GINAと共に

第61回(2011年7月) 緊急避妊と抗HIV薬予防投与

 2011年5月、日本でも1回飲み切り型の緊急避妊薬ノルレボ(一般名はレボノルゲストレル)が発売となり、マスコミで大きく取り上げられました。通常のピル(oral contraceptive、略してOCとも呼ばれる)が毎日服用しなければならないのに対し、緊急避妊薬というのは通称「モーニングアフターピル」とも呼ばれ、妊娠したかもしれない性交渉(unprotected vaginal sex)の後に内服する避妊薬のことです。

 このノルレボという緊急避妊薬は海外では数年前から一般的になってきており、国によってはごく簡単に購入することができます。インターネットでも買えるようで、日本からでも個人輸入というかたちで、非常に安くすごく簡単に入手することができるようです。(ただし、個人輸入ではニセモノをつかまされるリスクがあります)

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院にも、ときどき緊急避妊薬を求めて受診される方がいます。特に土曜日の午後は、開いているクリニックが少ないこともあり、他府県から車を飛ばしてやって来る人もいます。

 ノルレボ発売によりようやく日本でも緊急避妊がおこなわれるようになったのか、と言えばそういうわけではなく、これまでも一部の中用量ピルを2回にわけて内服するという方法がありましたし、ノルレボが発売になってからもその方法を選択する人もいます。というのは、ノルレボは非常に高価であるからです(海外の5倍以上もします!)。しかし、ノルレボの方が従来の中用量ピルを2回内服するという方法よりも成功率が高いことが報告されており、値段と効果を天秤にかけて選ぶことになります。

 緊急避妊に関して私が最も主張したいことは、「緊急避妊は100%成功するわけではない!」ということです。この点を誤解している人がいて驚かされることがあります。なかには、「コンドームなしの性交渉をしてもその度に緊急避妊をしているから大丈夫」と言う若い女性もいます。

 ノルレボの販売元であるあすか製薬から入手したデータによりますと、ヤッペ法といって2回内服する方法での妊娠率は3.2%、ノルレボを使っても妊娠率は1.1%となっています。太融寺町谷口医院の症例でみても、2回内服する方法で妊娠してしまった人は過去に数人います。ノルレボではまだ妊娠した例がありませんが、使用者が増えてくればやがて避妊に失敗する人もでてくるでしょう。

 婦人科専門のクリニックでない太融寺町谷口医院にすら、大勢の患者さんが緊急避妊目的で受診されるわけですから、日本全国でみればかなりの日本人女性が緊急避妊を経験しているのは間違いないでしょう。年間でいったいどれくらいの日本人女性が緊急避妊を実施しているのかというのはデータがなく分からないのですが、興味深いことに、タイではそのデータがあります。

 2011年7月11日のタイの英字新聞「The Nation」によりますと、タイでは年間800万セットもの緊急避妊薬(おそらくノルレボだと思われます)が消費されているそうです。しかも、タイでは普通の薬局で医師の処方箋なしで買えてしまうのです。報道によりますと、緊急避妊薬を求める多くは10代の未成年で、なかには何度も購入する女子もいるそうです。当局としてはこの事態に危機感を抱いており、緊急避妊薬は低用量ピル(OC)よりも多くのホルモンが使われており身体に負担がかかること、安易に性交渉を持つべきでないことなどを女子生徒に教育していくことを検討しているそうです。

 私はエイズ関連の講演やセミナーをおこなうときには、「大切なパートナーができれば性交渉を持つ前にお互いがすべての性感染症について検査をすべきです」と話しています。そして、「お互いが性感染症に感染していないことを確かめれば(感染していれば治療して治ったことを確認すれば)、あなたはこれから性感染症にかかるリスクはゼロになります。ただしあなた自身もあなたのパートナーも誠実であることが必要ですが・・・」、と続けるようにしています。この私の主張は、エイズに携わる活動家からは不評なのですが(理想論に過ぎず現実的でないと言われるのです)、それでも真実には変わりないわけで、これからも主張し続けるつもりです。

 さて、私の主張を受け入れてもらって(かどうかは分かりませんが)、新しいパートナーができたとき性交渉を持つ前に二人そろってすべての性感染症の検査を受けるという人は着実に増えてきています。数年前までは、太融寺町谷口医院をこの目的で受診して検査を受けるカップルは、西洋人カップル、西洋人と日本人のカップル、日本人同士であれば男性同性愛者、にほぼ限られていたのですが、最近では、日本人の男女のカップルも増えてきています。日本人の男女のカップルに話を聞くと、性感染症の話をしたときに避妊はどうすべきか、という話にもなると言います。当然のことですが、このようにきちんと話をしているカップルの避妊に「危なくなったら緊急避妊に頼ればいいや」という考えはありません。(ただし、コンドームが破れるというアクシデントが起こったときは緊急避妊が必要となることもあります)

