GINAと共に
第77回 注目されない世界エイズデイ(2012年11月)
前回のこのコラムでは、FDA(米国食品医薬品局)が、抗HIV薬のツルバダを世界初の「HIV予防薬」として承認したのにもかかわらず日本ではほとんど話題になっていない、ということを述べましたが、日本では、HIV予防薬が注目されないというよりも、HIVやエイズそのものに対する世間の関心が薄れてきています。
12月1日は世界エイズデイです。毎年この日に向けて、各市町村や各種団体がイベントを開催したり無料検査をしたりするのですが、今年はその数が全国的に少なく盛り上がりにも欠けているようです。日本では秋から冬にかけてが学園祭のシーズンですから、数年前には多くの大学や短大でエイズ関連のイベントがおこなわれていましたが、現在はかなり下火になっているようです。
保健所ではHIVの無料検査がおこなわれていますが、数年前なら世界エイズデイのことがマスコミで取り上げられる11月頃に検査を受ける人が増えてきていたのに、ここ数年はそのようなことがなく今年も検査数は増えていないそうです。
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、HIVの検査目的で受診する人は年々減少しています。2008年には、HIVの検査目的の人が診療所にひっきりなしにやって来られ、一般の患者さんの待ち時間が大幅に長くなってしまったほどです。
2008年には行政も予算をつぎ込んで検査を促しました。大阪市の地下鉄には「大阪では2日に1人が感染している」といったキャッチコピーが書かれたポスターが大量に掲示されました。これは前年の大阪府のHIVに新規に感染が発覚した人が190人近くいましたから、年間365日であることから、「2日に1人」という表現が生まれたのでしょう。しかし、これを見た一般の人のなかには「2人に1人」と見誤る人が続出したのです。当時この現象をみかねた私は、行政関係者に、このような誤解を招くようなポスターはつくらないでほしい、と苦情を呈したほどです。
しかし、不安を煽り過ぎる行政の姿勢やマスコミの報道を心配する必要は翌年からまったくなくなりました。2009年から一気にHIVやエイズに関する世間の注目が薄れたのです。当初は新型インフルエンザの流行のせいで、インフルエンザが落ち着いたら再びHIVに関心が向かうのではないか、とも言われていましたが、そのようなことはありませんでした。そしてこの傾向は年々顕著になってきています。私が日本のHIVの検査に何らかのかたちで関わりだしたのは2004年頃からですが、今年(2012年)はこれまでで最も世間の関心が低いような印象があります。
HIVへの関心が低下する理由が、HIV感染者が減っているから、ということであれば問題ないでしょう。しかし、実際はその逆です。谷口医院では、今年(2012年)にHIVが新たに発覚した人は2007年の開院以来過去最高レベルとなっています。しかも、以前にもお伝えしまたが(下記コラムも参照ください)「いきなりHIV」の割合が今年は、なんと9割にものぼるのです。
「いきなりHIV」というのは私が勝手に考えた造語で正式な言い方ではありません。意味は、「発熱や皮疹、下痢などで受診して診療をすすめていくなかでHIVが発覚した。患者さんはまさかそれらの原因がHIVであるとは考えていなかった」というケースのことです。
谷口医院の数字だけで日本全体の状況を推測するには無理がありますが、もう一度谷口医院の状況をみてみると、2007年の開院以来HIV感染が発覚する人が今年(2012年)は、11月中旬の数字でみると過去最多の勢いで、なおかつ「いきなりHIV」が約9割を占めているのです。これを額面どおりに読めば、HIVに感染していることに気づいていない人がたくさんいる、ということに他なりません。
HIVやエイズに無関心になっているのは日本だけではありません。タイでもHIVに対する関心は急激に低下しています。この理由は、母子感染が減り、エイズ孤児が減り、薬がいきわたるようになったからであり、これらはもちろん歓迎すべきことですが、成人の新規感染が減っているわけではありません。ここ数年は新規に感染が発覚した人が12,000人から15,000人で推移しています。
タイで特に問題になっているのが、男性同性愛者の感染率です。以前からタイの男性同性愛者の陽性率は2割もしくはそれ以上ではないか、と言われていましたが、最近の調査では、一部のマスコミによりますと、男性同性愛者の31.3%がHIV陽性、としているものもあります。いくらなんでも男性同性愛者の3人に1人がHIV陽性、というのはにわかには信じがたいのですが、ウボンラチャタニ県など一部の県では、こういった調査の結果を受けて、男性同性愛者を対象とした無料の検査と無料の治療の政策が実施されているようです。
実は私は日本でも同じような状況に近づいているのではないかと感じています。日本では以前から、HIVが新規に発覚する人の多くは男性同性愛者でしたが、2008年頃からは異性愛者や女性の感染者の占める割合が増加してきていたのも事実です。それが、ここに来て再び男性同性愛者の比率が増えてきています。谷口医院の数字から日本全体の状況を推測するにはやはり無理がありますが、2012年に谷口医院でHIVが新規に発覚した人の8割以上は男性同性愛者なのです。
