GINAと共に

第85回 橋下市長の発言に対して誰も言わないこと(後編)(2013年7月)

 参議院選挙(2013年7月21日実施)も終わり、「維新の会」の議席が増えなかったことが小さく報道されることを除けば、大阪市の橋下市長の話題はあまり取り上げられなくなってきました。2ヶ月前には、世界中のマスコミで大きく取り上げられ国際問題にも発展しかけた氏の問題発言も、すでに忘れ去られつつあるのかもしれません。

 前回も指摘したように、橋下市長の一連の問題発言に対し、マスコミだけでなく、世界中の識者がコメントを発しました。ここでそれらを振り返ることはしませんが、私が言いたかったことは2つです。ひとつは前回述べたように、橋下市長は「集団でおこなう破廉恥な行為をあまりにも当然のことのように考えていないか」、ということです。慰安所や集団買春、性風俗などを「あって然るべき」のように発言する氏に、私は強い違和感を覚えます。

 私は「売買春」や「性風俗」を直ちに全面的に廃止せよ、と言っているわけではありません。こういったものがない世界は理想ではあるでしょうが、現実的にはありえないからです。売春が「世界最古の職業(the world's oldest profession)」などと堂々と発言し必要性を訴える人に対しては嫌悪感を覚えますが、古今東西どこの世界にいっても売買春が存在することは認めます。北朝鮮は世界で唯一ヤクザやマフィアが存在しない地域と言われることがありますが、その北朝鮮でさえ売買春は存在すると聞きます。

 売買春や性風俗というものは、あるべきでないのは自明ですが、だからといって「存在しないものとみなす」のはもっと問題です。なぜなら、<臭いものに蓋をする>というやり方では必ずしっぺ返しをくらうからです。この場合の「しっぺ返し」とは、例えば、売買春以上の事件、端的に言えば殺人や人身売買が闇でおこなわれるのを見逃す、いったことです。

 では、現実的にはどのように対処すべきかというと、ほとんどのヨーロッパの国のように、組織売春は違法だが個人売春は合法とするというのはひとつの方法でしょうし、オランダのように娼婦(sex worker)を公娼のようにみなし、決められた場所のみで売買がおこなわれる、とするのもひとつでしょう。

 日本の法律がわかりにくいのは、風俗店や遊廓のように明らかに性的サービスがおこなわれているところがあり、それが売買春なのは自明であるにもかかわらず、取り締まられるわけでもなく公然と存在しているからです。これに対し、以前ある人から「腟交渉は売買春になるけれど、オーラルセックスやアナルセックスは<法的には>売買春にはならない」という話を聞いたことがあります。

 しかし、この理屈に納得できる人はどれだけいるのでしょう。性的サービスを受けて射精にいたれば(いたらなくても)、それが腟を使おうが肛門や口を使おうが変わりないではないか、と思うのが普通の感覚ではないでしょうか。世界中の法律を調べたわけではありませんが、腟交渉とオーラルセックス・アナルセックスを法的に区別している国はおそらく存在しないでしょう。

 もしも本当に、オーラルセックス・アナルセックスが合法で腟交渉が違法なのであれば、私は日本人の法律や規則の言葉の解釈の仕方に問題があると思います。憲法9条はその最たる例かもしれませんが、日本人の言語の解釈の仕方は国際的には理解されません。

 憲法9条についてはいろいろと議論があるので立ち入ることを避け、もう少しわかりやすい例を出したいと思います。1946年の国際捕鯨取締条約では、食用の捕鯨は禁止されていますが、科学調査目的の捕鯨は認められています。日本はこの条約を都合のいいように解釈して、捕鯨を繰り返し、実際には鯨肉を販売し消費者は食べています。(誤解のないように言っておくと、私は捕鯨に反対しているわけではありません) オーストラリアが主張するように、日本が科学調査目的と言い張るならキャッチ&リリースすべきですし、食用として捕鯨したいなら、「漁民の生活のために一定の捕獲を認めてほしい」と言えばいいわけです(アイスランドは昔からそう言っています)。

 話を戻しましょう。日本の遊廓や性風俗店というものが、法的にどのような位置づけになるのかが非常に曖昧であり、これが日本の売買春の諸問題を分かりにくくしているのです。

 さて、ここからが今回の本題です。その曖昧な存在の遊廓のなかでも日本を代表するのが大阪市西成区の「飛田新地」です。そして、その飛田新地の顧問弁護士を橋下市長が以前担っていたそうです。

 2013年5月におこなわれた記者団に対する会見で、橋下氏はそのことについて質問され、なんと次のように返答したというのです。

「それ(飛田新地)は料理組合、(中略)、料理組合自体は違法ではありません・・・」

 この返答に対し、その場にいた記者のひとりが「飛田で買春できることは、大阪のちょっとませた中学生なら誰でも知っている。そんな詭弁を弄してひとりの政治家として恥ずかしくないのか!」と発言したそうです。すると橋下氏は「日本において違法なことがあれば、捜査機関が適正に処罰する。料理組合自体は違法でもない」、「違法なことであれば、捜査機関が行って逮捕されます。以上です」、と言ってこの話題を断ち切ったそうです。