 失敗のリスクや身体に負担がかかるリスクなどを考えれば、「緊急避妊薬があるから大丈夫」などという考えが大間違いであることは自明ですが、患者さんからときどき言われるのが「危険な性交渉を持ってしまったから抗HIV薬を処方してほしい」というものです。

 たしかに我々医療従事者は、HIV陽性(かもしれないケースも含めて)の患者さんに対し針刺し事故を起こした場合、直ちに抗HIV薬を内服して感染を防いでいます(注1)。また、HIV陽性者(かもしれない人も含めて)からレイプをされた場合などには抗HIV薬を予防的に内服してもらうことが必要になる場合もあります。けれども、次のように考えている人がいて困ることがあります。それは、「危険な性交渉をしてもその後に抗HIV薬を飲めば問題ないんでしょ」、というものです。

 この考えは完全に誤りです。HIV以外の感染症に対してはどのように考えているのか、性交渉の後どうやって速やかに抗HIV薬を入手するのか、100%の確率で感染予防できるわけではないことが理解できているのか、コストのことは考えているのか、などといった問題があるからです。

 しかし、最近、「抗HIV薬の感染予防目的の服用が有効」という研究がそろってきているのは事実です。医学誌『THE LANCET』2011年7月18日号に掲載された論文(注2)で3つの研究が紹介されています。その3つの研究とは、いずれもHIV陽性者とHIVに感染していないカップルに対し、感染していない人に予防的に抗HIV薬を飲んでもらうことによって感染を予防できることが実証された、というものです。

 この論文で言いたいことは、抗HIV薬はHIV感染者に対してエイズ発症を防ぐことができる治療薬のみならず、HIVに感染することを防ぐ予防薬にもなる、というもので、この発表を受けて、今後のHIV感染予防対策が大きく変わるのではないか、とみる向きが増えてきています。

 けれども、ことは慎重にすすめなければなりません。抗HIV薬は決して気軽に内服するようなものではありませんから、服用していいのは「HIV陽性者のパートナー」に限定されることにはなるでしょう。しかし、そのパートナーの定義はどうするのか、という問題があります。結婚していることを条件にすれば、同性愛者には認められなくなる国や地域は少なくありませんし、男女間のカップルにおいても「抗HIV薬を服用したいから結婚する」という考え方には違和感があります。

 さらに、抗HIV薬にはコストの問題、副作用の問題などがあります。特にコストについて考えると、予防的投与というのは現実的でなくなってきます。現在、日本ではひとりのHIV陽性者に必要な医療費が生涯で1億円は超えると言われています。若い時期に感染し生涯抗HIV薬を内服し続けると2億円になるとの試算もあります。予防的投与に使う抗HIV薬が1種類のみで安いものが選ばれたとしてもかなりの金額になるのは自明です。このコストを誰が負担するのだ、という問題があり、保険適用にはならないでしょうから、おそらく予防的投与が認められたとしても、そのコストはHIV陽性+HIV陰性のカップルが負担しなければならなくなるでしょう。すると「HIV陽性者と交際もしくは結婚できるのは金持ちだけ」という事態になってしまいます。

 今確実に言えることは、相手がHIV陽性であろうがなかろうが、性感染症のリスクを減らすために、また、望まない妊娠を防ぐためにも、カップル間でしっかり話をする、そしてお互いが誠実になり信頼し合う、ということだと私は考えています。


注1 どこの医療機関でも、というわけではありませんが、最近では多くの医療機関で医療者が針刺し事故などを起こしたときのために抗HIV薬を常備しています。針刺しをしてから何時間以内に飲むべき、ということには様々な議論がありましたが、現在は「できるだけ早く」というのが共通のコンセンサスとなっています。(太融寺町谷口医院にも針刺し事故を起こしたときのために抗HIV薬を置いています。しかし、「危険な性交渉があったから処方してほしい」という患者さんからの要望に対しては、レイプがあった、など特殊な状況を除いては応じていません)

注2 この論文のタイトルは、「Antiretroviral prophylaxis: a defining moment in HIV control」で、下記のURLで全文を読むことができます。全文を読むにはregistration(登録)が必要ですが無料でできます。

http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961136-7/fulltext