「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループ」という言い方は、私としては好きではありません。なぜなら男性同性愛者の中には、性感染症の予防に非常に詳しい人が少なくなく、HIVの啓蒙活動をされているような人も大勢いるからです。ストレートの人たちよりも男性同性愛者の方が性感染の予防をしっかりしているのではないか、とすら感じることもあります。実際、谷口医院に「僕たち付き合うことになったので初めてセックスをする前に性感染症の検査に来ました」と言ってやってこられるのは男性同性愛者の方が圧倒的に多いのです。男性と男性のカップルに次いで多いのが、男性は外国人(白人もしくは黒人でアジア人は稀)で女性は日本人というカップルです。残念ながら日本人どうしの男女のカップルの比率は非常に少ないというのが現実です。
どこの国や地域でも、HIVの蔓延には、まず男性同性愛者間でのアウトブレイクがあり、一定数を超えるとストレートの人たちに広がり始めます。日本ではHIVの新規感染が増えているとはいえ、諸外国に比べればまだアウトブレイクしているという状況にはありません。この理由として、私は日本の男性同性愛者は海外の男性同性愛者に比べて、きちんとした知識を持っていて感染予防に努めているからではないか、と考えています。日本の同性愛者は(他国の状況にそれほど詳しいわけではありませんが)知的レベルが高く社会的階層が高い人が多いのが特徴ではないか、という印象が私にはあります。しかし、最近の谷口医院の傾向をみていると、男性同性愛者間の新規感染が最大の問題と考えざるを得ないのです。
あらためて言うことではありませんが、HIVには感染しない方がいいにきまっています。偏見やスティグマは依然存在していますし、治療に要する費用も大変です。HIVの治療のガイドラインは高頻度に改訂されているのですが、改訂される度に抗HIV薬の開始の時期が早くなる傾向にあります。現在HIV感染者はその程度に応じて医療費の負担が変わってきます。抗HIV薬の投薬を受けるようになれば障害者医療の扱いとなりますが、程度によって認定される障害の級数に差があり、個人負担の割合が大きく変わってきます。早期発見され症状がでておらず検査値にも異状がない場合はそれなりの負担が強いられることになります。
HIV感染は、一生薬を飲み続けなければならないのだから「難病」指定すべきだ、という声も一部にはありますが、今のところ「難病」に指定されるような流れにはありません。もしも「難病」(正確には「特定疾患治療研究事業対象疾患」といいます)に指定されれば、感染者の医療費の負担はほとんどゼロになりますから随分と検査や治療がおこないやすくなりますから、もちろん私としては大賛成なのですが、実現にはいくつもの壁があると思われます。
世間の関心が低下し、検査を受ける人が減っている、しかし「いきなりHIV」が増えている、というこの現実を考えたとき、我々ひとりひとりは何をすべきでしょうか。
参考:GINAと共に第64回(2011年10月)「増加する「いきなりHIV」
12月1日は世界エイズデイです。毎年この日に向けて、各市町村や各種団体がイベントを開催したり無料検査をしたりするのですが、今年はその数が全国的に少なく盛り上がりにも欠けているようです。日本では秋から冬にかけてが学園祭のシーズンですから、数年前には多くの大学や短大でエイズ関連のイベントがおこなわれていましたが、現在はかなり下火になっているようです。
保健所ではHIVの無料検査がおこなわれていますが、数年前なら世界エイズデイのことがマスコミで取り上げられる11月頃に検査を受ける人が増えてきていたのに、ここ数年はそのようなことがなく今年も検査数は増えていないそうです。
私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、HIVの検査目的で受診する人は年々減少しています。2008年には、HIVの検査目的の人が診療所にひっきりなしにやって来られ、一般の患者さんの待ち時間が大幅に長くなってしまったほどです。
2008年には行政も予算をつぎ込んで検査を促しました。大阪市の地下鉄には「大阪では2日に1人が感染している」といったキャッチコピーが書かれたポスターが大量に掲示されました。これは前年の大阪府のHIVに新規に感染が発覚した人が190人近くいましたから、年間365日であることから、「2日に1人」という表現が生まれたのでしょう。しかし、これを見た一般の人のなかには「2人に1人」と見誤る人が続出したのです。当時この現象をみかねた私は、行政関係者に、このような誤解を招くようなポスターはつくらないでほしい、と苦情を呈したほどです。
しかし、不安を煽り過ぎる行政の姿勢やマスコミの報道を心配する必要は翌年からまったくなくなりました。2009年から一気にHIVやエイズに関する世間の注目が薄れたのです。当初は新型インフルエンザの流行のせいで、インフルエンザが落ち着いたら再びHIVに関心が向かうのではないか、とも言われていましたが、そのようなことはありませんでした。そしてこの傾向は年々顕著になってきています。私が日本のHIVの検査に何らかのかたちで関わりだしたのは2004年頃からですが、今年(2012年)はこれまでで最も世間の関心が低いような印象があります。
HIVへの関心が低下する理由が、HIV感染者が減っているから、ということであれば問題ないでしょう。しかし、実際はその逆です。谷口医院では、今年(2012年)にHIVが新たに発覚した人は2007年の開院以来過去最高レベルとなっています。しかも、以前にもお伝えしまたが(下記コラムも参照ください)「いきなりHIV」の割合が今年は、なんと9割にものぼるのです。
