GINAと共に
第92回 無防備なボランティアたち 2014年2月号
GINAのこのサイトをみてボランティアをやってみようと思った、という人たちからメールでの相談を受けることがしばしばあり、それは我々としてはとても嬉しいことです。実際にボランティアとして現地で活躍された人も大勢いますし、なかには現在も継続して何らかの支援活動をしているという人もいます。
ボランティアというのは直接的に他人に「貢献」できることに加え、自らも「成長」することができます。そして、患者さんや困窮している人たちとのつながりのなかで、あるいは他国から来ているボランティアとのチームワークのなかで、数々の「感動」を得ることもできますから、是非多くの方に体験してもらいたいと考えています。
しかしながら、海外でのボランティアとなると、それ相応の覚悟が必要になります。つまり観光で行く海外旅行とは異なり、海外でのボランティアには様々なリスクがあることを充分に認識していなければなりません。以前、このコラムでボランティアの心得のような話をしたことがありますが(注1)、今回は「国内にはない海外でのリスク」について述べていきたいと思います。
例えば、週末の深夜バスに乗って東日本大震災の被災者のボランティア活動に行く、という場合は、同じ国内ですから特別の注意は必要がないでしょう。しかし、これが海外となると状況はまったく変わってきます。
私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院では、毎日のように海外渡航する人からの相談を受けています。海外赴任、留学、海外での登山、短期の観光旅行、と目的や期間は様々で、充分な知識を持って対策をされている人もいますが、そうでない人たちも少なくありません。つまり、「そんな意識で大丈夫なの?」と、ついつい親心のような気持ちを持ってしまうような人もいるのです。ただ、不安なことがあり医療機関に相談に来た、というその行為は立派だと思います。
話をすすめましょう。海外でのボランティアのリスクといっても、アジアと南米あるいはアフリカでは異なる点が少なくありません。ここではタイでのリスクを考えたいと思います。
まずは必要最低限の感染症の知識を持たなければなりません。特にHIV関連の施設を訪ねるときや、訪問する集落にHIV陽性の患者さんやエイズ孤児がいる場合は、自分自身が感染症をうつしてはいけないと考えなければなりません。日頃から体調管理につとめ、風邪をひかないようにして、風邪症状があるときには患者さんとの接触はおこなってはいけません。例えば、インフルエンザは健常な人に感染しても治らないことはありませんが、エイズを発症している人がインフルエンザに罹患すれば容易に重症化することもありえます。
もちろん患者さんからの感染も防がなければなりません。HIVは容易に他人に感染しませんから針刺しなどをしなければボランティアがHIVに感染することはありません。しかし、私の印象でいえばこの点が強調されすぎているせいで(たしかにHIVが容易に感染しないということを知っておくことは重要ですが)、他の感染症への対策がおざなりになっています。
HIV陽性の患者さんに接するときに最も気をつけなければならない感染症は「結核」です。結核は健常者にも感染する感染症であり、HIVのコントロールが上手くいっていない患者さんであればけっこうな確率で感染しています。そしてボランティアを求めているような施設や地域では結核の検査や治療が充分にできていないことも多々あります。ですから、咳をしているHIV陽性の人であれば結核を患っている可能性を考えるべきです。そして、結核は通常のマスクでは防げません。「N95」という特殊なマスクを使わなければなりませんが、この準備もなしにボランティアを考えている人が非常に多いのです。(ただし、実際には咳をしているすべての患者さんの前でN95を装着するのは現実的ではありません。しかしながら、結核は普通のマスクでは防げないという知識を持ちN95を携帯することは必要です)
次にHIV陽性の人と接するときに考えなければならない感染症は「疥癬」です。HIV陽性の人は様々な皮膚疾患を発症しますが「疥癬」もその代表のひとつです。疥癬がやっかいなのは感染力が非常に強く、ボランティアにも容易に感染するということです。そして、それを別の患者さんに感染させてしまうことも実際にときどきあります。疥癬は日本の医療機関や老人ホームでもときおり集団発生します。ですから、ひとり感染者がみつかればシーツの処理の仕方や消毒など特別な配慮をしなければなりません。現役の医療者ほどの知識までは持てないとは思いますが、疥癬とはどのような感染症でどのようなことに気をつけなければならないのかは知っておかねばなりません。
