。取材に応じた医師のコメントは、〈県内での診療拒否は「把握している限り初めて」。「あってはならないこと」〉だったそうです。
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この事件は、診療を拒否したことももちろん問題ですが、私が気になったのは「外に知れる可能性がある」というこの言葉です。この言葉が本当にこの歯科医師から発せられたのだとすると、相当いい加減な歯科医院ということになります。
HIV陽性の患者さんがその歯科医院で治療を受けていることが判る、つまり「外に知れる」原因は次の3つしかありません。
①強盗が入りカルテが奪われて患者情報が流出する
②スタッフの誰かがこの歯科医院にHIV陽性者がいることを外部に吹聴する
③この患者さん自らがHIV感染をカムアウトし、かかりつけの歯科医院を公表する
このなかで①はまあ考えにくいでしょう。③についてはどうでしょうか。私の知る限りHIV感染を堂々とカムアウトしてさらに歯科医院まで公表する人は聞いたことがありません。東京や大阪などの都心部ならまだしも、高知県で感染をカムアウトするとは到底考えられません。というわけで「外に知れる」のは②ということになります。つまり、この歯科医師はクリニックの職員が守秘義務を守らないおそれがあると考えている、ということになります。
とすると、こんな歯科医院は信用できません。外に知られたくないのは、HIVだけではありません。他の感染症だってそうですし、例えば若くして総入れ歯の女性なども知られたくないと思っているでしょう。一般に、医療機関で受診者が話すことや疾患の内容などについては他人に知られたくないものが多いのです。守秘義務というのは何を差し置いても優先されなければなりません。この歯科医師は、自分のクリニックではその自信がないということを露呈しているようなものです。(ただし、守秘義務を徹底的に遵守する、ということは一般の方が想像するよりも大変なものです。興味のある方は下記コラムを参照ください)
次に、この歯科医院はなぜ「(HIV陽性者が受診していることを)外に知れる」と困るのでしょうか。その理由は、きちんと感染予防対策をおこなっていないから、ではないかと私には思えます。
HIVの院内感染は、きちんとした感染予防対策をおこなっていれば完全に防ぐことができます。HIVに限らず、どのような感染症の患者さんが受診してもきちんとした対策をしていれば何も問題はないわけです。推測の域を出ませんが、この歯科医院は感染予防対策をおざなりにしているのではないでしょうか。医療機関で働く者には患者情報に関する守秘義務はありますが、勤務先の不備についての守秘義務はありません。また、この歯科医院に出入りする業者(製薬会社や医療機器関連のメーカーや卸業者)にも歯科医院の不備に対する守秘義務はありません。
つまり、この歯科医院のスタッフや出入りする業者が、この歯科医院が感染予防対策をいい加減にしていることを外部に漏らし、なおかつスタッフによりHIV陽性者が受診していることが外に知れたら大変なことになる、このようなことを懸念してこの歯科医師はHIV陽性者の診察を拒否したのではないかと私には思えるのです。
感染予防対策をしていない歯科医院なんてあるの?と感じる人もいるでしょう。私は医学部入学前に歯科医療器具を取り扱う商社で働いていたのですが、ときどき歯科医院を訪問する機会がありました。滅菌器具を見せてもらいスタッフと話をすると、5分もあればきちんと感染予防対策ができているかどうかが判ります。そして、残念なことに当時は感染予防をいい加減にしていた歯科医院があったのです。しかし、これは90年代前半の話ですから、今はどこもきちんとしているだろう・・・。私はそのように漠然と考えていました。
ところが、最近読売新聞(2014年5月19日オンライン版)に驚くべき記事が掲載されました。記事を抜粋してみます。
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歯削る機器 7割使い回し...院内感染懸念
歯を削る医療機器を滅菌せず使い回している歯科医療機関が約7割に上る可能性のあることが国立感染症研究所などの研究班の調査でわかった。(中略)調査は、特定の県の歯科医療機関3,152施設に対して実施した。2014年1月までに891施設(28%)から回答を得た。
(中略)
滅菌した機器に交換しているか聞いたところ、「患者ごとに必ず交換」との回答は34%だった。一方、「交換していない」は17%、「時々交換」は14%、「感染症にかかっている患者の場合は交換」は35%で、計66%で適切に交換しておらず、指針を逸脱していた。
(中略)
別の県でも同じ調査を2007~2013年に4回行い、使い回しは平均71%だった。
(中略)
感染症に詳しい浜松医療センターの矢野邦夫副院長は「簡単な消毒では、機器を介して患者に感染する恐れのあるウイルスもある。十分な院内感染対策を取ってほしい」と話している。
******************
大変衝撃的な記事ですが、私が最も驚かされたのが「感染症にかかっている患者の場合は交換」と答えた歯科医院が35%にも昇るということです。HIVは世間で正しく認識されておらず偏見の目で見られることがあるために、感染の事実を隠して歯科医院を受診する人が多いですし、そもそも検査を受けておらず感染していることに気付いていない人が大勢います。先日公表された2013年の新規エイズ発症者(いきなりエイズ、つまりエイズを発症して初めてHIV感染が判る人)の人数が過去最高を記録しています。感染していることに気付いていない人が大勢いることを示しているわけです。