「いきなりHIV」というのは私が勝手に考えた造語で正式な言い方ではありません。意味は、「発熱や皮疹、下痢などで受診して診療をすすめていくなかでHIVが発覚した。患者さんはまさかそれらの原因がHIVであるとは考えていなかった」というケースのことです。
谷口医院の数字だけで日本全体の状況を推測するには無理がありますが、もう一度谷口医院の状況をみてみると、2007年の開院以来HIV感染が発覚する人が今年(2012年)は、11月中旬の数字でみると過去最多の勢いで、なおかつ「いきなりHIV」が約9割を占めているのです。これを額面どおりに読めば、HIVに感染していることに気づいていない人がたくさんいる、ということに他なりません。
HIVやエイズに無関心になっているのは日本だけではありません。タイでもHIVに対する関心は急激に低下しています。この理由は、母子感染が減り、エイズ孤児が減り、薬がいきわたるようになったからであり、これらはもちろん歓迎すべきことですが、成人の新規感染が減っているわけではありません。ここ数年は新規に感染が発覚した人が12,000人から15,000人で推移しています。
タイで特に問題になっているのが、男性同性愛者の感染率です。以前からタイの男性同性愛者の陽性率は2割もしくはそれ以上ではないか、と言われていましたが、最近の調査では、一部のマスコミによりますと、男性同性愛者の31.3%がHIV陽性、としているものもあります。いくらなんでも男性同性愛者の3人に1人がHIV陽性、というのはにわかには信じがたいのですが、ウボンラチャタニ県など一部の県では、こういった調査の結果を受けて、男性同性愛者を対象とした無料の検査と無料の治療の政策が実施されているようです。
実は私は日本でも同じような状況に近づいているのではないかと感じています。日本では以前から、HIVが新規に発覚する人の多くは男性同性愛者でしたが、2008年頃からは異性愛者や女性の感染者の占める割合が増加してきていたのも事実です。それが、ここに来て再び男性同性愛者の比率が増えてきています。谷口医院の数字から日本全体の状況を推測するにはやはり無理がありますが、2012年に谷口医院でHIVが新規に発覚した人の8割以上は男性同性愛者なのです。
「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループ」という言い方は、私としては好きではありません。なぜなら男性同性愛者の中には、性感染症の予防に非常に詳しい人が少なくなく、HIVの啓蒙活動をされているような人も大勢いるからです。ストレートの人たちよりも男性同性愛者の方が性感染の予防をしっかりしているのではないか、とすら感じることもあります。実際、谷口医院に「僕たち付き合うことになったので初めてセックスをする前に性感染症の検査に来ました」と言ってやってこられるのは男性同性愛者の方が圧倒的に多いのです。男性と男性のカップルに次いで多いのが、男性は外国人(白人もしくは黒人でアジア人は稀)で女性は日本人というカップルです。残念ながら日本人どうしの男女のカップルの比率は非常に少ないというのが現実です。
どこの国や地域でも、HIVの蔓延には、まず男性同性愛者間でのアウトブレイクがあり、一定数を超えるとストレートの人たちに広がり始めます。日本ではHIVの新規感染が増えているとはいえ、諸外国に比べればまだアウトブレイクしているという状況にはありません。この理由として、私は日本の男性同性愛者は海外の男性同性愛者に比べて、きちんとした知識を持っていて感染予防に努めているからではないか、と考えています。日本の同性愛者は(他国の状況にそれほど詳しいわけではありませんが)知的レベルが高く社会的階層が高い人が多いのが特徴ではないか、という印象が私にはあります。しかし、最近の谷口医院の傾向をみていると、男性同性愛者間の新規感染が最大の問題と考えざるを得ないのです。
あらためて言うことではありませんが、HIVには感染しない方がいいにきまっています。偏見やスティグマは依然存在していますし、治療に要する費用も大変です。HIVの治療のガイドラインは高頻度に改訂されているのですが、改訂される度に抗HIV薬の開始の時期が早くなる傾向にあります。現在HIV感染者はその程度に応じて医療費の負担が変わってきます。抗HIV薬の投薬を受けるようになれば障害者医療の扱いとなりますが、程度によって認定される障害の級数に差があり、個人負担の割合が大きく変わってきます。早期発見され症状がでておらず検査値にも異状がない場合はそれなりの負担が強いられることになります。
HIV感染は、一生薬を飲み続けなければならないのだから「難病」指定すべきだ、という声も一部にはありますが、今のところ「難病」に指定されるような流れにはありません。もしも「難病」(正確には「特定疾患治療研究事業対象疾患」といいます)に指定されれば、感染者の医療費の負担はほとんどゼロになりますから随分と検査や治療がおこないやすくなりますから、もちろん私としては大賛成なのですが、実現にはいくつもの壁があると思われます。
世間の関心が低下し、検査を受ける人が減っている、しかし「いきなりHIV」が増えている、というこの現実を考えたとき、我々ひとりひとりは何をすべきでしょうか。
参考:GINAと共に第64回(2011年10月)「増加する「いきなりHIV」