事前のワクチン接種も必要です。大都市の高級ホテルに宿泊するだけなら要らないかもしれませんが、タイの地方に行けば屋台で食事をすることもあるでしょうし、食堂であっても衛生状態がいいとは決していえません。最低でもA型肝炎ウイルスのワクチンは接種しておくべきでしょう。また破傷風も考えるべきですし、辺鄙な地域であれば日本脳炎も検討すべきです。可能であれば狂犬病も考えましょう。タイの犬は、昼間は道ばたに寝そべっていますからいかにもだらしなさそうな印象を受けますが、夜になると豹変し人間を襲うことも珍しくありません。もしも狂犬病を発症してしまえばほぼ100%死亡します(注2)。
B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンも必ず接種しておきましょう。成人のHBVは多くは性感染ですが、性感染と呼べないスキンシップ程度でも感染することがあります(注3)。例えば、患者さんの汗、涙、唾液などにもウイルスが含まれていることはよくありますし(HIVとHBVの重複感染はよくあります)、HIVの患者さんだけでなく普通に生活をしている人のなかにもHBV陽性の人は珍しくありません。これは日本でも同じですが、アジアではHBV陽性者は日本よりも多いと考えるべきです。例えば、交通事故に遭遇し、倒れている人を介抱しようとして自身が感染する、といったこともないとは言えません。
ワクチンがない感染症もあります。バンコクのみの滞在ならマラリアは注意する必要がほぼありませんが、ミャンマーやラオスとの国境付近などでは充分な注意が必要です。デング熱やチクングニヤについても、ワクチンはなく蚊の対策をしなければなりません。特に夕方以降に蚊がいる場所に行く場合は、長袖・長ズボンの着用、そして蚊よけのクリーム・スプレーなどが必要です。場合によっては、宿泊地では蚊帳を張ったり、蚊取り線香を焚いたりも必要になってきます。
また、国によってはいわゆる「カントリー・リスク」を考えなければなりません。現在のタイでも、野党側(反タクシン派)の集会やデモが各地でおこなわれ物騒なことになっており、実際ここ数週間は死亡者も相次いでいます。今のところ、反タクシン派のこのような騒動はバンコクと南部に多く、中部や北部、東北地方(イサーン地方)ではあまりないようですが、今後の行方はわかりません。2008年12月には反タクシン派がスワンナプーム空港を占拠したせいで、タイ渡航を急遽中止せざるを得なくなったり、タイで足止めをくって帰国できなかったりした日本人も大勢いました。今後再び同じようなことが起こらないとも限りません。海外に出かけるということはそのようなリスクも抱えなければならないということなのです。
冒頭で述べたように、ボランティアに参加するということは「貢献」「成長」「感動」といった人間の本質ともいえるものを得ることができるわけで、私は多くの人に推薦したいと考えています。ただし、一方では、それなりの地域に出かけるにはそれなりのリスクがあるということを忘れてはいけません。しかし、正しい知識を身につけて、然るべき予防措置をとれば、そのリスクを大きく減らすことができるのです。
注1:下記コラムを参照ください。
GINAと共に
第57回(2011年3月)「ボランティアは長期が理想」
第58回(2011年4月)「歓迎されないボランティア」
第59回(2011年5月)「それでもボランティアに行こう!」
注2:ただし、狂犬病は発症するまでに時間がかかりイヌに噛まれてからワクチン接種をしても防げることがあります。ですから、もしも現地でイヌに噛まれれば一刻も早く現地の医療機関を受診すれば助かることもあります。とはいえ可能であればあらかじめ日本を発つ前にワクチン接種をしておくべきでしょう。(しかし狂犬病ウイルスのワクチンは常に供給不足であり希望すれば必ず接種できるとは限りません) また、狂犬病の原因となる動物はイヌだけではありません。他の動物にも注意が必要です。尚、狂犬病については下記サイトも参照ください。
(医)太融寺町谷口医院ウェブサイト
はやりの病気第40回(2006年12月)「狂犬病」
注3:このサイトや(医)太融寺町谷口医院のウェブサイトで何度も述べていますが、日本人の多くはHBVのリスクを軽視しすぎています。感染した人たちが声をそろえて言うのは、「まさかそんなことで感染するとは思ってなかった」「なんでワクチンをうっておかなかったんだろう」ということです。ごく些細なことで感染し、ときに死に至る感染症ですが、ワクチン接種をして抗体をつくっておけば完全に防げるわけですから接種しない理由はありません。