 私にとって橋下氏の今回の一連の発言で最もショックだったのがこの言葉です。売買春はあるべきではありませんが、古今東西どこの世界にいっても存在するものです。そして、春を鬻いでいる女性が脆弱な存在であり、いくつもの危険に晒されているのは明らかです。

 そして橋下氏は政治家であり弁護士です。ならば、「いくつもの危険に晒されている人たちを法的に守るのが僕の仕事でした」と言うべきではなかったでしょうか。もちろん、法律で取り締まられるべき行為(売春)があるなら、それは法で裁かれなければなりません。しかし、犯罪者や被疑者、容疑者も弁護士をつけて弁護される権利があります。ですから、飛田新地でおこなわれていることが犯罪なら、犯罪者の弁護士として任務を遂行すればいいわけですし、逆に飛田で働く人たちが不当な搾取にあったり、暴力事件の被害者になったりするのであれば、そのときは被害者の弁護人として弁護をすればいいわけです。

 私はタイのエイズ施設で、元売春婦の人たちをたくさんみてきました。彼女たち(なかには男性もいます)が、いかに不当な搾取にあい、暴力の被害にあい、そしてHIVを感染させられたかをこれまでさんざん聞いてきました。例外があることも認めますが、彼女(彼)たちの多くは、好き好んでそのような職業を選択したわけではありません。そして、これは日本でも同様でしょう。

 私が個人的に橋下氏に興味をもったのは、例の「集団買春はODA発言」の直後に潔くテレビ番組を降板したというニュースをみたときです。そして、橋下氏について調べているときに、飛田新地の顧問弁護士に従事していたことを知りました。私はそのとき、「きっとこの人は弱者の味方に違いない」と感じました。

 もうひとつ、私が「橋下氏は弱者の味方に違いない」と思った出来事があります。それは、『週刊朝日』に掲載された、橋下氏の出生に関する内容、つまり橋下氏が被差別部落出身であることを暴露した記事(注1)に対し、氏が毅然とした態度で朝日新聞社に抗議したことです。私は橋下市長が掲げる政策のすべてに賛同しているわけではありませんが、それはさておき、この「週刊朝日事件」を知ったときに橋下氏を応援したくなりました。そして、そのような境遇で育ち逆境にくじけずに市長にまでなった氏は、きっと弱者の味方に違いない、と思い込んだのです。

 しかし、それはどうやら私の思い込みに過ぎなかったようです・・・。

 政治家には強いリーダーシップが必要であり、大阪市長なら、今大阪市にとって最も重要なことは何か、という観点から、あるべき大阪市の未来について語らなければなりません。ですから「弱者を守る」ということは、私にとっては大切なことに見えますが、市長としてはそれを第一義的に語る必要はありません。氏が理想と考えている大阪市の将来のビジョンを重要なことから大阪市民に示してくれればまずはそれでいいわけです。

 けれども、市長にとって優先順位は高くないとしても、春を鬻がなければならないセックス・ワーカーたちが今も大阪にも存在しているということ、あるいは被差別部落に関する諸問題がすべて解決されているわけではないということについても、目を向けることを忘れないでほしいと切に願います・・・。


注1:私自身は『週刊朝日』のこの記事を直接は読んでいないのですが、似たようなことが書かれていたと報道された『新潮45』、『週間新潮』、『週刊文春』はすべて読んでいました。私は、被差別部落を具体的な地名を出して記事にするということに大変驚いた(80~90年代なら考えられないことです)こと以外に、これらの記事でショックを受けたことが2つあります。

ひとつは『週刊朝日』の記事を書いたのがノンフィクション作家の佐野眞一氏ということです。佐野氏の作品は取材力がすばらしく、例えば 『東電OL殺人事件』は歴史に残る名著と言っていいでしょう。この本がなければ、無実の罪で15年もの歳月を刑務所で過ごさなければならなかったネパール人のゴビンダさんは今も獄中にいたかもしれない、と私は思っています。その佐野氏が(後述する)上原善広氏の『新潮45』とほとんど同じ内容のオリジナリティがまるでないような記事を書いたそうで、私にとっては、内容が橋下氏の出生を暴露するという無意味なものであったことと合わせて二重に残念でした。

もうひとつは、上原善広氏が『新潮45』2011年11月号で「最も危険な政治家」というタイトルで橋下氏の出生を暴いたことです。佐野眞一氏もそうですが、私は個人的にこの上原善広というノンフィクション作家を高く評価しています。代表作である『日本の路地を旅する』(2010年大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)は大変衝撃的な名著です。自身が被差別部落出身であることを堂々と語り、なおかつ実兄が性犯罪の加害者であることもカムアウトしているのです。その上原氏が橋下市長の出生についてこのような記事を書いたことが残念というか、私がこれを読んだときの第一印象は「自分が被差別部落出身だからといって部落問題について何を書いても許されるわけではないぞ!」というものです。