GINAと共に

第63回 暴力団排除条例に対する疑問(2011年9月)

 以前、タイのあるエイズ施設で患者さんたちと一緒に記念写真を撮ったことがあります。そのときはたまたま男性患者さんばかりが10人ほど集まって私が真ん中に位置しました。その写真を日本に帰ってからある知人に見せたときの第一声は、「ガラ悪そう・・・」というものでした。

 治療中はあまりそのようなことを意識していなかったのですが、確かに患者さんたちを写真でよくみると、全身にタトゥーがあったり、目つきに凄みがあったり、いかにもそのスジの人・・・、という感じがしてきます。

 タイでは(タイだけではありませんが)エイズは特に珍しい病気ではなく、もう20年以上も前から「誰にでも感染しうる病気」となっています。現在のタイにおけるHIVの三大ハイリスクグループは、男性同性愛者、主婦、セックスワーカーです。主婦が入っているくらいですから、エイズ(HIV感染)は、コモンディジーズ(common disease)とすら言うことができます。

 しかし、HIV感染の発見が遅れ、ある程度重症化してしまい施設に収容され、なおかつ家族に引き取ってもらえずに長期間施設に滞在せざるを得ない人たちだけをみてみると、社会からドロップアウトした人たちや犯罪歴のある人たちが少なくないのは事実です。そんなわけで、私がボランティアとして滞在していたその施設にもアウトローの患者さんが少なくなかったのです。

 当たり前の話ですが、病気は人を選びません。いかなる病気もいかなる人にもかかる可能性があります。したがって、医療者というのは、その人の属性(職業、社会的立場、国籍、宗教など)にかかわらずどのような患者さんも診なければなりません。医療というのはすべての人に平等になされなければならないのです。

 2010年4月1日、福岡県は全国に先駆けて暴力団排除条例を施行しました。その後この条例は瞬く間に全国に広がり、未施行だった東京都と沖縄県が2011年10月1日に施行されることによりすべての都道府県でそろうことになります。

 2011年8月にはタレントの島田紳助さんが暴力団と親密な関係があることを理由に芸能界から引退されることが大きく報道され(注1)、これにより暴力団排除条例が大きくクローズアップされているように思われます。
 
 例えば『週刊新潮』は2011年9月15日号で、「ケーススタディー「暴力団排除条例」」というタイトルで特集を組んでいます。この記事では、一般人がどのようなことをすれば条例に触れるか、という問いに弁護士が答えるかたちをとっています。取り上げられている例をみてみると、暴力団に葬儀場や結婚式場を貸したらダメ、お揃いのスーツを仕立てたテーラーもダメ、さらに暴力団員への電気・ガス・水道の供給もダメ、とされています。この記事によると、これらの行為はいずれも暴力団員との「密接交際者」とみなされる可能性があるそうです。

 今のところ、この暴力団排除条例に対して「断固反対する」という意見をあまり聞きませんから世間には広く受け入れられているのでしょう。しかし、私自身は、この条例に対して決して小さくない違和感を覚えます。

 1992年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」という名前の法律(いわゆる「暴対法」)が施行されました。このときに故・遠藤誠弁護士は、この法律が憲法違反であることを主張し、山口組からの12億円余の資金提供の申出を断って、無償で弁護したことは有名です。私はこの法律の是非はよく分からなかったのですが、当時感じた率直な感想は、「暴力団員が反社会的行為をとったなら、暴対法などというよく分からない法律ではなく、刑法など既存の法律で取り締まればそれでいいではないか」、というものでした。

 暴対法に対しても疑問を感じていた私ですが、その19年後に全国あまたで施行されようとしている暴力団排除条例に関しては、はっきりと違和感を覚えます。この条例の目的は、暴力団をこの社会から完全に排除することのように思えるのです。誤解のないように言っておくと、私は暴力団が社会に必要である、と言っているわけではありません。暴力団やマフィアがまったくいない社会はたしかにユートピアではあるでしょう。しかし実際にはそのような社会は古今東西存在していませんし、これからも存在することはないのが現実というものです。(以前、作家の宮崎学氏が、「暴力団やマフィアがまったくない社会というのは今の北朝鮮くらい。日本がヤクザを消滅させたいと考えるのは北朝鮮を目指したいということなのか」という内容をどこかで書かれていましたが、私もその通りだと思います)