ボランティアというのは直接的に他人に「貢献」できることに加え、自らも「成長」することができます。そして、患者さんや困窮している人たちとのつながりのなかで、あるいは他国から来ているボランティアとのチームワークのなかで、数々の「感動」を得ることもできますから、是非多くの方に体験してもらいたいと考えています。
しかしながら、海外でのボランティアとなると、それ相応の覚悟が必要になります。つまり観光で行く海外旅行とは異なり、海外でのボランティアには様々なリスクがあることを充分に認識していなければなりません。以前、このコラムでボランティアの心得のような話をしたことがありますが(注1)、今回は「国内にはない海外でのリスク」について述べていきたいと思います。
例えば、週末の深夜バスに乗って東日本大震災の被災者のボランティア活動に行く、という場合は、同じ国内ですから特別の注意は必要がないでしょう。しかし、これが海外となると状況はまったく変わってきます。
私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院では、毎日のように海外渡航する人からの相談を受けています。海外赴任、留学、海外での登山、短期の観光旅行、と目的や期間は様々で、充分な知識を持って対策をされている人もいますが、そうでない人たちも少なくありません。つまり、「そんな意識で大丈夫なの?」と、ついつい親心のような気持ちを持ってしまうような人もいるのです。ただ、不安なことがあり医療機関に相談に来た、というその行為は立派だと思います。
話をすすめましょう。海外でのボランティアのリスクといっても、アジアと南米あるいはアフリカでは異なる点が少なくありません。ここではタイでのリスクを考えたいと思います。
まずは必要最低限の感染症の知識を持たなければなりません。特にHIV関連の施設を訪ねるときや、訪問する集落にHIV陽性の患者さんやエイズ孤児がいる場合は、自分自身が感染症をうつしてはいけないと考えなければなりません。日頃から体調管理につとめ、風邪をひかないようにして、風邪症状があるときには患者さんとの接触はおこなってはいけません。例えば、インフルエンザは健常な人に感染しても治らないことはありませんが、エイズを発症している人がインフルエンザに罹患すれば容易に重症化することもありえます。
もちろん患者さんからの感染も防がなければなりません。HIVは容易に他人に感染しませんから針刺しなどをしなければボランティアがHIVに感染することはありません。しかし、私の印象でいえばこの点が強調されすぎているせいで(たしかにHIVが容易に感染しないということを知っておくことは重要ですが)、他の感染症への対策がおざなりになっています。
HIV陽性の患者さんに接するときに最も気をつけなければならない感染症は「結核」です。結核は健常者にも感染する感染症であり、HIVのコントロールが上手くいっていない患者さんであればけっこうな確率で感染しています。そしてボランティアを求めているような施設や地域では結核の検査や治療が充分にできていないことも多々あります。ですから、咳をしているHIV陽性の人であれば結核を患っている可能性を考えるべきです。そして、結核は通常のマスクでは防げません。「N95」という特殊なマスクを使わなければなりませんが、この準備もなしにボランティアを考えている人が非常に多いのです。(ただし、実際には咳をしているすべての患者さんの前でN95を装着するのは現実的ではありません。しかしながら、結核は普通のマスクでは防げないという知識を持ちN95を携帯することは必要です)
次にHIV陽性の人と接するときに考えなければならない感染症は「疥癬」です。HIV陽性の人は様々な皮膚疾患を発症しますが「疥癬」もその代表のひとつです。疥癬がやっかいなのは感染力が非常に強く、ボランティアにも容易に感染するということです。そして、それを別の患者さんに感染させてしまうことも実際にときどきあります。疥癬は日本の医療機関や老人ホームでもときおり集団発生します。ですから、ひとり感染者がみつかればシーツの処理の仕方や消毒など特別な配慮をしなければなりません。現役の医療者ほどの知識までは持てないとは思いますが、疥癬とはどのような感染症でどのようなことに気をつけなければならないのかは知っておかねばなりません。