どうも歯科医院の多くは、脳天気というかおめでたいというか、自分たちが診療している患者さんのなかには本人も気付いていないHIV陽性者がいる、という単純なことに気付いていないようです。あるいは、HIVの院内感染など起こしてもかまわない、と考えているのでしょうか。
さて、HIV陽性者を拒否する歯科医院があるということ、日本の7割の歯科医院が感染予防をきちんとしていないこと、この2つを考えたときに、あなた自身やあなたの家族が、HIVに感染しているかどうかに関わりなく、どのような歯科医院を受診すればいいのでしょうか。
答えは簡単です。HIV陽性者を拒否しない歯科医院を受診すればいいのです。つまり、HIVを拒否する歯科医院などはこちらから願い下げて、HIV陽性者もきちんと診療してくれる歯科医院を受診すればいいのです。HIV陽性者を拒否しないところであればきちんと感染予防対策をしていますし、スタッフは守秘義務を守っています。つまり、正確な医学の知識を持ち、HIVのみならず、HIVよりも強い感染力を持つ感染症に対しても適切な対策をおこなっており、あなたが話したことのすべてに対して守秘義務を遵守してくれるのです。
実際、私自身が患者として通院している歯科医院は、感染予防対策をきちんとおこなっており、もちろんHIV陽性の患者さんも丁寧に診療されています。
参考
(医)太融寺町谷口医院マンスリーレポート2012年8月号「簡単でない守秘義務の遵守」
GINAと共に
第82回(2013年4月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(前編)」
第83回(2013年5月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(後編)」
まずはこの事件を高知新聞の報道から簡単にまとめてみましょう。
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件のHIV陽性者(年齢・性別は不明)は数年前にHIV感染が判り、現在高知大学医学部附属病院に通院中。抗HIV薬が奏功し、現在は「感染前と同じように働いている」そうです。
2013年のある日、HIV感染が判る前からかかっていた歯科医院を受診し、HIV陽性であることを伝えました。その歯科医師とは<長い付き合い>だったそうです。〈ごまかして治療を受けることは自分の責任として納得がいかない〉〈(歯科医師が)驚くとは思うが、どんな病気かは理解しているだろう〉。そう信じたそうです。
ところが返ってきたのは、なんと「外に知れる可能性がある」という言葉・・・。
高知新聞はこのときの患者さんの思いを次のように報道しています。
〈私の方向性も至らなかったのかもしれませんが、その場での露骨な話し方に正直、パニックになりました。自尊心をえぐられた気がしました。なぜ、別の部屋で話を聞いたり、高知大病院に問い合わせるなどしてくれなかったのか...〉
高知新聞はこの事件を受けて、高知大学医学部附属病院のHIVを診療する医師にも取材をしています。取材に応じた医師のコメントは、〈県内での診療拒否は「把握している限り初めて」。「あってはならないこと」〉だったそうです。
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この事件は、診療を拒否したことももちろん問題ですが、私が気になったのは「外に知れる可能性がある」というこの言葉です。この言葉が本当にこの歯科医師から発せられたのだとすると、相当いい加減な歯科医院ということになります。
HIV陽性の患者さんがその歯科医院で治療を受けていることが判る、つまり「外に知れる」原因は次の3つしかありません。
①強盗が入りカルテが奪われて患者情報が流出する
②スタッフの誰かがこの歯科医院にHIV陽性者がいることを外部に吹聴する
③この患者さん自らがHIV感染をカムアウトし、かかりつけの歯科医院を公表する
このなかで①はまあ考えにくいでしょう。③についてはどうでしょうか。私の知る限りHIV感染を堂々とカムアウトしてさらに歯科医院まで公表する人は聞いたことがありません。東京や大阪などの都心部ならまだしも、高知県で感染をカムアウトするとは到底考えられません。というわけで「外に知れる」のは②ということになります。つまり、この歯科医師はクリニックの職員が守秘義務を守らないおそれがあると考えている、ということになります。
とすると、こんな歯科医院は信用できません。外に知られたくないのは、HIVだけではありません。他の感染症だってそうですし、例えば若くして総入れ歯の女性なども知られたくないと思っているでしょう。一般に、医療機関で受診者が話すことや疾患の内容などについては他人に知られたくないものが多いのです。守秘義務というのは何を差し置いても優先されなければなりません。この歯科医師は、自分のクリニックではその自信がないということを露呈しているようなものです。(ただし、守秘義務を徹底的に遵守する、ということは一般の方が想像するよりも大変なものです。興味のある方は下記コラムを参照ください)