 現在私は個人的な暴力団員との付き合いは一切ありませんが、これまでの人生でヤクザの世界と接触しかけたことはないわけではありません。例えば、小学校には親がヤクザの同級生がいました。その同級生は私と家が近所ということもあって、よく家に遊びに行っていました。彼は小学校卒業と同時に引越しし、今はどこで何をしているのか知りませんが、もし引越ししていなかったなら同級生として今も付き合いがあったかもしれません。

 大学生の頃、あるアルバイト先に、親がヤクザで自身もいずれはその道に進むとみられていた先輩がいました。その先輩はその頃からそういう雰囲気を持ち貫禄があったのは事実ですが、後輩としての私にとっては、他の先輩たちと根本的な違いがあるわけではありませんでした。今は付き合いがありませんが、何らかの機会があれば顔を合わせることがあるかもしれません。

 暴力団排除条例などという条例を考え付く人たち(官僚や政治家)というのは、おそらく小学生時代から"優秀"であり、同じく"優秀"な生徒に囲まれており、ヤクザなどという人種とはおそらく接することなく過ごしてきたのでしょう。だから、「ヤクザ=社会の悪 → 社会から駆逐されなければならない」という図式が頭の中でできあがっているのではないでしょうか。

 私が大学病院(大阪市立大学医学部附属病院)で外来をしていた頃、地域がらもあり、患者さんのなかには暴力団構成員ではないかと思われる人がいました。あからさまにそれを言う人はいませんが、問診をしているうちに分かることがありますし、分かる人は診察室に入ってきた瞬間から分かります。大学病院の近くに位置したある救急病院で夜間当直をしているときは、あきらかにそれと分かる人が、「指つめたから出血とめてくれ~」と言って切断したばかりの小指に手ぬぐいを当ててやってきたこともありました。

 現在私が院長をつとめる太融寺町谷口医院には、あきらかにそのスジの人というのはまだ受診していませんが、これまでの受診者のなかにはひとりくらいはいたかもしれません。(実は一度だけ目つきから「そうかな」と感じたことがあるのですが、後で保険証をチェックするとその患者さんは警察官でした)

 医療者というのは、患者さんの属性で医療行為に差をつけるということはできません。ヤクザや暴力団構成員だからといって診療に手を抜くことなどは、やれと言われてもできないのです。(もちろんその逆に他の患者さんより手厚い診療をおこなうこともできません)

 電気やガスを暴力団に供給した事業者が条例違反になるなら、暴力団構成員を治療した医師も違反になるのでしょうか。私は暴力団やヤクザを美化するつもりは一切ありませんが、まもなく全国でくまなく施行されようとしている暴力団排除条例は臭い物に蓋をしようとしているように思えてならないのです。「臭い物に蓋」的政策では、いずれそのひずみがでてきます。すでにヤクザがマフィア化して犯罪が地下に潜っていることや、外国人のマフィアが台頭してきていることなどが指摘されていますが、今後新たな社会問題が生じてこないかを心配します。

 冒頭で述べたような多くのアウトローをタイで治療してきた私の立場から言えば(注2)、このような条例のせいで、アウトローの患者さんが受診するのを躊躇して診断が遅れることを危惧します。


注1 私は島田紳助さんの一連の報道についてとやかく言う立場にありませんが、素朴な疑問として、芸能人がヤクザと交流があるのは公認された事実ではなかったのか、と感じています。芸能人の地方の興行には地元のヤクザが関与するものだと思っていましたし、もっと分かりやすい例を挙げれば、美空ひばりと山口組三代目・田岡一雄組長との関係は誰もとやかく言わなかったはずです。(これを確認しようと思って田岡組長についてwikipediaを調べると、コメディアンの榎本健一が田岡組長に酒の席でキスをしている写真が公開されていました)

注2 ちなみにタイでも日本のヤクザは有名で、強くて怖いというイメージがあるそうです。「ヤクサ~」という単語はタイ語にもなっています。ただし発音は、サ(タイ語にはザの音がないため)にアクセントがあり(正確に言えば声調があります)、語尾をのばして発音するので、少し間の抜けた感じがします。