事前のワクチン接種も必要です。大都市の高級ホテルに宿泊するだけなら要らないかもしれませんが、タイの地方に行けば屋台で食事をすることもあるでしょうし、食堂であっても衛生状態がいいとは決していえません。最低でもA型肝炎ウイルスのワクチンは接種しておくべきでしょう。また破傷風も考えるべきですし、辺鄙な地域であれば日本脳炎も検討すべきです。可能であれば狂犬病も考えましょう。タイの犬は、昼間は道ばたに寝そべっていますからいかにもだらしなさそうな印象を受けますが、夜になると豹変し人間を襲うことも珍しくありません。もしも狂犬病を発症してしまえばほぼ100%死亡します(注2)。
B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンも必ず接種しておきましょう。成人のHBVは多くは性感染ですが、性感染と呼べないスキンシップ程度でも感染することがあります(注3)。例えば、患者さんの汗、涙、唾液などにもウイルスが含まれていることはよくありますし(HIVとHBVの重複感染はよくあります)、HIVの患者さんだけでなく普通に生活をしている人のなかにもHBV陽性の人は珍しくありません。これは日本でも同じですが、アジアではHBV陽性者は日本よりも多いと考えるべきです。例えば、交通事故に遭遇し、倒れている人を介抱しようとして自身が感染する、といったこともないとは言えません。
ワクチンがない感染症もあります。バンコクのみの滞在ならマラリアは注意する必要がほぼありませんが、ミャンマーやラオスとの国境付近などでは充分な注意が必要です。デング熱やチクングニヤについても、ワクチンはなく蚊の対策をしなければなりません。特に夕方以降に蚊がいる場所に行く場合は、長袖・長ズボンの着用、そして蚊よけのクリーム・スプレーなどが必要です。場合によっては、宿泊地では蚊帳を張ったり、蚊取り線香を焚いたりも必要になってきます。
また、国によってはいわゆる「カントリー・リスク」を考えなければなりません。現在のタイでも、野党側(反タクシン派)の集会やデモが各地でおこなわれ物騒なことになっており、実際ここ数週間は死亡者も相次いでいます。今のところ、反タクシン派のこのような騒動はバンコクと南部に多く、中部や北部、東北地方(イサーン地方)ではあまりないようですが、今後の行方はわかりません。2008年12月には反タクシン派がスワンナプーム空港を占拠したせいで、タイ渡航を急遽中止せざるを得なくなったり、タイで足止めをくって帰国できなかったりした日本人も大勢いました。今後再び同じようなことが起こらないとも限りません。海外に出かけるということはそのようなリスクも抱えなければならないということなのです。
冒頭で述べたように、ボランティアに参加するということは「貢献」「成長」「感動」といった人間の本質ともいえるものを得ることができるわけで、私は多くの人に推薦したいと考えています。ただし、一方では、それなりの地域に出かけるにはそれなりのリスクがあるということを忘れてはいけません。しかし、正しい知識を身につけて、然るべき予防措置をとれば、そのリスクを大きく減らすことができるのです。
注1:下記コラムを参照ください。
GINAと共に
第57回(2011年3月)「ボランティアは長期が理想」
第58回(2011年4月)「歓迎されないボランティア」
第59回(2011年5月)「それでもボランティアに行こう!」
注2:ただし、狂犬病は発症するまでに時間がかかりイヌに噛まれてからワクチン接種をしても防げることがあります。ですから、もしも現地でイヌに噛まれれば一刻も早く現地の医療機関を受診すれば助かることもあります。とはいえ可能であればあらかじめ日本を発つ前にワクチン接種をしておくべきでしょう。(しかし狂犬病ウイルスのワクチンは常に供給不足であり希望すれば必ず接種できるとは限りません) また、狂犬病の原因となる動物はイヌだけではありません。他の動物にも注意が必要です。尚、狂犬病については下記サイトも参照ください。
(医)太融寺町谷口医院ウェブサイト
はやりの病気第40回(2006年12月)「狂犬病」
注3:このサイトや(医)太融寺町谷口医院のウェブサイトで何度も述べていますが、日本人の多くはHBVのリスクを軽視しすぎています。感染した人たちが声をそろえて言うのは、「まさかそんなことで感染するとは思ってなかった」「なんでワクチンをうっておかなかったんだろう」ということです。ごく些細なことで感染し、ときに死に至る感染症ですが、ワクチン接種をして抗体をつくっておけば完全に防げるわけですから接種しない理由はありません。