次に、この歯科医院はなぜ「(HIV陽性者が受診していることを)外に知れる」と困るのでしょうか。その理由は、きちんと感染予防対策をおこなっていないから、ではないかと私には思えます。
HIVの院内感染は、きちんとした感染予防対策をおこなっていれば完全に防ぐことができます。HIVに限らず、どのような感染症の患者さんが受診してもきちんとした対策をしていれば何も問題はないわけです。推測の域を出ませんが、この歯科医院は感染予防対策をおざなりにしているのではないでしょうか。医療機関で働く者には患者情報に関する守秘義務はありますが、勤務先の不備についての守秘義務はありません。また、この歯科医院に出入りする業者(製薬会社や医療機器関連のメーカーや卸業者)にも歯科医院の不備に対する守秘義務はありません。
つまり、この歯科医院のスタッフや出入りする業者が、この歯科医院が感染予防対策をいい加減にしていることを外部に漏らし、なおかつスタッフによりHIV陽性者が受診していることが外に知れたら大変なことになる、このようなことを懸念してこの歯科医師はHIV陽性者の診察を拒否したのではないかと私には思えるのです。
感染予防対策をしていない歯科医院なんてあるの?と感じる人もいるでしょう。私は医学部入学前に歯科医療器具を取り扱う商社で働いていたのですが、ときどき歯科医院を訪問する機会がありました。滅菌器具を見せてもらいスタッフと話をすると、5分もあればきちんと感染予防対策ができているかどうかが判ります。そして、残念なことに当時は感染予防をいい加減にしていた歯科医院があったのです。しかし、これは90年代前半の話ですから、今はどこもきちんとしているだろう・・・。私はそのように漠然と考えていました。
ところが、最近読売新聞(2014年5月19日オンライン版)に驚くべき記事が掲載されました。記事を抜粋してみます。
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歯削る機器 7割使い回し...院内感染懸念
歯を削る医療機器を滅菌せず使い回している歯科医療機関が約7割に上る可能性のあることが国立感染症研究所などの研究班の調査でわかった。(中略)調査は、特定の県の歯科医療機関3,152施設に対して実施した。2014年1月までに891施設(28%)から回答を得た。
(中略)
滅菌した機器に交換しているか聞いたところ、「患者ごとに必ず交換」との回答は34%だった。一方、「交換していない」は17%、「時々交換」は14%、「感染症にかかっている患者の場合は交換」は35%で、計66%で適切に交換しておらず、指針を逸脱していた。
(中略)
別の県でも同じ調査を2007~2013年に4回行い、使い回しは平均71%だった。
(中略)
感染症に詳しい浜松医療センターの矢野邦夫副院長は「簡単な消毒では、機器を介して患者に感染する恐れのあるウイルスもある。十分な院内感染対策を取ってほしい」と話している。
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大変衝撃的な記事ですが、私が最も驚かされたのが「感染症にかかっている患者の場合は交換」と答えた歯科医院が35%にも昇るということです。HIVは世間で正しく認識されておらず偏見の目で見られることがあるために、感染の事実を隠して歯科医院を受診する人が多いですし、そもそも検査を受けておらず感染していることに気付いていない人が大勢います。先日公表された2013年の新規エイズ発症者(いきなりエイズ、つまりエイズを発症して初めてHIV感染が判る人)の人数が過去最高を記録しています。感染していることに気付いていない人が大勢いることを示しているわけです。
どうも歯科医院の多くは、脳天気というかおめでたいというか、自分たちが診療している患者さんのなかには本人も気付いていないHIV陽性者がいる、という単純なことに気付いていないようです。あるいは、HIVの院内感染など起こしてもかまわない、と考えているのでしょうか。
さて、HIV陽性者を拒否する歯科医院があるということ、日本の7割の歯科医院が感染予防をきちんとしていないこと、この2つを考えたときに、あなた自身やあなたの家族が、HIVに感染しているかどうかに関わりなく、どのような歯科医院を受診すればいいのでしょうか。
答えは簡単です。HIV陽性者を拒否しない歯科医院を受診すればいいのです。つまり、HIVを拒否する歯科医院などはこちらから願い下げて、HIV陽性者もきちんと診療してくれる歯科医院を受診すればいいのです。HIV陽性者を拒否しないところであればきちんと感染予防対策をしていますし、スタッフは守秘義務を守っています。つまり、正確な医学の知識を持ち、HIVのみならず、HIVよりも強い感染力を持つ感染症に対しても適切な対策をおこなっており、あなたが話したことのすべてに対して守秘義務を遵守してくれるのです。
実際、私自身が患者として通院している歯科医院は、感染予防対策をきちんとおこなっており、もちろんHIV陽性の患者さんも丁寧に診療されています。
参考
(医)太融寺町谷口医院マンスリーレポート2012年8月号「簡単でない守秘義務の遵守」
GINAと共に
第82回(2013年4月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(前編)」
第83回(2013年5月)「歯科医院でのHIV感染とキンバリー事件(後編)」